Category Archives: 勉強

献血

6月23日(火)

今学期は、赤のボールペンを2本使い切りました。初級のクラスを2つ持ったので、宿題のチェックや例文・作文の添削、テストの採点などで見る間に赤ペンのインクが減っていきました。私の血が学生に吸い取られていくような錯覚に陥ったこともありました。

宿題のチェックは、間違えたところをきっちり直さなければなりません。ここで直しておかないと、間違った形で定着してしまいかねません。学生の勘違いを正し、基礎部分に穴が開かないようにしていくのが初級の教師の最重要任務です。既習の文法のミスも含めて、あらゆる間違いを一つ残らずつぶすつもりでチェックします。

だから、学生によっては、提出した宿題が真っ赤になって返ってくることもあります。チェックする立場としてはこんなに赤を入れたら受け取った学生は読みたくなくなるんじゃないかと思うこともあります。でも、その真っ赤な宿題で自分の実力を知り、さらに勉強に励んでもらいたいのです。

作文は、学生たちをたたき続けた結果、文法や表記の間違いが確実に減りました。まだ期末テストは採点していませんが、最初はC評価ばっかりだった学生たちがどこまで成績を伸ばしてくるか楽しみです。

今日は漢字テストの採点をしました。私の受け持ちのクラスじゃありませんでしたが、概していい成績でした。私のクラスもこのくらいいいと幸せなんですけど、果たしてどうなんでしょう。

漢字も文法も読解も、私のボールペンの血を吸い取ってどこまで成長したか、楽しみのような恐怖のような…。

そのねじ曲がった根性を

6月12日(金)

午後クラスの前半が終わった後の休憩時間に、私が教えている初級クラスを一緒に担当しているF先生が怒りのオーラを発散させながらやって来ました。「Zさん、漢字のテストの最中にケータイを見たんですよ。先生、授業の後できつくしかってください」「わかりました。私もこれから受験講座がありますが、終わったらすぐそちらの教室へ行きます」というやりとりをして、受験講座のあと、すぐにF先生の教室へ行くと…。

「先生、Zさん、帰っちゃったんですよ。私が1階で先生と話している間に」と、先ほどにも増して憤懣やるかたない表情のF先生。こうなったら、月曜日は私がそのクラスの担当ですから、授業後にたっぷり油を絞ってやることにしましょう。

Zさんは今学期入学の進学コースの学生です。でも学期の最初から、どこか斜に構えているというか、授業での勉強をなめてかかっているというか、教師の立場からするとカチンと来る学生でした。それでもテストではとりあえず合格点を取ってきましたから、こちらも我慢していました。しかし、カンニング疑惑となれば、遠慮はしません。

Zさんはノートも取らなければ教師の話もあまり聞いていません。ノートに書きなさいと言っても、ちょろちょろっとメモする程度。動詞の活用形などを席の順に言わせていっても、友達の答えをまともに聞いていませんから、すぐには答えられません。テンポよく進んでいってもZさんのところで必ずつっかえます。宿題やテストの字は汚くて読みにくいです。ついこの前は、手ぶらで登校し怒られました。

でも、まるっきりのバカじゃないのと、国で勉強してきた貯金があるため、テストはどうにかパスしてきたのです。学校外の塾に通っているから日本語も受験勉強も大丈夫だといいますが、そういった優位性がなくなってきたところのカンニング疑惑じゃないかと踏んでいます。休み時間に逃げ帰ったのは、悪いことをしたという気持ちと、そういうことをしないと点が取れなくなってきた自分の現状を認めたくないのとの両方からじゃないでしょうか。それだったらまだいいのですが、今日は旗色が悪いけれども来週になれば風向きが変わるだろうと、とりあえず首をすくめとこうっていう根性だったとしたら、もう救いようがありませんね。

来週早々嫌な仕事を抱えてしまいました。

建築と絵と化学と

6月9日(火)

Tさんは建築を勉強しようと思っています。当然EJUの理科系の各科目が必要なのですが、化学には抜きがたい苦手意識を持っています。また、絵も下手だからデザイン方面の建築は向かないと言います。だから耐震構造みたいな建築をするのかと言えば、微分や積分がたくさん出てくる教科書はあまりやりたくないそうです。

