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引導を渡す

4月16日(木)

受験講座が始まっています。新しくやる気にあふれた顔が加わり、教師のほうも気合を入れ直しています。私の担当している理科は、今週は各科目のオリエンテーション。今日の化学では少し脅しをかけました。

この講座を受ける学生たちは、理系大学への進学を目指しているくらいですから、国でもそれなり以上に理科の勉強をしてきています。でも、その勉強や実力がそっくりそのまま日本で通用するとは限りません。そうでない例を多数見てきました。少なくとも、現時点で学生たちが狙っている大学に入るには、平坦な大通りではなく険阻な山道を歩まねばなりません。そのことをわからせたかったのです。

化学といえば、何はともあれ周期表であり元素ですが、その元素名にはナトリウム、マンガン、ニッケルなど、カタカナ語が主力です。有機化学となると、ベンゼン、エチレン、アセチルサリチル酸、ポリエチレンテレフタラートなど、さらにカタカナ語の度合いが進みます。その他、ハーバー・ボッシュ法、ファンデルワールス力など、いくらでも出てきます。これをどばっと見せると、楽勝と思っていた学生たちの顔色が変わり、頬を引きつらせたりあきれて笑ってしまったりと、十人十色の反応でした。

毎年、カタカナ語がどうにもならなくて理系の進学をあきらめる学生が何名かいます。あきらめるのはしかたがない面もありますが、文系へと方向転換する時期が遅くなると、文系の勉強も間に合わなくなり、日本での進学自体をあきらめざるを得ない状況にも追い込まれかねません。今、思い切って理系を捨てて文系に進むと決断すれば、11月のEJUには何とか間に合います。どんなに遅くても連休明け直後がクリティカルポイントです。

だから、理系がいかに大変かということを示して、あきらめる人にはすぐに新しい道に進んでもらおうと思ったのです。消去法で理系を選んだ学生には、点を取るためにカタカナ語を覚えるという勉強はしんどいでしょう。一刻も早く方向転換したほうが、本人のためです。

今のところ、誰もやめるとは言ってきていません。今学期はファイトのある学生が集まったと思っていいのかな。

立ち直れるか

4月9日(木)

Pさんはちょうど1年前に中級に入学した学生です。大学進学のために来日し、最初の学期は出席率100%でした。しかし、次の学期から失速し、先学期は60%にまで落ちてしまいました。でも。もともとの頭がいいもんですから、テストで点が取れちゃうんですね。だから、順調に進級を続けてきました。

もちろん、今までいろんな教師がPさんに注意を与え指導してきました。そのたびに一時的には出席率が持ち直しますが、いつの間にか定位置(低位置?)に戻ってしまいます。Pさんは努力ができない学生ではありませんが、それを長続きさせられないのです。ちょっとがんばればテストで合格点を取るくらいのことはできちゃいますから、必要最小限の努力しかしないのです。優秀な頭脳が宝の持ち腐れ状態でした。

しかし、これじゃいけないことは本人が一番よくわかっていました。1年で進学ということも考えていたでしょうが、結局昨シーズンは動きませんでした。友達がみんな進学してしまい、気がつけば周りは後輩ばかり。中途半端な気持ちにけじめをつけて、どうやら本気で進学に取り組もうという気になったようです。今度いい加減なことをしたら、後輩に追いつかれ抜き去られますからね。

昼休みに会った時のPさんの目力を信じたいです。去年と同じことを繰り返したら、日本留学はPさんの青春の汚点にしかなりません。背水の陣というか土俵際というか、留学を成功に導くためにはもう妥協は許されません。それがわからないPさんじゃありません。でも、一抹の不安を抱いちゃうんですよね、教師って。どうしてこんなに疑り深いんでしょう。

教科書を買う

4月8日(水)

日中の気温が5度を下回り、みぞれがちらついた寒い1日でした。かなり強力な寒気団が南下しており、しばらくは冬に戻ってしまったかのような日が続きます。そんな中、新学期が始まりました。

私は教科書販売を担当しました。場所が地下室でしたから、キンキンに冷えた打ちっぱなしのコンクリートに囲まれて、暖房をいくら強くしてもどこかうすら寒かったです。

ただ、学生たちは非常に素直に教科書を買っていきました。一昔前なら、この教科書は先輩にもらうからいらないとか、この薄さでこの値段は高いとか、国で使っていた教科書とだいたい内容が同じだから買う必要がないとか、いろいろと難癖をつけて言い訳を構えて買おうとしない学生が少なからずいました。今日の学生たちは、これが必要だと言われればその通りに買いました。

