マネパ追求

3月18日(土)

タイパという言葉に出合い、その意味するところを知ったとき、ずいぶんシビアな世の中になったものだと思いました。確かに私もそういう発想で動くことがあります。しかし、それに名前を付けて常に意識するというレベルには到底至っていません。せいぜい「時間を大切に」「時間の無駄遣いはやめましょう」という程度です。タイパで動く人たちから見ると、かなり牧歌的に映るでしょう。

ところが、最近は、マネパというのがあるそうです。マネーパフォーマンスの略です。欲しいと思ってから支払い完了までの効率の良さを指すのだそうです。タイパとも密接に関連しているようです。

マネパ追求の人たちは、ECサイトでの支払いをより簡潔にと考えています。クレジットカードの番号入力がうざったいので、BNPLに向かうというわけです。こうなると、そもそもECサイトをほとんど使わない私は蚊帳の外です。たとえそこで買い物したとしても、クレジットカードの番号ぐらい入力するでしょう。少なくとも、入力するためのわずかな時間を目の敵にすることはしませんね。

時間もお金も可能な限り自分のために使いたい、自分の心が燃え立つ物事(だけ)に時間もお金も注入したいという意識の表れだとしたら、理解できないわけではありません。でも、それだと何だか生き急ぎすぎている感じがします。否定や批判はしませんが、私はそこまでする気はありませんね。

私のマネパは、クレジットカードやICカードで止まっています。スマホの“〇〇pay”も使っていません。腕時計でピッとかっていうのも、あんまり魅力を感じませんね。20代から40代くらいで身についた文化が私にとって分相応の文化のようです。とすると、マネパ最前線の若者たちも、21世紀半ばになっても時代遅れのQRコード決済にしがみついてる、なんてことになるのでしょうか。

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グローバリゼーションかな

3月17日(金)

私の周りにたまたまそういう学生が集まっているだけかもしれませんが、最近、心に問題を抱えている学生が増えたような気がします。

昨日、Pさんは、1時間以上ずっと語り続けました。私にとっては取り留めのない話に過ぎませんでしたが、Pさんにとっては来日以来の思いを語ったのかもしれません。自分の生い立ち、両親のこと、ネットで知り合った日本人の友だちからの言葉、…と話があちこちに飛んで、なかなか追いつけませんでした。入学直後は将来に対する不安から激情をぶちまけたこともありましたから、それに比べれば大きな進歩です。でも、1時間以上分の澱を心の中にため込んでいたのです。誰にも聞いてもらえなかったら、またどこかで爆発したかもしれません。

Zさんは受験がうまくいかず、タガが外れてしまったようです。今週はまともに登校したのがたった1日しかありませんでした。水曜日は、「真夜中過ぎまで勉強したので、朝起きられませんでした」という欠席理由を伝えるためだけに、授業後わざわざ学校へ来ました。欠席者にはこちらから電話を掛けますから、その時に答えてもらえばよかったのですが、先生に直接言うというのが、Zさんなりの誠意の示し方だったようです。何人もの先生から、授業中に内職をしてはいけないと注意され続けてきましたが、とうとう治りませんでした。内職の結果が大学入試全滅です。真夜中過ぎまで勉強したというのは事実でしょうが、集中力が全く伴っていなかったに違いありません。

こういう学生たちを見ていると、受験は今でも戦争なんだなあと感慨にふけってしまいます。私のころは大学の定員が少ないことに起因する“戦争”でしたが、今はグローバリゼーションの末端がKCPにまで到達し、学生たちがその波をかぶっている図が思い浮かびます。

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手がかからない

3月16日(木)

アメリカの大学のプログラムでKCPへ来ている学生の会話テストを終えて1階に下りてきたら、10日に卒業したJさんがいました。JさんはR大学、S大学、T大学などに受かり、4月からT大学に通うことになっています。その体験談を書いてくれた上に、私と一緒に写真に納まりに来てくれました。