要するに、自分が今持っている能力だけで進学し、ちょっと響きもカッコもよさげな建築の勉強を始めたいというわけです。これはちょっと虫が良すぎるんじゃないでしょうか。だって、努力しないで大学に入ろうというのと同じじゃありませんか。Tさんと面接をしましたが、そこのところで堂々巡りです。物理は比較的好きだから勉強してもいいけど、できれば数学は避けたいし、化学は絶対にいやっていうスタンスを崩そうとしません.代替案として建築デザインを出しましたが、絵を描くという一点において却下です。

クラスでのTさんは、明るく活発ないい学生です。グループ活動にも積極的に参加し、柔軟な考え方で活動を前に進めようとする姿勢が感じられます。しかし、自分の進路となると、妙に意固地になるのです。何で建築なのかもはっきりしません。実は、「建築」とは言っていますが、何も決まっていないのかもしれません。楽に進学したいことが見え見えです。

7月20日ごろに今回のEJUの結果がわかるから、それを見て最終決定しましょう、ということにしました。でも、こういう学生は決められないものなのです。こちらからどんな提案を出しても、自分の思っていることと同じでなければ受け入れないでしょう。EJUで完膚なきまでに叩きのめされれば無条件降伏を受け入れるかもしれませんが、そうでなければ淡い幻想を追い求めてさまよい続けるでしょう。

午後からも授業があるのに、スカッとしない面接をしてしまいました。

評判落とされた

6月4日(木)

Jさんは21日のEJUを受ける上級の学生です。毎日のように職員室へEJUの過去問を借りに来ます。もう直前の追い込みの時期ですから、過去問をがんがんやってもらうのはいいことです。ところが、Jさんは職員室の先生方の受けがよくないのです。それは、あいさつをしないからです。

無言で職員室に入り、必要最小限の言葉で過去問を借りようとし、返すときもぶっきらぼうとくれば、そういう評判もやむをえないところかもしれません。職員室に入るときは「失礼します」と声をかける、用件をきちんとはっきり伝えるなど、コミュニケーションの基本以前の姿勢についても、私たちは指導してきています。その指導を無視しているかのようにも見えますから、評判が悪いのもしかたがありません。「あんまりしゃべらないから、初級の学生かと思った」とおっしゃる先生も。

終わりよければ全てよしで、Jさんが最終的に「いい大学」に入ってしまえば、こんなことも笑い話になってしまうのかもしれません。でも、同時に、「あの大学、Jさんみたいにしゃべれない学生でも受かるんだ」と心の底で思う先生もいらっしゃることでしょう。Jさんの行為は、自分が受かった大学の評判まで落としてしまいかねないのです。

学生たちにはオープンキャンパスに行けと言いつつも、私たち自身が、学生たちが受ける大学に足を運ぶことはめったにありません。その大学に進学した学生の成績や人となり、卒業生の声が私たちの最大の情報源なのです。間口が狭く偏った見方だと思いますが、こういう思考回路は一朝一夕には変えられないでしょう。進学した学生が異口同音にいい大学に入れたと言っているS大学は評価の高い大学の代表です。一方、好き放題のことをして出て行った学生が不思議と受かるF大学は、私にとって変な大学の最右翼です。

明日は進学フェアが講堂であります。私の心の中の一流大学も来てくれます。その大学の先生とお話して、学生を引き付ける根源を見つけ出したいです。

わかってるつもり

5月27日(水)

中間テストの結果をもとにした面接が始まりました。

Hさんは芸術系の大学を目指している初級の学生です。中間テストはかなり自信を持っていたようですが、かろうじて合格点を超えたという点数に愕然。面接の直前まではにこやかだったのに、成績を見たら顔つきが暗くなってしまいました。授業中の様子を見ても、Hさんはできない学生ではありません。しかし、すばらしくできる学生かというとそうではなく、自分を過大評価しているところが感じられました。ですから、やっと合格という今回の成績は相当ショックだったに違いありません。

間違い方を見ると、濁点がないとか小さい「っ」がないとか、単語や活用を正確に身に付けていないことによるものがほとんどでした。その間違い方が、Hさんの話し方そのものなのです。テレビドラマやバラエティーで日本語を覚えたといいますから、不正確にとらえた音をそのまま口から出したり文字にしたりしていたのです。

多少発音が狂っていても、意思疎通はできるものです。しかし、1点を争う入試の場となると、その不正確さが「なんだかこいつ、日本語がヘタだな」という印象をもたらし、不合格につながらないとも限りません。ショックを受けている今こそと思い、多少の脅しもこめて、その点をうんと強調しておきました。

