顔を作る

3月7日(月)

大量の卒業生が去ってしまったので、午前中の校舎は寂しいものがあります。使われていない教室が多いためどこか薄暗く、休み時間になっても廊下には学生の姿がちらほらするだけです。職員室も、午前中はスカスカでした。

私は超級レベルで残っている学生たちを併せたクラスを担当しました。この学生たちは、来学期からKCPの顔になります。そして、この学校をこれから1年間引っ張っていくことになります。そういう存在になってもらわなければ困ります。

少なくとも来学期の行事では、中心的な働きをしてもらうことになります。去年4月期に行われた運動会でも、去年の卒業式以降に残った超級の面々が、競技役員を始め、中心になって働いてくれました。その経験がとても印象深かった、最上級クラスの一員という自覚が生まれたという声も、おととい卒業していった学生たちから聞かれました。彼らは立派にKCPのか落として活躍してくれたと思います。

だから、今朝の超級合併クラスでは、集まった学生たちに自覚を促すと同時に、プレッシャーもかけました。先週までは卒業していった学生たちの陰に隠れてふわふわしていてもよかったのですが、今からはそうではありません。最上級クラスの一員として、先輩として、在校生にもこれから入ってくる新入生にも、模範を示し、KCPを盛り立てていくことが求められます。

このクラスの学生は、進学実績も上げてもらわなければなりません。初日は「お手柔らかに」したつもりですが、明日からはガンガン行きますよ。覚悟しておいてもらわなきゃ…。

卒業証書をもらう

3月5日(土)

9時ちょっと前に四谷区民センターの9階へ行くと、すでに知った顔がちらほら。授業の時とは違い着飾っているので、挨拶の声を聞いて誰なのかわかることも。

卒業式は、卒業証書をもらうか修了証書をもらうかが学生にとって運命の分かれ道ですが、我々教師にとってもその年度の総決算を意味します。今年度は卒業証書がもらえるだろうか、頑張ったけど修了証書どまりだろうか、私は毎年そんなことを考えながら、一人ひとりの学生に証書を渡しています。

Aさんは伸びたと思えれば卒業証書に近づくし、Bさんの出席率は結局改善されなかったと思えば修了証書のほうに引っ張られます。Cさんを無理だと思っていた第一志望校に入れたのは殊勲賞だけど、Dさんの行き先が決まっていないのは指導力不足だったかな。Eさんは苦手の漢字を克服したけど、Fさんの漢字嫌いはどうにもなりませんでした。入学時はあんなに純真だったGさんがやさぐれてしまったのは私たちのせいかな。最後の3か月でこちらを向いてくれたHさんは、KCPにも心を開いてくれたんでしょうか。

毎年、思うところがたくさんあるのですが、今年は去年より卒業生が多い分だけ、私の前に立つ学生の顔を見ながらこの1年の自分自身を見つめなおす時間もたっぷりいただけました。

午後は卒業生と教師の交流パーティー。琴の「ふるさと」に学生たちがKCPを思い出すときのことを重ね合わせ、歌クラブの卒業生・Iさんの涙に心を揺さぶられ、演劇部の演技とセリフの自然さに魅了され、ダンスクラブのパフォーマンスにはこれまで同様圧倒されました。でも、今年の目玉は、教師の合唱です。学生に隠れてこっそり練習した成果を披露すると、Jさんは涙をあふれさせていました。

式は会場の都合上ゆっくりできませんでしたが、交流パーティーは卒業生も教師も十分に感慨に浸ることができました。どの先生も、寿命が10年ぐらい縮みそうなくらい、卒業生に挟まれた写真を撮られていました。

これだけ学生に慕われたのですから、私たちもかろうじて卒業証書をもらえるでしょうか…。

早くも課題

3月4日(金)

今年の卒業式は例年より早いので寒空の中で行われるのかなと思っていましたが、天がKCPに合わせてくれたのでしょうか、ここに来て急に暖かくなりました。今朝も、遅刻して教室に入ってきた学生があっさりエアコンのスイッチを切ってしまいましたが、誰も文句を言わず、授業終了までエアコンなしでも全く寒くありませんでした。卒業式の予行演習ということで、体を動かしたからかもしれませんが…。

最上級クラスの卒業式前日の授業ということは、KCPで一番レベルの高い授業ということですから、その名に恥じることのないように、日本人でも骨の折れそうな漢字のパズルをやらせました。いかに最上級クラスとはいえ、さすがに一人でやるのは難しかろうと思い、周りの友達と協力してやってもいいことにしました。しかし、多くは独力で答えを出そうとしていました。

辞書やスマホを参考にしながらでしたが、途中で投げ出す学生はおらず、むしろ、私の予想よりもだいぶ早くできてしまった学生が次々と。改めて学生たちの能力の高さを感じました。一流の大学院に進学することになっている学生も多いクラスですから、当然といえば当然ですね。

