そのねじ曲がった根性を

6月12日(金)

午後クラスの前半が終わった後の休憩時間に、私が教えている初級クラスを一緒に担当しているF先生が怒りのオーラを発散させながらやって来ました。「Zさん、漢字のテストの最中にケータイを見たんですよ。先生、授業の後できつくしかってください」「わかりました。私もこれから受験講座がありますが、終わったらすぐそちらの教室へ行きます」というやりとりをして、受験講座のあと、すぐにF先生の教室へ行くと…。

「先生、Zさん、帰っちゃったんですよ。私が1階で先生と話している間に」と、先ほどにも増して憤懣やるかたない表情のF先生。こうなったら、月曜日は私がそのクラスの担当ですから、授業後にたっぷり油を絞ってやることにしましょう。

Zさんは今学期入学の進学コースの学生です。でも学期の最初から、どこか斜に構えているというか、授業での勉強をなめてかかっているというか、教師の立場からするとカチンと来る学生でした。それでもテストではとりあえず合格点を取ってきましたから、こちらも我慢していました。しかし、カンニング疑惑となれば、遠慮はしません。

Zさんはノートも取らなければ教師の話もあまり聞いていません。ノートに書きなさいと言っても、ちょろちょろっとメモする程度。動詞の活用形などを席の順に言わせていっても、友達の答えをまともに聞いていませんから、すぐには答えられません。テンポよく進んでいってもZさんのところで必ずつっかえます。宿題やテストの字は汚くて読みにくいです。ついこの前は、手ぶらで登校し怒られました。

でも、まるっきりのバカじゃないのと、国で勉強してきた貯金があるため、テストはどうにかパスしてきたのです。学校外の塾に通っているから日本語も受験勉強も大丈夫だといいますが、そういった優位性がなくなってきたところのカンニング疑惑じゃないかと踏んでいます。休み時間に逃げ帰ったのは、悪いことをしたという気持ちと、そういうことをしないと点が取れなくなってきた自分の現状を認めたくないのとの両方からじゃないでしょうか。それだったらまだいいのですが、今日は旗色が悪いけれども来週になれば風向きが変わるだろうと、とりあえず首をすくめとこうっていう根性だったとしたら、もう救いようがありませんね。

来週早々嫌な仕事を抱えてしまいました。

厳しい話

6月11日(木)

6月も半ばに差し掛かり、7月期に向けての動きが始まっています。私は受験講座の説明をしています。今まではニュートラルな立場で受験講座の内容を説明してきましたが、今回は厳しい話をしています。

毎学期、受験講座開講当初はどうしたらいいかわからないほどの数の学生が集まりますが、最後まで続く学生はあまり多くありません。最初は張り切ってあれもこれも何でも受講を申し込みますが、各科目の勉強はそんなに生易しいはずがなく、挫折を余儀なくされる学生が後を絶ちません。途中でやめると、こちらの事務処理も面倒くさいですが、それ以上に学生の心に挫折感が残るのではないかと危惧しています。

そういう学生を減らすために、あえて厳しい話をし、それを乗り越える自信と覚悟がある学生だけを受け入れようと考えているのです。現時点で受験勉強を何もしていなくて、来春の進学なんて土台無理な話です。自分の適性を見極めて大学で何を勉強するか決めるなんていうのは、国にいるうちにしておかねばならない仕事です。また、決して楽しいとはいえない受験勉強を合格するまで続けられる精神力と肉体のタフさも必要です。

話をしているうちに、聞いている学生たちの顔つきが暗くなってきました。それでも日本で勉強したいという気持ちに変わりはないか、申し込み締切日まで自問自答し続けてもらいたいです。

訓練された

6月10日(水)

避難訓練をしました。地震の後で火災が発生したという想定で、全校の学生が非常階段を使って脱出し、広域の避難場所である新宿御苑の手前の、四谷区民センターまで行きました。帰りに一時避難場所である花園公園前を通り、学生たちに場所を確認させました。

学生時代、私は城南地区の住宅密集地帯にある築年数不明のぼろアパートに住んでいました。そこは、多摩川の巨人軍グラウンドが避難場所に指定されていました。平時に歩いても1時間はたっぷりかかるところです。非常時にはたどり着けそうもありませんでした。大地震が来たらアパートもろともつぶされて死ぬしかないだろうなと思っていました。

