Category Archives: 教師

鳥になる

3月2日(木)

Gさんが、もう1年KCPで勉強を続けることにしました。Gさんは去年の秋、早々とM大学に合格しました。しかし、国立大学受験準備にかまけていて、入学手続きを忘れ、入学資格を失ってしまったのです。

普通の大学は合格発表から入学手続きの締め切りまで2週間ほどですが、M大学は3か月もあり、また国立の試験対策に熱中していたこともあり、手続きを忘れてしまったのです。私もGさんと一緒に国立準備にばかり目が行ってしまったのがいけませんでした。担任教師なら、大所高所から学生を見守って、サポートしなければなりませんでした。学生と同じ視点、同じ視野しか持たなかったら、教師である意義がありません。

そうは言っても、カメラを引いて全体像を捕らえるアングルを確保するのは、文字で記すほど易しくはありません。学生と同じ地平から物事を考えることも必要で、同時に鳥瞰もしなければならないのですから。そのバランスが崩れると、今回のようなことになってしまいます。M大学の手続きをし忘れたのは、もちろん第一にはGさん自身の責任ですが、「M大学の手続きは終わってるよね」と、どこかで注意を向けさせてあげられなかったものかと思わずにはいられません。

明日、Gさんは見送られる立場ではなく、見送る側の一員として卒業式を迎えます。せっかく書いた卒業文集も、クラスの仲間と一緒にとった卒業制作の動画も、Gさんの手元へは来ません。強がりかもしれませんが、私の前では前向きな表情をしていることだけが救いです。

ランが咲く

3月1日(水)

今朝、学校に着くと、茜色の朝焼けが見えました。御苑の駅からKCPに向かってくると、最終コースは東西に走る道を東に進むことになります。私が学校に着く6時少し前は、先週ぐらいは真っ暗だったのに、それが朝焼けということは、朝が早まってきたということです。まだ空気は冷たいものの、もう3月、春が着実に近づいてきていることを感じました。

ロビーに雛人形が飾られました。七段飾りの結構立派なものです。休み時間や授業後には人だかりができました。3日は卒業式で授業がありませんから、初級クラスは明日ひな祭りをします。人形を見て「きれいだね」だけで終わりにしませんから、教師もしっかり勉強しておかなければなりません。

私のクラスのように卒業生の多いクラスは、講堂のステージを使って卒業証書のもらい方のリハーサルをしました。日本流の証書のもらい方は、学生たちは経験がなく、少し戸惑いながらも、卒業式に及んで汚点を残すわけにはいかないと、和やかな雰囲気の中にも真剣に手の出し方やお辞儀のしかたなどを確認していました。

春目前ですが、これから受験という学生もいます。職員室では面接練習をする教師と学生のペアがいくつも見られます。私も受験講座の直前にSさんから質問の答え方の相談を受けました。

その職員室に、ランの花が咲いています。頂き物のランを鉢に挿したのが育ったのです。去年もこの時季に咲きました。ランってなかなか花が咲かないものだそうなのに、KCPの職員室はよっぽど住み心地がいいのでしょう。それとも、何か不可思議なオーラが漂っているのでしょうか。

プレミアムフライデー

2月24日(金)

今月から最終金曜日がプレミアムフライデーと称して、早めに退社しましょうと国が旗振りをしています。中央省庁も3時に退勤することを勧めたとか。大手企業の中には半ドンにしたところもあるようです。

KCPは4:45まで授業がありますから、3時に退勤というわけにはいきません。午前授業の教師は…と言いたいところですが、今は受験シーズン最末期ですから、学生がいつ相談などに訪れるかわかりません。学生が図書室に残っている限りはスタンバイしておくに越したことはありません。また、出席率の悪い学生がひょっこり表れたら即座に指導しなければなりません。つまり、待ったなしで対応する必要がある事柄がうようよしていますから、そう簡単にプレミアムフライデーとしゃれ込むわけにはいかないのです。

金曜日は受験講座がありませんから、バス旅行の準備などで遅れていた仕事に手をつけました。そのすべてが卒業式前には片付けねばならない仕事でしたから、そういう意味でも、やっぱりプレミアムフライデーには程遠い1日でした。

