海を見つめる

2月26日(金)

朝、いつもの時間に、御苑前駅から学校への道の最後の角を曲がると、ビルの隙間からきれいな朝焼けが見えました。思わず真上の空を見渡すと、雲らしき姿はなく、日の出直前の最後の輝きを放つ星が「バス旅行日和だよ」と告げているかのようでした。

出発時刻が近づくにつれて学生たちもどんどん集まってきました。しかし、出発時刻を過ぎても何名かの学生は来ませんでした。もう出発しようと思ったそのときに、Pさんから電話が入りました。学校のすぐそばまで来ているが、バスの止まっている場所がわからないと言います。電話で場所を説明し、Pさんも走っているようではありましたが、これ以上待ったら日程に影響が出かねないという時間になっても姿を現しませんでした。Pさんは切り捨てて出発することにしました。

Pさんは遅刻の常連です。先週の卒業認定試験も朝寝坊で受けず、追試を受けたくらいです。痛い目に遭わないと行いは改まらないと考え、また、時間厳守と言っておきながら大幅遅刻の学生を待ち続けるのは、他の学生の教育上もよくないと思い、Pさんには泣いてもらうことにしました。

アクアラインに入る直前ぐらいに富士山が見えると、車内は大きなどよめきとカメラの音の嵐。海ほたるの展望台からも、横浜の町のかなたに真っ白な富士山がくっきりと見えました。まだ9時台でしたが、日なたは思ったよりも暖かく、多くの学生が富士山を背に記念撮影をしていました。

鴨川シーワールドに着くと、まず、お弁当。クラスまとまって…と思ったのですが、早速展示物につかまる学生が多く、私のクラスは空中分解。でも、私が用意してきたデザートもあっという間に売れてしまい、それなりに楽しいひとときだったようです。

イルカのパフォーマンスを見ました。学生たちは歓声の上げ通しでした。ジャンプも泳ぎもうなるしかないほどの一級品でしたが、私は芸をするたびに飼育員が与えるえさの量が気になりました。小魚か何かなのでしょうが、15分ほどのパフォーマンスの間にイルカが食べた量は半端じゃありませんでした。私もイルカのパフォーマンスには楽しませてもらいましたが、楽しむだけでいいのかなという気もしました。

学生たちは八のパフォーマンスも見に行きましたが、私は体がすっかり冷えてしまい、お土産屋や屋内水族館で体を温めました。体が温まり、また外に出てみると、海岸に結構学生が出ているではありませんか。危ないことはしないようにと、砂浜で学生の見張りをしました。

シーワールドからずっと離れたところに、Jさんがぽつんと立っていました。バスの駐車場からもだいぶ離れたところだったので、あまり遠くへ行かないようにと注意しに行くと、いつになく真剣なまなざしで海を見つめていました。

「何を見ているんですか」

「母を思っています」

そう答えると、Jさんの目から涙がこぼれ出しました。鴨川の海はJさんの国とは反対向きですが、海には人の心を揺さぶる偉大な力があるものだと、大いに感心させられました。富士山よりも美しい絵を見せてもらいました。

よく来たね

2月25日(木)

今日は、多くの国立大学が、日本人高校生向けの前期日程に合わせて、留学生入試を行いました。私のクラスも、今朝は教室がスカスカで、出てきた学生もどこか戸惑ったような顔をしていました。近場の学生もいれば、遠征している学生もいます。遠征組も、明日のバス旅行に行くために、何とか今日中に帰ってきます。諸般の都合でバス旅行が明日になってしまいましたが、国立受験の学生にはしんどい日程だったかもしれません。

昨日、12月の卒業生のJさんが面接練習に来ました。卒業後、今まで約2か月、Jさんなりに直前の追い込みをかけてきました。筆記試験はそれで何とかしたようですが、面接は不安があったのでしょう。

面接練習をして見ると、案の定、甘い答えが次から次へと出てきて、これじゃ国立はまずいんじゃないかなという内容でした。Jさんは頭が固いタチではありませんから、前日でも軌道修正が利くと思い、足りないところを遠慮なく厳しく指摘しました。Jさんも、それが目的で来たはずです。

1月に入学すると、日本語学校の最中在籍期間は2年ですから、翌年の12月が卒業となります。すると、進学者にとって1~3月は空白の期間になってしまいます。その3か月は、すでに進学先が決まっていれば、ギャップイヤー的な使い方もできますが、Jさんのように最後の勝負をかけようという学生は、宅浪的な日々を送る羽目に陥りかねません。そうならないように学生としっかりした関係を築いておくのも、実は教師の隠れた仕事なのです。Jさんはその絆をぐいとたぐり寄せて、面接練習に来たというわけです。

