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拍子抜け

12月12日(月)

先週、Rさんは毎日のように面接練習をしていました。答えの内容はもちろんのこと、答えるときの態度や話し方まで、微に入り細を穿つ指導を受けて、昨日のH大学の試験に臨みました。ところが、面接は世間話のような気楽な会話で終わってしまったそうです。最後の最後だったから面接官も疲れていたのかもしれないとRさんは言っていましたが、だから楽でよかったというより、少々肩透かしを食らった感じがあるようでした。

面接は、入学者選抜の方法として、ペーパーテストより優れているとされることが多いです。しかし、面接官が、たとえ複数でも、何時間もかけて多くの学生を面接するとなると、最後にはRさんの面接のように、果たして入試の面接がこれでいいのだろうかという内容になってしまうこともあるでしょう。かといって、志願者をいくつものグループに分けて、それぞれ違う先生が面接を担当するとなると、グループ間で面接評価の公平性を担保するのが難しくなります。

私は留学生入試に面接試験があることに反対はしません。勉学の意志やペーパーテストでは測れないその学生の実力を是非見てもらいたいと思っています。単に面接のテクニックではなく、真にその大学に入りたいという気持ちを高めること、落ちた時に心の底から悔しいと思えるくらいにその大学にあこがれること、そういったことに関しては、KCPは十二分に指導してきています。だから、そういう気持ちを受け止めてもらえないような面接には、失望を禁じえません。

もしかすると、大学側はそれまでのテストでRさんの合格を決めており、面接は形だけだったのかもしれません。だとしても、RさんにH大学に対する思いを語らせてほしかったです。語るべきことをすべて語った末に合格するのと、どうでもいい話をしていつの間にか受かってしまうのとでは、入学後にその学校に対して抱く気持ちに違いがあるように思いますが、どんなものなんでしょう。受かってしまえばすべてよしなのかな…。

丸暗記

11月25日(金)

Sさんは、自分の話す力に難があることを自覚して、半月後にある入試の面接の準備を進めています。クラスの先生からもらった想定質問集の1つ1つに回答を書き込み、これでどうですかと私のところへ相談に来ました。

初めての受験ですからしかたがないかもしれませんが、まず、他の受験生でも答えられるような、ありきたりの答えが目立ちました。また、パンフレットかネットのページかどこかからそのまま引っ張ってきた文言もありました。その部分だけ妙に日本語がこなれていますから、すぐわかってしまいます。そして、その部分についてちょっと突っ込むと、何も答えられなくなってしまいます。

それから、文字にしてみると文法の誤りがあらわになります。Sさんのたどたどしい話し口がそのまま文字になっていました。話すのですから漢字の使い方には目をつぶるとしても、助詞の間違い、接続詞の抜け落ち、不自然な言葉の使い方など、初級のときの穴がふさがれずに上級にまで至ってしまったはっきりわかりました。

1年前の初級のSさんは、クラスの授業でやる日本語は簡単だとして、N1やN2など背伸びしまくった勉強をしていました。わかっているつもりだった初級文法が実はさっぱり身についていなかったのです。頭は悪くないですから、中間・期末テストでは点が取れてしまい、ここまで進級できちゃったのです。

そんなSさんの想定質問への回答をようやく直し終わったら、Sさんはその答えを暗記するといいます。そういう能力はふんだんにありますから、丸暗記しようと思えばできちゃうでしょう。でも、それにどれだけ意味があるでしょうか。本番で緊張して、最初の一言でつまずいたら、頭が真っ白になり、何も出てこなくなります。そうなったら面接は全滅で、結果は火を見るより明らかです。

でも、自分の弱点を冷静に見極めて、周りの友人よりも早く準備をしている姿勢は評価できます。来週、もう少し本格的な面接練習をする約束をして、Sさんは帰っていきました。

注意する

11月16日(水)

試験監督をしていて、学生の答案用紙を見るともなく見ていると、間違った答えが目に飛び込んでくることがよくあります。授業中にやる練習問題ならここが間違っていると教えてあげられますけれども、中間・期末テストともなると、そういうことはできません。でも、間違っているのを知っていながら指摘しないのは、非人情なような気がしてなりません。また、教師は間違いを指摘したがる本能を持っていますから、それを押さえ込まれるとなると、精神衛生上もよくないような気がします。

