Category Archives: 作文

漢字テストとお礼状

3月6日(火)

漢字のテストをしました。まあ、卒業生の成績の悪いこと。10点とか15点とか、勉強してこなかったとしか思えない答案が続出。平気でそんな答案を書く学生は、卒業認定試験も終わり、バス旅行へも行ってしまい、あとは金曜日の卒業式を待つだけという、今週の授業を消化試合としか認識していないのです。

勉強してこなくても80点ぐらい取れてしまう日本語力があるのなら消化試合でもいいかもしれません。でも、そういう学生の実力は、勉強してこなかったら限られた範囲の漢字の読み書きすら満足にできないのです。卒業式まで授業日は明日と明後日しかありませんが、それこそ1字でも多くの漢字を覚えていってもらいたいです。

そのくせ、文法の例文では“卒業したにしたって、勉強が終わったわけではない”など、殊勝なことを書いているのです。これは例文のための例文に過ぎず、本心はまるっきり別なところにあるのでしょうか。

もう少し上のクラスでは、お世話になって先生方へのお礼状を書かせました。ある特定の先生に向けてと思って教材を用意したのですが、多くの学生がKCPの先生全員に向けたお礼状を書いてくれました。雑な字で数行書いてお茶を濁す学生が出るのではないかと疑っていましたが、そんな学生はおらず、配った便箋の上から下までびっしり感謝の気持ちを込めてくれた学生が少なからずいました。

卒業する学生たちは、勉強と言われるとげっぷが出てしまいますが、感謝の気持ちはチャンスがあれば表したいと思っているのでしょう。卒業式後には先生たちと触れ合う時間も用意してありますから、そういう時間を是非活用して、思いを伝えてKCPを後にしてもらいたいです。

線がつながるまで

3月5日(月)

認定試験が終わり、バス旅行にも行ってきて、卒業生は今週金曜日の卒業式を待つばかりです。だから授業は消化試合みたいなものにしてしまうかというと、そういうわけにはいきません。たとえ最上級クラスであっても、まだまだ勉強することがあるのだよと意識付けることが、私たち教師に課せられた使命です。

そういう発想のもとに、最上級クラスでは「耳で書く」というテキストを読解で扱っています。自分が書いた文章を目で追うだけではなく、声に出して読むと、文章の不自然な点や未熟な表現が浮かび上がってくるという、外山滋比古氏の考えです。この外山氏の文章を読んだのが去年の秋ぐらいで、そのときからこれを卒業学期に最上級クラスで取り上げようと思っていました。

私はここに書かれていることを実際にやっているし、やった結果効果があると思っています。ですから、KCP卒業後進学してから日本語の文章をたくさん書くことになる学生たちにも是非実践してもらいたいのです。このブログにも出来不出来がありますが、不出来の日は、書きっぱなしでそのまんま登録しています。我ながらよく書けたと思える日は、少なくとも心の中で朗読してから登録しています。

ところが、そういう気持ちがどうも学生に伝わっていないようで、読解を始めてもぽかんとしている学生が多かったです。本文中に出ている悪文の例も、文法的には正しいからこれで構わないと反論されてしまいました。そうじゃないんだ、リズムの問題なんだと強調しましたが、わかってくれたかなあ。

KCPで勉強したことがすぐにピンと来なくても、卒業してしばらく経ってからなるほどと思ってくれたら、それで十分です。

AIと働く

1月20日(土)

1年で一番寒いとされる大寒を迎えました。覚悟して家の外に出ると、思ったほどでもありませんでした。空を見上げると星が見えず、上空の雲が多少なりとも熱が逃げるのを防いでくれたようです。しかし、日中もその曇り空が続いたため、気温はあまり上がりませんでした。

超級クラスでは、読解の時間にAIの上司とはどんなものかというテキストを読みました。意見があふれ出て激論が交わされるような雰囲気のクラスではないので、このテキストを踏まえて上司とはどういう存在かについて文章を書いてもらいました。それを一気に読んだのですが、深く考えて書かれた文章が多かったです。

