開業

9月8日(金)

今シーズン初の推薦書を書きました。Pさんは出席率もいいし努力家だし、喜んで推薦できる学生です。推薦書に書きたい内容がたくさんありますから、すらすらと書くことができました。この時期に推薦書と言ってくる学生は、たいてい来日当初から進学したい学校が決まっていて、そこを目指して努力を重ねてきた学生ですから、推薦書で悩むことはありません。Pさんもそんな1人です。

志望理由書の添削も頼まれました。夏休みの直前に相談に来ていたSさんが、A大学の志望理由書を書いてきました。相談に乗った時に志望理由書の書き方の基本を教えておきましたが、実際に書いてみるとそうスムーズには筆が進まなかったようで、約束の時間をだいぶ過ぎてから来ました。悪くはない内容ですが、でも、“悪くはない”止まりです。初めての学生が陥りがちな抽象論の空中戦が見られましたから、注意しておきました。Sさんはいいネタを持っていますから、それを活用してくれれば読み手の目を引く志望理由書が書けるでしょう。

初級クラスの学生の進学相談もしました。ZさんはM大学かC大学といい、FさんはJ大学かG大学と言っています。2人の実力からすると夢のような話で、来春の進学は無理そうだと気付き、予定を延長することを考え始めたようです。2人とも頭でっかちで、難しいものを読む勉強には熱心なのですが、語彙力が伴っていないため、その勉強が血肉になっていない憾みがあります。

来週は9月も半ばです。推薦書も志望理由書も進学相談も、どんどん増えていくことでしょう。時には引導を渡さなければならないことも出てきます。覚悟を決めて事に当たらないと、学生に負けてしまいます。

方針転換?

9月7日(木)

去年、新入生の学期に初級で受け持ったLさんを、今学期、上級でまた受け持っています。新入生の学期の面接では自信満々で、KCPで勉強することは何もないというくらいの勢いでした。初級クラスに入れられたのはKCPに見る目がないからだと言わんばかりでした。理系志望で、11月のEJUで300点ぐらい取ってM大学あたりに入るという計画を語っていました。

しかし、思い通りにはいかず、今年の6月のEJUでは日本語以外はさんざんで、その成績では理系の学部学科には出願できません。今年4月に進学できなかったら、W大学かC大学を受けると言っていましたが、そんなのは夢のまた夢になってしまいました。そこで、とりあえず文転を考え、出願に総合科目の成績がいらないO大学やK大学の経済学部を志望校として挙げてきました。でも、11月のEJUは、理系受験で捲土重来を期しています。

留学のビザで日本語学校にいられるのは、最長で2年ですから、Lさんは来年の3月にはKCPを卒業しなければなりません。その時に行き先が決まっていなかったら、帰国しなければならないのです。それなのに思わしくない成績に直面し、焦りを感じて文転を考え始めたようです。

しかも、Lさんにはメンツがありますから、できるだけ偏差値の高い大学というこだわりがあります。ぎりぎりの妥協線がO大学であり、K大学は本当にどうしようもなくなったらというつもりのようです。

理科系なら受験講座を取ってくれていたら、私もあれこれアドバイスしたり、受験講座の授業を通して勉強のペースを示したりできたのに、そういう接点がありませんでしたから、こういう事態になってしまいました。3月に卒業したSさんみたいに、うるさいくらいまとわりついてきれくれたら、いくらでも知恵を貸してあげられ、こうなる前にどうにかできたと思います。

そうはいってもどうにかしなければならないのが、私たちの役割です。さて、どう引っ張っていきましょうか…。

空振り

9月6日(水)

今学期末は、久しぶりに強権を発動しなければならないかもしれません。さっぱり学校へ来ない学生がいるのです。その学生は、私のクラスなのに顔がおぼろげなのですから、いかに休みまくっているかご想像いただけるかと思います。説教したくても、会えないのですから、説教のしようがありません。電話やメールなど、他の手段でも応答がなく、でも、たまに、私が授業担当の日を避けて学校に姿を現しますから、病気だったり変な道にはまり込んだりはしていないようです。

