活動再開

5月9日(土)

朝の受験講座が終わってから、ボランティアクラブの学生たちが募金箱を作り始めました。来週からネパールの地震の被災者に送る募金を始めます。

学生たちの中にネパールとつながりのある人はいないでしょう。地震の少ない国から来た学生には、地震で家を失うとか生活の基盤が消えるとかという事態が、最初はピンとこないかもしれません。自分を被災者の立場に置いて、そういう状況がいかにとんでもないものかを理解し、縁もゆかりもないところの被災者にお金を出す、という思考や行為は、学生たちを成長させます。自分の主体的な行動が遠い世界とつながっているという実感を、若いときから持ってもらいたいです。

ネパールのど遠くじゃなくても、ボランティアのネタはいくらでもあります。日本へ来てから献血を始めたという学生も、今まで何人かいました。母国の天災を知り自らが発起人となって募金活動を始めた卒業生もいました。家の近くの公園を掃除しているという学生の話も耳にしたことがあります。そういう気持ちを大きく育てていくと、一回りも二回りも大きな人物になれるでしょう。

ボランティアクラブは、旧校舎の時代には東日本大震災の募金をはじめ、けっこう活躍していたのですが、仮校舎に移ってからは活動休止状態が続いていました。それがこのたびようやく復活し、最初の活動がこの募金というわけです。募金以外にも、毎学期実施しているバザー(収益は親と一緒に暮らせない子供の施設に寄付)のお手伝いなど、いろいろと活動計画があるようです。

募金箱を作っている面々も、受験講座を受けているくらいですから受験生です。自分の勉強を最優先にしたいでしょうが、その気持ちを抑えて、だれかのために貴重な時間と労力を割いています。この心意気は大いに買ってあげたいです。

効き目なし

5月8日(金)

Xさんは毎日のように授業中ケータイをいじっては先生に叱られています。今日も私がふとXさんに目を向けるとケータイをいじっている様子でした。

「何をしているんですか。授業中にケータイはダメだと毎日先生が言っているでしょ」「すみません」「どうして授業中にケータイを見るんですか」「すみません」「理由を聞いています。理由を答えてください」「ありません」「理由がありませんがケータイを触ります?」「はい」「じゃあ、病気ですね。病気の人は出て行ってください」「病気じゃありません」「じゃあ、勉強したくないんですね。うちへ帰ってください」「勉強します」「勉強したいんですね」「はい」「じゃあ、立ってください。立っていたらケータイに触れませんね」

ということで、その後Xさんを立たせたまま授業を進めました。かなり本気だったつもりですが、その本気がどうも伝わらなかったようです。周りの学生たちは私が怒っているのを見て相当ビビッたみたいですが、Xさん本人はケロッとしていました。肝が太いと言ってしまえばそうかもしれませんが、こういう肝の太さは周囲の顰蹙を買うだけで、本人に幸せをもたらすとは思えません。

最近この手の若い学生が増えてきた気がします。よく言えばマイペースですが、単にわがままで他人の心を推し量ることができないというのが実情だと思います。こういう学生が日本の大学や大学院に進学したらどうなるのでしょうか。進学先でもトラブルメーカーになるんでしょうね。そうならないようにと、勉強以外の面のしつけにも力を入れてきましたが、力及ばずと感じることもままあります。

Xさんには来週の月曜日にもクラスで顔を合わせます。どんな態度で授業を受けるのでしょうか。連休のリフレッシュがいっぺんに帳消しになってしまったできごとでした。

幸せの分け前

5月7日(木)

朝一番にもかかわらず、河内長野駅発のバスは座席がさらっと埋まるほどの乗客がありました。その大半が30分の乗車、金剛登山口バス停で降り、私以外の人たちはみんな登山口へ。私は千早城跡へと向かう急な階段へ。楠木正成が立てこもり、自軍の数十倍になる北条の大軍を引き付け、鎌倉幕府滅亡のきっかけを作りました。城跡にはそんな生々しい戦いのあとを示すものはありませんでしたが、そこに至るまでの急峻ながけを登っていると、楠木正成の知略のかけらが見えるような気がしました。

千早城跡は標高が600mあまりで、そこからさらに500m登ったところが金剛山の山頂です。お天気は下り坂という予報でしたから大急ぎで登った甲斐があり、山頂からは大阪平野はもちろん、関西空港や淡路島、明石海峡大橋まで望めました。キンキンに冷やしやお茶がおいしかったです。

ロープウェイで下山すると、上りのロープウェイは定員いっぱい、麓の駅は乗車待ちの人たちであふれていました。駐車場は満車になりつつあり、バスも立ち客が出る満員でした。しかも、小雨がぽつぽつと。まさに早起きは三文の得です。

