Category Archives: 日本語

後先

12月12日(水)

“好きな食べ物は先に食べるか、後にするか”というテーマで、学生たちに話してもらいました。先派は、好きな食べ物はできたてを食べたい、熱い物は熱いうちに、冷たい物は冷たいうちに食べるのが一番おいしいなどということを理由に挙げていました。後派は、食事の最後を好きな味で締めくくりたい、最後に幸せな気持ちになりたいなどと言っていました。

日本は地震が多いですから、いつ地震が起きるかわかりません。いつでも地震が起きる可能性があります。もし、食事中に地震が起きて一番好きな食べ物を食べずに逃げなければならなくなったらとっても残念じゃないですか。だから、私は好きなものを最初に食べます。――と言ったら、学生たちは笑っていました。

今学期が始まったころは、こんなややこしい話は理解できなかったと思います。これが冗談だとわかって笑えたあたりに、学生たちの日本語力の伸びを感じました。このクラスは、今、中級への坂道の一番険しいところを通り抜けようとしています。私の話の面白みが感じ取れなかった学生は、残念ながら、来学期もう一度同じレベルになる気配が濃厚になってきたように思えます。ぽかんとしていた学生は、みな、今週行われた文法テストが悪かったですから、なおさらそんなにおいがします。

中級や上級を教える楽しさは、驚くべきところで驚き、笑うべきところで笑い、感心すべきところで感心してくれるところにあります。学生の立場で書き直すと、日本語で驚いたり笑ったり感心したり、果ては泣いたり感激したり憤慨したりできるようになるのが中級です。この域に達していない学生は、上がってきてほしくないです。

さて、実際の私は、熱い物と冷たい物は真っ先に食べます。でも、後派の気持ちもよくわかり、お菓子だったら一番好きなチョコレートは残しておくかな…。

怪しい影がいい香り

12月7日(金)

私は毎朝一番に出勤します。夏なら朝の光のおかげで出勤時でも職員室はけっこう明るいのですが、先月ぐらいからは街頭の弱々しい光がブラインドを通してさらに弱まり、窓際をわずかに白ませるだけです。

今朝、出勤すると、そんな真っ暗に近い職員室の私の机の上に、丸っこい影が浮かび上がりました。電気をつけると、真っ赤なリンゴでした。職員室の隅っこに置かれた箱からすると、A先生のご実家から送られてきたようです。机の上に置いたままだと仕事の最中に落としてしまいかねませんから、引き出しにしまいました。

午前中は、1か月ぶりの養成講座の授業でした。受講生の皆さんは来週から実習が始まり、再来週教壇に立つことになっています。そのための教案作りに追われ、今までとはどことなく違う雰囲気です。私は教案は書かないのかと聞かれましたが、書きません。もちろん、その日の授業範囲分ぐらいは教科書・教材に目を通します。それが経験というものだと思いますが、経験で物を語るようになったらもう進歩は望めないとも言います。教案に頭を悩ますことは成長痛なのです。

午後の授業の後は、来学期の受験講座の説明会でした。初級の進学コースの学生たちに受験講座の内容を説明し、受講する科目を決めてもらいます。これから実際に進学するまでの長期計画を立てることの重要性も訴えます。留学生入試は夏から始まりますから、事前に受けておかねばならないTOEFLまで含めると、半年足らずで人生の分かれ目がやってくる人もいます。思っているより時間がないよということも訴えました。

その説明会が終わって、マーカーをしまおうと引き出しを開けると、ほのかに芳香が。いただいたリンゴ、もう1日ぐらい置いてから持って帰ろうかな…。

厳しい戦い

11月29日(木)

授業終了直後、Sさんが教卓に近寄り、「先生、J大学の1次試験に通りました。今週末が面接なので、面接練習をしていただきませんか」と、緊急の面接練習依頼をしてきました。Sさん自身、1次に通るとは思っていなかったので、面接練習を申し込むのが当日になってしまったとのことでした。2時ぐらいから先は夕方まで手すきでしたから、引き受けました。

昼休みに想定質問への答えを準備したのでしょうか、Sさんはこちらの質問にハキハキと答えました。ちょっと意地悪な質問にも、言いよどむことがほとんどなく、態度も堂々としたものでした。文法や語彙の間違いもいくつかありましたが、大勢に影響を与えるものではありませんでした。私はけっこう手応えを感じましたが、Sさんが受ける学部学科はJ大学の看板ですから、そう簡単には入れてくれないでしょう。

