Category Archives: 試験

お守りが床に

6月23日(木)

期末テストの試験監督に入った中級のクラスにHさんがいました。Hさんは、クラスで受け持ったことはありませんが、受験講座などで接点があり、まんざら知らない学生ではありません。そのHさん、リュックを机の横のフックに引っ掛けていましたが、そのファスナーにぶら下がっているお守りが床についてしまっていました。きっと学業成就のお守りなんでしょうが、これじゃあ御利益ゼロどころかマイナスかもしれないよって思いました。テスト中なのでみだりに声をかけるわけにもいかず、Hさんの机のそばを通るたびにイライラひやひやしながら、試験監督を続けました。

Hさんなら、お守りの意味は十分理解しているはずです。でも、そのお守りが床を引きずるようなリュックの置き方をしても、何も感じていないのでしょう。ほとんどの学生が日本文化を知りたいと言うし、自ら進んで勉強している学生も多いです。しかし、そうして得ている知識は、表面的なものが大半なのだと思います。あるいは、断片的な知識が有機的につながっていないのです。お守りは神仏の分身であり、床には大事なものを直接置かないという日本文化が結び付けられていれば、お守りが付いているファスナーのポケットにお守りをしまうとかってできるはずです。

私たちも、そうしたことをおろそかにしてきたことは否めません。通り一遍の文化紹介ではなく、もう一段深いところまで踏み込み、その背景に触れ、それを学生自身の生活に溶け込ませるような、紹介よりは体験に近いことをさせていきたいです。

テストが終わったらHさんに注意しようと思っていましたが、他の学生にかかわっているうちに、Hさんの姿は消えていました。今度会うのは来学期になってからでしょうが、何かの折に是非注意しましょう。

撃沈からの復活

6月20日(月)

昨日のEJUは、あちこちで爆発したり沈没したりしたようで、Sさんなどはすっかり気落ちしていました。「あなたが難しいと思った問題は、ほかの学生も難しかったんだよ」と言ってやっても、慰めにもならないようです。試験が終わった直後は、受けた傷がまだ生々しく、気分転換する余裕もないのでしょう。若いということは、一直線に進む勢いは鋭く強いものがありますが、つまずくと再起不能なまでのダメージを受けるものでもあります。

全体を俯瞰する眼があれば、自分の失敗が冷静に評価できます。でも、Sさんを始め、受験戦争の最前線で機関銃を連射し続けている戦士には、自分の目の前の敵しか見えないものです。目の前の敵すらとらえられずに、恐怖感から撃ちまくっているだけかもしれません。そういう戦士にうろたえるなと一喝するのが、我々教師の役割なのです。今週も期末テスト前日まで受験講座がありますが、そういう授業をしていくつもりです。

Sさんの場合は、受験勉強が上滑りだった面もあります。話をよく聞くと、問題文の読解が不十分で、理科や数学の問題ができなかったところもあったようです。日本語の授業の意義を軽く考えていたツケが回ってきたようにも思えます。いくら注意しても、毎年こういう学生が何人かは出てくるんですよね。

痛い目にあって日本語をきちんと振り返った学生は、11月に挽回しています。中には、さらに日本語をおろそかにして、基礎科目にのめり込もうとする学生がいます。そういう学生は、11月も残念な結果になります。KさんやPさんは卒業まで目が覚めず、Dさんは2年目にようやく目が覚め、…。今までの卒業生の顔が次々と思い浮かびます。Sさんやそれと同じような立場の学生たちの目をどうやって覚ましていくか、今年もこれから受験指導の山場を迎えようとしています。

前日

6月18日(土)

明日は、EJU。今年の最高気温を記録した今日ほどではないにせよ、明日も晴れてけっこう暑くなると、天気予報で言っています。雨に降られて、電車が遅れて、ひやひやさせられて…なんていうのよりはましかな。

EJUは11月にもあるとはいえ、秋口ぐらいまでに入試のある大学は、明日のEJUが勝負の場です。EJUは初めてという学生も、練習などと悠長なことは言っていられません。全知全能を傾けて、高得点を取りにいかねばなりません。学生たちは、日本留学を決意するに当たって重い決断を下しているでしょうが、今までの努力の成果が試される試験を目の前にするプレッシャーは、また別の苦味があると思います。