でも、来月のプレミアムフラーデーは31日で学期休み中ですし、それに新学期の準備もたけなわになる前ですから、もしかすると早帰りも可能かもしれません。要するに、「今」が必要な仕事には「今」対応するほかないためプレミアムフライデーどころではなく、そういう仕事がない(少ない)時期ならプレミアムフライデーに乗ることもありうるというわけです。

国はプレミアムフライデーを通して個々に働き方を考え直してもらいたいようです。私たちも、学生に振り回されるだけではない時間の使い方を模索していきたいです。

代講

1月25日(水)

代講で初級クラスに入りました。初級で教えるときは、いつも上級の学生になってもなかなか定着しない初級の学習事項に力を入れます。というか、力が入ってしまいます。

今日のクラスでは、発音練習で長音がきちんと長音になっていなかったので、そこでまず爆発。学生は、とかく速く話せば上手だと思いがちですが、そんなことより丁寧に発音することが通じる日本語に近づく一歩です。話し言葉には「~してる」みたいな音の脱落や、「~しちゃう」みたいな2つ以上の音がくっついた形もありますが、それにもしかるべき規則があります。やたらとリエゾンさせてはいけません。

文法の時間は「~てくれます」「~あげます」でした。昨日の先生から「~てくれます」の復習をしてほしいと引継ぎを受けていましたから、それをいいことに、ここでもちょっと熱くなってしまいました。おかげで進度の遅れを少々増幅させてしまいました。「~てあげます」も、コンピューターの中に格好の教材がありましたから、それを使って練習していたら、結構時間を食ってしまいました。

上級の学生は必ずしもKCPの初級を通ってきているわけではありませんが、国の学校などで同じことを勉強してきているはずです。それでも「~てくれます」や「~てあげます」が正確に使えないということは、どこの日本語学習機関にせよ、そういった文法項目がきちんと教え切れていないということです。語学には間違えながら覚えていく側面がありますが、学習者がいつまでも同じ間違いを繰り返すということは、教え方か学び方に欠陥があるからにほかなりません。学び方は各学習者独自のスタイルもあるでしょうが、それをよりよいものに改良していく際には教師の力が欠かせません。

私が心ゆくまで文法の復習や導入や練習や発音指導などをしていたら、進度が今の半分になってしまうかもしれません。完璧主義はいけませんが、上級の学生から「願書を見せてもいいですか」などと願書チェックを依頼されると、初級のうちにそういう芽をつぶしておきたくなるのです。

請うた

1月23日(月)

超級の漢字の時間に「許しを請う」という文が出てきました。超級の学生たちはこれくらいの漢字はどうにかなりますから、ちょっと意地悪してみたくなり、「昨日許しを…」だったらどうなるかと聞いてみました。まず、当然のごとく、た形を作る規則どおりに「請った」という答えが出てきました。でも、学生たちは規則どおりだったら私がわざわざ聞くわけがないと訓練されていますから、半信半疑の顔つきです。スマホで調べた学生もいたみたいですが、正解にはたどり着けませんでした。

「請うた」と正解をホワイトボードに書くと、大学院の日本語教育専攻を目指す学生たちも含めて、「えーっ」という表情になりました。「大阪弁みたい」という感想もありました。「買うた」は学生たちも耳にするチャンスがありますからね。「請うた」を使った例文1つと、「問う―問うた」も同じパターンだと紹介すると、みんなノートにしっかり書き込んでいました。

KCPの超級の教材は、難関大学と言われている大学の留学生向け日本語教材よりもずっと難しいと、実際に進学した学生に言われたことがあります。そのぐらいの教材を平気な顔してこなしてしまうやつらに驚きと新鮮さを与えるとなると、こちらも相当な覚悟を持って臨まなければなりません。毎日「請うた」みたいなネタがあればいいですが、そうとも限りません。日々新しいことの連続のレベル1も大変ですが、超級も苦労が絶えません。

学校へ行ったけど何も学ぶことがなかった――では、授業料がいただける授業をしているとは言いかねます。かといって、小難しい理屈を教科書に盛り込めばいいというものでもありません。そんなバランスを取りながら、毎日授業しています。

