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宿題提出

7月3日(水)

Sさんは、先学期の期末テストの文法が、合格点にほんの少し足りませんでした。先々学期も期末テストで成績が落ちたため、進級できませんでした。このレベルは初級の最後なので、後半は中級へのつなぎの文法を練習します。Sさんは2学期ともここでつまずいたようです。

先週、Sさんには、学期の後半で勉強した文法を使って例文を書いて提出するという宿題を課しました。その宿題が、昼食から戻ってくると、メールで届いていました。

Sさんの例文を読んでいくと、最初のうちは習った文法を使いこなした例文が多かったですが、6月になってから勉強した項目あたりから、消化不良の文法が目立ってきました。例えば、助詞の「を」でも通過の意味の「を」を勉強したのに、「カレーを食べます」などと、初級の入り口で勉強する例文を書いていました。

例文を上から下まで眺めまわしてみると、Sさんの理解がどこで止まったかが実によくわかります。学期中でも宿題で例文を書かせていますが、その添削がSさんの心に届いていなかったのです。もちろん、教師はそれぞれの学生の理解度に合わせて文を直します。時には教科書の何ページを見ろと指示することさえあります。そこまでやっても、届かないときには届かないものなのです。

Sさんの宿題をこのまま受け取るわけにはいきませんから、書き直してもらいたい例文に印をつけて、その例文は書き直して再提出せよと送り返しました。Sさんのほかに、Jさんにも同じ宿題を出しています。明日あたり、その回答が届くのでしょうか。おちおちせき込んでいる暇などありません。

3か月の成果

6月20日(金)

今学期の授業最終日で、復習を中心に進めました。順調に伸びた学生、伸び悩みが感じられる学生、3か月も経つと差がつくものです。力を伸ばした学生は、出席率がいいこともさることながら、授業に真剣に取り組んでいましたね。出席率はすばらしいけれども暇さえあればスマホをいじっていたCさんと、同じぐらいの出席率で授業に全力を傾けているZさんを比べると、Zさんは学期を通してテストはほぼ100点だったのに対し、Cさんはじわじわと点数が下がっています。文を作ったり話したりする時、Cさんは何でも一言で済まそうとしていますが、Zさんはできるだけ長い文にしようとしています。Zさんの発話能力も伸びたとはいえまだまだですが、Cさんは3か月前と変わっていないんじゃないかな。

「アメリカ人のように英語が上手です」「韓国料理のような辛い料理が好きです」。名詞の前なら「ような」、形容詞や動詞の前なら「ように」と習ったけど、どうして違うんだ…と質問してきたBさんも、力を伸ばしたと思います。教師は、“名詞修飾”という代わりに“名詞の前”と言ったのでしょう。3か月前のBさんなら、こんな指摘は絶対にできなかったでしょう。教師の言葉を必死にノートに書きとっていたBさんの姿が思い出されます。

Jさんはよく休むし、しょっちゅう心ここにあらずみたいな顔をしているし、注意したのですが、文法テストはここ2回不合格でした。尻に火が付いた様子でもなく、明日はどうするつもりでしょう。今学期はEJUの勉強に力を入れたそうですが、Jさんの発話力じゃ面接は通らないでしょうねえ…。

初級クラスの授業最終日には「今度は中級か上級のクラスで会いましょう。待っていますよ」と言って締めくくります。3か月後か6か月後に、グーンと伸びた学生たちと再会したいものです。

苦手意識

6月10日(月)

SさんとYさんは漢字が極端にできません。中間テストも20点とかという、まぐれ当たりでも取れそうな点数でしかありません。漢字に関してはぬぐいがたい苦手意識があるようで、努力をしようとすらしません。授業後、中間テストで間違ところを直してから変えるように言いましたが、今週は火曜日しか空いていないとか言いながら帰ってしまいました。

漢字がわからないということは、文法にも読解にも悪影響を及ぼします。教科書を読ませようとしたって、漢字があるたびにつっかえてしまい、隣の学生に小声で教えてもらう始末です。テストの答案はほとんどひらがなで、たまに漢字が書いてあっても、誤字のことが多いです。読むのにも苦労しますし、直すにしてもどこまでなら手を加えた内容を理解してもらえるか考えなければならないので、採点するのに他の学生の倍は疲れます。

