ただいま採点中

6月24日(水)

超級の読解の期末テストを採点しています。きちんと授業を聞いて、テキストを読み込んでいる学生もいれば、質問文をろくに読みもせずに答えているような学生もいます。「教科書の言葉を使わずに」と傍点までつけて注意しているのに教科書からそのまま文を抜き出してきたり、空欄の前後のつながりを考えずに単語だけ突っ込んだりしている答えもありました。

採点していて、この学生は授業のときはわかったような顔をしていたけど、本当は全然文章が読み取れていなかったんだね、ということがわかる答案がいくつかありました。EJUの翌日が期末テストでしたから、EJUに全精力を使い果たして、期末の勉強が疎かになってしまったのだろうと、好意的に受け取ることにしています。もちろん、中にはこちらの予想を上回るすばらしい内容の答案もあります。そういう学生は、やっぱりコンスタントに授業をしっかり聞いていますね。

私は満点は取らせないけど合格点は取れるテストを目指して、問題を作っています。ですから、実力差が表れる問題と、これができなかったらよっぽどサボっていたんだねという問題とが共存しています。今回は、誰でも取れるはずのサービス問題を落とした学生が多かったように思えます。でも、その割に不合格者が少なかったのは、何だかんだ言いつつも、超級の力を持っているからなのでしょう。

例文を添削したりテストを採点したりすると、いろいろと物申したくなるものですが、絶対値を測れば、KCPで超級まで上がってきたということは、かなりの日本語力を持っているということなのです。だからこそ、それをテストの成績という形で残すために、質問文ぐらいきちんと読んでもらいたいし、前後のつながりを考慮に入れてしかるべき答えを書いてもらいたくなるのです。

献血

6月23日(火)

今学期は、赤のボールペンを2本使い切りました。初級のクラスを2つ持ったので、宿題のチェックや例文・作文の添削、テストの採点などで見る間に赤ペンのインクが減っていきました。私の血が学生に吸い取られていくような錯覚に陥ったこともありました。

宿題のチェックは、間違えたところをきっちり直さなければなりません。ここで直しておかないと、間違った形で定着してしまいかねません。学生の勘違いを正し、基礎部分に穴が開かないようにしていくのが初級の教師の最重要任務です。既習の文法のミスも含めて、あらゆる間違いを一つ残らずつぶすつもりでチェックします。

だから、学生によっては、提出した宿題が真っ赤になって返ってくることもあります。チェックする立場としてはこんなに赤を入れたら受け取った学生は読みたくなくなるんじゃないかと思うこともあります。でも、その真っ赤な宿題で自分の実力を知り、さらに勉強に励んでもらいたいのです。

作文は、学生たちをたたき続けた結果、文法や表記の間違いが確実に減りました。まだ期末テストは採点していませんが、最初はC評価ばっかりだった学生たちがどこまで成績を伸ばしてくるか楽しみです。

今日は漢字テストの採点をしました。私の受け持ちのクラスじゃありませんでしたが、概していい成績でした。私のクラスもこのくらいいいと幸せなんですけど、果たしてどうなんでしょう。

漢字も文法も読解も、私のボールペンの血を吸い取ってどこまで成長したか、楽しみのような恐怖のような…。

始まりました

6月22日(月)

全校的には期末テストでしたが、私にとっては日本語教師養成講座スタートの日でした。初回は日本語教育概論ということで、これから教壇実習に至るまでの舞台となるKCPという学校のしくみや、そもそも人に物を教えるとはどういうことかとか、日本語教師とはどんな仕事をするのかなどについて話しました。話しましたというよりは、半分は考えてもらいました。考えてもらうとは、受身ではなく主体的に授業に参加してもらうということです。

どこの日本語学校でもそうだと思いますが、日本語の授業は教師の説明を一方的に聞くだけではなく、学習者自身が口や手や体を動かしながら身に付けていくものです。ですから、養成講座のうちから授業とは自分が動くんだ、教師は学習者を動かすんだっていうことを身をもって感じてもらいたいのです。

明日からはもう少し理論的なことをやっていきますが、「教える」だけの授業はしません。答えの出し方までは教えますが、実際の答えは自分自身で出してもらうという考え方でいきます。日本語教師は、いつどんな形でどんな質問が飛んでくるかわからない仕事です。そういった質問にすぐ対応できるように、今からビシバシ鍛えていきます。

勝つやつが強い?

