Monthly Archives: 8月 2017

復活まで

8月14日(月)

受験講座から帰ってくると、K先生が不機嫌そうにコンピューターの不調を訴えていました。ある操作をするとコンピューターが動かなくなってしまうというものです。普通はそんなことにはなりませんから、まさかと思いつつ気安く私も同じ操作をしてみました。私が操作をするのとほぼ同時に、K先生から「動きました!」と明るい声が。その反対に、私のコンピューターは固まってしまってさっぱりいうことを聞かなくなってしまいました。

あれこれ試みて、やっと復活したのが3時間後。いつもの日なら、テストの採点や宿題のチェックなど、コンピューターを使わない仕事が山ほどありますが、今日は中間テストの前の日なので、そういったものがありません。しなければならない仕事はあるのですが、どれもこれもコンピューターを使わないとできない仕事ばかりで、コンピューターなしでできる仕事は受験講座の問題を解くことぐらい。

自分の仕事がこんなにもコンピューターに頼っているのかと、改めて驚かされました。確かに、授業や学生対応をしているとき意外はコンピューターをいじっていることが多いです。紙ではなく電子的に保存している資料もたくさんあります。バックアップを取っているつもりでも、完全ではありません。ハードディスクがやられていたらどうしようと、コンピューターが復活するまでの3時間、大きな不安に襲われました。

復活しなかったらこうしてブログを書くこともできなければ、救える文書は救わねばなりませんから日付が変わらぬうちに帰れるかもわからなかったところです。むやみに“不調”の荒波に飛び込んではいけません。仕事のやり方をちょっと考えさせられた事件でした。

見詰める

8月10日(木)

だんだん入試シーズンが近づいてきて、それに向けた指導も始まっています。面接での受け答えを見ていますが、現時点では私のクラスの学生で対外戦ができそうなのは2~3名程度でしょうか。独自色が全くないというか、面接官がうんざりするような話ばかりというか、まあ、自分を売り込むとか面接官の心を捕らえるとかというゴールの対極にあるような答え方ばかりでした。

1クラス分の答えを列挙してみると、似たり寄ったりの内容が並び、それを見た学生たち自身も、これではいけないと多少は刺激になったようです。刺激になったのはいいとして、じゃあ、横並びから脱することができるようなネタを持っているのかというと、それもまた怪しいような気がします。学生たちの人生や経験が無色で平板極まりないものだとは思えません。しかし、そういった「今まで」を、面接で点が取れる答えにまで加工していく技術が、学生たちにはまだまだ足りません。今ここで自分の人生を違った角度から見つめ直すことは、これから男盛り女盛りを迎える学生たちにとっては非常に有意義だと思います。入試のためなどという狭く功利的な気持ちから離れて、是非しておいてもらいたいことです。

ナンバーワンよりもオンリーワンとはよく言われますが、常にオンリーワンを目指し続けるというのも、精神的にはしんどいのではないでしょうか。でも、土曜日のスピーチコンテストの審査員をしてくれた卒業生たちは、オンリーワンを追求してきたのではないかとも思います。そういう先輩を見習って、今の学生たちにも敢えて茨の道を進んでもらいたいと思っています。

猛暑日

8月9日(水)

「38度になるってテレビで言ってましたよ」と、朝の校舎内のお掃除をしてくださっているHさんは、おはようございますもそこそこに、そう言いました。そういえば、ゆうべは蒸し暑かったです。台風が南の暑くて湿った空気を運び込んできたのでしょう。スタートラインが高くて、しかも朝からきれいな青空。ガンガン暑くなりそうです。

先月末に予定されていて雨で延期になっていたバザーが予定されていましたが、猛暑日疑いなしということで、再び延期となりました。前回は半袖では寒いほどでしたから、足して2で割ってもらえるとよかったのですが、お天気の神様はそんな器用なことはできないようです。

東京は正午過ぎに37.1度を記録し、当然、今年の最高気温。午前の授業が終わって外に出た学生たちも、どことなく足取りが重たげでした。でも、おとといが立秋だったんですよね。だから、このどうしようもない暑さも残暑となるわけです。何だか理不尽な気がしますが、暦の上ではそうなります。

花園町内会は、来週の17・18日に盆踊り大会を行います。明日は夕方から花園小学校で盆踊りの練習会があります。KCPも町内会から声をかけていただいたので、学生たちから盆踊りの練習会への参加者を募りました。先月浴衣販売を行い、その浴衣を着るチャンス到来と思ったのでしょうか、練習会で一大勢力をなしてしまいそうな人数が集まりました。立秋は過ぎても、夏たけなわです。

天気予報によると、明日以降は天気が下り坂になるとともに気温も下がり、むしろ平年を下回る日も出てくるとか。そういわれると、何だか寂しい気がするのは、夏の暑さがまだ足りないからなのでしょうか。

仏の先生

8月8日(火)