「はい、あと5分です。もう一度、自分の答えをよーく見てください。残念な答えの学生が、たくさんいます」という形で、教室全体に注意するのが、試験監督としてできる精一杯のことです。こういう注意をすると、最初から答えを見直す学生は半分ぐらいでしょうか。残りの学生は、見直してもわからない問題はわからないと開き直っているのかもしれません。机を枕に熟睡の学生すらいます。

テストの公平性を保つためには、テスト中に間違いを指摘するなどもってのほかです。見直しを促すセリフだって、ボーダーラインのあっち側かもしれません。全然理解できていなさそうな答えならどうということはないのですが、濁点とか小さい「っ」とかの有無となると、これで何点減点されるんだろうと、思わず考えてしまいます。題意を明らかに取り違えているのなんかを見ると、問題文の該当箇所を指さしたくなります。そういう間違いを犯すのも実力のうちだと割り切ることも必要です。

さて、中間テストが終わりました。私が作った問題に、学生たちはどんな答えを書いてきたでしょうか…。

ざる

11月10日(木)

今朝、新聞を取りにマンションの玄関にある郵便受けまで行ったら、思わずブルッと来ました。外は風が強そうでした。東京は昨日木枯らし1号が吹きましたから、そろそろコートとマフラーを出さなきゃと思っていました。新聞を取って部屋に戻ると、すぐにクローゼットからコートを引っ張り出し、衣装ケースからマフラーを取り出しました。

コートにマフラーといういでたちで駅まで早足で歩いても、全く暑苦しさはありませんでした。ただ、マフラーに残っていた防虫剤がどんどん首に突き刺さり、ちくちくしてたまりませんでした。ですから、マフラーは駅に着いたらすぐ取ってしまいました。ゆうべのうちに出しておけばよかったと思いました。でも、天気予報によると、明日は寒いそうですが、週末は小春日和のようです。

日曜日はEJUです。お天気はいいみたいです。学生たちは追い込みに余念がありませんが、あと3日という段階に及んだら、あれこれお店を広げるよりも、今までやった問題で間違えたところをきっちり復習して、同じタイプの問題で再び間違いを犯さないようにすることのほうが重要です。

受験生はとかく新しいことを覚えて点数を増やそうとします。でも、そうしてもいいのは試験の半月前まででしょう。その後は、引っかかった問題をきちんと分析して、次に同系統の問題が出たら確実に点が取れるようにしておくことのほうが、いい結果につながると思います。失点を減らすこともまた、好成績への道です。80点を90点にするには、20点の失点を半分の10点にしなければならないのです。

しかし、留学生は日本人の高校生に比べて、失点を減らすという考えが薄いように感じます。アドベンチャー精神に富んでいるからこそ留学したのでしょうから、失点を減らすよりも新たな分野を開拓して点数を増やそうと考えるのかもしれません。それでも、失点を防がないと、ざるで水を汲むようなものだと思うのですが…。

髪を切りました

11月2日(水)

午前の授業が終わって1階に下りてくると、Aさんにばったり会いました。肩まであった長い髪をばっさり切り、だいぶさっぱりした精悍な顔つきになっていました。「面接か」「はい。今度の週末です」。入試の面接を迎え、長髪ではむさくるしく思われるかもしれないと、断髪に及んだのでしょう。

私もすぐに次の用事があったので、Aさんと交わした言葉はこれだけですが、短くなった髪を恥ずかしがることもなく、私の目を見てきちんと答えていたAさんに、今週末の入試にかける意気込みを感じました。「形だけ整えても意味がない」と言いますが、外見を変えることによって心の持ちようも変わることだってあります。そういえば、先学期成績が振るわなかったYさんも、今学期の初日から頭を丸めて出直しを図っています。頭を丸めた成果が出ているかどうかは聞いていませんが、心機一転しないと入試に間に合いません。

「外見だけで人を判断してはいけない」とはよく言います。同時に、「人は見た目が90%」とも言われています。入試では、面接によってその人に中身を推し量ろうとしています。でも、たった10分かそこらの面接で各受験生の真の価値を探り当てることは難しいです。だから、見た目や第一印象に頼らざるを得ない面もあると思います。Aさんの断髪も、そういう点で大いに意味があると思います。

もちろん、中身を高めることが第一です。それとともに、その中身を相手に伝える術も身に付けなければなりません。私は、外見を整えることは中身を伝えることの一部分だと思っています。面接官に良い先入観を持たせることにつながるからです。立派な中身を宝の持ち腐れにしないためにも、見た目は重要なのです。