春日大社は式年造替で、御神霊が仮殿に移っているので、ふだんは近づけない御本殿が間近で拝観できます。また、神が宿っているともされる磐座(いわくら)も見られました。日本の神は実体が明らかになっているわけではなく、気配(神気)を感じてその存在を悟るものです。御本殿や磐座は視覚的には印象が強いものではありませんでしたが、私のような凡人でも“何か”を感じました。

ここで、ちょっとした事件が。ある参拝者が撮影禁止領域でカメラを構えたのです。それを見つけた神職は烈火のごとく怒り、データを消せと厳しく命じました。その参拝者は撮影はしていないと言い訳していましたが、神職はなぜ疑われるような行動をしたのかと怒りを納めませんでした。神職の怒りは当然だと思います。デジカメになってからは気軽にとって気安く消すという、写真の無駄遣いというか真剣みのない撮影が横行しています。怒られた参拝者は無意識にカメラを向け、起こられてもおそらく反省はしておらず、今後もまたどこかで同じことをするでしょう。こういう何でも見境なく撮ろうとする人を見かけると、無関係なこちらまで不愉快になってきます。

その後、若草山に登りました。若草山は標高342mですが、山頂からは奈良盆地や大和三山が一望でき、前々日に登った金剛山もかすかに見えました。西方面は生駒山、信貴山、二上山、葛城山が連なり大阪平野までは見えませんでしたが、その穏やかな山並みもまた心を和ませてくれます。

大阪には、こういうふうに気軽に登れる山がたくさんあります。そしてその頂上からは絶景が望めます。大阪から金剛山まで直線距離で35kmほど。新宿ー筑波山はその倍の約70km。高尾山は40km強。大阪―生駒山はわずかに20km弱。大阪の人たちは幸せだと思います。今年の連休は、大阪の人たちの幸せを少し分けてもらいました。

国際貢献

5月1日(月)

ネパールの地震の犠牲者が時とともに増え、6300人を超えたと報じられています。この勢いでいくと、阪神淡路大震災の死亡者数6434人(ほかに行方不明が3人)を上回ってしまうかもしれません。地震発生域の人口密度を考えると、現時点ですでに阪神淡路大震災以上だと言ってもいいでしょう。

ネパール地震の写真を見ると、レンガ造りのいかにももろそうな家がつぶれています。ネパールは日本と同様にプレート境界上にあります。インドが南からユーラシア大陸にぶつかってできたのがヒマラヤだと言われていますから、地表面下の地殻のせめぎあいは激しいものがあるはずです。そういう国に、こういう大災害が起きる前に、震災先進国と言っていい日本が何かできなかったものでしょうか。災害救助隊をいち早く送ることも大切ですが、災害を予防する観点から何かできなかったのだろうか思わずにはいられません。

安倍さんはアメリカの議会で演説して非常に得意げですが、世界的規模で考えると、上述のような形のほうがより日本らしい、日本ならではの国際貢献だと思います。他国ができない貢献をしていくことこそ、日本の世界における地位を向上させるのです。

昨日、初級の読解の授業で地震に関する文章を読みました。阪神淡路大震災で横倒しになった高速道路の写真や、東日本大震災での津波の映像を見せました。学生に対しては、こういう地震の多い国で暮らしているのだから、日頃からその対策を怠らないようにというまとめをしました。

上級の授業なら、ここからさらに発展させ、日本がすべき国際貢献っていうあたりに話を持っていくんですがね。このクラスの学生に上級でまた会うことがあったら、そんなことも考えてもらいましょう。

半袖がさわやかですね

4月30日(木)

昨日は、お天気もまあまあだったので、たんすの中身を完全に夏物にしました。部屋着も半袖短パンにし、冬物は衣装箱の底にしまいました。来月半ばにはクールビズにしますから、それ用の半袖のワイシャツを衣装箱の上のいつでもすぐ取り出せるところに移しました。コートはこの前の日曜日に開店したクリーニング屋の半額オープンセールに出していますから、これで冬のかけらがなくなりました。

学生は私なんかまだマフラーをしているころから半袖を着ていますからあまりあてになりませんが、ここのところ通勤電車の中でも半袖が目立つようになりましたから、季節は初夏になりつつあるようです。日の出はいつの間にか4時台に。朝が早い私は、日没よりも朝日の早さで季節の進み具合を感じます。私は半袖の着始めのころに腕に感じる心地よい空気の冷たさがとても好きです。秋口に感じる半袖の腕のひんやり感は、気を引き締めていかなきゃっていう感じにさせられますが、この時期の半袖の腕には開放感を覚えます。

