Category Archives: 学生

ボコる

7月19日(木)

はじめて本格的な読解をするレベルのクラスの授業をしました。みんな予習をしてきたと言っていましたが、教科書を見ると所々にアンダーラインが引かれている程度で、こちらが考えているような予習がなされているとは到底思えませんでした。そんなわけで、私の意地悪根性がむくむくと芽生えてきました。

学生たちは頭で理解しているだけ、母語に翻訳した上でわかったつもりになっているだけでしょうから、まず、読み取った内容を徹底的に日本語で言わせました。案の定、こちらの質問には単語で答えるだけで、文で答えさせようとするとしどろもどろになり破綻をきたし、発言を板書してはいかにひどい答えかを指摘し、ボコボコにしてやりました。単語の意味をちょこっと調べた程度で予習したつもりになってもらっては困ります。「読解」と名乗る以上は、せめて段落レベルで内容が理解できていなければなりません。学生たちは、明らかにその点が甘かったです。クラス全員が血まみれになり、初めての読解は終了しました。

学生たちは、内容を理解していなかったわけではありません。読みが浅いのと、読み取った内容を日本語で表現する力が弱かったのです。なぜ表現できなかったかというと、初級の文法が十分に使えていなかったからです。前のレベルまでに習った文法が使えるようになっていないと読解の問題には答えられないのです。そういうことをいって、授業のまとめとしました。

これだけやっつけておけば、来週はもう少しまじめに予習してくるでしょう。ここで鍛えておけば、中級上級になったときには読解のコツがつかめているはずです。

例文の表情

7月17日(火)

先週末に、先学期習った文法で例文を作ってくる宿題が出ており、それを回収しました。冒険をせずに、教科書の例文にちょっと手を加えただけの文を書いてきた学生もいれば、独自のアイデアで例文を作ってきた学生もいました。もちろん、後者の例文は読んでいて面白いですし、その学生の人となりもうかがわれて、新学期早々で学生の顔と名前が完全に一致していない教師としてはありがたい限りです。

Gさんはやたらとお酒をテーマにしています。「私は酒を飲むのが好きです」と、ど真ん中の直球を投げ込まれると、思わず笑ってしまいます。大学院志望の学生ですから、お酒を飲んではいけない年齢ではありませんが、飲みすぎが気になります。でも、こういう学生がよくクラスの核になってくれるんですよね。

このクラスの学生は海を見るのが好きらしく、「海はいい景色」関係の例文が4名ほど。学生たちの出身地までは把握していませんが、海は憧れの的なのでしょうか。北海道も人気で、3名が取り上げていました。週末は猛暑が続きましたから、北海道になおのこと惹かれるのかな。

気になるのはWさんで、「友達が私の教科書を持ってきてくれました」と、文法的には整っていますが、いったいどういう場面なのだろうと首をひねらざるを得ない例文を提出してきました。本人の頭の中では、例えば「私が学校に忘れた教科書」とかいうことで破綻が生じていないのかもしれませんが、自己完結している点が問題です。明日の先生に、返すときに真意を確かめてもらいます。

初級の学生の例文ですから、“文は人なり”などとは言いません。でも、学生の本当の表情を垣間見ながら、楽しく添削できました。

わずかの間に

7月13日(金)

今学期も、週末の最後の授業はレベル1のクラスです。さて、その初回。知っている顔は、先週までしていたアメリカの大学のプログラムで来ている学生向けの授業に出ていた2名のみ。そのクラスで一番よくできたLさんと一番ダメだったJさんがいました。一番よくできたといっても、一番下のクラスの中での話ですから、絶対値は大したことありません。一番ダメだった学生は、一番下の中で最下位だったのですから、そのできなさ加減は想像を絶するものがあります。

私にとっては初回でしたが、このクラスも火曜日から始まっていますから金曜日はすでに4日目です。で、カタカナのテストがありました。昨日はひらがなのテストで、再試になってしまった学生もかなりいましたから、こちらはどうなるだろうと心配していました。ところが、昨日の惨敗で目が覚めたのか、ほとんどの学生が制限時間を大幅に余してカタカナの五十音を書き上げました。

Lさんは順当に満点。一画一画を丁寧に書いた几帳面な字が、程よい大きさでマス目を埋めていました。昨日は不合格だったJさんの答案を採点するのは怖かったのですが、〇がどんどん増えていくではありませんか。“ハヒフヘト”になっちゃうあたりはご愛嬌ですが、合格点にわずかに足りないところまで持って来ました。不合格ですからほめちゃいけないのでしょうが、心の中でよくやったと肩をたたいてやりました。

