同じ文章

5月16日(月)

先週の作文を採点していると、妙にこなれた文章に出会いました。Wさんの作文です。Wさんは前回も軽妙な文章を書いていましたから、会話はそうでもないけど作文は得意なんだろうかと思いました。

でも、丁寧体で書くようにという指示に反して、話し言葉のようなくだけた表現がいくつも出てきました。辞書は使用禁止なのに、まだ勉強していない難しい表現がいくつか見られました。そこで、採点を中断して、まさかとは思いつつも、Wさんの作文に特徴的ないくつかの単語をキーワードにして、インターネットで調べてみました。

すると、あったんです、Wさんの作文ほとんどそのものというのが。段落の作り方、漢字の使い方、句読点の打ち方、“?”の位置までぴったり同じなのです。最後の部分だけ、字数の関係か、はしょったようでした。そういえば、Wさんは授業中はほとんど筆が進んでいませんでした。授業終了後、私が他の学生の対応をして目を離していた隙に、スマホでこの文章を見つけ、そのまんま写したことは疑いようがありません。そして、それを私に提出して帰っていったのです。自宅で書いてこいと言うと、辞書を使いまくった文章を書いてくる学生はいましたが、教室でこういうことを堂々とやり遂げたのはWさんが初めてです。

こういうとき、教師はよく怒りよりも悲しみを感じるといいますが、私は怒りも悲しみも感じませんでした。Wさんは私のクラスの学生ですから、Wさんに対して今学期末まで必要最低限の事務手続きは行います。でも、それ以上のことをする気は全く失せました。Wさんは、これまでに、授業中のスマホいじりをはじめ、教師の手をさんざん焼かせてきました。これ以上指導するのは時間の無駄です。その時間を、一生懸命勉強しようと思っている学生や進路について真剣に悩んでいる学生たちのために使いたいです。私はWさんのような学生を真人間に更生させられるほどの教育力も熱き血潮も有してはいません。

Wさんの作文は即刻0点にし、原文が載っていたページをコピーして、Wさんが提出した原稿用紙にクリップで留めました。今週の作文の時間に、何も言わずにそれを返してやるつもりです。

尽くす

5月14日(土)

来週火曜日の運動会の準備を進めました。教職員総がかりで、当日使う小道具類を揃えたり、競技の進行の最終チェックをしたりしました。KCPにはこういうイベントの時に燃える教職員が多く、準備を楽しんでいるようにも見受けられます。運動会の企画会議の際も、アイデアを出し合っているうちに異様に盛り上がっていったことが幾度もありました。運動会の主役は学生たちであり、教職員は裏方に回りますが、企画の時はこっちが主役だっていう意気込みでしょうか。企画倒れの意見もたくさん出るんですけどね。

私は、運動会では毎回主審を務めますから、一見すると一番目立ち、私が運動会を動かしているかのように思われますが、実は操り人形みたいなものです。各競技担当者の意向に沿い、競技する学生にも、それを見ている学生にも、みんなに楽しんでもらえるように動いているだけです。他の教職員も、おそらく同じような気持ちでしょう。

これは運動会に限ったことではありません。つい先日の端午の節句でも、毎年夏のスピーチコンテストでも、卒業式直前のバス旅行でも、いつでも同じような考えに基づき、企画し、運営していきます。主役に喜んでもらう、楽しんでもらうには、自分はどう動くのが最善かということを常に考えています。

どんな仕事にも、多かれ少なかれ裏方の要素があると思います。仕事とは主役に尽くすことだと言ってもいいでしょう。尽くすとは、サービス業だけに限りません。製造業は、生活を豊かにする製品を供給することで、主役である消費者に尽くしています。こういう意識の強い工場が生き残り、尽くす気持ちの希薄なところは淘汰されます。

消費者としての私たちは、製品やサービスの中の「尽くす」成分を無意識のうちに感じ取ります。そして、十二分に尽くされたと思えれば喜んでその対価を払い、そう思えなければ「高い」と不満を抱くのです。不満を抱くだけでなく、二度と買うまい、行くまいと心に決めることでしょう。

今、S先生が月曜日に学生たちに配る運動会のしおりを印刷している音が聞こえます。私たちの珠玉の志をこめて…。

縁起いい

5月13日(金)