学校へ出てくると、いつもより早めに出勤したO先生たちが鯉のぼりを飾り付けてくれました。校舎の正面はビルの谷間で若干青空が狭いのですが、それでも風になびく姿には優美かつ雄大なものがあります。半袖の学生が鯉のぼりにカメラを向ける姿は、とても伸びやかですがすがしいです。明日は、学校の中で端午の節句の催しをします。

そして、あさってからは5連休。私は半袖を着て恒例の関西旅行に出かけます。天気がいい日を見て、金剛山に登ってこようかなと思っています。

持ち帰らない

4月28日(火)

明日は昭和の日でお休み。いよいよ大型連休が始まります。学校はカレンダーどおりに休みですが、教職員の中には仕事を家に持ち帰る方もいます。私は仕事を家に持ち帰りません。帰宅が遅くなろうとも、仕事は学校で片付けます。

まず、学生の宿題などの書類を持ち帰ろうとしてその書類をなくしてしまったら、その責任は取れないからです。学生が私を信頼して個人的なことを書いた作文を電車の中で採点していて隣の人に読まれてしまったら、私はその学生に合わせる顔がありません。学校の機密にかかわることだったら、なおさらのことです。私はそう簡単に持ち物をなくしませんが、万が一のことを考えると、気安く持ち帰ろうという気は起こりません。

それから、「私」の時間に「公」を持ち込みたくないのです。「私」が「公」に侵入する公私混同が許されないのなら、同様に「公」が「私」を侵略するのもおかしいです。ほかの人はともかく、私は24時間仕事のことばかり考えていたらいい仕事はできません。かつて、職場も住まいも同じ敷地内という環境だったことがありますが、頭がおかしくなりそうでした。仕事を完全に離れる時間が、私には必要なのです。

もちろん、学校を一歩離れたら日本語教育について全く考えないなどということではありません。毎朝新聞を読んで、教材になりそうな記事はしっかりチェックを入れますし、長期休暇で旅行に出ても、旅先で授業のネタに反応することはあります。ただ、それを義務だと思った瞬間に、日常生活も旅行も重苦しいものになってしまうような気がするのです。それゆえ、“私公混同”を恐れているのです。

午後は受験講座がびっしりつまっていましたから、午前中の授業の後始末がまだ完全には終わっていません。でも全ての仕事が納期に間に合うような計画は立てています。今週末からは、例年通り、思いっきり遊ぶつもりです。

そんなに吸いたいですか

4月27日(月)

北海道や東北地方を中心に真夏日となり、全国的に多くの地点で今年最高の気温が記録されました。学校の前から空を見上げると、春にしては見通しの利きそうな青空でした。できればこの青空は来週の連休まで取っておきたかったのですが…。週間予報によると、私が旅行に行く関西地方は来週の月曜日あたりは曇りがちとか。

授業で教室に入ると、何気に窓が開いていました。気温が高いとは言ってもまだ冷房に頼るほどではなく、また、窓から入ってくる外気のほうが人工的に冷やされたくうきよりも気持ちがいいのでしょう。

そういうわけだかどうだか知りませんが、煙草を吸いに公園まで行ってしまう学生が出てきました。確かに、KCPの喫煙室は狭苦しいです。しかし、だからと言って灰皿もないところで吸っていいということにはなりません。喫煙が規制されるのは世界的な傾向です。本人の健康にも悪いし、煙によって周りの人にも迷惑をかけるし、火事の原因にもなりかねません。まさに百害あって一利なしです。初夏と言ってもよい公園のさわやかな空気を吸おうとしたらヤニ臭い空気を吸わされた、なんてことになったら、腹の一つも立てたくなります。

学校は煙草が吸いにくいから煙草を我慢しようとかやめようとかいう方向に考えないのでしょうか。何が何でも吸ってやろうという気持ちにしかならないのでしょうか。それとも、ゲーム感覚で、スリルを味わうために、公園あたりまで出かけるのでしょうか。そもそも、教師の目の届かないところならどこでも吸ってもいいと思っているのでしょうか。いずれにしても、快晴の青空とは裏腹の、暗澹たる気分です。

新しい環境

4月25日(土)

夕方、立て続けに卒業生が3人来ました。3人ともサークル活動を始めるなど、大学生活にも慣れて、それぞれの専門の勉強に踏み出したことを熱く語ってくれました。大学の講義の日本語は難しいようですが、それを上回る情熱でカバーしている様子がうかがえました。

Yさんは進学したS大学がいたく気に入ったみたいで、図書館や研究室のよさやすばらしい先生がいらっしゃること、友人関係にも恵まれていると話していました。第一志望の大学ではありませんでしたが、完全にS大学のとりこになっていました。

