1時間待ち

11月13日(火)

午前の前半の授業が終わり、選択科目の教室に移動するために後片付けをしていると、Hさんが教室に入ってきました。Hさんは前半の授業を休んでいます。「どうして休んだんですか」「先生、すみません。踏み切りで1時間止められました」「踏み切りで止められた?」「はい、車に乗っていたんですが、踏み切りで全然動かなくて遅刻しました」「Hさんのうちはどこですか」「池袋です」…。

要するに、友達と一緒にタクシーで学校へ来ようとしたか、友達に車で送ってもらおうとしたかで、運悪く池袋駅近くの開かずの踏み切りに捕まり、1時間身動きが取れなかったようです。それならどうして車を降りて電車で来ようとしなかったかと訴えたかったのですが、次の予定が迫っていたのでHさんを釈放しました。

それにしても、Hさんは東京で1年半も暮らしているのに、車の中でボーっと1時間も待っていたなんて、いったいどういう神経をしているのでしょう。この1年半、日本の社会を全然見てこなかったのでしょうか。日本はクルマ社会ですが、東京で一番信頼できる交通機関は電車であり、クルマは、快適かもしれませんが、時間の計算の立たない移動手段です。こんな、東京人にとっては常識以前のこともわからなかったとしたら、Hさんは家と学校と、せいぜいアルバイト先にしか足を踏み入れていないのでしょう。それも、決まりきった道を通って。もしかすると、国の仲間だけと付き合い、日本のニュースには全く触れず、スマホで国のサイトばかり見ていたのかもしれません。日本語は多少じゃべれるようになったかもしれませんが、これでは社会性はまったく身についていません。

選択授業は、Hさんとは違うレベルの学生向けの小論文でしたが、社会性のある意見が出てくるか、若干暗い気持ちで授業に臨みました。

8つ間違えた

11月12日(月)

昨日でEJUが終わりました。私のクラスのSさんやMさんは、日本語で8つ間違えたけど何点ぐらいかなどと聞いてきました。EJUは、どの問題が何点などと決まっていませんし、間違え方によって点数が違うという噂もあるし、間違えた数だけで点数が予測できるような単純なしくみではありません。

それよりも問題なのは、SさんにしろMさんにしろ筆答問題に弱いということです。いや、この2人に限りません。今年の上級クラスは、記述式の問題になると元気がなくなってしまいます。“~を抜き出しなさい”という、テキストの文言をそのまま引っ張ってくるのならまだいくらかできるのですが、自分の考えを書いたり本文の内容を要約して答えたりする問題となると、白紙のまま手がピクリとも動かない学生が大勢います。

確かに、筆答問題は答えをまとめるのに手間もかかるし、答えに至るまでの過程も長いです。選択式のようにヒントが書かれておらず、それさえも自分で見出さねばなりません。しかし、長い文章の中から自分でそれを見つけ、頭の中を整理し、筆者の言わんとしていることや登場人物の心の動きなどをつかむことにこそ、論説文を読む意義があり、読書の醍醐味を感じるのではないでしょうか。

私のクラスの学生だけじゃありません。選択授業で資料調べをさせていますが、ごく一部の学生を除いて「調べ」になっていません。たまたまネットで引っかかったサイトの内容を丸写しなのですから。日本語という外国語で調べるのは学生たちにとって荷が重いでしょうが、大学院はもちろん、大学でも進学したらそういうことの連続です。進学した卒業生たちは異口同音にそういっています。私が面倒を見ている学生たちは、そういう学問研究生活に耐えられるでしょうか。不安でなりません。

はさみで勝つ

11月10日(土)

外部の研修会でNIE(教育に新聞を)を勉強してきたM先生を中心に、授業で新聞を扱う先生が増えました。私は朝日と日経のデジタル版の有料購読者ですから、10日前ぐらいからの新聞記事を紙面の形で印刷することができます。ですから、パソコンでこれはと思う記事を見つけた先生から、その記事をいかにも新聞から切り抜いたかのように印刷してくれと頼まれることがこのごろよくあります。

今朝もA先生から、トランプ大統領とCNNの記者の記事ということで依頼されました。検索するとそれっぽい記事が引っかかってきましたが、それは大きな記事の中の一部でした。大きな記事だと字数も多すぎるし、扱っている範囲も広すぎるし、授業で使ったらもてあましそうです。でも、A先生がほしい記事だけピンポイントで印刷することはできません。しかたがないですから、大きい記事を印刷して、必要な部分だけ切り抜くことにしました。

