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ゆがんだ三分粥

12月21日

午前中のテストが終わった後、EJUの結果がほしいと、Kさんが私を訪ねてきました。EJUの成績通知書はKさんあての信書ですからそれはそのまま渡しますが、Kさんは今月のというか、今学期の出席率がひどいので、そちらについて話をしなければなりません。

今学期、Kさんは本当によく休みました。理由を聞いてもはかばかしい答えが返ってくることはなく、のらりくらりと追及をかわしていました。それで全てが済んでやりたいことがし放題と思っていたら大間違いです。Kさんの今の出席率では、たとえ進学できたとしてもビザが出ないおそれがあります。今までにそういう話もしてきましたが、軽く受け流していたようです。来学期、卒業式までの実質2か月間100%出席したとしても、出席率の危険水域を脱することはできません。事態がそこまで悪化しているのにKさん自身は全く気付いていません。

EJUの成績にしたって、封を開けたとたん顔をゆがめていましたから、思い通りの成績が取れなかったのでしょう。調べてみると、案の定、6月より下がっていました。あんなただれた生活をしていたんじゃ、退化こそすれ進化など望むべくもありません。行き先がまだ決まっていないKさん、果たしてどうなるのでしょう。

期末テストの日の夕方は、いつも、アメリカの大学のプログラムで勉強に来ている学生たちの修了式があります。修了生は、修了証書をもらったらスピーチをすることになっています。みんな、この1学期間、実に濃厚な留学生活を送ってきたことがよくわかりました。3か月と期限が切られているからこそ、オーバーフローしそうになりながらも、貪欲に何でも吸収しようとしてきたのでしょう。その拙い日本語を聞きながら、Kさんだったらどんなスピーチをするのだろうと考えてしまいました。三分粥みたいなうすーい留学生活を送っていたら、なんにも話せなくなっちゃいますよ。

特権階級

12月19日(火)

1年に計は元旦にありと言いますが、KCPではちょっと先走って、年内に来年の目標を書いてもらうことになりました。来学期の初日でもいいのですが、1年の反省をしたこの時期に、その反省を踏まえて次の年の目標を定めてしまおうという考えです。

私のクラスの学生たちは、最初はブーブー言っていたのですが、主旨を説明して書かせると、全員結構真面目に取り組み始めました。そして、一人ひとりの目標を見ると、1年後の自分のあるべき姿を言葉に表していました。このクラスの学生は大半が3月で卒業しますが、ここで書いた目標は進学先にまで持って行って、その実現に向けて努力を続けてもらいたいです。

学生たちが真剣に目標を考えた1つの原因は、この目標を書きっぱなしにしなかったことです。学生証に挟める大きさ(小ささ)の用紙にきれいな字で書かせて、学生証と一緒に肌身離さず持ち続けてもらうことにしたのです。目に付くところに目標が書かれていればそれを再認識することも多く、いい加減なことを書いたら自分自身が恥ずかしくなります。

目標を書くことに集中している学生たちを見ているうちに、彼らがうらやましくなりました。学生たちには今年と違う1年が待っています。大きく進歩する可能性を秘めた1年がもうすぐ始まります。私にも今年と違う来年が待っているかもしれませんが、学生たちに比べたら変化に乏しいものになるでしょう。自分の人生の新局面を切り開くような、胸が躍るような1年を迎えることってあるのかなあって考えると、否定的な答えになってしまいます。

こういうのが、若さの特権なのですが、当の若者は往々にして気付いていないようで、もどかしい限りです。

火消し

12月8日(金)

日本は世界有数の地震国です。しかし、KCPの学生の多くは、地震が少ない国や地域から来ています。「地震が起きたら机の下に入れ」という知識は持っているでしょうが、知識だけでは、実際に地震が発生したとき、ただおろおろするしかできなかったということにもなりかねません。そこで、地震発生という想定で訓練を行いました。

KCPの建物は3.11以降の最新の建築基準で造られていますから、地震でどうにかなることはないでしょう。しかし、学生が住んでいる建物はどうだかわかりません。また、地震には耐えられても、火事が発生したら話は全く別です。煙を吸わないようにハンカチで口を覆いながら外に逃げる訓練もしました。

今回は、それに加えて消火器を使った消火訓練もしました。消防署の方の説明を聞いてから、クラスの代表の学生が消火器で火を消しました。火災を発見したら、大きな声で「火事だ」と叫び、周りの人に知らせるようにという指導を受けた学生たちは、思ったより大きな声でちゃんと「火事だ」と叫んでから、消火器を手にして火元へ前進。近づき過ぎないようにという指示も守り、数メートル離れた所から教わったとおりに消火器を操作して、見事に火を消していました。

