伝わったかな

3月24日(火)

今学期の授業が終わり、あとは期末テストを残すだけです。と言っても私の通常クラスの授業は昨日で終わっており、今日は受験講座・物理と来学期の受験講座・英語のレベルテストの監督でした。午前中は私が受け持っていた上級クラスの期末テストを作りました。

この学期の卒業生の多いクラスは、とかくあわただしさに追われて終わりがちですが、何か1本筋を通さないと卒業式後に残る学生たちに対して失礼です。私としては、それを中間テストと期末テストを通して示したつもりですが、明日期末を受ける学生たちに伝わるでしょうか。

昨日は初級クラスの最後の授業でしたが、君たちはこの3か月でずいぶん進歩したよっていうメッセージを十分に伝えられずに終わってしまったような気がします。短文を重ねて物を言うのがやっとだった学生たちが、含みや余韻を残す言い方ができるようになったんですからね。何名かはそこには遠く及ばず、もう一度同じレベルをやってもらうことになりそうなのが少々残念ですが…。次に彼らに会うのは、中級か上級の教室でしょう。それまでにさらに力を伸ばして、私を大いに驚かせてほしいです。

受験講座は6月のEJUを控えた来学期が本番ですから、通常クラスほどセンチな気分にはなれません。授業外でもフル回転することになるでしょう。物理の時間に青色LEDなんて余計な話までしちゃいましたが、次の学期はそんな暇があったら過去問の1つも解かなきゃならないでしょうね。

桜のシーズン

3月23日(月)

週末は暖かかったと思ったら、西日本は東京以上に暖かく、鹿児島や名古屋から桜の開花のニュースが届きました。今朝、私の定点観測木である地下鉄四ッ谷駅ホーム脇の桜を見ると、まだつぼみが膨らみきっていないかなという感じで、東京の開花はもうちょっと先かなと思っていました。新宿御苑前駅で降りると、ホームには桜の花びらの地に書かれた新宿御苑の大木戸門と新宿門への案内の張り紙が出されていました。これが出ると花見シーズンが近いんですよね。

そんな表示を見て気分が少しばかり浮き立っていたところ、午前中に開花宣言が出されるではありませんか。そういうつもりで花園小学校校庭の桜を見てみましたが、四ツ谷の桜と同じでもう一息というところでした。今年は靖国神社の桜が特別早かったのかなあ。

今日は最高気温が17度まで上がりましたが、明日から木曜日ぐらいまではそんなに上がらないそうです。暖かい日が続くと一気に満開になり散ってしまいますから、多少ひんやりするぐらいがちょうどいいのです。でも、週末からは20度を上回る日が続くとも言っていますから、今度の週末が最初で最後のお花見のチャンスかもしれません。学生たちのフェイスブックにもたくさんの桜が咲くことでしょう。

東京は桜の開花宣言ですが、CさんやSさんやWさんが進学した北海道や東北地方の街には、まだ数十センチの積雪があります。春まだ浅いどころか冬真っ只中です。3人の入学式のころには、多少春らしくなるのでしょうか。

濃いクラス

3月20日(金)

アメリカの大学のプログラムでKCPへ来ている学生たちは、学期末に発話テストがあります。今週は何人かの学生のテストをしました。毎学期このテストをすると十人十色だと思います。アメリカは世界中から人が集まっていることを強く感じさせられます。

今学期は「主婦の友」を読んでいるというHさんがいちばん特徴的だったでしょうか。日本の女性史について研究しているというだけあって、その方面に関しては私も太刀打ちできないほど専門的な話が日本語でできます。テストであることを忘れて、自分の興味であれこれ聞いてしまいました。

その一方で、Sさんはほとんど会話が成り立ちませんでした。普通はゼロで入学しても3か月勉強したら自分の身近なことは話せるようになるのですが、Sさんは「いつアメリカへ帰りますか」なんていうのもジェスチャーを交えなければ通じませんでした。「専門は何ですか」は、もちろん「???」。「先生、それはSさんにとっては上級の質問内容ですよ」と、Sさんを教えているT先生。

