無難な線

11月4日(土)

朝からずっと、火曜日の選択授業で学生が書いた小論文を読んでいます。自分の志望する学部学科専攻に関する最近のニュースについての意見を書いてもらいました。超級の学生たちですから、解読不能な文章はありませんが、平凡な内容が多くて疲れてきました。

入試の小論文となると、学生たちは安全運転に走りたくなるのでしょうか。「この問題に関してはAだと思う」とはっきり述べず、「Bの可能性もある」と結論をぼやかしてしまう学生が多いです。こういう八方美人型がもっとも嫌われるのに、敵を作らないようにしているつもりなのでしょう。

また、何かの受け売りっぽい結論も目立ちました。そういう意見に至る過程や理由に独自のものがあれば評価できますが、そこにも何もないとなれば、これまたいかんともしようがありません。

しかし、読んでいくうちに、学生は自由を与えられすぎて何をどう書いていいのかわからず、書きやすそうな話題について議論してみたら、あいまいな結論になったり、どこかで読んだり聞いたりしたことのある意見になってしまったりしたのではないかと思えてきました。でも、自分がこれから学ぼうとしていることについてですよ。常にアンテナを広げて、そこに引っかかってきたことに対して自分なりの考えは持っていてほしいですね。

ことに、学部入試の学生は、思い切ったことを書いてほしいものです。大学院の受験生は専門教育を受けてきていますから、それに基づいたまっとうな回答が求められますが、学部入試は、非常識でさえなければ専門的に見て多少おかしくても、向こう傷と見てもらえるものです。私が読んだ文章には、そういう生きのよさが感じられるものが少なかったです。

来週の火曜日にこれを返して、新しい課題で書かせて、それを添削して…。入試が迫っていますから、私もプレッシャーを感じます。

夢を砕く

11月2日(木)

身近な科学の1つの楽しみは、地震の講義をすることです。学生たちは、日本は地震が多いと言います。でも、その地震がどんなにとんでもない自然災害なのかは、あまりよくわかっていません。そこを集中的につっついて、自身の本当の怖さと、日本にすむ限りその地震からは逃れられないということを力説し、学生たちの日本留学の夢を木っ端微塵に打ち砕くのです。

今学期もその日がやってきました。日本付近は、4つのプレートが交錯し、そのため全世界の10%もの地震が発生します。日本列島は活断層だらけで、断層のずれによる地震はどこでも発生し得ます。東日本大震災の例からもわかるとおり、プレート境界型地震では大津波が発生することがあり、それに襲われたら人間はなす術もありません。また、日本は古来大地震が頻発し、そのたびに甚大なる被害が出ています。そういったことを延々と説き続けました。ことに、地震発生地点を赤い点でプロットした世界地図では、日本は真っ赤になるのに対して、学生たちの母国は真っ白けで、「何でこんな危ない国に留学に来ちゃったの?」と問いかけると、学生たちは笑うほかありません。

でも、これは本当にそうで、日本で暮らすとは地震と共存するということを意味します。揺れたか揺れないかわからないくらいの地震でびくびくしたり大騒ぎしたりしてはいけません。身近な科学では地震のメカニズムなどで精一杯でしたが、地震を想定してふだんからどんな心構えを持つべきか、地震が起きた後いかに行動すべきか、そういうことを日々考えておく必要があります。そうすれば、地震などおそるるに足りないとは言いませんが、地震後を生き抜き、何があっても肝の据わった人間に成長できるんじゃないでしょうか。

授業後のミニテストを見る限り、学生たちは私の話をまじめに聞き、地震についての基礎知識は根付いたようです。

沈黙は錆

11月1日(水)

水曜日のクラスはおとなしいクラスです。テストの成績が悪いわけではありませんが、教師がクラス全体に問いかけても、反応があまりないのです。誰かが答えるのを待っている、教師が説明してくれるのを待っている、指名されたら答えるけれども指名されなかったら黙っている、そういう学生が集まってしまったようです。

口を開かせるにはプレッシャーをかけるしかありません。指名した学生がたまたま間違った答えを言った時、「問1はアでいいですか」「…」「特に意見がなければアということで、次にいきます」「(蚊の鳴くような声で)あ、先生、イ……」「いそいでください? じゃ、急ぎましょう」「いいえ、問1はイだと思います」なんていう感じで、無理やりしゃべらざるをえない状況を作ります。それでもこんな程度ですから、ほうっておいたら教師の独演会になってしまいます。

