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病人を作る

7月18日(水)

これをお読みの皆さんは、「~しませんか」と「~しましょうか」の違いがわかりますか。「ます」の応用ですから、日本語学校では初級のうちでも比較的最初のころに勉強します。では、「~んです」はどんな時に使いますか。

これらは、一般の日本人にとってはあまりに日常的過ぎて、意味や用法を意識することなどありません。しかし、日本語学者にとってはこれらをいつどんな状況で使うかは大問題です。こういった文末表現は、使い方を一歩間違えると、相手に違和感どころか不快感を与えかねません。ですから、日本語教師としては、使い方をきっちり把握し、それを学習者に伝え、たっぷり練習させ、正しい用法を定着させなければなりません。

ということは、日本語教師養成講座では受講生に文末表現の明確な方たちを与えなければならないということです。感覚的に理解しているだけでは不十分で、日本語を習い始めてさほど時間の経っていない学習者に「ようです」と「らしいです」の違いが伝えられるくらいに、文末表現に精通していることが求められます。

「よ」「ね」のような終助詞も含めて、話し手が文全体をどういう気持ちで言ったかを表す表現をモダリティといいます。このモダリティを今期の養成講座受講生に講義したのですが、受講生の皆さんは今まで気にも留めなかった言葉遣いに目を向けさせられて、それこそ目を白黒させていました。

他人の話し言葉が気になってしょうがなくなりそうだなどと言っていましたが、それぐらい自分の身の回りの日本語に注意を行き届かせないと、日本語教師としてやっていけないと思います。まあ、気になってしょうがないというのは、日本語教師病でもあるんですが…。

声が若い

7月14日(土)

「はい…」「N先生のお宅でしょうか」「はい、いつもお世話になっております」「こちらこそお世話になっております。KCPの金原と申しますが、先生はご在宅でしょうか」「はい、少々お待ちくださいませ」…という電話のやり取りをした翌日、N先生から「家内が金原先生ってずいぶん声がお若いって言うんですよ」と言われました。自分では、最近声がかすれることもあり、年相応の声じゃないかと思っています。

N先生の奥様以外の方が聞いても声が若いとしたら、それは、ひとえに、毎日教室で発声特訓をしている(させられている?)からにほかなりません。20人を向こうに回して3時間クラスを仕切りまくるとなると、ただ単に大きな声を出せばいいというわけではありません。よく通る声、響く声を出さなければなりません。意識しなくてもそういう声が自然に湧いてくるくらいでなければ、日本語学校の教師は務まりませんね。

午前中、受験講座のEJU読解を担当しました。通常クラスよりも若干多めの学生を若干広めの教室に入れて、試験問題の解説をしました。その後、今年の大学入試の傾向などについて話しました。無意識のうちにいつもよりも声を張っていて、でもまだ出力に余裕がある自分に気が付き、だからやっぱり本当に声が若いのかなあなんて、うなずいている学生を見渡しながら、そんなことを考えていました。

私は普段はそもそもあまりしゃべらないし、しゃべっても大きな声は出しません。携帯電話の声も必要最小限です。だから、もし、この仕事をしていなかったら、元気なくぼそぼそとしゃべるおじいさんだったかもしれません。

火曜日から受験講座の理科が始まり、のど全開の日々が続きます。明日とあさってはぼそぼそと省エネで過ごしましょう。

微妙な間合い

7月10日(火)

新学期の初日は、教師のほうも緊張します。上級は持ち上がりのこともあり、それだと知った顔ばかりですからそうでもないのですが、中級や初級はまるっきり新しい顔と出会うわけですから、プレッシャーも感じます。今朝はどことなくそわそわしたベテランの先生方が大勢いらっしゃいました。

私も全然知っている名前のないクラスに入りました。そういえばこの顔はどこかで見たなあというのが2、3人いましたが、職員室で説教されているところだったり運動会の何かの種目でちょっと目立っていたりということで、私と直接的なつながりのある学生はいませんでした。こういう場合、最初にどのくらいの距離をとればいいかが意外と難しいんですねえ。1人でもよく知っている学生がいれば、その学生を突破口に距離を詰めていけるのですが、全員全然知らないとなると何か細工を施さねばなりません。

