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落第点

5月26日(金)

私のクラスの、今学期の新入生Tさんは、初級にしては上手に話せますし、こちらの言葉を理解する力も十分にあります。しかし、Tさん自身、ドラマやアニメなどを聞きながら独学でここまで日本語を身に付けてきたというとおり、文法や語彙を系統的に勉強していません。動詞の活用形がうまく作れなかったり、クラスの他の学生がみんな知っている語彙が抜けていたりということが時々あります。

それでも学期の前半まではどうにかこうにか切り抜けてきました。また、しゃべらせると内容のある話をしますから、クラスメートから侮られるということもありませんでした。しかし、今回の文法テストでついに不合格点を取ってしまいました。答案を見ると、白紙だとか箸にも棒にもかからない間違え方とかというわけではなく、ふにゃふにゃの土台にブロックを積み重ねようとしたところ、崩れ落ちてしまったという感じです。

もちろん、私たちも今まで手を拱いてきたわけではありません。Tさんの抜け落ちを補うべく、基礎文法の解説をしたり問題集をやらせたりしてきました。しかし、日本での進学を考えているTさんは、授業の進度が速い進学クラス所属です。授業の勉強と抜け落ちの穴埋めを並行して進めるのは、想像以上に難しかったようです。

じゃあ1つ下のレベルからスタートさせればよかったかというと、それだとTさんにとってはつまらなかったでしょうね。Tさんは中間テスト直前の日本人ゲストとの会話でも活躍していたし、今回のテストでも他の学生が書けない気の利いた表現もしていました。そういう点からすると、今のレベルが最適だと思うのです。

さて、ここからが私たちの腕が問われるところです。このままTさんがずるずると落ちていかないようにどうにか手を打たねばなりません。本人のモチベーションを維持強化していくことも求められます。何をどうすれば進級できるか、その道筋をTさんといっしょに考えるのが、最初の仕事です。

与太話

5月24日(水)

N先生が急病のため、超級のクラスの代講に入りました。今学期はこれまで代講も含めて初級ばかりで、先学期末以来約2か月ぶりの超級クラスでした。

私はその場のひらめき(思いつき?)で授業を進めることがままあります。たとえば文法を教える例文で、予定していたのより面白そうなのが突然思い浮かんだら、それを使ってしまうこともあります。ある単語に関連した語彙に急に思い当たったら、それも紹介してしまうこともあります。また、ついでに触れておきたい日本社会の一面なんかも、授業の最中によく出現します。

しかし、初級ではそれをそのまま学生に披露したら混乱を招きかねません。ですから、ひらめきの大半は涙ながらに葬り去ることになります。それでも何のためにもならない無駄話を1日に何回かはしています。

それに対し、超級ではひらめきをそのまま利用しても、どうにかなってしまうことが多いです。ですから、授業があらぬ方向に進み、話の中の要点を聞き逃さずにつかみ取る訓練と化していることもあります。こちらは好き勝手なことをしゃべってボケ倒すだけですから気楽なものですが、それを聞かされている学生は、つられて笑っているだけでは済まされませんから、苦労が多いことでしょう。今日も、大坂城を造ったのは豊臣秀吉とされるが、秀吉の大坂城は徳川家によってつぶされて、今の大阪城は徳川が諸大名に造らせた城を元にしている…という、どうでもいいにも程がある話題に進んでしまいました。

初級の既習文法で上記のような話をするのは無理ですから、こういう話をしたくなっても自動停止装置が働き、おとなしく教科書に戻ります。でも、可能な限りそのラインを追求し、習った文法や語彙でこんなことまでできるんだ、こんな難しい話もわかるんだという自信を植え付けようと思っています。

のそがかわきました

5月22日(月)

一番下のレベルの代講をしました。自分が担当しているレベルとは違うレベルを教えるときには、代講で自分が教えるべき項目をしっかり頭に入れておくことはもちろん最重要ですが、これまでに何を勉強しているかの確認も怠ってはいけません。初級では未習の単語や文法は使ってはいけませんから、自分の言語中枢をそのレベルに調節しておくことが欠かせません。

今学期は初級クラスを担当していますが、そのクラスはもうすぐ中級というレベルですから、一番下のレベルとは日本語力がかなり違います。いつもの調子でしゃべったら、“???”となってしまいます。ですから、頭のねじを思いっきり戻して、「のどがかわきました」なんていうのを、説明というよりは実演するわけです。