教室から非常階段を使って校庭まで避難するときはにやけている学生もいましたが、消防の方の巧みな話術もあり、校庭ではみんな訓練に集中していました。実際に火を消した学生も、それを見ていた学生も、消火器の扱い方は印象に残ったことでしょう。もちろん、机の下に身を隠したり、消火器を使ったりする機会など訪れないに越したことはありません。でも、備えあれば憂いなしです。有意義な留学生活を送るには、自分自身で自分自身を守る術も身に付けておくべきです。

ちょうど32

12月6日(水)

この前の日曜日にうちの近くのスーパーでみかんを買ってPASMOで支払い、翌月曜日朝に駅の改札を通ると、オ-トチャージされて残高がちょうど4832円になりました。こりゃあ週のはじめから縁起のいいことだと思い、何だか足取りも軽くなりました。その後、PASMOでは支払いをしていませんから、残高は今も4832円のままで、改札口を通るたびに表示される4832円を見てはニンマリしています。

午後、受験講座の準備をしていると、K先生から「先生、ちょうど32歳って言いますか」と質問されました。友人のお子さんの結婚式で、新郎の父親が挨拶でこう言ったそうです。「え、ちょうど32歳?」「ええ。ちょうど30歳じゃなくて、新郎が32歳ならわかるんですが31歳だし、どうしてかっていうと、32は2の5乗だからって言うんですよ。そういうの、ちょうどなんですか」「あーあ、気持ちはわかりますね。整数の5乗っていうと、3の5乗すら243で、日常生活には縁遠い数になっちゃうんですよ。でも32はわれわれの手が届く範囲の5乗の数なんで、ちょっと特別なんです。だから、ちょうどって言いたくなる心理は理解できますよ」

その方は、大学院で数学を勉強していたそうです。私も理系人間の端くれとして、「ちょうど32」という高揚感は共感できます。その方も、“3:14”なんていうデジタルの時刻を見ると、ちょっとうれしくなるんじゃないかな。また、1999年11月19日には思うところがあったに違いありません。なんたって、西暦の年月日を構成する数字が全て奇数というのは、この日の次が3111年1月1日と、千年以上も未来なのですから。

こういうことを踏まえて、私はなぜ「ちょうど4832円」と思ったのでしょう。そう、“4×8=32(しはさんじゅうに)”です。小川洋子の「博士の愛した数式」を読むと、この辺の機微がもっともっとよくわかると思います。ついでに言うと、私の誕生日は「2の3乗月3の3乗日」です。プレゼントをお待ちしております。

面の皮

11月27日(月)

私は、面の皮があまり厚くないので、普通の2枚刃のかみそりなどでひげをそると、わりとたやすくかみそり負けしてしまいます。そこで、電気シェーバーを使っています。ところが、最近、何年前に買ったかわからないくらい長期間愛用してきたシェーバーが、スイッチがなかなか入らなくなりました。1回でうなり出すのは稀で、数回から十数回スイッチを押さないと反応しなくなりました。もう寿命だとしても全くおかしくないので、新しいのを買うことにしました。

というわけで、先日、家電量販店でシェーバーを見ていると、「いらしゃいませ」(「っ」が落ちている)「何〇お探しですか」(“〇”は「か」と「が」の中間の発音)と声を掛けられました。こういう場面で、発せられた日本語で値踏みしてしまうのは、職業柄悪いクセだと百も二百も承知しつつ、中国人の店員だと思って振り向くと、それっぽい名前の名札を下げていました。

「こちらはおすすめの機種ですよ」とさらに声をかけてきましたから、「恐れ入りますが、しばらく一人で見させていただけませんか」と言うと、その店員はちょっと怪訝そうな顔をして、去っていきました。こんなばかっ丁寧な言葉遣いをされるのは初めてだったのかもしれません。乱暴な言葉を投げかける日本人ばかり相手にしてきたとすれば、日本人を代表して謝りたいです。

その後もあれこれ見比べて、買うと決めた品物をレジへ持って行くと、レジにはロシア人っぽい名前の店員さんが立っていました。家電量販店へ行くのも久しぶりでしたが、ずいぶんと外国人が働いているものだと感心させられました。KCPの学生たちも、時には私のような悪いお客にいじられながら、精一杯働いているのでしょう。また、進学し、そこを卒業したら、日本社会の構成員として、日本で生活していこうと考えている学生も少なくありません。その時には、少しは面の皮を厚くして、よい意味でふてぶてしく生き抜いてほしいものです。

激務に耐えかね

11月16日(木)