同じ頃、AさんはB大学の出願準備を大急ぎで進めていました。E大学に落ちたので、締切日当日にB大学に持ち込むべく書類を書いていました。推薦書が必要なので、私も最大至急で書き上げました。

E大学の入試直前に面接練習の相手をしたのは私でした。Aさんは大学で勉強しようと思っていることに関しては詳しいのですが、話す力が若干問題でした。文法ミスなどを細かく指摘していたら、Aさんは萎縮してしまい、本番で力が発揮できなくなると考え、専門に対する意気込みを存分に語らせる作戦に出ました。それが効果を発揮しなかったようです。私の見通しが甘かったです。

12月卒業のAさんは、1月以降日本に残ることはビザの上から認められません。だから、どうしても12月中に合格を決めなければなりません。こちらは、Sさん以上に厳しい戦いが続きます…。

安全運転は困ります

11月22日(木)

今週末に入学試験という大学が多いため、午前中の授業が終わってから、4連発面接練習でした。全員が女性だったこともあり、最後の頃は前の学生がした答えと今の学生の言葉とがごちゃごちゃになり、頭を整理するのが大変でした。

面接はただ単に日本語を話す力をチェックするだけではありません。コミュニケーション能力を見ます。つまり、受験生は、面接官の質問内容を理解し、その質問によって何を知ろうとしているかを察知し、それに対して試験官に理解できる的確な答えを返す力が試されるのです。立て板に水でも上滑りしていたら点数になりません。

また、おざなりの答えではいけないことは言うまでもありません。他の受験生でも誰でも答えられる内容の答えだったら、いくら上手な日本語で語っても点数にはなりません。独自の答えが求められます。志望校にどれだけほれ込んでいるか、その勉強にどれだけ打ち込もうとしているかが、面接官によって吟味されているのです。その大学、その学問にどれだけ人生を賭けようとしているか…といったら大げさかもしれませんが、それぐらいの気持ちで取り組んでもらいたいものです。

そういう観点からすると、全体的に安全運転でした。ミスをしないようにという気持ちが先に立ち、インパクトの強さや思い切りのよさがあまり感じられませんでした。4人の志望校を聞くかぎり、競争率が低いとは思えません。自分を売り込むつもりで答えるように、面接官からのメッセージをしっかり受け止めるようにとアドバイスしました。

ここまでしたら、残された私の仕事は、祈ることだけです。

8つ間違えた

11月12日(月)

昨日でEJUが終わりました。私のクラスのSさんやMさんは、日本語で8つ間違えたけど何点ぐらいかなどと聞いてきました。EJUは、どの問題が何点などと決まっていませんし、間違え方によって点数が違うという噂もあるし、間違えた数だけで点数が予測できるような単純なしくみではありません。

それよりも問題なのは、SさんにしろMさんにしろ筆答問題に弱いということです。いや、この2人に限りません。今年の上級クラスは、記述式の問題になると元気がなくなってしまいます。“~を抜き出しなさい”という、テキストの文言をそのまま引っ張ってくるのならまだいくらかできるのですが、自分の考えを書いたり本文の内容を要約して答えたりする問題となると、白紙のまま手がピクリとも動かない学生が大勢います。

確かに、筆答問題は答えをまとめるのに手間もかかるし、答えに至るまでの過程も長いです。選択式のようにヒントが書かれておらず、それさえも自分で見出さねばなりません。しかし、長い文章の中から自分でそれを見つけ、頭の中を整理し、筆者の言わんとしていることや登場人物の心の動きなどをつかむことにこそ、論説文を読む意義があり、読書の醍醐味を感じるのではないでしょうか。

私のクラスの学生だけじゃありません。選択授業で資料調べをさせていますが、ごく一部の学生を除いて「調べ」になっていません。たまたまネットで引っかかったサイトの内容を丸写しなのですから。日本語という外国語で調べるのは学生たちにとって荷が重いでしょうが、大学院はもちろん、大学でも進学したらそういうことの連続です。進学した卒業生たちは異口同音にそういっています。私が面倒を見ている学生たちは、そういう学問研究生活に耐えられるでしょうか。不安でなりません。

赤からの出発

11月6日(火)