6月20日(土)

スポーツやゲームなど、戦いには、「強いやつが勝つ」類のものと、「勝つやつが強い」という発想のものとがあります。前者は、試合場に赴くまでにどれだけ実力を蓄えたか、すなわち、いかにたくさん練習し、鍛錬し、時には涙を流したかで勝敗が決します。後者は、試合の現場で運や流れがつかめるかどうかが勝ち負けの分かれ目になります。じゃんけんなんかは後者の典型でしょうね。

入試という勝負事は、「強いやつが勝つ」と言いたいところですが、そうとばかりは言えません。入試を行う側は「強いやつが勝つ」ゲームにしようと思っていますし、それに参加する受験生たちもそういうつもりで勉強しています。試験前日までは「強いやつが勝つ」のです。しかし、試験会場に入るや、「勝つやつが強い」というルールに変わってしまうのです。どんなに力を蓄えても、その力が試験場で発揮できなかったら、実力がないとみなされてしまいます。

ですから、実力は伸ばしたり蓄えたりするだけではなく、いかに発揮するかも考えておかなければ、受験戦争に勝利することはできません。ところが、受験生はこれをおろそかにしちゃうんですね。

現場で実力を発揮するには、まず、当日いらぬ心配事を抱え込まぬことです。受験票を忘れたとか、試験会場を間違えたとか、寝坊して走ってやっと間に合ったとか、おなかが痛くなったとかということにならないように、準備を万全に、体調を整えておくことです。シャープペンシルに長い芯を入れておくなんていうことも、その一つでしょう。

それから、現場で芽を出しそうな不安の種を押さえ込むことです。時間が空いたらトイレに行っておいて、試験中に尿意を催すことのないようにしておくとか、冷房の効きすぎを想定して、羽織るものを持って行ったり半袖を避けて暑かったら腕まくりするようにしたりとかです。

明日は、EJU本番です。「強いやつが勝つ」でも「勝つやつが強い」でも、どっちでも最後に笑ってほしいです。

帰りたいけど

6月19日(金)

一時帰国したいけどMERSが怖い――韓国の学生の偽らざる気持ちのようです。来週月曜日の期末テストの翌日からの学期休を控え、韓国担当のPさんのところへ学生が押し寄せています。

「私、一時帰国してもいいですか」「はい、一時帰国届けを出せば、いいですよ」「でも、MERSが心配です」「じゃあ、日本にいたら」「でも、もうチケットを予約しましたから…」「じゃあ、行けば」「日本へ戻ってきたとき、韓国人はダメって言われたらどうしますか」「それが心配だったら、日本にいるのが一番いいんじゃない?」「でも、国に用事がありますから…」

こんなやり取りを延々と続ける学生が何人もいるそうです。学生はPさんに答えを求めているのではなく、心配の種を聞いてもらいたいのです。心配でたまらない自分に酔っていると言ってもいいでしょう。そういう試練を乗り越え留学を続けようとしている自分の姿を、自分で英雄視しているのかもしれません。

私のような日本で生まれ育った人間にとっては、MERSはニュースでしかありません。もちろん、普通の日本人よりは強い関心を持っていますが。でも、韓国の学生にとっては、我が事です。当事者だから冷静に考えられなくなり、上述のPさんとのやり取りのようなことになってしまうのです。

日本が留学生を受け入れ始めて間もない頃、中国で辛亥革命が起こると、みんな新しい国づくりに参加しようと帰ってしまったそうです。これほどのことではなくても、留学生は国のことを気にかけながら勉強しています。おそらく、生まれてからいちばん「国」を意識しているんじゃないでしょうか。

留学とは、国際性が身に付くと同時に愛国心も芽生える、その人の人格形成に多大な影響を与えるイベントなのです。

何とかしろよ

6月18日(木)

Sさんは進学コースの学生ですが、成績が思わしくありません。それに加えてここへ来て1週間近く欠席してしまいました。来学期も同じレベルをもう一度勉強することが確定的です。友人のOさんの話によると、Sさんは毎晩のようにお酒をたくさん飲んでいるそうです。留学生活が思い通りにいかなくて、その憂さ晴らしで深酒しているのかもしれませんが、感心しません。

