Monthly Archives: 8月 2022

灯台

8月10日(水)

漢字の読みの教材に「灯台」という言葉がありました。上級クラスなのでこれくらいは読めて当然です。だから、「灯台がどこにありますか」と聞きました。学生たちが知らないであろう「岬」を導入しようという伏線です。「港」ぐらいは当然出てきてほしいところでしたが、「海」と言われるくらいは覚悟していました。最初に出てきた答えは何だと思いますか。「机の上」です。

「えっ、机の上に灯台がありますか」「はい、本を読むときに使います」。私が渋い顔をしていると、「夜、部屋を明るくします」と追い討ちがかかりました。時代劇などで見かける、油をしみこませた燈心に火をつけてうすぼんやりと明るくする照明器具を差していることは明らかです。中国語の「灯台」は、日本語では「燭台」です。日本語の「灯台」は、中国語では「灯塔」です。

でも、「灯台下暗し」の「灯台」は、学生たちが言っていたこの灯台です。油と燈心が載っているお皿の真下は、灯台から離れたところよりもかえって暗いということから来ています。したがって、学生たちの答えも決して間違いとは言えません。そうは言っても、2022年現在、「灯台」から油を燃やす明かりを思い浮かべる日本人はいないでしょう。「灯台」と言えば犬吠埼や潮岬、宗谷岬でしょう。

予定通り、「灯台」の関連語彙として「岬」を導入し、「みなさんが考えていた『灯台』は、せいぜい明治時代までですよ」として、次の問題に移りました。学生たちは、少し不思議そうな顔をしながら、ノートを取っていました。

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講演を聞く

8月9日(火)

毎学期恒例というほどでもありませんが、iPS細胞についての講演をしました。レベル5の読解の教科書にiPS細胞の解説を書いた関係で、授業時間の都合がつく限り、教科書の内容をもう少し深めた話をします。最新の研究動向も取り入れています。

KCPの学生にこういった分野に進む学生が多いわけではありませんが、ある程度まとまった長さの話を、メモを取りながら聞いて理解して、できれば講演終了後に質問するというのが、この授業の目標です。こういうことができなかったら、大学院や大学などに進学しても、授業の内容が理解できません。それは、すなわち、勉強や研究が進展しないということを意味します。

今学期の学生は、質問が多かったです。今までは2、3人のごく限られた学生からしか質問が出なかったのですが、今回は屁理屈をこねくり回すわけでもなく、聞いているみんなのためになる質問ばかりでした。この点は高く評価できます。教室の後ろの方に座っていた学生も、目を凝らしてのパワーポイント画面を見ていましたから、全体的に集中して聞いていたとも思います。

教室にいる学生の態度は非常に良かったのですが、オンラインの学生たちから1つも質問が出なかったのが気がかりです。数名のオンライン参加者がみんな居眠りしていたとは思えませんが、質疑応答となると対面の学生に押されてしまうのでしょうか。私の方から「Aさん、どうですか」などと水を向けるべきだったかもしれません。とはいえ、対面で手を挙げている学生がいたら、そちらを指名したくなるのが人情です。

質問もされましたが、iPS細胞は世界的に競争が激しくなってきています。私のスライドがどんどん陳腐化するような研究成果を、日本勢に出してもらいたいところです。

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茄子の花

8月8日(月)

「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」といいます。親の意見はいつか必ず役に立つから聞いておくものだという意味です。私が子の立場だった時代ぐらいまではそうだったでしょうかねえ。それから1.5世代くらい隔たった今はどうでしょう。世の中の変転が激しく、価値観も行動様式も、平成中盤と比べてすら、大きく違ってきています。私の若い頃から今まで、時間的には1.5世代かもしれませんが、変化の大きさを軸としたら、3世代ぐらい進んでしまったと言っても過言ではありません。

