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第2志望

10月23日(木)

FさんがK大学に受かりました。第1志望の学科に落ちて、第2志望の学科だとは言っていましたが、声からも表情からも一安心という穏やかさと喜びが垣間見えました。確かに第1志望ではありませんが、1年生の時に本気で勉強して好成績を挙げれば転学科という目も出てくるかもしれません。また、そうしているうちに、その学科の学問に魅力を感じるようにならないとも限りません。

外国人留学生の場合、面接で志望動機や将来設計をかなり詳しく聞かれることが多いですから、必然的にそういうことについて深く考えるようになり、それゆえ、どうしても第1志望にっていう気持ちにもなります。しかし、その留学生より1つか2つ下の日本人の高校生は、大学入試の時点でそこまで厳しく追及されることはありません。だから、第2志望でもまあいいかって気持ちのところもあるでしょう。

確固たる志望動機や将来設計を持つことは大切ですが、それに縛られちゃいけません。自分が描いた絵図面以外の将来像はない、なんてことはありません。人間万事塞翁が馬ですよ。Fさんも、ゆったりと現実を受け止めたほうがいいです。目の前の事態のいい面を見つめることも必要です。

Gさんは少し遅れて進学コースに入学しました。だから、昼休みに受験講座の説明をしました。話を聞くと、数学ができないから文系に進みたいということだけは決めていましたが、そこ止まりでした。なんにも考えないで日本へ来ちゃったんだなと思いました。同時に、日本の高校生もこんなもんなんだろうなとも。

日本の高校生は大学に入ってから将来を考えても間に合いますが、留学生は大学に入る前にその部分をかたらねばなりません。Gさんをちょうど1年後の入試シーズンまでにFさん並みに鍛えることができるんだろうかって考えると、肩が重くなりました。

切りますか

10月22日(木)

Kさんは先学期末の受験講座説明会に出席し、申込用紙をもらっていました。でも、締切日までに申し込むのを忘れ、今日になって申し込んでもいいかと聞いてきました。

大学なら、履修登録締切日をすぎたら、絶対受け付けてもらえません。だから「ダメ」とはねつけることもできるのですが、ここは何かと日本語力に問題のある人たちがその問題をなくしていこうと勉強している学校ですから、そこまで冷たくしてしまうと、意欲のある学生から勉強するチャンスを奪ってしまいかねません。

かといって、学生の希望を何でも聞いていたら、かえって学生のためになりません。期日なんて守らなくても何とかなるって思うようになったら、進学や就職してからうんと痛い目に遭うことは明らかです。

こういう場合は、まず、本人の意図を確認します。Kさんは来春専門学校に入りたいといいます。とすると、受験講座じゃありません。Kさんと同期の学生たちは2017年の大学進学を目指していますから、Kさんがそういう学生向けの授業を受けても、あまりご利益はなさそうです。そういうことを踏まえて、Kさんには受験講座は受けなくてもいいというアドバイスをしました。そして、専門学校に出願したら必要となる面接の準備をしておくよう勧めました。

労働生産性って観点からすると、実に非効率な働き方です。でも、Kさんの満足げな後姿を見送ると、こういう仕事が私に与えられた仕事なんだろうなと思います。

ノートを取らせる

10月21日(水)

選択授業が始まりました。今学期は、また、身近な科学を担当します。水曜日は聴解関係の選択授業ということなので、単に私がしゃべるのではなく、ノートを取らせてそのノートを提出してもらうことにしました。大学や大学院に進学したら、教授の講義を聴いて、要点をノートしなければならないのですから、その練習です。

授業が終わって、そのノートを集め、点検してみると、まず、90分ノートを取り続けるのは大変らしく、中だるみが見られる学生が数名。パワーポイントをそのまま写そうとして失敗していたり、要点じゃないところを写していたりというのも数名。本人にはわかるのかもしれませんが、私には判読不能な地の学生が1名、初めから全くノートを取らなかったのが1名。その一方で、実にポイントを押さえたノートを取っている学生、絵入りで見た目もわかりやすくしている学生、明らかに読みやすさを意識しながらまとめている学生など、進学先でも十分にやっていけそうなノートの学生もいました。日本語力は同じぐらいなんだけど、ずいぶん差がつくものだと思いました。

きれいなノートの代表はOさん。美術系の大学進学が決まっているくらいですから、ノートにもデザイン性が感じられます。ノートの落書きも芸術的で、感心させられました。要点をとらえたノートの代表はLさん。私自身が自分の話の要点を再確認させられるくらいでした。でも、Lさんは自分の考えを作文にすることが苦手です。情報を受信する力だけでなく、発信する力もつけていってもらいたいです。

今学期の身近な科学はこんな調子でやっていきます。学生に、つまらなすぎてノートを取る気も起きなかった、なんて言われないような授業を心がけます。

倒れた???