さて、試験の手ごたえはどうだったのでしょうか。Jさんは明日のバス旅行には参加しませんが、今日受験した在校生の面々には、バスの中で話を聞いてみるつもりです。

すらすら

2月24日(水)

最上級クラスの読解をしました。読解授業のお決まりのパターンで、テキストを数行ずつ音読させました。教材を配り、ざっと黙読させて、すぐに指名して読ませたのですが、ほとんどつっかえないんですね、どの学生も。もちろん、私たちとは違うイントネーションやアクセントになることはありますが、明らかに文字ではなく文を読んでいます。昨日は上級クラスだったのですが、そこの学生とは段違いです。授業内容が3、4レベル違いますが、音読のレベルもちょうどそれくらい違います。

彼らは日本語を母語同様にとらえ、母語と同じシステムで処理しているのでしょう。我々が文章を音読するときと同じように、目だけ少し先に進ませて、次にどんな流れがあるかを把握しながら声を出しているので、滑らかに読み進められるのです。昨日のクラスの学生たちは、そこまでは至らず、いわば自転車操業で読み上げているから、滑らかさに欠けるのだと思います。

昨日のクラスの学生たちだって、曲がりなりにも上級クラスですから、全日本語学習者の中で位置づければ相当高いところになるはずです。今日の学生たちは、そのはるか上を行っているのですから、N1とかっていうのを超越しています。そういう学生たちを教える私って、かなりすごいのかな……。

授業見学をした方たちからはしきりに感心されますが、やってる本人は学生たちをいびりたおして楽しんでるところもあります。一見隙のなさそうな学生たちの弱点も知っていますし、それが同時に学生たちの求めているものでもありますから、それを学生たちにちらつかせながら授業をしているのです。

卒業式まで10日、最後の最後まで楽しませてもらいます。

冷たい南風

2月23日(火)

寒い日が続いています。日曜日は例外的に暖かかったですが、それ以外は10度にやっと届くかどうか、あるいは数字は高くても体感的にはパッとしない日々です。心配なのは、バス旅行の日、金曜日の鴨川の気温です。お天気はまあまあみたいですが、予想気温が10度と出ています。目的地のシーワールドはその名の通り海っぱたですから、風が強いでしょう。ということは、10度といっても5度か7度かそんな感じかもしれません。

以前バス旅行で鴨川シーワールドへ行ったときは夏でしたから、風が心地よいくらいでした。でも、今は2月ですからそうはいかないでしょう。気温で20度近くまで上がってくれないと、暖かいって感じはしないでしょうね。

海っぱたの風で思い出すのが、新入社員の実習で行った北海道の工場です。その工場は北海道に南岸にありましたから、海風は南風でしたが、あんなに冷たい南風は、あとにも先にもあの時だけです。5月とはいえ、海から吹き込む風はかなり強く、私にとってはブリザードに近いものがありました。

さすがに鴨川ではブリザードにはならないでしょうが、ある程度の覚悟はしていかないといけません。南房総の2月といえば菜の花のイメージですが、そんなつもりで行くと1日中震え上がっていなければならないでしょう。

問題は、学生たちにそれをどうやって伝えるかです。彼らは若いですから、私のような年寄りよりもずっと寒さへの耐性があるのかもしれません。でも、私よりもずっと風邪を引きやすいということは、それは耐性ではなく、寒さの感受性が鈍いだけかもしれません。

明日は各クラスでしおりを配って日程などの説明をします。卒業直前に集団風邪なんてことがないように、がっちり注意していきたいです。

辛抜く

2月22日(月)

先週末の中間テスト・卒業認定試験を採点しました。予想通り、遅刻や欠席の多い学生は点が取れず、授業に出ていても本気かどうかわからないような学生もまた、成績は伸びませんでした。

今学期は読解教材に小説も使いました。この小説の読み取りに、意外と大きな差がつきました。小説のパートが非の打ち所のない答えだったのはCさん。さすが、入学した時からいつも日本の小説を手にしていただけのことはあると、感心させられました。登場人物の心の動きを完璧にとらえています。ふだん小説などに親しまず、授業で使うテキストだからと読んだ程度の付け焼刃では、深い読み込みはできないものなのです。

ロジカルな文章は、Bさんが最高点でした。Bさんは物事をきちんと積み重ねて考えていくことができる学生ですから、これもまた当然の結果といえましょう。物事を、何となく勢いで、感覚的に考えてしまいがちな学生たちが失点を重ねていくのを尻目に、隙のない答えで得点を重ねました。

