もう忘れたの?

5月27日(金)

初級クラスのYさんは、中間テストで全科目不合格でした。Yさん自身も自分はできないと気づいていて、授業は午後からですから、毎日午前中学校へ来て、K先生の出した課題をやっています。課題をしに来たKさんを捕まえて、自身の現状をどう考えているか面接しました。

Yさんは国立大学に進学したいと言いました。6月のEJUは出願したものの、今の力では高得点は無理だろうと思っています。ここまでの認識は正しいのですが、11月については楽観視しているようなのが気にかかりました。初級のテストで赤点を取っているようじゃ、国立大学は絶望的です。

1日の勉強時間が3時間、その3時間でK先生からの課題や宿題をやるそうです。アルバイトはしていないそうですが、していなかったらもっとたくさん勉強時間が取れるはずです。Yさんははっきり言いませんでしたが、遊んでしまっているのでしょう。「3時間」という勉強時間だって、怪しいものです。

面接後、中間テストの答案を見せて、間違えたところを直させました。漢字はどうにか正解にたどり着きましたが、文法は、教科書やノートを見てもいいと言ったのに、いつまでたっても直せませんでした。その問題が教科書の何課を対象にした問題かがわからないのです。それに加え、下のレベルで習ったことが身に付いていません。ですから、教科書のどこを見れば間違いが直せるかがわかりません。

Yさんは下のレベルで勉強したことを忘れてしまったと言います。間違い直しに必要な文法が出ている教科書のページを示しても、それをどう応用すればいいか見当がつかないようでした。それを1つ1つ解きほぐしていったら、あっという間に1時間が過ぎてしまいました。ろくな復習をしてこなかったんだなと思いました。

午後の授業中、Yさんはスマホを見ていました。あーあ…。

正道に

5月26日(木)

中間テストの成績が出揃い、頑張った学生と頑張りが足りなかった学生とが見えてきました。

頑張った学生はDさんでしょう。学期が始まったばかりの頃はおどおどしているかニコニコしているかで、授業がわかっているようには見えませんでした。出された宿題を見ると、問題文すら十分に理解しているとは思えませんでした。案の定、テストの成績は思わしくなく、毎回再テストを受けていました。しかし、中間テスト直前になると、線がつながって電流が流れ始めたみたいに、Dさんの書く文や話す言葉のレベルが上がりました。もしかすると…とほのかな期待を抱いていたら、中間テストでは見事に合格点を取りました。

Kさんは油断大敵組です。学期の初めは「こんなの余裕でわかるもんね」っていう顔をして授業にも身を入れていませんでした。授業がちょっと進むと、わからないところが出てきたのか、教師の言葉に耳を傾けるようになりました。それでも、どこかで自分はできるんだという過信があり、妙に凝った答えを言ったり書いたりしては自滅していました。中間テストではDさんより下になり、かろうじて合格という成績でした。ここで気を引き締め、謙虚な気持ちになってくれれば、元がそんなに悪くないのですから、復活可能です。

Kさんを見ていて、去年のZさんを思い出しました。ZさんもKさんと同じレベルの新入生で、自分はこんな下のレベルで勉強するような学生ではないという大天狗様でした。難しい言葉や文法を振り回そうとしていましたが、基礎部分に抜け落ちがありましたから、それが空振りに終わり、とうとう進級できませんでした。これでKCPに嫌気が差したのか、Zさんが言っていた志望校には遠く及ばないレベルの大学に、最終回の募集で滑り込みました。Kさんにはこんな道を歩んでほしくないです。

努力不足はEさんです。宿題の提出率が悪く、授業に集中している様子もなく、本人は「勉強しています」と言っていましたが、とてもそうは思えないような間違いを犯していました。中間テストは、合格点に20点近く足りない成績でした。このままでは、進級が難しいです。早く穴を埋めさせなければなりません。

来週から、この中間テストの結果をもとに、各学生と面接をします。頑張った学生にも頑張らなかった学生にも、道を過たないように指導していきます。

めざせ、タラちゃん

5月25日(水)

中間テストの作文の採点をしています。私が担当しているのはもうすぐ中級になるクラスですが、なかなかのつわものが多くて、まだクラスの3分の1ぐらいしか終わっていないのに、すでに息も絶え絶えです。

作文の採点は、間違えたところをいきなり直すのではなく、表記ミスなのか語彙レベルの間違いなのか文法がおかしいのか、文法ならどこで勉強した文法を間違えたのかまでチェックします。だから、教師にとっても学生の弱点の分析につながり、とても勉強になります。