今朝、教室に入ると、漢字のテストがあるというのに、Wさんの姿がありませんでした。Wさんは、今学期に入ってからというか、1年前からずっと出席率について目を付けられていて、先学期の先生からもよからぬ引継ぎを受けています。先週の金曜日は朝から来ていたのですが、また悪い癖が出始めたのでしょうか。

などと思っていたら、10分ほど遅刻で入室。漢字のテストは途中から参加で、制限時間はみんなの半分ほどになってしまいました。そんなわけですから、成績がよかろうはずがありません。答案用紙を見る限り、勉強してきた形跡もなく、もしかするとテストがあるとは露ほどにも思わずに、安心して(?)遅刻してきたのかもしれません。

他のテストも推して知るべしで、未受験か不合格かのどちらかです。私の心の中では、早くも来学期進級させない学生のリストの筆頭に記されています。学生としての義務を果たしていないのですから、同情の余地など全くありません。

でも、わたしはWさんを厳しく叱ってはいません。今学期は、日本語のクラス授業以外にも、受験講座やら養成講座やら山ほど仕事を抱えています。入学以来歴代のWさんの担任教師も叱り続けています。それでも改善の兆しが見えないのですから、私ががみがみやったところで心を入れ換えてくれるとは思えません。効果があるかどうか覚束ない学生の説教に時間を割くよりも、進学相談などで私を必要としている学生たちのために時間を使いたいです。Wさんは私を優しい先生だと思っているかもしれませんが、実は最も冷たい仕打ちをしている教師なのです。

目をかけているがゆえに厳しく当たるのです。叱られるとは期待されているということなのです。学生の皆さん、先生が「はいはい」と言うことを聞くようになったら、あなたはもう終わりですよ。

心を動かす

8月5日(土)

今年のスピーチコンテストは土曜日開催とあって、審査員として日本で就職した卒業生が何人も来てくれました。会社名を並べると、結構なところばかりで、みんなKCP卒業後努力を重ねてきたのだなあと思わずにはいられませんでした。顔や声は変わっていなくても、内面は大きく成長しているのです。

初級から上級まで、多種多様なスピーチが聞けましたが、会場全体が盛り上がったのは、わかりやすく共感できるスピーチ、アイデアが豊かでユーモアが感じられる応援でした。また、今年はパフォーマンスを中心にしたスピーチをひとかたまりにして競い合わせましたから、見るスピーチが華やぎを添えました。

もちろん、正統派のスピーチも健在です。社会問題に真剣に向き合うスピーチもまた、多くの学生の心を動かしました。全学生が参加する学生審査にもそれが明確に現れていて、私たちが感心させられたスピーチは、学生をも捕らえていたようです。

ただ一つ気になるのは、審査員のK先生もおっしゃっていましたが、パワーポイントの画像などに頼るあまり、ことばの力だけで聴衆を動かそうというスピーチが少なくなったことです。正統派スピーチで最高点だったJさんは、パワーポイントは使いませんでした。そのスピーチには確かな力強さも感じました。しかし、画像があるスピーチは、わかりやすくなる代わりに、言葉による説得力が弱かったように思いました。この点が、Jさんと他のスピーカーとの差になって現れたのではないかと思いました。

スピーチコンテストを作り上げるまでに、どこのクラスでも幾多の紆余曲折がありました。その紆余曲折を乗り越えたことによって、賞はもらえなくてもさわやかな満足感が得られたのではないかと、コンテスト終了後の学生たちの顔を見て思いました。

有名じゃないけど

8月4日(金)

スピーチコンテスト前日とあって、どこのクラスも応援やスピーチの練習に余念がありません。私のクラスも授業の最後の15分は応援練習にあて、「恥ずかしいと思わないで手足を思い切り動かせ。そうじゃないとかえって恥ずかしいぞ」などといっちょまえくさったアドバイスなんかしちゃいました。

スピーカーの練習が終わったころ、F大学の留学生担当の方がいらっしゃいました。F大学は今年Sさんが入った大学で、Sさんは勉強にもクラブ活動にも力を入れているとか。KCPにいるときにはおとなしい印象しかなかったんですが、F大学ではかなり積極的に動いているようです。

だから、今年もSさんのようなすばらしい学生を送ってくださいというのが、F大学の方の訪問主旨です。F大学は、首都圏では高い評価を得ている大学ですが、KCPの学生の母国では知名度がゼロに近いです。Sさんにとっても、私たちが紹介して始めて知った大学です。私たちがなぜF大学を紹介したかというと、F大学は進学した学生が非常に満足していて、奨学金制度も充実しているからです。F大学の担当の方は、それに加えて、留学生と日本人学生とのつながりが強いこと、就職のケアも手厚いことなども強調なさっていました。

日本人の18歳人口の激減を控え、どこの大学も生き残りに必死です。生き残り策の1つとして、にわかに留学生を増やそうというのには与したくありません。F大学のように誠実に留学生を育ててくれる大学とのつながりを築き、そういう大学に1人でも多くの学生を送り込みたいと思っています。