10月20日(火)

9時10分前、午前クラスの教師たちの朝礼が始まってもE先生は姿を見せません。ゆうべ、「明日」の授業内容についてのメールを送り、それに対して10月20日という日付の入った教案を送ってきましたから、E先生が授業の日にちを忘れているとは思えません。事情を確認するためにE先生に電話をかけると、通勤途中に倒れて駅の救護室に運ばれていたことがわかりました。

午後クラスの先生に大急ぎで代講を頼みました。前半は漢字のプリントなどがありましたが、後半はE先生が独自の資料で授業をすることになっていましたから、どうにもなりません。これまた周りの先生からすぐ出てくる教材を借りて、急場をしのぎました。後刻E先生から送られてきた資料を見ると、私がお願いした授業内容を見事に反映した資料で、もしかするとこれを作るために寝不足になり、倒れてしまったのではと思えるほどの内容でした。

E先生は私の半分にも満たない年齢で、少なくとも見た目には不健康そうではありません。こういうふうに、若くてパワーがありそうな人が倒れたり病気になったりするたびに、何が健康を左右するんだろうかと考えさせられます。私のように食事も睡眠も不規則極まりなく、運動不足もはなはだしい者のほうが、よっぽど倒れちゃいそうなんですがねえ。酒煙草を全くやらないっていうのが、そんなに健康に効いているとも思えません。

いずれにしても、あれだけの力作が日の目を見なかったというのは、E先生自身が最も残念なはずです。さらに言えば、それだけの授業を聞きそこなった学生こそが最大の被害者かもしれません。次回のE先生の日に、その授業をしてもらおうかと、予定変更を考えています。

感動を与える

10月13日(火)

いろんな事情があって、午前中は最上級クラスで始業日オリエンテーションをし、午後は日本語ゼロの新入生のクラスで、学生にとっては初めての日本語の授業を担当しました。最上級クラスで葉「君たちはKCPの良心だ」と語り、日本語ゼロクラスではゼスチャーを交えて自己紹介を教えました。私は慣れもありますから最上級クラスのほうが楽ですが、ゼロクラスの最初の授業というのも好きです。

「こんにちは」と言いながら教室に入った時、Tさんは不安げな顔つきで上目遣いで私を見ていました。自己紹介のパターンを教え始めて時は、明らかに何もわかっておらず、顔つきがどんどん暗くなっていきました。困ったなと思いながらも、わかっていそうな学生に自己紹介をやらせながらTさんを指名すると、たどたどしさは残るものの、きちんと自己紹介ができたではありませんか。

教えたばかりの教室用語「いいです」で答えてあげると、Tさんの顔つきがとたんに明るくなりました。これで自信が付いたのか、次のひらがなの導入もスムーズにいき、「おはようございます」なんて長音も、「きゅうじゅうきゅう」なんて拗音も、きちんと書き取れていました。何より、何でも吸収しようというTさんの瞳が、朝からの授業でいい加減疲れてきた私を元気付けてくれました。

Tさんたちは、今学期中に、助詞、動詞、形容詞、~は~が文、て形、ない形、辞書形、た形…と勉強していきます。それゆえ、自己紹介ができたからって、明るい未来が約束されているわけではありません。でも、Tさんは自己紹介がわかった時、できた時、間違いなく感動を覚えたはずです。そんな時、人に感動を与えられる職業ってすばらしいなと思います。これが、ゼロクラスの最初の授業の醍醐味なのです。

戦いは続く

9月28日(月)

今学期の授業最終日は、代講が入ったため、午前も午後も授業となりました。どちらも私が担任のクラスなので、しっかりと責任を果たさなければなりません。

午前は超級のクラスで、試験範囲で残っているところをすべてやり終えました。欠席がちょっと多かったのが気になりますが、出てきた学生には明日の試験の山場をきちんと伝えましたから、まじめな学生が有利になるはずです。