そのT先生の話によると、確かにSさんは授業についてこられない状態ですが、授業には参加しようとしているそうです。断片的にでも理解できることがあると、そこから何とか話題に食いつこうとするのだとか。私との会話テストではコミュニケーションを取ることなど到底不可能だと思いましたが、コミュニケーションを取ることは好きなのでしょう。

初級のMさんは、漢字が全然だから今のレベルをもう一度やりたいと、上級クラスに入れてもやっていけそうなくらいの流暢さで話していました。Mさんは漢字以外は自信を持っているようでしたから、来学期からの教師が上手に育てていけば、Mさんの留学期間が終わる半年後にはかなりの使い手になるだろうと期待しています。

こういう濃い学生がクラスにいると、クラスが刺激的になります。アジアの学生は、そういうクラスを求めています。私たちもただアメリカの学生におんぶしてもらってクラスを作り上げていくのではなく、どちらの学生も力が発揮できる、お互いに伸ばしあっていける空気を醸し出していかねばなりません。

同国人のわな

3月19日(木)

Bさんは今学期の新入生で、日本の生活に慣れてきた先月からアルバイトを始めました。国の人が経営していれば有利な条件でアルバイトできるだろう、多少の無理も聞いてもらえるだろうと思って、そういう店を選びました。

ところが、同国人なら無理を聞いてもらえるだろうと考えたのは経営者も同じで、Bさんは毎日のように仕事の時間を延ばされ、最初の契約などないに等しい状況に陥りました。疲れて学校に通えないほど働かされ、最近は欠席者リストの常連になってしまいました。

Bさんもこれでは本末転倒だと思い、今週始めにそのアルバイトをやめました。そして、昨日からまた以前のように明るい笑顔で教室に戻ってきました。

私は海外で生活したことがありませんから、外国暮らしにおける同国人の重さやありがたさがわかりません。私は群れるのはあまり好きじゃありませんが、そういう環境に置かれたらやっぱり日本人を頼るのかもしれません。だから頭ごなしにBさんを叱り飛ばす気にはなれません。1か月で抜け出したのは賢明な判断だったと思います。こうして痛い目に遭ったのですから、今度アルバイトを始めるときは、こんなブラック企業並みのひどいところには引っかからないようにしてもらいたいです。

Bさんにとっては高い授業料だったと思います。欠席が続いたため、進級が危うくなってしまったのですから。期末テストまでよほど奮起しないと、来学期も同じレベルです。もしそうなったら、3か月という時間と1学期分の授業料を捨てたのに等しいです。まだ若いですからやり直しが利くとはいえ、心の傷は深いものになるでしょう。

だから、Bさん、これから期末テストまでは、あなたの人生を左右しかねない重要な時間なんですよ。わかってますか。

山の向こう側へ

3月18日(水)

初級の最後のクラスの会話期末テストに立ち会いました。場面が与えられて、その場面にふさわしくかつ独創性のある会話を作り、それをペアで演じるというものです。会話を考えて練習する時間は15分、会話の時間は1グループあたり3分と決まっていましたが、各グループとも4~5分の会話を発表しました。

冗長に感じられたグループもありましたが、「初級」ということを考えると、上出来と言っていいでしょう。4~5分間、ある内容を持った会話を続けたというところが立派です。このレベルの会話テストに立ち会うのは初めてでしたが、驚かされました。

でも、今日の学生たちが4月から上がるであろう中級レベルは私もしょっちゅう受け持っており、学期の最初の状況を考えると、これぐらいはできてもらわなければとも思います。中級以上では私はそんなに手加減をしませんから、あんまりたどたどしい話し方だと困ります。

話すことは語学の基本です。太古の時代は人類は音声言語しか持っていなかったのですから、話せることがコミュニケーションできることだったに違いありません。今日の学生たちの発表を聞いていると、彼らはこの基本を身に付け、日本語によるコミュニケーションがそれなり以上にできるようになったと感じました。初級と中級を隔てる山を乗り越えて、日本の社会で生きていくパスポートを手にしたのではないでしょうか。

もしかすると、来学期彼らを受け持つかもしれません。鍛えがいのありそうな学生たちで、春の訪れが一層楽しみになりました。

春らしい日

3月17日(火)