報告

1月20日(金)

「先生、聞いてくださいよ。Lさんったら、M大学に受かってたんですよ」「え、本当ですか」「ええ、私が聞かなかったら、ずっと黙ってたかもしれませんよ、あの調子じゃ」と、授業から戻ってきたR先生は怒りをぶちまけていました。

確かに、学則上も、もちろん法律的にも、学生には学校や担当教師に大学合格の報告をする義務はありません。しかし、Lさんは受験前にさんざんR先生から指導を受けていましたから、R先生に受験の結果を報告するのが1人の大人として取るべき態度です。古い言葉でいえば、仁義です。

ところが、これができない学生がけっこういるんですねえ。調べてみると、M大学の合格発表は先週の金曜日でした。R先生は、その日も含めて、Lさんのクラスに3回入っています。それなのに自分から合格を伝えなかったのは、いったいどういうつもりなのでしょう。学生が教師や学校を踏み台にして、より大きく高く伸びていくことに異存はありません。でも、踏み台にも五分の魂と言いましょうか、不義理をはたらかれちゃあ、いい気持ちはしません。

落ちてもきちんと報告に来る学生がいますから、学生たちの国にはこういう文化がないわけではなく、個人の資質なのだと思います。そして、それを形成するのは、学校や家庭で受けてきた教育です。ここまで考えると、KCPにおけるしつけがいい加減だと、卒業生が進学先で低い評価を受けかねないことが見えてきます。他山の石などと言ってしまったら親御さんたちに申し訳ありませんが、戒めとしなければなりません。

理科の先生

1月18日(水)

金原先生は日本語も教えますか――受験講座・物理の授業終了直後、Sさんに聞かれました。受験講座でも教えていることを驚かれたことはありますが、日本語教師だとして驚かれたのは初めてです。Sさんは先学期から物理と化学の受験講座に出ていますが、私はSさんの日本語のクラスは担当していません。それゆえ、Sさんの目には、私は日本語教師として映らなかったのでしょう。

受験講座が始まってから10年以上、その前身の特別講座・数学を起点とすると15年以上にわたって受験科目に携わってきました。でも、あくまでも日本語教師が主で、理科や数学の教師は従という位置づけでした。また、校長として学校行事などでわりと目立つ仕事をしていましたから、私を理科の教師として認識している学生がいるとは思いませんでした。

日本語に関しては、初級から超級までどこでも教えます。初級のクラスで、「私はレベル1、2、3、4、5、6、7、その上のMSレベルの先生です」と言うと、ぽかんと口を開けて雲の上の学生を教える先生はどれだけすごいのだろうと、尊敬のまなざしで見つめられてしまいます。超級クラスで今学期は初級も教えると言うと、私が初級を教える姿なんて想像もつかないとか、初級を教えるときはとどんなことをするんですかとか、不思議そうな顔をされます。

日本語学校に勤めていますから、広い枠組みでは日本語教師ですが、私は幅広くやらせてもらっています。初級と超級では、授業の進め方も授業に対する心構えも学生への接し方も、みんな違います。また、日本語を教えるのと理科を教えるのとでは、使う脳ミソが違います。おかげで、波乱万丈の教師生活を送らせてもらっています。

いいよ×2

12月16日(金)

上級ともなると、授業中にコーラスすることがあまりありません。コーラスさせようとしても学生がなかなか乗ってきません。単語やら漢字やら文法やらを1つでも多く覚え、長い文章を少しでも速く読んでその内容を理解し、自分の考えをかっこよく書き表すことこそが、自分たちの喫緊の課題だと思っている節が見られます。

そんな上級クラスですが、コーラスさせちゃいました。「お昼、牛丼にしない?」「いいよ」「じゃ、今日はぼくがおごるよ」「いいよ、悪いよ」っていうスキットの、2つの「いいよ」のイントネーションをはっきり使い分けるという課題を出したら、コーラスになっちゃったんですねえ。自然なイントネーションは、学生たちにとって永遠の課題ですから、ネイティブたる教師の口真似を進んでしようとするのです。