進学を考えている学生が大半で、日本語力がつくなら数千円の教科書代など安いものだと考えているのでしょうか。それだったらなおのこと、教科書選びや教科書作りの責任が増します。その教科書を通して学生たちに何を伝えるのか、その教科書の力をフルに引き出して学生の力を伸ばせるだけ伸ばしているか、新しい教科書に寄せている学生たちの期待を裏切らない授業をしているか、自問自答したくなることが次から次へと出てきました。

午後からは授業。今日は先学期の復習でしたから教科書は使いませんでしたが、身が引き締まる思いの1日でした。

夢を壊す

4月7日(火)

昨日の入学式の挨拶では学生たちに希望を持たせるような話をし、今日の受験講座のオリエンテーションでは学生の夢をぶち壊すようなことを言う――全くもって正反対のことをしています。話しながら、嫌なやつだなと思いました。でも、受験は現実であり競争であり、自分を直視できなければ勝てません。夢と現実との距離を正確に把握し、その距離を埋めるためには何が必要かを認識しなければ第一歩が踏み出せません。

国立大学に入りたいという気持ちはよくわかりますが、国立大学は全国の日本語学校生のみならず、国外(=学生たちの母国)から出願する学生にも人気の的です。国でいい大学に入れなかったから日本でいい大学に入る、などという考えは、あまりにも日本の大学をバカにしています。国でいい大学に入れなかった学生は、よほど奮起しない限り、日本のいい大学にも入れません。

KCPは進学してからのことも考えて教育しています。学生を大学に入れるだけなら、たとえば問題集をひたすらゴリゴリやれば何とかなるでしょう。でも、それでは大学で学生の人生を形作る勉強などはおろか、ろくな交友関係も築けないでしょう。そうならないように、自ら考え発信できる人間に育ってもらおうと思っています。

これは学生にとっては楽な勉強にはなりません。高すぎる要求かもしれませんが、私たちはそういうことを考えて学生に対しています。留学生活は楽しいことばかりじゃありません。特に進学を考えている学生には、自ら進んで苦難の道を歩んでもらわねば困ります。だから、容易に夢は叶えられないという意味をこめて、厳しい話をしたのです。

もう忘れちゃった?

4月3日(金)

初級のDさんは期末テストの文法と漢字の点数がちょっと足りなかったので、先週末、昨日来るようにと呼び出しをかけていました。電話を持っていないので、メールを送っておきました。しかし、来ませんでした。メールを見ていなかったそうです。寮の職員に電話を掛けて呼んでもらい、ようやく連絡がつきました。

そのDさん、今日の午後学校へ来ました。期末テストの範囲をしっかり勉強しておくようにと、先週末のメールには書いておいたのですが、それが伝わったのが昨日とあっては、十分な勉強をしてきたかどうかは怪しいものです。

その悪い予感が的中し、Dさんに確認テストを受けさせましたが、成績が下がってしまいました。期末テストが終わってから1週間ちょっと、どうやら遊びまくっていたようです。その成績が下がった答案用紙を目の前にしても、どこを直したらいいのかよくわからない様子でした。教科書を見ても、全部を直しきることはできませんでした。

そりゃそうですよ。初級じゃまだ頭に日本語の体系が定着していませんからね。Dさんは授業中でも母語を使うことがありましたから、特にそうでしょう。そこへもってきてメールにも目を通さないほど遊んじゃったら、なんにも残っちゃいませんよ。学期休み中に一時帰国した学生が、休み明けに日本語が出てこなくて、本人も教師も呆然としてしまうのと同じです。

語学は反復練習が大切です。頭や耳や目にある程度体系ができあがれば、多少のブランクならどうにかなるでしょう。でも、その手前の学習者にとっては、ちょっとの油断が「一歩前進、二歩後退」になりかねません。いや、「ふり出しに戻る」っていう例もいくつも見てきました。

Dさんには学期が始まるまでの宿題を出しました。あまりの量の多さに顔を引きつらせていましたが、それぐらいあれば遊ばずに毎日日本語脳を鍛えることになるでしょう。さて、新学期、Dさんはどんな顔で登校してくるでしょうか。

上がる、ほしいです

3月31日(火)

初級のYさんは今学期の成績が思わしくなく、上のレベルに進級できません。それを伝えるためにYさんに電話を掛けました。私がその旨を伝えると、予想通りYさんはごねました。もう少し正確に言うと、口調から何とか上がりたいと言っているのであろうと感じ取ったのであり、Yさんの言葉そのものは何を言っているのか今一つわかりませんでした。そして、ついに、「先生、上のレベル、上がる、ほしいです。いいですか」ときました。これを聞くに及んで、もう完全にダメだと思いました。だって、これは誰が考えたって「上のレベルに上がりたいです」でしょ。一番下のレベルで習う文法ですよ。Yさんは進級どころか降級したほうがいいです。