今年初めて東京の気温が20度を超えました。朝、コート、マフラー手袋という厳重装備で外に出たら、頬に当たる空気がなんとなく柔らかくてびっくりしました。私のうちの最寄り駅は、去年太陽光発電パネルを設置したとかで、改札口に発電状況をしめるパネルが取り付けられました。その中に現在の気温が表示されているのですが、今朝はそれが11.8度でした。こんなに高かったらコートを置いてきたのにと思いました。

今日はO先生の代講で、「らしい」を扱う授業をしました。伝聞の「らしい」のほかに、典型的な性質・特徴を表す「らしい」もしました。窓の外は陽光がきらめいていました。風も弱く、「春らしい」を導入するにはもってこいの天気でした。「今日は3月17日ですから『春らしい日』でいいですが、今日がたとえば1月17日なら何と言いますか」と学生に聞いてみました。「春みたいな日」が出てきて、この2つの違いがストンと入ったようです。

私は教室への行き帰りには外階段を使うことが多いのですが、今日は夕方になってもほんのりと暖かさが残っていました。桜の開花予想は、早い予想で23日、来週の月曜日です。今日ぐらい暖かい日が続いたら、あっという間に咲いちゃうでしょうね。

先週のI先生の代講で入ったクラスの作文に、美しいものの代表として日本の桜を挙げている学生がいました。その学生は今年が桜初体験のようで、とても期待していることがうかがわれる文章でした。その学生の期待に違わぬ見事な桜が、もうすぐ東京のそこここで見られます…。

説明会

3月16日(月)

来学期から受験講座を受ける初級の学生にオリエンテーションをしました。今は闘志満々でやる気があふれていますが、受験講座が始まってすぐにショックを受けることになります。日本語で何かをする、具体的に言えば政治経済や数学などの勉強をすることの難しさにぶち当たるのです。

でも、進学したら受験講座よりはるかに高度なことを日本語で学んでいかなければなりません。たかが受験講座ごときでつまずいているようでは、お先真っ暗です。そうはいっても、みんなの日本語が終わるか終わらないかぐらいの学生が、授業で扱っている内容よりも複雑かつ長い文章や話を読んだり聞いたりして理解していかなければならないのです。負担が重いことは明らかです。

ということは、初級の教科書がのんびりしすぎていると考え、進学コースの学生は通常授業に加えて長い文章を読む訓練もしています。それでもまだ足りないのなら、そういう訓練をもっと前倒しする必要もあるかもしれません。もっと言ってしまえば、国である程度以上の日本語力をつけてきてもらいたいところです。

今年はおかげさまでそこそこの進学実績が出せました。この中で、いわゆる「いい大学」に受かった学生の大半は、苦しくても日本語で受験勉強を続けてきました。そういう例を見ていると、ここが踏ん張り時なんですよね。少なくとも、日本語で受験勉強し通したという経験が、進学してからの自信につながると思います。

アンケートで聞いた志望校には有名校がずらりと並んでいました。全員がその学校に入ってくれると、今年の進学実績を大きく上回れるのですが、来年の今頃はどんな顔をしているのでしょうか。

開業

3月14日(土)

世の中は北陸新幹線の開業で沸いています。北陸は、ストロー効果で“らしさ”が失われるという話もあれば、首都圏から気軽に訪れることができるようになって景気がよくなりそうだとも言われています。

北陸新幹線が通る金沢も富山も高岡も行ったことがありますが、どこも落ち着きのあるいい町だと思います。お城やお寺を中心として、独特の街を形作っています。そういう自分の街に誇りを持っていますね、北陸の人たちは。だから、幸福度が高いという統計結果も出てくるのでしょう。「住めば都」という言葉がありますが、北陸は太平洋側の人間が感じるよりずっと都であり雅なのかもしれません。

そんな空気に包まれた街だっていう情報が新幹線開業により全国に広がると、地方を再発見しようという流れができるんじゃないかと期待しています。2011年に東北新幹線と九州新幹線が全通しましたが、今回の北陸新幹線の開業は、それ以上のインパクトを与えるのではないかと思っています。