このクラスの学生は全然しゃべれないのかというと決してそんなことはありません。1対1だと単語ではなく、複文で論理的にきちんと答えられる学生もたくさんいます。性格的に引っ込み思案、恥ずかしがりやなだけなのかもしれません。また、国での勉強の方法が、教師の話を聞くだけで、学生は一言も口を利かなくてもよかったという話も聞いたことがあります。

いずれにしても、語学の習得において、受身の姿勢というか、棚ぼたを待っているようでは、実践的な力はつかないでしょう。N1には受かってもさっぱり話せないというのは、こういう人たちです。進学したら、プレゼンが山ほどあるんですよ。入試はどうにかごまかしきって合格できたとしても、話せなかったら卒業できません。

大学・大学院は、日本語「で」勉強するところです。日本語「を」じっくり勉強できるのは、KCPにいるうちだけです。このチャンスを逃さず、実りある留学の基礎を築いてほしいです。

仮装

10月31日(火)

昨日は台風一過で木枯らし1号が吹き、ゆうべの帰宅時もけっこう寒いと感じましたが、今朝はマンションの外に出たら、思わずぶるっと来ました。10月中はコートを着まいと思っていましたが、少し後悔しました。最低気温は10度を割っており、今年も短い秋が終わったようです。明日も今朝と同じくらいの最低気温が予想されていますから、伊達の薄着はやめてコートを着たほうがいいのかもしれません。

受験講座を終えてラウンジに顔を出すと、ハロウィーンの仮装をした学生が何名かいました。その中の1人、Sさんに国でも仮装をしているのかと聞いたところ、日本へ来て初めて仮想したと言っていました。ハロウィーンの仮装をネタに、クラスもレベルも国籍も違う学生たちが談笑していました。日本でハロウィーンが広まったのはここ数年のことだと思いますが、欧米系ではない学生にとっては、日本はハロウィーン先進国の映るのでしょうか。

Sさんと同じテーブルにいたOさんは、図書室で借りた読書週間の課題図書を持っていました。もう3分の1ほど読んでいて、やさしい日本語で書かれているから読みやすいと言っていました。内容も十分に味わっているようで、昨日から募集を始めた読書感想文コンクールに応募すると言っていました。Oさんなら、ユニークな視点からの感想文を書いてくれるでしょう。私が推薦した本でもあるので、今から楽しみです。

11月に入ったら、すぐにEJUです。ハロウィーンで騒いでいた学生たちも、プレッシャーをはねのけながらEJUに向けて勉強していくことになります。冬の入口で風邪などにかないように最終調整に入ってもらいたいです。

東海道新幹線

10月30日(月)

「…東海道新幹線など、やたらトンネルが多いが…」という文が超級のテキストの中にありました。授業でそこの部分を扱ったのですが、私はどうも納得がいきませんでした。かつて、私は月に1回ほどは東海道山陽新幹線を利用していましたから、このあたりはちょっとうるさいです。山陽新幹線は確かにトンネルが多いですが、東海道新幹線は決してそんなことはありません。平野を突っ走るイメージが強いです。

調べてみると、東海道新幹線のトンネルの割合は13%、山陽新幹線は51%でした。建設中のリニア新幹線の8~9割は別格としても、東海道新幹線以外の新幹線はどれも半分ほどがトンネルですから、冒頭のテキストは当たっているとは言えません。

東海道新幹線は、何と言っても富士山がよく見えます。高架橋の上からですから、並行して走る東海道線より眺めがいいかもしれません。海は熱海の前後、焼津付近、浜名湖辺り、蒲郡の手前でチラッと見えるだけですが、山陽新幹線は三原と徳山の海だけですからねえ。穏やかな多島海で遠景は癒されますが、近景は工場の裏手の海ですから、いまひとつパッとしません。夜は工場萌えになりますけどね。

東海道新幹線は景色が悪いと思われかねない文章でしたから、「幸せの左富士」の話をしました。東京から大阪方面に向かって新幹線に乗ると、富士山は右手に見えるのですが、静岡駅を過ぎた直後に、ほんの一瞬、右手に富士山が見えます。静岡を過ぎたあたりですから、同じ静岡県内とはいえ、富士山までかなりの距離があります。ですから、天気に恵まれないと見えませんし、精神を集中して首をかなり後ろに向けないと拝めません。だからこそ、これが見えたら“幸せの”となるのでしょう。