A先生は、はさみを手にしながら、「なんだかアナログだねえ。Sさん、これ、パソコンの中でどうにかならない?」と、ITに詳しいSさんに聞きました。「できるけど、手でやるほうが早い。何でもコンピューターにやらせようとしちゃだめだよ。手の方が効率的なことだってある」とSさん。「パソコンでこんなことがしたいんだけど」と相談すると何でも解決してくれるSさんの言葉ですから、重みがあります。

いろんなアプリやら小道具やらがあります。それを上手に使いこなせば確かに便利です。楽です。そういうものが使えるように仕事をやり方を変えることも業務の効率化の一つです。しかし、何でもそれを基準に考えるというのは、人が機械に振り回されていて、人間の主体性が奪われているように思えます。人間がAIに負けるというのには、こういう面もあるのかなと、Sさんの言葉に感じました。

合格報告

11月9日(金)

Mさんが入学したのは今年の4月でした。国で日本語を勉強してきたのにプレースメントテストでレベル1に判定されたのが少し不満そうでした。ひらがなの読み書きから始めるクラスで、自分はこんなクラスにいるべき学生じゃないんだとばかりに、難しい文法(と言ってもレベル2で勉強するくらいの文法ですが)を盛んに使っていました。

お昼過ぎ、そのMさんが「先生、これ、見てください」と、スマホを差し出して見せてくれたのが、S大学の大学院の合格通知でした。レベル1の時からずっとそこに行きたいと言っていて、言うだけではなく着実に準備を進め、見事に初志貫徹したのです。やるべきことはきちんとやってきたのですから、当然の結果かもしれません。

T先生は「そうやって前にお世話になった先生のところにきちんと報告に来るような人だから合格したんですよ」とおっしゃっていました。確かにその通りで、必要なことを計画的にしてきたことがうかがわれます。また、そういうMさんなら、大学院進学が決まったからこれから卒業まで遊びまくるというのではなく、残された4か月ほどの間に可能な限り日本語力をつけて、進学先で日本語で困ることがないようにしていくでしょう。

それに比べて、私が受け持っている最上級クラスは、こっそり受かっている学生が続出で、噂を聞きつけて昨日聞き取り調査をしたら、Jさんなど2校も受かっていました。Jさんは、Mさんより日本語はできますが、進学してからそこの社会・コミュニティーに溶け込めるでしょうか。若干不安を覚えます。

これからとこれまで

11月8日(木)

初級の学生向けの受験講座は2本立てです。11月のEJUを受ける学生がいますから、無理を承知で過去問をしています。その過去問の解説を通して、物理や化学や生物の基本事項を教えていきます。日本語を読む力がまだまだですから、問題文を読むのに上級の学生の3倍ぐらいかかってしまいます。ですから、今度の日曜日の本番でも、彼らが思い描いている大学に手が届くほどの得点は挙げられないでしょう。今回はどのくらい難しかったか、時間が足りなかったか、できなかったか、緊張するか、母国の入試と雰囲気が違うかなどが実感できれば十分です。

その代わり、来年の6月が勝負の試験です。来週の受験講座からは、それに向けて体系的に勉強していきます。断片的な知識の堆積ではなく、日本語による脳内の理科ネットワークの構築を目指します。国で勉強してきたこともベースにして、“一を知って十を知る”みたいな頭になったら、実力が飛躍的に伸びます。今は私の日本語が苦しいでしょうが、ここを我慢すれば、進学してから日本語で勉強や研究ができる思考回路が築けるのです。

上級の学生向けの受験講座は、今週が最終回です。1年以上も私の授業に付き合ってくれた学生たちには、同志に似た感情すら生まれます。私には、もう、学生たちの健闘を祈ることしかできません。毎度のこととはいえ、気体と不安がない交ぜになったこの気持ちは、達成感とも自分自身の力不足を嘆くのとも違う、何とも形容のしようがないものです。

来週からは、受験講座をしていた時間に面接練習がバンバン入りそうです。

お前の目は節穴か

11月7日(水)