それに比べれば、この校舎は地震には強く、避難場所も近いです。阪神大震災での神戸並みの揺れに襲われても、ほぼ間違いなく生き残れるでしょう。しかし、地震で死ななかったらそれで終わりではなく、生き続けていかねばなりません。学生たちを生かしていかなければなりません。その任務は非常に重大ですが、常々そこまで考えが及んでいるかというと、目の前の仕事にかまけて何も考えていないに等しいというのが現状です。

おしゃべりするなと命じたら黙々と私の後について四谷区民センター前まで歩いていった学生たちの顔を思い浮かべると、こちらこそがしっかりしなければと思わずにはいられませんでした。学生に災害時に取るべき行動を考えさせるつもりだったのが、そっくりそのまま自分に返ってきたようです。

建築と絵と化学と

6月9日(火)

Tさんは建築を勉強しようと思っています。当然EJUの理科系の各科目が必要なのですが、化学には抜きがたい苦手意識を持っています。また、絵も下手だからデザイン方面の建築は向かないと言います。だから耐震構造みたいな建築をするのかと言えば、微分や積分がたくさん出てくる教科書はあまりやりたくないそうです。

要するに、自分が今持っている能力だけで進学し、ちょっと響きもカッコもよさげな建築の勉強を始めたいというわけです。これはちょっと虫が良すぎるんじゃないでしょうか。だって、努力しないで大学に入ろうというのと同じじゃありませんか。Tさんと面接をしましたが、そこのところで堂々巡りです。物理は比較的好きだから勉強してもいいけど、できれば数学は避けたいし、化学は絶対にいやっていうスタンスを崩そうとしません.代替案として建築デザインを出しましたが、絵を描くという一点において却下です。

クラスでのTさんは、明るく活発ないい学生です。グループ活動にも積極的に参加し、柔軟な考え方で活動を前に進めようとする姿勢が感じられます。しかし、自分の進路となると、妙に意固地になるのです。何で建築なのかもはっきりしません。実は、「建築」とは言っていますが、何も決まっていないのかもしれません。楽に進学したいことが見え見えです。

7月20日ごろに今回のEJUの結果がわかるから、それを見て最終決定しましょう、ということにしました。でも、こういう学生は決められないものなのです。こちらからどんな提案を出しても、自分の思っていることと同じでなければ受け入れないでしょう。EJUで完膚なきまでに叩きのめされれば無条件降伏を受け入れるかもしれませんが、そうでなければ淡い幻想を追い求めてさまよい続けるでしょう。

午後からも授業があるのに、スカッとしない面接をしてしまいました。

自覚を待つ

6月8日(月)

Sさんは次のレベルに上がれないかもしれないという危機感を抱き、今日から授業の前に職員室で勉強することになりました。今日は文法のテストがあったので、その勉強をしました。しかし、なかなか勉強が進みません。語彙が足りないのです。クラスの他の学生は知っているはずの単語でも「何ですか」と聞いてきます。

SさんはKCPに入る前にワーキングホリデーで日本にいました。ですから、日本語ゼロで入学したわけではありません。本人もそれは承知していますから、今までどことなく「自分はわかっている」という意識が感じられました。確かにそうでしたが、もうすでにその貯金も使い果たしており、テストで合格点を取るのも厳しいという現実があります。「うさぎとかめ」のうさぎですね。

それでもSさんはそれに気が付き、勉強を始めようとしました。それに気づかず、あるいは気付いても認めようとしない学生を大勢見てきましたから、そんな学生に比べればSさんは立派です。しかし、もう少し早く気が付くべきでしたね。今日の語彙のわからなさ加減を見る限り、ちょっと手遅れではないかと思えてきました。

同じクラスのKさんは、EJUの模擬テストで上級の学生をも上回る成績を挙げました。「喜びすぎちゃダメですよ」と言ってその成績表を渡しましたが、今日の文法テストは不合格でした。直前に必死になって勉強したSさんを30点も下回る点数でした。EJUの模擬テストはマークシート方式ですが、KCPの文法テストは記述式です。Kさんの答案は正確に覚えていないがための減点が目立つのです。マークシートならごまかせても、文で答えるとなるとそれがあらわになってしまいます。

SさんにしてもKさんにしても、できない学生、見込みのない学生ではありません。しかし、今のままではこれ以上の日本語力向上は望めないでしょう。Sさんはそれに気付き軌道修正を始めたところですが、Kさんはどうなるのでしょうか。今日のテストは木曜日に返されます。それを見て奮起してくれればいいのでが。

