Category Archives: 学校

終わったけど始まる

4月13日(月)

養成講座の一連の講義が終わりました。初めてのオンライン授業で、手探りのことばかりでしたから、受講生のみなさんには、至らぬところが多々あったことと思います。質問タイムを意識して多く設けましたが、本当に足りていたでしょうか。質問が結構出てきたということは、わりと物を言いやすい雰囲気で授業を進められたのではないかと、勝手に想像しています。

今回のみなさんは、指名するとなにがしか答えてくれます。これは無理だろうなという問題は、「わかりません」もたまにはありましたが、何か答えようという姿勢を感じました。その答えも、とんでもなく的外れなものはなく、日本語文法に対するセンスも標準以上ではないかと思いました。

だからこそ、対面で授業をしたかったです。そうすれば、質疑応答が活発にでき、そこから議論が広がり、伸ばせるところはさらにもっと高い地点まで伸ばせたんじゃないかなあ。そういう授業は、教えている方も確かな手ごたえが感じられて、気持ちが乗ってくるんですよね。そうなると、頭がどんどん回転して、受講生に伝えられる内容も深くなるものです。これを、どこかで補いたいと思っています。

オンライン授業をしていて気づいたことが1つ。目の前に受講生がいる時よりも大きな声でしゃべっているのです。パソコンのマイクの性能から考えれば大声を張り上げる必要など全くないのですが、気が付くとレベル1の教室にいるかのごとく、お腹に力を入れて声を出しています。だから、授業が終わると思いのほか疲れます。慣れてくれば省エネ授業もできるようになるのでしょうね。

明日から、オンラインで在学生向けの授業が始まります。

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命を守る行動

4月11日(土)

外出自粛を呼び掛けている小池さんや安倍さんには申し訳ないのですが、来週の授業の資料作りのために出勤しました。学校にある資料や学生の個人情報を扱うので、家ではできないのです。私のほかに学校へ来たのは、やはり週明けすぐの仕事がかかっているS先生だけでした。

2人とも黙々と机に向かうだけでしたから、話し声も聞こえず、別の用事を持ちかけられることもなく、かかってきた電話も2本だけで、仕事ははかどりました。そういう面ではストレスを感じませんでしたが、窓の外の雲一つない青空が目に入ると、どうして仕事なんだろうと思ってしまいます。でも、仕事に来なかったら、家の窓から空を眺めてどうしてどこへも行けないんだろうと思ったことでしょう。そっちの方が、ストレスを感じたかもしれません。

食事も学校の中で済ませてしまいましたから、自宅待機とあんまり変わりがないような気もします。ネットのニュースを見ると、新宿を始めどこもかしこも人通りはまばらだそうです。今までの土曜日なら、仕事帰りに紀伊国屋によって本を物色するところですが、その紀伊国屋は今週から土日がお休みですから、それすらできません。したがって、人のいない新宿を味わうことなく帰宅することになるでしょう。

去年、台風が襲ってきた際に、「命を守る行動を」とアナウンサーが何回も視聴者に呼びかけました。その時は、1日か2日、“命を守る行動”を取れば命の危機を脱することができました。でも、今年は、当分の間、四六時中“命を守る行動”を意識し続けなければなりません。明日になれば、明後日には必ず過ぎ去るものと、しばらく居座るものとの違いと言ってもいいです。

お天気は下り坂みたいですから、明日は巣篭りかな。

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新人

4月7日(火)

新しい事務職員が入りました。Kさんがほぼ付きっ切りで仕事を教えています。大学を卒業したばかりだそうですから、KCPの学生と年齢は変わりません。先週から始まった日本語教師養成講座の受講生の中にも同じ年頃の方がいます。私から見ると、子ども未満、孫以上の年齢です。

私が新入社員だったのは、今から35年前です。事務系、技術系の新入社員200名ほどが合宿形式で新入社員教育を受けました。周りのみんながライバルでしたが、同時にお互い支え合う仲間意識も芽生えていきました。背伸びしたり素直に尊敬したり、手を差し伸べたり背中を押してもらったり、こいつとは生涯付き合おうと思ったりこいつの顔はこの教育が終わったら二度と見たくないと思ったり、今思うと、それが切磋琢磨だったのでしょうか。

