真っ赤な例文帳

4月23日(木)

授業で扱った文法や語彙を使うチャンスを与えるために、毎日のように例文を書かせています。同時に、文法や語彙が定着しているかどうかも見ることができます。そんなに御大層な文である必要は全くないのですが、気の利いた文を書いてくる学生もいればこじ付けみたいな文を作ってくる学生もいます。こういうあたりにセンスというか吸収力というか、まあ言ってみれば伸びていけそうかどうかの差を感じます。

センスのある学生は、自然な場面設定ができます。課題となっている文法や語彙がどんな場面や状況で使われるのかを的確に把握し、それに具体性を持たせることができます。そして、自分の現有の語彙や文法でそれを文として表現するのです。

一方、センスのない学生は、特異な例しか想像できなかったり、妙な勘違いに捕らわれてそこで頭が固まってしまったりしています。あるいは教科書や教師が提示した例文の亜流を作るのがやっとです。さもなければ、想像力がたくましすぎて、一般庶民の頭ではついていけないような文を作ります。

センスのある学生は、たとえ使い方が間違っていても、ちょっと方向性を示唆すれば自力で軌道修正できます。センスのない学生は、結局、間違いを何度も直されながら時間をかけて覚えていくしかないのです。語学の速習法なんていうのは、所詮はセンスがある人たちにしかできません。

だから、私たちは学生たちに間違える機会をいかに多く与えるかに腐心すべきなのです。作文でも会話でも何でもかんでも、間違える舞台をどんどん用意して、そこで思う存分躍らせて、最初に習ってから半年とか1年とかかけて、真の意味での定着を図っていくのです。

今学期私が受け持っている初級クラスの学生たちは、「上手」になるためにはまだまだ泣いてもらわなければなりません。明日もまた、真っ赤に添削された例文シートが学生の手元に返されます。

ある退学

4月22日(水)

先学期私が担任をしたクラスだったWさんが退学しました。先学期のWさんは成績も学習態度も出席率もどれも芳しくなく、留学を続けられるとはとても思えませんでした。退学勧告も含めてじっくり話がしたいと思っていましたが、本人が姿を現さないため、できないでいました。

漏れ伝わってきたところによると、Wさん自身も自分は勉強があまり好きではなく、日本の生活も大変なので、帰国したいと思っていたようでした。出席しても心ここにあらずという感じのことが多かったですから、うなずける話です。Wさんは3月に一時帰国して話し合ったものの、ご両親からは完全帰国に強力に反対されました。それで意に反して留学を継続したというわけです。

ご両親に帰ってくるなと言われたWさんにとって、この世での居場所はKCPしかありませんでした。そのKCPも、好きではない勉強を続けることが在籍を続ける条件ですから、居心地のよいものではありません。こう考えると、先学期さんざん厳しいことを言いましたが、かなりかわいそうなものがあります。

Wさんのご両親はどういうつもりで子供を留学に出したのでしょう。千尋の谷に突き落として這い上がってこいと子供を鍛え上げようとしたのでしょうか。それだったら、突き落とす谷を間違えていたと思います。Wさんにとって日本留学は手がかり足がかりのある谷ではなく、蜘蛛の糸すら垂れてこない地獄落ちだったに違いありません。もし、外国に送り出しさえすればマルチリンガルの国際人になって戻ってくるなんて考えていたとしたら、それは偉大なる勘違いです。

Wさんがどういう交渉をしてご両親に帰国を認めともらったのかは定かではありませんが、いい形で話しがついたと思います。Wさんが新しい道で大きく成長することを祈るばかりです。

選択授業の前に

4月21日(火)

今学期は選択授業の曜日に初級クラスに入っているため、先週の木曜日から始まっている中級以上の選択授業もどこか別世界の出来事のように感じられます。3年前に選択授業が始まってから、毎学期何らかの形でかかわってきましたが、完全に外れるのは初めてです。

初級はみんなで一緒に基礎固めという発想で、選択授業は設けていません。どういう進路にせよ必須で身に付けておかなければならない日本語を勉強しているのが、KCPで言えばレベル1から3までです。やはり「みんなの日本語」は疎かにはできません。また、逆に言うと、「みんなの日本語」の文法を確実に使いこなせれば、入試の面接だって小論文だって怖くはありません。