中級寸前の学生たちができないのは、まず、「~てもらいます/くれます/あげます」です。みんなの日本語24課はとっくの昔に勉強しているんですが、使うべきときに使っていないんですねえ。日本人ならタラちゃんでもしっかり使っているんですが…。日本語特有の表現方法だからかもしれません。

助詞の間違いは全学生共通です。「に」を「を」にしたり、「は」と「が」がぐちゃぐちゃだったり、「場所に」と「場所で」の区別ができていなかったり、そもそも助詞が抜け落ちていたりというように、ありとあらゆるケースを網羅しているのではないかと思えるほどです。

こういった間違いは、作文の時間はもちろん、宿題で作らせる短文、学生たちの発話などに表れたときも注意しているのですが、撲滅には程遠いのが現状です。そして、中級になったからといって消えていくわけでもなく、上級の学生の作文や発話にさえ見られます。ほかの部分の日本語がうまくなればなるほど、数少ない間違いが目立ってしまいます。例えば、たまに「~てもらいます」が抜けると聞き手や読み手に違和感を与え、、ひどい場合には悪意に受け取られてしまうこともあるでしょう。

だから、できるだけ早いうちにそういう目を摘み取りたいと思っています。どういうコメントをしたら、少しは彼らの心に響くでしょうか。

これから胸突き八丁

5月24日(火)

最上級クラスの語彙の中間テストを採点しました。満点に近い学生から半分も取れない学生まで、けっこう点の開きができました。半分も取れていない学生は出席率が悪いか勉強不足なので問題外ですが、80点ぐらいから上の学生たちの答案を見比べると、誤文訂正の問題で差がついていました。

成績上位の学生たちは、選択問題はもちろんのこと、短文を作る問題でも大きな差はつきませんでした。しかし、語句の誤った使い方を直す問題では、誤りを見つけられない学生が点を落とし、見つけてきちんと直せた学生に差をつけられました。この、K先生渾身の誤文は、学生がやらかしそうなミスを実にうまく捕らえていて、単なる上級レベルの力の学生がまんまと引っかかってしまったというわけです。

つまり、聞いてわかる、読んでわかるという理解語彙のレベルではあるけれども、話したり書いたりできる使用語彙のレベルに至っていなかったということです。ノリでしゃべっちゃったら聞いてるほうも勢いでわかっちゃうかもしれませんが、その使い方が文字という形で固定されると、間違いが白日のもとにさらされてしまうのです。最上級クラスの大半が進学希望ですから、しかも「いい大学・大学院」を考えていますから、ノリや勢いではない、足が地に着いた日本語力が求められます。それを思うと、この学生たちはまだまだだなと思わざるを得ません。

授業は初級クラス。昨日の中間テストは難しかったといっていました。でも、それぞれのレベルで学生たちの真価が問われるのは、中間テスト以降なのです。今までもそうですが、これから中上級になってもよく間違える文法が出てくるのです。実は、上述の最上級クラスの学生たちが引っかかった問題の一部は、今私が教えているレベルの文法の応用問題でもあるのです。授業でそういうことを盛んに強調しましたが、初級の学生には、「金原先生、やけに熱くなっちゃってるけど…」ぐらいだったかもしれません。

98年って何してた?

5月23日(月)

中間テストがありました。中間テストと期末テストでは、学生証を机の上に置かせ、試験監督の教師はその学生証と出席簿とを照合することで出欠を確認します。教師はいつものクラスとは違う、知らないクラスに試験監督として入りますから、こういう方法で間違いが起こらないようにしています。

学生証には学生の生年月日が記載されています。生年月日は出欠には直接関係ありませんが、学生証をチェックする時に目に入ってきます。午後、私の担当したクラスには、1998年生まれがばらばらいました。1998年といえば、私が日本語教師になった年です。私が新米の日本語教師として、冷や汗をかきながらプライベートレッスンで赤坂やら渋谷やらの会社を駆けずり回ったり、技術研修生相手のクラスで教壇に立ったりしていた頃です。光陰矢の如しって言いますが、98年なんて、私にとっては昨日ですよ。

でも、その98年生まれが、健気にも祖国を離れて外国の大学に入ろうと、日本語を勉強し、その勉強した日本語で入試科目の勉強もしているのです。KCPの中間テストに合わせたわけではありませんが、EJUの受験票が土曜日に学校に届いていましたから、それを配りました。「早稲田だ」なんて、試験会場を見てつぶやいている学生も。中間テストなんかとは比べ物にならないプレッシャーが、98年生まれの学生たちにも間もなく襲い掛かってきます。

外は、今年初の真夏日でした。沖縄と奄美はすでに梅雨入りしています。九州もお天気がパッとしなくなりつつあり、入梅が近そうです。雨の季節の足音とともに、受験シーズンの影も迫りつつあります。

