Category Archives: 自分自身

呼びかけられる

3月4日(水)

学校の外を歩いていたら、「校長先生」と呼びかけられました。学生は学校へ来ていないはずだけど、手続きか何かあったのかなと思って振り返ると、ゴーグルにマスクで顔を覆った白髪の方が立っていました。ゴーグルの中の目は明らかに私を見ていますが、はて、この方はいったい誰でしょう?

と考え込んでいたら、「先生、今、お昼ですか」とさらに聞かれました。その声を聞いて、「あ、Hさんだ」とわかりました。Hさんは先週まで毎朝職員室のお掃除をしてくださっていました。お掃除のときはゴーグルもマスクも付けていませんでしたから、一瞬誰だかわかりませんでした。朝は人が少ないから目も鼻も口も出していても平気だけど、人が多い時間帯に街なかを歩くときは用心しているとのことでした。

オンライン授業になってからは、職員室に出入りする人数がぐっと減りましたから、朝のお掃除はお休みになっています。おしゃべり好きのHさんとの世間話の時間がなくなってしまいました。Hさんは世間話の話題を見つけるのがとても上手で、定番のお天気から町内会の様子、花園小学校や新宿御苑など付近の公的機関の動き、安倍さんの話やご自身の身の回りのことなど、ありとあらゆることを取り上げます。地元出身の区議会議員さんも〇〇君ですからね。子供の頃を知っていたらそう呼びたくなりますよね。

このネットワークの広さ緻密さや話の面白さは、私なんか見習いたくても到底無理でしょう。誰に対しても気さくに話しかけられるからこそHさんに情報が集まり、その情報を有効活用することで中心人物になり得るのです。私は、せめてそういう方と知り合いになることで、自分にとって有意義な情報を得ていくことにしましょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

初授業

3月2日(月)

朝から何となく落ち着きませんでした。オンライン授業というものを初めて担当することになったからです。若い先生方は、すでにそういう訓練をしてきたようで、金曜日から結構余裕でこなしているようでした。でも、こちらは頭で理解していただけで、実際に自分がその主役となって送信した経験はありませんでしたから、朝からトラブル続きでした。昨今のような事態を想定していなかったのは、危機管理がなっていなかった証拠だと言われれば、返す言葉もありません。

やってみて感じたことは、私は目の前の学生に頼って授業をしてきたのだなということです。たとえ反応の薄い学生たちであっても、目の前にいればいじることができますが、オンラインとなると独り相撲を取っているような気がしてなりません。学生たちがわかっているのかいないのか、どの程度興味を持っているのか、そんなことがつかみづらいなあと思いながら授業を進めました。

それと、脱線がしにくいですね。初級では、脱線してあらぬ方向に授業が進んでしまったら、学生たちのためになりません。しかし、上級では、学生の興味に合わせて予想外の展開になったとしても、それもまた勉強になるものです。というか、私なんかは、むしろ、それを楽しみにすらしていました。それができないとなると、授業が上滑りしているようで、不安さえ感じました。

でも、語学学校は生で顔を合わせて質問に答えたり一緒に声を出したりしなきゃね。キーボードを介して教師とやり取りしても、効果のほどは知れたもののような気がするのですが…。そう考えるのは、私の頭が古いからなのでしょう。次の授業日に向けて、教材を準備しなければ。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

歯が痛くなりそう

2月10日(月)

昨日は歯医者に行ってきました。いろいろな事情で、日曜日に診てもらえるというのもその1つですが、学校の近くでもうちの近くでもなく、うちから電車で通っています。その歯医者、腕もいいし虫歯予防にも力を入れてくれますから気に入っているのですが、事務員や歯科衛生士の言葉遣いがよくありません。言葉が乱暴だというのではありません。そこの先生(歯科医師)に尊敬語を使うのです。日本語教師としては、日本語教師養成講座の講師としては、見逃すわけにはいかない敬語の使い方の間違いです。

昨日は、歯科衛生士による歯周病検査の次に、歯科医師による治療が予定されていました。歯周病検査が終わると、歯科衛生士が「先生がいらっしゃるお部屋にご案内いたします」ときました。「はい」と笑みを浮かべながら歯科衛生士の後をついていきましたが、「“先生がいらっしゃる”だと? ふざけるんじゃねえ!」と思っていました。

