本当の答えは?

2月15日(金)

昨日の宿題の答え合わせをしました。

「Oさん、2番、空欄に答えを入れて読んでください」「君は宿題を忘れ(っぽい)なので、十分に注意してもらいたい」「はい、2番は『っぽい』でいいですか」「……」「じゃ、いいですね、次はPさん、3番、お願いします」

首をかしげているXさんやSさんの存在は無視して、最後の問題まで進みました。

「はい、ここまで、何か質問ありますか」「……」 XさんもSさんも声を上げません。Tさんがきょろきょろしながら、おそるおそる「先生、2番ですけど、忘れっぽいと忘れがちと忘れ気味は何が違いますか」と質問してきました。

違いを説明し終わると、ようやくXさんが「じゃあ、先生、2番は「がち」じゃないですか」と発言。「はい、その答えを待っていました。どうしてすぐに言わなかったんですか」

毎度おなじみ、消極的なクラスへのショック療法です。口を開けて待っているだけでは何も得られないことを示さなければなりません。教師と質疑応答できるくらいの日本語力は持っていてしかるべきレベルのクラスですから、なんでも無条件に教えるつもりはありません。それだと日本語に対するカンが養われません。頭で考えて話すのではなく、直感的に正しい日本語が出てくるようになってもらいたいのです。

来週の月曜日は中間テストです。卒業生にとっては卒業認定試験であり、KCPでの学生生活の締めくくりの試験です。最後にいい加減な成績を残すことのないようにしてもらいたいです。また、4月以降もKCPで勉強を続ける学生たちには次につながる成績を取ってもらいたいです。

それはさておき、このクラスの学生たちに「っぽい」「がち」「気味」が定着したかなあ。

十人十色

2月14日(木)

木曜日は超級クラスの授業。超級と言われるだけあって、このクラスの学生はできます。しかし、でき方に問題があるというか、能力に偏りがあるというか、一見できないように見えたり、ペーパーテストでしか力が出せなかったりなどと、誰がどこから見ても“できる”学生は少ないです。

Yさんは来週のバス旅行を欠席するので、欠席理由書を書かせました。感服しました。欠席はいけないことですが、心のこもった理由書の文章は文句のつけようがなく、説教を忘れてしまうほどでした。Kさんにも書かせましたが、こちらは説教する気すら起こらない、おざなりを絵(文字?)にしたような内容でした。Kさんだって根本的に悪い学生ではありません。読解などでは深いところまで読みきっていることを示す発言をするんですが、どうして読み手の神経を逆なでするような文章を書いちゃうかなあ…。

「ここまでの授業について、何か質問はありませんか」とクラス全体に聞いたとき、質問してくるのはFさんやZさんです。Fさんの質問は本質をずばりと突いてくることもあれば、そんなこと教科書をもういっぺん読めばわかるじゃないかということもあります。でも、疑問点をうちへ持ち帰らないという点は高く評価できます。Zさんは興味本位で質問してくることがあります。授業の本筋とは離れてしまうこともありますが、話題を広げるという意味では貴重な質問です。

授業前に、Gさんに進路のことで質問しました。すごい答えでしたねえ、文法のハチャメチャぶりが。レベル3の学生だってもう少し要領よく答えるんじゃないかな。私が教室に入るなりいきなりつかつかと近寄って質問してきたので、Gさんは緊張していたのかもしれません。でも、超級ですからね、どんな条件でもそれなり以上に答えられなきゃ。こう書くとGさんはダメ学生の代表のように見えちゃいますが、頭脳明晰さはクラスで1、2を争うと思います。

Lさんはいつも授業後にこそっと質問してきます。その質問を授業中にしてくれたら他の学生も参考になったのにと思うのですが、気恥ずかしいのでしょうかね。……バレンタインのチョコレートを1粒くれました。

遅い

2月13日(水)

授業終了直後、Lさんが卒業文集の原稿を出してきました。卒業文集は学期が始まって間もない頃から書き方を説明し、下書きを書かせ、それを添削し、そして清書と段階を踏んできました。それぞれに締め切りがあり、清書の提出期限は先週末でした。それがなぜ今頃になったかというと、Lさんは清書用の原稿用紙の書き方を間違えたからです。もちろん教師は説明しましたよ。Lさんと同じときに聞いていた学生はみんな間違えずに清書を書いたのに、Lさんはどうしようもない間違え方をしたため、書き直しになっていたのです。それでも、毎日学校へ来ていればこちらも尻のたたきようがありましたが、来ないし連絡しても梨のつぶてだし、いかんともしがたいものがありました。

