Monthly Archives: 9月 2019

ニュースで鍛える

9月12日(木)

木曜日の選択授業は、早くも期末テスト。開始が早かったことと、木曜日は1回もつぶれなかったことが相まって、学期末の2週間以上前に期末テストを迎えました。

私が担当したのは、中級の学生向けのドラマとニュースの聴解です。中間テスト以降はニュースの聴解をしてきましたから、聴解テストもニュースを聞いて答える問題でした。いきなり聞かせても目が点になるでしょうから、ディクテーションをして、ヒントを与えてから本番に臨みました。みんなこちらの想定通りに点を取ってくれました。

私が英語のリスニングに力を入れたのは、就職して間もないことでした。その会社で英語を使うセクションを望んだわけではありませんでしたが、英語ぐらいわからないとエンジニアとして恥ずかしいというくらいの気負いはあったかもしれません。

私が英語力をつけるためにとった手段は、NHKの7時のニュースを英語で聞くことでした。今から30年以上も昔のことですから、スマホもインターネットもありません。無料で毎日役に立つ英語が聞けるのは、NHKニュースぐらいしかなかったのです。音声多重放送のチューナー内蔵ビデオデッキを買い、毎晩7時のニュースを録画して英語音声で聞きました。効果があったかというと、政治経済関係の語彙は確実に増えました。画面を見ながら何回も繰り返し聞いたので、英語と日本語の対応がわりとたやすくついたのです。それから、英語の話し方のリズムも体得できましたね。でも、話す訓練ができませんでしたから、英語ペラペラには程遠いレベルでした。

EJUやJLPTの成績を見ると、KCPには聴解に難点のある学生が多いようです。ニュースを聞くことにより、語彙とともに日本語のリズムも身に付けてほしいと思っています。今は生のニュースよりずっと優れた教材があるでしょうが、世間知らずの学生にとっては、長い目で見ると、ニュースの方が得るものが多いように思います。

卵のもがき

9月11日(水)

私のクラスのHさんは、音楽大学志望です。アートウィークに参加してもらおうと、クラスの教師全員で勧めました。手を変え品を変えHさんの気持ちを盛り上げようとしましたが、最後まで首を縦に振ってくれませんでした。

そのHさんが、アートウィークの演奏会に足を向けました。ピアノやフルートの演奏に耳を傾け、歌の発表も聞きました。昨日も登場したPさんのピアノ演奏も、当然聞きました。その後、「あのぐらいの演奏だったら私でもできました。私も出ればよかったです」と、一緒に行ったS先生に漏らしました。「次のアートウィークには、必ず参加します」と力強く宣言しましたが、来年3月卒業予定のHさんには“次”はありません。S先生にそう言われると、Hさんはとても残念そうな顔をしたそうです。

Pさんが紡ぎだした音が、Hさんの芸術家魂に火をつけたのかもしれません。でも、“後悔先に立たず”を地で行くような話じゃありませんか。このアートウィーク、才能豊かな学生たちに発表の場を与える意味も含まれています。この場で自信をつけ、それが進路に好影響を及ぼせば、喜ばしい限りです。Hさんだって、このチャンスを生かせば、Pさん同様の喝采を浴びられたでしょう。

「やればできるんだ」と「やったんだ」との間には、画然とした違いがあります。Pさんは境界線の向こう側へ軽やかに飛んで行ってしまい、Hさんは地べたに体育座りしてその姿を見ているのです。芸術家は、「作品」を多くの人の前に出すことで、鍛えられ成長するものです。その勇気がなければ、つまり頭でっかちなだけでは、誰からも見向きもされません。自画自賛だけではガラパゴス的芸術家になってしまいます。

こうなったら、卒業式の余興を狙うしかありませんね、Hさん。

アートに浸る

9月10日(火)

私のクラスにも、暇さえあれば絵を描いている学生や、音楽大学に進学しようと考えている学生や、めちゃめちゃ高そうなカメラを持っている学生など、芸術方面に興味を示している学生がけっこういます。でも、KCPには芸術的素養に恵まれた学生が大勢います。

今週はKCPアートウィークで、そんな学生たちが精魂込めて生み出した作品が展示されています。きらめく一瞬を切り取った写真、逆に長い時間を変えて追い続けた写真、実にうまく対象の特徴を捕らえた絵、見る人の目を引き付けて放さない色遣い、こちらまで元気になってくる筆の勢い、今、外は猛暑日ですが、KCPの6階は芸術の秋たけなわです。