入試は、努力が必ず報われるとは限らないところに辛いものがあります。逆に、いい加減にやっていても、結果オーライってこともあります。でも、最初から僥倖を狙っている学生に、いい目は出ません。「勝つやつが強い」ように見えても、「強いやつが勝つ」のが入試です。今日の受験講座・EJU日本語では、最後まできちんと出席した学生たちに、ちょっとだけ運を呼び寄せるコツ、力が発揮できるおまじないを教えました。すでに十分強くなっているはずの学生たちのお尻を、もうちょっと押し上げてやったつもりです。

午後は、新学期の受験講座の準備をしました。来週からは、早速11月のEJUに向けて、各大学の独自試験に向けての授業をしていきます。そして、7月早々には、また多くの新入生を迎えます…。

感覚を磨け

6月8日(水)

受験講座は、あと11日に迫ったEJUに向けての追い込みにかかっています。私が担当している理科は、課顧問をやらせて、その解説を通して知識や理論などを入れています。また、EJUは時間との勝負でもあるので、過去問を実際に解きながら、時間節約のテクニックも教えています。

毎年感じていることですが、学生たちは几帳面に計算しすぎます。EJUは有効数字2桁ですし、しかも選択式ですから、選択肢の数字によっては、上1桁が出れば答えが選べちゃうことだってあります。それなのに、学生たちは掛け算のたびに桁数を増やして、所要時間と間違いも増やしています。

こんないい加減な計算は、本当はしてはいけませんが、拙速を旨とするなら、これもまた1つの立派な解法です。でも、科学者としては、詳しい計算に取り掛かる前に、ざっくりどのぐらいの数字になりそうかということを概算する能力も欠かせません。そこには有効数字の処理法も含まれています。EJUがこういう能力を求めているのだとしたら、非常に奥深い出題だと思います。

今は電卓をたたけば、あるいはコンピュータープログラムによって、いくらでも細かい数字が計算できます。でも、出てきた数字をもとに何かを判断するのは、最終的には人間です。電卓やコンピューターがはじき出した数字が妥当なものか、その数字を基に次のステップで何をするか、こういったことを考察し、結論を出す際に必要なのが、数字に対する感覚です。この感覚は、手計算をすることによってしか磨けないと思います。

理系志望の学生の多くは、将来、エンジニアや研究者になるでしょう。そこでは、この感覚なしには、大きな仕事はできません。私はこういうことまで学生に伝えようと思っています。

イライラの原因

6月2日(木)

午後、中間テストの成績が振るわなかったKさんが、テストで間違えたところを直しに来ました。これを通して今学期前半の復習をしてもらうのですが、Kさんの病根はさらに深いのです。

漢字や読解の選択問題などはすぐ直せますが、文法の短文を作る問題や、読解記述問題となると、こちらが求めている答えにまで簡単にはたどり着けません。頭の中ではわかっているのですが、それを解答用紙上に書き表すとなると、Kさんにとってはイライラの元以外の何物でもありません。指先が明らかにイラついているのが、よくわかりました。もどかしいんだろうなと思いました。

Kさんは初級の入口の文法が不完全で、文は時制すら行き当たりばったりです。「熱があります『、』病院へ行きました」でみたいに句点で文をつなげたり、動詞の活用がいい加減だったりと、読み手泣かせの文を書きます。要するに、自分の考えを表現する術を持っていないのです。

また、読解は、本文をそのまんま引用して答えにしようとします。本文を要約して答えるとか、必要なところをできるだけ短く抜き出すとか、そういうことができません。だから、解答欄が1行なのに2行も3行も書こうとします。答えに核心部分は含まれているのですが、ごっそり引用したらたまたまそのなかに入っていたのか、答えの肝がわかっているのかがさっぱりわからず、採点者としては点を与えることはできません。

Kさんの国では、本文そのままで、できるだけ長く書くのがいい答えなのだそうです。でも、日本は違います。簡にして要を得た答えが評価されます。私たちもそういうつもりで問題を作り、採点しますから、Kさんの答えは点になりません。

初級文法を使って短文作成をすること、解答作成の考え方を根本的に改めることを指示しました。もう6月ですから、早く手を打たないと今学期が終わってしまいます。

もう忘れたの?