例文を作る宿題も出ていましたが、Jさんはこちらも的外れではない、〇に値する文を書いてきました。わずか1週間かそこらで、ずいぶん伸びたと思いました。Lさんにしたって、先月下旬に来日した時は日本語がほぼゼロでしたから、うっかりすると上級の学生よりずっときれいなひらがなカタカナが書けるようになり、そのきれいな字で気の利いた例文が作れるようになったのですから、これまた長足の進歩です。

週末に、いいものを見させてもらいました。

特別授業

7月12日(木)

受付のところにある椅子に座って、中国人の学生がアメリカ人の学生に日本語を教えています。「払わなければなりません、have to pay」なんてやっています。“授業”の内容からするとどちらの学生も決してレベルは高くなく、日本語だけでコミュニケーションが取れているかとなると、怪しいものがあります。でも、教える側も添わる側もかなり真剣で、何とか伝えようとする気持ちと、ほんのかけらでもいいからくみ取ろうとする心とが重なり合い、お互いに汗を拭きながらの特別授業が繰り広げられています。

午前中は養成講座の授業で、受講生から今学期はどのレベルのクラスを受け持っているのかと聞かれました。明日は一番下のレベルのクラスだと答えると、「どうやって教えるんですか」。私が養成講座で担当している「文法」は、教師として知っておくべき知識を扱っていますから、助詞の用法を事細かに取り上げていきます。レベル1の学生に教えるのはそのごく一部に過ぎません。教えるというより口で覚えさせると言ったほうが正確かもしれません。でも、教師がそれをするためには、広範な知識が必要です。知識に裏打ちされた練習こそが、学習者の体にしみ込む授業を形作るのです。

受付で繰り広げられたレッスンには、知識もテクニックもありませんでした。でも、友達をわからせよう、異国の友達と日本語でコミュニケーションが取れたらどんなにすばらしいだろうという、情熱や夢が感じられました。この点は、我々教師も謙虚に見習い、自分の授業に取り入れていくべきだと思います。また、養成講座の受講生にも是非見ておいてもらいたい場面でした。

微妙な間合い

7月10日(火)

新学期の初日は、教師のほうも緊張します。上級は持ち上がりのこともあり、それだと知った顔ばかりですからそうでもないのですが、中級や初級はまるっきり新しい顔と出会うわけですから、プレッシャーも感じます。今朝はどことなくそわそわしたベテランの先生方が大勢いらっしゃいました。

私も全然知っている名前のないクラスに入りました。そういえばこの顔はどこかで見たなあというのが2、3人いましたが、職員室で説教されているところだったり運動会の何かの種目でちょっと目立っていたりということで、私と直接的なつながりのある学生はいませんでした。こういう場合、最初にどのくらいの距離をとればいいかが意外と難しいんですねえ。1人でもよく知っている学生がいれば、その学生を突破口に距離を詰めていけるのですが、全員全然知らないとなると何か細工を施さねばなりません。

でも、私は1回の授業だけで学生に近づこうとは考えていません。半月ぐらいかけて信頼関係が築ければそれでいいと思っています。1学期は3か月ですから、残りの2か月でその信頼関係をベースに、クラスの学生たちを伸ばしていくことを考えます。学生のほうから相談を持ちかけられるようになります。こうして生まれたつながりは、その学生が卒業するまで続きます。

明日、あさってと、それぞれ別のクラスに入ります。そのクラスでも同じように信頼関係の種をまきます。じっくり育てて、学期末には大きな果実を収穫するつもりです。

いい大学とは

7月9日(月)

R大学の留学生担当の方がいらっしゃって、大学生活や大学・大学院の入試について説明してくださいました。あいにく始業日前でしたからあまり学生が集まりませんでしたが、参加した学生たちは非常に有意義な話が聞け、耳寄りな情報が手に入ったと思います。私も学生に交じって話を聞かせていただきました。私ですら行きたくなったのですが、現役の学生はなおのこと興味が引かれたのではないでしょうか。

R大学は伝統のある大学ですが、最近とみに勢いが増してきた大学だとも思います。社会の変化に対応して新しい学部を次々につくってきました。既存の学部に学科を設けるより、新たな学部を創設するほうが、大学そのものがその学問・研究に真正面から対峙しようとする意気込みを感じます。対官公庁の書類作成や折衝にもかなりのエネルギーを要したことでしょう。それを乗り越えて新時代を担う若者を育てようという心意気に拍手を送りたいです。