キックオフ

6月5日(金)

午前の授業が終わり、職員室で簡単な事務処理をしてから講堂に向かうと、講堂は大変なことになっていました。進学フェアに参加した学生で、立錐の余地もないほどでした。どの大学のブースもすでに大勢の学生が並んでいていましたが、学生たちは、志望校の情報を得ようと、みんな神妙な顔つきでおとなしく並んでいました。

話を聞いている面々を見ていると、大学院志望の学生がかなり来ていました。中には自分の研究計画書みたいなものを入れたタブレットを見せて相談している学生も。そこまでいかなくても、知りたいことをまとめたメモを見ながら質問している学生はけっこういました。事前に聞きたいことをまとめておくようにと学生に言っておきましたが、こちらの想像以上に周到な準備をしてきた学生が多かったようです。

去年までは、ブースによっては学生が途切れる瞬間もあったのですが、今回は時間が来るまで引きも切らずという状態でした。もちろん、「お前が〇〇大学? 絶対無理」っていう学生もいましたから、まだ夢を見ている学生も多いです。だからブースを訪れた学生全員がその大学を受けるわけではありません。大学院志望ならなおのこと、そんなに何校も受けることなどできませんから、本当に受験する学生は、ごく一部でしょう。合格し、入学するとなると、さらにもっと少ないです。でも、この場でその大学を知り、オープンキャンパスなどに参加していくうちに、「いいなあ」から「好き」、「入りたい」、「入ろう」、「絶対入るぞ」と気持ちを育てて、本当にその大学に進学する学生もいないとも限りません。

来週から、この進学フェアに基づいた進学相談も来ることでしょう。この進学フェアは、受験シーズンのキックオフです。

評判落とされた

6月4日(木)

Jさんは21日のEJUを受ける上級の学生です。毎日のように職員室へEJUの過去問を借りに来ます。もう直前の追い込みの時期ですから、過去問をがんがんやってもらうのはいいことです。ところが、Jさんは職員室の先生方の受けがよくないのです。それは、あいさつをしないからです。

無言で職員室に入り、必要最小限の言葉で過去問を借りようとし、返すときもぶっきらぼうとくれば、そういう評判もやむをえないところかもしれません。職員室に入るときは「失礼します」と声をかける、用件をきちんとはっきり伝えるなど、コミュニケーションの基本以前の姿勢についても、私たちは指導してきています。その指導を無視しているかのようにも見えますから、評判が悪いのもしかたがありません。「あんまりしゃべらないから、初級の学生かと思った」とおっしゃる先生も。

終わりよければ全てよしで、Jさんが最終的に「いい大学」に入ってしまえば、こんなことも笑い話になってしまうのかもしれません。でも、同時に、「あの大学、Jさんみたいにしゃべれない学生でも受かるんだ」と心の底で思う先生もいらっしゃることでしょう。Jさんの行為は、自分が受かった大学の評判まで落としてしまいかねないのです。

学生たちにはオープンキャンパスに行けと言いつつも、私たち自身が、学生たちが受ける大学に足を運ぶことはめったにありません。その大学に進学した学生の成績や人となり、卒業生の声が私たちの最大の情報源なのです。間口が狭く偏った見方だと思いますが、こういう思考回路は一朝一夕には変えられないでしょう。進学した学生が異口同音にいい大学に入れたと言っているS大学は評価の高い大学の代表です。一方、好き放題のことをして出て行った学生が不思議と受かるF大学は、私にとって変な大学の最右翼です。

明日は進学フェアが講堂であります。私の心の中の一流大学も来てくれます。その大学の先生とお話して、学生を引き付ける根源を見つけ出したいです。

受験したい

6月3日(水)

初級のOさんは17年に国立大学に入りたいと言っています。学部は、「よくわからないけど、将来貿易会社に入りたい」とのことでした。また、国立大学なら東京や東京近郊にはこだわりません。

要するに、漠然と国立大学に入りたいと思っているだけです。そう思うことはとても大切ですが、まだ受験勉強の大変さを知らないので、この気持ちを最後まで持ち続けられるかは疑問です。進学コースの学生は入学と同時に厳しくしごかれるので、Oさんと同じぐらいのレベルの学生ならもう少し具体像を描いていますし、初志を維持する難しさもだんだん感じてきています。進学コースではないOさんは、そこのところから始めなければなりません。