Lさんが出した清書原稿を見てみると、内容よりも先に原稿用紙の使い方が全くできていませんでした。各行の最初のマスに「。」「、」が5つぐらい立て続けに並んでいました。それを見ただけで気持ち悪くなり、どうにかしようという気も失せてしまいました。Lさんは私たちの話を何も聞いていなかったのだなあと思いました。

すでに原稿提出期限を大幅に過ぎているので、恐る恐る文集担当のK先生のところへ持って行くと、案の定受け付けてもらえませんでした。そこを曲げて載せてもらおうという気も湧き起こりませんでしたから、私もあっさり引き下がってしまいました。かくして、Lさんの文章は文集に掲載されないことになりました。

どうして期限とか指示とかを守らないのでしょう。自分のペースでやってもどうにかなると思っているのでしょうか。Lさんにとっては、卒業文集は重要度が高くないのでしょうか。だから、たとえ自分の文章が載らなくてもがっかりはしないのかもしれません。私が受け持っているもう1つのクラスにもLさんのような学生がいます。他の先生方からもそういう話を聞きます。

なんとなく無力感に襲われたお昼のひとときでした。

声に出すと

2月12日(火)

朝8時半頃、トイレに行こうと職員室を出ると、男の人が声をかけてきました。しかし、その方が何と言っているのかよくわかりませんでした。「は?」と聞き返しても、同じような答え方でよくわからないままでした。姿かっこうからお客様とも見えず、また、この時間帯に学校にいるのはほぼ間違いなく中級以上の学生であり、外国語で話しかけてくることは考えられません。彼が発した言葉をおうむ返しに言ってみると、彼は違うという顔つきでスマホを出し、何か示そうとしました。そのときに発した何回目かのことばで、ようやく彼は例文を書くノートを買いたいのだということがわかりました。クラスと名前を聞こうとも思いましたが、聞いたところで聞き取る自信がありませんでしたから、すぐに事務の職員に引き継いで、当初の目的どおり、トイレに向かいました。

読解の授業で、Cさんにテキストを読んでもらいました。Cさんは文法の理解も早く、気の利いた例文も作れます。日本語のセンスはあると思います。しかし、音読はひどかったですねえ。漢字やかなを1字ずつ拾い読みするのです。聞いている学生たちは、何がなんだかわからなかったでしょうね。Cさんの教科書をのぞき込んだところ、かなり書き込みがあったので予習はしているようでした。でも、黙読と辞書で意味を調べるのとが中心で、一言も発することなく勉強を進めているのでしょう。

今朝の彼もCさんも、JLPTのような日本語試験ではある程度以上の点数を取るでしょう。しかし、音声によるコミュニケーションというか、日本語の声を出すことそのものに関しては、標準以下と断じざるを得ません。KCPはそういうことが内容に、発話教育にも力を入れてきているのですが、学生の側にも私たちの意図をくみ取る感度がほしいです。朝早くから例文ノートを買おうとした学生、きちんと予習して授業に臨んだCさん、2人とも“いい学生”の範疇に入ります。しかし、話せなかったらそのよさを回りに伝えられませんよ。

「話せない学生は合格させない」と人気有名私大の先生が明言なさっていたそうです。Cさんが第1希望の進路をあきらめざるを得なかったのも、この音読レベルの発話力が原因だったかもしれません。

なすび?

2月8日(金)

受験講座の欠席の多い学生を呼んで注意を与えました。その中に私のクラスのYさんがいました。Yさんは成績がいいだけでなく、習った文法や語彙を上手に使って気の利いた例文を作ります。まだ伸び盛りで、もう1年勉強すればかなりのレベルの大学も狙えるだろうと思っていました。そのYさんが、まるで大学受験を放棄したかのように受験講座の欠席を重ねているのです。

事情を聞いてみたところ、親に帰って来いと言われているそうです。 日本での大学進学はあきらめざるを得なくなり、受験講座に出てもその成果を生かすチャンスがないので、行く気がなくなったとのことでした。それを語るYさんは伏し目がちで、無念さが表情ににじみ出ていました。

去年の4月に来日するときは、ご両親から「石にかじりついてでも日本の大学に入れ」と送り出されたのですが、今年になってから掌を返したように「帰ってこい」の一点張りで、Yさん自身、困り切っています。どうしてご両親の意見が変わったかまでは、プライバシーにかかわることですから詳しく聞くことはできませんでしたが、Yさん自身納得しかねるものがあるようです。Yさんのような例はそんなに頻繁にあるわけではありませんが、最近増えているような気もします。親はどうして気が変わってしまうのでしょう。

子どもに対する支配力(欲)が強まっている感じもします。自由に操りたいのでしょうか。子どもは子どもなりに夢を描いています。その夢をつぶさせてまでも、親は自分の子どもに干渉したいのでしょうか。わずか1年で自分の気が変わって子どもに大きな方針転換を迫るというのは、いかがなものと思います。