でも、SさんもYさんも日本で進学したいのです。将来は日本での就職も考えています。現状では進学も難しいですし、ましてや就職なんて、「100年早いよ」と言われそうです。本人たちも自分の現状に気づいており、それがストレスとなってさらにやる気を失わせているところがあるように見えます。

日本で暮らしていくには、漢字を覚えることは不可欠だと思います。大学教授や多国籍企業の日本支社長みたいに英語だけで暮らしていける人なら別でしょうけど、大多数の“一般庶民”レベルの人たちは、周りの人たちと日本語で意思疎通することなしには生きていけないでしょう。漢字を書くことはなくても、日本語の語構成における漢字の役割を理解するだけで、日本語がわかるようになります。生活費、交通費などの「ひ」は、「日」でも「火」でもないと知っていれば、言葉のレベルが上がります。自国語だけで暮らしていくとしたら、それは自ら進んで使い捨ての労働力に甘んじることを意味すると思います。

SさんとYさんは、そういうことを望んではいないでしょう。だったら、苦しくても漢字を勉強しなければ、明るい未来は開けません。私たちの方も、SさんやYさんのような学習者にどんな漢字教育を施せば、その人たちが日本で生きやすく暮らしていけるようになるか考えていかなければなりません。

日本人らしい

6月7日(金)

文法の教科書に「田中さんは日本人らしい人です」という例文がありました。「じゃあ、田中さんはどんな人だと思いますか」と学生たちに聞いてみました。これをお読みの皆さんは、どんな人を思い浮かべますか。

真っ先に挙がった答えが、「ハンカチを持っている人です」でした。確かに、KCPの学生は、年齢性別国籍を問わず、ハンカチを持っていません。トイレで手を洗っても、手を振って水を飛ばしてしまいます。そのためトイレの手を洗うところが汚くなってしょうがないのですが。それに対し、日本人は子供のころからハンカチを持つことを厳しくしつけられています。私も事あるごとに学生にハンカチを持つように言っています。だからハンカチを持っている人が日本人らしい人なのかもしれませんが、それが最初に出てくるということは、学生たちにとってハンカチを持つということがよほど普通じゃない行為に映っているのでしょう。

逆の見方をすると、ハンカチを常に持ち歩くことは、学生たちにとっては異文化の代表なのです。その中でも、なかなかまねできない、あるいはなじみにくい日本固有の文化であるに違いありません。外見だけからはわからない、日本人の隠れた特徴、日本で生活してみないとわからないちょっとディープな小ネタと言ってもいいかもしれません。

その他、仕事が終わったら居酒屋へ行くとか、すぐすみませんと言うとか、フムフムとうなずきたくなる答えが出てきました。「私は日本人らしいですか」と聞いてみたくなりましたが、ここで脱線し続けているわけにもいきませんから、次に進みました。進度が遅れても聞いてみたかったなあと、少し後悔しています。

峠越え

6月5日(水)

日本語をゼロから勉強し始めていくと、何か所か大きな山というか崖をよじ登らなければならないところがあります。たとえば、みんなの日本語で言えば14課、て形が出てくるところです。「ます」に集約されていた活用が、動詞本体に及びます。その後、続々と活用形が現れ、学習者は、まず、ここでふるいにかけられることになります。

今、私が受け持っているクラスは、みんなの日本語が終わり、中級への橋渡しの授業をしています。中級に上がれない学生の大半が、ここで挫折するのです。中級になると教科書・教材が親切でなくなり、“わからない”を乗り越えて突き進む破壊力みたいなものが求められます。みんなの日本語には各国語の文法解説書がありますが、中級にはそんなものはありません。日本語を日本語で理解しなければなりません。

今、ここで戸惑っているのがTさんです。わからない言葉を辞書で調べて理解しようとするのは感心しますが、辞書に頼りすぎるきらいがあります。「飲みたいなあ」の「なあ」まで調べてしまって、辞書に載っていないから理解のしようがないとなってしまうのです。また、日本語で「デザイン」といえば、色とか形とか模様とか主に外観についてですが、英語の“design”は、設計やら製造工程やら、「デザイン」には含まれない意味も含みます。ところがTさんは、「デザイン」を“design”だと思い込んで一歩も動かないので、誤解が解けません。

