Monthly Archives: 4月 2021

勝負時

4月16日(金)

金曜日は、先学期から受験講座を受けている学生の化学と物理です。先学期の受験講座理科はずっとオンライン授業でしたから、やっと初めて顔を合わせることができました。オンラインでは、お互いにマスクを取って素顔を見せ合っていましたが、同じ教室で空間を共用するとなると、人数が少なくてもマスク着用は必須です。

オンラインだと、1人1人の顔の映像は小さくても顔全体が見えました。しかし、対面となると顔の大半がマスクで覆われています。学生がわかったかどうかつかみにくいのではと危惧していましたが、よくわかりました。全身が見えますから、体全体から発せられる動揺やら納得やらが伝わってきました。

また、目は心の窓という通り、マスクの外に出ている目だけで学生の気持ちがかなりつかめました。その目を見ながら学生の興味の方向を捕らえて説明を補ったり飛ばしたりしましたから、先学期よりメリハリのある授業ができたんじゃないかと思います。もっとも、先学期より脱線が多くなりましたから、進度の方はわかりませんが…。

オンラインよりも学生への問いかけが増えました。しかし、私からの問いに答える学生の日本語がいただけません。理科系は、入試に口頭試問を設けている大学も多いですが、それにたえられるだけの日本語にするには、先が長い旅になりそうです。学生から質問も活発に出てきました。濃厚なやり取りができました。

せっかく順調な船出ができたのに、第4波の波音が近づいています。オンラインになるとしても、対面授業のうちに学生との間に強固な絆を築いておきたいです。来週、再来週ぐらいが勝負でしょうが。

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峠越え

4月15日(木)

先週から始まった日本語教師養成講座の初級文法の授業が、ようやく最終日を迎えました。動詞とか助詞とか日本語文法の基礎となる部分をお話してきました。最終日は、今まで話してきた文法事項が、みんなの日本語の中にどのように反映されているかを見ました。

1課から50課まで、どんな文法項目がどんな順番に並んでいるか、どの課が私の授業のどこに相当するか、そういうのも中心に概観していきました。こういうまとめ方をするには初めてでしたから、私自身も昨日みんなに日本語を読み直し、その組み立てを改めて確認しました。

やっぱり、14課以降、動詞の活用形が次々と現れるところが胸突き八丁だと感じさせられました。また、「て形+補助動詞」が踵を接して登場するあたりも、学習者にとっては辛いだろうなと思いました。教える側はゴリゴリ押し込むだけですからあまり感じませんが、次から次へと微妙に違う文法を覚えて使い分けなければならないとなると、混乱もするでしょうし心が折れそうにもなるでしょう。

そういう切所を乗り越えて50課までマスターすると、ミラーさんじゃありませんが、日本で普通に生活していけそうです。常々、入試の面接の文法はみんなの日本語のレベルで十分だと言ってきましたが、その思いを強くしました。もちろん、語彙は補わなければなりません。

学生たちがうまくしゃべれないというのは、結局、みんなの日本語の山場をきちんと越えていないからです。学生も教師も妥協し、山にトンネルを掘ってしまうのです。そんなことを反省しつつ、偉そうな顔をして解説していました。

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年間計画

4月14日(水)

受験講座の教室に向かおうと職員室を出たところで、Cさんに呼び止められました。Cさんは理系の大学進学を目指し、先学期から受験講座を受けています。「私は6月のEJUの結果を使ってW大学を受けて、11月の結果で国立大学を受けるつもりです。共通テストも受けて、一般入試でも国立大学を受験しようと思っています」と、決意のほどを語ってくれました。

最近、留学生が一般入試を受けて日本の大学に進学する例が増えていると聞いていました。3月に卒業したJさんもそうでした。ただ、Jさんは共通テスト不要の方式を選んだようでしたから、切羽詰まったあげくの選択だったかもしれません。それに対し、Cさんは今から共通テストと言っていますから、Jさんよりずっと計画的です。国にいた時から共通テスト経由の進学を知り、それを目指して動いてきたのかもしれません。外国語を中国語にすればいい点が取れるとまで言っていました。