ちょこっと練習したところできれいなイントネーションがすぐに身につくわけがありませんが、やらないよりはやったほうがましと考えているのでしょう。もちろん、ふだんから自然なイントネーションで話す学生もいますが、多くはイントネーションまで考えが及ばずに、頭の中に浮かんだ文を口から吐き出しているのです。このままではいつまでたっても“変なガイジン”の域を脱することはかないません。

教師側も、読解やら文法やらにかまけて、自然な話し方の練習には手が回りかねています。上級は、初級や中級の貯金で話している面が見られないでもありません。KCPの初級を経験していない、上級からの入学生が、入試の面接練習の段になって、イントネーションやアクセントの指導を受けていることもあります。

次の学期は卒業の学期です。こんなことを上級の学生への手土産にしてあげたいです。

吸収する

10月13日(木)

新学期は、新しい学生も来ますが、新しい先生方のデビューの時期でもあります。新人の先生は、自分のクラスの担任か、そのレベルの責任者である専任教師に事前に教案を提出し、チェックを受けます。そして指導を受けてから、授業に臨みます。

教えた経験がない先生の場合は、90分間20人の学生の前に立ち続けるということがイメージしづらいものです。学生から受けるプレッシャーも、自分の一挙手一投足が学生に与える影響も、計算できません。その強さ・大きさに驚き戸惑うことも多いです。

授業は演劇ではありませんから、教案は台本ではありません。常に予想外の反応があります。注文どおりの答えが返ってくるとは限りません。時には態度の悪い学生を叱る必要にも迫られます。「ここで学生を叱る」なんて教案に書き込んであるはずがありません。でも、最終目的地は決まっています。紆余曲折があっても、何とかその近くにまでたどり着かなければなりません。

しかも、ただたどり着けばいいというものではありません。学生に授業内容を理解させる、進歩したという実感を与えることが先決です。ことに、学生との関係が確立していない学期初めは、その理解の度合いを推し量るのも、結構難しいものです。そうすると、自分はゴールに到達したのか、まだその手前なのか、自分自身にもわかりかねることだってあります。

私もあっちこっちに引っ張りまわされて、新しい先生方の様子をじっくり観察できていませんから、どんな調子なのかわかりません。でも、レベル1の新入生と同じくらい、毎回の授業から何でも吸収して、3か月後には実力も度胸もつけていることと思います。

うん

10月7日(金)

Lさんは今学期の新入生です。プレースメントテストだけではレベルを決めることができず、本人にインタビューしました。

「国でどのくらい日本語を勉強してきたんですか」「半年ぐらい」「大学進学希望ですよね」「うん」「大学ではどんな勉強がしたいんですか」「アニメ。アニメ描きたい」という調子で、どっちが先生かわからない話しっぷりでした。Lさんの表情を見る限り、悪気があるとは思えませんでした。日本語学校にも通ったとのことでしたが、話す練習はろくにさせてもらえなかったんでしょうね。発音もひどかったですし…。

半年の勉強でJ.TESTのE級に受かったのですから、語学のセンスはあるはずです。でも、TPOに合わせた話し方は全くできません。もしかすると、教えてもらわなかったのかもしれません。テストで点数を取る勉強はしてきても、コミュニケーションを取る勉強はしてこなかったようです。

Lさんへのインタビューの前に、ここ1年ばかりの新入生のプレースメントテストのデータを見ていました。Lさんの半分どころか、そのまた半分にも遠く及ばない点数だった学生が、今では実にきれいな日本語を話すようになっている例が少なからずありました。Lさんが国で勉強し始めた半年前に入学していたら、J.TESTのE級はどうだかわかりませんが、話すことにかけては今の100倍も上手にさせることができたと思います。

KCPは進学に力を入れていますが、テストで点を取ることだけを目標にしているわけではありません。それ以上に、学生にはきれいな発音できちんとした話し方ができるようになってもらいたいと思って、教師は日々頭と体を使っています。

3か月後、半年後、1年後、そして卒業する時、Lさんはどんなふうに成長しているでしょうか。