そうやって築いた基礎の上に、レベル4以上で自分の夢に手が届くような楼閣を組み立てていきます。どんな楼閣にするかは各学生次第ですが、基礎がいい加減だったらまさに砂上の楼閣になり、夢はついえてしまいます。

ところが、学生たちは無理をしたがるんですよね。少しでも早くという気持ちはわかりますが、「急がば回れ」とか「急いてはことを仕損じる」とか言いますから、無理を重ねて見切り発車じゃ、留学が将来の肥やしにならなくなってしまいます。

その無理をしたがる学生の気持ちに付け込むような学校が、最近増えてきたように思います。青田買い的に日本語が未熟な学生を集めて、いったいどういう教育をしているのだろうという学校です。教育は安売りすべきではありません。高等教育はちょっとお高く止まっているくらいでちょうどいいのです。大衆化、国際化と言えば聞こえはいいですが、その実が学生の頭数合わせや入学金稼ぎだったら、羊頭狗肉もはなはだしいです。

学生たちには夢を叶えてほしいです。でも、日本で夢を叶えようというなら、日本語の基礎をつけてからですよ。

C評価をどうしよう

4月20日(月)

先週の火曜日に書かせた初級クラスの作文を明日返さなければならないので、午前中、その採点をしました。先週のうちに下読みをしておいたので、採点基準に従って成績を決めていきました。すると、かろうじてB評価という程度の学生ばかりで、C評価も続出というありさまでした。

意味不明の文を書いている学生はあまりいませんでしたが、文法や表記のミスで次々と点が引かれ、不合格を何とか免れたという成績になってしまいました。授業ではよく短文を書く課題がありますが、日本語で長い文章を書く練習はあまりしていません。そのため、同じような内容の文を繰り返したり、主語と述語が合っていないねじれ文になったり、難しい表現を使おうとして自滅したりしたため、大きく減点された学生もいます。

作文指導は、今まで中級以上ばかりをしてきましたが、その時点で日本語の文構造がわかっていないと思われる学生が多々おりました。今学期はもう一段階前の学生たちが相手ですから、そういう芽をつぶしていこうと意気込んでいました。しかし、どうもそれ以前のところから指導していかなければならないようです。

どの言語でも、四技能のうち「書く」が一番難しいと思います。情報を受信するよりは発信する、音声言語よりは文字言語のほうが難しいものです(英語を「読む」より「話す」ほうが難しいという日本人は例外的存在?)。これをこなしてこそ、語学の最高峰に立てるのであり、大学や大学院の入試に「書く」課題が多いのも首肯すべきことです。私が受け持っているクラスの学生の大半は日本での進学を考えていますから、この山を乗り越えないことにはどうにもなりません。

さて、明日はどうやってこの作文を次へのステップにつなげましょうか。これからそれを考えます。

気軽にキャンセル

4月17日(金)

午後、受験講座の授業の準備をしていると、カウンターからSさんに呼ばれました。行って話を聞いてみると、明日から始まる受験講座・JLPTをキャンセルしたいと言います。

受験講座の各科目は強制的に受けさせる性質のものではありませんから、キャンセル自体は別にかまいません。しかし、自分自身で受講を申し込んでおいて、1度も受講する前にキャンセルするのはいかがなものかと思います。あまりに計画性がないではありませんか。自分の勉強ですよ。将来の自分に対する投資ですよ。それがこんな無計画でいいのでしょうか。ホテルの予約のキャンセルとわけが違います。

Sさんに限らず、何名かの学生が受験講座の受講登録取り消しを求めてきました。そのたびに同じことを思いました。それどころか、何の申し出もなく欠席を続けているPさんのような学生もいます。Pさんがずっと学校を休んでいるという話は聞いていません。受験講座だけ無断欠席しているのです。本気で進学するつもりなのでしょうか。

「とりあえず登録しておこう」という態度は好ましくありませんが、「とりあえずでも登録したんだから、とりあえず出てみよう」ってならないんですかねえ。進路を決めかねているなら、可能性の間口を広げておいて、その中から自分が真に進みたい方向を決めるっていうのが、将来を一番豊かにすると思います。

半年後、受験シーズンのピークで、SさんやPさんはどんな顔をしているのでしょうか。泣きっ面は拝みたくないです。

引導を渡す

4月16日(木)

受験講座が始まっています。新しくやる気にあふれた顔が加わり、教師のほうも気合を入れ直しています。私の担当している理科は、今週は各科目のオリエンテーション。今日の化学では少し脅しをかけました。