このように書くと、Cさんは受験の計画をすらすらと話したかのように見えるかもしれませんが、残念ながら日本語教師にしか理解できない日本語でした。発音はまだしも、語彙や文法はお寒い限りでした。面接官にCさんの思いが伝わるとは思えません。EJUで点数を稼いだところで、面接で落とされる可能性大です。そういうことも踏まえて、面接のない一般入試の道を探っているのではないかとも思いました。

もう一つ、実は、Cさんは「共通テスト」ではなく、「センター試験」と言っていました。センター試験から共通テストに変わって、試験の傾向がEJUから遠ざかりました。また、国語もCさんには大問題でしょう。それを今から9か月ぐらいの間になんとかできるのでしょうか。

今学期は、火水は新たに受験講座を受け始めが学生対象の授業です。この中にも共通テストを受ける学生がいるのだろうかと、初めて会う顔をしげしげと見てしまいました。

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教え甲斐

4月13日(火)

受験講座が始まりました。初日は物理です。思えば、先学期の受験講座は完全にオンライン、先々学期はEJU直前とあってオンラインで過去問ばかり、その前の学期もそのまた前の学期もオンラインでしたから、対面授業で受験講座を行うのは1年以上ぶりということになります。

オンライン用にあれこれ手を加えたパワーポイントを使って授業を進めました。でも、いつの間にか教室のモニターの前にしゃしゃり出て、画面をなぞったりたたいたりしながら話していました。私の授業の進め方は、あまりオンライン的になっていないようです。

昨日までレベル1のオンライン授業をしてきましたが、そこでも同じことを考えました。日本語が十分に通じない学生相手の授業となると、体を張って授業をしたくなるのです。手も足も顔も全身を使って、文法や言葉の意味を説明していたことがよくわかりました。デジタルとかアナログとか以前の段階です。

オンライン授業についてもっともっと深く研究し、機器を使いこなせば、動き回ったりレアリアを見せまくったりすることなく学生の理解を進めることもできるのでしょう。ただ、私は学生が確かに理解したという手ごたえを味わいたいのです。学生が放つ“わかったオーラ”を全身で受け止めたいのです。

受験講座・物理の学生たちは、そのオーラを感じさせてくれました。力学の基礎で、国で勉強してきた範囲ですから、私が説明するまでもなくよく理解していたのかもしれません。でも、私の授業から1つでも新しいことを学んでくれたら、モニターの前で暴れた甲斐があったというものです。

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恩讐の彼方に

4月12日(月)

午後の授業が終わって職員室へ降りてくると、この3月に卒業したNさんがいました。進学したJ大学は対面授業を行っており、授業が終わってからKCPにまで足を運んでくれたとのことでした。感染者数が増えていますからこの先どうなるか予断を許しませんが、大学の講義に関しては、満足そうな顔をしていました。

このNさん、実はJ大学への進学に関してひと悶着あった学生です。一時は進路指導の教師と冷戦状態に陥りました。卒業式でも、証書授与の際に私の顔を少し上目遣いに見ていました。いくばくかの後ろめたさを感じていたのでしょう。そのぐらい、何が何でもJ大学という思いが強かったのだと思います。

そういうNさんが、こんなに早い時期に学校へ顔を見せに来てくれるとは全然思っていませんでした。私はゆっくり話すことができませんでしたが、Nさんをずっと見てきたA先生とは談笑していました。わだかまりが完全に消えたかどうかまではわかりませんが、とげとげしい空気は漂っていませんでした。

今までも、在校中は反抗的だったり、全然学校を頼ろうとしなかったり、教師を信用していない風に見えたりする学生がいました。そんな学生が、卒業後にひょっこり学校を訪ねてくると、教師側が逆に盛り上がることもよくありました。戦友とは違いますが、ある共通の空気を吸っていたという気持ちになるのです。

思いでは美化されると言いますが、美化されうる思い出を共有できるのは、お互いを認め合った仲に限られるのではないかと思います。そういう意味で、私たちはNさんの実力も勉学に対する姿勢も認めていたし、Nさんも私たちの真意を理解していたのだと思います。この関係をこれからも維持していきたいです。

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祝就職だけど

4月10日(土)