紙が懐かしい

5月21日(土)

今学期から新しいシステムを導入し、出席はタブレット端末に入力し、テストの成績や宿題を提出したかどうかなどもコンピューター上の表に記録することになりました。ペーパーレス化を図ろうとしたわけですが、当方がまだ不慣れなせいもありますが、不便な点も見えてきました。

よく言われていることですが、一覧性という点においては、コンピューターは紙にかないません。誰がどのテストを受けていない、受けたけど不合格だというのは、紙なら文字通り一目瞭然ですが、コンピューターだと画面の大きさに限りがありますから、上下左右に画面を動かすことが必要です。

データがしっかり保護されているのはいいのですが、それゆえ目的のデータを目にするまでに何段階かの手続きが必要です。紙は、改変しようと思えばいくらでもできちゃいますが、見たいデータまで一直線にノンストップで進めました。

その他、まだまだ新システムの不便な点をあげつらうことはできますが、コンピューターの本領発揮はこれからです。コンピューターが得意とする点は、データをため込むことであり、ため込んだデータを検索して必要なデータを取り出すことです。システムが稼働して1学期も経っていませんから、たまったデータはまだ知れたものであり、検索の必要性はありません。しかし、たとえばある学生の入学から卒業までを追いかけられるくらいデータがたまってきたら、紙では頭を抱えてしまいそうな作業があっという間にでき、コンピューターの威力に恐れ入ることでしょう。

言うなれば、今は雌伏の期間です。学生の進路指導が本格化することには、新システムの恩恵が十分に感じられるようになるのではないかと期待しています。

うらのあるおもてなし

5月20日(金)

在留カードをなくしたと言っていたJさんが、再発行手続のため入管へ行き、欠席しました。外国人登録証のように区役所で再発行してもらえるのかと思ったら、そうではなく入管まで足を運ばなければなりません。さらに、再発行はやたらと待たされるらしいのだそうです。そのため、午前中入管で手続をして再発行してもらい、午後の授業に出るというわけにはいきません。

東京入管は所轄する外国人が多いですからしかたがないのかもしれませんが、在留カードの再発行が1日仕事というのは、日本にいる外国人に対するサービスとしては劣悪すぎると思います。そりゃあ、大切な在留カードをなくすのはほめられたことではありませんが、なくしてしまったときのバックアップシステムがこんなに貧弱じゃ、日本は外国人に対して冷たいと思われてもしかたがありません。

これ以外の日本で暮らす外国人への行政サービスがどうなっているかはわかりませんが、そんなに質が高そうな気はしません。有能な外国人に日本でその力を発揮してもらうと国は言っていますが、その活躍を支える体制が情けないままでは、有能な人ほど日本を相手にしなくなるでしょう。

表面的な部分を見て日本が好きだと言ってくれる外国人は多いです。そういう人たちが日本にどっぷりつかろうとした時、この国はどこまで優しいでしょうか。どっぷりつかるはるか手前で、アパートを借りる場面なんかもそうですが、生き辛さを感じさせられているんじゃないかと危惧しています。

「おもてなし」が旅行者やオリンピック選手・観戦者に対してだけでは、日本の将来は暗いと思います。

睡眠時間11時間半

5月19日(木)

受験講座が終わり、今日のテストの採点をしていると、授業を欠席したWさんが、今日のテストを受けに職員室へ来ました。どうして休んだのかと聞くと、夜中の2時に寝て、目が覚めたのが昼の1時半だったと言います。授業は12時15分までですから、授業中は夢の中だったわけです。

2時まで何をしていたかと聞くと、12時にご飯を食べて、食後にすぐ寝るのは健康によくないから2時まで絵を描いたりゲームをしたりしていたとのことです。そんな夜更かしするほうがもっと体に悪いと思うんですがね。さらに、12時まで何をしていたかと聞きましたが、実のある答えは返ってきませんでした。要するに、だらだらと夜中まで起きていて、朝学校に間に合う時間に起きられなかったというだけです。

今日に限らず、Wさんは遅刻や欠席が目立ちます。体の調子が悪いのではなく、単に生活が乱れているに過ぎません。ただ、この生活の乱れを直すことは、今のWさんにとっては何より難しいことです。でも、このままでは進級も危うい状況です。第一志望校の校門が霞む一方です。

学生に規則正しい生活を身に付けさせることは、勉強を教えるよりはるかに難しいです。勉強なら、職員室なり図書室なりでさせておけば、教師の目も届きます。しかし、教師が学生のアパートや寮に乗り込んで監視するわけにはいきませし、どんなに説教したってその効き目は知れたものです。

