Category Archives: 日本語

上級話者が身につけるべき文法「授受表現」

11月15日(金)

ちょっと悲しい出来事がありました。情けないとも憤りを感じるともいうことができます。

中間テストで、私が担当している上級レベルの文法の問題として、「傘を借りたいときの言い方を、授受表現を用いて書け」というのを出しました。文法の時間にもうちょっと複雑な授受表現を扱っていますから、これは学生たちに点数を与える、いわばラッキー問題として出題しました。

「すみませんが、傘を貸していただけませんか」とかって、初級文法で十分答えられる言い方をしてくれれば十分だったのですが、ほとんどでいていないんですねえ。間違える学生もいるとは思っていましたよ。でも、一握りにも及ばない学生しか正解しなかったのです。「傘を借りていただけませんか」「私に傘を貸してあげてください」「傘を借りてもらいますか」などなど、最初の2人ぐらいは笑っていましたが、次々とこのような答えが出てくると、顔が引きつってきました。

このクラスの学生たちは、もちろん、日本語でコミュニケーションが取れます。日本語教師ではない一般の日本人が聞いても確実に理解できる日本語を話します。だけど、細かく追及していくとこうなっちゃうんですね。傘を借りたいときも、「この傘、いいですか」「傘、ありますか」など、授受表現を使わなくても気持ちが伝えられちゃいます。

だから、授受表現は使えなくてもいい、とうことにはなりません。授受表現は日本語の特徴であり、その点で日本文化の一翼を担っていると、私は思います。そこに宿る発想は、より洗練された日本語へとつながるのです。これぞ、上級話者が身に付けるべき文法です。だからこそ、上級の文法の時間に取り上げているわけです。

来週早々、復習ですね。

 

 

 

 

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ノートの取り方に見る日本語の実力の差

11月7日(木)

今学期は、選択授業で“身近な科学”をやっています。講義を聞きながらノートを取ることを想定した授業です。授業の最初にB5の紙を1枚配り、私の話を聞きながらそれにノートを取り、それを見ながら授業の最後に提示するテスト問題に答えるという形で進めます。最初に配ったB5用紙を集めて、学生たちが私の話をどれぐらい理解しているかわかります。上級というよりは超級の学生向けの授業ですが、KCPの中でもほんの上澄みの学生たちの中でも、実力の差が如実に表れます。

テストでいつも満点なのは、最上級クラスの大学院進学を目指す学生たちです。国の大学で講義の受け方を訓練されていますから、当然のことかもしれません。ノートの部分を見ても、要領よく話をまとめています。また、授業中の表情にも余裕が感じられます。これだったら大学院に進学しても日本人学生以上のパフォーマンスを示せそうだなと感じられます。安心して、すでに合格している一流校の大学院に送り出せます。

その一方で、ノートがすかすかな学生もいます。話の要点をメモすることも、パワーポイントから要点を抜き出すこともできていないと見るほかありません。点数を与えるつもりで出した問題にも答えられていません。授業中はうなずいたりジョークに反応したりしているのですが、頭に残るものは少ないようです。こちらは、進学してから苦労しそうだなと心配になります。私の話は、学生たちにとって聞きなれない言葉や概念が飛び交いますから、ノートがとりにくいことはあるかもしれません。そうだとしても、テストで半分くらいというのは、心もとないですねえ。

身近な科学は、まあ、ご愛敬みたいな授業ですから、ノートが取れなかったとしても実害はありません。でも、通常の文法とか読解とかがこんな調子だったとしたら、由々しきことです。教師の話の大半が右の耳から左の耳へ抜けちゃってるのですから。自分の授業で言いたいことが学生たちに伝わっているか、心配になってきました。

 

 

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3倍

11月6日(水)

「じゃあ、このプリントの文章を2分で黙読してください」と言って、速読練習のテキストを配りました。学生たちはいっせいに読み始めました。

「はい、2分経ちました。読み終わったかな?」と聞くと、みんな首を振ります。しかたないので、1分延長しました。B5・1枚にあまり小さくない字で書かれた文章ですから、3分以上あげたら速読になりません。ですから、3分でも読み終わらない学生もいましたが、そこで切りました。

最初に与えた2分という時間は、決していい加減に決めたものではありません。私が読んで30秒と少々だったので、その3倍ぐらいということで、120秒=2分としたのです。上級の学生なら、私が要した時間の3倍以内で読んでほしいという願いというか目標も込めています。