初黒星

8月3日(木)

横綱だって負けることがあります。詰めを誤ったとか油断したとかで、負けるはずのない相手に苦杯を喫することを取りこぼしといいます。でも、横綱が絶対してはいけないことは、連敗です。

連勝を続けてきたPさんがお父さんと長時間話をして、その後宿題や受験勉強などをして、寝たのが2時だったというのは、おとといの深夜というか、昨日の未明でした。アラームをセットし忘れたため10時半まで熟睡し、ついに黒星を喫してしまったのが昨日の授業でした。出席率100%の記録が途切れてしまったので、その後ずっと機嫌が悪かったそうです。こんなつまらぬことで記録を途絶えさせてしまったという気持ちが強かったのでしょう。

そして、午後の受験講座の教室に、通常授業も選択授業も受験講座もすべての科目のノートにしているルースリーフを忘れてきてしまいました。それを見つけたのが、次の時間にその教室を使った私でした。Pさん独特の几帳面な字を見つけ、すぐに担任の先生に届け、上述の話を耳にしたのです。

100%でなくなったとたんに生活ががたがた崩れて奈落の底に落ちていった学生の顔は、いくらでも思い浮かびます。今朝は、Pさんもそうならないようにと祈りつつ出勤しました。午前の後半の選択授業を終えて後片付けをしていると、私の教室にPさんが入ってきました。お昼の時間帯の受験講座が私の教室で行われるからです。

「Pさん、あんた、昨日教室にノート忘れたでしょう」「え、先生、どうして知っているんですか」「見つけたの、私ですから」「ありがとうございました」

Pさんは連敗はせず、昨日の不機嫌さはかけらも見せず、いつものにこやかな表情が戻っていました。ここを乗り切れば、また連勝を重ねていけるでしょう。皆勤賞は逃しましたが、精勤賞を目指して頑張ってください、Pさん。

8月2日(水)

今学期から受験講座を受けているLさんは、まだ初級の学生です。Lさんが勉強しているEJU生物の過去問をさせてみると、問題文を読むのに恐ろしく時間がかかります。カタカナの言葉はからっきしだし、未習の和語に出くわすと意味が取れなくなってしまいます。

次のEJUまで3か月ちょっとありますが、この調子だと相当苦しい戦いになりそうです。確かに、問題文の意味や選択肢の内容を把握したら、ほぼ全問正解にたどり着きます。国でしっかり勉強してきたことがうかがえます。しかし、いかんせん時間がかかりすぎます。これでは、問1から問5までは全問正解だけど、問6以降は白紙などということにもなりかねません。化学も同様であることは想像に難くありません。

Lさんと同じレベルの学生でも、実戦に堪えるスピードで問題が解ける学生がいます。だから、この問題の根本は、Lさんの日本語読解力が足りないことだといえないこともありません。生物の問題の前に読解力と速読する力を付ける訓練をすべきだ――というのは正論です。しかし、Lさんに読解の練習問題ばかりさせたら、きっと勉強がいやになってしまうでしょう。Lさんが一番好きで一番得意な生物を通して、Lさんの日本語力を伸ばす手はないかと、模索している最中です。

同時に、日本語は日本留学の壁になっているのだなあとも思います。このままでは、EJUの問題が読めないがゆえに、Lさんは日本留学をあきらめざるをえなくなるおそれがあります。専門に関しては優秀な頭脳を持っているにもかかわらず、それを評価してもらうに至らず、日本を後にするかもしれないのです。もちろん、そんなことにならないように全力を尽くしますが…。

新たな発見

8月1日(火)

日本語教師養成講座の講師をしていると、やはり自分の教え方を振り返ることが多くなります。ことに今回は、日本語文法全体を概観するというよりは、初級の文法を集中的に講義していますから、なお一層そういう傾向が強くなっています。教科書をもう一度も二度も読み返してみると、講義内容に関連して、教科書の編者の苦労が見えてきたり、逆に教科書の粗が浮かび上がってきたりしています。

そうすると、自分の教室での教え方の過不足も感じられ、思わず反省したりします。ここは私の思い入れが強すぎたとか、こんな突っ込み方じゃ編者が泣きそうだとか、あれこれ思うところがあります。今学期も初級クラスに入っていますが、そこは初級の終わりのレベルで、初級の入口に近いほうは、このところ代講でたまに入るだけです。ですから、せっかく反省してもそれを生かすチャンスがあまりないことが残念なところです。

でも、上級や超級の学生ですら、こっそり初級文法を間違えていますから、それを正したり未然に防止したりする際に、今回の知見が日の目を見るのではないかと思っています。養成講座の講義でも、この文法は初級で勉強しますが実際に使えるようになるのは中級になってからだよとか、これが使いこなせたら上級だねとか、そんな話もします。こういう話ができることこそが、私が養成講座をする意義であり、同時にこの学校の養成講座の特色だとも思います。

私に講義のネタを提供してくれる学生の皆さんに対して、感謝してやみません。