入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように、世界の国々から多くの若者が、このKCPに集ってきてくださったことをとてもうれしく思います。

今年は、NHKの大河ドラマ「真田丸」が人気を集めています。主人公の真田信繁は、真田幸村という名で世にすでに知られた人物でしたが、その父親・真田昌幸にもスポットライトを当てていることが、このドラマの特徴だと思います。

ドラマの中での昌幸は、戦国時代を生き抜く策士として描かれています。昌幸の領国は小国でしたが、昌幸は周囲の大国からの侵略を防ぎ、逆に大国から一目置かれる確固たる地位を築き上げました。自分の領地を一族を家族を守るためにあらん限りの知恵を振り絞り、置かれた状況において考えうる最善の手を選び、そして、万難を排してそれを実行に移そうとしました。もちろん、いつも事がうまく運んだとは限りません。選んだ手が裏目に出たこともあれば、動きすぎて失敗を招いたこともあります。それでも、決してあきらめることなく、失敗を取り戻す手立てを考え、また動き出しました。真田信繁が、大坂夏の陣で寡兵をもって徳川家康をあわやというところまで追い込み、現代にまで名を残しているのは、この父親の生き様をつぶさに観察し、大いに学んできたからに相違ありません。

私が、今ここにいらっしゃる皆さんに望みたいのは、真田昌幸のこの生き方です。昌幸のように自ら動いてチャンスを作っていく気持ちがなければ、留学は成功しません。人に言われて何かをするのではなく、主体的に動くのです。状況に応じて最善策を考え、それを実行するために、周囲の協力を得ていくことが肝要です。

ことに日本での進学を考えているのでしたら、10月入学生は、入学試験までの時間が4月入学生などに比べて短いですから、これがハンデになりかねません。自分で工夫し、周りを動かし、有利な状況へと持ち込まなければ、皆さんが国で思い描いてきたような留学生活は送れないでしょう。棚から牡丹餅を期待しているようでは、「こんなはずじゃなかった」という結末を迎えてしまいます。

この中には、親に言われたから日本へ来たという方もおいででしょう。そういう方も、流れに身を委ねるだけでは進歩も発展もありません。誰かが何かをしてくれるだろうという受身の姿勢では、「日本はおもしろかったです」が留学の唯一の成果ということになってしまいます。そうではなく、これから半世紀かそれ以上続く皆さんの人生の基礎を打ち立てるために、皆さん自身の頭脳を最大限に回転させ、必要とあれば私たち教職員に援助を求め、自分の手で有意義な留学をこしらえていってください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

うん

10月7日(金)

Lさんは今学期の新入生です。プレースメントテストだけではレベルを決めることができず、本人にインタビューしました。

「国でどのくらい日本語を勉強してきたんですか」「半年ぐらい」「大学進学希望ですよね」「うん」「大学ではどんな勉強がしたいんですか」「アニメ。アニメ描きたい」という調子で、どっちが先生かわからない話しっぷりでした。Lさんの表情を見る限り、悪気があるとは思えませんでした。日本語学校にも通ったとのことでしたが、話す練習はろくにさせてもらえなかったんでしょうね。発音もひどかったですし…。

半年の勉強でJ.TESTのE級に受かったのですから、語学のセンスはあるはずです。でも、TPOに合わせた話し方は全くできません。もしかすると、教えてもらわなかったのかもしれません。テストで点数を取る勉強はしてきても、コミュニケーションを取る勉強はしてこなかったようです。

Lさんへのインタビューの前に、ここ1年ばかりの新入生のプレースメントテストのデータを見ていました。Lさんの半分どころか、そのまた半分にも遠く及ばない点数だった学生が、今では実にきれいな日本語を話すようになっている例が少なからずありました。Lさんが国で勉強し始めた半年前に入学していたら、J.TESTのE級はどうだかわかりませんが、話すことにかけては今の100倍も上手にさせることができたと思います。