学生たちは、私が思っていたよりAIの上司に対して好意的でした。感情に流されずに部下を評価できる、常に論理的に冷静に判断が下せるなど、考え方がぶれないことに期待しているようです。女性差別がなくなるので、女性の戦力化が進むのではないかという意見もありました。

学生たちはこの後30年かそれ以上、会社かそれに類似した組織で働くことになります。あと10年働けるかどうかの私より、AI上司について真剣に考えたことでしょう。そういう彼らが、その間気持ちよく働けるのは、人間よりもAIの上司の下だと思ったのです。“人付き合いが苦手だから、上司はAIのほうが働きやすい”という意見には、同感したくなるものがあります。学生たちの考えを読んで、私も認識を新たにしました。次の読解もAIに関するテキストです。また学生たちから刺激を受けたいです。

大寒の次の二十四節気は立春です。日の光に力がみなぎりだすまでもう少しです。

何でもしますよ

1月16日(火)

金曜日が出願締め切りのSさんの志望理由書の手直し、今週末に入試を控えたCさんの面接練習、上級クラスの卒業文集下書きの添削と、年度末ならではの忙しさが続いています。

Sさんの志望理由書は、内容が欲張りすぎていたので、ばっさり切り捨てて規定の字数に近づけました。同時に論点を絞って、Sさんの将来に対する考えを明確にしました。Sさんは私が切り捨てた部分に未練があるようでしたが、それを盛り込むと面接で墓穴を掘ることになりかねません。あきらめも肝心です。

Cさんは、早口でいけません。留学生のへたくそな日本語に毎日接している私ですら聞き取れないのですから、大学の先生が理解できるわけではありません。内容的にもありきたりで、評価に値する答えが少なく、これでは合格は危ういです。また、視線がすぐそれるので、面接官に好印象を与えることはありません。

卒業文集の下書きは、油断していましたねえ。すーっと読めるのもありましたが、YさんやPさんの原稿は何度も何度も読み返さないと内容が理解できませんでした。また、“てから”と“たから”を間違えるなど、初級の文法ミスも山ほどありました。卒業したら次の学期に再入学してほしいような文章が多く、疲れもひとしおです。

それに加えて、受験講座開始。初回はオリエンテーションをしましたから、そんなにハードではありませんでした。しかし、これから6月のEJUまで、ガンガン鍛えていかなければなりませんから、嵐の前の静けさみたいなものです。

さて、まだ添削が残っていますから…。

疑い

12月25日(月)

「問題4はサービス問題ですから、そんなに厳しく採点しなくてもいいですよ」と、出題者のK先生から言われていたのは、学校に欠席を知らせるメールの文面を考える問題です。メールの文面については授業でも扱いましたし、これくらいなら常識で答えられちゃうだろうと思っていました。ところが、採点を始めると、学生たちの答えはとんでもないことになっていました。

「先生、おはよございます」とぬかしやがったのは、Sさん。以下、一切読まずに0点。超級の分際で「おはよございます」とは何事ですか。“う”を落としたのはケアレスミスだとは、絶対に言わせません。恥を知れ、恥を!

件名に「休みの請求」と書きくさったのはGさん。Gさんのぶっきらぼうな話し方そのものの件名です。私はGさんの担任ではありませんからGさんからメールをもらったことはありませんが、こんなメールをもらったら、Gさんがどんなに具合が悪くても、さらにひどくするような激烈な反撃メールを送らずにはいられないでしょう。

こういうのに比べれば、「休んでいただきますか」などはかわいいものです。優しく「卒業する前に初級をもう一度勉強しておきましょうね」と言ってあげられます。でも、こんなメールを外部に向かっては絶対に送らないでくださいね。間違いなく日本語力を疑われます。

相変わらず多いのが、名無しの権兵衛さんです。そりゃあ答案用紙の氏名欄を見れば誰が書いたかはすぐわかりますが、メールの文面を書けという問題なのですから、そこにも書かなきゃね。

K先生は“情けを掛けろ”とおっしゃいたかったのでしょうが、Sさん、Gさんを始め、情けの掛けようがない答案をたっぷり読ませていただきました。超級の皆さん、新年早々送られてくる成績通知メールの文法の成績に驚かないでくださいね。

去る者

12月22日(金)