これは、学生の親にとっても同じはずです。学生の親と学生とは、時間的にはまさしく1世代です。しかし、上述の比例計算で行くと、2世代差ということになります。そして、多くの親にとっては実地体験のない異国・日本で、子は暮らしているのです。戦っていると言ってもいいでしょう。

そういう親の意見が、果たして茄子の花だろうかと思うと、大きな疑問を感じざるを得ません。「親が心配しているので、オンライン授業にしたいです」と申し出る学生が増えてきました。親御さんの気持ちはわかりますが、「日本はあなたの国とは感染症への対処法が違うんだよ」とも言いたくなります。この稿ですでに何回も述べたように、現状では対面授業の方が、学習効果が上がります。

進路に関してもそうです。確かに、親はスポンサーです。だから、子の進路に口出しする権利はあります。子が日本の悪しき風潮に流されそうになったら、それを押しとどめるのも親の果たすべき役割です。しかし、子が冷静かつ真剣に考えて出した結論には、いたずらに反対しないでもらいたいと思います。その結論が国を発つ時の考えとは違っていたとしても、それは子の成長の証です。むしろ喜ぶべきことです。

Aさん、Cさん、、Eさん…、親に振り回されている、あるいは親と戦っている学生が何人かいます。でも、自分の意見を通し、険しい道の果てに成功をつかんだ暁には、親を越えた存在となるのです。その姿を親に見せることは、子にできる最大の親孝行でもあります。

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勉強しました

8月6日(土)

午後から教師の勉強会がありました。外部の講演会の参加したO先生の報告会も兼ねて、教師一同、世の中の最新の動きを知ろうというものです。GIGAスクール構想とか、ICTの活用とか、断片的な情報は見聞きしていたものの、系統立てた話をしてもらい、勉強になりました。

確かに、教育界のDXが進み、学校が新しい学びを提供する場へと変われば、日本も停滞状況を打破できるかもしれません。日本語学校も留学生に対して各人の目標に応じた教育や指導ができるようになれば、学生のみならず教師もやりがい生き甲斐が感じられるようになるに違いありません。そういう日が来ることを思うと、やる気も湧いてくるというものです。

しかし、入試制度はどうなるのでしょう。そこが旧態依然たる姿だったら、個々の学校がいくら改革のために汗をかいても、徒労に終わりかねません。自律的な学習が入試の結果に結びつかなかったら、それが真に根付くことはないでしょう。ことに留学生入試が怪しいです。

面接重視は好ましいことですが、つぶさに見ると、おざなりとしか思えなかったり、どんな基準で選抜しているのだろうかと疑いの目を向けたくなったりする大学もあります。EJUの問題は、学校側の新しい動きから見ると周回遅れどころではありません。世界的に留学生の引っ張り合いが激しくなったら、EJUを軸とする留学生入試制度のせいでこの争いに負けてしまうかもしれません。受験テクニックで解けてしまったり、記憶力テストに陥っていたり、解くことに喜びが感じられなかったりするような問題ばかりだったら、EJUに頼っている留学先としての日本は、遠からずそっぽを向かれるでしょう。

何かと深く考えさせられる勉強会でした。

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どこに向かう

8月5日(金)

午前の授業が終わった後、担任のM先生と一緒に、Cさんの進学相談に乗りました。Cさんのお母様がいろいろ心配なさって、学校に電話が掛かってくることもあります。しかし、Cさんは漠然と大学に行くと決めているだけで、その先の方向性が定まりません。その辺をはっきりさせようという趣旨です。

Cさんは理科系の大学に進学しようと思っていますが、国では文科系の勉強をしてきたとのことです。日本に留学するなら理科系をというのが、お母様のご希望のようです。でも、ガリガリの理科系ではないCさんは、お母様が指し示すのとはいくらか違った方に向かおうとしています。文理融合、学際的分野に目が向いています。

誰かに言われて、自分自身の頭で深く考えずに進路を選ぶと、4年間もちません。それが学生自身にとって一番不幸です。Cさんがそうなってしまっては困りますから、Cさんの考えを確かめました。