何より、R大学は、KCPから進学した学生たちが異口同音にいい大学だから是非後輩にも勧めてくれと言っています。有名大学でも進学した学生の口からよからぬうわさを聞くことが多い中、R大学とS大学はそういう話を全く耳にしません。これだけ学生を満足させるには教職員の皆さんのご努力がいかほどのものなのか、多少は想像がつきますが、私などうかがい知れぬものがきっとあるものと推察します。

今年はどんな学生がR大学を志望するでしょうか。どんな学生を送り込もうかなあと、R大学の方がお帰りになってから、あれこれ考えてみました。

入学式挨拶

皆さん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの若者が世界中からこのKCPに集まってきてくれたことをとてもうれしく思います。

皆さんの留学の目的は人それぞれでしょうが、皆さんの周りにいる、あるいはこれから現れるライバルたちに差を付けるというのもその1つではないかと思います。大勢の中に埋没してしまっては、皆さんの存在意義は薄れてしまいます。皆さんが、皆さんを取り巻く人たちにとって唯一無二の存在となるためには、ほかの人にはない何か大きな特徴を持っていることが必要不可欠な条件となるでしょう。それゆえ、留学経験を、自分自身を特徴付ける何物かにしようと思っている人も多いと思います。でも、これは留学さえすれば誰でもそうできるというものではありません。留学の中身が大きく物を言います。漫然と外国で時を過ごしただけでは、留学という経歴は残りますが、実力は伴いません。やがて周りの人々にその経歴は虚仮威しに過ぎないと見抜かれてしまいます。密度の濃い、物の考え方や仕事の進め方や果ては人生観にまで影響を及ぼすような生活を送って初めて、この留学が皆さんの将来に明るい光をもたらす経験となるのです。

では、どうすれば密度の濃い留学生活が送れるでしょうか。勉学に励むことはもちろん、というよりそれは最低条件で、進んで自分とは異質なものを求めていってください。他国の学生と友達になることもそうですし、年代の違う人たちと語り合うこともそうです。日本の文物に触れることも忘れてはなりません。インターネット上での経験ではなく、体を張って五官を通して感じ取ってください。

そして、こういう経験によって、自分自身や自分の国を相対化してください。異質なものとの接触によって得られた新しい視座から、今までの自分を総決算し、これからのあるべき自分像を見出すのです。また、自分の国を愛する心、誇る気持ちは大切です。しかし、それと何でも自分の国が一番だと信じ込んでしまうこととは別です。自分の国の強みも弱みも知っている人が、政治の世界でもビジネスの分野でも科学技術の方面でも、頼れるリーダーとなるのです。KCPにいるうちにここまでしろとまでは言いませんが、いずれはこういうことができるようになってもらいたいです。KCPを卒業し、進学したり就職したり起業したりして社会に根付いている人たちは、みんなこういう目を養っています。その一方で、異質を拒み続けた学生たちは、得る物の少ない留学に終わっています。

KCPでの勉強が終わったら国へ帰る人たちは、これからこのような異質な世界での生活は経験できないかもしれません。ですから、この機会を有意義に活用し、肌身で世界の広さを実感してください。日本で勉強を続けていこうと思っている人は、KCPでの生活は進学後の生活の助走です。より高く遠くへ飛んでいけるように、十分に勢いをつけてください。

今ここにいらっしゃる皆さんは、短い人で2か月、長い人は、日本の大学や大学院での期間も加えると、数年あるいはそれ以上にわたる留学生活が控えています。後で振り返った時、得がたい経験をしたと胸を張って言えるような濃密な人生のひとときを、皆さん自身で創造していってください。私たち教職員一同、喜んでそのためのお手伝いをいたします。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

アイコンタクト

7月5日(木)

久しぶりに、新入生のプレースメントテストの監督をしました。誰も知った顔のいない、水を打ったように話し声どころか物音一つしない静かな教室に入っていくのは、冷たいプールに足を突っ込むようなピリッとした感覚があります。「おはようございます」と挨拶してみても、新入生は私以上に緊張していて、わずかに頭を下げる学生が2、3名いただけでした。

最初の科目が始まると、問題を見たとたんに早くも苦笑いを浮かべる学生がいました。まじめな顔で取り組んでいても、解答用紙を見ると右から左へ文字を写しているだけだったりしていることも、毎度のことです。全然わからなくて、制限時間が来るまで退屈そうにしている学生も数名いましたが、机に突っ伏して寝てしまわないあたりが、新入生らしいところでしょうか。良くも悪くもお互いの距離感がわかりませんから、安全サイドに走っているのでしょう。

