Category Archives: 教師

早くも…

7月18日(火)

学期が始まって10日余り、授業日で8日目ですが、レベル1でも、クラス内で早くも差がつきつつあります。MさんやJさん、Yさんは目立たないながらも必死に食いついていこうという意欲が感じられ、よくできるとは言いかねますが、授業内容は理解しているようです。一方、CさんやHさんは、危険水域に紛れ込んでいます。

Mさん、Jさん、Yさんたちは、私の説明や板書を母語に直してメモしています。顔つきも明るく、明らかに線がつながっている様子です。毎日かなりの時間を予復習に投入しているようですが、その甲斐あって着実に力をつけてきています。日々、わかること、日本語で表現できることが増えて、手ごたえを感じていることでしょう。

Hさんは、まず、欠席が多いです。出席しても眠そうにしています。今学期は2回目のレベル1ですから楽勝だと思っているのかもしれませんが、すでに貯金はほとんどありません。話せないことが最大の問題点です。休んでいるうちに新入生にどんどん抜かれていきます。Cさんはいまだにひらがなカタカナが覚えられません。ですから、ディクテーションは全滅です。ただし、ローマ字を見る限り、音が全然聞き取れないわけではないようです。発達障害か何かを疑ったのですが、そうでもなさそうです。

Mさん、Jさん、Yさんたちは、お友達のEさんを見習って、積極的に口を開くようになれば、どんどん伸びていくでしょう。教師は、挫折しないように支えていくことを念頭に置いて引っ張っていけばいいでしょう。

Hさんは、勉強嫌いだとしたら、困りものです。遊び癖がついてしまったとすると、復活させるのはかなりの難事業です。Cさんには、字を覚えてもらわなければなりません。そうでないと、テストで点数が付きません。

クラスの学生の顔と名前が一致してきましたが、それと同時に課題も湧き上がってきました。

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上から下まで

7月11日(火)

午前中は、N先生の代講で最上級クラスに入りました。私の上級クラスを担当していますが、そのクラスよりも2段階か3段階ぐらい上のレベルです。教科書もスラスラ読めるし、出てくる質問も鋭いし、だからそれに答える私の日本語もかなり高度なのですがそれを一発で理解してしまうし、私のクラスでは絶対にありえない光景が繰り広げられました。日本人に話すのと全く同じ調子で話しても、何ら不都合を感じませんでした。

Lさんは、新入生ですがこのクラスに入りました。もちろん、国でかなり勉強してきました。そのLさんが、授業後に、新宿区で運営している会話クラブに参加したいがどうすればいいかと聞いてきました。はっきり言って、初対面の私にいきなりこんなことを質問する度胸があれば、会話クラブなどに通う必要はありません。通ったら、先生になれるでしょう。日本人の指導員から通訳を頼まれるのではないでしょうか。そういう積極性、問題を解決しようという意志、常に上を見る姿勢などがあればこそ、Lさんの日本語力が培われたのに違いありません。

午後は、レベル1でした。「これは誰の本ですか」などという練習をしました。これはこれで面白いものです。理解力は最上級クラスですが、教師から何でも吸収しようという意欲はレベル1です。それに応えようとすると、自然に声もアクションも大きくなります。省エネ授業などできません。それゆえ、疲れる度合いは最上級クラスの5倍ぐらいになるでしょうか。でも、その疲れ方はスポーツに似ていて、さわやかさを伴います。

このレベル1の学生の中から、最上級クラスまで上り詰める学生が現れるでしょうか。その姿を見てみたいものです。

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AIと教師

7月4日(火)

文部科学省が、小中高校の作文などの創作活動で生成AIを使用するのは不適切だという指針を発表しました。使いこなすことの重要性にも触れつつ、小中高校では自分の頭で考えることを優先する姿勢を示しています。同時に、情報モラル教育を推し進める必要性も訴えています。

当然ですね。AIに考えてもらって原稿用紙に書くのだけ自分でするなんて、剽窃と言われてもしかたがありません。それが高じると、読みもしないのに「東野圭吾の『放課後』の感想文」などと入力して、感想文だけ“書いて”しまうなどということすらやる子供が現れてくるかもしれません。

しかし、よく考えたら、今までも夏休みの宿題に親が手を入れることがありましたよね。親の代わりにAIが手助けをしたと考えれば、AIに頼るのだけ禁じるのは不公平だと言えないこともありません。宿題には、親も絶対に手出しをしてはいけないということになっていくのでしょうか。