ただ、論理的に推論して答えを導き出す学生がいる一方で、行き当たりばったりに解いている学生もいました。来年進学予定の学生に後者のタイプが多かったことが少々気懸かりです。でも、明日卒業する学生だって、去年の今頃はそんなもんだったかもしれません。1年間もまれ続けたおかげで、きちんとした仕事の進め方ができるようになったとも考えられます。要するに、これから1年の課題が突きつけられたわけです。

「明日、卒業パーティーの後、一緒に食事をしてくださいませんか。YさんもHさんもMさんも、みんな来ますから」と、授業後、完璧な日本語で明日のお昼のお誘いを受けました。春の陽気に釣られて、ふらっと出かけることにしました。

泣くかな

3月3日(木)

今年の卒業式の卒業生代表挨拶は、Kさんにお願いしました。月曜日、Kさんに電話で依頼すると、二つ返事で引き受けてくれました。電話をかける前に説得の言葉をあれこれ考えたのですが、そんなのを動員するまでもありませんでした。

昨日、原稿を見せてもらいましたが、いくつか語句の訂正をした程度で、内容は私なんかが手を入れる必要など全くないすばらしいものでした。KさんはKCPに2年いましたから、語るものもいろいろあったようです。そのなかから厳選して原稿にしたのですから、空虚なものになるわけがありません。

今日はその原稿を読む練習をしました。声に出して読むとなると、自分で書いた原稿にしても、留学生にとっては難しいものがあります。卒業生代表挨拶は棒読みではいけませんし、スピーチコンテストの要領ともちょっと違います。感動を誘わなければなりませんからね。

Kさんは、最初は、「っ」の間が十分に取れていませんでしたし、長音の延ばし具合も不完全でした。なんだか急ぎすぎていて、聞き手にしてみると、聞いた内容を吟味する暇がない感じがしました。アクセントとかイントネーションとかいう前に、まず、促音と長音を確実に出すよう指導しました。そうしたら、全体的にペースがゆったりしてきて、最初に比べて次は、20秒も長くなりました。

急ぎすぎがなくなったところで、アクセント、イントネーション、そして、間の置き方の指導です。Kさんの書いてきた原稿にアクセント・イントネーションの記号を付けると、見違えるように自然な話し方になりました。さらにもう10~15秒ほど長くなりましたが、緩慢な感じはありませんでした。

明日、もう一度練習をして、明後日の本番に臨みます。Kさんの挨拶で誰か泣くんじゃないかなって、密かに期待しています。

はなむけ? 遺言?

3月2日(水)

卒業間近の最上級クラスといえば、KCPに入学した学生が到達できる最高の日本語レベルだと考えられます。逆に考えると、そういう学生たちでも間違える点は、日本語を学ぶ外国人が一番難しく感じる点であり、教師が最も教えにくい事項であるとも言えます。

その最上級クラスで短文を書かせたら、「TOEFLで40点しか取らなかったから…」という文が続出しました。これでは、本当は80点ぐらい取る力があるのに、わざと間違えて40点に点数調整したと受け取られかねません。

可能動詞は「みんなの日本語Ⅱ」の27課で勉強します。それ以後、中級や上級の教師は、可能動詞の作り方や活用にミスには厳しく目を光らせてきましたが、その使い方については系統立てて教えていないんじゃないでしょうか。日常的にめったに使わないN1の文法項目よりも、こっちを優先してあげたほうが、学生のためになるのではないかと思います。ためにはなっても、初級の文法項目を深めるのって、学生にとっては一見退屈に感じられるんじゃないかな。

教えるのが難しいって、まさにこの点だと思います。学生を引き付ける魅力的な教材、学生の頭にすっと浸透していく効果的な練習、そういったものを作り出し、実行していくのが難しいのです。それを避け続けてきたから、最上級クラスの学生が上述のような例文を作ってしまうのです。

私が間違いを指摘し解説すると、学生たちは、これはまずいと言わんばかりにノートを取っていました。今学期は初級の文法項目なんだけど奥が深いものを選んで、それを掘り下げてきました。私から卒業していく学生たちへのはなむけの言葉(いや、遺言かな?)として訴えてきたつもりです。

アセトンは何ですか

3月1日(火)

Sさんは受験講座の物理と化学を取っています。物理では理系的なカンのよさを示し、難しい問題をあっさり解いたり、こちらの言わんとすることをすばやく悟ったりします。しかし、化学はカタカナ語の物質名が覚えられず、苦戦中です。このところ有機化学をやっていますが、そこに出てくる物質名が全く頭に入りません。