何より、Oさんに迷惑をかけていることがいけません。OさんはEJUが迫っているのに、酔っ払ったSさんの介抱をさせられています。そんなことをしているどころじゃないのに、国にいたときからの親友を捨て置くこともできず、貴重な時間を費やさざるを得ない状況に追い込まれています。Sさんは親友の足を引っ張っていることに気が付いているのでしょうか。自分の行動が親友の将来に暗い影を落としかねないことなんか、自覚していないでしょうね。

2人の状況をつぶさに見ているわけではありませんから断定はできませんが、話を聞く限りSさんのお酒の飲み方は問題飲酒です。最近の欠席は胃の不調によるものですが、内科ではなく心療内科に診てもらうべき心身状態かもしれません。

Sさんは未成年ではありませんから、法律上はお酒が飲めます。しかし、Oさんの犠牲の上に立って飲み続ける資格も権利もありません。本分である学業を疎かにするような飲み方が許されるわけがありません。クラスに彩りを添えてくれる貴重な学生ですが、このままじゃ最悪帰国ですね。私たちがSさんの内面に踏み込んだ指導ができなかったことはこちらの反省点ですが、Sさん自身が自分自身を何とかしようという気持ちがなかったら、この問題は解決しません。

日本改造

6月17日(水)

タイトルにつられて買った「一千兆円の身代金」(八木圭一、宝島社文庫)というミステリーを、つい先日読み終えました。政界の実力者の孫が誘拐され、一千兆円の身代金が政府に要求されたというところが物語の起点です。一千兆円とは日本の財政赤字額であり、要するに、誘拐犯は放漫財政のツケを若者世代に回すな、それをこしらえた世代で処理せよと訴えたかったのです。

これ以上書くとネタばらしになってしまいますから控えますが、公職選挙法が改正され、選挙権が与えられる年齢が18歳に引き下げられたというニュースを聞いて、まっ先にこの本のことを思い浮かべました。本の中では、誘拐犯の要求は若者の間で歓喜をもって支持されました。もちろん、要求された側は容易に応じるはずがありません。選挙権が18歳からになったことで、世代間での考え方の違いが鮮明になり、そういう問題がより活発に議論されるようになってもらいたいです。

そのためには、18歳が政治に関心を持つだけではなく、毎回投票率が低い20歳も25歳も行動を起こさねばなりません。今回の改正で、選挙権は18歳になりましたが、被選挙権は従前の通りです。ですから、立候補できる年代が適度に成熟して(成熟しすぎると我々の年代の頭と変わらなくなってしまいます)、18歳の感覚を取り込み、この国のしくみを変えていくことこそ、本当に求められていること、期待されていることなのです。

外国籍であるKCPの学生たちには、法律がどう変わろうと選挙権は与えられません。しかし、自分たちが周りの日本人の若者に影響を与え、彼らの意識、投票行動を変えさせることはできます。そのためには、彼らから一目置かれる存在にならなければなりません。勉強し、鍛錬し、自分の人間性を高めて、「留学生の〇〇さんってすごいなあ」って尊敬を集める人物になることが、自分たちにとって暮らしやすい日本を作る第一歩になるんじゃないでしょうか。ずいぶんと遠大な計画ですけど…。

ほんの立ち話

6月16日(火)

先学期、初級のクラスで教えたDさんと久しぶりに話をしました。ほんの立ち話ですが。ずいぶんスムーズに話せるようになって、びっくりと同時に感激もしました。先学期は単語でしか答えられなかったのが、「レベル3の文法は難しすぎるから、レベル4は無理かもしれない」なんて、普通体ながらも複文で答えましたからね。

先学期のDさんは、こちらが日本語で聞いても自分の国の言葉で答えることがよくありました。また、授業中の母語のおしゃべりが目立ち、とてもいい学生とは言えませんでした。今学期、それがどれだけ改善されたかは伝わってきていませんが、実際に話した感じでは、そんなことはほとんどなくなったんじゃないでしょうか。

先学期は、私は担任という立場上、学生を厳しい目で見なければなりませんでした。アラ探しばかりをしていたわけではありませんが、ダメな点をきちんと指摘することが仕事でした。しかし、今学期はそういう関係が全くなく、いわば隣のオジサンみたいな目で、成長を喜んであげられる立場です。だからなおのこと、Dさんの話し方に感激できたんじゃないかと思います。