選択授業の時間に書かせた小論文を読んでいます。教養とは何かというテーマを与えたのですが、ちょっと重すぎたようです。一生懸命書いてはいるのですが、議論が浅いのです。「教養は人間らしい生活に不可欠なものだ」といった類の、書いた本人もおそらくわけがわかっていないと思われるものが多く、出題を失敗したかなと思いました。しかし、これは何年か前の某大学の留学生入試の問題ですから、受験生たるもの、12月の時点で書けないなどと言っていてはいけないのです。

マークシート的な知識の堆積を狙った授業ばかりをしてきたつもりはありません。しかし、「教養」という、高等教育の目的の1つについてお手上げ状態では、私たちの教育のどこかに至らぬ面があったのでしょう。学校の中に物事を深く考える雰囲気が足りなかったのかもしれません。

その中に、「教養とはコミュニケーションのツールである」という意見がいくつかありました。異文化に触れ世界に目を向けるきっかけを作るなどという話になると、読んでいても夢が広がります。こういう学生の将来がまぶしく見えてきました。

コミュニケーション力をつけてくれというのは、私も去年の1月の入学式で祝辞として述べています。それから2年間勉強した学生たちの卒業式がありました。卒業生全員出席で、会場に空席がないというのは気持ちのいいものです。2年前には講堂いっぱいにいた新入生のうち、卒業式まで残ったのは講堂の真ん中にほんの3列だけ。コミュニケーション力が身についたか怪しい学生もいますが、よくぞ頑張り通したと思います。彼らと激戦を繰り広げた先生方も、式後ににこやかに談笑していました。

引っ張られる

12月11日(月)

先月募集した読書感想文コンクールの審査をしました。出足が悪く、一時はどうなることかと思いましたが、先月末の締め切り直前に大勢からの提出があり、むしろ読むのが大変になったくらいでした。

先週のうちに原稿を渡され、ひと通り目を通してみました。数名は読書感想文というよりは読んだ本の要約で終わっており、「感想」は書かれずじまいでした。また、書評っぽい作品もありましたが、自分の心の動きをきちんと書き留めた感想文らしい感想文をたくさん読むことができました。

また、字数制限を設けたのですが、多くの学生がそれを上回る分量を書いてくれました。その字数では自分の思いを書ききることはできなかったのでしょう。冗長ではなく、中身が詰まった文章で字数を超えていたのですから、感服しました。まあ、中には自分の世界に入り込んでしまい、こちらからはどうすることもできない学生もいましたが…。

審査委員の先生方それぞれにいいと思った作品を選んでもらいました。優秀作品については、おおむね意見が一致しました。初級なのに原稿用紙4枚も、しかも、読み手の先生にその作品を読んでみたくさせる感想文を書いたAさん、審査員だれもがうまい構成だとほめたBさん、学生の気持ちを代弁しているような書きっぷりのCさん、みんな順当に選ばれました。

読書感想文なんか書かせるのは日本だけかもしれないと不安に思ったりもしましたが、それは杞憂でした。思わず引っ張り込まれてしまうような文章を書いてきた学生が多く、KCPの学生の意外な才能を見た思いがしました。

鋭く

12月7日(木)

「〇〇についてどう思いますか」とクラス全体に聞いたとき反応してくれる学生、指名したときに必ず何か答えてくれる学生は、教師にとってありがたいものです。その学生の答えを軸にして、授業を進めていけます。

Yさんはそんな学生の1人です。頭の回転も速く、うがった物の見方もできます。クラスメートもYさんには一目置いていて、Yさんが話す時はみんな耳を澄まして聞いています。

ところが、小論文となると、Yさんはとたんに歯切れが悪くなります。舌鋒鋭く切り込んでいたのが、筆鋒は鈍ってしまい、毎回焦点のぼやけた文章になってしまいます。Yさんの文章には「~とおもう」「~かもしれない」のような、断定を避ける表現が多すぎるのです。誤解が生じないようにというつもりなのでしょうが、1つのことを述べるのに留保条件が多く、文を読んでもYさんの言わんとしていることが頭にスッと入ってきません。