「先生、アセトンって何ですか」って、あんた何回聞けば気がすむんだい、と突っ込みたくなるほど繰り返し聞きます。アセトンは入試の有機化学の常識ですから、覚えなくてもいいとは、口が裂けても言えません。アセトン並みの重要語を毎回聞きます。同じ名前を何回も耳にしていくうちに覚えていくだろうと思っていましたが、記憶は遅々として深まりません。1週間後にはきれいにリセットされています。

Sさん自身も、物理は1つのことを覚えるとたくさんの問題が解けるようになるが、化学はカタカナ語を1つ覚えたところで解ける問題はごく限られている、と言っています。半ばさじを投げたような発言です。

Sさんはこの苦手を克服すれば大きく成績を伸ばすことができるでしょう。しかし、6月のEJUまで3か月以上あるとはいえ、これはSさんにとっては容易ならざる課題です。でも、この課題を乗り越えない限り、Sさんが考えている愛学には進学できないでしょう。進学できたにしたって、ここまでカタカナ語が苦手となると、単位を落としかねません。いずれにせよ、明るい未来にはつながりそうもありません。

Sさんをどこまで引っ張り上げられるかが、新年度の私の課題になりそうです。

うまそう

2月29日(月)

午後、職員室で仕事をしていると、外から窓をたたく音がしました。音のしたほうに目をやると、Yさんがぴょこんとお辞儀をしているではありませんか。ロビーに入れと手で合図をし、私もロビーへ。

YさんはKCP卒業後、調理の専門学校に進みました。そして、今年卒業を迎えました。スマホに入っている卒業制作を見せてくれましたが、すばらしい刺身の盛り合わせでした。最高の材料を仕入れ、器もしかるべきものを買い揃え、Yさんの話しっぷりからすると、精魂傾けて作ったことがうかがわれました。

「下から3番目ぐらいの賞で…」と言っていましたが、私の目には上位の賞をもらった作品よりもYさんの作品のほうがおいしそうに見えました。それは私が刺身が好きなせいもあるでしょうが、実際に差があったとしても、紙一重だと思いました。まあ、素人の目による評価に過ぎませんが。

そのすばらしい料理、卒業制作の発表会後はすべて捨てられてしまったとのことです。料理が乾かないようにゼラチンを塗ったからだそうです。材料費だけで1万円以上したと言っていましたから、もったいない限りです。

こんなにすばらしいYさんの腕をもってしても、日本で就職はできず、Yさんは4月からE大学に進学することにしました。大学で経営を学び、友達と会社を興し、その会社で、専門学校で磨いた腕を発揮し、自分の夢につなげようというのです。大学生を出てから専門学校に通う人もいますから、順番が逆になったとしても、驚くほどのことではありません。

でも、やっぱり、Yさんはたくましいと思います。国にいた時から抱いていた夢を実現するために、できることは何でもしてみようという姿勢には感心させられました。ただ、仕事になったら、今回の卒業制作並みの料理を毎日作っていかなければなりません。一発勝負を連発するようなものです。それがプロの厳しさです。

次は店を持ったときに招待状か何かを持ってきてくれるとありがたいんですが。

花園神社のテント

2月27日(土)

お昼に出た時、花園公園の横を通ったら、公園内にテントが張られ、オレンジと白のコーンがいくつも重ねて置かれていました。何だろうと思ってコーンにつけられている標識を読むと、東京マラソンのための交通規制をするためのものでした。都庁前を出発し、靖国通りを通って市ヶ谷へ抜けるコースですから、花園公園のコーンは明日の朝、靖国通り上に置かれるのでしょう。ホームページによると、このあたりは8:35から10:40まで交通規制が行われるとのことです。

東京マラソンは、KCPでは、Y先生が以前お出になったことがあります。K先生も毎年応募しているのですが、まだお呼びがかかったことはないそうです。Y先生が出られた時、K先生がうらやましそうになさっていたのを覚えています。市民ランナーにとって、それぐらい憧れの的なのです。

私は、42.195kmを走り抜くことは到底できません。でも、都庁から東京ビッグサイトまで歩いてみたいとは思いますし、歩けるとも思います。ただ、東京マラソンは9時スタートで16時ごろまでにゴールしなければなりませんから、平均時速6キロで歩き続ける必要があります。それはちょっと苦しいかなって思います。

コースも、欲を言うと城南地区を回ってくれたら、私の若かりし頃の思い出の場所も通るのですが…。でも、下手に渋谷あたりを通ると、アップダウンが激しすぎて、いい記録の出にくいコースになってしまいますね。新宿からビッグサイトまでなら、基本的に下り坂です。品川・浅草間は往復していますが、そこは平坦な土地です。よく考えられていますね。

明日は歯医者の予約を入れていますから、東京マラソンは結果だけニュースで聞くことになりそうです。

海を見つめる

2月26日(金)