漢字の書き取りは珍答続出でしたが、最高傑作は、「初志を“つらぬく” 」で、「辛抜く」と答えたXさんでしょう。確かに、初志を貫くには辛い目を乗り越えぬかねばなりませんが…。個人的には「座布団3枚」で5点ぐらいあげたいところですが、そういうわけにはいきません。

文法は、授業でフィードバックしなきゃいけなさそうな間違いがいくつかありました。卒業認定試験が終わったからと言って、日本語の勉強が終わりだなんて思われたらたまりません。

卒業式まで授業日数は8日です。有意義に使って、教師としても有終の美を飾りたいです。

一生勉強

2月20日(土)

昨日の中間テスト・卒業認定試験を採点しました。卒業予定者はこのテストに合格しないと「卒業」証書がもらえず、「修了」証書になります。超級レベルの学生たちは、日本語力の絶対値においては、数百万人と言われる日本語学習者の上位1%に入るくらいのものを持っているはずですが、この学校できちんと勉強したという証を立てるため、卒業認定試験で合格点を取ってもらわねばなりません。

日本語学校は学歴の埒外の教育機関ですから、「卒業」でも「修了」でも学生たちの将来に大きな差が生じることはないでしょう。でも、だからこそ、けじめをつけることが大切です。卒業証書は、若い多感な時期の1年か2年を有意義に過ごした証明書なのです。単に力があるというだけでは渡したくありません。

さて、その結果ですが、ふだんの授業態度から手を抜かず勉強しているなと思っていた学生が着実にしかるべき成績を収める一方、消化試合みたいな態度だった学生はそれなりの点数しか取れていません。N1の試験問題をさせたら後者の学生のほうが高得点かもしれませんが、卒業認定試験は授業を受けていることを前提としていますから、評価が逆転しても当然です。

そして、学生の真価がわかるのは、実は来週からです。卒業認定試験が終わり、「卒業」が確定したらあとは野となれ山となれみたいな学生が毎年出てきます。同時に、卒業式の前日まで謙虚に学び続けようという学生もいます。超級クラスの学生たちの日本語力は認めますが、勉強することなど1つもないというわけではありません。もちろん、私は手を緩めず授業します。

就職するには

2月19日(金)

D専門学校の方が、「お預かりした学生のご報告」ということで、KCPからD専門学校に進んだ卒業生の近況報告をしに来てくれました。その方の話によると、2年前に卒業したJさんが、ゲーム業界最大手ともいえる会社に就職したとのことです。ゲームにはあまり関心のない私でも知っている超有名会社に、日本人との競争に勝って就職を決めたのですから、「すごい」の一言です。

なぜそんなすごいことができたのかというと、まず、ゲームを作ることが好きだということ、そのゲーム上に自分の個性やアイデアを表現できること、そして、そのゲームについてプレゼンする能力が高いこと、そんなことが勝利のわけとして挙げられると、専門学校の方は言っていました。就職戦線を勝ち抜くには、「好き」に加えて、いろいろな形の表現力が物を言うようです。

日本で進学して、最終的には日本で就職しようと思っている学生は山ほどいます。でも、進学先で学力や専門性を高めることには目が向いても、表現力を鍛えることを今から考えている学生は皆無に近いんじゃないでしょうか。就活が近づいてからバシバシいじめられ、自分の弱点に気付くというパターンが目に見えます。

今日は中間テスト・卒業認定試験がありましたが、週末に面接試験を控えている3人の学生の面接練習もしました。3人とも日本で就職したいようですが、勉強プラスJさんほどの表現力が求められることには、考えが及んではいないでしょうね。現時点では大学に入ることに精一杯ですから、やむを得ませんけど。

私が先日面接練習で鍛えたMさんがN大学に合格しました。そのMさんにしたって、自分の研究業績を表現する術を身に付けなければ、一生を貧乏研究員で過ごす羽目にも陥りかねません。そう考えると、毎学期超級クラスでやってきた学生のプレゼンの時間は、結構生きてるんじゃないかなと、自画自賛しています。

生物は図録だ

2月18日(木)

今学期の生物の受験講座は、教科書は使わないつもりで始めました。留学生向けの適当な教科書がなく、日本人の高校生の教科書や参考書では字が多すぎて、留学生は使いこなせません。ですから、パワーポイントやインターネットなどを中心に、補助的にプリントを配って学生たちの理解を進めていこうと思いました。