今日のテストの追試を受け、今までの不合格のテストの再試も受けて、Wさんが帰ろうとしたとき、「今日は何時に寝るつもりですか」と尋ねました。「8時に寝ます」とWさんは答えました。これが本当であることを祈っていますが、果たして明朝9時の始業時間に、Wさんは教室にいるでしょうか。

社長の貫禄

5月18日(水)

午後、職員室で学生のタスクの添削をしていると、「金原先生に会いたいって言ってるだいぶ前の卒業生が来ているんですけど…」と呼ばれました。目を上げてカウンターの向こう側を見ると、ちょっと記憶にない顔がこちらを向いて軽く会釈をしていました。

首をひねりながらカウンターまで行くと、「先生、覚えていますか」と言われましたが、覚えがありません。「2002年の卒業生のBです」「あ~あ、Bさんか。あの頃は中国の学生が少なかったよねえ」「ええ、そうでした。進学のことで先生にずいぶん怒られました」というわけで、今から14~15年前の学生でした。

Bさんは地方の大学に進学し、その地元で就職し、今は仕事で東京や横浜などへちょくちょく来るそうです。「じゃあ、もう社長?」「いえいえ、とんでもないです。仕事でスーツ着てるだけですよ」と言いますが、スーツの下からのぞいたおなかは、社長の貫禄十分でした。

BさんはKCPにいたとき、特別に優秀な学生ではありませんでした。入った大学も、いわゆる有名大学ではありません。でも、ちゃんと日本で就職し、10年も仕事をしているのです。1人で仕事を任せられているということは、会社からの信頼も厚いのでしょう。もう、どっしりと日本に根を下ろしています。

もちろん、KCPを卒業してからのBさんの道のりは平坦ではなかったでしょう。その山あり谷ありの道を歩きぬいて、今の地位にたどり着いたのです。日本で進学したい、就職したい、ずっと暮らしたいという学生には、Bさんのそういう人生を知ってもらいたいです。有名大学に入ったからといって、日本で就職し、ずっと暮らし続けられる保証が得られたわけではありません。そういう競争のスタートラインに立ったに過ぎないのです。

ラジオ体操とリレーと綱引き

5月17日(火)

運動会のたびに思うんですが、日本の学校教育って、捨てたもんじゃありません。開会式直後に準備体操代わりにラジオ体操をします。日本人の教職員は、年齢に関係なくスムーズに体を動かします。学生たちのを見ていると、そのぎこちないこと。学生たちの国では日本のラジオ体操が行われていませんから当然のことなのですが、その裏返しとして、日本人が小中学校でいかにラジオ体操をがっちり訓練されているかがわかるのです。

それから、リレー。バトンパスがめちゃくちゃなんですね。バトンゾーンなんかお構いなしにバトンの受け渡しをしようとするのです。それゆえ、毎年ここでの違反が絶えず、失格とされたチームから必ずクレームが来ます。また、次の走者が立ち止まったままバトンをもらいますから、前の走者のリードが有効に生かせないのです。日本人を4人集めて、突然リレーをしろと言っても、バトンゾーンをそれなりに有効に使い、もう少しカッコいいリレーをするんじゃないかな。今年はバトンゾーンにちょいと工夫を凝らしましたから、バトンパスでの反則はなくなりましたが、日本の体育の先生がご覧になったら、目を覆われることでしょう。KCPにも体育の時間を作って、そこで練習すれば白熱したレースが見られるんでしょうけどね。

これに対して、綱引きは、気持ちが先走って試合開始前に引っ張ってしまうところまで、万国共通なのか、毎回力のこもった戦いが見られます。今年もまた、いつもは温和なGさん、Pさん、Cさん、Eさんなどが口をひん曲げて目をひんむいて腕の筋肉を躍動させて綱と勝利を引き寄せようとしていました。

綱引きをはじめる前に、みんなでKCPの応援歌を歌いました。先週の金曜日と月曜日に練習した甲斐があり、“KCP、KCP”というサビの部分は、体育館中に大きな声が響き渡りました。こういうところで聞くと、この応援歌ってみんなの気持ちを一つにする不思議な力があるなって思います。

忘れてはいけないのが、選手にはならずに裏方に徹してくれた超級の学生たちです。それぞれの持ち場で自分の役割を果たしてくれました。彼らの力がなかったら、運動会は全く進行しなかったでしょう。感謝にたえません。

さて、運動会が終わったら中間テストは目前です。EJUを受ける学生は、本番まで1か月です。今度は、勉強で勝利を引き寄せなければなりません。