そういう意味で、このクラスの学生が誰も2分で読み終わらなかったのは、ちょっと力不足じゃないかと思います。このスピードでは、EJUの日本語で高得点は期待できませんし、JLPTのN1に引っかかるかもしれませんが、かろうじて合格というレベルのような気がします。

今までに私が受け持った学生の中で一番速く読めたのは、10年ぐらい前の学生のYさんです。どんな文章でも、私の1.5倍以内の時間で読めました。もちろん、飛ばし読みではなく意味をきちんと理解していました。日本人の高校生が使っている歴史の教科書で勉強して、東京外国語大学に合格しました。さすがだなあと思いました。受験のテクニックによる速読ではなく、読書量と語彙力で鍛え上げた、正攻法のスピードでした。

その後、かなりレベルの高い大学院に進学した学生も受け持ちましたが、日本語を読む速さにかけては、Yさんがいまだに最速です。Yさんの爪の垢をもらっておけばよかったなあと思っています。

 

 

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合格しました

10月25日(金)

T大学を受けたSさんと、K大学を受けたEさんが、合格の知らせを聞かせてくれました。2人とも、試験後はたいそう心配していましたから、喜びもひとしおのようです。

Eさんは、K大学に行くことを決め、もう受験勉強はしないと言い出しました。Sさんも、T大学は第一志望といってもいい大学ですから、国立を受験せずに打ち止めにするかもしれません。志望校を、いい加減な気持ちやEJUの点数だけで選んでいませんから、そういう方向に発想が進むのも、当然かもしれません。

受験したH大学の結果がまだ出ていないZさんは、SさんやEさんの合格のニュースをうらやましそうに聞いていました。これからA大学の試験も待っています。まだまだ気が抜けない日々を送らなければなりません。でも、ここを乗り切らないと、勝利にたどり着けません。Y大学が来週月曜日発表のCさんは、Zさん以上に緊張の週末を送ることになるでしょう。でも、終わった試験についてあれこれ悩んだり心配したりしてもしようがありません。どんな結果でも従容として受け入れるという気構えでいたほうが、安らかだと思います。

EさんやSさんにしても、これから3月の卒業まで遊んで暮らせるわけではありません。KCPにいるうちに、可能な限り日本語力を高めておく必要があります。そうでないと、進学してから本当に困ります。進学したら、日本語と真正面に向き合う時間などほとんどありません。レポートやプレゼンなどで大いに苦労しながら、教師や友人との人間関係に悩みながら、実地で日本語を磨いていくしかありません。確かに鍛えられますけど、険しい道のりです。それを少しでも緩やかなものにするために、これからの5か月があるのです。EさんやSさんは、来週からの過ごし方で留学の成否が決まるといっても過言ではありません。

明日からです

10月8日(火)

「先生、数学の教室にいたんですが、先生も学生もだれも来ないんですけれども…」「受験講座は明日からですよ」。1:30過ぎ、学生とこんな会話をしました。

開講日前日、昨夜のうちに受験講座の受講生には、メールで受講科目の曜日と時間帯を連絡しました。でも、今朝の各クラスの連絡で、受験講座は明日からだとも伝えてもらっています。その学生は、講座の開始時刻の前から教室に陣取っていたのですから、きっとまじめな学生なのでしょう。だから、今朝教室での連絡事項も聞いていたはずです。

最近、「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治、新潮新書)を読みました。それによると、聞く力が弱いと、親や教師がいくら注意しても言い聞かせても、子ども自身の頭には何も残っていないのだそうです。そして、その注意を聞かなかったからということで叱られ、自己評価が低くなり、非行につながるというのです。

これを読んで、聴解力の弱い学生もこの本に出てくる非行少年と同じような立場に置かれているのかもしれないと思いました。1:30の学生も、午前中のクラスで先生からの口頭連絡または板書で、本日受験講座休講という連絡を受けていたはずです。音声ではそうとらえていても、日本語の聴解力が弱いと、その音声を自分にかかわりのある連絡事項として理解することができないのです。それゆえ、受験講座の教室へ行ってしまい、空振りしてしまったのでしょう。板書をしたとしても見る力が弱ければ、教師が書いた文字列を自分に関する情報と理解できません。

自分たちの注意を守らない学生を、私たちは頭ごなしにガツンと注意します。でも、聞く力や見る力が弱い学生は、なぜ叱られたのかわからないかもしれません。そして、同じことを繰り返し、ダメ学生のレッテルを張られ、劣等生への道を歩み始めます。学生にとっての外国語である日本語で注意がなされるのですから、すぐにはきちんと理解できないでしょう。日本語教師は無論そんなことぐらいわかっています。でも、ガツンとやりたくなる、やってしまうものなのです。これが続くと、やる気もうせてきます。将来の展望も描けなくなります。