それに加え、授業後、演劇部の発表とピアノと歌のパフォーマンスがありました。演劇は、今回もチョイ役で出させてもらいました。前回はセリフを飛ばしてしまいましたが、今回は、先週土曜日の特訓のおかげで、どうにか大過なく(小過はありましたが)役を演じることができました。

演劇に出たNさんは、先学期私のクラスでした。目立たない学生でしたが、ステージ上では腹の底から声を出し、全身で演技していました。にわかに信じられない大変身でした。

Pさんはピアノを演奏してくれました。力強い音がギンギン心に響いてきました。そのPさんのピアノに合わせて伸びやかな歌声を披露してくれたNさんは、歌っている時の表情が芸術家でしたね。先週金曜日に初めて入ったクラスにいたGさんも、ステージに立ちました。歌詞が日本じゃありませんから意味はさっぱりわかりませんでしたが、なぜか心を揺さぶられました。

明日からも、学生たちの芸術センスに感化されるべく、毎日講堂に通います。

来ようにも

9月9日(月)

派手に吹き荒れてくれたものです。私が家を出る時は、暴風雨と言ってもよい状況でした。地下鉄を進んでいる間に台風が遠ざかり、御苑の駅から地上に出た時は強風ぐらいになっていました。ゆうべのうちに授業開始を10:45と決めていましたから、もっとゆっくり家を出てもよかったのですが、学校への問い合わせの電話があるかもしれませんし、地下倉庫や校庭など、風雨で被害が出そうなところの見回りもしなければなりませんから、いつも通りに出勤しました。

JRをはじめ地上を走る鉄道の復旧・運転再開が遅れたため、10:45になってもいらっしゃれない先生が多く、午前クラスは特別シフトになりました。私も急遽超級クラス用の教材を用意したり、私自身いつもと違うクラスに入ったりしました。10:45の時点で出勤していた教師総動員で、どうにかしのぎました。せっかく学校へ来てくれたのですから、こちらも精一杯サービスしなければなりません。私も来たかいがある授業になるよう心掛けました。

学生たちの住まいは学校の近くが多く、天気さえ回復すれば歩いてでも自転車ででもいくらでも来られます。しかし、教師の方は遠距離通勤も少なくなく、台風の風による被害を受けた線区沿線にお住いの場合はいかんともしがたいわけです。学校の近くは野分のまたの日状態でしたが、線路の周りは災害現場そのもののようでした。

今回の台風15号は、960ヘクトパスカルという、関東地方を襲った台風としてはかなり発達した状態のまま上陸したのに加え、速度が思ったほど速くならず、首都圏は電車が動かせない状態が長く続いたのです。昨日の夕方、私は歯医者に通っていました。土曜の時点では歯医者からの帰りの足を心配していましたが、杞憂でした。その代わり、今朝がメタメタになってしまいました。

日中は猛暑日になりましたが、夏の盛りのような肌にまつわり付く、粘っこいような暑さではありませんでした。36度を超える空気の中に、秋を感じました。

演習問題

9月7日(土)

①A教授(   )面談(   )を申し込みます。 ②結婚(   )申し込みます。 ③ツアー(   )申し込みます。

という問題だったら、助詞は何を入れますか。

①は、明らかに“に、を”ですね。②も、“を”で異存がないところでしょう。③は、いかがでしょうか。“を”ですか、それとも“に”ですか。

④B社(   )ツアー(   )申し込みます。

だったら、①と同様に、“に、を”という答えのほかに、“の、に”という答えも成り立ちます。しかし、①を“の、に”とすると、違和感があると思います。また、④は、“の、を”も、ニュアンスの違いはあるものの成り立ちます。しかし、①を“の、を”は、成り立つとしても、ニュアンスレベルの違いではすみません。

②’Cさん(   )結婚(   )申し込みます。 は、“に、を”以外はないでしょう。“の、に”は結婚相手公募みたいな感じがします。“の、を”は、意味不明です。

以上の考察をどうまとめたらいいかは、皆さんご自身でお考えください。特に、日本語教師を目指している方は、頭の訓練としてぜひ取り組んでいただきたいです。

なんでこんなことを考えたかというと、昨日担当したクラスで回収した宿題の問題の中に、“申し込みます”を使って短文を作れという問題があり、それをチェックしているうちにはたと悩んでしまったからです。教科書は、“北海道旅行はもう申し込みましたか。――いいえ、まだ申し込んでいません”と、万能の助詞“は”で巧みにかわしています。