そこまで言うのなら、私たちだって危ないです。今まで何人の学生の志望理由書を書き換えてきたでしょう。志望校と志望学部学科、日本留学に至るまでの学生の生い立ち・心の動き、進学してから、そして卒業してからの構想、そういったことを聞き取って、根本的に書き直したこともありました。それほどではなくても、志望理由書のサンプルを示してこういう書き方をしろという指導は、今年もすでにしています。

こういうのって、AIが作文を書くのと大して変わりませんよね。ということは、この仕事はAIに代替可能だということでしょう。各大学に合わせた志望理由書が書けるレベルまでAIを鍛えるのに時間と労力を要するかもしれませんが、できない話ではなさそうです。

いや、それよりも先に、志願者本人が書いた文章かどうか判定するAIの方が先に開発されるような気もします。狐と狸の化かし合いみたいなことは、したくないものです。

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平均すると同じだけど

6月22日(木)

先週実施した上級の実力テストの結果を分析してみました。クラス平均を出すと、上のレベルのクラスから下のレベルのクラスまで、下克上が起こらずきれいに並びました。レベル感の差がいくらか不均等なのが気になりましたが、順当な結果です。

ところが、平均点がほとんど同じクラスのヒストグラムを比較すると、全然違っていました。ピークの位置が、Aクラスは40点台、Bクラスは60点台、Cクラスは50点台なのですが、ピーク前後のすそ野の広がり方でうまく調節ができてしまったみたいで、平均点はいずれのクラスも50点台で、さほど違いませんでした。標準偏差を求めると、Cクラスが幾分小さい程度で、これまた大差はありませんでした。

DクラスとEクラスは、平均点はEクラスのほうが3点弱高いです。しかし、ヒストグラムにすると、Dクラスのピークは80点台、Eクラスのピークは70点台でした。ところが、Eクラスの最低点は50点台なのに対し、Dクラスには40点台、30点台もいました。この学生たちが足を引っ張って、Dクラスの平均点はEクラスを下回ったのです。集団内のばらつき度合いを表す標準偏差は、Dクラスのほうが5点ほど高いです。平均点だけ出して満足していてはいけないんですね。

さて、これと期末テストの結果も踏まえて、7月期のクラス編成をしなければなりません。点数順に輪切りにしてしまえれば楽なのですが、進路指導をはじめ、他の要素も考慮しなければなりません。クラス授業だと、教師としては、リーダー的な学生が1人は欲しいです。学生間の相性もありますしね。頭が痛い季節が来ました。

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1対1

5月31日(水)

読解の授業をしている最中、ちょうど10時にHさんが教室に入ってきました。遅刻の理由を聞くと腹が立つに決まっていますから、授業に支障を来さないように、そのまま空いている席に座らせました。その後、授業終了まで、Hさんはごく普通に授業を受けました。

遅刻の理由を尋ねなかったのは、腹が立つからだけではありません。実は、授業後にHさんの面接をすることになっていたので、その時にじっくり聞けばいいと思ったからです。

中間テストの結果を見ながらの面接ですが、Hさんはその結果が全科目不合格と、悲惨を極めています。その中の文法を、教科書やノートを見て間違えたところを直しなさいと指示を出しました。普段の授業態度からするといい加減に直すのではないかと思っていたら、教科書をあちこちめくりながら真剣に取り組んでいました。

しばらく経ってHさんの直した答えを見ると、だいたい合っていましたが、一部はどう直していいかわからないようでした。そういう問題について、ヒントになる教科書のページを示すと、それをもとに自分で答えを書いていきました。それでもわからないところは、私が解説を加えました。

クラス授業ではあまりやる気を見せないHさんが、1対1だと非常に真剣になり、どんどん質問するほど積極的になりました。Hさんの別の一面を見た気がしました。クラス20人の中の1人ではやる気が起きないけど、教師を独り占めできるのなら勉強の意欲が湧いてくるのでしょうか。

それは結構なことですが、毎日Hさんのためだけにこういう授業をするわけにはいきません。もしかすると、Sさん、Yさん、Cさんなど、成績が振るわない学生たちはみんなそうなのでしょうか。この学生たちを全員救おうと思ったら、教師は体がいくつあっても足りません。

