Monthly Archives: 6月 2018

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6月18日(月)

大阪北部で地震がありました。マグニチュードは約6ですから、日本では1か月に1回は発生する規模で、決して珍しいものではありません。ただ、発生したのが有馬高槻断層付近ですから、おととしの熊本地震と同じパターンで、数日中にこの地震よりもさらに大きい地震が同じ断層上で起こるおそれがあります。この断層は、秀吉が建てた伏見城をつぶしてしまった慶長伏見地震を引き起こしています。それから400年余りの間にたまった地質的なひずみが今朝の地震を機に解放に向かったとしたら、ちょっとこわいものがあります。

この地震で、小学4年生の女児とお年寄り2名の3名が亡くなりました。女児は、自分が通う市立小学校のプールを囲う目隠しの塀の下敷きになったといいますから、市の責任が厳しく問われることになるでしょう。地震大国の日本に、震度6弱程度の揺れで倒れてしまう公共の建造物があるとは信じがたいものがあります。でも、阪神淡路大震災から20年あまり、1995年当時は健全であっても老朽化が進み危険領域に入ってしまった建物があったとしても、全く不思議ではありません。

東京では揺れを全く感じなかったので、学生たちの間では話題にもなりませんでした。昨日のEJUが難しかったとかいうことを、授業中ひそひそと話しているようでした。私は事あるごとに言っていますが、日本に留学するには、地震と心中する覚悟も必要です。春秋に富む留学生にも無差別に襲い掛かる魔の手が自分の足元から伸びてこないとも限らないのです。

明日ですよ

6月16日(土)

明日がEJU本番ですから、受験講座のEJU日本語も最終回。今学期は初回と最終回が私の担当でしたが、最終回にいたっても、遅刻してきたり試験中にトイレに出たり床に何かを落としたり、いまひとつピリッとしませんでした。床に落としたものを拾おうとしてもぞもぞ動いたら、カンニングを疑われてもしかたがありません。また、拾ってあげたとしても不正行為だと思われかねません。遅刻やトイレは論外です。

毎回、つまらぬところで引っかかって不本意な成績に終わる学生が出てきます。ケータイを鳴らしたとか、数学のコース2を選んだのにコース1の問題を解いて答えてしまったとか、成績が予想よりかなり低いからマークする場所を間違えたんじゃないかとか、情けないかぎりです。学生たちの国にも日本同様の厳しい受験競争があるのに、どうしてこうなっちゃうのでしょう。日本の大学受験をなめてるのだとしたら、もってのほかです。

6月のEJUで高得点を挙げて11月は受けずに大学の独自試験にじっくり備えるのが理想だと、初回に訴えました。LさんやXさんなど、そういうふうに戦って第一志望の大学に進学した例が最近目立っています。ことに今学期超級クラスにいる学生にはそうしてもらいたいですけれども、どうでしょうか。理系は、数学や理科の筆頭試験の練習を早く始めたいです。マークシートとは違う頭の使い方をしなければなりませんからね。

明日、学生たちが試験に取り組んでいるころ、私は歯医者の椅子の上です。学生たちの健闘を祈っている余裕もありません…。

しばらくのお別れ

6月15日(金)

私が受け持っている初級クラスは、みんなの日本語20課の普通体での会話でした。まず、毎度おなじみですが、「うん」と「ううん」がうまく言えず、疑問文の尻上がりイントネーションが不自然極まりなく、お互いにずっこけ合って大混乱。しばらく練習して、ようやくイントネーションがまともになり、リズムが取れるようになってきました。積極的に口を開いていたIさんやLさんは自然な話し方になりましたが、口頭練習をごまかしていたSさんやZさんは、いかにもガイジンというたどたどしさのままでした。

文法の期末テストは筆答式ですから、「休みに国へ帰る?」「ううん、帰らない」などと書ければ点がもらえます。しかし、オーラルコミュニケーションをおろそかにしてはいけません。話せないことを放置しているということは、自分の周りに自ら垣根を築いているようなものです。それでいて日本人の友達がほしいなんて、虫が良すぎます。