Cさんは、自分で考えた方向性を示してくれました。しかし、それはまさに方向性に過ぎず、志望校という段階で非常にあやふやになってしまいました。最近掲示板に張り出された指定校推薦がある大学のリストから志望校を選んでいました。Cさんなら指定校推薦の基準は満たしますが、そんないい加減な考えでは、推薦とはいえ、いや、指定校だからこそ、大学の面接試験で落とされるでしょう。

結局、ヒントとして、Cさんの考えている勉強ができそうな大学を選び、Cさんに教えてあげることにしました。手取り足取りとは言わないまでも、まわりに何本も支柱を立てないと、今のCさんは天に向かって行けなさそうです。こういう学生がまだまだいそうで、少々怖いです。

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絵を描く

8月4日(木)

EJUの化学や生物の問題は知識が問われることが多く、それに対して、物理はひたすら計算です。化学や生物は、問われた知識を持っているかどうか、その知識を論理的に展開できるかどうかが運命の分かれ目です。物理は、問題文を図にして可視化し、そこから力のつり合いや熱バランスなどの式を立てることができるかどうかが、正解を得られるかどうかに直結します。ですから、問題文を絵にする力がなければ、お先真っ暗です。

今学期の受験講座物理の受講生は、残念ながら、問題文を絵にする力がまだまだです。今学期は力学を勉強してきましたが、その問題を配ると、みんな問題文は読んでアンダーラインを引いたりはするものの、そこでペンが止まってしまいます。読み取ったことを図に描き入れていかなければならないのに、それが思うようにできません。だから、式も立てられず、当然問題は解けません。5分とは言わないまでも、10分ぐらいで解いてほしい問題を、20分かかっても???のままでした。

私が解説するとわかったような顔をします。私が作った模範解答を配り、読んでもらい、「質問は?」と聞くと、「ありません」と答えます。でも、そのわかったことを正解とか得点とかという形にするところまでには至っていません。これが、今の受講生の実力です。学生たちはやらなければならないことがあまりに多く、物理の問題を解くことにばかり時間をかけられないのは確かです。でも、そこをどうにかしない限り、道は拓けてきません。

気が付いたら、来週の木曜日は祝日です。その次の週は夏休みですから、次回の物理は25日です。さて、どうやったら、学生たちの力になれるでしょうか。

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上級らしくない?

8月3日(水)

上級ともなると、新しい文法を習うというよりは、初級から中級にかけて勉強してきた文法を臨機応変に使いこなす練習が多くなります。JLPTのN1に出てくる(というか、N1ぐらいにしか活躍の場がない)、日本人でもなじみが薄い文法を暗記するよりは、今までに頭に詰め込んだ文法を、使うべき場面で使えるように訓練しておくことが大切です。

外国出身力士をはじめ、日本語が上手だと感じる外国人は、みんなの日本語か、せいぜいもう少し上ぐらいの文法を、正確かつ適材適所に使っています。N1の点数だけなら私のクラスの学生が上回るかもしれませんが、普通の日本人が会話の相手をしたら、逸ノ城のほうをずっと高く評価するでしょう。

そんなわけで、今週から私の文法の時間は、勉強したことがある文法を正確に使えるかどうか見ていく授業となりました。その初回ですが、ひどかったですねえ。これは難しいだろうなと思っていた問題は、ものの見事に全員つまずき、これなら全員正解だろうとみていた問題も、答えを聞くやこっそり直している学生がいました。

「寒いでした」「寒くなかったでした」などという答えに対しては、「午後のクラスに行ったら?」と言ってしまいました。すべて丁寧体で答えさせたので、普通体に慣れてしまった学生にとっては難しかったのかもしれません。

ペアで近況報告という形で、少しまとまった話もさせました。全員のを事細かに聞いたわけではありませんが、ペアの相手がどんな話をしたか報告させたら、多くの学生が筋の通った話ができました。その点は、学生を誉めました。「文法問題がひどかった割には」という言葉を飲みこんで…。