今日は13日の金曜日でしかも仏滅、洋の東西を問わず縁起の悪い日となっております。そのせいかどうかわかりませんが、私のクラスのKさんは地下鉄の車内に傘を忘れてきてしまいました。降りてすぐに気がついたのですが、その地下鉄は郊外へ向かう私鉄に乗り入れているため、地下鉄と乗り入れ先の両方の遺失物担当者に連絡しなければなりませんでした。しかし、その説明がうまくいかなかったけれどもどう説明すればよかったかと、授業の時に私に相談に来ました。

地下鉄に忘れた傘はちょっとおしゃれなデザインで、Kさんのお気に入りでした。でも、そのおしゃれなデザインが災いして、傘をうまく説明できなかったのです。よほど気に入っていたのでしょう、Kさんはスマホに写真を残していました。その写真を見ながら、私がその傘の特徴を説明する言い方を教えてあげました。

それを聞いたKさんは、もう一度電話してみますと、明るい顔で宣言しました。よくできるとはいえ、Kさんは初級の学生ですから、電話をかけてくれと言われたら断れないだろうなと思っていました。でも、Kさんは私に頼らず自分でこの問題を解決しようとしていました。こういう積極性を持ち続けられれば、これからもKさんは実力を伸ばしていき、進学という大きな目標に到達できるだろうと思いました。

夕方、G大学に進学したHさんがビザ更新の書類を申し込みに来ました。大学の授業は大変だと言いながらも、第一志望の大学で勉強できる喜びのオーラを全身から発していました。そのオーラをずっと浴びていたくて、ずいぶん長い時間立ち話をしてしまいました。学問の喜びってこんなにまで人を輝かせるものなのかと感心しながら、KCPにいたときよりも張りの感じられる声に耳を傾けていました。Hさんと同じくらいの年に戻れたらどんな勉強をしようかななんて、できるはずもないことまで考えていました。

結局、13日の金曜日の仏滅は、私にとって、さわやかで、明るい希望の感じられる、むしろ縁起のいい一日になりました。

運動会に来るかな

5月12日(木)

QさんはKCPの勉強を真面目にしようとしません。気が向いた時だけ授業に参加しているようで、毎日のように授業中にスマホをいじっては先生にしかられています。授業後は塾へ行って、そこで進学のための勉強をしているそうです。A大学が第一志望だと言っていますが、あのしゃべれなさ加減では、受験のテクニックを多少身に付けたところで、とうてい手が届かないと思います。

昨日とおとといは欠席で、ようやく出てきたところを捕まえて理由を聞きました。「どうして欠席したんですか」「11時に起きました」「何時に寝たんですか」「5時に寝ました」というような不毛の会話が続きました。要するに、学校を休んではいけないという気持ちが薄く、気ままな生活を送っているのです。塾に通ってさえいれば、A大学は自然に入れるとでも思っているのでしょうか。

奇跡でも何でもA大学に受かってしまえば万々歳ですが、おそらくそうはならず、その後始末がこちらに回ってくることと思います。今からQさんの力で入れそうな大学の目星を付けておかなければなりません。でも、Qさんの出席率で拾ってくれる大学があるかどうか…。どうして、KCPに対して何の感情も抱いていない学生のお世話に気をもまなければならないのか疑問に思うこともありますが、ビザを出した責任上、そこまで面倒を見なければならないのでしょう。

QさんにとってKCPは塾に通うための足がかりに過ぎませんから、ここには友達らしい友達はいません。塾に友達がいればまだ救われますが、Qさんのマイペースぶりだと、それも期待薄です。そんなQさんは、来週の運動会にちゃんと来るのでしょうか。競技のルール説明をした時の不熱心さを見る限り、非常に心もとないです。

手を挙げる

5月11日(水)

来週の火曜日の運動会では、最上級レベルの学生は競技役員として、競技の進行に携わってもらうことになっています。その競技役員とは具体的にどのようなことをするのかについての説明会を開きました。

どんな仕事があるかを説明した後で、その役割を務めてくれる学生を募りました。すると、Mさん、Yさん、Eさん、Tさん、Uさんなどはどんどん手を挙げてくれるのですが、Bさん、Sさん、Kさんなどはできるだけかかわらないようにという内面が透けて見えました。Iさんにいたっては、「やりたくないです」とはっきり言い切ってしまいました。