派手に休んでいますから、平常テストもろくに受けておらず、中間テストも未受験ですから、来学期は進級できません。勉強する気があるとは、到底思えません。すなわち、留学ビザの発給要件を満たしていません。だから、今学期末をもってやめていただこうと思っているのです。

一昔かもうちょっと前は、長欠の原因はアルバイトのしすぎと相場が決まっていました。“勤労学生”がクラスに何名かいるのが常でした。その後、ゲームのし過ぎで昼夜逆転というのが長欠学生の共通項になってきました。こういう学生たちは、ゲーム依存症だったのかもしれません。

今は、アルバイ励んでいるわけでもゲームにのめり込んでいるわけでもなく、ただなんとなく休んでいる学生が増えてきました。理由を聞いてもこちらが納得できる答えが返ってきません。私のクラスの長欠学生も、恋人が病気だからとか、どうしても言えない理由があるとか言って休んでいました。国にいたくないとか、日本は面白そうとか、消去法や漠然とした理由で来ていることが多いようです。

もちろん、大半の学生は「進学」とか「就職」とかの確たる目標を持って留学しています。しかし、無目的でお金だけはある学生たちは、将来、この日本で過ごした若き日々をどのように思い出すのでしょうか。

激やせ

9月5日(火)

夕方、学生指導を終えて夏休みの宿題のチェックをしていると、見慣れぬ若い人が職員室に入ってきました。一緒にいる在校生の友達のようですが、外部の人を気安く職員室に連れて来てもらっては困ります。

ところが、その若い人が話すと、その声に聞き覚えがありました。数年前に卒業したOさんではありませんか。KCPにいたときはぷっくり太っていたのに、実にスリムな体つきになっています。顔も半分ぐらいになっていましたから、見かけではわかるはずがありません。10kgやせたと言っていました。

あっという間に、A先生、M先生、H先生など、Oさんにかかわった先生方がOさんを取り巻きました。みんな一様に驚いていました。そして、Oさんがいた頃の記憶がよみがえり、同級生のGさんやKさんやLさんなどの顔が浮かんできました。昔話が満開でした。

OさんはM大学の4年生で、就職しようか大学院に進学しようか迷っているとか。卒業するときは、こんな軟弱な学生がM大学で通用するのだろうかと思っていましたが、順調に進級して進学すら視野に入れているのです。月日が流れるのは早いものです。

Oさんは昔の仲間と連絡を取り合っているそうですから、大学を卒業する前にみんなを集めてKCPへ連れて来いと言っておきました。本当にみんなが集まったら、びっくりさせられることばかりでしょうね。

実は、昼休みに、今年に春に卒業してD大学に進学したHさんが、夏休みを利用して関西から来てくれました。Hさんもわずか数か月ですっかりやせていました。勉強は大変だと言っていましたが、どんどん面白くなってきたとも言っていました。関西に進学した同級生と時々会っているそうです。

みんなKCPを卒業するとやせるということは、KCPの生活はまだまだ甘っちょろいということなのでしょうか。

誕生プレゼント

9月4日(月)

8月26日の天気予報によると、愛媛県中予地方は29日まではお天気がよさそうですがそれ以後は曇りがちとのことでしたから、早いほうがいいと思って、27日に予定を決行することにしました。それに、27日は私の誕生日なので、自分で自分を盛り上げるという意味も込めようと思いました。

27日朝、高い雲がかかっていて抜けるような青空ではありませんでしたが、まだ夏の名残の水蒸気が多いこの時期に秋の澄んだ空気を求めるのが無理なお話です。西条駅前のバス乗り場でバス待っていると、ご同業と思われる人々が10人ほど集まってきました。数分遅れで出発したバスですが、地元の人の乗り降りはわずかに1回だけで、実質的にロープウェイ乗り場までノンストップ直行便でしたから、ロープウェイ乗り場には逆に数分早く着きました。おかげで、予定より1本早いロープウェイに乗れました。