自分の間違いを自分で発見し、自分で直せるようになったら、一人前に一歩近づいたと言えるでしょう。学生たちのノートをチェックすると、同じレベルでもこの力の差がけっこう大きいことに気づかされます。

クラスでディクテーションをして、何人かの学生に答えをホワイトボードに書かせ、その正誤をみんなで判定し、間違った部分を赤で直し、全学生がその正答を確認しています。しかし、後日ノートを集めて点検すると、細かいところまできちんと直している人もいれば、明らかな間違いを放置している人もいます。学生の性格によるところもあるでしょうが、概して成績のよくない学生は間違い放置組みにいます。日本語がゼロに近い学生なら直してあげもしますが、そこそこ日本語がわかるはずのレベルの学生だと、「自己責任」を取らせたくなります。でも、そうするとその差がますます広がるばかりなので、あーあと思いながら赤を入れます。

間違いに気づかない学生は、自分の答えは絶対に間違っていないと信じ込んでいるのでしょうか。その面々を思い浮かべるに、そこまで傲慢な人たちだとは思えません。これも、社会心理学などでいう正常性バイアスの一種だと思います。教師が「ここはみんなが間違えやすいから気をつけろ」と言っても、自分は間違えることなどないだろうと勝手に決め付けてしまい、正しい判断をせず、したがってしかるべき処置もとらず、間違いが放置されるのです。教師がチェックして直せば、そして、その教師の指摘を受け入れれば、テストで減点されるなどの最悪の事態は免れます。しかし、そういうバイアスのかかった目で見ると、教師の入れた赤も学生の目には映らないことだってあるかもしれません。

今度の日曜日はEJU、来週の木曜日は中間テスト。今学期も時間がどんどん流れていきます。

赤からの出発

11月6日(火)

先週の選択授業で学生たちに書かせた小論文を返しました。でも、その前に、各学生の文章から1つずつ選んだ誤文を並べ、それを直させました。先週書き上げたときには、書いた本人は気がつかなかった間違いを、違った目で見て直すのです。

他人の間違いは蜜の味なのでしょうか、思いのほか真剣に取り組み、岡目八目なのでしょうか、わりと要領を得た答えが返ってきました。書いた本人にどこまで響いたかはなかなか測り難いのですが、同様のミスが少しでも減ってくれればやった甲斐があるというものです。

私が担当しているのは中級クラスで、前回が初めての小論文でした。ですから、まず、小論文の型ができているかどうかで成績をつけました。客観的な論理や深い考察があればそれに越したことはありませんが、いきなりそれを求めるのは無理というものですから、上級の文章を見る目は封印しました。

そんなふうに甘めの採点でしたが、ほとんどの学生は原稿用紙が血まみれになりました。前後を入れ換えたほうがいいとか言い方を変えたほうがいいとか、もちろん、誤字脱字とか、隙間なく赤が入って変わり果てた自分の小論文を見て、呆然としていた学生もいました。

ひとつ気になったのが、「~と思う」の多用です。日本語の限らずどんな言語でも、言い切りの形が主張を最も強く表現するものです。しかし、学生たちの小論文にはいたるところに「~と思う」があり、ひ弱な印象を受けました。上述の間違い探しにも入れ、読み手の印象を薄くする「~と思う」について解説しました。

もし、学生たちが批判を恐れて言い切りを使わなかったとしたら、由々しきことです。批判も起きないような意見は存在意義がありません。万人受けする意見は、毒にも害にもなりません。学生たちには、毒にも害にもなるスパイキーな小論文を書いてもらいたいです。

どこでもいい

11月5日(月)

受験講座の後、Lさんから絶対に合格できる大学はないかと聞かれました。LさんはすでにT大学に出願しています。また、以前、T大学以外にもいくつかの大学を紹介しています。その中から何校か出願するようですが、それだけでは不安なので、さらに安全確実な大学が知りたいということです。

Lさんは去年の1月に入学した学生ですから、今年の12月に卒業で、それまでにどこかに合格を決めなければなりません。年を越して受験することは認められません。そのため、焦っているのです。学部学科はどうでもいいから、とにかく受かる大学をと言い出す始末です。