関西の大学を受験する学生が、幸せの左富士に見送られて、望みを叶えてくれれば最高ですね。

1年経つと

10月28日(土)

ゆうべは今年の3月の卒業生といっしょに食事をしました。正確に言うと、私以外の卒業生と先生方はお酒も飲み、私は食事だけいただきました。

MSの卒業生ですから、集まった卒業生たちは全員それなり以上に名の通った大学・大学院に進学しています。ですから、みんな胸を張って自分のこの半年あまりの学生生活を語っていました。教室ではいつもドヨーンとした顔をしていたLさんは、とてもすっきりした明るい顔をしていました。レポートと発表に追い立てられて忙しいといいつつも、Yさんの目は輝いていました。理系大学に進学したWさんは、女子学生がいないと言いつつも、どこか誇らしげに見えました。

Kさんは、留学生向けの日本語の授業が簡単すぎて取らなかったそうです。KCPの最上級クラスで鍛えられていたんですから、そりゃ当然ですよ。そのKさんですら、入学当初は講義の日本語がよく聞き取れなかったとか。Kさんのしゃべりは日本人となんら変わるところがありませんから、在校生にそういう話をして刺激を与えてもらいたいところです。

KCPにいたときは出席状況に大いに問題のあったBさんも、進学先ではほとんど欠席していないとか。欠席したらその次から自分の席がなくなっていたという事件を経験し、それに懲りて休まずに通っているそうです。KCPもそれぐらい厳しくしなきゃいけないのかな。

幹事役のMさんは相変わらず生真面目な性格です。私のグラスが空くと、「先生、お飲み物は?」と気を回してくれました。将来は研究者を目指していますが、偉ぶらない態度は人望を集め、きっとすばらしい研究業績につながることでしょう。

今朝、私のパソコンにはCさんからの志望理由書が届いていました。Cさんも、1年後はゆうべの面々と同じくらいに成長しているのでしょうね。

インフルエンザウィルス

10月27日(金)

選択授業・身近な科学では、授業の最後にその日の授業の内容に関するテストをしています。私が話したことを書かないと正解とは認めませんから、授業中に聞き落としたことをこっそりスマホで調べてそれを書き写しても、たいてい×となります。だからかどうかはわかりませんが、今学期のこの授業の受講者は、みんな一生懸命メモを取っています。

昨日の身近な科学も同じように授業を進めてテストを行いました。みんな、概していい点数だったのですが、その数少ない間違いが、「インフルエンザの特徴を書きなさい」という問題に集中しました。テストの直前に、パワポのスライドで大いに強調して示したのですが、ウィルス一般の特徴を答えた学生が少なくありませんでした。

間違えた学生は、よく言えば自分のペースを守って勉強を進めるタイプ、その実はスライドの文字を写すのに精一杯だったように思えます。そして、スライドを写したところで一安心して、教師の話に耳を傾けるまでいかなかったのでしょう。私の話をきちんと聞いていれば、インフルエンザとウィルスを混同することはありません。

確かに「インフルエンザウィルス」という言葉も使いました。でも、この授業は超級の学生たちばかりですよ。超級の実力をもってすれば、この2つを区別することなど、どうということないはずです。問題文中のカタカナ言葉を見て(運悪く、カタカナ言葉はインフルエンザだけ)、自分のノートの目立つところに書いてあったウィルスということばに反応して、それを答えてしまったのかもしれません。

真の意味で超級ではなかったといってしまえばそれまでですが、こういう学生も進学したら身近な科学など足元にも及ばないような厳しい授業を受けなければなりません。果たしてやっていけるのかなあと、一抹の不安を抱かずにはいられませんでした。

一喜一憂

10月26日(木)

私のクラスの学生2人が、それぞれ先日受験した大学に合格しました。実力的に受かって当然でしたが、だからといって喜びが減じるわけではありません。改めて合格の知らせを聞くと、思わず顔がほころんでしまいます。

「受かって当然」というのは、あくまで教師目線の話であり、受験した当人は、発表まで気が気でなかったことでしょう。試験は水物とはよく言ったもので、今までに喜ばしい方向の奇跡も、残念な結果の奇跡も、少なからず見てきました。だからこそ、ほっと一息つけるのであり、「よくやった」と言ってやりたくもなるのです。

