初雪、地震、睡眠

10月20日(木)

北海道の各地で、平年よりやや早い初雪が降りました。気圧配置を見ると立派な東高西低で、雪が降ってもおかしくない等圧線の込みようです。山間部ではこれから15センチの積雪になりそうだといいますから、本格的な冬景色に染まるのでしょう。

今年の北海道は夏に多くの台風に見舞われ、山間部を中心に、その被害の爪あとがいまだに癒えていません。雪が降り積もったら復旧作業どころではありません。来年の春まで約半年間、作業は中断を余儀なくされます。気になるのは、雪の時に頼りになる鉄道が不通のままだということです。大雪によって陸の孤島が出現しないことを祈るばかりです。

さて、東京はというと、最高気温が27.7度で、冬の気配どころか夏の名残を感じるほどでした。10月にはいってから、最高気温が25度以上の夏日がこれで9日目です。約半分というのは、平年に比べるとかなりの多さだと思います。11月に入ったらすぐコートかなと思っていましたが、果たしてどうでしょう。

選択授業が始まりました。例年通り「身近な科学」を担当します。暇な学生ばっかりなのか、いつもより受講者が多くて、気温の高さと相まって、教室は上着がうっとうしいほどでした。初回は、“居眠りこいたら許さねえぞ”というメッセージも込めて、「睡眠」について話しました。毎年、寒さが厳しくなったら当日の冬型の天気図を示して、「日本の気候」を取り上げるのですが、今のところ、しばらくお預けのようです。授業中地震があって(私は気がつきませんでした)学生たちは騒いでいましたから、こちらが優先ですね。

体験型旅行

10月19日(水)

9月の訪日外国人客数が、190万人余りと、9月としては過去最高を記録しました。1~9月の累計訪日外国人客数も約1800万人となり、過去最高だった昨年の記録まで200万人弱に迫っています。昨年は9月より10月のほうが外国人客数が多かったので、今月中に昨年の記録を上回ることでしょう。

外国人観光客といえば、中国人による爆買いがつとに有名ですが、その爆買いは影を潜めつつあり、今年はモノではなくコトにお金を使う傾向が顕著になっているそうです。確かに、日本が2回目、3回目というリピーターにとっては、そう毎回毎回買い物ばかりでは飽きてしまうでしょうし、それ以前に、買うもの、ほしいものがなくなってくるでしょう。体験を重視する旅行に人気が集まるのもよくわかります。

留学は、その体験型旅行が究極に発展した形ではないかと思います。旅人ではなく住人になり、さらには、単なるレジャーではなく、その後の人生を左右する学問を身に付けるんですからね。得がたい経験だけでは不足で、何かを確実に得る経験を積まなければなりません。

しかし、残念ながら、そういう覚悟の学生ばかりではありません。ほんの腰掛け、物見遊山の域を出ないお気楽な、ビザは留学だけど気持ちは観光の学生もいます。目をつぶらずともそういう学生の顔が浮かんできます。彼らにとっては、日本は巨大なテーマパークで、日本語学校の学費は年間パスポート代なのかもしれません。また、最近はだいぶ数が減りましたが、勤労青年もいます。身も心もすり減らす方面での究極の体験は、してほしくないです。

学生たちには、留学ビザでこそ味わえる青春に、どっぷり身を浸してもらいたいです。

メタンを乗り越えて

10月18日(火)

世界中には数千かそれ以上の言語があると言われています。しかし、その中で、その言語だけで高等教育までできるのは、ほんの一握りにも満たないとも言われています。日本語はその稀有な言語の一つだとされており、日本人は、それを意識することなく、その恩恵をこうむっています。

だから、留学生も日本語を勉強しさえすれば日本で高等養育が受けられるかといえば、残念ながらそうでもありません。入試科目に英語を課するところが増えてきていることもそうですが、留学生にとってはカタカナ言葉は日本語でも英語でも他の言語でもない、何とも扱いにくい存在のようです。

私が受験講座で扱っている理科の場合、まず、化学に出てくる物質名が厄介の元です。メタン、トルエン、マレイン酸などなど、わけても有機化学は英語の発音とも全然違う、不思議な名前のオンパレードです。化学は理系志望の学生のほぼ全員が受けるだけに、被害は広範に及びます。生物もカルビン・ベンソン回路、ランゲルハンス島など、随所にカタカナの用語があふれていますが、受験生が少ないことと、その受験生が生物に強い学生が多いので、化学ほど甚大な被害はありません。物理は図や式で勝負できますから、被害は比較的軽微です。