もちろん、落ち込ませることが目的ではありませんから、その後きちんとフォローをしました。こういう勉強や練習をすれば今回のようなミスは防げる、という前向きな結論にもっていきました。さて、これからの後半戦、Hさんは、心機一転、巻き返してくれるでしょうか…。

クラス替え

5月26日(火)

レベル1の進学コースは、今日からクラス替え。今までの成績によって、メンバーの入れ替えをしました。レベル1は日本語がゼロに近い学生が入ってきますから、国でちょっとでも勉強してくると、学期の初めはいい成績が取れてしまいます。しかし、中間テストも終わったとなると、本人の地力や理解力、あるいは努力の多寡が物を言うようになってきます。ですから、能力別のクラスにしたときクラスのメンバーが大きく入れ替わることも不思議ではありません。進学しようと思っている人たちで、しかも入学間もない人たちですから、この時点で努力をしていないようだと先の見込みはありません。ということは今回のクラス分けが本当の実力を反映したものだと言えます。

そんなことを考えて授業に臨みました。いきなりテストをしましたが、思ったより差がつきました。先週までのクラスが上だった学生が必ずしも上位に入ったわけではありません。トップは先週まで上から3番目のクラスだったOさんでした。Oさんは、おそらく、日本へ来てから本気で日本語の勉強を始め、この1か月半ほどで基礎知識が堆積し、頭の中に日本語のネットワークが構築されつつあるのでしょう。

Oさんはペーパーテストではよかったのですが、口頭の質問にはあまりうまく答えられませんでした。こちらは先週まで上位クラスにいた学生のほうが上でした。でも、だからと言って焦る必要はありません。Oさんたちは2017年の進学を目指していますから、これから長丁場が待ち構えています。大化けする可能性もあれば、再逆転されるおそれもあります。照る日曇る日、大波小波、いろいろあるでしょうが、一時的な追い風向かい風に惑わされることなく自分の道を進んでいってもらいたいです。

毎日続ける

5月23日(土)

昨日が運動会でしたから、今日の受験講座は気が抜けて休んでしまう学生が多いだろうと思い、プリントの印刷部数を少なめにしようと思いました。でも、それは学生に対して失礼だと思い返し、先週の出席者数と同じ部数だけ刷りました。

少し早めに教室に入ると、机がまばらに埋まっている程度でした。やっぱりなと思いながら始業のチャイムと同時に出席を取り始めると、数名がばたばたと駆け込んできました。出席を取り終わってプリントを配ろうとすると、さらに何名かが入り、この時点でプリントにほとんど余裕がなくなりました。その後、学生たちがプリントの問題をやっているときにもう3名入室し、ついにプリントが足りなくなってしまいました。結局、出席者数は先週より2名多くなりました。

遅刻はほめられたことではありませんが、運動会の翌日で休みたい気持ちもあったにもかかわらず学校まで出てきたのは、立派な心がけです。毎日勉強しなければならないことはわかっていても、「運動会の翌日だから」「誕生日だから」「久しぶりに国の友達にあったから」などと、何かと理由をつけてサボりたくなるものです。しかし、受験の神様は、そういう気持ちを抑えて毎日コツコツと努力を続けた受験生にだけ微笑むのです。

勉強に例外を設けてはいけません。例外は「アリの一穴」です。どんどん広がって、やがては土台から崩れ去ってしまいます。どんなに苦しくてもペースを乱さず続けることが肝心です。「じゃあ、風邪をひいて熱があっても頭が痛くても、頭に何も入らなくても勉強しなければならないんですか」と聞かれそうですが、私は病気にならないことも受験生のすべきことだと思っています。健康管理も受験勉強のうちです。

今日の受験講座に出てきた面々は、みんな努力が続けられそうな学生たちです。これからも勉強する気をくじくようなことにぶつかるかもしれませんが、そんなことに負けずに前進し続けてもらいたいです。

読解の採点

5月20日(水)

中間テストの採点をしました。上級クラスの読解を担当しましたが、結果は一言で表すと「まだまだ」です。

文章が読めていないのではありません。選択肢のある問題や本文の一部を抜き出す問題は、そこそこできます。しかし、作問者の意図をくみ取り、その意図するところに答える力や、読み取ったことを文字化するところに難点があります。記述式になると、何を問われているかつかみきれない姿や、表現力不足で頭の中を伝えられない様子が思い浮かびました。非常に好意的に採点したつもりですが、それでもばっさり減点せざるを得ない答案が何枚かありました。夏から始まる大学や大学院の入試を考えると、不安を覚えずにはいられません。