でも、私は1回の授業だけで学生に近づこうとは考えていません。半月ぐらいかけて信頼関係が築ければそれでいいと思っています。1学期は3か月ですから、残りの2か月でその信頼関係をベースに、クラスの学生たちを伸ばしていくことを考えます。学生のほうから相談を持ちかけられるようになります。こうして生まれたつながりは、その学生が卒業するまで続きます。

明日、あさってと、それぞれ別のクラスに入ります。そのクラスでも同じように信頼関係の種をまきます。じっくり育てて、学期末には大きな果実を収穫するつもりです。

アイコンタクト

7月5日(木)

久しぶりに、新入生のプレースメントテストの監督をしました。誰も知った顔のいない、水を打ったように話し声どころか物音一つしない静かな教室に入っていくのは、冷たいプールに足を突っ込むようなピリッとした感覚があります。「おはようございます」と挨拶してみても、新入生は私以上に緊張していて、わずかに頭を下げる学生が2、3名いただけでした。

最初の科目が始まると、問題を見たとたんに早くも苦笑いを浮かべる学生がいました。まじめな顔で取り組んでいても、解答用紙を見ると右から左へ文字を写しているだけだったりしていることも、毎度のことです。全然わからなくて、制限時間が来るまで退屈そうにしている学生も数名いましたが、机に突っ伏して寝てしまわないあたりが、新入生らしいところでしょうか。良くも悪くもお互いの距離感がわかりませんから、安全サイドに走っているのでしょう。

学生が机の上から消しゴムなどの小物を落としてしまったとき、それを拾って机の上に載せてあげると、国籍性別年齢を問わず、みんなニコッとします。距離がちょっと縮まったかなと思いますが、試験中ということもあり、それ以上接近することはありません。

最後の科目は、問題用紙と解答用紙を提出したら帰ってもいいことになっています。これは学期中の中間テストや期末テストと同じですが、プレースメントテストでは大きく違うことがあります。

中間・期末テストでは、提出した学生は教室を出るとき、私のほうに顔を向けて「さようなら」とささやきかけるか、会釈するかするものですが、プレースメントテストではそれがありません。この違いが1学期間の教育の成果なのかなと思っています。

私の教室にいた学生たちも、9月の期末テストではさようならと目で挨拶して帰っていくんでしょうね。

あっち、そっち、こっち、どっち

6月27日(水)

アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちのクラスの授業をしました。私が担当するのは一番下のクラスで、表記もこれからというレベルです。ひらがなの清音濁音拗音はK先生が入れてくださいましたから、私は促音と長音を受け持ちました。

きっぷ、あさって、そうじ、がっこうなんていうレベル1の初めのころに勉強する単語はもちろんのこと、「ちょっとまってください」とか「いっしょにいってください」などという教室用語も取り上げました。「せいせき」は大学生には必須の単語ですから、初級の単語じゃありませんが例に出しました。「あっち、そっち、こっち、どっち」をジェスチャー付きでやったら喜んでいましたし、「みっつ、よっつ、むっつ、やっつ」なんてリズムよく言わせたら楽しそうに口を動かしていました。「かっぱ」などという、通常クラスでは絶対に例に出さないものまでグーグルの画像を見せて教えちゃいました。こういうことができるのが、このクラスの授業のおもしろいところです。

授業は、特に初級においては、いかに強い印象を残すかが、うまくいくかどうかの分かれ目だと思います。「あっち、そっち、こっち、どっち」によって、学生に日本語の促音の感覚をつかませられたら、今回の授業は成功なのです。まあ、本当にうまくいったかどうかは、明日ディクテーションテストをしてみないとわかりませんが…。

次にこのクラスを担当するのは来週です。予定表では疑問詞や動詞や形容詞が多少使えることになっていますが、さて、どうなっていることでしょうか。予定よりも進んでいても遅れていても、学生たちにどんなふうに教えていこうかなあと、今から楽しみにしています。

生活記録より

6月25日(月)

ある学生について調べるため、コンピューターに入っている面接記録を読んでいたら、“ビニ弁”なることばに出くわしました。前後の文脈からコンビニ弁当の略であることは想像がつきましたが、私は今までそれを“ビニ弁”と略すとは知りませんでした。