1対1の指導なら、教師の言葉を自分事ととらえられるものの、20人のクラス授業では、それが他人事に聞こえているに違いありません。そうでなかったら、勉強に関する注意がこんなにも学生に響かないことはありません。私が受け持っているもう1つのクラスでも同じような空気を感じます。

さて、Hさんの遅刻の理由ですが、目を覚ましたら天井にゴキブリがいるのを見つけ、それを退治するのに時間がかかったからだそうです。やっぱり聞くんじゃありませんでした。

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教師の勉強

5月25日(木)

1時間の授業をするためには3時間の準備が必要だ――20年以上も前、私が日本語教師養成講座の受講生だった時、講師の先生がおっしゃっていました。駆け出しのころは、そのぐらい準備に時間をかけていたと思います。しかし、今はそこまで時間をかけません。いや、“かけません”と“かけられません”の中間ぐらいでしょうか。仕事が立て込んでいて、即興に近い形で授業をすることさえあります。そんなことでは学生に対して失礼だろうと思いながら、若干の罪悪感を抱きつつ、でも平気な顔をして、教壇に立つこともあります。

準備が嫌いなわけではありません。本棚に並んでいる10冊以上の辞書を駆使して語句の意味を調べたり、読解テキストの参考になりそうな資料を探したり、数学や物理の問題のオーソドックスではない解法を考え出したりなどということは、何時間やっても飽きません。しかし、次から次と仕事が飛び込んできますから、そういう方面にばかり時間を割り振るわけにはいきません。

午後、読解の勉強会がありました。上級では、今学期から新しい読解の教科書を使い始めました。読解の授業のコンセプトも見直しました。そのため、授業で新しい課に入る前に、上級担当の教師が集まって、その課の取り扱い方を研究しています。

毎回、教師間で読解テキストの捉え方、視点の位置が違うものだなと感心しています。たびたび目からうろこが落ちます。そうすると、授業で新しいことに取り組んでみようかというチャレンジ精神が湧き上がってきます。年寄りには刺激が必要なのです。

この勉強会も授業準備だとしたら、いくらかは3時間に近づいたでしょうか。

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手堅く

5月19日(金)

日本留学を考えている外国人に日本のどこに留学したいかと聞いたら、多くの人は東京と答えるでしょう。では、2番目に人気を集めるのはどこでしょう。たぶん京都ではないかと思います。観光するなら北海道や沖縄が2位になるかもしれませんが、勉強するとなると、京都が強いのではないかと思います。

その京都の大学・専門学校の進学説明会がありました。説明会は、東京の日本語学校向けにオンラインで行われました。数年前から毎年このくらいの時期に開催されるのですが、2位は堅いのではないかと思われる京都が官民を挙げて留学生を集めようとする姿に、参加するたびに感心させられます。世界遺産の街、観光の街であるのと同時に、大学の街、学問の街でもあり続けたいのでしょう。留学生を集めるということは、国際都市の一側面もさらに強化したいと思っているに違いありません。

大阪、名古屋、札幌、福岡といった大都市と比べると、やっぱり京都には学問の街というイメージを強く感じます。これは日本人だれしも感じることだと思います。しかし、京都はそれにあぐらをかかず、果敢に攻めます。東京では味わえない青春が送れると訴えます。将を射んと欲すればまず馬を射よとばかりに、日本語学校の教師に攻勢をかけます。私はそういう京都に脱帽します。

本当は、遅くとも30年前、バブルがはじけた直後あたりから、日本国がこういうことをしなければいけなかったと思います。強みをさらに強くする手を打って、例えば半導体で確固たる地位を築いていれば、現今のような閉塞感には襲われなかったのではないでしょうか。人口減で社会が縮む一方という漠然とした不安も、こんなに色濃く漂うようなこともなかったと思います。

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人は第一印象?

4月10日(月)

やっぱり、学期の最初の授業、しかも顔見知りの少ないクラスとなると、緊張するものです。4月期は、顔見知りの大半が卒業してしまっているので、毎年緊張もひとしおです。

月曜日のクラスには、先学期数学や理科を教えた学生が3人います。もう1人、2か月ほど前に説教をした学生もいます。それから、卒業式の演劇部の発表で一緒に練習した仲の学生が1人。顔を知っている学生は5人いましたが、親しく話をしたことがあるのは2人だけです。他の学生たちは、ほぼ初顔合わせです。また、顔を知っているとか、話をしたことがあるとか言っても、日本語力まではわかりません。授業の時に戦力になるかどうかは、全くの未知数です。ですから、全員に対してお手並み拝見というのが、最初の授業です。

