Category Archives: 教師

瞬発力

5月13日(火)

「えーと、Kさん、あなたはいつ日本へ来ましたか」「1か月前に来ました」「そうですか。もう、日本の生活に慣れましたか」「いいえ、まだ慣れていません」「うん、いい学生ですね」…と言って、私が板書したのが、「1か月前に日本へ来たばかりですから、まだ日本の生活に慣れていません」という文です。

「~したばかりです」という文法を導入するのが目的で、その直前に勉強した「~したところです」との違いを強調するために、今学期の新入生のKさんに活躍してもらいました。「~したところです」は本当に直後でないと使えませんが、「~したばかりです」は、話し手や書き手がそれをしてから間がないと思っていれば使えるということを訴えるのに使ったのです。

私は教室の中の流れを授業に取り入れることをよくします。教案を立てても現場で変更ということがよくあります。というか、それがほぼ毎日です。むしろ、教室でのやり取りの中から導入の糸口を見つけることに生きがいを感じているといった方が正確です。とっかかりがどうしても見つからなかったら、しかたなく教案の通りにしています。

目の前の状況や学生と教師のやり取りがそのまま文法の導入につながるのですから、学生にとってもわかりやすいだろうと、私は勝手に信じています。少なくとも、授業にきちんと参加している学生は、どんな場面でその文法を使うか実感できるんじゃないでしょうか。

こういう、その場で思いついたことや教室の空気をパッと授業に生かせなくなった時が、私の引退の潮時だと思っています。例文や説明のセリフがすぐに浮かび上がってこなくなったら、日本語教師を続けても面白くないでしょうね。今のところ、まだまだ持ちそうな気がしていますけどね。

研究熱心

4月3日(水)

日本語の授業は来週からですが、私の場合、昨日から養成講座の講義が始まっています。4月は文法の授業がしばらく続きます。日本人に日本語文法を教えるのは、わかっているつもりでいる人に全然わかっていないんだよということをわからせることです。全く意識せずに使っている日本語をきっちり意識させ、理詰めに考えていく癖をつけさせる仕事だとも言えます。

日本語教育能力検定試験の合格を考えると、文法体系をたたき込んでいくことが第一でしょう。しかし、私は実際の学習者がどうなのか、どんな間違いを犯しやすく、何が理解しにくいかも話していきます。ここでつまずく学習者が多いとか、こんな誤用が多いとか、そういうことが語れるのが、実際に教えているものが養成講座の教壇に立つ強みだと思っています。そういった、学習者が引っかかるところをいかにして乗り越えていくかは、各レベルの教授法や授業見学や、最終的には教壇実習を通して身に付けていってもらいます。

また、みんなの日本語をはじめとする文法の教科書にきっちり載っている文法と、文法項目として明記されてなく、なんとなく覚えることになっている事柄とがあります。初級文法でもなんだかごまかされちゃったみたいなのもありますが、上級文法と言われているものの中には、読解のテキストなどに出てきたときに見逃さずに捕まえて解説しなければならない項目もあります。そういうことに対する感度を磨くのも、私の授業の役割だと思っています。

期末テストの点数が合格点にちょっとだけ足りなかった学生の相手をしていると、養成講座で語るネタがザクザク出てきます。もちろん、日々の授業の際にも、がっちり取材させてもらっています。もう一歩足りなくて同じレベルを繰り返す学生を1人でも少なくできるような教師を育てるために、学生を見ながら研究しています。

修了式と同窓会

3月29日(金)

養成講座の修了式が終わり、会場の設営を手伝っていると、Mさん、Nさん、Tさん、Oさん、Kさんなど、懐かしい面々が次々と姿を見せてくれました。名前だけではピンとこなかった方々も、顔を見たら「ああああ!」という感じで、瞬時に線がつながりました。養成講座の同窓会は、互いに久闊を叙するところから始まりました。

養成講座を修了したMさんがKCPで先生をしていたのは、10年以上も前になるといいます。確かに、震災の前ですから、そういう計算になります。でも、顔はしわが増えたわけではなく、声の張りや艶も変わることなく、でも、お話を聞くと間違いなく歳月は流れており、なんだか不思議な気がしました。