暗雲

10月31日(月)

「Lさん、今日の面接練習、2時半からでどうかってK先生がおっしゃってたけど…」「すみません。今日は無理だと思います。志望校のイベントがあるんです」。

今日は無理だと思います??? “だと思います”って、あんた、他人事じゃないんだよって言いたくなります。Lさんは超級の学生ですが、こんな程度のやり取りになってしまいます。もちろん本人に悪気はありません。K先生のご好意を断るにあたって、精一杯気を使っているつもりなのです。でも、それがかえって裏目に出ています。私たち日本語教師はこういうのに慣れていますからスルーしてあげられますが、普通の日本人だったらどうなのでしょう。

午後、Yさんの面接練習をしました。ひと通り模擬面接をしてからのフィードバックでのことです。「ディテールを表現するというのがYさんの答えの特徴になっているから、ここをもっと強調したほうがいいと思うよ」「でも先生、そうすると、私の日本語力では、面接の先生に全体像をつかんでもらえなくなるかもしれません」「そう考えるんなら、ディテールの話は思い切ってカットしたらどう?」「でも先生、そうすると、私の答えの特徴はどこにありますか」という調子で、心配ばかりしてさっぱり先に進みません。

能天気に行き当たりばったりというのも困りますが、Yさんのように物事を否定的に見てばかりいたら、何もできません。Yさんのクラスでは、今日の授業で「敢然」という言葉を取り上げました。しかし、今のYさんの心理状況は「敢然」とは対極にあるようです。

2人とも、受験が近づいてきていますが、果たして面接が通るでしょうか。少々不安にさせられました。

整理整頓

10月26日(水)

「先生、ちょっとお時間、いいですか」「うん」「この問題、教えてほしいんですけど…」と、GさんがEJUの理科の問題を持って来ました。Gさんが持ってきた問題用紙には、Gさんの字で計算式が書き散らされていました。Gさんが問題文に引っ張ったアンダーラインやキーワードを囲んだ〇や□も入り乱れていますから、問題文を読むだけでも一苦労です。

私が問題文を読むそばで、Gさんが自分の考えを披瀝します。自分なりの考えを伝えようとする点は評価できますが、そのときに、すでに字やら記号やらがあふれている問題用紙に、さらに何か書こうとするのです。こうなると問題用紙は混沌そのもので、Gさんでさえ何がなにやらわからなくなっています。

私もGさんがどこでつまずいているのかわかりませんから、新しい白い紙を渡して、そこに式や図を描くように言いました。すると、「あ、そうか。ここで2倍するのを忘れたんだ」と、Gさんは自分の間違いに気がつきました。

だから、式をきちんとわかりやすく書き直せばいいのに、次の問題に取り掛かるや否や、Gさんは私が渡した新しい紙もあっという間に混沌の渦の中に巻き込んでしまいました。そして、考えの筋道が本人にもわからなくなり、自滅へと突き進んでいきました。

「こんなことしていたんじゃダメだ。ノートにきちんと式を丁寧に書いて、それでもわからなかったら、私のところへ聞きに来い。こんな問題の解き方をしてたんじゃ、EJUで絶対いい点数は取れない」と言って、Gさんの質問を打ち切りました。「でも、先生、EJUのときは式を書く場所がありません」「ある。なかったら自分で作れ」というやり取りの末、Gさんを追い返しました。

自分の間違いに気付くことができるのですから、Gさんは理科系のセンスがない学生ではありません。でも、問題用紙に無計画に式を書き殴って、読解不能に陥っているようじゃ、そのすばらしいセンスも宝の持ち腐れです。式をわかりやすく書くだけで、間違いは半分どころかそのまた半分ぐらいになるでしょう。それができなかったら、いや、そんなことすらできなかったら、理系の勉強をする資格がないと思います。実験記録もまともに残せないでしょうし、データ整理も満足にできないでしょう。

Gさんは、いつ再質問に来るでしょうか…。

ずるいですか

10月25日(火)

私がこの学校で教えている理科は、「受験」講座ですから、純粋な理科だけではなく、時には受験のテクニックも教えます。EJU対策として、マークシート方式の特性を利用したずるい解き方を教えることもあります。

このずるい解き方の説明となると俄然目を輝かせるのがCさんです。ずるい解き方を覚えて、お手軽に点数を稼ごうという魂胆なのですが、なかなかそういうわけにはいきません。