有機化学の授業を受けたCさんは、冗談めかして死にたいと言っていました。理科のカンが鋭いだけに、カタカナ語のおかげでそのカンを働かせられないもどかしさを人一倍感じているのでしょう。同情はしてあげられますが、私にできるのはそこまでです。メタンがCH4であることは、自分で覚えるしかないのです。死にたいではなく、死ぬ気で頑張らなければ、日本留学の道は開けてきません。

わかる、わからない

10月17日(月)

Wさんは理科系の学生です。午後、物理の問題がわからないと、私のところへ聞きに来ました。問題を見ただけでどこでつまずいたか見当がつきましたが、一応本人にわからないところを説明させました。ところが、この日本語がさっぱりわからないんですねえ。最終的には、私が見当をつけたところがわからないとわかったのですが、そこに至るまでに、Wさんも私もずいぶん苦労しました。

わからないところがわかってから、そのわからないところがわかるように説明しましたが、わかるように説明したつもりでも、なかなかわかってくれませんでした。Wさんはそんなに物分りの悪い学生ではありません。では、なぜなかなかわからなかったのかといえば、私が思うに、わからないことに焦りを感じて、1秒でも早くわかろうとして、かえってわからなくなってしまったのです。私がちょっと説明すると、わかったということを示したいのか、すぐ式を書いたり図を描いたりしました。でもその式は私の言わんとしたことと違っていましたし、図は的を射ていませんでした。

Wさんがわかったという顔をすると、ホッとするのと同時に、じっくり話を聞いてくれれば半分か三分の一の時間で済んだのにという気持ちが交錯していました。EJUまで4週間を切り、焦るなと言うほうが無理かもしれませんが、こんな調子じゃ実力の伸ばしようがないじゃないかと思いました。急いてはことを仕損じるという言葉通り、こういうときこそじっくり腰を据えて、落ち着いて問題文を読む、考える、人の話を聞くということが、何より重要なのです。

青空お預け

10月15日(土)

朝、マンションの外に出ると、思わずぶるっと来ました。あっという間にコートの季節だなあ…などと思いながら駅へ来ると、改札口のところのデジタル温度計が13.6度と表示していました。この温度計はいつも気象庁の発表より2度ほど高い温度を示すので、「今朝の最低気温は11度か12度か。寒いわけだ」などと思いつつ電車に乗りました。車内は、まだ暖房は入っていませんでしたが、乗り込むとちょっぴりほっとしました。それだけ気温が下がっていたのです。

調べてみると、今朝の東京の最低気温は11.8度で、この秋一番の冷え込みでした。多摩地方は10度を割り、北関東の山沿いは氷点下だったようです。鹿児島、沖縄を除いた日本中が、今シーズンで一番低い気温を記録しました。

でも、冷え込んだということは空に雲がないということであり、日中もきれいな青空でした。私はEJU対策の受験講座をしましたが、5階の教室の窓から見える空はあくまでも青く、室内でちまちま授業しているのがもったいなく感じました。学生に問題を解かせている間、こんなに空気が澄んでいるのなら、京都の西山辺りを歩いてみたいなどと、らちもないことを考えていました。

遅いお昼を食べに外に出ると、陽射しがあるおかげで今朝よりもだいぶ気温が上がった感じがしました。この秋は天候不順だったので、なおのこと、青空をじっくり味わいたくなりました。御苑の芝生に寝ころんで、ひなたぼっこ兼昼寝ができたらどんなによかったでしょう。

EJUまであと4週間。それまでは散歩も昼寝もお預けです。EJUが終わったら、羽を伸ばすことにします。

どの面下げて

10月14日(金)

Iさんは学期が始まったばかりなのに、家族が来日するからということで、来週いっぱい欠席するとメールで連絡してきました。無断欠席よりはましですが、1週間以上も授業に出ないと、せっかく進級したレベルの勉強についていけなくなるおそれがあります。この間に平常テストが3つありますから、今学期全体の成績にも影響が出かねません。こういうことを書いて返信メールを送ったのですが、これに対する返事はなく、Iさんは粛々と休み始めました。