かつて、SさんはJ大学とU大学に受かりました。自国で有名なJ大学への入学を勧める親と大喧嘩をして、自分のやりたいことができるU大学に進みました。U大学で充実した学生生活を送り、大学院にまで進学し、日本の大手企業に就職しました。“親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない”ということわざがありますが、私は留学に関しては信用していません。もちろん、過半は親の意見が妥当な線ですが、子の考えが親の意見に勝る例も少なくありません。

考え方がとてもしっかりしているだけに、Yさんのご両親に、ぜひともYさんの話に耳を傾けてもらいたいです。

5番の答え

2月7日(木)

「Hさん、5番の答えは何ですか」「…忘れちゃった『ことになる』」「5番は『ことになる』、いいですか」「……(カサコソと、自分の答えを訂正する消しゴムとシャープペンシルの音)」「じゃあ、6番。Gさん、お願いします」……「はい、10番は『わけがない』でいいですか」「いいです」「じゃあ、問題2全体を通して質問ありますか」「先生、5番は『わけだ』じゃないんですか。さっきの先生の説明だと『わけだ』になると思うんですが…」「はい、その声を待っていました。私がいった答えが違っていると思ったらすぐに言わなきゃだめだろう。Fさんが何も言わなかったら、あんたたち間違ったことを覚えて帰ったかもしれないんだよ」

とまあ、授業中こんな意地悪もします。上級の学生なら間違いに気付いて当然ですから、学生が発した間違いをほったらかしておいて反応を見るのです。何でもこちらが説明してくれると思われたらたまりませんから、甘ったれるんじゃないという意味も込めて、わざと教えないで学生から何か言ってくるのを待ちます。

Fさんはこういうときに真っ先に指摘してくる学生です。私の話をよく聞き、それに基づいて論を進め、おかしいと感じたらすぐに質問します。多くの学生は、私が間違った答えを言っても自分のほうが間違っていると思い、「5番」答え合わせのように、正解を誤答に書き換えてしまいます。それに対し、Fさんは教師という権威にも屈することなく、果敢に自分の意見を述べるのです。もちろん、こちらが想定していなかったところで質問が飛んできてあわてることもあります。そういう緊張感を教師に与えてくれるのも、Fさんなのです。

このクラスには4月から進学する学生が大勢いるのですが、Fさんのような積極性がないと、実になる勉強ができません。そういう意味で、カサコソという消しゴムの音に、ちょっと不安も感じました。

カシャッ

2月6日(水)

私のクラスは、3月で卒業する学生と4月以降もKCPで勉強を続ける学生とが半々くらいという構成です。卒業組はほぼ進路が決まり、心の中に消化試合的な無気力感が湧き上がりつつあるようです。学校には出席しているものの、例えばテストで不合格点を取っても平気な顔をしているというように、向上心があまり感じられません。

今朝、9時少し前に私が教室に入ると、カシャッというスマホのシャッターの音がしました。昨日欠席したEさんが、授業中の書き込みのあるCさんの教科書を撮ったのでした。最近は手で書き写すことすらしないのですね。私たちの頃も、ノートのまるごとコピーというのがありましたが、そのコピーした紙にあれこれ書き加えたものでした。スマホの画面だと、それを眺めて覚えるだけなのでしょうか。そんなことで覚えられるのかなあ。チャイムが鳴ったらすぐ始めるテストに関して言えば、一夜漬けにすらなっていません。

そのEさんは卒業組です。“合格=進学先の授業についていける”ではなく、進学後に苦労した学生は数限りなくいます。Eさんもその一員になりそうな気がしてなりません。あと1か月の勉強で急に力が伸びるわけではありませんが、春節だなんだかんだと怠けていたら、4月に授業始まっても耳も目も手も口も思い通りに働かないに違いありません。緊張感を持って勉強し続けていれば、耳も目も手も口も新しい環境にスムーズになじんでいくでしょう。

さて、今朝のテストですが、Eさんも含め、春節を存分に楽しんだと思われる学生たちは軒並み不合格でした。来年4月を目指している学生たちはきっちり点を取ってきました。消化試合組をちょっとでも引っ張り込む授業をと思っています。これが、この学期の一番難しいところです。

来るって言ったじゃない

2月5日(火)

Kさんはもうずいぶん長い間休んでいます。つまずいたのは夏です。それまで出席率ほぼ100%だったのに、風邪をこじらせて数日休んだのが転落の入口でした。どうにか持ち直したものの、体調は完全には戻らず、休みがちになってしまいました。