これから期末テストまでの間に、日本語を自国語に置き換えて理解するという態度を改めないと、たとえ成績的には中級に上がれても、中級の文法も読解も理解できないでしょう。未習の単語や文法も、わからないでは済まされません。今の勉強法も根本から変えなければなりません。さて、Tさん、変身できるかな。

書初め

6月4日(火)

昨日の夜、職員室の入り口から呼ばれ、推薦書を書いてほしいと頼まれました。私のクラスの学生でもないし、先学期受け持った学生でもないし、「私はあなたをよく知らないんですが、推薦書に何をどう書けばいいんですか」と聞きました。すると、「先生、Wですよ」という答えが返ってきました。思い出しました。去年S大学に進学したWさんでした。最後の学期は、私が担任でした。だから、推薦書と言えば私が書くことになります。

推薦書の材料にもしようと思って、詳しく話を聞いてみました。WさんはT大学の大学院に進学することを目的に来日したのですが、2018年度入試では失敗しました。それで、やむなくS大学に編入学しました。そういえばそんな事件がったなあとだんだん思い出してきました。そして、今回、T大学大学院に再挑戦するそうです。その出願書類の1つが、日本語学校からの推薦書なのです。

Wさんは、KCP在籍中、毎日図書室が閉まるまでずっと勉強していました。鋭いタイプの学生でも、要領のいい学生でもありませんでしたが、努力を継続できる学生でした。S大学に進んだ後も、T大学大学院への進学という大目標は決して忘れず、日本語の勉強をコツコツと続けてきました。それが実を結び、今では日経新聞が読みこなせるようになりました。ちょっと質問してみましたが、問題意識をもって日経を読んでいることがよくわかりました。

その他、将来計画なども聞き、推薦書のネタを十分に揃えました。そして、今朝、朝一番にWさんの推薦書に取り組みました。下書きから清書まで、1時間ちょっとでできました。今シーズン初の推薦書は、気持ちよく書けました。

大差

5月27日(月)

先週の水曜日に回収した文法の宿題の出来があまりに悪かったので、金曜日にもう一度説明して、文を作ってくる宿題を出しました。週末によーく考える時間がたっぷりあったはずの学生たちの宿題を集めましたが、チェックしてみると、出題の意図を理解してきちんと文を作ってきた学生と、私の説明を全く聞いていなかったのではないかという学生と、両極端になりました。

Xさんは自分がどこで間違えたかを明確に理解し、2つでいいのに4つも例文を考えてきました。こういう学生には、もう一段階上を狙ってもらうための添削をします。ただ漫然と〇をつけるだけでは、学生の意欲に応えたことにはなりません。

Yさんも、一ひねり加えた例文を書いてきました。自分で難しい課題を設定し、それに向かって進もうという向上心が感じられます。

SさんとJさんは全く同じ例文を書きました。いつも離れた席に座っているので、また、その例文はその文法を使う典型的なものなので、写しあったとは思えませんから、とりあえず〇にしておきます。もしかすると、どこかのサイトの例文を丸写ししたのかもしれませんが、証拠不十分で無罪です。

CさんやZさんは、改善が見られませんでした。文法を理解していないようです。期末テストに向けて、非常に心配な学生たちです。どこが間違っているかを明示し、再々提出させるつもりです。

最悪なのは、宿題をやってこなかった者どもです。わざわざメールを入れたのにやってこなかったとは、やる気なしと判定されても文句は言えません。この中には、中間テストの時点で進級が危ぶまれているKさんもいます。というか、もはや私の心の中では、完全にもう一度同じレベルですね。現レベル以前の間違いも多いし、進級させたら上のレベルの先生方に申し訳ありません。同じクラスになった学生も、できない学生のせいで進度が遅れたりしたら迷惑でしょう。

XさんとKさんとでは、天地ほどの差ができてしまいました。

別解

5月23日(木)

あと1か月足らずで6月のEJU本番ですから、受験講座理科は過去問中心に進めています。EJUの試験時間である80分で問題を解いて、そのあと模範解答を配り、解説をします。去年から受験講座を受けている学生たちにとっては、80分で2科目の問題を解くのはさほど難しいことではないようです。