Dさんのテストの成績は知りませんが、進級できるだけの力はあるんじゃないかなって感じました。1つ上のレベルでも通用しますよ、きっと。まだ完全ではありませんが、思考回路が日本語で回り始めているのだと思います。これが私の手元を離れてからの3か月の成長であり、成果でしょう。もちろん、先学期の私のような目で見ればまた別の結論になるかもしれませんが。

初級で教えていると、こういう喜びがあるんです。教えた学生が「変なガイジン」への道を力強く歩んでいる姿を見ると、うれしくなります。今学期も初級で種をまきましたから、3か月後。半年後が楽しみです。

健康診断

6月15日(月)

年1回の定期健康診断を受けました。会場の病院へ行くと、すでに大勢の人が。今年はちょっと出遅れたかな。血液検査では、血管が浮き上がらない人を横目にあっという間に終わってしまい、密かな優越感を味わいました。胃のレントゲンでは、今年はバリウムを飲んでから台の上でいつもより回転させられたような気がしました。肺活量測定の担当者がここ2、3年とは違っていましたが、勢いのよすぎる声のかけ方はおんなじだなと思いました。心電図や超音波の検査の担当者は、落ち着いたトーンで指示を出します。肺活量の人がこの担当だったら、検査を受けた人はみんな異常が出ちゃいそうです。

こんな調子で、私はこれといって緊張することなく検査を受けました。ここ数年、眼底検査で緑内障に引っかかるだけで、あとはきわどいところで不合格という数値があったりなかったりという結果が続いているからです。今年もこれといった自覚症状がありませんから、おそらく今までどおりという結果の落ち着くのでしょう。でも、その今まで同じというお墨付き(?)をもらって安心することが、健康診断の意義だと思います。お墨付きによって、仕事でも日常生活でも前向きにやっていく気持ちになることが大事なのです。

午前中に検査を終わらせ、午後はいつもどおり授業。先週の金曜日にカンニング疑惑を起こしたZさんを捕まえて説教と思っていましたが、その本人が欠席のため、見事に空振りでした。友人のJさんにメールか何かを送ってきたようで、私はJさんから腹痛という理由を聞きました。欠席するときは担任の先生に連絡しろと、クラスの中で何回も注意しています。にもかかわらずそうしないで休むとは、限りなく仮病に近いと踏んでいます。

最近の学生はお金持ちです。学生たちにこそ健康診断を受けさせ、その結果に基づき生活指導も受けさせたいです。そうすれば、腹痛などというどうでもいいような理由で休む学生が、全滅とまではいいませんが、激減するのではないでしょうか。

6月13日(土)

震災、仮校舎移転・新校舎建設といろいろあったためずっとお休みが続いていたKCP日本語教師養成講座の理論コースが、月末から再開されます。私も文法を担当することになっています。以前使っていた資料はあるものの、なにせ久しぶりのことなので、古いデータなどは改めなければなりません。また、私自身の頭もさび付いて勘が鈍っているところもありますから、資料を改訂しつつリハビリもしていかなければなりません。

日本人に日本語の文法を教えるなんて、呼吸みたいな本能に基づく動作に理屈をくっつけていちいち解説するようなものです。しかし、スポーツで本当に記録を伸ばそうとしたら、その本能に基づく呼吸のしかたにもメスを入れる必要があります。日本語教師という日本語のプロになるには、本能的に使いこなしている日本語文法を見つめなおして、最高のパフォーマンスを追求していくことが求められます。

日本人にとって日本語は空気か水のようなものだとしたら、日本語学習者とは空気や水の取り入れ方を知らない人たちです。だから、立派な大人に息の吸い方や、気管に入れないように水をのどに通す舌やのどの動かし方を教えるようなつもりで、日本語文法や言葉の意味などを教えていかなければなりません。

私は、日本語文法やふだん何気なく使っていることばの意味を、そういう観点から考え直したりその考察結果に基づいて学習者に教えたりすることが好きです。そのおもしろさを、ほかの人にも味わってもらいたいと思っています。私にとっての養成講座は、日本語を見つめなおすおもしろさ、楽しさを伝える場です。

幸いにも(?)、今回の講座は定員にまだ余裕があります。これをお読みの皆さん、一緒に楽しんでみませんか。校長ブログのちょっと下をクリックすると、養成講座のページに跳びますよ。