KCPは進学に力を入れていますが、テストで点を取ることだけを目標にしているわけではありません。それ以上に、学生にはきれいな発音できちんとした話し方ができるようになってもらいたいと思って、教師は日々頭と体を使っています。

3か月後、半年後、1年後、そして卒業する時、Lさんはどんなふうに成長しているでしょうか。

明日までにお願いします

10月6日(木)

新学期の準備でどたばたしている時、Bさんが明日までに学校の書類がほしいと申し込んできました。志望校のH大学の出願締め切りが明日だと言います。書類の発行には3日かかると、入学の時から再三再四言ってきています。先学期末の授業でも、書類発行申請には余裕をもってと注意しました。Bさん同様H大学を志望する学生たちは、とうの昔に書類申請し、その書類を受け取り、もう出願しています。

Bさんは級にH大学出願を決めたわけではありません。先学期の最初のころから志望校として挙げていました。それなのに、出願締め切りの前日に至って必要書類の申請をするとは、今までいったい何をしてきたのでしょう。下手をすると、願書などの記入もいい加減かもしれません。おとといも、Bさんと同じクラスのGさんの出願書類に不備があったと、H大学から電話がかかってきました。Gさんはすぐに対応して、事なきを得ました。Bさんの出願書類に不備があったら、出願締切日を過ぎているからと書類を受け取ってもらえなくても、文句は言えません。

どうしてこういう計画性のないことをするのでしょう。確かに、人は追い込まれないと仕事をしたがらないものです。でも、進学は自分の人生がかかっているのです。それも第一志望の大学への出願です。それなのにこんなことをしているとは、本気度を疑いたくなります。申請書に書いた生年月日を見ると、Bさんは子供の年齢ではありません。苦労もせず、痛い目にも遭わず、この年になってしまったのでしょうか。

いろいろと厳しく注意して、Bさんの申請書を受理し、事務の方々に頭を下げて、新入生の対応で忙しい中、Bさんの書類を作ってもらいました。でも、こうしてBさんの願いを叶えてあげることが、果たしてBさんにとって幸せなのだろうかと思えてきます。私のきつい言葉もBさんの心に響いていなかったようだし…。

地図がほしいです

10月5日(水)

朝、誰もいない職員室で物理の問題を解いていると、「スミマセン、エーゴ、ワカリマスカ」と声をかけられました。顔を上げると、いかにもアルファベットの国から来ましたという男性がカウンターの向こうに立っていました。筆談もできるようにペンとメモ用紙を持ってカウンターへ行って話を聞くと、彼は10月の新入生で、1キロほど離れたホテルから歩いてきて、東京の地図がほしいということがわかりました。彼のスマホは地図が出てこないので、原宿や渋谷やいろいろなところへ行くので地図を買いたいとのことでした。彼が持っていたホテルからここまでの地図の上に紀伊国屋を示し、開店は10時だと教えてあげました。「ドモアリガト」と笑顔で去っていきました。

文章にすると長くなりますが、この程度の英会話なら今の私でもできます。かつては英語で日本語を教えていましたが、今は英語を話すのも、こんなシチュエーションで年に数えるほどです。日本語教師は、きちんとした日本語を話すことが本務で、それ以外の言語を使うのはサービスだなんて、言い訳していますけど…。

今朝の彼にしてみれば、日本語では自分の意志の1%も表現できないでしょうが、英語なら、受け取る側の能力に大いに問題はあるものの、伝えたいことの大半は伝えられると思ったのではないでしょうか。そして、地図が手に入る場所を知るという、私が思うに彼の最大の目標は達せられたと思います。

この、自分の思いを伝える術があるという感覚は、異国の地においては非常に大きな安心感をもたらします。共通言語がボディーランゲージだけというのは、心細いものです。

明日は、新入生のプレースメントテストがあります。心細さを感じている人たちが大量にやってきます。言葉の面ではどうすることもできませんが、せめて心を目いっぱい開いて、新入生の心を少しでも和らげてあげたいです。

願書失敗

10月4日(火)