学生たちは私が持っている図録に目をつけました。すぐに消されてしまうパワポの画面よりも、ずっと手元に残る図録のほうが受験勉強には役に立つというわけです。こちらとしても、学生たちが図録を持っていれば資料の準備がかなり楽になります。また、高校生向け図録は1000円でお釣がくる値段ですから、学生の負担もさほどではありません。

というわけで、急遽学生に図録を買ってもらいました。図録を教科書代わりに解説して、その後EJUの過去問を練習問題としてやらせました。多くの問題が、図録を見ると解けるのです。問題文の該当箇所の図表や写真を見ると、正誤問題でもどうにかなってしまうものです。

生物名にしたって、学生は日本語名ではどんな生物か想像もできませんが、写真を見ればああこれかとわかります。また、生物学的に有名な実験は、世界どこでも似たような図表で説明がなされているようで、その図表を指し示しながら、これについて国で勉強してきたかと聞けば、話が十分に通じます。

「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもので、図録のおかげで小難しい説明がだいぶ省略できました。学生の日本語力のなさを補ってあまりある図録の威力でした。

返ってきた500円

2月17日(水)

早朝から学校で仕事をしていると、いろいろなことに出くわします。おとといの朝は、まだ夜が明けきらぬうちにAさんが来ました。毎学期、中間・期末テストが近づくと、朝早く学校へ来て、学校で勉強しようと考える学生が現れます。Aさんもそんな1人だろうと思って、2階のラウンジを開けてあげようとしたら、少し恥ずかしそうに、「先生、すみませんが、500円貸していただけませんか」と、とても丁寧に頼み込んでくるではありませんか。

いきなりそう言われてびっくりしていたら、Aさんはさらに続けます。「昨日から両親は旅行に行きました。でも、お金を置いていくのを忘れましたから、今、私は全然お金がありません。だから、何も食べられません」。Aさんの目を見る限り、その言葉にうそはなさそうだと思い、私の財布から500円玉を取り出し、Aさんをラウンジへ連れて行き、ラウンジの鍵を開け、Aさんに500円を渡しました。Aさんは「ありがとうございました」と深く頭を下げました。

その500円が、今朝、返ってきました。授業が始まる30分ほど前にAさんが受付へ来て、またまた「ありがとうございました」と深く頭を下げ、500円を返してくれました。「ご両親は帰ってきたんですか」ときくと、にっこり笑ってうなずきました。Aさんを信じてよかったです。

残念ながら、こういう心温まる話はそう多くありません。先週から今週にかけては、世のインフルエンザ隆盛に歩調を合わせて、インフルエンザだとか、っぽいとかで欠席するという電話連絡が増えました。インフルエンザなら、登校禁止ですから、うちでゆっくり養生してもらわねばなりません。中間テスト直前だからと焦る学生を電話口でなだめるのも、私の仕事になっています。

芽生え前

2月16日(火)

今学期の受験講座は、上級の学生がほとんど抜け、来年の4月に進学を目指す初級から中級の学生が主力になっています。私が担当している理科は、意欲に日本語力が追いついていない学生が目立ちます。

理科の場合、国で勉強してきたことを日本語で復習するという側面があります。日本語で理解を整理するといってもいいでしょう。教師である私が、学生たちの母語が使えないので、学生たちのほうから歩み寄ってもらわなければなりません。ですから、中級あたりまでの学生にとっては厳しいところがあると思います。

でも、自分がこの学校で身に付けた日本語を武器として何かをするという経験ができます。日本語の授業の中という模擬的な環境ではなく、非常に大きくかつ重要な必要に迫られて何かをするのです。ここで何かを成し得た自信は、他の場面では手にすることのできないものです。

そういう高尚なことをしようとしてはいるのですが、今学期の学生たちは前のめりになっている感じがします。学生たちは、私の説明が一発でわからなかったり、自分の疑問点を私に上手に伝えられなかったり、練習問題の題意がすぐにつかめなかったりと、連日苦労を重ねています。

何だかんだと言いながらも、先学期から始めた学生たちは、明らかに進歩しています。今学期からの学生も、この1か月の間に力をつけました。元々持っていた理科の力を、日本語を通して表せるようになってきたと言ってもいいでしょう。本人たちはまだ手ごたえを感じてはいないでしょうが、彼らの面倒を見ている私は感じています。

春の芽生えみたいなものかもしれません。風は冷たいけれども「光の春」と呼ばれる2月の陽光を浴びて、木や草がかすかに青やいできたというところでしょうか。6月のEJUには花を咲かせなければなりません。芽吹きの季節が待ち遠しいです。