よくわからない外国語環境に放り出されている学生たちに対して、その芽をつぶさないように、接し方を考え直さなければいけないと感じさせられました。

晴れ姿

10月7日(月)

始業日直前は、新人の先生が来て、オリエンテーションを受けたり担当レベルの専任教師から授業の進め方などの説明を受けたりします。午前中から何人かの先生がいらっしゃっていましたが、午後、スーツ姿の若い先生が来ました。私はどこのレベルにどんな新人の先生が入るか聞いていませんでしたから、誰が担当なのかなあと見ていると、H先生が立ち上がって親しく話し始めました。H先生のレベルの新人教師かと思いきや、4年前に卒業したRさんでした。午前中、就職先の内定式があってその足でKCPまで来てくれたそうです。

Rさんは、推薦入学でS大学に進学しました。推薦入試の面接練習をどれだけしたことでしょう。内容のない答えだとか、言いたいことがわからないとか、毎日ボロカスに言われました。半べそ状態になりながらも歯を食いしばってついてきた努力が実って、合格しました。その根性は認めましたが、はっきり言って、Rさんの実力よりも上の大学に入ってしまいました。

卒業後も何回か顔を見せてくれました。いつも、大学の授業は大変だけど面白いと、なんだか「みんなの日本語」の練習問題の模範解答みたいな感想を言っていました。こちらも推薦した手前、途中で挫折されたら困ります。でも、卒業したら、愚痴を聞いてやるぐらいしか助けになりません。

そして、内定式のスーツ姿です。取るべき単位はすべて取って、あとは卒論だけだそうです。面接練習のころは生硬な日本語でしたが、今はこなれた話し方をします。生真面目過ぎて冗談が通じなかったのに、ジョークにはジョークで返せるようになりました。S大学で相当鍛えられたのでしょう。そしてめきめき力をつけ、日本人学生を押しのけて日本企業への就職にこぎつけたのです。

その会社の新入社員で外国人はRさんだけだそうです。会社がRさんにかける期待も大きいようです。S大学で伸ばした能力を発揮すれば、その期待にもこたえられることでしょう。

見直し

10月4日(金)

他の先生方は今学期の新入生のプレースメントテストで大わらわでしたが、私は今月から始まった養成講座の授業をしました。授業の中休みで職員室に戻ってくると、みんな黙々と採点していました。私の周りだけ別の時間が流れているような気がしました。

私が今週・来週と担当するのは日本語文法です。日本人が中学や高校で学ぶ国文法とは視点が少し違います。日本語文法は、日本語を1つの外国語としてとらえていますから、生粋の日本人でも戸惑う場面が少なくありません。“(自動詞)ています”“(他動詞)てあります”なんて、一生気付かない日本人が99%以上でしょう。

ですから、今私がしている授業の名称は「日本語文法初級」ですが、初級の日本語学者向けの文法というよりは、日本語教師道初級の受講生向けというべきでしょう。普段何気なく読んだり聞いたりしている日本語を、今までとは異なる法則で見直す頭の訓練でもあるのです。特に文法シリーズの授業が始まったばかりのころは、頭の切り替えが中心になります。

ですから、受講生にとってこの時期の私の講義は驚きの連続のようです。だいぶ以前の方は、こんなややこしい文法を何も考えずに使いこなしている日本人は天才だなどと感想を漏らしていました。それがネイティブの強みだとも言えますが、文法を意識していないということは教えられないということも意味しています。

自分が毎日使っている言葉を事細かに分析することはほとんどないでしょう。でも、日本語教師が成長していくのに最も身近な教材は自分自身の日本語です。教材の取り扱い方を教えるのが私の講義の役割だと思っています。

安心できません

9月26日(木)

すみません、今日は調子が悪くて、学校に休んでいただきませんか。明日は頑張ります、安心しなさい。

これは、昨日この稿で取り上げたKさんから、今朝授業前に送られてきたメールです。学校を休むときには連絡せよと口が酸っぱくなるほど言っていますから、きちんと連絡してきた点は偉いです。しかし、どうです、この文面。文法も語彙もえらいことになっています。昨日の時点では救いの手を差し伸べようかなと思っていましたが、これを見たら進級させちゃいけないなと考えが変わりました。