文だと証拠に残ますから、間違ったことを書かないようにと腕が縮こまっているような気がしてなりません。口から発する言葉では言い切ることができても、文だとそこまでの勇気が湧かないのでしょう。でも、これでは小論文の読み手の心には響きません。

それから、抜け落ちがないようにと、たかだか数百字の文章に何でも盛り込もうとするきらいがあります。すると、課題に対して広く浅く全体をなでるような小論文になり、散漫な印象しか残せません。どれか1つに絞って突っ込んで書いてくれたほうが、読み手からすると議論のしがいがあります。

要するに八方美人過ぎるのです。自分の手で自分の角を矯めて、個性を殺しています。向こう傷を覚悟の上で相手に切り込んでいく気概がほしいです。クラスにいるときの尖ったYさんのほうが、らしさがあふれているんですよ。

万里の波濤

12月2日(土)

毎週火曜日に選択授業の小論文がありますが、火曜日と水曜日は受験講座が目一杯入っており、木金は、今週は面接が入っておりという具合で、読むのが土曜日になってしまいました。

私のクラスは、大学進学希望の学生が主力ですが、大学院進学希望の学生も数名います。この大学院進学組が、結構光る文章を書くんですねえ。4年間長く鍛えられたのは伊達じゃないなと感じさせられます。

どこが違うかというと、大学進学組は自分の視点が課題の中に埋没しがちなのに対して、大学院進学組は課題を俯瞰してもう一回り大きな世界での位置づけを書くことができる点です。読んでみて、採点者の立場を忘れて感心させられたことも、一再ならずあります。大学院進学組は、独自の視点が確立しているのに対して、大学進学組はそこまで至らず、ありきたりの捕らえ方にとどまっていることが多いようです。

大学院進学組が確固たる自分の視座を持つに至ったのは、大学4年間のうちにそういう訓練を受けてきたからではないでしょうか。これは、彼らが国の大学でしっかり勉強してきた証左でもあります。

大学院での研究計画書を作成するには、独自の物の見方が要求されます。同時に、それを日本語で表現できなければ意味がありません。KCP入学以来、もしかすると国にいたときから、この両者を追求してきたのです。また、彼らの年代で年が4つ違うことは、相当大きな成熟度の差をもたらします。それが文章の上に表れていると考えることもできます。

大学進学組も、進学したら日本人の大学1年生に比べると1~2歳、あるいはもっと年上です。しかも、幾多の困難を克服して入学しているのです。今度は、彼らが日本人の同級生に差をつける番です。

無難な線

11月4日(土)

朝からずっと、火曜日の選択授業で学生が書いた小論文を読んでいます。自分の志望する学部学科専攻に関する最近のニュースについての意見を書いてもらいました。超級の学生たちですから、解読不能な文章はありませんが、平凡な内容が多くて疲れてきました。

入試の小論文となると、学生たちは安全運転に走りたくなるのでしょうか。「この問題に関してはAだと思う」とはっきり述べず、「Bの可能性もある」と結論をぼやかしてしまう学生が多いです。こういう八方美人型がもっとも嫌われるのに、敵を作らないようにしているつもりなのでしょう。

また、何かの受け売りっぽい結論も目立ちました。そういう意見に至る過程や理由に独自のものがあれば評価できますが、そこにも何もないとなれば、これまたいかんともしようがありません。

しかし、読んでいくうちに、学生は自由を与えられすぎて何をどう書いていいのかわからず、書きやすそうな話題について議論してみたら、あいまいな結論になったり、どこかで読んだり聞いたりしたことのある意見になってしまったりしたのではないかと思えてきました。でも、自分がこれから学ぼうとしていることについてですよ。常にアンテナを広げて、そこに引っかかってきたことに対して自分なりの考えは持っていてほしいですね。

ことに、学部入試の学生は、思い切ったことを書いてほしいものです。大学院の受験生は専門教育を受けてきていますから、それに基づいたまっとうな回答が求められますが、学部入試は、非常識でさえなければ専門的に見て多少おかしくても、向こう傷と見てもらえるものです。私が読んだ文章には、そういう生きのよさが感じられるものが少なかったです。

来週の火曜日にこれを返して、新しい課題で書かせて、それを添削して…。入試が迫っていますから、私もプレッシャーを感じます。