いつもこんな調子です。予約を取るときにも、「先生のご都合をご確認します」です。言っている本人に悪気はないでしょうし、言わんとしていることも伝わりますから、表面的にはスルーしています。でも、私の語感では許しがたい使い方ですね。患者である私が、「先生のいらっしゃるお部屋はどちらですか」「先生のご都合を確認していただけませんか」などと聞くのは問題ありませんが、歯医者の事務員や歯科衛生士が、自分サイドの人間である歯科医師に対して「先生」とか「いらっしゃる」とか「ご都合」とかと言ってはいけません。

今学期は敬語を教えるレベルのクラスは担当していませんが、日本語教師養成講座で敬語を扱いました。学校で敬語について触れるたびに、歯医者を思い出します。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

28日を有効に

1月6日(月)

今回のお正月休みは、12月28日から始まりました。この“28日”というのが大きいのです。多くの博物館は29日から年末年始休館に入るからです。28日にどこを見学するか3つほどアイデアがあったのですが、私が選んだのは根尾谷地震断層観察館でした。

根尾谷断層は、1891年(明治24年)の濃尾地震の際にできました。というか、この断層が生じたエネルギーによってマグニチュード8.0の濃尾地震が引き起こされたというべきでしょう。すでに130年近くたっていますから、断層でできたがけには草が生い茂り、一部は崩されて県道が走っています。しかし、観察館に保存されている地下の地層は、6mの断層の存在を明確に示しています。さすが、「根尾谷断層を研究しない地震学者はもぐりだ」と言われるだけのことはあります。断層トレンチの前にしばらく立ち尽くしました。

…という書き方では、この感激は伝わらないでしょうね。日本語教師の方々なら、そうですねえ、て形が一発で完璧に入ってしまった学習者を教えた時のようなものだと言えば、多少はわかっていただけるでしょうか。“28日”を有効に使うことができたと思いました。

翌日は岐阜城へ。岐阜はよく通るんだけどもじっくり見たことのない町でした。今回は年中無休で営業している岐阜城を目指しました。岐阜城は金華山の頂上にあるので初日の出スポットなのです。

普通は麓からロープウェイで3分ほどですが、2019年最後の大汗をかこうということで、歩いて登りました。私が選んだ登山道は健脚者向けだけあって、険しい道が続き、岩場のようなところまでありました。駅から金華山麓までは厳寒装備でしたが、頂上に着いたときは半袖短パンになりたいくらいでした。

岐阜城の復元天守閣最上層からは、抜けるような青空の下、絶景が拝めました。屏風を立てたような伊吹山、神様がつまんで持ち上げたら本州ごと持ち上がってしまうんじゃないかというような木曽の御嶽山をはじめ、乗鞍岳、恵那山、北アルプス、中央アルプスの山々が見渡せました。もちろん、名古屋の高層ビル群なんか楽勝です。「今年1年のご褒美かな」と思いました。

さて、2020年も年末にこんな感激が味わえるように、仕事に精を出しましょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

早いもので

12月25日(水)

来週の水曜日は、もう来年です。早いなあと思います。早いなあと思うということは忙しかったということで、忙しかったということが充実していたとつながればいいのですが、そうならないところが今年の大きな反省点です。毎年同じですから、「今年の」というのはうそかもしれません。

相変わらず、授業をたくさんしました。通常授業では、レベル1は代講で1回かそこら入った程度ですが、レベル2と3はクラスにどっぷり入りました。レベル4、5、6は代講も含めて入った記憶がありませんが、7以上は先学期から今学期にかけてげっぷが出るほどやらせてもらいました。

受験講座・理科も、毎学期フル回転でした。でも、そのおかげで、新しい教材作りが思ったほど進まず、来年に積み残しとなってしまいました。こちらは通常クラスよりもずっと小規模で、学生をじっくり見ることを心がけました。心が通じ合った学生がいた一方で、表面的な付き合いで終わってしまった学生もいました。

養成講座はもともと少人数制をうたっていましたから、一人一人の受講生に合わせて理解度を深める工夫をしてきたつもりです。「つもり」が空回りしていたかもしれませんが。

授業の多さを言い訳に使っては負けですが、それ以外の面での学校に対する貢献があまりできなかったと反省しています。あれこれ手を出して食い散らかすばかりでは意味がありませんが、もう少し形を残したかったなあと思っています。

個人的には、今年は風邪を何回も引いたことに体力の衰えを感じました。食事も仕事時間も休みの過ごし方も、去年までと同じように生活してきたはずですが、風邪をひいたということは抵抗力が落ちたのでしょう。そういう意味で、寂しく感じた1年でした。

まあ、でも、無事に年末を迎えることができたのですから、いい1年だったのでしょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