さて、KCPでは、アルク・凡人社主催の日本語教師塾が開かれました。私は偉そうに基調講演なんてものをやってしまいました。6階の講堂全体に置かれた机といすがさらっと埋まるほどの盛況で、その参加者の皆さんが真剣に私の話に耳を傾けてくださればくださるほど、本当に私ごときが…と思わずにはいられませんでした。いろんな仕事の都合で「塾」そのものには参加できなかったのも残念でした。「忙しさにかまけていては成長できない」なんて言っておきながら、仕事に追われて自己研鑽しないんですからね。講演の内容も薄まってしまいますよ。

北陸新幹線はこれから日本列島の動脈の1本になっていくことでしょう。開業ブームが落ち着いたら、仕事の合間を縫って、ちょいと様子を探りに行ってみたいなと思っています。それが授業のネタになれば、「世間は教材の宝庫」と申し上げた講演内容とも合致しますしね。

直す?

3月13日(金)

卒業式が終わると上級クラスの授業がなくなって楽になるかと思いきや、今日は早速I先生の代講が入ってしまいました。期末テストでしかるべき点を取れば中級クラスに上がる学生たちのクラスです。初級のいちばん最後ともなれば、もうかなりのことがわかります。今学期受け持ってきた初級クラスの学生たちもだいぶいろんなことがわかるようになったと思っていましたが、それよりももう1つ上のクラスですから、さらにもっとわかっている感じがします。もちろん上級と比べたらいけませんが、このぐらいわかればとりあえずどうにかできるんじゃないかな。

授業の最後に、作文の清書がありました。先週I先生の時間に書いて、I先生が添削・採点なさったのを学生に返し、チェックが入ったところを直して書くのです。誤字脱字の類は誰が見ても同じですからいいのですが、表現方法に関するものとなると、すぐにはわからない場合も出てきます。本当に初級の作文なら、表現方法も限られていますから、ちょっと読み返せば赤を入れた意図がわかります。しかし、このクラスぐらいのレベルになると、学生が使える表現にバリエーションが出てきますから、教師によって直し方に違いが出てきます。どうもI先生と私とでは直し方の癖が違うようで、その調整が今日の授業の中での一番苦労した点でした。

おそらくこれはI先生と私との文体の違いによるところのものと思います。I先生のお書きになった文章を読んだことはありませんが、たぶん私とは違うリズムの文章なのでしょう。最近はあまり作文の授業をしていませんでしたから、いつもとは違う刺激を受けました。清書した作文を提出してもらいましたが、これをさらに私流で直すと、学生たちは困っちゃうかな…。

取り返す

3月12日(木)

Tさんは先学期私のクラスだった学生で、今学期は上級に進級しました。先学期もそうだったのですが、病気で休むことがちょくちょくあります。でも、まじめな学生なので、休むことを非常に気に病んでいます。今日は、休んだ日にやった文法項目を使って例文を書いてきました。担任の先生がいなかったので、私が代わりに見てあげました。

文法の意味を的確にとらえた例文でしたからほめたところ、おとといも例文を作ってきたけれどもボロボロに直されたので作り直してきたとのことでした。明日がこの文法項目を含む範囲のテストだから、どうしても頭の中をはっきりさせておきたかったのだそうです。たとえテストで合格点が取れても、わからないことが1つでもあるのが許せないのでしょう。

みんなTさんみたいな学生だったら、多少欠席しても文句は言いません。でも、よく欠席する学生に限って、休みっぱなしなんですよね。休んだ日にあったテストすら追試を受けようとせず、そのくせ点数が足りなくても進級したいと言うのです。こちらはなんとなくわかってりゃそれでいいだろうってしか考えないのでしょう。

私の担当している初級クラスにも、こういう考えじゃないかと思われる学生がいます。初級の文法がいい加減だと絶対に伸びません。後になってから修正するのは、今ここで勉強し直すのの数倍も労力がかかります。口をすっぱくして注意してもそれが見えないのは、しょうがないのかな。

学生はすべからくTさんのようにあるべきです。勉強にはそういう厳しさが必要です。それがごく自然に身についているTさんは、一流の要素を持った学生だと思います。