衣替えでせっかくスーツを着てきたのに、東京は最高気温が32度の真夏日となりました。でも、おそらく、これが今シーズン最後の真夏日でしょうね。

そんな中、出願とか進路相談とか面接練習とかで学生がやってきました。WさんはR大学の出願書類を持って来ました。成績証明書や卒業証明書など、自分で取り寄せなければならない書類は準備したものの、自分で記入しなければならないところはすべて未記入でした。学校で書き方を確認しながら記入する心づもりのようでした。

「先生、名前はこことここに書きますか」「うん」「このローマ字というのは何ですか」「パスポートの名前を書いてください」「はい」と言って、Wさんがアルファベットの名前を書き始めたのは、「氏名」の欄。「あーっ、そこは氏名とフリガナだから漢字で書かなきゃダメだろうが」と叫んでも後の祭り。願書作成は1行目で失敗となりました。

「先生、日本での留学期間と日本での住所はどう書きますか」「どれどれ。……ほら、ここをよく読んで。ここから下は海外から出願の人って書いてあるだろ」「あ、そうですね。すみません」という調子で、Wさんは注意書きをよく読まないきらいがあります。目の前の1行か2行を読むのが精一杯で、その前後を見渡して書き方をチェックしながら書類を作成するというゆとりが感じられません。本当にこれで受験できるんだろうか、受かったとしても、入学に必要な書類を作れるんだろうかと、心配になってきました。

Wさんは、勉強はそこそこできます。しかし、そのもうちょっと外側の、習った日本語を応用して何かをするという部分に不安を感じます。でも、ここができなきゃ勉強した意味がありません。語学は、相手を理解し、自分を伝える道具なんですから。

卒業証書がほしい

9月30日(金)

Lさんが期末テストの追試を受けました。Lさんは大学院に合格し、9月に入ってからオリエンテーションやガイダンスなどがあり、昨日の期末テストが受けられなかったのです。大学院のほうを優先したため、今月はKCPの授業にはあまり出られず、期末テストの範囲の半分ぐらいは勉強していません。こんな場合、期末テストを受けない学生が多いのですが、Lさんは律儀に受けました。

追試を終えたLさんが、「先生、いろいろありがとうございました」と話しかけてきました。「先生、期末テストの成績が悪かったら、私は卒業できませんか」「うん、KCPの規則上は卒業じゃなくて修了になるね」「えーっ、2年近くKCPで勉強した結果がたった1回のテストで決まっちゃうんですか。それはひどいですよ」「でも、毎年3月に卒業する学生たちも、卒業認定試験1回の結果で卒業か修了かが決まるんだよ。条件的にはLさんと同じですよ」「それはそうだけど…」「たとえ修了でも、Lさんの大学院が取り消されたりビザが出なかったりすることはないよ。もし、ビザが出なかったら出席率かなんか、ほかの理由だよ」「でも、一生懸命勉強した証拠として、卒業証書がほしいんです」

大学院の授業が始まった時点でKCPに退学届けを出してもおかしくなかったのですが、今までKCPの学生であり続けたのは、こんな理由からだったんですね。Lさんの心の中で、けじめがつかなかったのでしょう。ありがたいと思います、こんなにまでKCPの卒業証書に価値を認めてくれるとは。

同時に、もっと日本語を勉強しておけばよかったと、早くも反省の弁も聞かれました。「KCPの先生は外国人に話すと思ってわかりやすく話してくれましたが、大学院の先生は全然違います」と、この先授業を受けていくことに不安も抱いているようです。さらに、「成績は、だいたい、レポートと自分が研究したことのプレゼンで決まりますから、留学生には厳しいですよ」と、ビビッている様子もうかがえました。だから、KCPの卒業証書を心のよりどころにしたいのかもしれません。

そういえば、4月に進学した学生たちはどうしているでしょう。顔を見せに来てくれる学生たちは元気そうにしていますが、裏ではへとへとなのかもしれません。元気な頃の自分を思い出したくてここを訪れる学生がいても、おかしくありません。今度来たら、せめて勇気付けてあげましょう。

お客さん

9月29日(木)