みんなのために汗をかこうという学生と、自分のことしか考えようとしない学生と、わりとはっきり分かれました。前者には、その心意気に何らかの形で報いてあげたいと思いました。そういう学生が何かしようとしているとき、一肌脱いであげたくもなるでしょう。後者に対して冷たく当たるつもりはありませんが、「この学生は運動会の時にがんばってくれたから…」という、プラスアルファの気持ちにはなれなかったとしても、こちらに罪はないんじゃないかな。

進んで手を挙げてくれた学生たちが何か見返りを求めているとは思いません。純粋な気持ちが感じられたからこそ、その心が尊くいとおしいのです。そして、そういう学生たちと手をつないで、運動会を盛り上げ、成功させ、是非、その喜びを分かち合いたいものです。

説明が終わった後、「気ばたらき」ということばを出して、これこそが運動会を成功に導くキーワードだと強調しました。何でも引き受けてくれたYさんたちには、私が言いたかったことがきっと伝わったと思います。思い出深い運動会を作り上げようと、こちらの決意も新たにしました。

トイレに財布

5月10日(火)

お昼過ぎに午後の授業の準備をしていると、事務のSさんから「Dさんって、金原先生のクラスの学生ですよね」と声をかけられました。「はい、そうですが」「これ、Dさんの財布なんですが、5階のトイレにありました。注意して返してあげてください」「あ、すみません。ありがとうございました」

そんなやり取りの末に手渡された財布はズシリと重く、中には在留カード、キャッシュカード、定期券など、暮らしていく上でなくてはならないカード類がぎっしり詰まっていました。授業が始まるまで小一時間ありましたから、そのうちDさんが青い顔をして事務所に「財布をなくした」と言いに来て、その場で「バカモノ」とか言いながら返せばいいだろうと思っていました。

ところが、Dさんはいっこうに現れません。授業開始時刻が迫ってきたので、教室へ行きました。すると、Dさんがふだんと変わらぬ顔で座っているではありませんか。「こういうものをトイレに置いてきたらダメじゃないですか」と言いながら、財布で顔を張るふりをしてそれをDさんの目の前に突き出しても、まだきょとんとしていました。何が起きたのか理解できないという顔つきでした。財布をなくしたという自覚が全くなかったに違いありません。

そんなに大事なものが入っている財布を、なぜトイレで出して、なおかつそれを置きっぱなしにしたのか、その点はよくわかりませんが、無用心なことこの上ありません。学校内だったからよかったようなものの、駅やどこかのお店のトイレだったら、戻ってこなくても文句は言えません。Dさんと同じ年頃の私は、もっと用心深かったと思います。

最近、アルバイトをしている学生が激減しています。勉学に励むという面では結構なことですが、お金の大切さを知らないまま一人暮らしを続けている学生が増えているような気がして、少々心配です。

薄く広く

5月9日(月)

文部科学省学習奨励費受給者の推薦者を決める面接をしました。自薦で名乗りをあげた学生の中から、教師の目で厳選された学生だけが最終面接を受けます。そういう手続を経てきているので、出席率はほぼ100%、成績もそれなり以上の学生たちばかりが残っています。ですから、毎年、この面接には苦労します。だれを落としても悔いが残りそうな気がするのです。

学習奨励費とは、要するに奨学金ですから、いい学生であるかと同等かそれ以上に、経済的にどんな状況であるかが大きな問題になります。経済的に苦しくても勉学に励んでいる学生にもらってほしいと思っていますが、最近はかつてのような苦学生が少なくなりました。生活状況を聞いても、赤貧洗うが如しという学生はいません。奨学金なしでも生活していける仕送りを受けている学生ばかりです。

そう考えると、日本人の高校生のほうがよっぽど貧しいかもしれません。大学進学率は私の頃の倍ぐらいになっていますが、学費が工面できずに退学したり危ない仕事に手を染めたり、そもそも進学をあきらめたりしている若者も多いです。そういう人たちに比べると、今回の候補者の面々は恵まれた生活を送っていると思います。かつては「日本は物価が高いです」という例文が学生たちの生活実感を表していましたが、今はさほどに感じていないように見受けられます。