そういう観点からすると、1人だけというのは、気楽なのかな、心細いのかな。KCPのような小さな組織は、OJTにならざるをえず、新人でもどんどん仕事が回されてくることでしょう。泥臭い仕事ばかりで、夢と現実のギャップを感じることだってあるかもしれません。そんな時は、短期的な目でお先真っ暗だと思うのではなく、長期的なビジョンを頭に描いて自分なりに前進していってもらいたいです。自分のすぐそばには同期がいないかもしれませんが、今はSNSでも何でも、以前の友達とつながる手段はいくらでもあります。

さて、緊急事態宣言が出されました。諸外国ほどの強制力はないものの、指定された地域の住民に与える精神的プレッシャーはかなりのものでしょう。そんな日に社会人の第一歩を踏み出したということは、きっと一生忘れないでしょう。

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久しぶり

4月3日(金)

GさんとHさんが卒業証書を取りに来ました。いや、ビザ申請に係る書類を受け取りに来たついでに、卒業証書ももらっていったと言うべきでしょうか。

私は、2人が入学した学期にレベル1で受け持ちました。Gさんはいつもニコニコしていましたが全然話せず、Hさんは話そうとするのですが言葉が出てこずもどかしそうな顔をしていたのをよく覚えています。必ずしも順調とは言いかねる道のりでしたが、どうにかこうにか進学にこぎつけました。

2人は国にいた時からカップルのようでした。教室で毎日並んで座っていたのであれこれ調べてみたら、そういうことがわかりました。仲がいいのは結構なことですが、GさんとHさんの場合は悪い意味で協力し合ってしまい、日本語に浸りに来たはずが、常に国の言葉で思考回路が作動していました。ですから、次の学期からは、絶対同じクラスにしてはいけない学生リストに載ってしまいました。

クラスは違っても休み時間など2人で話しているのをよく見かけました。私が通りかかると、話を途中でやめて、律義に挨拶してくれました。根は透き通っているんだろうなと思っていました。でも、進路については、私の手を離れてからのクラスの先生方とだいぶ衝突したようです。「GさんとHさん、金原先生のクラスだったんですか。全くもう、どういう指導をしてきたんですか」などと愚痴をこぼされたこともありました。でも、誰よりきつかったのは、Gさん、Hさん自身だったに違いありません。

「授業は20日から始まる予定ですが、始まらないかもしれませんね」と、レベル1の時からは想像もつかないような会話ができるようになったGさん、Hさん。私が受け持った時に抱いていた希望とは違った形での進学かもしれませんが、新しく描き直した夢に向かって歩み始めてください。

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要急な仕事

4月1日(水)

「不要不急の外出は自粛すること」となって以来、繁華街は人通りがめっきり少なくなり、観光地はどこもかしこもがらがらで、新幹線や飛行機は減便が相次いでいます。テレワークがにわかに広がりだし、また、学校が休みになり、朝夕のラッシュが緩和されました。もっとも、私は朝に関しては超時差通勤をしてきましたから、もともとさほどの混雑を感じていませんでした。ただ、退勤時は人が少ないなあと感じることが多くなりました。

こうしてみると、私たちの生活は“不要不急”で成り立っていたことがよくわかります。不要不急が消えたら、とたんに景気が悪くなり、経営が行き詰まったお店や会社がたくさん出てきました。雇止めや内定取り消しとなった方も多数に上っています。昔は「一時帰休」という言葉をよく耳にしましたが、今はそんな段階はすっ飛ばして、すぐ解雇なのでしょうか。

日本に限らず、世界中が、要であり急な事柄だけでは成り立たなくなっており、不要不急があって初めて77億人とかという世界人口が賄われていたのです。精神的な充足感とか、宗教心とか、人間がよりよく生存するための部分が今回の騒動で侵されているのです。芸術や文化など、生物学的個体としてのヒトには必要不可欠とは言えない部分を削らざるを得ない状況に、我々人類は置かれています。

日本語学校もその1つでしょう。不安を感じつつ無理して日本留学するくらいなら、第一志望とは多少違っても、母国で進学した方が落ち着いて勉強できると考える人が増えても不思議ありません。世界各国が半鎖国状態に陥ってしまった今、新しい学生は入って来られません。それゆえ、在校生をいかに大切に育てていくか、これが私たちに課せられた使命です。

昨日心配した鹿児島の桜ですが、4月に入ってやっと咲きました。

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終わったけど、課題が山積

3月27日(金)