こういう学生は上級にも山ほどいます。普通体の会話だけが身について、いくら注意してもフォーマルな話し方をしようとしない学生もいます。自分の頭の中の文法や語彙を組み合わせて、日本語教師ですらすぐには理解できない難解な日本語を駆使する学生も後を絶ちません。その難解な日本語を生産するように思考回路が固まってしまっていますから、初級の学生よりもたちが悪いです。しかも、上級の学生たちには、入試の面接が迫りつつあります。修正するにしても、時間との戦いになります。

来週の金曜日は期末テストですから、金曜日の初級クラスの授業は今週で最後です。次にこのクラスの学生たちに会うのは、中級か上級の教室ででしょう。そのときまでに、どんなふうに成長しているでしょうか。滑らかに久闊を叙することができるでしょうか。

殺人事件を語る

6月14日(木)

代講で上級のクラスに入りました。このクラスには、先学期までに教えた学生が何名かいるはずなのですが、朝、出席を取ったときには1名を除いていませんでした。2名が遅刻して入室しました。私の顔を見て驚いていましたから、「私が教えた学生ばかり遅刻しているということは、私の教え方が悪かったんですかねえ」と言ってやったら、恐縮していました。こういう皮肉が通じるのが、さすが上級です。でも、他はとうとう姿を現しませんでした。教えた学生が乱脈なことをしていると、気になるものです。

このクラスは、毎週、その週の気になるニュースについて語り合うことになっています。早速学生たちに聞いてみると、米朝会談という声が上がりました。今週はそうですよね。でも、それについてあれこれ語るというレベルには至りませんでした。それは、話す力が足りないというよりも、話題が話題だからめったなことを話せないと自己規制した面も感じました。また、明らかに興味がないという顔つきの学生もいました。

その証拠に、別の学生が新幹線殺人事件について語り始めると、あちこちから意見や感想が出てきました。この手の話題なら身近に感じられ、また、政治がらみじゃありませんから好き勝手なことが話せると思ったのでしょう。先週あたりは、紀州のドンファンの話でもしたのでしょうか。

文法もしました。出てくる質問が中級あたりとは違うと感じた反面、中級までに習ったはずの項目を忘れているとも思いました。同じことを繰り返し勉強していくうちにそれが定着するのですから、その辺は大目に見ましょう。上級に在籍しているということは、語学のセンスもあり、それなりに努力もしてきたからにほかなりません。卒業まで3学期ありますから、さらに自分を伸ばしていってもらいたいと思いました。

異文化体験?

6月13日(水)

畑で取れたてのトマトはおいしいという意味の文が教科書に出ていましたから、学生たちに“取れたてのトマトを食べたことがありますか”と聞いてみました。クラスの半分まではいきませんでしたが、都会っ子が多いですからほとんどいないんじゃないかという私の予想を裏切って、数人が目を輝かせながら反応してくれました。

「赤くて本当においしいです」「冷えてないけどおいしいです」などという声に混じって、「砂糖を付けるともっとおいしくなります」と発言した学生がいました。「砂糖? トマトは塩でしょう」と私が応じると、蜂の巣をつついたような大騒ぎになってしまいました。トマトに塩なんて絶対にありえないというのが、学生たちの意見です。今までの食習慣と言ってもいいでしょう。この点、国籍を越えて一致していました。

「せっかく取れたてのおいしいトマトがあるのに砂糖なんかかけたら、まずくて食えなくなるだろう」「塩をつけるくらいならわさびをつけます」「わさび? いいじゃないか。砂糖よりずっとおいしそうだよ」「えーえっ、じゃあ、しょうゆは?」「うん、いいねえ。わさび醤油っていうのもおいしそうだなあ。砂糖をつけるくらいなら、なんでもおいしそうに見えてくるよ」…というぐあいで、主張は交わることがありませんでした。

実は、20年ぐらい前に中国へ行ったとき、砂糖のかかったトマトスライスが毎日のように出てきて、非常に驚きました。砂糖のかかっていない部分を探し出して食べていました。

これも文化の違いかなと思って、この原稿を書く直前にインターネットで調べてみたところ、日本でも砂糖派が増えつつあるのだそうです。「日本人は絶対塩だよ」って言い切ってしまいましたが、早計はいけませんね。