紙の辞書には載っていないでしょうから、インターネットの辞書を見てみました。すると、国語辞典系には載っていませんでしたが、俗語辞典や新しい言葉を集めているサイトにはちゃんと見出しがありました。もちろん、意味はコンビニ弁当。この面接記録を書いたのは私の年齢の半分も行っていないくらいの先生ですから、若い人たちは普通に使っているのかもしれません。

…と思ってさらに調べてみると、使われ始めたのは今から10年以上も前でした。しかし、使用者はあまり広がらなかったようで、ネットの調査でも「使わない」という意見が多数派でした。それどころか、死語と断じる意見もあるほどです。

コンビニベントウは8音ですから、略語が作られてもおかしくはありません。8音を4音に略す場合、イバラキダイガクがイバダイになるように、漢字の読み方を無視してでも、前半の最初の2音と後半の最初の2音となるケースが多いです。ビニ弁のように真ん中だけ抜き出す例は、あまり多くありません。航空母艦が空母、焼酎ハイボールがチューハイ(以上、8音ではありませんが)、訓読みが音読みになりますが大阪大学が阪大、非常にマイナーですが相武台前が武台になる例くらいしか思いつきません。このやり方だと、新宿御苑は“ジュクギョ”となりますが、こんな略語は聞いたことがありません。つまり、このような略し方は略す前の言葉と結びつきにくく、略語として定着しなかったのだと思います。

美に弁――“びにべん”+変換で、私のコンピューターではこう出てきます。ビニ弁と入力した先生は、“びに”+カタカナ変換+“べん”+変換と入力したのでしょう。それに対し、コンビに弁当は“こんびにべんとう”+変換で一発で出ます。その先生にとっては、この面倒くささを乗り越えてでも“ビニ弁”と入力したくなるほど、ビニ弁が日常語なのでしょう。おかげで、いい勉強をさせてもらえました。

発見?

6月19日(火)

ゆうべ、帰宅間際にM先生から中級の読解の教材に使えそうな文章はないかと聞かれました。今学期私が担当しているレベルでもあり、常々読解教材の古さは気になってもいましたから、「探してみます」と引き受けました。

毎年度後半になると、私は超級クラスを担当し、そのクラスの読解教材は自前でそろえています。市販の留学生向け教材では易しすぎるのです。今年になってからも、候補となりそうな文章を少しずつ貯めてきましたし、去年以前に採集はしたけれども使うには至らなかったストックもあります。その中から手ごろなものを見つけようと、今朝出勤してから、まず、コンピューターの中を漁り始めました。

すると、わりと最近拾ってきた文章で、超級の読解にはちょっと歯ごたえがないかなというのと、おととしのストックで短めのと、2本よさそうなのがありましたから、それをM先生に紹介しました。

読解のテクニックを学ぶのなら、内容は多少古くても構わないじゃないかという意見もありますが、私は与しません。「吾輩」ぐらい古くなっちゃえばそれはそれで価値がありますが、「もうすぐ香港が返還されます」なんていうのはいかがなものかと思います。また、理系人間として古い技術を最新技術であるかのように扱っているような教材には一言物申したいです。

そういう観点から、鮮度の落ちにくいテキストを選んだつもりです。また、中級の教材ですから妙に韜晦した文章はいけません。論旨の明確なものが適しています。もちろん長さも考慮します。私が推薦した文章が来学期以降の中級読解教材になるかどうかは、まだわかりません。でも、超級の教材探しにもそろそろ本腰を入れなければと思いました。

チャイムが鳴るや否や

6月5日(火)

Bさんは今学期の新入生で、レベル1にいます。クラスの中では理解も早く、発言も多く、中間テストの成績も抜群でした。ですから、先週の面接の時に、次の学期にレベル3に上がるテストを受けたらどうかと勧めてみました。そのテストを受けるには担任のM先生の許可をもらう必要があります。そして、昨日、BさんはM先生から許可を得ようとしましたが、断られました。

終業のチャイムが鳴ると同時に、Bさんはメールを見ました。そのとき、M先生はまだ話をしていたそうです。M先生としては、まだ授業が終わったとは思っておらず、授業中に携帯電話を使ってはいけないというルールに触れたと判断したのです。ですから、ルールも守れない学生に上のレベルに進級するチャンスを与える必要はないと考え、Bさんの要求を拒否したというわけです。