Nさんは私がKCPに入る前にお世話になっていたところでしばらく教えていたそうです。そこは震災をきっかけに日本語を教えなくなってしまったという話を聞き、少し寂しくなりました。でも、Nさんはほかで仕事を見つけ、日本語教師として立派に独り立ちしていて、表情には自信がみなぎっていました。

KCPが日本語教師養成講座を始めたのは2001年のことです。調べてみると、私は2003年ごろから養成講座に携わっていますから、かなりの数の同窓生とどこかで接触があったはずです。今回出席できなかった方たちも、送られてきたメッセージによると各方面で活躍しているようです。その活躍に微力ではあっても貢献できたんのかと思うと、なんだか誇らしいです。

もちろん、KCPの養成講座出身者は、KCPでも多くの方が貴重な戦力となっています。今期の修了生からも、3名が4月からKCPで働き始めます。同窓会でつながりができた先輩方を目標にして、ぐんぐん成長していってもらいたいと思っています。

平常心?

3月15日(金)

「緊張がほぐれたら教室へ行ってもいいですか」「ええ、いいですよ」。日本語教師養成講座の受講生Oさんが、担当のT先生に一声かけてから教室に向かいました。今週は、養成講座の方々の実習ウィークです。Oさんは、午後の初級クラスで教壇実習をするのです。先学期、中上級クラスで実習していますから教壇に立つのは初めてではないのですが、かなり気が高ぶっているようです。肝が据わっているほうだとお見受けしたOさんですら、職員室を離れてリラックスする必要があるのですから。

Oさんを見ていて、授業前に緊張するなんて、絶えて久しくしていないなあと思いました。駆け出しのころは、どんなに下調べをしても、頭の中でシミュレーションをしても、綿密に計画を立てても、不安に駆られたものでした。予想外の展開になったら、学習者にわからないと言われたら、時間を食いすぎてしまったら、…というふうに、心配の種があちこちで芽吹いていました。

でも、いつのまにか、失敗してもどうにかなるさと思うようになってしまいました。経験を積むことによって授業の質が上がってきたというよりは、高をくくれるようになったと言うべきでしょう。取り返しのつかないミスを犯すことはないだろうという自信とともに、小さなミスなら1学期というタームで捕らえればいくらでも挽回可能だと思えるようになったのです。

Oさんの実習はどうだったのでしょう。授業後は私も忙しく、話を聞く時間がありませんでした。今月末に養成講座を修了し、4月からは、担当教師の見守られながらではなく、一人前の教師として学習者を引っ張っていきます。この実習で、そのための何かをつかんだと信じています。

チャンスを求める

3月11日(月)

授業のあと、MさんとYさんに頼まれて、会話練習の相手をしました。Mさんはテストの成績はいいのですが、会話となるとスムーズに言葉が出てきません。そこを何とかしたいと思っています。Yさんは聞かれたことに単語で答えるのが精一杯で、まず、文で答えられるようになるのが目標です。

そもそもは、2人とも会話の中間タスクの成績が思わしくなかったのです。期末タスクまでの間に何とかしなければと思い、授業後に練習することに至ったのです。そういう意欲は買いますが、始めてみると、こちらがもどかしくなってきます。身振り手振りで言わんとしていることを伝えようとしていることはわかりますが、それに頼りすぎては会話力の向上にはなりません。

それでも、30分近く話していると、だいぶ口が回ってくるようになりました。2人とも表情が明るくなってきました。自分の気持ちが伝えられたという手応えが実感できたのでしょう。

MさんとYさんはこれをしばらく続けていけば、どんな場面でもコミュニケーションが取れるようになるでしょう。しかし、私の見るところ、この2人以外にも会話の特別練習が必要な学生はまだまだ大勢います。この学生たちの練習相手になることもやぶさかではありませんが、2人で30分というペースでやっていたら、他の仕事が破綻を来たしてしまいます。

KCPは学生のケアを手厚く行っている方だとは思いますが、それでもまだやり切れていない面があります。でも、それをやり切ろうと思ったら、教師が今の3倍ぐらい必要なのではないでしょうか。それは、おそらく、経営的に許されないでしょう。MさんやYさんのように、自分から働きかけてきた学生が優先されるのは、やむをえないところです。でも、自分から声を出せない学生にも目を掛けていくのが教師の責務なんですよね…。