そして、おそらく、“調子が悪い”はうそでしょう。うそと言ったら気の毒かもしれませんが、学校へ来ようと思ったら来られる程度の調子の悪さだろうと思います。昨日までにテスト範囲の授業や平常テストはすべて終わっているので、テスト前日はうちで一人で勉強した方が効率的だと考えているのでしょう。

Kさんは演劇部の公演のセリフを一気に覚えてしまうぐらいですから、もしかすると試験範囲の教科書や平常テストや宿題などを丸暗記することもできちゃうかもしれません。若者は、時に、私のような年寄りなど想像もつかないようなことをやってのけます。昨日で尻に火がついて、一夜漬けならぬ一昼夜漬けに挑んでいるのでしょうか。

首尾よくそれがうまくいき、めでたく進級したとしましょう。それで来学期、Kさんは幸せでしょうか。「学校に休んでいただきませんか」ですからね。教師に向かって「安心しなさい」ですからね。上がっても周りの学生に置いて行かれるのが関の山じゃないかなあ。

Kさん以外の学生たちは、授業でたっぷり復習をしました。H先生が、間違いやすいところをがっちり訓練してくださいました。

勝負はいつ?

9月19日(木)

Nさんは今学期から受験講座を始めて、11月のEJUを受けようと考えています。理系科目には少々自信があるようですが、まだ初級ですから、日本語でどれくらい点が取れるか心配しています。6月は230点ぐらいしか取れなかったので、かなりの上積みを狙っています。そううまく事が運ぶでしょうか。

KCPの学則上では、Nさんは2021年3月まで在籍できます。しかし、できれば来春進学したいと思っています。もちろん“いい大学”への進学を望んではいますが、それが無理っぽいところにNさんの悩みの根源があります。300点以上取れれば実現の目も出てきますが、そこまでの自信はないのです。

理科系の場合、若い頭脳で専門について深く考えることが重要ですから、1年でも早くというNさんの考えは間違っていません。無名の大学に進学することが心配なようですが、そこで必死に勉強すれば有名大学の大学院に進学することも可能です。でも、これには4年間必死に勉強すればという重い条件が伴いますから、これがNさんにとって頭痛の種でもあります。また、今の日本語力で大学の授業についていけるかという点にも不安を感じています。

じゃあ、2021年3月までKCPで勉強すればいいかというと、これから1年以上受験勉強を続けることにたえられるかという別の問題が持ち上がります。「その大学なら去年に入れたよね」という学生が、残念ながら、今までに多数発生しています。「初心忘るべからず」と言いますが、これが容易でないからこそ、格言となっているのです。

結局、Nさんはもう1年勉強を続けることにしました。進学するのは1年半後だけど、本当の勝負は来年6月のEJUなんだよと太いくぎを刺しておきました。いずれにしても、来学期は過去問で鍛えて理系科目の自信をつけさせていきます。

最終日

9月18日(水)

Rさんにとっての最後の授業の日は、文法テストで始まりました。いつもと同じように涼しい顔で問題に取り組み、制限時間いっぱいまで入念に答えを見直していました。ペアワークも淡々とこなし、指名されたら几帳面に答え、私が板書したことは一言も漏らすまいとノートに書き留め、始業日から変わらぬ様子で授業を受けていました。

授業の最後に、クラスメートに挨拶をしてもらいました。みんなに聞こえる声で、一言一句かみしめながら、今まで楽しく勉強できたお礼を述べていました。拍手が湧き上がり、Rさんは笑顔で教室を後にしました。

Rさんは今学期の新入生で、アメリカの名門C大学から来ました。学期の初めのころは表情も硬く、めったに言葉を発することもなく、緊張していることが教師側にもビンビン伝わってきました。クラスになじめるだろうかと心配もしました。しかし、3週間ぐらいたったころから日に日に表情が明るくなり、1か月が過ぎるころからは、授業中に積極的に発言するようになりました。やがて、授業中にどんどん疑問点を質問しだし、その質問もさすがC大学の学生という感じで的を射ており、クラスのみんなの信頼を勝ち得ていきました。

学生の冗談にも笑って反応したり、感心した時は大きくうなずいたり、表情も豊かになりました。例文にもその表情の豊かさが現れてきました。学期の最初は指定された文法項目などを盛り込むので精いっぱいだったのに、今ではウィットを利かせた文が作れるようになりました。本当に大きく成長したと思います。

明日からは教室にRさんがいません。なんだか信じられないような気がします。