5月27日(金)

初級クラスのYさんは、中間テストで全科目不合格でした。Yさん自身も自分はできないと気づいていて、授業は午後からですから、毎日午前中学校へ来て、K先生の出した課題をやっています。課題をしに来たKさんを捕まえて、自身の現状をどう考えているか面接しました。

Yさんは国立大学に進学したいと言いました。6月のEJUは出願したものの、今の力では高得点は無理だろうと思っています。ここまでの認識は正しいのですが、11月については楽観視しているようなのが気にかかりました。初級のテストで赤点を取っているようじゃ、国立大学は絶望的です。

1日の勉強時間が3時間、その3時間でK先生からの課題や宿題をやるそうです。アルバイトはしていないそうですが、していなかったらもっとたくさん勉強時間が取れるはずです。Yさんははっきり言いませんでしたが、遊んでしまっているのでしょう。「3時間」という勉強時間だって、怪しいものです。

面接後、中間テストの答案を見せて、間違えたところを直させました。漢字はどうにか正解にたどり着きましたが、文法は、教科書やノートを見てもいいと言ったのに、いつまでたっても直せませんでした。その問題が教科書の何課を対象にした問題かがわからないのです。それに加え、下のレベルで習ったことが身に付いていません。ですから、教科書のどこを見れば間違いが直せるかがわかりません。

Yさんは下のレベルで勉強したことを忘れてしまったと言います。間違い直しに必要な文法が出ている教科書のページを示しても、それをどう応用すればいいか見当がつかないようでした。それを1つ1つ解きほぐしていったら、あっという間に1時間が過ぎてしまいました。ろくな復習をしてこなかったんだなと思いました。

午後の授業中、Yさんはスマホを見ていました。あーあ…。

めざせ、タラちゃん

5月25日(水)

中間テストの作文の採点をしています。私が担当しているのはもうすぐ中級になるクラスですが、なかなかのつわものが多くて、まだクラスの3分の1ぐらいしか終わっていないのに、すでに息も絶え絶えです。

作文の採点は、間違えたところをいきなり直すのではなく、表記ミスなのか語彙レベルの間違いなのか文法がおかしいのか、文法ならどこで勉強した文法を間違えたのかまでチェックします。だから、教師にとっても学生の弱点の分析につながり、とても勉強になります。

中級寸前の学生たちができないのは、まず、「~てもらいます/くれます/あげます」です。みんなの日本語24課はとっくの昔に勉強しているんですが、使うべきときに使っていないんですねえ。日本人ならタラちゃんでもしっかり使っているんですが…。日本語特有の表現方法だからかもしれません。

助詞の間違いは全学生共通です。「に」を「を」にしたり、「は」と「が」がぐちゃぐちゃだったり、「場所に」と「場所で」の区別ができていなかったり、そもそも助詞が抜け落ちていたりというように、ありとあらゆるケースを網羅しているのではないかと思えるほどです。

こういった間違いは、作文の時間はもちろん、宿題で作らせる短文、学生たちの発話などに表れたときも注意しているのですが、撲滅には程遠いのが現状です。そして、中級になったからといって消えていくわけでもなく、上級の学生の作文や発話にさえ見られます。ほかの部分の日本語がうまくなればなるほど、数少ない間違いが目立ってしまいます。例えば、たまに「~てもらいます」が抜けると聞き手や読み手に違和感を与え、、ひどい場合には悪意に受け取られてしまうこともあるでしょう。

だから、できるだけ早いうちにそういう目を摘み取りたいと思っています。どういうコメントをしたら、少しは彼らの心に響くでしょうか。

これから胸突き八丁

5月24日(火)

最上級クラスの語彙の中間テストを採点しました。満点に近い学生から半分も取れない学生まで、けっこう点の開きができました。半分も取れていない学生は出席率が悪いか勉強不足なので問題外ですが、80点ぐらいから上の学生たちの答案を見比べると、誤文訂正の問題で差がついていました。

成績上位の学生たちは、選択問題はもちろんのこと、短文を作る問題でも大きな差はつきませんでした。しかし、語句の誤った使い方を直す問題では、誤りを見つけられない学生が点を落とし、見つけてきちんと直せた学生に差をつけられました。この、K先生渾身の誤文は、学生がやらかしそうなミスを実にうまく捕らえていて、単なる上級レベルの力の学生がまんまと引っかかってしまったというわけです。