力作

12月17日(火)

今週は木曜日と金曜日が出張のため、金曜日の期末テストの問題を明日中に印刷しておかなければなりません。そのため、先週の土曜日と昨日、必死になって問題を作りました。その問題を、授業後、自分自身で解いてみました。解きにくい問題がちょろちょろありましたねえ。作った本人がよくわからないのですから、いくら超級とはいえ、学生がわかるはずがありません。そういう問題は作り直しです。

今学期の私のクラスは、中間テストが難しすぎて点が取れていませんから、期末テストはある程度点を取らせてあげないといけません。まさか全員不合格というわけにもいきませんし、12月卒業生には花を持たせてあげたいです。休んでばっかりのJさんはともかく、クラスへの貢献度の高いMさんには、修了証書ではなく卒業証書を渡したいです。

そんな余計なことを考えていると、テスト本来の役目である学生の理解度を測るとか教えたことの定着度合いを知るとかいうことがかすんでしまいます。もちろん、超級としての最低限度のレベルも示してやらねばなりません。まあ、こちらの方は、授業中の態度を見ていればそこに達しているかどうかは見当がつきますがね。

Sさんは残念ながら達していない学生の代表格です。「先生、トイレ」と言って教室を出ていくことしばしばです。要するに、緊張が90分間続かないのです。指名しても答えられないし、指示を出してもその通りに動けないし、私がテスト問題に多少手心を加えたところで、点が取れないことは見えています。授業中もスマホがお友達のKさんも同類かな。Kさんはこちらの質問にどうにか答えられますから、少しは望みがありそうです。

明日の朝、修正版をもう一度見て、模範解答を作り、印刷してしまいます。再度修正ということはないと思うんですが…。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

鬼が笑う心配

12月10日(火)

12月も早くも10日で、そろそろ来学期の心配を本気で始めなければなりません。私は、来学期の超級レベルの教材作りに取り掛かりました。実質卒業式までですからいつもの学期よりは短いですが、自転車操業で乗り切るには厳しい長さです。1年かけて少しずつ作りだめをするのですが、今年はそれがあまりなく、完全に追い込まれる前に作業を開始した次第です。

超級は全員が卒業と考えていいので、しかもみんな力があるので、何をするにせよ一ひねり必要です。漫然と文章を読ませる読解では満足してくれませんから、何か仕掛けを設けなければなりません。正面切っての論説文でディスカッションでもいいですが、そればかり2か月も続けたら、教師も学生もへとへとでしょう。卒業式のころには足腰が立たなくなっているかもしれません。そもそも、そんなディスカッション向けの論説文など、その辺にごろごろ転がっているわけではありません。

それ以外の味がする授業も企画しておくと、学生も喜びます。でも、これも探すのに骨が折れます。いつも、この文章ならどんな味が付け加えられるかという目で文章を読んでいますが、すばらしい教案が描けそうな文章にはなかなか出会えません。“とりあえずキープ”という文章が私の周りのあちこちに置かれていますが、さて、どれをどうしたものか…。

もちろん、学生自身が調べてきて発表する形の授業もします。そうだとしても、発表のきっかけや方向性ぐらいは与えねばなりません。学生丸投げでは、授業がスマホのひと時になってしまいます。

明日も少し時間がありそうですから、引き続き無い知恵を振り絞ります。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

試験問題作成

11月9日(土)

今学期は上級のレベルを1つ担当していますから、久しぶりにテストづくりに励みました。気が付けば、来週の金曜日が中間テストです。

朝一番から読解の問題作成に取り組みました。とはいえ、読解の授業は1コマもしていないので、担当なさっている先生方からの情報をヒントに、どの部分を問うか決めていきました。まじめに授業を受けている学生、試験前にきちんと復習した学生が点を取れる問題にしたいですから、授業中の学生の反応やどこに力点を置いて授業をしたかなどを参考にして、作問します。

学校内の試験は、実力テストという側面と、まじめ度テストという側面があると思います。上級の読解はまじめ度テストの側面が若干強く、初級の文法テストは実力測定の面が色濃いでしょう。初級は、基礎が抜け落ちたまま進級することのないように、中間テストや期末テストでチェックしなければなりません。上級は、お腹が痛いとか言ってずるけたり授業中内職したりしている学生どもに天誅を下さなければなりません。

お昼を少し回ったころ、どうにか読解の問題を作り終えました。模範解答も作りましたから、来週の水曜日ぐらいまで寝かせて、もう一度問題を見てみます。問題が適切かどうか、模範解答が妥当かどうか、客観的に見直します。最終的な微調整を加えて、仕上げるつもりです。