幸い天気もよく暖かかったですから、校舎の外の校名板をバックに写真を撮りました。もちろん、マスクを外して。やっぱり、マスクを取ると気持ちがいいですね。

さて、そのJさんの体験談ですが、「金原先生に大変お世話になりました」と書いてあるそうですが、私はあまりお世話をした記憶がありません。理科系志望の学生ということで、先学期、担任のK先生に頼まれて定期面談をしたくらいです。今学期は私の担任クラスでしたが、Jさんは受験で忙しく、私は他の学生の尻を叩くのに追われて、ゆっくり話す暇もありませんでした。

Jさんが私に恩義を感じているとしたら、先学期の面談の際に、私が理科系だったら国立に行けとアドバイスしたことではないでしょうか。それぐらいしか思い当たりません。国立に行けと言いつつも、独自試験の対策を手伝ったわけでも、面接練習をしたわけでもありません。Jさんは実に手のかからない学生でした。無理やりこじつければ、私のアドバイスがきっかけとなって、T大学の試験勉強に身を入れるようになったといったところでしょうか。

T大学は4月1日が入学式で、すぐにオリエンテーションだそうです。Jさんなら有意義な勉強をしてくれるでしょう。将来名を成してくれることを期待しています。

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変じゃないよ

3月15日(水)

昨日、O先生からAさんの様子がおかしいというメールが入りました。Aさんは水曜日の受験講座数学を受講しています。担任の先生とは違う角度からAさんを観察してみようと思いました。

教室に入ると、Aさんはいつもの席に座っていました。定刻に授業を始めると、最初のうちは下を向いていました。やっぱり何かあるのかなと思っていましたが、練習問題を配るといつものように熱心に取り組み始めました。そしてその問題の解説を始めると、顔を上げてホワイトボードとモニター画面に集中するようになりました。うなずいたり自分の答えと見比べたり、いつものAさんに戻っていました。

その後も、後ろの席に座っていたYさんに聞かれた問題を教えたり、図を描きながら問題に取り組んだりと、前向きな姿勢で授業に参加していました。私が配る練習問題は後ろのページに答えがつけてありますが、それに頼らず自力で解こうと真剣に取り組んでいました。

授業が終わると、しばらく友だちと軽口をたたき合った後、「さようなら」と明るい声であいさつをして帰っていきました。これなら心配はないと思いました。

受験講座では、日本語のクラス授業とは違った一面を見せる学生がけっこういます。よく回らない口で果敢に質問してくる学生や、顔をゆがめながら課題に取り組む学生や、逆に日本語の授業とは打って変わっておとなしくなってしまう学生や、本当に色とりどりです。

クラブ活動は、おそらく受験講座以上に通常クラスとは違う学生の顔が見られることでしょう。学生を多角的、多面的に見ていくことが、学生を伸ばす一助となると思っています。

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桜に見送られて

3月14日(火)

開花予想の16日よりもさらに2日早く、桜が咲き始めてしまいました。四ツ谷駅の桜は、私が通過するころはまだ闇の中なので(正確には、電車内が明るすぎて外が見えないだけなのですが)、どんな状態になっているか確かめられません。まさか、四ツ谷で夜が明けるようになる前に散ってしまうなんていうことはないですよね。

その、ちょうど桜の開花宣言が出された日に、E専門学校の留学生担当Tさんがいらっしゃいました。退職のご挨拶にわざわざ来てくださったのです。E専門学校には、今年も私のクラスの学生2名が進学します。今までずいぶん長い間、本当にお世話になってきました。

Tさんは、KCPで開く進学説明会には毎年参加してくださいました。不思議なことに、他校のブースに学生がいなくても、Tさんのまわりには人だかりができるのです。そんなときも、慌てることなく、要領よくかつ各学生に向き合っていました。だから、毎年、E専門学校に進む学生がいるのでしょう。

学校関係者が退職するとき、たいていは一斉メールで挨拶状が届くだけです。郵便で挨拶状が来ることは、最近ではめったにありません。ましてや、ご本人が、引継ぎなどのお忙しい時間を塗って足を運んでくださるなんて、絶えて久しくありません。Tさんは私とそんなに年が違わないはずですが、私がここまで義理堅くできるかと問われると、ちょっと自信がありませんね。