ロープウェイの終点は「山頂」と名乗っていますが、手前の山の頂に過ぎません。終点から15分ほど歩いたところに成就社という諸願成就のお宮様があります。そこで無事に登頂してこられることを祈り、お守り代わりに竹の杖を1本借りて、山頂を目指しました。

山頂という矢印に沿って歩いているのですが、道はどんどん下っていきます。楽な道なのは結構なのですが、せっかくロープウェイで稼いだ標高を吐き出してしまうのがもったいなく感じました。また、事前の予習で成就社からしばらく下りが続くと知っていましたが、実際に下り道を歩くとなると、このまま麓まで下りていってしまったらどうしようと不安にさえなってきました。

下り道が尽きると、今度は当然上り道です。登山道が整備されているとはいえ、やはり息が弾んできます。樹林帯の中を歩くことが多いので直射日光を浴びることはありませんでしたが、だんだん汗も流れてきました。途中で休もうと思っても、休むのに都合のよさそうな岩には誰かが腰掛けていて、頂上近くの有料トイレまで歩き続けました。この間ずっと「お先に失礼します」と追い越す一方でした。。

ガイドブックによると成就社から山頂まで3時間あまりなのですが、2時間弱で着いてしまいました。四国最高峰にとどまらず、西日本最高峰である石鎚山の山頂には、成就社に対する頂上社があり、そこで登頂できたお礼に手を合わせました。360度の眺望を楽しんでいるうちにサーッとガスがかかってきたので、予定より早めに下り始めました。すると、一緒のバスに乗って一緒のロープウェイに乗った人たちが上ってくるではありませんか。ちょっとしんどかったけど、早く上ってしまったおかげで絶景が拝めたのです。

下りは上りより時間がかからないはずですが、結果的にはほぼ同じ時間がかかりました。成就社で借りた杖が、帰り道になって役に立ちました。持って行った水の量が少なく、成就社に帰り着いたときには脱水症状気味でした。かき氷で細胞を生き返らせ、ロープウェイで麓に下りてバスが来るまでの1時間ほど、ボーっとしているうちにどうにか復活してきました。

西条の町に戻ったら夜は美味しいものをいっぱい食べようと思っていましたが、それほどの食欲も湧かず、狙っていたラーメン屋さんで790円也の、味がよーくしみたチャーシュー麺をいただいただけで、今年の誕生日は終わりました。

予定変更

8月25日(金)

Sさんは、去年国でJLPTのN2を取りました。それを手土産に、4月に日本へ来て、1年でW大学に進学するつもりでした。しかし、その目論見は潰えつつあります。

まず、KCPのプレースメントテストで初級に判定されました。さらに、その初級クラスでもすばらしい成績というわけにはいかず、今学期の中間テストでもどうにか合格点を確保したに過ぎません。そして、ようやく、今の自分の力ではW大学など夢のまた夢で、来春進学できるとしたら、Sさんの考えている大学より数段落ちるところだろうということを悟りました。大学のレベルで妥協するのではなく、予定を1年延ばすに至りました。

Sさんは12月にN1を受けるつもりでその勉強もしていますが、わからないことだらけで困っているそうです。文法テストの間違え方を見る限り、基礎部分がスカスカでN2合格だって奇跡に思えてきます。よほど気を引き締めてかからない限り、W大学の入試の長文読解や小論文に堪えられる実力をあと1年でつけることは不可能でしょう。

話すほうも単文が中心で、いかにも初級という感じです。単文と単文の間に抜け落ちている接続詞や「たら」とか「ても」とか論理性を担う語句などを補わなければなりませんから、こちらがかなり歩み寄らないと、コミュニケーションが成り立ちません。このままだと、Sさんがどんなに立派なことを考えていたとしても、面接官を始め、それをどうしても理解してもらいたい方々に伝えることも難しいでしょう。