午後は初級のクラスで、こちらは今学期の復習が中心でした。自分ではできるつもりのSさんは助詞をたくさん間違え、同じくOさんは動詞の自他の区別が付かず、文法を理解するのが精一杯のKさんは習った単語がすっぽり抜けていて、授業中すぐケータイをいじっていたZさんは摩訶不思議な文を作り、いつも落ち着きのないLさんは問題をよく読んでおらず、そして全員に共通なのは、カタカナ語の定着の悪さです。“インタネット”“テプル”などなど、気持ちはわかるけど違うんだよなっていう書き方をするのです。

もちろん、私たち教師は努力していないわけではありません。「学生たちはカタカナ語が弱い」というのは教師の共通認識で、ディクテーションなどレベル全体で決められた場以外でも事あるごとにカタカナ語のチェックをしています。それでも日常語のミスさえなくせません。さすがに、午前中の超級クラスの学生は“インタネット”“テプル”みたいな間違いはしませんが、“アカウンタビリティー”とか“”ディスカウントショップ“とかってなると、苦しくなる学生もいます。だから、カタカナ語対策は、学習者にとっても教師にとっても、永遠の課題と言えましょう。

“インタネット”“テプル”と書くということは、その学生はそういう発音をしているということです。発話の中では文脈から単語が推定でき、学生が“テプル”と発音しても我々の聴覚はそれを“テーブル”と自動修正してしまいます。初級の発音チェックの時は、この自動修正のレベルをうんと下げて、陰険かつ意地悪くかつ執拗に、学生に指摘します。1学期間それをやり続けても、まだ不十分なのですから、やはり長期戦を構えるしかないのです。

授業後、日が暮れてから、午後クラスのKさんとHさんが未提出の宿題を出してきました。そんな何週間も前の宿題など、突っ返してもいいのですが、2人とも進級ボーダーライン上なので、その場でチェックし、間違いを指摘し、直させました。明日、その効果を発揮してくれるでしょうか…・

会話の相手

9月14日(月)

私のクラスでは、日本人ゲストとの会話がありました。そのためかどうかわかりませんが、先週は毎日誰かが休んでいたのに、今日は全員出席でした。

金曜日に会話の内容に関する宿題が出ていたものの、文法のテストの直後に会話でしたから準備の時間がなく、それが心配でしたが、学生たちはみんな盛んにゲストと話していました。普段は自分からあまりしゃべらないSさん、Jさん、Qさん、Cさんなども、自分が調べてきたことやゲストが話したことについて、一生懸命話していました。もちろん、いつもよくしゃべっているHさん、Kさんなどは、今日も飛ばしていました。Pさん、Lさんなどは、ただしゃべるのではなく、自分の意見や考えなどを順序だてて話そうとしている様子がうかがえました。自分なりの課題を設けて話しているようで、やっぱりできる学生は違うなと思わせられました。

学生はこういうイベントがあると張り切るものであり、こちらもそれを利用しているところがあります。日本人ゲストが帰った後からは通常の授業だったのですが、いつもよりもコーラスの声が明らかに大きかったです。たくさん話すと自然に大きな声が出るようになるのでしょう。

今日いらしたゲストは、いろいろな職業体験をさせてくれる会社のコースに参加した方々です。私のクラスに入る以前に日本語教師とはどんな仕事かというレクチャーを受け、そして、実際に授業の様子を見てみようということで、学生の会話の相手をしていただいたというわけです。

これに限らず、KCPではいろいろな形で授業に参加できます。これをお読みの日本人の皆さん、是非一度、KCPの中に入ってくださいませ。

トヨタ自動車のような会社

9月10日(木)

Sさんは大学院に進学して、その後トヨタ自動車のような会社に就職したいそうです。トヨタ自動車のような会社ってどんな会社ですか、とクラスの学生に聞きました。有名、給料が高い、グローバル、大きい、…十人十色のいろんな答えが返ってきました。Sさんに確かめてみると、自分の専門が活かせる会社という意味で、トヨタ自動車を挙げたそうです。

「〇〇のような××」は、××の例として〇〇を挙げるときに使いますが、Sさんみたいな使い方をすると、話し手の意図するところが伝わらなくなります。それどころか、誤解を与えかねません。単に「会社」とするのではなく、「自分の専門が活かせる会社」と限定条件を付けなければなりません。限定条件の例として、〇〇があると考えたほうがいいかもしれません。