「激しい運動をした後などで、水分が非常にほしくなった状態」とかって言っても、そもそも「激しい」がわかりませんから、無意味です。せいぜい、「たくさんスポーツをしましたから、とてもとてもとても水がほしいです」ぐらいまででしょうね、言葉で説明するとしたら。今学期の私の担当クラスなら、スポーツの最中も熱中症予防にために水を飲めとかって付け加えられるでしょう。上級なら、「のどがかわく」の「かわく」は漢字でどう書くかなんて小ネタも織り交ぜるでしょう。

上級なら、「教師の言葉がわからないのは、お前の勉強不足のせいだ」と言い切ってしまうこともできますが、初級では、教師の言葉がわからないのは教師の力不足にほかなりません。ここでの力不足とは、語彙コントロールの未熟さでもあり、理解させる手段を考え出す発想力不足でもあり、学習者の側に立つ思いやりの欠如でもあります。こういう方面にも頭や心を使わなければなりませんから、初級の授業は気疲れがするのです。

私は、初級の授業は頭の体操になるので好きです。確かに疲れますが、授業中は楽しいものです。

おいしいそうです、おいしいようです

5月19日(金)

中間テストが終わり、今学期もあっという間に後半戦です。その初日、私のクラスでは伝聞の「そうです」と推量の「ようです」を扱いました。中間テストの前に様態の「そうです」を勉強していますから、ここは学生たちの頭が混乱しかねない今学期の山場です。

ひと通り導入し、練習した後、やはり学生から質問がありました。ここで勉強していることは、要するにモダリティですから、そこにウェイトを置いて、学生たちが思い浮かべやすい状況を与え、違いを強調します。理屈をこねて説明しても、学生たちは理解してくれません。話し手がその「そうです」や「ようです」に込めている思いや、言葉の表面に出てこない意味を感じ取ってもらうのです。

一発で学生に正しい使い方を定着させられたら、それはすばらしい教師ですが、私はそんな力もありませんから、失敗しながら身に付けていってもらうという作戦を採ります。授業中に間違え、作文で誤用を犯し、そのたびに直されることで、学生の頭に正しい語感が堆積されていくのです。

同時に、私たち教師がふだん何気なく発している言葉の中から、“なるほど、こうやって使うんだ”という生きた例文を、自分の耳で発掘してもらいたいと思っています。こういう発見が多いと早く上達しますが、意味しか受け取っていないと、努力のわりに進歩が遅いという結果にもなってしまいます。

初級を担当すると日ごとに既習の範囲が広がっていき、それに伴って教師の語彙コントロールもどんどん緩やかになっていきます。そんなことを通して学生の力の伸びを感じるのが、密かな楽しみです。今学期も、「のに」とか「ばかり」とか「そうです」とか「にくい」とかが使えるようになったというか、意識して使って学生に手本を示さなければならない時期になりました。

夕立

5月18日(木)

中間テストの午後の試験監督をしていたら、急に空が暗くなり、にわか雨が襲い掛かってきました。教室内には雨音は聞こえてきませんでしたが、外階段は雨粒が屋根にぶつかる音で会話が成り立たないほどでした。

こういうときは、職員室は傘を借りに来る学生たちでにぎわいます。

「かさ、ください」――いちばん下のレベルの学生なら、しかたないところでしょう。“ください”が言えただけでも多としなければなりません。

「すみません。傘、借りてください」――“わしゃあ、あんたから傘借りんでも、折り畳みはいつも持っちょるんじゃがのお”。生半可に動詞を覚えると、こうなってしまいます。初級だからこそ、正確さが肝心です。

「あのー、傘、貸してもいいですか」――“じゃけえ、傘はあるって言うちょろうがね”。貸し借りは方向性がありますから、使い方を間違えると変なことになってしまうのです。“てもいいですか”を使った点は褒めてあげてもいいですが、中級の学生がこれだとがっかりですね。

「すみませんが、傘を貸してもらいませんか」――惜しいなあ。でも、私はあんたと一緒に傘を借りる気はないんだよねえ…。

「失礼します。傘を貸してくれていただけませんか」――知ってる文法を全部たたき込めば丁寧になるってわけじゃないんだよ。

「お忙しいところすみません。雨が降ってきたので傘をお借りしたいのですが…」――2年前だったかなあ、1度だけ上級の学生にこう声を掛けられたことがあります。この学生は、KCPの学生なら誰もがあこがれる国立大学に進学しました。

テストが終わる頃には雨が上がり、青空が広がりました。この雨の降り方はまさに夕立じゃありませんか。天気予報によると、明日から暑くなるそうです…。

逃げを打つ

5月15日(月)