Sさんも去年からの学生の1人です。私の模範解答を見て、「先生、この解き方のほうが簡単だと思います」と指摘するようになりました。Sさんの解き方も思いついたけれども、それを学生に説明するために使う模範解答に書き表すのが難しくてあきらめたこともあります。日本語の文章ばかりの答案になるより数式が並んでいるほうが、学生にとってはわかりやすいだろうと思ったからです。でも、Sさんの説明を聞いているうちに、うまくすれば学生にもよくわかる解答が作れるかなと思うようになりました。また、Sさんの説明の方がビジュアルに訴えるので、学生にはわかりやすいだろうと思えてくることもあります。

そういうSさんの説明を聞いていると、実力がついたなあと思います。理科の問題に対する勘が働くようにもなり、理科的な発想が身に付いてきたとも思います。この勘とか発想法とかという漠然としたものが、研究者やエンジニアの頭脳へと成長していくのです。EJUにとどまらず、筆記試験や口頭試問にもたえられる力がついてきたんじゃないでしょうか。今年の入試は期待してもいいかもしれません。

私たち教師は、学生に追い越されるためにいるようなものです。EさんやTさんやYさんやKさんなども、1日も早くSさんと同じように鋭い指摘ができるようになってもらいたいです。

峠道

5月22日(水)

中間テストの後からは、来学期中級に上がる予定のクラスでは、漢字の教科書が中級で使うものに変わります。これを機に、授業の進め方を予習前提の中級的なものにしていきます。

昨日の授業でそういう話をしておいたのに、教科書ノートをチェックしてみると、全然予習してこなかった学生が何人かいました。予習してきた学生も、今までの初級的なやり方から抜けられず、教科書に出てくる語句を徹底的に調べてくるというこちらの要求には程遠いものでした。

毎学期、中級の教科書を使った初日の授業は、こんなものです。そして、学生たちは私に激しく突っ込みを入れられ、全く答えられず血まみれになって授業を終えるのです。期末テストまでボコボコにされ続け、少しずつ鍛えられ、漢字以外の科目でも中級の授業についていける力をつけていくのです。

中級以上は、日本語で思考回路を構築しておかなければ、得るものが非常に少ない日々を送ることになります。授業の進むペースがぐっと早くなりますから、母国語に頼っていては理解が追いつきません。日本語で何かをする、日本語を通して誰かとつながる、日本語によってコミュニケーションを図る、そういったことを本格的に学んでいくのです。その第一歩が漢字の授業という位置づけです。

Kさん、Tさん、Sさんあたりは、自分の予習のどこが足りなかったかをつかんだようです。次の漢字の授業までには軌道修正をして、自分で得るところの多い授業を作り出せるようになっているでしょう。でも、何となくぼんやりしていたYさん、Cさん、Iさんはどうでしょう。初級と中級の境目にある峠を越えられるでしょうか。どうにか越えさせなければなりません。

きれいな教科書

5月16日(木)

Nさんは、昨日とおととい、欠席でした。明日に中間テストを控え、昨日のテストを受けたいと言ってきました。昨日受けた学生たちには採点して返却し、授業中にフィードバックまでしていますから、成績はつきません。それでも勉強のために受けたいとのことでしたから、受けさせました。

Nさんの答案を採点すると、何と不合格点。フィードバックのときにこういう答えはこういう理由でダメだと注意したのをそのまま書いている問題もありました。授業を聞いていないんだなあ。

練習問題扱いとはいえ不合格ですから、教科書やノートを見てもいいから正しい答えを書けと言って、自分で直させました。だいたい直せたのですが、いくつかの問題はどうしてもわからないようでした。Nさんの教科書を手に取り、その問題が書いてあるページを開くと、何の書き込みもないではありませんか。そこを勉強した日に欠席したのか、出席しても教師の話を聞いていなかったのか、Nさんの頭にはその付近で学ぶべきことが全然入っていないことだけは確かです。

他人の教科書をあんまりしげしげとのぞき込むのもいかがなものかと思い、Nさんの教科書を隅から隅まで見ることはしませんでしたが、なんだか妙にきれいな教科書でした。同じ時に買っているはずのXさんやYさんの教科書は、かなり年季が入っているように見えるんですがね。XさんもYさんも、昨日のテストは90点台でした。

Nさんは、自分から昨日のテストを受けたいと申し出ました。だから、全然やる気のない学生だとは思いません。しかし、楽に勉強したいのでしょうね。日本で進学するつもりだそうですが、それが実現したとしても、このままでは実り多き留学にはならないでしょう。中間テストが終わったら、そこから指導しなければなりません。