この2人は、おそらくこの大学に進学するでしょうから、これで受験は打ち止めになると思われます。しかし、この2人以外のクラスの面々は、いまだ無所属新人状態であり、これからが山場です。先月、志望理由書を書くのを手伝ったSさんがゆうべ面接練習を申し込んできたので、明日の授業後にすることにしました。Lさんは来週締め切りの志望理由書を持ってきたので、思いっきりダメ出しをして書き直しを命じました。

受験講座はあと2週間あまりに迫ったEJUに向けて、日々訓練中です。この時期になると、正攻法の解き方だけではなく、とにかく答えをあぶりだすずるいテクニックも教えます(こういう真の実力につながらない怪しい道筋があるので、理系のマークシートは好きになれないのですが…)。

今学期は入試の小論文の授業も担当しています。今週の小論文を半分ぐらい読みました。さすがに超級の学生たちだけあって、文法の間違いは少ないのですが、内容があまり伴っていません。学生たちの世界は狭いなあと思わずにはいられません。

だからこそ、KCP読書週間なのです。

読書百遍

10月25日(水)

今週は、KCPの読書週間です。先生方に推薦図書を出していただき、それを中心に学生に本を薦めています。図書室にもその本を展示して、学生に実際日本を手に取ってもらおうと思っています。

読書は、やはり、習慣づけが大事だと思います。私は何十年もの間、いわゆる濫読ですが、本を読み続けてきました。かばんの中には、今読んでいる本と、その本を読み終わったら次に読む本を入れています。電車の中で周りの人がスマホを見ているときに、私は本を読んでいます。病院の待合室はもちろんのこと、スーパーのレジでも注文した料理が出てくるまでの間でも、本を読んでいます。

まあ、ここまで来ると活字依存症かもしれませんから、学生に同じことをしろなどと言うつもりはありません。また、受験生に無理に本をあてがおうとも思っていません。でも、本に目を向けることぐらいはしてもらいたいですし、息抜きにすることの候補に読書を加えてもらいたいとは思っています。

当たり前の話ですが、日本語の本は学生にとっては外国語の本です。私にとって外国語の本と言えば英語の本ですが、英語の本は専門書ぐらいしか読んだことがありません。エンタメ系の英語の本は、大学時代に英語の授業で読んだだけなんじゃないかな。読んでも心に何かが残った記憶はありません。だから、在学中いつも東野圭吾を読んでいたKさんには、素直に頭が下がりました。

図書室の本の中には、私が推薦した本もあります。私なりに想像力をたくましくして、学生が本に熱中している姿を思い浮かべながら選びました。その本を読んだ学生と、感想を語り合う日を夢見ています。

文法テスト

10月24日(火)

私のクラスで、今学期初めての文法テストがありました。何回か授業に入ってきて、こいつはできそうだとか、危ないんじゃないかなとか、ある程度の見当はつけていましたが、文法のテストは実力差を画然と浮き上がらせます。

授業中真剣に話を聞いているCさん、気の利いた答えをよく言うAさん、常に積極的なSさんあたりが高得点なのは順当なところ。漢字の弱いYさんも高得点なのは大健闘と言っていいでしょう。欠席の多いQさんやPさんが振るわないのも予想通り。その一方で、授業中はわかったような顔をしているHさん、Wさんが不合格なのは大いに意外でした。LさんやJさんも不合格になるとは思っていませんでした。

口は達者でも文が書けなかったり、例文を作らせると最高なんだけど口が回らなかったりと、個々の学生には得手不得手があるものです。しかし、今回の結果は、得手不得手で片付けてしまうわけにはいかないような気がします。どうやら、学生の力を過大評価していたようです。

ということは、授業がよくわかっていない学生を見落としていたということです。授業の時には質問しやすい雰囲気を作ってきたつもりですが、そういう学生からすると、何をどう質問すればいいかすらわからない状況だったかもしれません。思わぬ学生が不成績だったということは、導入や練習を丁寧にせよという天の声なのかもしれません。

テスト結果はテストを受けた学生にフィードバックするのはもちろんのこと、自分自身にもしっかりフィードバックして、学期末にみんなが笑っていられるクラスを築いていかなければなりません。