確かに、ずるい解き方を使えば、まじめに考えて計算するより早く答えにたどり着きます。しかし、ずるい解き方は万能ではなく、その問題に使えるかどうかの見極めが必要です。つまり、しっかりした基礎があって、問題の本質をつかむだけの実力を持っている人だけが、ずるい解き方を使うことができるのです。

学問に王道なしというとおり、EJUの本番で楽をしようと思ったら、その前に血のにじむような努力が必要なのです。Cさんのように、おいしい果実だけ盗み取ろうとしても、そうは問屋が卸しません。

私がある程度の実力を持ったが学生にずるい解き方を教えるのは、ずるい解き方の根底に物理や化学や生物の真髄が隠されているからです。正攻法とは違った角度から問題となっている現象を見ることで、今まで気づかなかったその現象の一面が浮かび上がってくることがあります。それを学生たちに感じ取ってもらいたいのです。そして、それを感じ取ることで、勉強した項目の意外なつながりを発見することもあります。

実力がある臨界点を超えると、このずるい解き方を自在に活用できるようになり、さらに点数が伸びていきます。強い人がより強くなるのです。お金持ちのところにお金がさらに集まるのと似ていなくもありません。Cさんは臨界点まであと一歩のところまで来ています。3週間を切った本番までに、超えられるでしょうか。

手応えはあてにならない

10月21日(金)

KさんがD大学に合格しました。Kさん自身は面接の手応えが悪くダメだと思っていただけに、喜びも一入だったようです。私は、EJUの持ち点も高いし、直前の面接練習の受け答えもしっかりしていたし、十分に勝ち目があると思っていました。

こんなふうに、試験を受けた学生の感覚は、えてしてあてにならないものです。Kさんとは逆に、「絶対大丈夫」なんて言っている学生に限って、落ちてしまうものです。学生は面接でたくさん話せると自分の思いが伝わったと思い込んでしまうようですが、実は、それは非常に危険です。往々にして空回りしているのです。

面接練習の時には、他の受験生でも話せるようなことはいくらたくさん話したところで評価されないと指導しています。具体的な内容、独自の考えや感想などを語らなければ、評価に値しないとされてしまいます。「将来、自分の会社をつくりたいです」の類は、点にならないのです。

Kさんは面接では自分の思いが語りきれなかったので手応えを感じなかったようです。しかし、KさんのD大学に対する思いは非常に深いものがあり、面接官としては、その一端を知るだけで、我が校で学ぶに値する学生だと判断できたのでしょう。

午後、T大学の大学院の入試面接を明後日に控えたHさんの面接練習をしました。大学院を目指す学生だけあって、一から指導しなければならない答え方ではありません。それでも、脇の甘さが見られて、私に問い詰められると言葉を失う場面もありました。こちらの注意は十分理解できていると思いますから、本番までに軌道修正してくれるでしょう。

受験シーズンはこれからが山場です。他の学生も、Kさんにどんどん続いてもらいたいです。

わかる、わからない

10月17日(月)

Wさんは理科系の学生です。午後、物理の問題がわからないと、私のところへ聞きに来ました。問題を見ただけでどこでつまずいたか見当がつきましたが、一応本人にわからないところを説明させました。ところが、この日本語がさっぱりわからないんですねえ。最終的には、私が見当をつけたところがわからないとわかったのですが、そこに至るまでに、Wさんも私もずいぶん苦労しました。

わからないところがわかってから、そのわからないところがわかるように説明しましたが、わかるように説明したつもりでも、なかなかわかってくれませんでした。Wさんはそんなに物分りの悪い学生ではありません。では、なぜなかなかわからなかったのかといえば、私が思うに、わからないことに焦りを感じて、1秒でも早くわかろうとして、かえってわからなくなってしまったのです。私がちょっと説明すると、わかったということを示したいのか、すぐ式を書いたり図を描いたりしました。でもその式は私の言わんとしたことと違っていましたし、図は的を射ていませんでした。

Wさんがわかったという顔をすると、ホッとするのと同時に、じっくり話を聞いてくれれば半分か三分の一の時間で済んだのにという気持ちが交錯していました。EJUまで4週間を切り、焦るなと言うほうが無理かもしれませんが、こんな調子じゃ実力の伸ばしようがないじゃないかと思いました。急いてはことを仕損じるという言葉通り、こういうときこそじっくり腰を据えて、落ち着いて問題文を読む、考える、人の話を聞くということが、何より重要なのです。