学生たちは、JLPT、EJU、ビザ、仕事、結婚、休みなど、いろいろなものを申し込んでくれました。初級の問題ですが、実に深く考えさせられる問題でした。

1年後を危ぶむ

9月6日(金)

来学期から受験講座を受ける初級の学生に、受験講座の説明をしました。来学期から受講するの学生たちは、11月のEJUの時点でもまだ初級ですから、高得点は期待できません。ですから、来年6月のEJUに向けて10月から勉強と練習を始めて、6月までに実力をたっぷり蓄え、高得点を取ろうという算段です。2学期にわたって基礎固めをし、来年4月期に実戦演習を繰り返せば、十分に達成可能な計画です。

しかし、こちらの思った通りに動いてくれないのが学生です。ちょっとできるようになると、受験講座をサボりがちになります。塾かどこかできちんと勉強していてくれればいいのですが、そうじゃない学生が多数派です。そういう学生に限って、ぎりぎりのところへ追い込まれてから、急にこちらを頼りだすのです。でも、それじゃあ手遅れです。

逆に、最初の1回か2回で教師の日本語についていけなくなり、挫折する学生も後を絶ちません。初級の学生向けにやさしく話していますが、専門用語はやさしくしようがありません。それをかみ砕いた言葉で教えたところで、どこかで難しい言葉も覚えなければならないのです。最初の苦しいところを乗り切れば、あとはどんどん楽になるのに、そうなる前にあきらめちゃうんですよね。

この説明会に出られなかったSさんが、後刻職員室へ来ました。Sさんは、「EJUは国の大学入試よりやすいです」と言います。出たぞ、税抜き98円! 「EJUの問題をしましたが、全部わかりました」。うそこけ、答えを見てわかった気になっただけだろうが! 「今度のEJUでいい点数をもらいますから、N大学もO大学も大丈夫です」。点数をもらっているうちは大丈夫なわけがないだろ、アホンダラ!

こういうことをへたくそな日本語で述べ立てる学生は、毎学期います。志望校に受かったためしがありません。Sさんも、その王道を突き進んでいくようです。1年後に尾羽打ち枯らしたSさんを見たくはないのですが、果たしてどうでしょう。

入試問題を目の前にして

9月5日(木)

昨日W大学を受けたEさんが試験問題をくれました。問題用紙を開いて最初に感じたことは、“うわっ、面倒くさい”でした。小さい字がたくさん並んでいて読む気をなくしてしまったというのが、より正確な描写でしょう。どうにか読んだとしても、問題をきちんと解いて答えを出すところまでたどり着けるだろうかという不安も湧き上がってきました。

集中力がなくなってきたのだと思います。授業で使うために大学の過去問を解くことがよくありますが、本番の入試並みに60分とか90分とかかけて取り組むことはありません。解いている最中に話しかけられたり電話に出たりほかの仕事をしたりと、思っているよりもずっと時間を細切れに使っています。だから、集中力のなさを感じずにすんでいたのです。ところが、学生から「昨日の問題です」なんて問題を渡されると、一気に解かなければならないような気がしてしまい、怖気づいて逃げようとした結果が、“面倒くさい”だったのではないでしょうか。

それを乗り越えてもう少し詳細に問題を見てみると、こうすれば問題は解けるだろうという道筋は、直感的に浮かびます。でも、その道筋に従って問題を解き進めようという気力が満ちてこないのです。年寄り特有のずるさだなと思います。口は出すけど手は出さないじゃ、第一線は務まりません。

そう思いながらも、この瞬間的に解法が見えてくるということこそ、頭脳はまだまだ明晰な証拠じゃないかと、自画自賛してもいます。ただ、同時に、これは本気で取り組むべき問題、これは捨ててもいい問題などと仕分けしてしまうのは、やっぱりずるさですね。

昨日、Eさんと一緒にW大学を受けたら、Eさんよりいい成績を取れたでしょうか。若い者には負けられないと思いつつも、負けちゃうのが落ちかな。

没個性

9月4日(水)

読解のテキストに熊本地震の話がちょっとだけ出てきました。地震となると言いたいことがいっぱいありすぎて、放っておくと独演会になりかねません。身近な科学ならそれでもいいでしょうが、初級の読解で、しかも他にやることが山ほどある日にそんなことはできません。あえて何も触れずにさらっと流そうと思いましたが、それではこちらにストレスがたまってしまいますから、震度7という家がつぶれて死者が出るほどの地震だったということだけ話しました。でも、学生たちの反応は薄かったです。