TさんもHさんも、大学の中で友人ができ、新しい人間関係を築きつつあるようです。よいネットワークの中に入れれば、留学生活は半分成功したようなものです。2人は理系学部で、女性が少ないことを嘆いていましたが、大学生は何はともあれ学問ですよ。

3人とも数学が難しいと言っていました。数学は理系の学問の言語ですから、わからないではすまされません。でも、1年生のときに勉強した数学が理解できるのは、数学を言語として書かれている専門書を読むようになってからです。もっと言ってしまうと、研究を始めて自分の頭で理屈をこね出して、「ああそうか、あのときの数学はこういう意味だったんだ」と納得がいくようになります。さらに、就職して大学で学んだことを現場で応用してみると、「あの時はわかったと思ったけど、実はぜんぜんわかっていなかったんだ」ということがわかります。数学って、それぐらい奥深いものなのです。だから、1年生の数学は、単位を落としさえしなければぎりぎりの成績でもいいのです。まあ、本当に優秀な人はこんなことはないんでしょうけどね。

3人の話を聞いていたら、私も大学に入学したばかりの頃を思い出しました。それから今まで、あっという間のような気もしますが、実は40年近い年月が流れているのです…。

Mさんの変身

4月24日(金)

夕方、職員室で仕事をしていてふと目を上げると、カウンターにMさんがいるではありませんか。Mさんは今年の卒業生で、今月からB専門学校に通っています。

学校は大変だと言っていましたが、表情には悲壮感はなく、むしろその大変さを楽しんでいるようでした。学校は毎日朝から夕方まで、宿題もたくさん出ますから学校以外で4時間ぐらい勉強しているそうです。学校へは定刻の30分ぐらい前に行きます。遅刻が多く、出てきても予習してこないこともたびたびだったKCP時代からは想像もつきません。

専門の勉強が大変なら、高度な専門性を身に付けるために進学したのですから、当然のことですね。だから、まだ始まってから1か月も経っていませんが、順調な滑り出しではないでしょうか。日本語はどうかって聞いたら、動機の留学生の中で自分が一番話すのがうまいと言っていました。学校で一言もしゃべらない留学生もいるとか。MさんはKCPの発話訓練をがっちり受けていきましたから、これもまた当然の結果ですね。KCPの厳しさの意味がわかったとも。そんなことを話すMさんの話し方は、1か月ちょっと前までに比べると明らかに進歩していました。

Mさんが日本語でつぶれていないことを聞き、日本語を教えた立場としては一安心です。送り出すときは少し不安な日本語力でしたが、本当に好きなことが勉強できるとなると、私たちが感じる以上の力が沸いてくるのでしょう。こう考えると、専門の勉強の力って偉大なものです。KCPのように留学の入り口の学校が持ち得ない、留学生をひきつけ脱皮させる力があります。うらやましく感じます。

でも、きっと逆もまた真なりで、専門学校や大学がうらやむ条件がKCPにもあるはずです。それを見つけて、教えることそのものを楽しみたいです。

真っ赤な例文帳

4月23日(木)

授業で扱った文法や語彙を使うチャンスを与えるために、毎日のように例文を書かせています。同時に、文法や語彙が定着しているかどうかも見ることができます。そんなに御大層な文である必要は全くないのですが、気の利いた文を書いてくる学生もいればこじ付けみたいな文を作ってくる学生もいます。こういうあたりにセンスというか吸収力というか、まあ言ってみれば伸びていけそうかどうかの差を感じます。

センスのある学生は、自然な場面設定ができます。課題となっている文法や語彙がどんな場面や状況で使われるのかを的確に把握し、それに具体性を持たせることができます。そして、自分の現有の語彙や文法でそれを文として表現するのです。

一方、センスのない学生は、特異な例しか想像できなかったり、妙な勘違いに捕らわれてそこで頭が固まってしまったりしています。あるいは教科書や教師が提示した例文の亜流を作るのがやっとです。さもなければ、想像力がたくましすぎて、一般庶民の頭ではついていけないような文を作ります。

センスのある学生は、たとえ使い方が間違っていても、ちょっと方向性を示唆すれば自力で軌道修正できます。センスのない学生は、結局、間違いを何度も直されながら時間をかけて覚えていくしかないのです。語学の速習法なんていうのは、所詮はセンスがある人たちにしかできません。

だから、私たちは学生たちに間違える機会をいかに多く与えるかに腐心すべきなのです。作文でも会話でも何でもかんでも、間違える舞台をどんどん用意して、そこで思う存分躍らせて、最初に習ってから半年とか1年とかかけて、真の意味での定着を図っていくのです。

今学期私が受け持っている初級クラスの学生たちは、「上手」になるためにはまだまだ泣いてもらわなければなりません。明日もまた、真っ赤に添削された例文シートが学生の手元に返されます。