ようやく、長い学期が終わりました。どうにか期末テストの日までたどり着きました。

1月の始業日、マスクをしている学生が多いのにちょっと違和感を覚えましたが、今から思えば、そんなの序の口でした。バス旅行も卒業式もあっという間に濁流に押し流され、中間テスト後は教室で授業をすることすらできず、オンライン授業となりました。

初級は、別の目的で作っていた資料を転用することでオンライン授業にもかなり対応していたようですが、私が受け持っていた超級は、準備不足が否めませんでした。対面授業を前提とした教材ばかりで、それをオンライン向けにアレンジするのが一苦労でした。でも、著作権などの関係で使うことができない教材も多々あり、そういう心配のない教材を見つけ出すのに骨が折れました。

顔の見えない学生の興味を引き付けることも、大きな課題でした。私の授業のスタイルが、学生との掛け合いが大きな要素になっていますから、顔が見えないと調子が出ないのです。授業が上滑りしているようで、とても不安でした。学生の理解度が推し量れないことも、不安に輪をかけました。慣れてくればオンライン授業の要領もつかめ、授業の進行の計算も立つようになり、少しは穏やかな気持ちで授業ができるようになるのでしょう。

4月期がどういう形で始められるか不透明な面もありますが、オンライン授業開始以降中止の形になっている受験講座もどうにかしなければなりません。今のところ、EJUは予定通り行われるようですから、それに向けて学生た日を鍛えていけねばなりません。来週から、その作戦を練る日々が続きそうです。

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時間を守る

3月23日(月)

先週の月曜日から卒業証書を渡しています。今年は大勢が一時に集まらないように、予約制にしています。卒業生には、担任教師にメールで証書を受け取りに行く時間を連絡するように伝えてあります。1週間やってみて、しっかりしている学生とだらしない学生の差が歴然としていることに、たいそう驚かされています。

例えば、Aさんたちは仲のいい5人一緒に証書をもらいたいとのことでしたが、約束の時間より早く学校へ来て待っていたのはAさん。だいぶ経ってから来たのがBさんとCさん。待たされていたAさんが気の毒になり、教師側がいらいらし始めてから悠然と現れたのが、DさんとEさん。Aさんは皆勤賞、BさんCさんはまあまあの出席率、DさんEさんは…。進学してからが心配です。

Fさんは2度時間変更しました。約束した時間が都合悪くなったから変えてほしいと連絡してきたことは立派ですが、2度もとなると、時間管理の仕方が甘いんじゃないかな。でも、Gさんに至っては、1度目はすっぽかし、2度目は約束し直した時間に遅れて、私が別の仕事でいないときに現れ、証書がもらえずじまいでした。Gさんらしいと言ってしまえばそれまでですが、こんなに時間にルーズでは、困ったものです。

結構多いのが、約束していないのに突然もらいに来るパターンです。気が向いたから来たでもかまいませんが、時間を連絡しろと言われているのですから、せめて30分ぐらい前には電話でもメールでも、今から行くと連絡するのが礼儀じゃないでしょうか。

約束の時間に遅れる学生と、アポなしでやってくる学生に備えて、私は1日中職員室にいます。おかげで、先週からずっと、お昼抜きです。今朝も、普通の朝食+カップ麺1個で食いだめをしてきました。それでも、この時間(もうすぐ午後7時)になると、お腹が鳴りそうです。

明日も明後日も、パラパラと学生が来ます。空いている時間帯もありますが、結局埋まっちゃうんでしょうね。でも、多くの学生とは、これが顔を合わせる最後の機会になります。空腹感ぐらい、我慢しなきゃ。

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手作り感満載

3月13日(金)

今年は大勢が一堂に会するのは具合が悪いということで、卒業式を中止しました。でも、証書はぜひ学生に渡したいので、学生の都合のいい時間帯に学校まで足を運んでもらうことにしました。本当は来週の月曜日からと考えていたのですが、Eさん、Kさん、Fさん、Cさんが、午後、受け取りに来ました。

みんな、東京を離れる学生たちです。Kさんは明日出発だと言っていました。毎年、卒業式の直後に引越しをする学生がいましたから、そんなに珍しい話ではありません。でも、今年は卒業生を一斉に見送ることができず、個別に送り出すことになり、卒業生の個別な事情がより明確になり、それが別れの寂しさを強調しているような気がします。