期末テストがありました。午後、試験監督に入った一番下のレベルのクラスに、とんでもない学生がいました。

Zさんは今学期の新入生で、3か月間勉強してきたはずなのですが、頭には何も残っていないようでした。助詞を入れる穴埋め問題は、明らかに何も考えずに適当に書いただけですし、質問に答える問題はまるっきり的外れな答えを書いているし、聴解は全く答える気がありませんでした。Zさんが聞き取れるスピード・内容ではないことは、問題の音声を2秒ぐらい聞いただけでわかりました。

漢字のテストにいたっては、名前を書いただけで提出して帰ろうとしましたから、身振りで全部やれと命じました。Zさんは「わかりません」と言って出そうとしますが、私は提出を認めず、すべての問題に答えを書くまでは提出させないということを、これまたジェスチャーで示しました。それまでのZさんの受験態度には腹に据えかねるものがありましたから、早く帰りたがるZさんに対し、制限時間いっぱいまで問題に向かわせました。

Zさんは、今学期の最初のころからずっと何もわからずに期末テストを迎えたのだと思います。Zさんにしてみれば、やっと期末の日が来たといったところでしょう。でも、このわからなさ加減では、来学期もう一度同じ勉強をしても、わかるようになるとは思えません。あの分では、おそらく学期休み中は全く勉強しないでしょうから、来学期もまた、始業日から1週間か10日後には、お客さんになっているに違いありません。

それどころか、卒業までに進級できるかも覚束ないところです。資料を見ると、Zさんは日本で大学進学を考えているようですが、たとえ出席率が100%でも、よほど性根を入れ替えない限り、Zさんを拾ってくれる大学があるとは思えません。どういう背景で来日したかはわかりませんが、これからの苦労を考えると、日本へ来なかったほうがZさんには幸せだったような気がしてなりません。

半分ふてくされて漢字の答案用紙に答え(にはなっていない無意味な言葉)を殴り書きしているZさんを見ながら、いつ引導を渡したらいいだろうかと考えてしまいました。

社会の急速な反映

9月28日(水)

選択授業の期末テストがあり、私が担当した入試問題クラスも某大学の過去問を使って実施しました。

みんな真剣に問題に取り組んでくれたのはいいのですが、試験中に学生の答案を覗き込んでみると、漢字の書き取り問題に間違いが目立ちました。全問答えたからとボケッとしている学生が現れ始めた頃、我慢しきれなくなり、「自分が書いた漢字をカタカナの代わりに文の中に入れて、文全体の意味が通じますか。まだ時間がありますから、本当にその漢字でいいか、もう一度確かめてください」とクラス全体に注意してしまいました。

制限時間が来て、答案を集め、採点してみると、「社会の急速なハンエイ」が「反映」になっていたり、「こどもがカンシンをもつ」が「感心」だったりという誤答がちょこちょこ出てきました。「繁栄」は字が難しいから思い浮かばなかったのでしょうか。「カンシン」という字を見たら条件反射的に「感心」と書いてしまうのでしょうか。

漢字の授業の中で行うテストなら、出題範囲が限られていますから、漢字に置き換える部分だけしか見ていなくても点が取れることもあります。でも、いやしくも大学の入学試験ですよ。出題範囲は狭く見積もっても常用漢字全体ですよ。問われる漢字には“無限の可能性”があるんですよ。なのに「ハンエイ」を自動的に「反映」に変換して何とも感じないのはどうかしています。「繁栄」という単語を知らないのならいざしらず、このクラスの学生は絶対にそんなことはありません。なのに何の迷いもなく「反映」と書いて平然としているのはどうかしています。

そういう困った人たちの中にも、ごく近い将来、本物の大学入試で漢字の問題に取り組む学生がいます。そういう時期に至っても、まだこんな答案を書いているやからがいるということは、担当した私の力不足なのでしょう。

変わりました

9月27日(火)

今日のクラスは、私にとって今日が今学期最後の授業です。1週間前と比べても進歩は感じられませんが、最初の授業のころを思い浮かべると、塵も積もれば山となるで、力の伸びを感じます。