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あなたがすべきことは

8月2日(火)

現在、世界で最も新規感染者の多いのが日本だそうで、累計感染者数で言えば、愛知は9人に1人、大阪や東京は6人に1人、沖縄に至っては4人に1人の割合になっています。ですから、学生が「感染するのが怖い」と言うのはわかります。Xさんもそんな1人で、だからオンライン授業にしたいと訴えてきました。

ところが、話をよくよく聞いてみると、名古屋の大学院の教授に会いに行ったり、その後そこの試験を受けにまた名古屋まで行ったり、KCPの夏休み中は別の大学院の入試準備とかで、けっこう活発に出歩くみたいです。名古屋からオンライン授業に参加すると言い出す始末です。要するに、大学院入試のために自由な時間がほしいからオンラインにしたいのです。感染うんぬんは、表向きの理由に過ぎません。

感染防止のためなら、自室から出るのは必要最小限にしなければなりません。名古屋遠征などもってのほかです。名古屋も、東京よりはましとはいえ、9人に1人ですからね。それに、Xさんは、春の連休の谷間を、学校を休んで名古屋で過ごしたという“前科”があります。甘い顔をしたら、自由に飛び回ったあげく、どこかでウィルスを拾ってきかねません。

オンライン授業の利点は場所を選ばないことです。しかし、現時点において、日本語学校ではオンライン授業は例外です。国もそういうスタンスだし、私たちも教育効果を上げるにはオンライン授業よりも対面授業だと思っています。少なくとも、日本にいるなら対面授業を受けるべきでしょう。

そもそも、Xさんの場合、大学院入試の合格発表日を「きゅうがつむつか」と言った時点でアウトです。今のあなたに最も必要なのは、絶対に逃げ隠れできない環境で口頭練習することです。それには毎日学校に通って先生に絞られること以外に道はありません。

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秋の気配を感じる

8月1日(月)

先週末あたりから、梅雨明け直後のような暑さが復活してきました。今朝からずっと、KCPの玄関の体表面温度計は、学生が出入りするたびにアラームを鳴らし続けています。足止めを食った学生は、ノートで体をあおったり玄関前の日陰に座り込んだりして、衣服や髪にたまった熱気を放出し、再挑戦しています。それでもアラームが鳴りやまない学生もいます。幸い、どうやってもアラームが止まらない、つまり本当に体温が高くなっている学生はいませんでした。週間予報によると、ここしばらくは熱帯夜+猛暑日の最強コンビが東京を覆い尽くすようです。

そんな、今年2度目の盛夏を迎えたような東京ですが、私は秋を感じています。梅雨明け間もない6月下旬の1度目の盛夏の頃は、私が家を出る時分には外が明るくなっていました。部屋の電気をつけずとも身支度を整えられました。しかし、先月上旬から中旬にかけて、夏の中休みと言いましょうか、戻り梅雨と言いましょうか、天候不順な日々は、日が照らないので薄暗かったです。そして、第2盛夏ともいうべき最近は、空に雲がないのは感じられても暗いのです。日の出の時間が20分あまり遅くなっているからです。

夏至の頃は、私が乗る電車から見える朝日は、ビルの6階か7階ぐらいの高さでした。しかし、8月の朝日は、かろうじて水平線上にその全身を現す程度です。ずいぶん低くなったなあと思います。KCPの夏休み明けには、日の出前の薄明の時間帯になってしまいます。

毎年のことですが、車窓からの朝日が低くなると秋を感じ、一抹の寂しさも覚えます。今年は第1盛夏が強烈でしたから、もうエネルギーが尽きてしまったのかと、半月ほど前までは心配もしていました。でも、どうやらもうひと働きしそうです。とはいうものの、働き過ぎないようにしてもらいたくもあります。

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