Tさんを見送るために咲き始めたんじゃないかというタイミングの開花宣言でした。

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新たなスタート

3月13日(月)

卒業生がいなくなると、上級クラスはスカスカになります。残った学生が2人か3人ならいくつかのクラスを合併して1つのクラスを作ります。私のクラスは半分ほど残りましたから、そのままのメンバーで授業を続けました。

学生半減ですから、朝、授業の前に、教室の後ろの方の机を全部寄せておいて、教卓の近くに人数分だけの机を並べておきました。そのままにしておいたら、学生たちは教卓から遠い席に着いて、前の方がガラガラになること疑いありません。

9時に教室に入ると、前の方に集めた机の後ろの方から席が埋まっていました。でも、残った学生たちからはやる気が感じられ、今から来年春に志望校に進学するための勉強をするぞという目つきをしていました。進学は、毎年、早くから騒ぎ始めた学生が勝ちます。後手に回った学生は、思い通りの結果が得られないものです。

この4月に進学するつもりだったTさんも、スタートが遅れてしまった1人です。一番痛かったのは、去年の6月のEJUを受けなかったことです。そのため第1志望校の試験が受けられませんでした。「自分の実力はまだまだだから」という、学生がよく申し立てる理由でチャンスを逃したのです。その後も不完全燃焼みたいな気持ちで受験を続け、結局“もう1年”となってしまいました。

今まで卒業した学生に圧迫されていたわけではないのでしょうが、Tさんも含めて学生たちはのびのびと発言していました。授業中に声を聞いたことがなかったSさんもこちらの質問にしっかり答えてくれました。1年後に向けて、力強い第一歩が踏み出せた気がします。

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みんなが去って

3月10日(金)

久しぶりに四谷区民センターで卒業式を行いました。学校から荷物を運んで舞台上の整備をしていると、あっという間に学生集合時刻の10時に。今年は在校生にも参加してもらうことにしましたから、緞帳が上がると客席は結構にぎわっていました。卒業する同級生を見送ろうというつもりなのか、もう1年勉強することにしている上級クラスの学生も、そこかしこにいました。KさんやSさんのような、受験にかこつけてよく休んでいる学生の姿もありました。いや、9時じゃ間に合わないけど、10時なら間に合うという考えなのかな。

セレモニーとしての卒業式が終わると、学生主導のお楽しみコーナーが始まりました。学生が作った川柳や五行歌などが紹介され、思わず微笑んだり感心させられたりしました。YさんやDさんのユーモアのセンスには脱帽するばかりでした。私がチョイ役で出演する演劇部もこのコーナーで公演しました。今までの練習の時とは違って、広いステージでのびのびと役に没入していました。衣装もメイクも気合が入っていましたね。客席の反応からすると、卒業生も在校生も、みんなを引き付けられたんじゃないでしょうか。

式の後で記念写真を撮ると、卒業生は三々五々去っていきました。もう、この見慣れた面々が学校へ来なくなるのかと思うと、やはり寂しさがこみ上げてきます。卒業式は、後片付けをしているときが、一番感傷的になります。今年の卒業式は学生コーナーが盛り上がっただけに、より一層大きな穴を感じました。

来週からは、中央からやや外れた客席にいた在校生たちと新たな信頼関係を築いていくことになります。1年後に、同じくらいの寂しさが感じられるまでの仲になりたいものです。

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もう、春?

3月9日(木)

昨日は、日中は暖かくなりましたが、朝は少々寒かったですからコートを着ました。そのコートが、帰りには重くてたまりませんでした。しかし、今朝は新聞を取りに外に出た時から暖かく、今年初めてコートなしで出勤しました。ホームで電車を待っているときも、寒さは感じませんでした。電車内でダウンジャケットなんか着こんでいる人を見ると、“もう春だぜ”なんていう調子で、少し優越感に浸りました。もっとも、ワイシャツの下はヒートテックですから、完全に春装束というわけではありません。

学校に着いてからも、昨日までは暖房を入れるのが最初の仕事でしたが、今朝はまずブラインドを上げて外の明るさを職員室内に取り入れました。暖房がなくても震えながら仕事をするなどということもなく、誰もいない静かな職員室で卒業式以降の授業の準備がはかどりました。