学期はじめは自己紹介タイムがありますから、これが各学生の日本語力を推し量るのに役に立ちます。全員のを聞いて、これはと思えたのは、Tさん、Nさん、Cさん、Sさんなど、クラスの半分弱。ちょっとひどいなと思ったのは、Jさん、Zさん、Pさんあたりでしょうか。授業中に書いてもらった例文を見ても、Tさんたちは、間違っているにしても意欲的ですが、Jさんたちは教科書の例文をちょっといじってお茶を濁したという感じです。

初回の授業で、つまりは第一印象でクラスの学生を判断してはいけません。でも、クラスの授業を形作っていくうえでは、そういう情報も必要です。もちろん、この第一印象が学期の最後まで変わらないというわけではありません。「第一印象は悪かったけど…」という学生もいれば、竜頭蛇尾的な学生もいます。

教師の方だってそうですよね。第一印象が「いい先生」でも、だんだん評価が下がっていったのでは、信頼関係は築けません。このクラス、3か月後はどうなっているでしょうか。

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変じゃないよ

3月15日(水)

昨日、O先生からAさんの様子がおかしいというメールが入りました。Aさんは水曜日の受験講座数学を受講しています。担任の先生とは違う角度からAさんを観察してみようと思いました。

教室に入ると、Aさんはいつもの席に座っていました。定刻に授業を始めると、最初のうちは下を向いていました。やっぱり何かあるのかなと思っていましたが、練習問題を配るといつものように熱心に取り組み始めました。そしてその問題の解説を始めると、顔を上げてホワイトボードとモニター画面に集中するようになりました。うなずいたり自分の答えと見比べたり、いつものAさんに戻っていました。

その後も、後ろの席に座っていたYさんに聞かれた問題を教えたり、図を描きながら問題に取り組んだりと、前向きな姿勢で授業に参加していました。私が配る練習問題は後ろのページに答えがつけてありますが、それに頼らず自力で解こうと真剣に取り組んでいました。

授業が終わると、しばらく友だちと軽口をたたき合った後、「さようなら」と明るい声であいさつをして帰っていきました。これなら心配はないと思いました。

受験講座では、日本語のクラス授業とは違った一面を見せる学生がけっこういます。よく回らない口で果敢に質問してくる学生や、顔をゆがめながら課題に取り組む学生や、逆に日本語の授業とは打って変わっておとなしくなってしまう学生や、本当に色とりどりです。

クラブ活動は、おそらく受験講座以上に通常クラスとは違う学生の顔が見られることでしょう。学生を多角的、多面的に見ていくことが、学生を伸ばす一助となると思っています。

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受かっても頭が痛い

12月16日(金)

RさんはT大学の大学院に受かりました。はっきり言って、日本語がよくできる学生ではありませんから、担当教師一同、合格を危ぶんでいました。もし落ちていたら、地獄の日々を歩む羽目に陥っていたかもしれません。きっと、研究計画書が素晴らしかったのでしょう。

さて、そのRさんのクラスでディクテーションをしましたが、Rさんはペンが動きません。他の学生は、間違いはあっても何か書いていましたが、Rさんは番号しか書けませんでした。続いて内容把握の聴解問題をしましたが、こちらもさっぱりでした。

T大学の大学院は、決していい加減な大学院ではありません。きちんとした学生選抜をしているはずです。でも、Rさんの聴解のできなさ加減を見ていると、進学後、授業についていけるだろうか、教授をはじめ研究室の人たちとディスカッションができるのだろうかと、心配にならずにはいられません。

今までのRさんを見ると、選択肢の問題はどうにか点を取ります。しかし、聞いたことを文字にするとか読んだ内容を要約するとかとなると、神通力が薄れてしまいます。だから、大学院でやっていけるだろうかと懸念を抱いてしまうのです。大学院で必要な日本語力は、どう考えても4択問題の解き方ではありませんから。

そうはいっても、合格した限りは最低2年間、講義を聞いたりレポートを書いたり、周りの方たちと議論を戦わせたり、研究計画によってはフィールドワークをしたりしていきます。卒業式まで残り3か月ほどですが、少しでもそういった研究生活にたえられる日本語力をつけていってもらいたいです。

落ちたらもちろん、受かっても心配、因果な商売です。

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