来週から始まる受験講座の準備をしていると、卒業生のFさんが来ました。卒業生と言っても、つい先月までKCPにいた学生じゃありません。現校舎が完成したころに入学した学生です。卒業してR大学に進学し、H大学の大学院に進学しました。今年M2で就活のはずですが、もう内定をもらったそうです。

Fさんは、入学したころは日本語力がゼロに近かったですが、ぐんぐん力を付けていった覚えがあります。受験科目の力も伸びて、難関と言われるR大学に合格しました。R大学でも努力を怠らなかったようで、大学院は国立大学でした。そこでもきっと優秀だったのでしょう。だから早々に就職が決まったのに違いありません。

そのように優秀なFさん、博士課程進学は考えなかったそうです。「先輩を見ていても、修士で就職するのが一番みたいだったし、博士で就職しても給料は修士と変わりませんし…」と、進学しない理由を語ってくれました。その言葉に日本社会の現状が如実に表れていました。

Fさんはこの先も日本に貢献してくれそうですが、Fさんのように考えて優秀な留学生が日本で就職しなくなっています。日本は博士にとって生きづらい社会だというのが定説になっているのではないでしょうか。

これからはオンラインによる高等教育が幅を利かせていくことでしょう。そうした時、日本の大学や大学院は世界に伍していけるのでしょうか。さらに、日本社会に優秀な留学生を引き留める力があるでしょうか。Fさんの話はおもしろいのですが、同時に日本に対する先行きの不安感が増してきました。

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手書きは最高

4月9日(金)

昨日に引き続き、一番下のレベルのクラスに入りました。日本語ゼロ(に近い)ですから、文字から教えます。ひらがなカタカナの導入は今まで何度もやったことがありますから要点はわかっているつもりですが、オンラインでするのは初めてです。

対面なら、学生が練習しているところを見て回り、変な字やきたないを見つけたらその場で直させます。オンラインだと現行犯逮捕ができないのがつらいです。だから、「シ、ツ」「ソ、ン」の違いを5回ぐらい実演して強調しました。読む方はまあまあ以上にできますから、なおさらきちんとした字を書いてほしいのです。

オンライン授業ならわざわざ手書きをさせなくてもいいのではないかという意見もあります。しかし、KCPに入学する学生はほとんどが進学希望で、志望校への提出書類が手書き指定であることがよくあるのです。そのため、初級の頃から丁寧な字を書く訓練をしておきたいというわけです。

オンライン出願を実施している大学でも、志望理由書や学習計画書は手書きです。ペーパーレスが進む中、取り残されている感じがします。手書きの文字に人柄が現れていると思っているのでしょうか。書き終えてから、細かい所まできちんと見直し、誤字脱字をなくすことができる志願者こそが、根気強く専門の勉強ができると思っているのでしょうか。

日本には手書き信仰みたいなものがあります。世の中にワープロ文書が氾濫する中、手書き文書の価値が高まっています。ですから、大学が上述のような発想をしても不思議はありません。ただ、字があまりに汚い留学生は生活力全般に劣るという傾向があります。今までのKCPの学生を見ていると、そんな気もします。3月末ぎりぎりまで行き先が決まらなかったCさんも、字の汚さは相当なものでした。

昨日からやっている自己紹介をノートに書いて写真に撮ってメールで送れと言ってあります。どんな字が届くでしょうか。楽しみでもありこわくもあり…。

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海の向こうに向かって

4月8日(木)

午前中の日本語教師養成講座の授業はほんの前菜で、本日のメインディッシュは午後のレベル1の授業です。始業日の一番下のレベルですから、プレースメントテストが多少できたとしても、たかが知れています。しかも、今学期の新入生はまだ入国できないままですから、3か国に分かれた学生たちの国に向けてのオンライン授業です。度胸だけで授業に臨みました。

国にいるということは日本語の音声に接する機会が少ない、すなわち聞いたり話したりする経験が大いに足りないということです。ですから、クラスのメンバーが全員初顔合わせでもありますから、何回も何回も自己紹介をさせました。

最初は、「こんにちは。私は金原です。日本の東京にいます。どうぞ、よろしく」なんていうのも滑らかに言えませんでした。しかし、少しずつ文を長くしていきながら何回も練習させているうちに、学生たちは長い自己紹介もすらすらとできるようになりました。わずか3時間の授業で、長足の進歩を示しました。