来週は夏休みです。どのクラスでもたっぷりと宿題が出ています。みんな、みっちり勉強して、力をつけてもらいたいです。

選択肢が好き

8月24日(木)

Zさんは中間テストの読解がほとんど白紙で、もちろん不合格でした。他の科目に比べてあまりにも悪すぎるので、面接の時にいったいどうしたのかと聞きました。すると、EJUやJLPTのような選択肢の問題はいいけれども、文章で答えなければならない問題は見ただけでやる気がなくなると言います。中間テストの読解はそういう問題が多かったので戦意を喪失し、さんざんな成績になってしまったというわけです。半分は読解がわからないことに対する言い訳でしょうが、問題文から読み取った内容を文の形でまとめることができないのだとしたら、非常に由々しきことです。Zさんは大学進学を目指していますから、なおさら大問題です。

マークシートに順応しすぎた学生は珍しくありませんが、ここまではっきり言い切った学生は記憶にありません。Zさんの志望校の入試は面接だけです。というか、筆答試験のある大学をたくみにはずしたと言ったほうが正確かもしれません。そんなにまでして筆答試験を避けても、進学後に読む専門書の読解には選択肢が用意されていません。大学での学問をなめているように思えます。

翻って、日本人の高校生はどうなのでしょう。Zさんほどの筆答嫌いが学校にあふれているとは思いたくありませんが、選択肢の補助がないと文章の読み込みが十分にできない生徒が増えつつあるのかもしれません。若者が読書に当てる時間が短くなったと言われています。また、過激な言説が増えているのも、強くはっきり書かれていないと自分自身が読み取れないから、自分が書いたり話したりするときに力こぶが入りすぎてしまうのではないかとも思っています。

Zさんは、来学期はレベルを1つ下りたいとまで言ってきました。そんなに、読んで考えるのって嫌なのでしょうか。

暗雲

8月23日(水)

初級のクラスに入ると、こちらの指示がうまく伝わらないことがよくあります。口頭による指示にとどまらず、文字で書いて示しても、こちらの意図したこととは全く違う行動に走ってしまう学生を毎日のように目にします。「あなたは、先生になったとしたら、学生にどんなことをさせたいですか」という質問なのに、「私は学生を早く帰らせます」「私は学生に宿題をさせました」などという答えが続出しました。というか、そういう答えのほうが「私は学生に本をたくさん読ませたいです」などというまともな答えより多かったです。

学生たちは、習慣的に習った文法を使わねばならないと思い、反射的に習ったばかりの使役動詞を使ってしまったのでしょう。そういうときの学生は、指示は目にも耳にも入らないに違いありません。初級では何事にも余裕がなく、頭がある方向に向いてしまったら、指示を読んだり聞いたりなどできないのです。

ところが、超級クラスでもこれと同じ現象を見てしまったのです。例文を作らせて類義語の意味の違いを説明させようと思ったのですが、例文しか作らない学生やいきなり意味の違いの解説を始める学生が1人2人ではありませんでした。EJUの日本語で満点に近い成績をとっても、こんな指示すら理解できないのなら、日本語でのコミュニケーションが全くとれないということです。その好成績は実力を伴ったものではなく、砂上の楼閣に過ぎません。

もちろん、私も周りの人からの指示を取り違えることがあります。でも、指示を読み取る、言われた通りに行動するというのは、受験生にとって基本中の基本ではないでしょうか。一抹の不安を覚えずにはいられません。

休むそうです

8月22日(火)

みんなの日本語49課の会話は、ハンス君のお母さんが学校に電話をかけて、ハンス君は熱を出したので休むと伝える話です。クラスの先生がまだ出勤していないので、電話に出た先生に伝言を頼むというストーリーです。教科書では、その先生に「よろしくお願いします」と言って終わっていますが、私はクラスの学生に「この先生はハンス君の先生が学校へ来た時にどう言いますか」と聞いてみました。