例えば、音読は自然に近いアクセント・イントネーションでできるようになりました。7月あたりは、学生たちに読ませると、根本的なところから直さなければなりませんでした。しかし、今日は重箱の隅をつつくような修正で済みました。また、そういう私の指摘で、自分たちの発音のどこがいけないのかすぐに気づくようになり、そして自分で正しい方向に歩み出せるようになりました。

文法でも、「これは硬い表現ですか」なんていう、勘が働くようになりました。例文はまだまだのところもありますが、中にはクラスの様子を習った文型に上手に取り入れて、思わずニヤッとしてしまう例文も出てきます。学生たちの頭が日本語で回転し始めてきたようです。

今学期の新入生は、良くも悪くも、学校に慣れたようです。最初は気弱そうだったHさんは、いつの間にか堂々と発言しているのと同時に、これまた堂々と9時15分過ぎぐらいに入室するようになり、さすがに教室の隅っこでですが、居眠りするようにもなりました。Cさんは、入学学期の上では大先輩のAさんと授業中におしゃべりしています。Jさんは、今日案内したビジネス日本語能力試験に興味を示しています。本当に受けるかどうかはわかりませんが、学校の予復習以外にそういう勉強をする余裕が生まれたのだとしたら、喜ばしいことです。

次の学期も、教師が学期初めをしみじみ思うくらい力をつけてもらいたいです。でも、新入生には慣れすぎないでもらいたいですね。

祝全勝優勝?

9月26日(月)

昨日千秋楽だった秋場所は、大関豪栄道が全勝優勝を飾りました。初場所の琴奨菊優勝の時は日本人力士として10年ぶりというのが話題となりましたが、豪栄道はカド番大関の全勝優勝は史上初ということです。

大関の全勝優勝ということで、相撲協会も含めて、世の中は来場所は綱取りだと騒いでいます。でも、ちょっと待ってください。そもそも、豪栄道は2年前に甘い審査で大関に上がり、その後、大関としてはぱっとしない成績が続いていました。今場所でカド番は4回目、いずれも15日間皆勤した末で負け越したという不成績によるものでした。ですから、2年前にもし大関に上がっていなかったら、今場所は小結で全勝優勝だったのです。来場所関脇になり、さあ大関取りっていう状況です。豪栄道の実力も、そんなものではないでしょうか。

そもそも、横綱の基準とは何かというと、「力量品格ともに抜群の者」であり、世間で言われている「2場所連続優勝」などというものは、どこにも述べられていません。品格はともかくとして、「力量抜群」の一例として、「2場所連続優勝」があるに過ぎないのです。“力量抜群なら2場所連続優勝ぐらいできる”とは言えますが、“2場所連続優勝すれば力量抜群だ”とは言いかねることは、明らかです。ことに豪栄道の場合、来場所優勝しても、それでやっと大関昇進に過ぎず、一歩譲ってもようやく名実ともに大関になっただけであり、横綱に昇進できるかどうかは、そのまた先のことです。

でも、来場所豪栄道が優勝したら、相撲協会も世論も、きっと豪栄道を横綱に昇進させるんでしょうね。そして、横綱豪栄道は横綱として十分な成績が残せず、精神的に辛い目に遭わされるような気がします。それで引退が早まったら、一番かわいそうなのは豪栄道です。数字による基準は、一見明快なようでも、こんな悲劇を生みかねません。豪栄道が来場所もその次の場所もそのまた次の場所も、全勝とは言わないまでもそれに近い成績を収めたら、私は諸手を挙げて豪栄道の横綱昇進に賛成します。

今週木曜日は期末テストです。教師はテストで点が取れた学生を進級させてしまいますが、本当はテストで測りきれない力も見た上で進級の可否を決めるべきなのです。点数だけで上げた学生が、上のレベルで苦しむ姿をいやというほど見ています。でも、学生を説得しきれずに、説得するのが面倒くさくて、上げてしまうんですよね…。