半年後の刈り取り

3月6日(水)

先週までは中級以上のクラスに入っていましたが、そこの学生の大半が卒業してしまったため、今週から初級クラスに入っています。顔と名前が一致する学生が2、3名というアウェイ状態が続いています。データを見ればわかるのですが、単に面倒くさくてサボってしまい、できる・できないの予備知識なしで学生たちに接しています。

でも、教室に入ってしばらくもしないうちに、こいつはできるとか、こいつはまずいとか、見えてきちゃいます。Mさんは、授業の最初から目を輝かせて教師の話を聞いていました。この学生は希望の星かなと思っていたら、授業の中頃に、昨日勉強した文法の核心を突く鋭い質問を発しました。他の学生の理解も深まると思い、このクラスのレベルは超えるかもしれませんが、ちょっと詳しく解説しました。Mさんは満足げにノートを取っていました。

その反対がSさんとOさんです。読解のテキストに付いている問題の答えをわざわざ板書したのに、問題の番号まで明示しているのに、“わかった、わかった”とばかりにニコニコしているだけで、全く写そうとしません。こういう学生は、間違いなく成績が悪いです。初日にして、要注意人物リストの筆頭に太字で記録されてしまいました。

テストの採点をすると、SさんとOさんはかろうじて合格点、Mさんはクラスで一番の成績でした。SさんとOさんは1つ上のレベルに進級できるよう指導していかなければなりません。今後の動向によっては、進級させないという厳しい判断も下さなければならないかもしれません。Mさんは、上手に育てて、上級クラスで再び見える日を楽しみに待つことにします。今学期は、種まきです。

いい迷惑

1月31日(木)

このところ休んでいたMさんが久しぶりに来ました。Mさんは先学期も出席率が悪く、担任のK先生に「次の学期は絶対に休まない」と約束した上で今学期を迎えました。しかし、1月の出席率は50%そこそこで、クラスで最低でした。欠席はいずれも無断欠席で、こちらからの電話にも出ませんでした。

理由を聞いてもはかばかしい答えは返ってきません。K先生との約束で、体調が悪かったら病院へ行くと言っていますから、病院へ行っていない以上、風邪などという言い訳もできません。どうせズル休みなのでしょう。「これから頑張ります」というMさんに対し、「じゃあ、K先生との約束はどうなるんですか。最初から破るつもりで約束したんですか」と迫ると、押し黙ってしまいました。

Mさんは先学期中に進学先が決まりました。だから気が緩んで休みがちになったのかもしれません。しかし、こんな出席率では、進学してからビザが出るかどうかはなはだ怪しいところです。ビザがもらえなかったら帰国せざるを得ませんが、そうなってもしかたがない状況です。こちらからの電話にすら応じなかったというか、あえて無視していたのでしょうから、確信犯です。帰国を余儀なくされたとしても、自業自得です。普段は義理を欠いていながら、困った時だけ学校を頼るようなことはしてほしくありません。

作文の採点をするはずだった1時間を、Mさんの説教に費やさせられてしまいました(これは使役受身、迷惑の受身です)。もちろんMさんのような学生ばかりではありませんが、こういう学生は手間がかかるので印象が強いのです。午後からは、なんとなく重苦しい半日になってしまいました。

神様を生む

1月8日(火)

「留学生って、すごいんですね」――何がどうすごいんだと思いますか。養成講座の文法で日本語の動詞の話をしたら、養成講座の受講生のみなさんが異口同音にこんな感想を漏らしました。

普通の日本人は、動詞の種類とか活用形とか意識しません。意識しなくても使い方を間違えることはないのですが、五段動詞か一段動詞かとか、活用形を導き出すルールとかを問われると、すぐには答えられません。授業見学でそういうのをすらすら答えたり、あっという間に活用形を作り出したりする留学生を見ていたので、「留学生はすごい」という感想になったのです。