今年のKCPのクールビズ初日で、張り切って半袖でうちを出たら何だか肌寒く、駅のホームにはコートを着ている人すらいました。ちょっと失敗したなと思いつつも、伊達の薄着で通しました。2か月前の3月15日はコートにマフラー、4月15日はスーツ姿、5月15日は曲がりなりにも半袖と、この2か月で季節が一気に進みました。同様に、9月15日は半袖でも汗を流し、10月15日はスーツがちょうどよく、11月15日はコートを羽織っているのではないでしょうか。このところ、春と秋が駆け足で通り過ぎていくような気がしてなりません。

季節はどんどん進む一方で、学生たちの中には勉強がさっぱり進まない困り者もいます。Hさんもその1人で、また受験講座を休み始めました。毎学期、最初のころはちゃんと出席するのですが、途中からパタッと来なくなるのです。ですから、実力が積み上がりません。受験講座には出なくても、塾かうちかで勉強していてくれればいいのですが、そういう気配も見られません。去年は“来年があるさ”と言っていられましたが、今年はそういうわけにはいきません。今の時点で“11月があるさ”なんて1ミリでも思っているようでは、お先真っ暗です。

あるいは、実力のない自分を直視できないのかもしれません。去年の11月のHさんの成績は、ひいき目に見て「悪くはない」という程度に過ぎません。Hさんが考えていた進学先のボーダーラインには及ばず、6月のEJUに捲土重来を図るわけですが、果たしてどうでしょう。1対1で話すと決して悪い学生ではないのですが、どこか線の細さを感じさえられます。

残念ながら、“Hさん”は1人ではありません。私が思いつく範囲で4人ぐらいいます。多少肌寒くても半袖で通すくらいの気概がほしい……などという結論は、牽強付会かな。

希少価値

5月13日(土)

私の出勤時間帯はまだ降っていませんでしたが、受験講座の学生が登校してくるころは降ったりやんだり、授業を終えて学生たちが帰ることは結構な降りっぷりになっていました。気温もあまり上がらず、スーツの上着がありがたいくらいのうすら寒さでした。ニュースによると、沖縄・奄美地方が梅雨入りしたそうです。実況天気図を見ると、梅雨前線が本州南岸まで迫っています。週間予報によると、週明けには前線は南下するようですが、雨の季節が近いことを感じさせられる雨空です。

雨のたくさん降る町で勉強したいと今週の作文に書いていたのがJさんです。日本人的には???となってしまう感覚ですが、Jさんにとっては雨が多いのは好ましい気候のようです。こんなふうに、Jさんの作文は、読み手の気持ちをがっちりつかみ、一気に読ませてしまう力を持っています。もちろん、変な文やおかしな言葉遣いはありますが、そういたものを乗り越えてこちらに訴えかけ、こちらの心を捕らえています。

今学期は、毎週30名近くの作文を読んで添削していますが、Jさんのように気持ちよく読める文章を書く学生もいれば、何回読み返しても真意が理解できない作文を提出してくる学生もいます。同じテーマでどうしてここまで差がつくのだろうと思わずにはいられません。また、作文以外の科目の成績に比例しているわけでもありません。MさんやTさんなんかは優秀な学生のはずなのですが、作文だけはどうしようもありません。2人に比べると授業の時はさっぱりのSさんが、読ませる文章を書いてしまうんですねえ。

才能と言ってしまえばそれまでですが、文法や語彙に対するセンスというよりは、構成力が物を言っています。原稿用紙1枚かそこらに起承転結を盛り込み、与えられたテーマの中で自分の世界を繰り広げる――JさんもSさんも、この稀有な能力を大切に育てていってくださいね。

聞けた

5月12日(金)

連休明けから準備を進めてきた、日本人ゲストを迎えての会話授業がありました。私の入っているクラスは初級の最後のレベルですから、初級の総まとめ、総仕上げの意味も込めて、日本人ゲストとの会話の授業を企画しています。また、「会話」ですから、学生は一方的にしゃべり倒すのでもなく、ひたすらゲストの話に耳を傾けるのでもなく、双方向的に話を盛り上げて行くことが求められます。

まだ初級ですから、いきなり会話をしろと言われてもできるものではありません。ですから、採集の準備の時間になると、グループごとに会話の予行演習が自然発生的に始まりました。こうなると、私の言うことなど上の空です。放置するほかありません。

そして、ゲストがいらっしゃると、ちょっと緊張しつつも元気に挨拶し、各グループで会話が始まりました。私は各学生がちゃんと会話に参加しているか、会話があらぬ方向に進んでいないか、ゲストに対して失礼な態度を取っている学生がいないかなどを見回りました。会話は、どのグループも途切れることなく進んでいました。