この講座を受ける学生たちは、理系大学への進学を目指しているくらいですから、国でもそれなり以上に理科の勉強をしてきています。でも、その勉強や実力がそっくりそのまま日本で通用するとは限りません。そうでない例を多数見てきました。少なくとも、現時点で学生たちが狙っている大学に入るには、平坦な大通りではなく険阻な山道を歩まねばなりません。そのことをわからせたかったのです。

化学といえば、何はともあれ周期表であり元素ですが、その元素名にはナトリウム、マンガン、ニッケルなど、カタカナ語が主力です。有機化学となると、ベンゼン、エチレン、アセチルサリチル酸、ポリエチレンテレフタラートなど、さらにカタカナ語の度合いが進みます。その他、ハーバー・ボッシュ法、ファンデルワールス力など、いくらでも出てきます。これをどばっと見せると、楽勝と思っていた学生たちの顔色が変わり、頬を引きつらせたりあきれて笑ってしまったりと、十人十色の反応でした。

毎年、カタカナ語がどうにもならなくて理系の進学をあきらめる学生が何名かいます。あきらめるのはしかたがない面もありますが、文系へと方向転換する時期が遅くなると、文系の勉強も間に合わなくなり、日本での進学自体をあきらめざるを得ない状況にも追い込まれかねません。今、思い切って理系を捨てて文系に進むと決断すれば、11月のEJUには何とか間に合います。どんなに遅くても連休明け直後がクリティカルポイントです。

だから、理系がいかに大変かということを示して、あきらめる人にはすぐに新しい道に進んでもらおうと思ったのです。消去法で理系を選んだ学生には、点を取るためにカタカナ語を覚えるという勉強はしんどいでしょう。一刻も早く方向転換したほうが、本人のためです。

今のところ、誰もやめるとは言ってきていません。今学期はファイトのある学生が集まったと思っていいのかな。

クルマより人

4月15日(水)

京都市が市内随一のメインストリートである四条通の車道幅を半減するそうです。その分、歩道を広げます。今の歩道幅は狭くて、車いすも満足に通れなければ、バス待ちの人がいると歩行者のすれ違いにすら苦労します。これでは日本を代表する観光都市として恥ずかしいということで、車道をつぶして歩道を広げようというわけです。

1980年代ぐらいから、日本は目に見えてクルマに優しい国になっていきました。クルマに乗ることを前提に国づくりが進められたと言ってもいいでしょう。中心街がさびれ、郊外の幹線道路沿いに広い駐車場つきの大規模なショッピングモールが造られ、数十キロも離れたショッピングモールどうしがクルマで来る客を奪い合うようになりました。安房トンネルを始め、峠道を貫くトンネルがどんどんできています。高速道路は国の隅々まで通じているように思われますが、それでもまだ建設されつつあります。街中でも、自転車は車道から歩道に追いやられ、歩行者はその自転車と歩道を貫く電柱を避けながら細々と歩く始末です。クルマなら1回の信号待ちで入れる道に、歩行者は2回の信号待ちが必要なことはよくあります。

そうではなく、歩行者や自転車に優しい街づくりが必要だと思っていました。京都市の方針は、まさにわが意を得たりと言ったところです。減ったとはいえ、去年も4000人以上もの命が交通事故によって奪われています。クルマを全面否定するつもりはありませんが、現状はクルマに甘い国になりすぎていると思います。道って本来は歩く人が主役なんじゃないでしょうか。

KCPの前の道は、学生たちがわがもの顔で振舞うせいか、ほかよりはだいぶ歩く人のための道になっていると思います。でも、クルマが来ると学生たちはあわてて道端によけます。この界隈、無理にクルマが通らなくても生活や業務に支障ないんじゃないかな。ですから、生活道路とかっていうのにして、指定車両以外通行禁止にできないものでしょうか。これは、クルマを持たない人間の発想かな。

花見ができる?