日本語の動詞は、英語やフランス語やドイツ語などの動詞に比べたら活用の規則性が高いです。しかし、活用形を作るルールは厳然と存在し、日本語学習者はそれを覚えて瞬時に使いこなさなければなりません。その日本語学習者に日本語を教える日本語教師は、そのルールについて精通し、少ないとはいえ存在する例外も落とすことなく教えていかねばなりません。

感心したりつまずいたりで、動詞の話は1回では終わりませんでした。これも想定内のことです。でも次回は自動詞、他動詞、瞬間動詞、継続動詞、状態動詞、第4の動詞、変化動詞、動作動詞など、今回以上の山場が待ち受けています。そのまた次は助詞ですから、さらにもっと大発見とその反動の大混乱があるでしょう。それを通り抜けた頃には、留学生は神様になっているかもしれません。

日本語教師は、その神様を育て上げる職業です。聖職者であってもおかしくないのですが、神様の受験指導をしていると、泥臭い聖職者だと思わずにはいられません。

準備

1月5日(土)

来週から養成講座が始まります。私の担当は文法で、前期まで使ってきたレジュメもありますから、特に準備をする必要はありません。でも、同じ講義の繰り返しでは進歩がないので、そのレジュメに少し手を加えることにしました。そう思って、去年のうちから資料を集めたり個人的に研究を進めたりもしてきました。さらに、講義の際に出てきた質問や学生の誤用や養成講座の教室でひらめいて私がしゃべったことなども、適宜取り込むことにしました。

私のレジュメは、全てを網羅するというよりは、文法を考えるヒントとして使うことを目指しています。普通の日本人が、日本語教師というちょっと変な日本人になるためには、自分の使っている日本語をこんな目で見る必要があるんですよっていう、考え方の見本みたいなつもりで作っています。もちろん、日本語教育能力検定試験は意識していますが、それだけに狙いを定めているわけではありません。

私は文法や言葉の意味をねちこち考えるのが好きですから、養成講座の文法なら今の倍ぐらいの授業時間をいただいても喜んでやっちゃいます。そのために文献を漁ったり用例を探したりという過程にも魅力を感じます。でも、新学期が始まったらやはり通常授業に力を入れざるを得ませんから、こうして養成講座に時間を割けるのも今のうちだけです。

今の受講生の皆さんは、やる気も能力もお持ちの方々ですから、それに堪える講義をしていく義務があります。義務というと苦役のように響きますが、私にとっては楽しみな時間がもうすぐ始まります。

もう一度

12月18日(火)

先週から私が担当している上級クラスで実習してきた養成講座のKさんが、教壇実習で読解の授業をしました。授業の最初に「初めて教壇に立ち、緊張で膝ががくがく震えています」と言っていました。そういえば、私も教師なりたてのころは心臓がドキドキしたりのどがからからに渇いたりしたものだと思い出しました。もう、久しくそんな感覚とは縁が切れています。

昨日まで毎日のように教案を書いてきて私が手を入れるというやり取りをしてきました。今朝、最新版をいただき、Kさんはそれに沿って授業を進めます。私は教案の各項目に実施時刻を書き入れます。Kさんは、最初のところで予定をオーバーしてしまい、最後のほうをはしょわざるをえなくなってしまいました。Kさんの偉いところは、はしょったにせよ、予定時間内に授業を終わらせたところです。時計が一切目に入らず、長時間の大演説をしてしまう実習生を今まで大勢見てきました。そういう方々に比べれば、この点だけでも評価に値します。

授業後、Kさんに聞いてみると、「もう一度同じところの授業をしてみたい」と、開口一番感想が出てきました。自分で自分の教案の不備に気付き、自分のパフォーマンスの不足を感じ、そこを直して再挑戦したいというのです。その意気やよしといったところでしょうか。教案の通りに進める難しさ、教案の通りに進めても押し寄せる未達成感、こういったことを乗り越えた先に本職の日本語教師があります。

私だって、毎日予定とは違った授業をし、ああすればよかった、これはするんじゃなかったなどと思いながら職員室に戻ります。でも、Kさんとは違って「予の辞書に“反省”という文字はない」とばかりに、すぐに忘れてしまいます。Kさんは伸び盛りですから、しっかり反省して次の実習に臨んでもらいたいです。