そういうことをきっちり説明して学生に例文を作らせたのですが、「犬のような従順な恋人がほしい」なんて、ちょっと怖いような、でも、こちらの説明をよく踏まえた例文も出てくれば、「金城武のような人が好きだ」って、こっちの話を全然聞いていない例文も出てきました。

「〇〇のような××」は、学生たちは読んだり聞いたりしたときには理解できるでしょう。しかし、この文型を使って話したり書いたりできるかといえば、残念ながら、まだまだです。これが身に付けば表現に厚みが増すのですが、それができないあたりが、まだ初級なんですね。

それにしても、同じ説明を聞いても気の利いた例文が作れる学生と、形式的にまねしただけの例文がやっとの学生と、ずいぶん差があるものだと毎回考えさせられます。後者が成績が悪いかって言うと、必ずしもそうでもないところに不思議さがあります。今回の授業のところは、来週テストです。学生たちはどんな成績を取るでしょうか。

有名な大学に入りたい

9月9日(水)

来学期の受験講座の説明会をしました。すると、出ました、「有名な大学に入りたいです」が。

Dさんは、本当にやりたいことはコンピューターを使って3Dのアニメを作ることです。しかし、それは専門学校でしか勉強できないことなので、有名な大学に入るために別のことを勉強しようとしています。その「別のこと」は全く決まっておらず、ひたすら「有名な大学に入りたいです」を繰り返すばかりです。

文系・理系もどちらでもよさそうでしたが、とりあえず理系を選んでいました。しかし、理系の中で何を勉強するのかは決まっていないというか、理系にどんな学問があるのかもよくわかっていません。だって“DNA”って言葉も知らなかったんですよ。DNAなんて、現代においては専門用語でもなんでもないじゃありませんか。

理科の選択は、受験校の幅が広いから物理と化学にしろと言ったら、その通りにしました。私はDさんの実力が全然わかりませんが、この説明会でのやり取りからすると、どこまでを「有名な大学」とするかにもよりますが、すんなりと「有名な大学」には入れるほどずば抜けた成績だとは思えません。

どうも、親の期待に応えるために「有名な大学」と言っているようです。こういう学生は自分の足で歩いていませんから、一度挫折したが最後、際限なく落ちていきかねないんです。自分の実力が「有名大学」には程遠いということを知ったときがポイントです。謙虚に受け止め方向転換できるか、現実を否定して夢の中に生きるか、後者に進む学生を数多く見てきましたから、私はDさんが心配でなりません。

Dさんが本当に理系に進むとすると、私は受験講座で何回も顔を合わせることになります。Dさんの才能を伸ばすのも、引導を渡すのも、私の仕事になりそうです。重いなあ…。

実演

9月8日(火)

そろそろ私立大学の面接試験が始まるので、上級クラスで改めて面接を取り上げました。日本語も達者で、すでに各方面から面接に関する情報を手に入れているはずの学生たちでしたが、質問が次から次へと湧き上がってきました。今まで一人で不安を抱え込んでいたのでしょう。

映像を見せたり私が実演したりすると、椅子の座り方のようなことまで感心しまくります。文字情報や口頭での説明だけではもう一つしっくりこなかったのが、映像や実演で納得できたというところでしょうか。常識を持ち合わせていればとんでもないことにはならないだろう、というのは年寄りの勝手な思い込みで、若者のほうもまた勝手な思い込みでこちらの意図とは全く違う絵を描いていたのかもしれません。あるいは、映像に出てきた役者のきびきびとした動きに、様式美のようなものを感じたのかもしれません。

そのあと、志望理由や将来設計などお定まりの質問ではない質問を突然かまして、どこまで答えられるかを試しました。中には苦し紛れの学生もいましたが、即興でも概してそれなり以上の答えが出てきました。答えが単語だけにならず、そこを基点に話を広げていこう、自分の一面を紹介しようという姿勢が見られました。上級だけのことはあるなと思いました。

この学生たちが合格を決め、進学するまでにはまだまだ紆余曲折があるでしょう。茨の道を歩んでいくこともあるでしょう。傷だらけになるかもしれませんが、最後はにっこり笑ってもらいたいものです。