昼ご飯を食べたら眠くなってしまい、漢字語彙の問題は約30点分しかできませんでした。でも、問題の構想はだいたいできましたから、来週早々にも作り上げます。文法はまだ手付かずですが、全体の進捗率は40%ぐらいでしょうから、順調と言っていいんじゃないのかな。最難関の読解がほぼ完成というのが大きいです。

明日はEJU。来週からは、私が担当する受験講座・理科の時間数が減りますから、テスト問題作りぐらいどうにかなるでしょう。

 

 

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

受験以外で緊張するとき

10月23日(水)

朝のウォーミングアップを兼ねて、「受験以外で緊張する時」というテーマで学生に話してもらいました。「女の人と話す時」と答えたGさん、とてもそんなにうぶには見えないんですが。「日本へ来たばかりで日本語が下手だったころ、日本人と話す時」という答えには、多くの学生がうなずいていました。「初めてのことをする時」にも賛同者が多かったです。学生たちは、「話す」系と「初めて」系に緊張を誘われるようです。

私は、学生の推薦書を書く時です。下書きで文案をいくら練っても、学生の志望校所定の用紙に清書するとなると、柄にもなく緊張します。年に10枚ぐらいは書くと思いますが、そのたびに心臓が締め付けられる思いがします。深呼吸をしたり、ふっと遠くを見たりしながら、最後まで書き進みます。

その理由は、もちろん、失敗できないからです。電子出願の学校でも、推薦書は手書きです。テストの採点や作文の添削だったら、間違えたところを直しても許されます(間違えること自体、ほめられたことではありませんが)。推薦書は修正テープを使うわけにはいきませんし、訂正印を押して直したとしても見栄えがよくありません。学生の美点を最大限盛り込んでいるだけに、文意に影響はないとしても、訂正印など押したくはありません。

学生は推薦書を目にすることはありませんが、訂正印のある推薦書を渡すと、後ろめたさを感じずにはいられません。向こうの先生方が、直した形跡のある推薦書を読んだらどう思うでしょう。私だったら、ちょっと印象を落とすでしょうね。

そんなことを学生に言ったら、学生たちは半分感心したような目で見返しました。授業後、推薦願を持ってきたLさんは、ちょっと済まなそうな顔をしていました。「推薦願を出す時に緊張します」なんてことになっていないでしょうね。いや、推薦書は重い意味を持っていますから、多少は緊張してもらった方がいいのかもしれません。

 

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

季節が進む

10月16日(水)

今朝、起きて窓を見ると、結露していました。この稿に、衣替えしたのにまだ暑いと書いたのは、確か10月1日でした。それから半月で結露です。その稿で「秋の気温は釣瓶落とし」とも書きましたが、まさにその通りとなりました。通勤のために外に出ると、息が白くなるとかズボンの裾から入り込む寒気に耐えられないとかというほどではありませんが、スーツの上着なしではいられない空気の鋭さでした。

そして、この時期は季節の進行を感じさせられることがもう一つあります。それは日の出が遅くなり、学校につくまで夜の帳の中になることです。今朝は雲が厚かったこともあり、丸ノ内線が一瞬表に出る四ツ谷駅で特にそれを感じました。御苑の駅から学校までの道も、街灯がなかったらちょっと歩きたくないなという暗さで、早朝というよりは夜中といったほうがしっくりくる風情でした。今朝の日の出は5時46分、雨雲の陰の太陽が私の行く手を照らしてくれるわけもありません。ついこの前までは、朝一番の仕事は職員室の冷房をONにすることでした。でも、今週は電気をつけることです。

もう少し季節が進むと、受験講座が終わる4:45が暗くなります。この時刻に夜を感じると、もう初冬です。そろそろコートやマフラーが恋しくなってきます。あと半月ぐらいでしょうか。午後授業の先生方も、おそらく同じことを感じておいでなのではないかと思います。教室の窓から見える向かいのビルの蛍光灯がくっきりしてくるころ、冬の足音もくっきりと聞こえてくるはずです。でも、私にとっては、それは日が短くなった2番目の兆候であり、「ああ、そうだね」という程度のことにすぎません。私は、夕日の早さよりも朝日の遅さに秋の深まりを覚えます。

天気予報によると、もう1回ぐらい夏日が来るようですが、それは夏の最後の悪あがきでしょう。秋が深まると受験シーズン本番です。授業後は進学相談、面接練習が目白押しでした。