Iさんのご家族も、何でわざわざ学期が始まって3日目なんていう日に来日したのでしょう。KCPの学期休みに合わせることはできなかったのでしょうか。自分の子どもの勉強を邪魔しているという意識がないのでしょうか。極端なことをいうと、通訳代わりとして家族と一緒に観光地を歩いていたIさんが、在留カードの提示を求められ、そこに記された「留学」という文字から、ビザの発給目的に反する行為をしているとして捕まっても、文句は言えません。授業時間中にアルバイトしているのと、本質的には変わるところがありませんから。

Iさんの例に限らず、歯医者の予約を入れたとか、インターネットの工事があるとか、そんなの授業時間外にまわせるだろうという理由で欠席する学生が後を絶ちません。人間は楽なほうへと流されていくものですから、そうやって気安く休むと、休み癖がつきます。無為に過ごすことへの罪悪感も薄れてきます。負のスパイラルにはまり込んで、有意義な留学からどんどん遠ざかっていきます。

Iさんは、私が何を言っても予定通り休み続けるでしょう。再来週の月曜日に久しぶりに学校へ出てきたとき、どんな顔をするでしょうか。

吸収する

10月13日(木)

新学期は、新しい学生も来ますが、新しい先生方のデビューの時期でもあります。新人の先生は、自分のクラスの担任か、そのレベルの責任者である専任教師に事前に教案を提出し、チェックを受けます。そして指導を受けてから、授業に臨みます。

教えた経験がない先生の場合は、90分間20人の学生の前に立ち続けるということがイメージしづらいものです。学生から受けるプレッシャーも、自分の一挙手一投足が学生に与える影響も、計算できません。その強さ・大きさに驚き戸惑うことも多いです。

授業は演劇ではありませんから、教案は台本ではありません。常に予想外の反応があります。注文どおりの答えが返ってくるとは限りません。時には態度の悪い学生を叱る必要にも迫られます。「ここで学生を叱る」なんて教案に書き込んであるはずがありません。でも、最終目的地は決まっています。紆余曲折があっても、何とかその近くにまでたどり着かなければなりません。

しかも、ただたどり着けばいいというものではありません。学生に授業内容を理解させる、進歩したという実感を与えることが先決です。ことに、学生との関係が確立していない学期初めは、その理解の度合いを推し量るのも、結構難しいものです。そうすると、自分はゴールに到達したのか、まだその手前なのか、自分自身にもわかりかねることだってあります。

私もあっちこっちに引っ張りまわされて、新しい先生方の様子をじっくり観察できていませんから、どんな調子なのかわかりません。でも、レベル1の新入生と同じくらい、毎回の授業から何でも吸収して、3か月後には実力も度胸もつけていることと思います。

期待と夢と

10月12日(水)

新学期の初日は、教科書販売があります。私が担当した超級クラスでも、高いとか何とか言いながら、結局全員買いました。そして、ふだんより少々神妙な顔つきで、名前を書き込んでいました。新しい教科書を手にすると、未知の世界に飛び込むわくわく感が沸いてくるのでしょう。

私も小学校から大学まで、新しい教科書のインクの匂いをかぐと、気持ちが高揚したものです。時にはその教科書は苦難の道への案内書だったりもしたのですが、初めて教科書を開くときは、その教科書をマスターすれば万能の力を手に入れられるような、今思うと実に前向きな勘違いをしていました。

学生たちも新しい教科書にそんな期待をかけているのでしょう。学生は教科書に夢を映して一生懸命勉強すればいいのですが、教師としては、その教科書を使って、学生たちが寄せた期待や描いた夢を実現させていかなければなりません。教科書の字面を2倍にも3倍にも膨らませて、学生たちが想像も及ばなかった景色を眺めさせることが、私たち教師に課せられた責務です。

ところが、前学期の成績が思わしくなく、今学期も同じ教科書で勉強しなければならない学生もいます。その中には、やる気を失ってしまう学生も少なくありません。一度勉強して書き込みのある教科書には、確かに新鮮味はありません。でも、その教科書に見えていなかったところがたくさんあるから、合格点が取れなかったのです。「また同じ勉強だ」ではなく、一回目には見落としたり聞き落としたりしていた点をしっかり自分のものにするんだという気持ちで教科書に接すれば、きっと新たな発見があり、それが高揚感をもたらしてくれます。