Rさんは国で外科医をしていました。医者をやめて学生に戻るなど、日本では考えにくい進路です。日本で健康管理の勉強をして、そういう方面の仕事に鞍替えするつもりです。日本で働きたいですが、たとえ国へ帰ることになっても医者には戻らないと言っています。

国では、Rさんは毎日朝6時から夜11時まで手術の連続で、5人の患者さんに3時間ほどの手術を施してきました。昼ごはんは、患者に麻酔が回るまでのわずかな時間を利用して軽食をかき込むだけ、夕食はほとんど取れません。糖分不足で倒れてしまったこともあったそうです。もちろん、休日に急患の手術をすることもありました。こんなにハードな仕事なのに、給料は安く、患者やその家族からは尊敬されず、患者が亡くなってしまおうものなら遺族がナイフで刺しに来るなど、身の危険を感じることもしばしばでした。

Rさんは、日本は街の中に小さい病院があって、そこにも患者さんがいると驚いていました。Rさんの国にも街の小さな医院がありますが、多くの人は風邪をひいただけでも大学病院クラスの大病院へ行くそうです。新幹線で100キロ先の大病院まで遠征するのもざらです。そんなことをしたら、かえって悪くなるような気がしますが…。そして、Rさんが勤めていたのはその大病院ですから、並の忙しさではなかったわけです。

日本では、かつてほどではないにせよ、医者の地位は高いです。Rさんの病院のようなブラックな病院はありません。しかし、高齢化により病人は増え、少子化により医者のなり手は減るとなったら、医者の負担は増えていくでしょう。割の合わない仕事だと思われてしまえば、さらになり手が減るという悪循環にも陥りかねません。

東急田園都市線が最近よくトラブルに見舞われているのは、電設会社に社員が集まらず、技術が低下した結果だとも言われています。Rさんの話声とともに、少子化のクリティカルポイントでがけが崩れ落ちる音が聞こえてきました。空耳だといいのですが…。

年末調整を済ませる

11月14日(火)

年末調整の書類が来ています。私の場合、生命保険の掛け金でいくらか戻ってきますから、毎年該当欄を埋めて提出しています。

この書類に、去年から個人番号を書くようになりました。個人番号をもらってからもう3年ぐらいになるでしょうか。でも、私が使うのは年に1回、この年末調整のときだけです。何回も使うんだったら暗記しちゃうんですが、年に1回ですから、そこまでの意欲も湧きませんし、年寄りの頭脳の貴重なメモリーをめったに使わないものには使いたくはありませんから、去年も今年も、個人番号の通知書を探す羽目に陥りました。

今年は幸いおとといの日曜日に時間がありましたから、家の机の引き出しをひっくり返して件の通知書を発見しました。そして、来年は探す時間が省けるように、他人にはわかりにくいけど私にはすぐわかる場所にしまいました。でも、去年も同じように考えて、通知書をわかりやすいと考えた場所にしまった記憶があるのですが、今年も発見までに20分ほどかかってしまいました。その20分で不要な書類の整理もできましたから、全く無駄な時間だったとは言えませんが、でもこの手のものはすっと見つけたいものです。

探し物で一番困るのは、確かにここに入れた(置いた)はずなのに、そこから見つからないという場合です。机の上や引き出しの中のファイルなら目をぐっと見開いて探せば見つけられるでしょうが、コンピューターの中のファイルやドキュメントとなると、検索で引っかかってこなかったら、モニターに映し出される細かい字を追いかけながら可能性のありそうなものを片っ端から開いて中身を確認するほかありません。老眼には辛いものがあります。発見した頃には業務継続の意欲は失われています。

個人番号はいずれ大いに活用されるようになるそうですから、その暁にはしっかりおぼえることにしましょう。コンピューター内のファイルは……どうしましょうね。

手が震えていませんか

11月10日(金)

来週の中間テストに備えて文法の復習問題をしていると、下を向いて盛んに右手の指をリズミカルに動かしているLさんが目に入りました。私がじっと見つめているのも気付かず、スマホの画面に熱中しています。無言でじっと待つこと1分ほど、隣の学生につつかれてようやく顔を上げ、決まり悪そうにスマホをノートの下に隠しました。そんなところに隠したって、もうバレバレじゃないですか。なんと無意味なことをと思いながら、「Lさん、スマホはかばんの中にしまってください」と注意して、次の問題を指名して答えさせました。もちろん、答えられるわけがありません。