学生が机の上から消しゴムなどの小物を落としてしまったとき、それを拾って机の上に載せてあげると、国籍性別年齢を問わず、みんなニコッとします。距離がちょっと縮まったかなと思いますが、試験中ということもあり、それ以上接近することはありません。

最後の科目は、問題用紙と解答用紙を提出したら帰ってもいいことになっています。これは学期中の中間テストや期末テストと同じですが、プレースメントテストでは大きく違うことがあります。

中間・期末テストでは、提出した学生は教室を出るとき、私のほうに顔を向けて「さようなら」とささやきかけるか、会釈するかするものですが、プレースメントテストではそれがありません。この違いが1学期間の教育の成果なのかなと思っています。

私の教室にいた学生たちも、9月の期末テストではさようならと目で挨拶して帰っていくんでしょうね。

お茶にしびれた?

7月4日(水)

久しぶりにお茶会に参加しました。アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちの文化体験の一環としてお茶の授業があり、クラスの学生たちの引率をしたというわけです。

毎学期行われている茶道クラブのお茶会は、受験講座の時間と重なるため、ここ数年全然参加していません。ですから、作法を覚えているだろうかと危惧していましたが、残念ながらそれが杞憂とはなりませんでした。先週、担当のO先生からレクチャーを受けていたのですが、それを本番で生かせず、小声でさんざん注意されてしまいました。やっぱり継続的に練習しないと、作法は身につかないのですね。うまくできたのは、蹲で手と口を清めるところだけでした。このしぐさは、寺社にお参りするときにしていますから、実は継続的に練習しているのです。

私のクラスは日本語がほとんど通じない学生たちばかりですから、蹲での所作も私のを見てまねします。もうこの時点で緊張気味なのがよくわかりました。でも、みんなであれこれ指示を出し合って、全員がお茶を飲み終わるまで無作法にならないように協力していたのは見事でした。先週初めて顔を合わせたばかりなのに、全員で立派なお茶会を作り上げようという雰囲気が盛り上がっていました。

茶碗を回したり最後にズズッと音を立てて飲み干したり、学生たちにとっては異文化そのもののお茶会だっただけに、最後まで興味を失わず、真剣に取り組んでいました。ただし、足はすぐしびれてしまったようで、O先生に認められた横ずわりをしていました。また、お茶を点てる体験では、Cさんがとても上手だとO先生にほめられました。茶筅を動かす時の音が違いましたから、私が見ても手際がいいことがよくわかりました。

この学生たちがもう少し日本語が上手になったときに、もう一度、今度は日本語で文化を語りながら、一緒にお茶を飲みたいと思いました。

夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダ

6月28日(木)

今朝の最低気温は25.2度で、このまま24時まで25度を割らなければ今年初の熱帯夜です。昨日の朝の最低気温も24.9度で、ほぼ熱帯夜でした。学期中、去年の10月期以降の入学で、これから初めて東京の夏を経験する学生たちには、東京の夏は夜でも蒸し暑く寝苦しいと脅しをかけておきました。その脅し文句が現実のものとなりつつあるようです。

こうなると気になるのが、学生たちの健康状態です。エアコンをつけっぱなしで寝て風邪をひく学生が山ほど出てきます。風邪をひいても、その後きちんと節制して新学期が始まるまでに体調を戻しておいてくれればいいのですが、無反省にエアコンの中で暮らし続け、始業日になっても休み続けてしまうのが、ダメな学生の典型パターンです。

出だしでつまずくと、気力がそがれるものです。しかし、7月期は主要大学の出願期でもあり、一部の大学・大学院は入試の時期でもあります。受験生はこれから年内いっぱいぐらいまでは、気を緩めている暇などありません。それなのに鼻づまりや熱のために頭がぼんやりしていたら、ライバルに差をつけられる一方です。

そういう暑さにもめげず、アメリカの大学から来た学生たちは勉強に励んでいます。フロリダみたいなところから来た学生は、この程度の気温ならへいちゃらですが、シアトルあたりの学生にはこたえるようです。

私が昨日入ったクラスの学生たちも、促音はしっかり身に付けてくれたようですが、「おくにはどっちですか」は困ります。している単語を書けと言ったら、息抜きのつもりだった「かっぱ」は出てきたのに、他の覚えなければいけない単語はどこかに忘れてきちゃったようで…。