朝、いつもの時間に、御苑前駅から学校への道の最後の角を曲がると、ビルの隙間からきれいな朝焼けが見えました。思わず真上の空を見渡すと、雲らしき姿はなく、日の出直前の最後の輝きを放つ星が「バス旅行日和だよ」と告げているかのようでした。

出発時刻が近づくにつれて学生たちもどんどん集まってきました。しかし、出発時刻を過ぎても何名かの学生は来ませんでした。もう出発しようと思ったそのときに、Pさんから電話が入りました。学校のすぐそばまで来ているが、バスの止まっている場所がわからないと言います。電話で場所を説明し、Pさんも走っているようではありましたが、これ以上待ったら日程に影響が出かねないという時間になっても姿を現しませんでした。Pさんは切り捨てて出発することにしました。

Pさんは遅刻の常連です。先週の卒業認定試験も朝寝坊で受けず、追試を受けたくらいです。痛い目に遭わないと行いは改まらないと考え、また、時間厳守と言っておきながら大幅遅刻の学生を待ち続けるのは、他の学生の教育上もよくないと思い、Pさんには泣いてもらうことにしました。

アクアラインに入る直前ぐらいに富士山が見えると、車内は大きなどよめきとカメラの音の嵐。海ほたるの展望台からも、横浜の町のかなたに真っ白な富士山がくっきりと見えました。まだ9時台でしたが、日なたは思ったよりも暖かく、多くの学生が富士山を背に記念撮影をしていました。

鴨川シーワールドに着くと、まず、お弁当。クラスまとまって…と思ったのですが、早速展示物につかまる学生が多く、私のクラスは空中分解。でも、私が用意してきたデザートもあっという間に売れてしまい、それなりに楽しいひとときだったようです。

イルカのパフォーマンスを見ました。学生たちは歓声の上げ通しでした。ジャンプも泳ぎもうなるしかないほどの一級品でしたが、私は芸をするたびに飼育員が与えるえさの量が気になりました。小魚か何かなのでしょうが、15分ほどのパフォーマンスの間にイルカが食べた量は半端じゃありませんでした。私もイルカのパフォーマンスには楽しませてもらいましたが、楽しむだけでいいのかなという気もしました。

学生たちは八のパフォーマンスも見に行きましたが、私は体がすっかり冷えてしまい、お土産屋や屋内水族館で体を温めました。体が温まり、また外に出てみると、海岸に結構学生が出ているではありませんか。危ないことはしないようにと、砂浜で学生の見張りをしました。

シーワールドからずっと離れたところに、Jさんがぽつんと立っていました。バスの駐車場からもだいぶ離れたところだったので、あまり遠くへ行かないようにと注意しに行くと、いつになく真剣なまなざしで海を見つめていました。

「何を見ているんですか」

「母を思っています」

そう答えると、Jさんの目から涙がこぼれ出しました。鴨川の海はJさんの国とは反対向きですが、海には人の心を揺さぶる偉大な力があるものだと、大いに感心させられました。富士山よりも美しい絵を見せてもらいました。

よく来たね

2月25日(木)

今日は、多くの国立大学が、日本人高校生向けの前期日程に合わせて、留学生入試を行いました。私のクラスも、今朝は教室がスカスカで、出てきた学生もどこか戸惑ったような顔をしていました。近場の学生もいれば、遠征している学生もいます。遠征組も、明日のバス旅行に行くために、何とか今日中に帰ってきます。諸般の都合でバス旅行が明日になってしまいましたが、国立受験の学生にはしんどい日程だったかもしれません。

昨日、12月の卒業生のJさんが面接練習に来ました。卒業後、今まで約2か月、Jさんなりに直前の追い込みをかけてきました。筆記試験はそれで何とかしたようですが、面接は不安があったのでしょう。

面接練習をして見ると、案の定、甘い答えが次から次へと出てきて、これじゃ国立はまずいんじゃないかなという内容でした。Jさんは頭が固いタチではありませんから、前日でも軌道修正が利くと思い、足りないところを遠慮なく厳しく指摘しました。Jさんも、それが目的で来たはずです。

1月に入学すると、日本語学校の最中在籍期間は2年ですから、翌年の12月が卒業となります。すると、進学者にとって1~3月は空白の期間になってしまいます。その3か月は、すでに進学先が決まっていれば、ギャップイヤー的な使い方もできますが、Jさんのように最後の勝負をかけようという学生は、宅浪的な日々を送る羽目に陥りかねません。そうならないように学生としっかりした関係を築いておくのも、実は教師の隠れた仕事なのです。Jさんはその絆をぐいとたぐり寄せて、面接練習に来たというわけです。

さて、試験の手ごたえはどうだったのでしょうか。Jさんは明日のバス旅行には参加しませんが、今日受験した在校生の面々には、バスの中で話を聞いてみるつもりです。