Lさんは机の上にスマホを出してゲームにいそしんでいましたが、机の物入れの際にスマホを載せて何かしている学生は、どのクラスにも何名かはいます。本人たちは先生に気付かれていないと信じているのでしょうが、教壇に立っていると、意識がスマホに向いている学生は一見してわかります。そういう学生を指名すると、中には「今一番面白いところなのに」とばかりに、不満そうにこちらを見やる学生もいます。友達に教えてもらってでも答えると、またもとの姿勢に戻ろうとします。そこでもう一度指名すると、さらに不満そうに「どうして私ばかり指すんですか」と口を尖らせる学生もいます。

そんなこんなでばりばり注意しても、こちらのわずかな隙を突いてスマホをいじろうとする学生が必ずいます。今週の選択授業・小論文でも、Eさんは私がよそ見をしている間にスマホから“いい例文”を見つけてきたようです。前後はEさんの話し方そのものの文章の中に、妙にこなれた文章が挟まっているのです。

LさんもEさんもスマホ依存症なんだと思います。アルコール依存症患者が周りに隠れてお酒を飲もうとするのと何ら変わりがありません。たかだか90分でもスマホなしでは過ごせないに違いありません。私の常識ではそれではまともな人生が送れないとなってしまいますが、今の世の中ないしはこれからの世の中では、スマホを握りしめ続けるほうが常識なのでしょうか。

風邪にも負けず

11月7日(火)

Zさんは最近出席率が安値安定の状態です。先々学期、先学期の担任の先生に指導されてきたにもかかわらず、先月も相変わらずの出席率でした。指導されるたびに「これからは休まずに出席します」などと言ってきました。9月は、ついに「来月3回休んだら国へ帰ります」と宣言しました。しかし、10月の欠席は3回でとどまりませんでした。どうせ帰らせられることはないだろうとなめてかかっていることは明らかですから、今回は思いっきり強く出ることにしました。

退学届けの用紙を突きつけられたZさんは、さすがに顔色を変えました。確かに欠席したけれども、それは病欠だからやむをえないというのがZさんの論法です。しかし、そもそも病気にならないことにどれだけ気を使ってきたか不明ですから、この話は受け入れられません。11月だって、既に1日休んでいます。マスクをして、のどが痛いと言っていますが、そんなに体調を崩しやすいのなら、外国での生活が長続きするわけがありません。日本の風土が合わないのでしょうから、即刻帰国して、自分の体にあった故国でゆっくり養生すべきです。

まあ、要するに、大した理由もなく怠けているのです。大学院入試のための準備がどうたらこうたらと言い訳に努めていました。でもそれは言い訳に過ぎず、また、たとえそれが真実であったとしても、Zさんの出席率では進学してからビザがもらえるか覚束ないということもまた事実です。Zさんは、もはや、風邪を引くことすら許されません。

退学届けは、Zさんに持たせました。今月も出席率が改善しなかったら、それを書いて持って来いと言ってやりました。さて、どうなることでしょうか。

夢を砕く

11月2日(木)

身近な科学の1つの楽しみは、地震の講義をすることです。学生たちは、日本は地震が多いと言います。でも、その地震がどんなにとんでもない自然災害なのかは、あまりよくわかっていません。そこを集中的につっついて、自身の本当の怖さと、日本にすむ限りその地震からは逃れられないということを力説し、学生たちの日本留学の夢を木っ端微塵に打ち砕くのです。

今学期もその日がやってきました。日本付近は、4つのプレートが交錯し、そのため全世界の10%もの地震が発生します。日本列島は活断層だらけで、断層のずれによる地震はどこでも発生し得ます。東日本大震災の例からもわかるとおり、プレート境界型地震では大津波が発生することがあり、それに襲われたら人間はなす術もありません。また、日本は古来大地震が頻発し、そのたびに甚大なる被害が出ています。そういったことを延々と説き続けました。ことに、地震発生地点を赤い点でプロットした世界地図では、日本は真っ赤になるのに対して、学生たちの母国は真っ白けで、「何でこんな危ない国に留学に来ちゃったの?」と問いかけると、学生たちは笑うほかありません。

でも、これは本当にそうで、日本で暮らすとは地震と共存するということを意味します。揺れたか揺れないかわからないくらいの地震でびくびくしたり大騒ぎしたりしてはいけません。身近な科学では地震のメカニズムなどで精一杯でしたが、地震を想定してふだんからどんな心構えを持つべきか、地震が起きた後いかに行動すべきか、そういうことを日々考えておく必要があります。そうすれば、地震などおそるるに足りないとは言いませんが、地震後を生き抜き、何があっても肝の据わった人間に成長できるんじゃないでしょうか。

授業後のミニテストを見る限り、学生たちは私の話をまじめに聞き、地震についての基礎知識は根付いたようです。