背伸びの前に

6月12日(火)

期末タスクの時期です。私のクラスの学生たちが書いた発表原稿を見ました。まったく意味不明な原稿はありませんでしたが、細かく見ていくと、突っ込みどころが満載でした。

ネットで調べて原稿を作ってもいいということにしていますが、中にはネットの書かれていたことをそっくりそのままコピペしていると思われるものもありました。コイツがこんな難しい単語を知っているわけがないっていうのが散見されます。“難しいことを易しく”というタスクの目標を掲げましたが、“難しいことをさらに難しく”という原稿になっていました。検索で引っかかったそれっぽいページを書き写したら、もう安心しているのです。そんなの、「〇〇はどういう意味ですか」と質問されたら、しどろもどろになって、発表が瓦解してしまうに違いありません。

発表に使っているのは易しい言葉だけれども、内容は深めてもらいたいのです。いや、易しい言葉で説明しようと努力することによって、内容が深まると言ったほうが正確でしょう。ですから、直すにも学生の言わんとしていることを噛み砕いて、このぐらい誰でもわかりそうな言葉で書くんだよと例示するようにしました。私たち日本語教師はそういうのを日々やっていますから、鍛えられています。学生たちは、小論文なんかではむしろ背伸びするくらいの気持ちで書いているでしょうから、急に「易しく」と言われても戸惑ってしまうかもしれません。

でも、プレゼンテーションで求められるのは、背伸びよりも明確さであり、それは平易な表現によって裏付けられることがほとんどではないでしょうか。明日もタスクの作業がありますが、この点を学生たちに訴えていきます。

ある100点

6月11日(月)

今週の最初の仕事は、金曜日に入ったレベル1のクラスにディクテーションテストの採点でした。本来は金曜日中に済ませておくべき仕事だったのですが、ドライアイがあまりにひどかったので、今朝に回したのです。

来週の金曜日が期末テストですから、レベル1も終盤戦です。順調に力を伸ばし、このディクテーションテストでも満点かそれに近い点数を取った学生もいる一方で、表記も満足に身についておらず、点が取れたのは促音も長音も拗音もない短い単語1つという学生もいました。後者は明らかに遊んでばかりいましたから当然の結果ではありますが、他人事ながら授業料がもったいないなあと思います。

私が密かに喜んでいるのは、今まで詰めが甘いと思っていたSさんが100点を取ったことです。今学期、今までに私が採点したテストや宿題では、頭では理解しているものの、どこかで何かが抜けたり余計だったりして、満点を取るには至りませんでした。中間テストでも、ケアレスミスと言っていい間違いがどの科目にも1つずつぐらいあり、それを指摘するとSさんは実に悔しそうな顔をしていました。

話し方も、文の最後まできちんと「です・ます」で話すのではなく、文末を省略したりむにゃむにゃとなってしまったりしていました。Sさんの志望校はレベルが高いですから、そんないい加減なことではいけないと注意しました。その注意が効いたのかどうかわかりませんが、金曜日のテストは濁点の有無も動詞や形容詞の活用形も、すべてが完璧でした。

日本語の正しさを追求するあまり学生が窮屈に感じてしまうのもよくないと思いますが、きれいな日本語は正しい日本語がもとになっているように思います。

将来計画

6月8日(金)

レベル1のKさんは、中間テストは合格点を取りました。しかし、中間テスト以降の文法テストでは、連続して赤点です。中間テストも余裕のある合格点ではありませんから、来学期進級できるか不安になってきたようです。授業後の面接でも、そこのところを繰り返し繰り返し聞いてきました。

来週からのテストでしかるべき点数を取れば、計算上は進級可能です。しかし、先週今週のテストで赤点の学生が、それより内容の複雑な来週以降のテストで、今までの赤点を挽回するような高得点が挙げられるとは、到底思えません。平均して最終成績がかろうじて合格基準点を上回ったとしても、来学期進級したレベルで非常に苦しんで、おそらくその次の学期は進級できないでしょう。