4月14日(火)

新学期が始まって以来、お天気があまりよろしくなく、各レベルともお花見に行けなくて困っています。4月期は初級から上級まで1回ぐらいは新宿御苑へ出かけるのが毎年の恒例なんですが、今年はどうも具合が悪いようです。天気予報によると木曜日あたりがベストで、それを逃すと今年はお花見なしになりそうです。

お花見と言っても、もちろんソメイヨシノは散っていて、今は八重桜が盛りだそうです。八重桜もソメイヨシノに負けず劣らず美しいです。私も御苑で何回か見たことがありますが、ソメイヨシノが内蔵しているはかなさみたいな、華やかさの裏側に隠された陰影がありません。こちらのほうが春の明るさを素直に表しているように思えます。

新宿御苑は、今週の土曜日、安倍さんたちのお花見があります。お天気はパッとしなさそうですが、おとといの統一地方選前半戦の結果から、きっとわが世の春を謳歌するのでしょう。東京は知事選も都議選もなく、どこで選挙をやってるのっていう感じでしたが、投票率からすると全国的にも盛り上がりに欠いていたようです。安倍さんは自分が推した候補者がどんどん当選を決めたといっても、40%か50%ぐらいの投票率の中で支持されたということについてはどう考えているのでしょう。私だったら不安でならないでしょうね。肝の太さの違いかな。

学生たち、特に来年は日本にいないかもしれない人たちには、桜を存分に堪能しておいてもらいたいです。先生方はぎりぎりまでお花見の可能性を探っています。

傘を持ち歩く

4月13日(月)

午前の授業が終わると、学生が続々と傘を借りに職員室へ来ました。雨が降り出したのが彼らが学校に着いたころからだったので、傘を持って来なかった学生が大勢いたのです。もう1時間早く降り出していたら、学生たちの多くは傘を差してきたでしょう。

教室などの忘れ物の傘を回収して貸し出し用の傘にしていますが、何十本もあるわけがありません。ですから、傘を借りようと思った学生の大半が借りられませんでした。そういう学生は、コンビニまで走っていって、傘を買ったのでしょう。

午後のクラスの学生たちは、登校時に雨が降っていましたから、みんな傘を差してきました。でも、教室で学生に聞いてみると、雨が降っていなかったら傘は持って来ないと言っていました。国籍を問わず、雨が降っていなかったら傘など持ち歩くものではないという考えを持っています。お天気のいかんによらず折り畳み傘を持ち歩く私など、彼らの目には異星人に映るかもしれません。

日本は雨の国であり、学生たちの母国の多くは日本より降水量が少ないです。だから、傘を持つことに抵抗を感じるのでしょう。または、雨に濡れても体が冷えないくらい暖かいので、そういうところから来た学生には冷たい雨という概念がないのかもしれません。

私は事あるごとに傘を持ち歩くことの利点を説いています。折り畳みなら教科書1冊分ぐらいの重さのもありますよ。学生の大きなかばんに傘1本も入る余裕がないとは思えません。でも、学生の行動様式を変えることはできません。三つ子の魂百までというやつですよ。

傘は持ち歩かなくてもいいですから、雨に降られて体調を崩すことだけはやめてくださいね。

電王戦で勝った

4月11日(土)

プロ棋士とコンピューターの将棋ソフトが戦う電王戦で、プロ棋士チームが3勝2敗で団体戦を制しました。去年までは負け越していたのですが、今年初めて勝ち越すことができました。

プロ棋士3勝のうち2勝は、プロ棋士がコンピューターのプログラムの穴を突く形で勝ちました。プロ棋士側は事前にソフトを借りて研究しました。そこで見つけたプログラムの欠陥を攻め立てるように本戦で指し、勝利を得たのです。今日行われた最終戦は、わずか21手でコンピューター側が投了しました。

なんだか正々堂々としていないような感じもしますが、相手の弱点を攻めるのは戦いの基本です。負けに直結するような弱点があるということは、コンピューターはまだ人間の域に達していないということなのです。

また、そういう弱点があることが満天下にさらされたのですから、ソフトの制作者はその穴をふさぐべく努力するに違いありません。今回の敗戦は、ソフトの更なる発展につながるのです。そういう意味では、弱点を突いたプロ棋士は、自ら強敵を作る手助けをしたことにもなります。真の勝負師なら、戦い甲斐のある敵を求めるものです。

プロ棋士を負かすほどの力量を持ったソフトが意外なもろさを見せるあたりは、なんだか人間くさくて親しみが持てます。弁慶の泣き所みたいなところがあるんだなあと思うと、プログラムという抽象物が実体を伴ってまぶたに浮かんできます。電王戦はとりあえず今回で最後だそうですが、コンピューターがプロ棋士を完全に抜き去る日までは、どこかで何らかの形で、プロ棋士対コンピューターソフトの戦いは続けられていくでしょう。