先学期私が担当した初級クラスの学生だったHさんは、学期末に急に「大学進学したい」と言い始め、受験講座に申し込み、進学コースの学生と一緒に勉強を始めました。しかし、すでに挫折し、大学進学はあきらめてしまいました。受験勉強を続け、最初に考えていた大学に入ることは無理だということがわかったと、少し寂しげに言っていました。Oさんもそうなってしまうのではないかと心配しているのです。今は意気込んでいますから何でも「大丈夫」と言ってしまえますが、1年半後も同じ気持ちでいられるでしょうか。

若者が成長するには挫折も必要です。しかし、味わわなくてもいい挫折まで引き受ける必要はありません。大学受験は単なる勢いや流れで首を突っ込むと、無用のダメージを受けるおそれがあります。Oさんにはじっくり考えて、最終判断するように指示を出しました。

三平方の定理

6月2日(火)

漢字の授業では、教科書に出てくる熟語のほかにいくつかの言葉を紹介します。どの先生がどんな単語を取り上げているかはわかりませんが、私はどうしても理系的な言葉を入れたくなります。たとえば「直」では、直す、直接、正直の3つが「直」の字の用例として挙げられています。理系人間にとって「直」は「直角」「直線」「直流」の直です。初級の学生に対して「直流」の説明は難しいですが、「直角」は絵を描けばすぐにわかってもらえます。

確かに、日常生活において「直角」とか「直線」とかを使うチャンスはありません。そんなのよりも「素直」とか「やり直す」とかなんていうのを教えたほうがよっぽど役に立つでしょう。でも、それじゃあ私は面白くありません。数学アレルギーの学生もいるでしょうけれども、「直角三角形」なんていうのはどこの国でも勉強している事柄ですし、そういう純粋に学問的な言葉を日本語でどういうかを知るというのも、学生たちの喜びにつながっていると思います。学生たちはテストになんか出るわけがないことを承知の上で、板書をノートに書き写しています。

「万有引力」とか「光合成」とかを授業で語彙として取り上げることは、日本語教師としての私のとがっている部分だと思っています。学生も私が受験講座の理系科目を教えていることを知っていますから、そういう言葉が出てくることを半分期待しているところもあります。自分自身仕事を楽しむという面からも、私はこういう授業をやめるつもりはありません。

さて、明日の漢字には「定」の字がありますから、「三平方の定理」なんてやっちゃおうかな…。

くっつく?

6月1日(月)

「『歩く』の「止める」と「少ない」はくっつけませんよね」「ええっ、くっつけますよ」「でも、私の見た本にはくっつけないって書いてありましたよ」「漢字の教科書ではくっついてますよ」と、初級のS先生とT先生がやりあっていました。上級のテストだったら、くっついていようがいまいが、上に「止」が、下に「少」が書いてあったら〇だけどなあと思いながら聞いていました。

今学期は初級クラスに入っていて、私も漢字を教えます。はねるとかくっつけるとかいうのを自分なりにチェックしてはいるのですが、学生から細かいところを突っ込まれて苦しくなることもあります。私は、画数が違っていなければいい、読めればいいと思っています。「土」と「士」は違う字ですから上が長いか下が長いかを厳密にチェックしますが、「本」の1画目が多少長かろうと短かろうと気には留めません。「見」と「貝」はきっちり区別しなければなりませんから、脚の部分の曲がり具合は厳しく目を光らせます。しかし、その脚と上の「目」の部分がくっついているかいないかは、どうでもいいと思っています。

ところが、中間テストの採点を見ると、私などどこが間違っているのかわからないのに不正解とされている答えがあります。なんで×なのか学生に聞かれたら、「上級なら〇なんだけどね。初級は字の形をきちんと覚えなければなりませんから、もう一度教科書をよ~く見てください」と言って逃げます。ま、半分は本当のことですからね。

外国人留学生に漢字の基礎をたたき込まなければならないことは疑いのない事実です。中国人には中国語の漢字と日本語の漢字が微妙に違うことをうんと強調しなければなりません。しかし、そういう子細にわたる部分にこだわり過ぎると、漢字に対する苦手意識を持たせてしまうのではないかと思うのです。それが高じて漢字アレルギーになってしまったら、元も子もありません。

言葉はコミュニケーションの道具です。文字であってもそれは変わりません。誤解を生まない範囲であったら、多少字形が不細工であっても、〇なんじゃないでしょうか。私自身がいい加減な漢字を書いているから、自己弁護のためにこんなことが言いたくなるのかな…。