誰だって進級したいでしょうが、無理に進級したっていいことは1つもありません。Yさんは期末テストの全ての科目で不合格でしたから、上のレベルの授業は何一つわからないでしょう。言葉のレベルが低すぎて、いずれクラスの誰からも相手にされなくなるでしょう。母国語でおしゃべりするときだけ元気な学生じゃ、その程度のお付き合いしかしてもらえません。

20分ぐらい粘った末に、Yさんはついにあきらめました。会って相談したい(Yさんは「明日、相談してあげてもいいです」と言いました)という頼みも、会っても答えは変わらないと突っぱねました。Yさんは一生懸命勉強したと言いましたが、勉強したとは思えません。必死に勉強してこんな程度の日本語しか身に付かないのなら、日本語の習得に割く時間を別のことに使ったほうがYさんの人生のためです。

Yさんは日本で進学するつもりでいます。それならなおのこと、ここで基礎固めをして踏ん張らねばなりません。それがわかっているのかな…。

直す?

3月13日(金)

卒業式が終わると上級クラスの授業がなくなって楽になるかと思いきや、今日は早速I先生の代講が入ってしまいました。期末テストでしかるべき点を取れば中級クラスに上がる学生たちのクラスです。初級のいちばん最後ともなれば、もうかなりのことがわかります。今学期受け持ってきた初級クラスの学生たちもだいぶいろんなことがわかるようになったと思っていましたが、それよりももう1つ上のクラスですから、さらにもっとわかっている感じがします。もちろん上級と比べたらいけませんが、このぐらいわかればとりあえずどうにかできるんじゃないかな。

授業の最後に、作文の清書がありました。先週I先生の時間に書いて、I先生が添削・採点なさったのを学生に返し、チェックが入ったところを直して書くのです。誤字脱字の類は誰が見ても同じですからいいのですが、表現方法に関するものとなると、すぐにはわからない場合も出てきます。本当に初級の作文なら、表現方法も限られていますから、ちょっと読み返せば赤を入れた意図がわかります。しかし、このクラスぐらいのレベルになると、学生が使える表現にバリエーションが出てきますから、教師によって直し方に違いが出てきます。どうもI先生と私とでは直し方の癖が違うようで、その調整が今日の授業の中での一番苦労した点でした。

おそらくこれはI先生と私との文体の違いによるところのものと思います。I先生のお書きになった文章を読んだことはありませんが、たぶん私とは違うリズムの文章なのでしょう。最近はあまり作文の授業をしていませんでしたから、いつもとは違う刺激を受けました。清書した作文を提出してもらいましたが、これをさらに私流で直すと、学生たちは困っちゃうかな…。

取り返す

3月12日(木)

Tさんは先学期私のクラスだった学生で、今学期は上級に進級しました。先学期もそうだったのですが、病気で休むことがちょくちょくあります。でも、まじめな学生なので、休むことを非常に気に病んでいます。今日は、休んだ日にやった文法項目を使って例文を書いてきました。担任の先生がいなかったので、私が代わりに見てあげました。

文法の意味を的確にとらえた例文でしたからほめたところ、おとといも例文を作ってきたけれどもボロボロに直されたので作り直してきたとのことでした。明日がこの文法項目を含む範囲のテストだから、どうしても頭の中をはっきりさせておきたかったのだそうです。たとえテストで合格点が取れても、わからないことが1つでもあるのが許せないのでしょう。

みんなTさんみたいな学生だったら、多少欠席しても文句は言いません。でも、よく欠席する学生に限って、休みっぱなしなんですよね。休んだ日にあったテストすら追試を受けようとせず、そのくせ点数が足りなくても進級したいと言うのです。こちらはなんとなくわかってりゃそれでいいだろうってしか考えないのでしょう。

私の担当している初級クラスにも、こういう考えじゃないかと思われる学生がいます。初級の文法がいい加減だと絶対に伸びません。後になってから修正するのは、今ここで勉強し直すのの数倍も労力がかかります。口をすっぱくして注意してもそれが見えないのは、しょうがないのかな。

学生はすべからくTさんのようにあるべきです。勉強にはそういう厳しさが必要です。それがごく自然に身についているTさんは、一流の要素を持った学生だと思います。