つまり、聞いてわかる、読んでわかるという理解語彙のレベルではあるけれども、話したり書いたりできる使用語彙のレベルに至っていなかったということです。ノリでしゃべっちゃったら聞いてるほうも勢いでわかっちゃうかもしれませんが、その使い方が文字という形で固定されると、間違いが白日のもとにさらされてしまうのです。最上級クラスの大半が進学希望ですから、しかも「いい大学・大学院」を考えていますから、ノリや勢いではない、足が地に着いた日本語力が求められます。それを思うと、この学生たちはまだまだだなと思わざるを得ません。

授業は初級クラス。昨日の中間テストは難しかったといっていました。でも、それぞれのレベルで学生たちの真価が問われるのは、中間テスト以降なのです。今までもそうですが、これから中上級になってもよく間違える文法が出てくるのです。実は、上述の最上級クラスの学生たちが引っかかった問題の一部は、今私が教えているレベルの文法の応用問題でもあるのです。授業でそういうことを盛んに強調しましたが、初級の学生には、「金原先生、やけに熱くなっちゃってるけど…」ぐらいだったかもしれません。

98年って何してた?

5月23日(月)

中間テストがありました。中間テストと期末テストでは、学生証を机の上に置かせ、試験監督の教師はその学生証と出席簿とを照合することで出欠を確認します。教師はいつものクラスとは違う、知らないクラスに試験監督として入りますから、こういう方法で間違いが起こらないようにしています。

学生証には学生の生年月日が記載されています。生年月日は出欠には直接関係ありませんが、学生証をチェックする時に目に入ってきます。午後、私の担当したクラスには、1998年生まれがばらばらいました。1998年といえば、私が日本語教師になった年です。私が新米の日本語教師として、冷や汗をかきながらプライベートレッスンで赤坂やら渋谷やらの会社を駆けずり回ったり、技術研修生相手のクラスで教壇に立ったりしていた頃です。光陰矢の如しって言いますが、98年なんて、私にとっては昨日ですよ。

でも、その98年生まれが、健気にも祖国を離れて外国の大学に入ろうと、日本語を勉強し、その勉強した日本語で入試科目の勉強もしているのです。KCPの中間テストに合わせたわけではありませんが、EJUの受験票が土曜日に学校に届いていましたから、それを配りました。「早稲田だ」なんて、試験会場を見てつぶやいている学生も。中間テストなんかとは比べ物にならないプレッシャーが、98年生まれの学生たちにも間もなく襲い掛かってきます。

外は、今年初の真夏日でした。沖縄と奄美はすでに梅雨入りしています。九州もお天気がパッとしなくなりつつあり、入梅が近そうです。雨の季節の足音とともに、受験シーズンの影も迫りつつあります。

黒くないマークシート

4月16日(土)

新学期が始まって1週間たちました。時間割が一巡し、自分の受け持ちのクラスにはひと通り顔を出し、クラスの雰囲気や学生の様子もそれなりにつかめました。残念ながら、私はまだ自分のクラスの学生の顔と名前をすべては覚えていませんが、頼りになりそうな学生、危なっかしい学生など、押さえておかなければならない学生はつかんだつもりです。これからどうやって学生との関係を築いていこうか、あれこれ考えています。おとといから受験講座も始まりました。こちらはまだ授業が一巡していませんが、新メンバーたちの勉強しようという意欲を肌で感じています。

今日はEJUの授業で、大教室いっぱいの学生に立ち向かいました。毎度のように問題を解かせ、解答用紙を回収したのですが、マークシートの塗り方がいい加減なものが目立ちました。解答欄にチェックを入れただけとか、間違えたところに×をつけてもう1つ塗るとかという暴走ぶりです。君たちマークシートのテストを受けたことないのって聞きたくなるほどです。

その中には今学期の新入生もいましたが、KCPでそういう訓練を受けてきているはずの学生もいたことが意外でした。学生の中に、これは練習なんだから本気で塗らなくてもいいという気持ちがあったとしたら、マークシートの塗り方を知らないことより事態は深刻です。

だからというわけではありませんが、今日は答えの解説を早々に済ませて、6月のEJUで高得点を取ることで、今後の受験戦線においていかに有利に戦いを進められるかということを力説しました。その思いが通じたのかどうかはわかりませんが、授業後、何人かの学生が早速進学相談に来ました。

受験の大勢が決まるまで数か月。マークシートの塗り方から始めて、志望理由書の書き方、面接練習まで、今日感じた学生たちの意欲をい上手に守り立て育てていきたいです。