最近、入管の指導が厳しくなり、1月入学生は翌年の12月に確実に出国しなければなりません。ですから、事実上、その後が受験日となる国立大学は受験できません。進学するなら、1年3か月で日本語学校を終えるようにという考えです。KCPはこの入管の考えに沿って学生を指導していますから、Lさんは、国立大学はきっぱりあきらめ、11月のEJUも受けず、6月の成績で合否が決まる年内に発表がある大学に照準を合わせています。

こういう入管の方針が、国外でどうもあまり理解されていないきらいがあります。入管も日本語学校のいろいろな方法で伝えてはいますが、周知徹底という段階には至っていません。1年3か月で進学しようと思ったら、1月に入学する学生は、中級ぐらいの日本語力をつけている必要があります。ところが実情はそうじゃないんですねえ。

ぼやいたところで規則は変わりません。Lさんを始めとする学生たちに、規則を守って後ろめたいところのない形で卒業進学させるのが、私たちの役目です。

何も見ずに

11月2日(金)

私が西立川駅に着いたのは8:20頃でしたが、すでにいつも朝早く学校へ来る学生が何名か開門を待っていました。昭和記念公園でBBQをするときいつも心配なのは、電車が止まることです。中央線が運転見合せなどということになったら、行事自体を中止しなければならないかもしれません。でも、そんなことはなく、三々五々、先生も学生も集まり始めました。

BBQが始まると、私はいつものように火付けお世話係です。火をつけるとみんなうちわであおぐのですが、炭に火が燃え移るまでは我慢しなければなりません。炎を吹き消してしまうことにもなりかねませんから。そして、炭が赤くなったら、真上から思い切りあおぎます。酸素をどんどん送り込んで、火勢を強くします。でも、ここで寝ている赤ちゃんに風を送るようにやさしくあおいでいるんですよね、学生たちは。私が腕がちぎれんばかりにあおぐと、みんな目を丸くして見ていました。

BBQ恒例の料理コンテストは、きのこ料理というお題で各クラスが腕を競いました。今年は予選があって、予選通過作品のみ本選審査員が賞味するということになっています。さすが、予選を勝ち抜いてきただけあって、私のところまで運ばれた料理は一流のものばかりでした。甲乙つけがたいところを無理やり順位付けをして、審査員が一斉に発表したところ、私が選んだ料理は多数決で敗れてしまいました。でも、お金を払ってでも食べたい一品、いや逸品料理でした。

料理コンテストが終わると、すぐにごみの分別チェックです。中には分別がまるでできていないクラスもあり、一緒に分別し直していたら、持って行った軍手がぬちゃぬちゃになってしまいました。ペットボトルのラベルをはがしてつぶして持って来たクラスもあったんですけどね。

気がついたら解散時刻。そういえば、園内の花や紅葉を全然見てなかったなと思ったのも、後の祭りでした。

学園祭で休み

11月1日(木)

午後、職員室で受験講座の準備をしていると、2人の学生がもじもじしながら声をかけてきました。そのちょっと前から職員室内のテーブルで何か書いていましたから、どこかのクラスの再試の学生かもしれません。私のクラスの学生ではありません。でも、私のそばに何人かの先生がいらしたにもかかわらず私に声をかけてきたということは、時節柄、進学相談かもしれません。「えっ、私?」と聞きながら2人の顔をよく見てみると、今年の3月に卒業したRさんとSさんではありませんか。さっきまで取り組んでいたのは、近況報告の用紙でした。

聞いてみると、学園祭で休みだからKCPまで顔を出しに来たそうです。週末まで、Rさんの大学は5連休、Sさんの大学は4連休です。

「そんなに休んじゃったら、高い授業料、もったいないじゃない」「あ、そういえばそうですね」「学園祭は何もしないの?」「はい、やる気になっているのはごく一部の学生で…」「RさんもSさんも一部じゃないほうなんだ」「ええ、まあ」

…というような会話を交わしながら2人の近況報告を読むと、理系のRさんはけっこう忙しそうですが、文系のSさんは“遊びと両立”なんて書いてあるくらいですから、そんなに忙しくもないようです。学生たちは、入試の面接練習の時には「勉強のほかにサークル活動もして…」などと言っていますが、実際には無所属が多いみたいです。日本人と交わるにしても、限られた範囲なのでしょう。

明日はKCPの学園祭みたいなBBQ大会です。各クラスでそれぞれ準備が進んでいます。お天気は心配ありませんが、料理の味はどうでしょうか…。