これには驚かされました。あれだけ違えば、学生たちも上手に話せるようになったと実感できたのではないでしょうか。自己紹介以外はろくな授業をしませんでしたが、成果が挙げられました。また、学生たちは生の日本語に飢えていたのではないでしょうか。だから、こちらの言葉を一生懸命聞き、話すチャンスは逃さずつかんで声を出すという姿勢だったのです。それゆえ、最後には上手に自己紹介できるようになったわけです。

こう書くと素晴らしい授業ができたように思えるかもしれませんが、実は自己紹介以外はろくな授業をしていません。機械的にうまく動かなかったり、操作を間違えたり、こちらの意図が伝わらずに活動が中途半端になったりしました。日本語ゼロに近い学生へのオンライン授業はどう作っていくべきか、再考の余地がたっぷりあります。

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学生を作る

4月7日(水)

「地位は人を作る」ということわざがあります。林家正蔵師匠を見ると、本当にそうだなあと思います。こぶ平時代は、面白いけど父親の三平には届かないという感じでした。正蔵の名跡を継いだ時は「えーっ」と絶句しました。名前につぶされるんじゃないかとさえ思いました。

でも、今はどうでしょう。どっしりとした風格を感じます。誰と向き合っても貫禄負けすることはありません。本人もかなり精進したそうですが、「正蔵」だからこそそうしたのであり、「こぶ平」のままだったら中途半端なお笑い芸人のままだったかもしれません。

もう一人、歌舞伎の松本白鴎さんも、地位に作られた方だと思います。私はNHKの大河ドラマ黄金の日日で呂宋助左衛門を演じた「市川染五郎」の時から知っています。私から見ればかっこいいお兄さんといったイメージの方でした。程なく「松本幸四郎」を名乗るようになると急に風格が出てきて、若々しさから円熟を感じさせられるように変わりました。そして、松本白鴎です。円熟を超えて伝統の重みがほとばしり出てきました。正蔵師匠同様、名跡にふさわしい芸を磨き続けたのでしょう。

明日から新学期です。私はレベル1を担当します。今学期レベル1に入学した学生は、2年後の卒業の学期には超級クラスに在籍しているはずです。日本語も日本もわからずおどおどしていた学生が、進級するにつれて自信を持ち、卒業の頃には押しも押されもせぬKCPの看板にまで育っている――そんな成長のドラマを見ていくのが楽しみです。

KCPでは、レベルが学生を作るのです。

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ありがたさ

4月6日(火)

先週の入学式に続き、進学コースのオリエンテーションをオンラインで行いました。学生のいる場所を選ばずに話し掛けられるのは結構なことですが、やっぱり手ごたえが頼りないです。生身の学生を目の前にすると、良くも悪くも感情が湧き上がってきます。オンラインは、それが弱いのです。

昔、東海道新幹線が開通した時、東京・大阪間が日帰りできるようになり、仕事がはかどると期待されました。しかし、実際はそれほどでもなかったそうです。「遠いところ、わざわざおいでくださった」という無言の推進力が亡くなってしまったからではないかと、作家の宮脇俊三氏は分析していました。

私は新入社員の時、山口県の工場に配属されました。たびたび東京まで出張し、社外の人に会いました。「山口県…」と所在地が書かれた名刺を渡すと、ほぼ一様に「遠いところわざわざ…」という感謝と恐縮が入り混じったような反応を示されました。私がいたところは航空便が使いにくく、また、当時はのぞみ号が運転される前でしたから、東京までひかり号で約6時間かかりました。

千葉に転勤になってから同じように東京で名刺を渡しても、山口の名刺の神通力はありませんでした。気安く呼び出されることも多くなったような気がしました。

オンラインは海を越えてつながることができます。でも、万里の波濤を乗り越えてKCPまで来てくれたという、学生への畏敬の念が、私の心の中で薄まってしまったような気がします。日本へ来られなくて気の毒にという同情心もありますから、それでプラスマイナスゼロかな。

出張の代わりに激増したと言われているオンラインでの商談は、どのくらいうまく進んでいるのでしょう。今の若い人たちは、生身で会うのと同じように仕事ができると信じたいです。

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