幸い、私のクラスは、全員新しい教科書でした。早速、その教科書を使って授業をしました。今までにない刺激を感じたのか、活発な授業になりました。この勢いを期末テストの日まで持続していきたいです。

問題集

10月11日(火)

明日から新学期が始まりますが、毎年10月期ともなると頭を痛めるのが、超級クラスの教材です。留学生向けの教材では歯ごたえがなさ過ぎ、かといって毎日生教材を用意するのでは、教師のほうが身が持ちません。今学期は、日本人の高校生向けの市販問題集を読解の教科書にすることにしました。

独自試験を課する大学の試験問題は、日本人の高校生向けの問題よりはいくらか易しいものの、留学生向けに書かれた文章はもちろんのこと、EJUクラスの文章よりも読むのに骨が折れます。どこで骨が折れるかというと、まず、十数年日本で暮らしていれば知っていて当然だけれども、日本語に触れ始めてから数年にも満たない外国人にとっては理解が難しい内容が取り上げられることがある点です。

例えば、今の高校生は、渥美清が亡くなってから生まれていますから、フーテンの寅さんは生では知りません。しかし、彼らが持っている寅さんに関する情報量は、一般の留学生に比べればはるかに多いはずです。「日本文化が好きです」と言っても、日本文化のいいとこ取りをしてきた留学生と、それにどっぷり漬かってきた日本人とは、おのずと受け取り方が違います。外国人から見た日本観が日本人にとって新鮮なように、日本人がごく当たり前に書いた文章も、留学生にとっては不思議というか時には意味不明なことさえあります。

そういうギャップを埋めるためにも、高校生向けの易しめの問題集は超級の学生にもってこいなのです。単に読解のテクニックを磨くだけではどうしようもない谷間に橋をかけ、学生たちを向こう岸に渡そうと考えています。思惑通りにうまく事が運ぶか、私たちの腕の見せ所です。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように、世界の国々から多くの若者が、このKCPに集ってきてくださったことをとてもうれしく思います。

今年は、NHKの大河ドラマ「真田丸」が人気を集めています。主人公の真田信繁は、真田幸村という名で世にすでに知られた人物でしたが、その父親・真田昌幸にもスポットライトを当てていることが、このドラマの特徴だと思います。

ドラマの中での昌幸は、戦国時代を生き抜く策士として描かれています。昌幸の領国は小国でしたが、昌幸は周囲の大国からの侵略を防ぎ、逆に大国から一目置かれる確固たる地位を築き上げました。自分の領地を一族を家族を守るためにあらん限りの知恵を振り絞り、置かれた状況において考えうる最善の手を選び、そして、万難を排してそれを実行に移そうとしました。もちろん、いつも事がうまく運んだとは限りません。選んだ手が裏目に出たこともあれば、動きすぎて失敗を招いたこともあります。それでも、決してあきらめることなく、失敗を取り戻す手立てを考え、また動き出しました。真田信繁が、大坂夏の陣で寡兵をもって徳川家康をあわやというところまで追い込み、現代にまで名を残しているのは、この父親の生き様をつぶさに観察し、大いに学んできたからに相違ありません。

私が、今ここにいらっしゃる皆さんに望みたいのは、真田昌幸のこの生き方です。昌幸のように自ら動いてチャンスを作っていく気持ちがなければ、留学は成功しません。人に言われて何かをするのではなく、主体的に動くのです。状況に応じて最善策を考え、それを実行するために、周囲の協力を得ていくことが肝要です。

ことに日本での進学を考えているのでしたら、10月入学生は、入学試験までの時間が4月入学生などに比べて短いですから、これがハンデになりかねません。自分で工夫し、周りを動かし、有利な状況へと持ち込まなければ、皆さんが国で思い描いてきたような留学生活は送れないでしょう。棚から牡丹餅を期待しているようでは、「こんなはずじゃなかった」という結末を迎えてしまいます。

この中には、親に言われたから日本へ来たという方もおいででしょう。そういう方も、流れに身を委ねるだけでは進歩も発展もありません。誰かが何かをしてくれるだろうという受身の姿勢では、「日本はおもしろかったです」が留学の唯一の成果ということになってしまいます。そうではなく、これから半世紀かそれ以上続く皆さんの人生の基礎を打ち立てるために、皆さん自身の頭脳を最大限に回転させ、必要とあれば私たち教職員に援助を求め、自分の手で有意義な留学をこしらえていってください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。