学生たちの多くは地震がほとんどないところから来ています。日本で生まれて初めて地震を体験し、震度2ぐらいで大騒ぎをします。この前の日曜日は防災の日で、地域によっては防災訓練をしたり、お昼ごろに電車に乗っていたら訓練に出会えたりしたはずなのですが、そんなことを経験したり見かけたり気付いたりした学生はいなかったようです。地震が起きたら人並み以上にびっくりするくせに、地震の周辺事項に対する感度は鈍いのです。

大地が揺れ動くということが想像できないのでしょう。学生たちにとっても“地震雷火事親父”かもしれませんが、地震が圧倒的にずば抜けて1位の恐怖に違いありません。揺るぎないはずのものが揺るいじゃうんですからね。日本で暮らしていく上では、いつでもどこでも地震に見舞われるおそれがあるんだということを伝えていくのが私の役回りじゃないかと思っています。そういう授業をすることが、教師の個性なのだとも思っています。

とはいえ、テキストの隅っこにちょこっと出てきただけの熊本地震からここまで引っ張っちゃったら、本末転倒です。だから、予定の時間を踏み越えることなく読解を終えました。

ある電話

9月3日(火)

受験講座が終わって職員室で一息ついていると、S大学から電話がかかってきました。留学生を受け入れる態勢を整えたので、説明に来たいとのことでした。S大学なら志望校の1つになりそうな学生の顔がいくつか思い浮かびましたから、話を聞くことにしました。ところが、先方は明日の朝お邪魔したいと言います。でも、私は、水曜日はクラス授業と受験講座で、9時から5時まではほとんど時間がありません。

こうなると、普通は別の日にということになりますが、先方は「じゃあ、資料だけ置いていきますよ。明日の朝、そちらの方へ行く用事がありますから」と言います。それも、明るいというか軽いというか、とてもあっさりした口調で。要するに、何かのついでにこちらに寄って、言いたいことを伝えていこうという心づもりなのでしょう。

ビジネスの世界ですから、時間を有効に使おうという気持ちはわかりますし、ジグソーパズルのピースがぴったり合わなかったら違うものを当てはめようとすることもわかります。でも、あの口調で言われちゃったら、聞き手はいい気分はしませんよ。S大学は名門と言われている大学ですが、自分本位の考え方をしたがるのかなと思ってしまいます。こういう態勢で集めた留学生を果たして本当に大切にしてくれるのだろうかと疑いたくすらなります。

電話口では、「はい、わかりました。今後ともよろしくお願いいたします」と言いましたが、この担当者とはあんまりよろしくしたくないですね。こうして本音を隠してしまうところが、日本人のよくないところなのかもしれませんがね。

変身できたかな

9月2日(月)

今朝は、馬子にも衣裳みたいな、どことなくぎこちないスーツ姿の学生が何人も職員室の前を通っていきました。お昼の時間に、面接身だしなみ講座があるからでです。スーツ屋さんの店長さんがいらっしゃって、スーツの着こなしや、男性ならネクタイの結び方、女性ならメイクのポイントなどを教えてくださいます。去年開催して好評だったので、今年もそろそろ入試の面接シーズンに突入しますから、また開くことになったのです。

「人は外見よりも中身が大切だよ」と日ごろから言っていますが、「人は見た目が9割」なんていう本がベストセラーになってしまうほどですから、表面的なものも無視はできません。初めて入ったクラスで、初めて顔を合わせた学生に対しても、やっぱり第一印象で判断してしまう傾向はあります。クラスの学生なら、その後いくらでもその第一印象を修正するチャンスはありますが、入試の面接は一発勝負です。中身の素晴らしさが伝わる前に拒絶されてしまうことの方が多いのではないでしょうか。

また、こういう講座を受けて、それに基づいて身支度を整えて面接に臨んだとなれば、それが試験場での自信につながると思います。堂々とした態度で面接官の前に立てば、面接官の目を引き付けることもできるでしょう。逆に、「こんなスーツの着方で面接官に変に思われないだろうか」などとびくびくしていたら、その自信のなさを面接官に見抜かれて、減点されてしまうかもしれません。昨今の留学生入試はどこも競争が激しいので、減点の要素は1つでもなくしておかなければなりません。

朝、馬子にも衣裳だった学生たちはどうなったでしょう。帰りがけの姿を見逃してしまいましたから、講座の効果をすぐに確かめることはできませんでした。でも、入試の結果で効果を示してもらえれば、それで結構です。