先週の選択授業で学生たちに書かせた小論文を返しました。でも、その前に、各学生の文章から1つずつ選んだ誤文を並べ、それを直させました。先週書き上げたときには、書いた本人は気がつかなかった間違いを、違った目で見て直すのです。

他人の間違いは蜜の味なのでしょうか、思いのほか真剣に取り組み、岡目八目なのでしょうか、わりと要領を得た答えが返ってきました。書いた本人にどこまで響いたかはなかなか測り難いのですが、同様のミスが少しでも減ってくれればやった甲斐があるというものです。

私が担当しているのは中級クラスで、前回が初めての小論文でした。ですから、まず、小論文の型ができているかどうかで成績をつけました。客観的な論理や深い考察があればそれに越したことはありませんが、いきなりそれを求めるのは無理というものですから、上級の文章を見る目は封印しました。

そんなふうに甘めの採点でしたが、ほとんどの学生は原稿用紙が血まみれになりました。前後を入れ換えたほうがいいとか言い方を変えたほうがいいとか、もちろん、誤字脱字とか、隙間なく赤が入って変わり果てた自分の小論文を見て、呆然としていた学生もいました。

ひとつ気になったのが、「~と思う」の多用です。日本語の限らずどんな言語でも、言い切りの形が主張を最も強く表現するものです。しかし、学生たちの小論文にはいたるところに「~と思う」があり、ひ弱な印象を受けました。上述の間違い探しにも入れ、読み手の印象を薄くする「~と思う」について解説しました。

もし、学生たちが批判を恐れて言い切りを使わなかったとしたら、由々しきことです。批判も起きないような意見は存在意義がありません。万人受けする意見は、毒にも害にもなりません。学生たちには、毒にも害にもなるスパイキーな小論文を書いてもらいたいです。

過ぎたるは猶…

10月23日(火)

授業後、Tさんが志望理由書を見てほしいと持って来ました。頭痛がするか吐き気を催すような志望理由書ばかりを見てきた目には、一読で内容がすっと理解できるTさんの志望理由書が神々しくさえ見えました。文法的な手直しは、助詞をわずかに訂正する程度で終わりました。文法チェックに加えて、Tさんは字数制限に合わせるために200字ぐらい削ってほしいと言います。ところが、Tさんの文章には無駄がありませんから、なかなか削れないのです。一部の言葉を置き換えて数文字ずつでも削りましたが、積もるほどのちりにはなりません。

こうなると、隙のない文章というのも考え物です。試合前のプロボクサーのごとく、十二分に筋肉質の体から無理やりに脂や水分を絞り出すようなものです。ですから、字数を減らすには文章の骨格から抜本的に見直す必要があります。でも、文章の骨格に手を入れると、Tさんの志望理由書ではなく、私の創作になってしまいかねません。そんなことまで考えると、かえって頭痛に吐き気の志望理由書よりも厄介にすらなってきます。

どうにかこうにか赤を入れてTさんに手渡したところで、私は受験講座の時間が来たのでタイムアウト。受験講座の合間にたまたま顔を合わせたTさんに聞いたところ、それでもまだ100字ぐらいオーバーしているとか。こうなったら根性を決めて、Tさんに事情聴取して白紙の状態からつくり上げるほかないでしょう。Tさんの志望校は締め切りが迫っていますから、明日は腰も腹も据えて取り掛かることになるかもしれません。

ヘアスタイル

10月15日(月)

久しぶりにRさんに会ったら、髪が短くなっていました。「ずいぶんすっきりしたねえ」と声をかけると、「はい。自分で切りました」と、はさみでチョキチョキするしぐさをしました。「自分で?」「はい。日本の(髪を切る)お見せには行ったことがありません」。

Rさんの実家は、髪を切るお金を節約しなければならないほど貧しいなんてことはありません。Rさんの口っぷりからすると、お金はあるけれども日本語でどう切るかを指示するのが難しくて、床屋や美容院へは足が向かないようです。Rさんは上級ですから、それぐらいのやり取りはできてほしいんですがねえ。

そこで思い出したのがOさんです。KCPにいたころは、自分で髪を切っていたかは聞いていませんが、Rさんと同じようにパッとしない風体でした。しかし、M大学に入ってしばらくしてから遊びに来た時には、ちょっとチャラい感じの“大学生”になっていました。間違いなく美容院で自分のしてもらいたい髪形を説明し、美容師とあれこれやり取りしてカットしてもらっていることが見て取れました。在学中はどちらかというと鈍重な雰囲気でしたが、会ったときは身のこなしも軽やかで、すっかり垢抜けていました。