「ハンス・シュミットの母はゆうべ熱を出して、今朝もまだ下がらないですから休みますと言っていました」

「ハンス・シュミットはゆうべ熱を出しまして、今朝もまだ下がらないんですから休ませていただけませんか」

など、全然意味不明ではありませんが空振り気味の答えが続いたので、「ハンス君はゆうべ熱を出して…」とヒントを板書しました。それからも紆余曲折があり、どうにかこうにか「ハンス君はゆうべ熱を出して、今朝もまだ下がりませんから休…」までたどり着きました。しかし、ここからも大きな山がありました。「休みました」「休んでしまいます」「休んでくださいませんか」「休むつもりです」「休むと思います」「休むようです」「休むはずです」…習った文法をとりあえず言ってみるみたいな大乱戦になりましたが、私が望んでいる答えだけ出てきません。

ついにブチ切れて、「お前ら全員、もう一度同じレベルだあ」と言った直後、「休むそうです」と誰かが小さい声で答えてくれました。「君たち、今学期、何を勉強してきたんだ!」と叫んでしまいました。

とはいえ、こうなるんじゃないかと予想していたことでもあります。単に事実や状況を描写するだけではなく、それに対する話者の態度を盛り込む文末表現を勉強してきました。しかし、それが十分に整理されていません。

でも、私は焦っていません。中級でその辺をがっちり訓練し、聞いてわかる、読んでわかるだけでなく、書いたり話したりできるようになっていくのです。

免許更新

8月21日(月)

昨日、運転免許の更新をしました。といっても、5年前の更新以来、ハンドルを握っていないような気がします。最後に運転したのは、たぶん、夏休みに四国の最西端・佐田岬まで行ったときで、それは5年前よりももっと昔だったような気がします。そんなわけで、ペーパードライバーゆえの優良運転者ということで、5年の有効期間がいただけました。

もっとも、これは東京に住んでいるからであって、就職して間もないころ、山口県に住んでいた時は、暇さえあれば車を運転していました。夜明け前に出発して、トイレとガソリン補給以外はずっと運転し続け、日がとっぷり暮れてから戻ってくるなんていうことも1度や2度ではありませんでした。その時は、自分が5年も運転しなくても平気でいられるなんて、夢にも思いませんでした。

車の運転も、体で覚えるとことがありますから、たとえ10年ぶりだろうと、運転席に座って交差点を3回ぐらい曲がれば、カンが戻ってくるのではないかと思っています。今は腰痛を抱えていますから、若い時のように1日中運転し続けることは無理でしょうが、運転を楽しむぐらいはできると思っています。

免許の更新といえば、一時期騒がれた教員免許の更新はどうなっているのでしょう。運転免許の更新は視力検査と講習が30分だけでしたが、教員免許のほうは30時間の講習が義務付けられています。日本の次世代を担う人材を育てる役目を果たすのですから、30分というわけにはいかないでしょう。でも、だからこそ、更新のときだけでなく、常にそれに相当するくらいの研究を続けていてほしいと思います。

さて、日本語教師は日本語教育能力検定試験に受かってしまえば、あとは野放し状態です。市場原理が働き、実力のない教師は淘汰されていくだけです。しかし、これも市場任せですから、教師の需要が高まれば、実力の伴わない教師も教え続けることになります。また、運転と違って2、3回角を曲がればそれなりの運転ができると言うものでもありません。長いギャップがあると、リハビリの期間も長くなります。

私が日本語教育能力検定試験に受かったのはかれこれ20年近く前のことです。でも、養成講座を担当しているおかげで、勉強し直すチャンスはいただいています。今、もう一度受けてもどうにか合格できるんじゃないかなと思っています。でも、私が合格すると、誰か1人、本当に合格したい人が落ちてしまいますから、受けないことにしています。…というのは、言い訳に過ぎませんよね。