何名かの学生が模範答案に近い答えを出してきていますから、問題が難しすぎたとは思っていません。それ以外の学生は、文章全体を俯瞰して答えるという、上級の読解問題に必要な問題の解き方が身に付いていないのです。設問に答えながら文章の理解度を深めるという読み方が足りません。読解の授業は、教師からの質問に答えていきながら、文章の表面から見えない何物かに気付いていくものです。教師側もその追究に甘さがあったかもしれません。

さて、この学生たちの読解力はどう伸ばしていけばいいでしょうか。彼らの人生を左右する試験が迫りつつあります。それまでに何とか形にしてあげなければなりません。

電源を開ける

5月14日(木)

来学期中級に上がるべき初級最後のレベルの学生のクラスが伸び悩んでいます。文法テストでなかなか合格点が取れないのです。来週火曜日の中間テストが非常に気懸かりな状況です。

最大の原因は、問題文をよく読まないことです。助詞をきちんと読み取っていないから自動詞と他動詞を間違えたり、空欄の前後しか読まないから文全体が表す状況にそぐわない言葉を入れてしまったりしています。満点に近い成績を挙げる学生もいますから、他の学生も、同じくらいの成績とは言わないまでも、少なくとも合格点ぐらいは取れるはずです。詰めの甘さがさらけ出されています。

次に、母語の影響を脱しきれていない学生が多いことです。「下週」と書いて、その上に「らいしゅう」と読み仮名を振った学生もいました。「電源を開ける」という答えは1人2人ではありませんでした。このクラスの1つ上のレベルではこんな間違え方をする学生はいません。この両レベルの差は思った以上にあるようです。また、このギャップを飛び越えることが、初級から中級への最終関門の通過を意味するのでしょう。

そして、今までいい加減に覚えてきたことのつけが一気に表面化してきたのです。活用とか単語の発音とか助詞と動詞の組み合わせとか、そういった事柄の正確性のなさが、中級を目前にした学生たちの足を引っ張っています。これはきちんと定着させてこなかった教師の側にも原因があり、私たちも大いに反省しなければなりません。文法事項が学生の頭にこびりつくまでしつこく練習してこなかったから、初級を卒業しようかというときに馬脚を現してしまったのです。

原因を分析したところで学生たちの実力が急に伸びるわけではありません。しかし、初級最後の学期の残り半分で、学生たちの穴を1つでも埋めていくことが、私たちに課せられた仕事です。

国際貢献

5月1日(月)

ネパールの地震の犠牲者が時とともに増え、6300人を超えたと報じられています。この勢いでいくと、阪神淡路大震災の死亡者数6434人(ほかに行方不明が3人)を上回ってしまうかもしれません。地震発生域の人口密度を考えると、現時点ですでに阪神淡路大震災以上だと言ってもいいでしょう。

ネパール地震の写真を見ると、レンガ造りのいかにももろそうな家がつぶれています。ネパールは日本と同様にプレート境界上にあります。インドが南からユーラシア大陸にぶつかってできたのがヒマラヤだと言われていますから、地表面下の地殻のせめぎあいは激しいものがあるはずです。そういう国に、こういう大災害が起きる前に、震災先進国と言っていい日本が何かできなかったものでしょうか。災害救助隊をいち早く送ることも大切ですが、災害を予防する観点から何かできなかったのだろうか思わずにはいられません。

安倍さんはアメリカの議会で演説して非常に得意げですが、世界的規模で考えると、上述のような形のほうがより日本らしい、日本ならではの国際貢献だと思います。他国ができない貢献をしていくことこそ、日本の世界における地位を向上させるのです。

昨日、初級の読解の授業で地震に関する文章を読みました。阪神淡路大震災で横倒しになった高速道路の写真や、東日本大震災での津波の映像を見せました。学生に対しては、こういう地震の多い国で暮らしているのだから、日頃からその対策を怠らないようにというまとめをしました。

上級の授業なら、ここからさらに発展させ、日本がすべき国際貢献っていうあたりに話を持っていくんですがね。このクラスの学生に上級でまた会うことがあったら、そんなことも考えてもらいましょう。