夏学期はそれまでの貯金がありましたから、入学からの出席率を見る限り、ボーダーラインを上回っていました。しかし、秋になってもKさんの体調は完全には戻りませんでした。出席すると、授業に積極的に参加し、発言も多く、成績もそれなり以上です。日本語のセンスがあるのでしょうね。でも、たびたび欠席したため、Kさん自身にとっては思うように力が伸びていないという焦りが芽生えてきたようでした。

秋口から何校か大学を受験しましたが、結果を出せませんでした。19年4月入学を目指すには志望校を落とさざるを得なくなり、本人的には忸怩たる思いでさらにいくつかの大学に出願しました。その大学の入試が近づき、また、実際に寒さで体調を崩し、今学期になってから欠席が増えてしまいました。

ゆうべ、Kさんからメールが来ました。不本意な大学に出願することになり、周りの友人に合わせる顔がないと言っていました。「明日から学校に出ます」という文面を信じたのですが、…やっぱり、12:15まで姿を現しませんでした。

もう、肉体的にも精神的にも、留学に耐えられる状態ではないのだと思います。Kさんには日本語のセンスがたっぷりありますから、是非勉強を続けてもらいたいのですが、無理でしょうね。歯車が悪いほうへ回転し続けています。帰国して出直すのが、Kさん自身のためです。次にKさんが来た時には、そう諭すつもりです。

Unhappy new year!

2月4日(月)

授業が終わって職員室に戻ると、Xさんからメールが来ていました。「春節なので休みます」という意味のことが書かれていました。他にも、Yさんからは「春節で国の両親が来ているので一緒に旅行しています」というメールが来ていました。

担当の先生に聞いてみると、確かにその2名は欠席したとのことでした。無断欠席ではない点は学校の指導を守ったと言えますが、気安く休むなという指導は無視されたに等しいです。

Xさんにとって旧正月を祝うこと、Yさんにとって旧正月に来日した両親と旅行することは、彼らにとって非常に重要なことであり、“気安く休む”ことにはならないのかもしれません。しかし、Xさん、Yさんが留学しているここ日本には、旧正月を休む風習はなく、両名が欠席理由としてメールしてきたことは、全く理由になっていません。

国の習慣を捨てろと言っているのではありません。個人的に春節を祝うことにまでは口出ししようとは思いません。しかし、学校という公の場を、春節という、日本においてはきわめて私的な理由で休むことは、認められません。公私混同ないしは日本社会になじんでないと見なすほかありません。

土曜日のお昼に入った中華料理店は、入口に日本のお正月の輪飾りが取り付けてありました。店内にはなぜか“明かりをつけましょぼんぼりに…”というひな祭りが流れていました。でも、従業員の表情などからも、春節を祝っているのだなと感じられました。自分の国の風習をささやかに主張しているこの店の雰囲気を好ましく感じました。Xさん、Yさんも、こういう気の利いた祝い方を身に付けてもらいたいです。

2月2日(土)

今学期の作文は比較的やりやすい学生たちに当たったと思っていたら、やっぱりとんでもないのがいました。先週は休んで今週は出てきたZさんのを読もうとしましたが、1行目から挫折しそうになりました。しょっぱなから「長い人生がほしいだ」ですよ。初級で何を勉強してきたのでしょう。どうやって中級まで上がってきちゃったのでしょう。

Zさんの話し言葉はそんなにひどくはありません。音声は形に残らないのに対して、文字は目で何回でも確認できますから、間違いが目立つという面もあるでしょう。でも、文と文のつながりがわからないのです。そういう発想でもってこういう文章を生み出したのか、全く見当が付きません。進学希望ですが、志望理由書などどうするつもりなのでしょう。

実は、今週はひょんなことから英作文をしなければならなくなりました。英語で文法の説明をしたり指示を出したりすることは、年に数回ぐらいはあります。受験講座や上級の授業などで英単語をホワイトボードに書くこともあります。しかし、まとまった長さの文を書くというのは、今の校舎ができてから初めてじゃないかなあ。

言いたいことを文にしてみると、KCPだったらレベル2ぐらいの文法であり語彙です。というか、知らず知らずのうちに、難しいことを考えなくなっていたのです。自分の作文能力に見合ったことしか頭の中に浮かんでこなくなりました。無意識のうちに自主規制したいたのでしょう。作文に取り組んでいる学生たちも、こんな状況に追い込まれているのだろうかと思いました。

その点は、Zさんは立派なものです。言いたいことを思い切り原稿用紙にぶつけてきましたから。惜しむらくは、そのほとんどが失敗で、日本語教師すら理解に苦しんでいる点です。

自分も苦労したから学生にも甘く…などということは、絶対にしません。私みたいにならないように、厳しくチェックしていきます。