Rさんも、2年後ぐらいにはそうなっているのかなあと思いました。なんだか信じられないような気もしますが、進学先で周りの日本人にもまれると、その影響を受けてごく普通の日本の大学生になるのでしょう。それは、日本語力の面では正しく「成長」でしょうが、人間的にはどうなのかな。でも、Rさんの第一志望校はM大学より田舎にありますから、今のRさんのいい意味での朴訥さは変わらないんじゃないかな…。あれこれ想像を膨らませました。

急成長

10月6日(土)

Yさんが入学式の在校生代表スピーチの練習に来ています。私は直接練習を見ていませんが、職員室に入ってきたときの表情を見る限り、かなりの手応えを感じているのではないかと思います。

Yさんは先学期の末に志望校への合格が決まり、今は上げ潮です。受かった勢いでスピーチを引き受けてしまったところもあるように思えましたが、どうやら決して勢いだけではないようです。難関を乗り越えたことで自分を信じられるようになり、その自信が体中からほとばしり出ているのです。わずかな間に大きく成長したと思います。来週の入学式では、先輩としてきっと堂々たるスピーチをし、新入生の目標となってくれることでしょう。

思うに、Yさんはプレッシャーを糧に伸びていける学生なんじゃないでしょうか。正直に言うと、Yさんが志望校に出願した時には、「当たって砕けろ」になるだろうなあと思っていました。でも、試験日が近づくにつれて、はたで見ていても力をつけてきたことがわかり、もしかすると…という気になってきました。そして、合格発表であり、在校生代表でありというわけです。

この姿を、国のご両親に是非お見せしたいです。さぞお喜びになることと思います。YさんはKCPの一番下のレベルから始めていますから、文字通り長足の進歩です。親御さんも今のYさんをご覧になったら、留学させてよかったとお思いになるに違いありません。

しかも、Yさんはまだまだ伸び盛りという感じがします。卒業までの半年、後輩たちをぐいぐい引っ張っていってもらいたいです。

ぽかん

9月25日(月)

期末テストが近づき、授業中に行われる平常テストで不合格だった学生が大量に再テストを受けました。なぜ、「大勢」ではなく「大量に」という言葉を使ったかというと、同じ学生が複数の再テストを受けたからです。複数でも何でも、再テストで合格点を取ってくれればいいのですが、再テストをしても合格点に手が届かない学生がいました。それどころか、最初のテストよりも成績が下がる例すらありました。

勉強せずに再テストを受けたということはないでしょうから、冷たく言い切ってしまえば、実力がないのです。こういう学生には、もう一度同じレベルをやってもらおうと、私の心の中では思っています。サボっていて実力が伸びないのなら、もう一度、こんどはまじめに勉強しなおしてもらいましょう。教師の説明がわからなかったのなら、二度目に聞けばわかるようになるでしょう。今学期わからなかったところを整理しておいて、来学期そこを集中的に聞いて理解することができれば、1回目で理解したつもりになっている学生より確かな実力となることでしょう。

最も厄介なのが、もう限界組です。努力しても、語学に対するカンを持ち合わせていないため、実力が頭打ちになってしまっている人たちです。助詞の用法でも動詞の活用の使い分けでも、理論的に説明できないことはありません。しかし、教師の説明だけで理解しようと思うと、膨大な量の日本語を聞かなければなりません。その日本語を聞いて理解するほうが、そこで説明されている文法を理解するよりよっぽど難しいです。ですから、カンによってそれを補い、少しの説明から応用範囲を広げていく才能が必要なのです。その才能がない人は、そこで打ち止めです。

残念ながら、私のクラスにもそれらしき学生がいます。初級の終わりぐらいの段階でもうそれが来てしまったとは、本人も認めたくないでしょうし、こちらとしてもどうにかならないものかと思ってしまいます。学期の初めはそれ程でもなかった差が、今は歴然としています。教師の地の語りが理解できるようになった学生がいる一方で、それを聞いてもぽかんとしている学生もいます。ぽかんの人たちに、どこかで引導を渡すのも、私たちの仕事です。