そして、入学式やオリエンテーションが中止になったと言っていました。授業が予定通りに始まるかも、予断を許さない状況のようです。こればかりはいかんともしがたいものがあります。一抹の不安を抱えての門出となりそうですが、そんなことには負けないぞという強い意志を目の奥に宿らせていました。

ばらばらに卒業生が来るおかげで、教職員が卒業生に直接話し掛けるチャンスはいつもの年よりずっと多くなりました。四谷区民センターの雑踏に紛れてフェードアウトというのではなく、きちんと挨拶できます。Cさんのように、レベル1で入って超級まで上り詰めた学生は、関わった先生も多く、思い出話に花を咲かせていました。

私は例年のような“証書渡しマシーン”に化することなく、一人一人に文面を読み上げて手渡し、記念写真に納まりました。式こそできませんでしたが、それに勝るとも劣らぬ別れの場を設けることができました。災い転じて福となすとまではいかないでしょうが、少しは失点を挽回できたかなと思っています。

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中止

3月11日(火)

明日は年間計画上の卒業式の日でしたが、中止になってしまったため、でも何もしないわけにはいきませんから、校長挨拶を動画で卒業生に見てもらうことにしました。例年なら、証書を渡しながら感じたことや渡し終えた会場の雰囲気を味わいながら、挨拶の言葉を述べるのですが、今年はそういうわけにはいきません。それゆえ原稿を書いたのですが、それを読んでしまうと、なんだか不自然な挨拶になってしまいました。

でも、撮り直してもいつものノリで卒業生に話し掛けられるとは思えないので、若干不満は残りますが、そのまま流してもらうことにしました。撮影してもらっている最中、何となく入学式の挨拶みたいだなあという感覚が消え去りませんでした。卒業生の目には、どう映るのでしょうか。

センバツが中止になってしまいました。戦争の時以来だとのことですから。今回のコロナ騒ぎがいかに大きなものかわかります。全世界で10万人以上の方が罹患して4000人以上が亡くなっているのですから、歴史的な災禍と言っていいでしょう。そこまで考えると、日本はよく踏ん張っている方だとも思います。もちろん、この先はまだまだ予断は許しません。今は、安倍首相が言うような瀬戸際というより土俵際、それも徳俵でどうにか持ちこたえている感じです。

それを思えば、KCPの卒業式が吹っ飛んでも、私が多少不細工な挨拶をサイトにのっけても、良しとしなければなりません。世界の全人民が力を合わせないと、コロナウィルスに席捲されてしまいます。私も、卒業生を送り出した後の今度の土曜日はせいぜいゆっくり休ませてもらい、体をいたわっておこうと思っています。

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濁流に溺れる

3月7日(土)

結局、卒業式は中止のやむなきに至りました。なんだか、濁流に押し流されていくようで、無力感が漂います。個人的に言わせてもらえば、予定通りに卒業式を執り行っても、誰も発症しないでしょう。あとで振り返って、「いい卒業式だったね」っていうことになるに違いありません。しかし、万に一つ、発症者を出してしまった場合のリスクは計り知れないものがあります。私はもちろんのこと、学校全体としても、そのリスクを背負いきれません。もしかすると、その発症者の人生を左右することになるかもしれませんから。

職員室で来週の授業の準備をしていたら、KさんがE大学に合格したと報告に来てくれました。E大学は受験生をよく観察してくれる大学ですから、Kさんのような明るく前向きな性格で、日本語力もある学生には有利です。過去にもそういう学生が進学しています。勉強に偏った学生は、成績がよくても落とされています。

Kさんは、もちろん、オンライン授業には毎日参加しています。突然指名してもきちんと答えますから、出席確認の時に接続してあとは知らんぷりなどという不届きな輩とは違います。でも、友達の声は聞けても会えないから寂しいのだそうです。SさんやYさんも同じようなことを言っていました。そういう学生たちのために、何とかみんなが集う機会を設けたかったのですが、上述のような仕儀に相成りました。全国の小中学校・高校でも、同じような状況が繰り広げられていると思います。

このブログを読み返してみると、オンライン授業が決まってから、ほぼ毎日、同じような話題です。違う話もしたいのですが、こちらがあまりに大きくて重くて、どうにもなりません。

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