終了予定時刻になり、私が会話を中断すると、学生たちは名残惜しそうにゲストに「ありがとうございました」とお礼を述べ、ゲストの方々は次の教室へ向かわれました。教室の外に出たところでゲストの方に軽く感想をお聞きすると、話し相手をしただけでも思ったよりハードだったとおっしゃっていました。それだけ学生たちがたくさん話したというふうに、ポジティブに受け取ることにしました。

私は、学生たちがきちんと話を聞いていたことに感心しました。ゲストの話だけでなく、同じグループの学生が話しているときも、相槌を打ちながら反応を示していました。初級だと、誰かが話している間は、それを聞くのではなく、えてして次に自分が話すセリフを必死に考えているということになりがちなのですが、今回はそんな様子は見られませんでした。この点は学生たちに伝え、褒めておきました。

学生たちも、ふだんの10倍ぐらい日本語をしゃべったので疲れたようでしたが、それだけ長い時間話し続けられた、実のある会話ができたということが、大きな自信になったようでもありました。ここで得た自信で、来週の中間テストでも好成績を挙げてほしいと思いました。

訪問

5月11日(木)

今学期は、木曜日に受験講座を2つこなすと、大きな山を越して、週末という雰囲気になります。金曜日には初級クラスの日本語の授業がありますが、受験講座の理科は企画制作実施すべて私自身ですから、プレッシャーのかかり具合がだいぶ違います。

ことに木曜日の受験講座は、今学期から始めた学生たちばかりで、最初が肝心ですから李下の面白さも伝えつつ実力も付けさせていくことになります。挫折させずに力を伸ばしていくにはどうしたらいいかという永遠の課題にまた取り組んでいます。

今学期のクラスには、国で勉強してきたからとなめてかかる学生がいないので助かっています。ノートを取る目つきの鋭さが、学生たちの意欲を物語っています。謙虚に勉強し直そうという気持ちが伝わってきて、教える側も力が入ります。天狗の鼻を折るようなことをしなくても済むので、気持ちよく授業ができます。

しかし、その一方で、連休明けから来なくなった学生もいます。あれこれ欲張りすぎて早くもペースダウンを余儀なくされたLさんやHさんには、生活に余裕ができたら、また復活してほしいと思っています。

「先生、もうすぐ珍客が来ますよ」と、受験講座から戻ってきたところにM先生から声をかけられました。ほどなく、何年前に卒業したかわからないくらい昔の卒業生のCさんが、A先生と一緒にやってきました。受験講座を始める前の頃の学生ですが、顔を見たらすぐにCさんだとわかりました。

CさんはKCP卒業後大学に進学し、大学卒業後、日本と母国とで苦労を重ね、このたび日本で会社を興すに至ったとのことです。社長になったわけですが、えらそうに振る舞うことなく、KCPにいたときと同じような腰の低さと人の気をそらさぬ話しっぷりは健在でした。

今、受験講座を受けている学生たちが、10年後か15年後に、Cさんのように学校を訪れてくれるかなあと思いました。

変形虫

5月10日(水)

ここ何年間かずっと懸案となっていた、生物の単語帳がやっと完成(?)しました。EJUの理科の3科目中、物理にはF=maのような公式、化学にはNaOH+HCl→NaCl+H2Oのような反応式や化学式や元素記号という、万国共通の言語があります。しかし、生物にはそういう確固たる地位を築いた言葉が少ないです。DNAとかATPとかというアルファベットの略語で示される物質などが、その数少ない共通言語です。

だから、“ミトコンドリア”といえば、生物で受験しようという日本の高校生なら誰でも知っていますが、中国の学生にとっては“???”です。逆に、“白血球”と書いてあれば、中国の学生は100%理解できますが、漢字のない国から来た学生にとっては“???”です。

こういうギャップをなくすために単語帳を作ろうと思い立ったのは、この校舎ができる前の仮校舎の頃。授業の合間を縫って少しずつと思っていましたが、その授業の合間には単語帳よりも急を要することがずけずけと入り込み、単語帳はいつも後回しに。今学期は比較的余裕があったので、これを逃したらオリンピックのほうが先に来てしまうと思い、全体の1/3ぐらい残っていた仕事を最優先にして片付けました。

しかし、まだ“完成(?)”でしかありません。中国語は、例えばアメーバが「変形虫」というように、納得できる訳が多いですから、明らかな間違いは排除できます。しかし、ハングルはそうはいきません。原語を音訳したであろうというのはわかりますが、それ以上のことは“???”です。

ですから、現時点での完成(?)版を配って、学生に直してもらうことにしました。結構な分量の単語帳を手にして、学生はうれしそうでもあり、迷惑そうでもあり…。