一番下のレベルから進級できないのは、Kさんにとっては忸怩たる思いでしょう。しかし、一番の基礎の穴を埋めておけば、それを土台として伸びていけます。その穴を放置したまま進級してその上に何かを築こうとしても、正に砂上の楼閣です。基礎がないのですから、何回挑戦しても賽の河原よろしくそのたびに潰えてしまうでしょう。

だから、Kさんが妙に頑張ってぎりぎりの点数で上がってしまうことは、決してKさんの幸せな将来につながらないと思っています。目先の利益を追うより将来を見据えてもらいたいのですが、「進級できない=暗黒の未来」という考え方から離れられないのが普通です。こんな話は、通訳してもらっても理解してもらえないに違いありません。じゃあ、どうすれば気持ちが伝わるのでしょうか。それが、どうしてもわかりません。

勘を磨く

6月7日(木)

朝、昨日担当した中級クラスの文法テストの採点をしました。1枚目の学生が結構いい成績でしたから調子よく行きそうだと思ったら、2枚目からがガタガタで、終わってみれば赤点の山でした。

中級も後半となると、使用範囲が限られていたり、前件の動詞などの活用形が決まっていたり、後件のテンスやモダリティーに制限があったりなど、取り扱い注意の文法項目が連続して登場します。そういう文法は汎用性はありませんが、ここぞというときに使うと文が引き締まります。ですから、小論文などで用いてほしいのですが、テストの結果を見る限り、それはまだまだ先のことのようです。

学生たちはそういう文法に触れたことがないかというと、そんなことはないはずです。聞いたり読んだりはしていますが、文脈から意味がわかってしまい、そこに使われている文法はスルーしてしまっているのです。それに改めて目を向け、きちんと覚え、今度は話したり書いたりできるようになってもらおうと思っているのですが、これが一筋縄ではいかないのです。

超級ともなると勘が働いて、要注意の部分を上手にクリアして使えるようになってきます。この勘を鋭くするには、アンテナの感度を高めて、教わった文法が使われている場面をすかさずキャチして、使用状況を分析することが必要です。時々、この前こういうときのこういう文法を使っていたのだが、これは正しい使い方だろうかと聞かれることがあります。これができる学生は、一般に好奇心が強いですね。成績優秀でも自己完結してしまう学生は、ここまでには至りません。

中級の学生たちに、今、それを求めるのは酷ですが、そういう方向に成長していってほしいと思いながら、赤点を成績簿に入力しました。

アジサイとカタツムリ

6月6日(水)

うちの近くの植え込みに咲いているアジサイが、とても色鮮やかで目を和ませてくれます。私が見るのは毎朝4時40分ごろですから、空気も澄んでいることもあり、より一層瑞々しく見えるのでしょう。アジサイは漢字で書くと「陽」の字が入りますが、陽がさんさんと降り注ぐ中で見る花じゃないような気がします。明るくなったばかりの、湿り気を含んだ空気を通して見たときが一番映えると思います。

KCPの6月の目標は「梅雨を楽しもう」です。学生たちに雨の日の楽しみ方を聞いてみましたが、返ってくる答えは「寝ます」ばかり。雨が降るたびに寝ていたら、これから先、睡眠過多になっちゃいますよ。お店屋さんの雨の日サービスなんてヒントを出しましたが、学生たちはピンと来なかったみたいです。本当にどこも行かなくなっちゃうのでしょうか。

「梅雨を楽しもう」のパワポのスライドに描かれていたアジサイの絵に、カタツムリもひょっこりくっついていたので、「これは何と言いますか」とクラスの学生たちに聞いてみました。みんな、「ああ、あれだ」とう顔つきになりましたが、名前を知っている人は1人もいませんでした。答えを教えてやると、ほとんどの学生がノートにメモっていました。カタツムリもまた、留学生だけが知らない日本語のようです。

梅雨入りが発表されました。平年が6月8日ですから、順当なところでしょう。朝から雨が降ったりやんだりでしたから、傘立ては久しぶりににぎわっていました。関東甲信地方の平年の梅雨明けは7月21日。その頃には、6月のEJUの結果が出ます。雨だからって寝ている暇などありません。