こうなると、花園小学校の校庭の桜を見に行きたくなります。まだつぼみが膨らむまではいかないでしょうから、ごくほんのり青みを帯びた枝を見てみたいのです。しかし、授業後はいろいろと雑用が入り、あっという間に受験講座の時間となってしまいました。明日の卒業式の帰りにちょっと寄り道をして見てきましょう。来週になったらマスクを外してもよくなりますから、外でお昼ごはんとしゃれ込んでもいいですね。

今、ネットで調べてみたら、東京の開花予想日は16日というじゃありませんか。ちょうど1週間後ですよ。満開は24日、期末テストの翌日です。今年は何だか春が早いですねえ。

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春を感じる

3月8日(水)

毎年この時期は、茶道クラブの卒業生がお点前を披露してくれていました。しかし、ここ数年はお茶室の密回避のため、卒業記念のお茶会がありませんでした。今年は、新規患者数も大幅に減り、また、もうすぐ5類ということもあり、久しぶりに復活しました。私もクラスの学生から招待してもらいましたから、顔を出しました。

かつては1枚の畳に体を接するようにして何人も座りましたが、さすがにそれはできず、1畳に1人とスカスカでした。お点前はCさん。入学以来ずっとけいこを続けてきたとかで、所作も堂々としていました。お茶のお師匠さんと言われても、何ら違和感はありません。

私の方はというと、数年のブランクのせいで、うろ覚えだった正客としてのふるまいを完全に忘れており、学生を指導しているO先生に助けられてばかり。お菓子のおいしさもどこかに吹き飛んでしまいました。でも、久しぶりにいただいた抹茶の味には、疲れが消え去り、気力を奮い立たせるものがありました。

正座も久しぶりでした。最初は足がつりそうになりましたが、それをどうにか乗り越え、20分ほどのお茶の時間を何とか持ちこたえました。最近寝ていても何となく腰痛を感じていますが、正座している間はそういった鈍痛も出てきませんでした。私は昔から正座すると腰痛が和らぐたちなのです。

茶器などが片付けられたら、記念撮影。Cさんと同級生のQさんやSさんは足がしんどそうでしたが、笑顔でフレームに収まっていました。床の間で早春オーラを発散していた椿はきちんと写ったでしょうか。

いただいたお茶と正座のおかげかどうかはわかりませんが、午後の受験講座も調子よく進められました。

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逃げられた

3月7日(火)

今週金曜日が卒業式ですから、上級の選択授業は今週が最終回です。先々週から受講した学生に発表してもらっていますが、毎回何名かいなくなったり「来週にしてください」だったりします。最終回こそみんなそろって発表してもらいたいと思っていましたが、期待は裏切られました。

YさんとBさんは学校そのものを休みました。授業後に電話をかけましたが、通じませんでした。FさんとHさんは、前半のクラス授業には出席していましたが、後半の選択授業は欠席しました。明らかな敵前逃亡です。この2人に比べたら、YさんBさんは潔いです。もっとも、Yさんは先々週も先週も「来週」と言っていましたから、先延ばしの挙句の敵前逃亡と言えなくもありません。

いずれにしても、最後の発表という義務を果たしていませんから、この学生たちには不合格以外の成績は与えられません。Bさん以外は4月から進学予定なのですが、進学先でやっていけるか、きちんと単位を取って進級を重ね卒業できるか、気がかりでなりません。今は、私が学生の時とは比べ物にならにくらい口頭発表を重視しています。高々20人の前でせいぜい数分の発表すら逃れようとしている学生が、そういった勉強に耐えられるかどうか、はなはだ疑問です。

学生時代だけにとどまりません。昔は黙って働き続けて成果を出せば高く評価されましたが、今はその成果をアピールしない限り認めてはくれません。そんな社会を、どうやって生き抜こうと考えているのでしょう。他の選択授業にもこんな学生がいるのだとしたら、KCPの卒業生の将来は暗いと言わざるを得ません。卒業式を目の前にして、不安が募ってきました。

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