KCPは勉強さえできればそれでよいというスタンスは取っていません。たとえチャイムが鳴っても、教師が「終わります」と宣言しない限り授業中です。もちろん、チャイムが鳴ってから10分も15分も授業を続けるというのは非常識とされてもしかたありません。しかし、チャイムの直後に携帯をいじったら、学生側がフライングを取られても文句は言えないと思います。そのとき教師の話に全く注意を向けていないのですから。

受験講座を終えて職員室に戻ってきたらBさんが泣きついてきましたので、そんな話をして、M先生に詫びを入れて、改めてチャンスをもらうようにとアドバイスしました。こういう苦労が日本語を伸ばすのです。塞翁が馬になってくれたらいいのですが、果たしてどうでしょう。

復活

5月25日(金)

金曜日は、みどりの日、運動会、中間テストと3週間連続でつぶれていましたから、ほぼ1か月ぶりに金曜の初級クラスに入りました。4月の最終週は御苑でお花見だったのでろくに授業をしませんでしたから、ほとんどアウェー状態でした。この間、諸般の事情であるクラスに集中的に代講に入りましたから、そちらのクラスのほうが事情がよくわかるほどです。まあ、こういうのは惑星直列みたいなレアケースでしょうが…。

出席を取る時はごくわずかな特徴的な学生しか覚えていませんでした。でも、幸いにも返却物が何種類もあったので、それを返しながらどうにか顔と名前を一致させていきました。だんだん勘を取り戻してきましたが、まだパキパキと指名する段階には至りません。できる学生だと思って難しい問題を当てたら、その学生はあわあわするばかりで大いに当てがはずれたり、集中していない学生を指名したつもりがその隣の隣の学生だったり…。このクラスは机の上に置くネームプレートを作っていたことすら忘れていました。

初級は特に顔と名前をしっかり覚えて、次々と指名して緊張感を持たせながら練習していくことが肝要です。頭で理解していても、口が回らなければコミュニケーションは取れません。コミュニケーションを無視した語学の勉強は、畳の上の水練に過ぎません。個人指名がうまくいかない分をコーラスでごまかしちゃいましたが、これじゃあ必要最低限をかろうじてこなしたっていうだけです。

今学期は期末テストも金曜日ですから、このクラスの私の授業はあと3回。頭の中の配線が復旧しつつあります。学生たちの実になる授業をしていきたいです。

ねじを締める

5月21日(月)

先週金曜日の中間テストには全員顔をそろえたのに、今朝8:55頃、私が教室に入ると、まだ半分ぐらいしか来ていませんでした。その後の5分間でばたばたと来たのですが、9時の時点で5名が欠席。うち1名は出席を取り終わった直後に入室したので大目に見るとしても、マイナス4名。最終的には欠席は2名でしたが、気が緩んでいることは否めません。遅刻の言い訳が寝坊ですからね。中間テストは、終わりじゃなくて、まだもう半分残っている、文字通り中間点なんですがね。

中間テストまで来ると、各クラスのカラーが明確になってきます。今学期の私のクラスは、元気はいいのですが教師に頼りたがるきらいがあります。教師の問いかけが、誰もわからない答えられないとなると、教師が答えをいうのを期待する目の色になります。わからないながらも答えを探し続けるとか、考え抜くとか、そういう意志が弱いのです。ですから、後半戦は私も容易に答えを言わず、どうにか答えにたどり着く苦労を学ばせたいと思っています。

さて、その初日。読解で指示詞の指す内容を問いかけました。まず、セオリーどおり、指示詞の直前の文を答えてくる学生がいました。しかし、私が指示詞を直前の文に置き換えて読み上げると、意味不明であることが明らかになりました。こうなると、黙りこくってしまいます。時間がかかることを覚悟の上で、動作主を考えさせ、前段落からの文章の流れを把握させ、その中において問題となっている指示詞が何を示しているのか、まとめさせました。

比較的カンのいい学生は、答えが見えてきました。私のヒントを組み合わせて、不完全ながらも「内容」にたどり着いた道筋を語ってくれました。まあ、初回ですから、このくらいにしておきましょう。次のレベルにあがるまでには、もう少しどうにかなってなきゃね。