文部科学省がこういう学生たちの生活状況を知っているのか、学習奨励費の支給額も年々下がって、薄く広くという意図を感じます。ありがたみがなくなったという声も耳にしますが、私は時宜を得た施策だと思っています。今の学生は、お金そのものよりも、学習奨励費受給者という名誉をもらいたいのかもしれません。

大阪平野を見下ろす

5月6日(金)

連休は高いところへ行きました。まずは大阪北郊の妙見山。寒気団を甘く見ていて、登っている時はいかにも有酸素運動という感じで、汗が吹き出てきましたが、頂上に着いて大阪平野を見下ろす段になったら、風が冷たいのなんの。早々に下山を始めました。

翌日は大阪と奈良の府県境にある葛城山へ。ガイドブックによると登山口から頂上へ登り、ロープウェーで下りてくるというコースで3時間半とのことでした。ここでも有酸素運動をたっぷりして、前を歩く人たちを抜きまくって頂上に立ちました。快晴とはいえ、春霞で淡路島がぼんやり見える程度でしたが、景色の雄大さに疲れも吹っ飛びました。頂上でおにぎりを食べたり水分補給をしたりとけっこう時間をとったつもりでしたが、ロープウェーではなく山道を自分の足で下りて登山口に戻って、2時間半弱でした。

そんなわけで、この日は時間が余ってしまったので、あべのハルカスへ行ってみました。あべのハルカスはおととしの春に開業し、開業当初は大混雑だと報じられていました。2年もたてはだいぶ落ち着いてきただろうという見込みのもと、1時間待ちとかって言われたらあきらめようと思っていました。小走りで入場券売り場まで行くと、10分待ちという表示。チケットを買って展望階行きのエレベーターに並んでみると、5分強で乗れました。

眼下には、大阪の街がジオラマのように広がっていました。地図と実際の景色とをつき合わせて、感心したり感激したり。ついさっき登ってきた葛城山もよく見えました。秋から冬にかけての空気の澄んだ季節にもう一度来てみたいと思いました。「何とかと煙は…」と言われても、私は高いところが大好きです。

大阪は東京に次ぐ大都市ですが、街のすぐ近くに生駒山、二上山、金剛山、葛城山など、手軽に登れる山がたくさんあります。生駒山など、難波から各駅停車でも30分ほどで登山口に着きます。東京では、高尾山でも特急で45分はかかりますからね。そういう意味で、大阪は手ごろな大きさの都市であり、東京というか首都圏は広大な関東平野目いっぱいに都市が広がりすぎている感じがします。

東京に戻ってきて、地下鉄日比谷線が地上に出た時、スカイツリーがこっちにも来いよと言わんばかりに私を見つめていました。

端午の節句の陰で

5月2日(月)

5日が休日なので、端午の節句を前倒しして行いました。連休前に飾りつけた五月人形を見ながら、柏餅をいただくという趣向です。

もちろん、単に見るだけでは何のことやらさっぱりわからない学生が大半ですから、教師が説明したり事前学習で調べてくることになっていたりします。最近の若い人は、うっかりすると、桃太郎や金太郎はauのキャラクターだと思ってしまうかもしれませんが、さすがに日本語教師はそんなことはなく、平成生まれの先生方もきちんと説明なさっていました。

柏餅が配られると、毎年のことですが、すぐパクついてしまう学生が絶えません。今年もそんなフライングの学生が何名も先生に注意されていました。それから、柏餅を桜餅と混同して、葉っぱごと食べてしまおうとするシーンも、毎年の恒例です。

全クラス共通の行事は「柏餅」ですが、各レベルでは、それぞれ、端午の節句の意義付けを考えさせる活動をしています。私が担当したレベルは、連休前に自分の名前の由来を調べてくるという宿題を出しました。親や親戚などに聞いて、それ用の用紙にまとめてくることになっていました。

ところが、Uさんは「わかりません」と一言だけ書いた紙を出そうとしました。担当のS先生が受け取りを拒否すると、そのままふてくされてしまいました。Uさんは特別な家庭環境にある学生ではありません。明らかに宿題をほったらかして、学校へ来てからやっつけたに違いありません。

Uさんはふだんからそういう学生です。教師を敵に回していることに気がついていません。私たちは何でも素直に言うことを聞く学生ばかりを求めているわけではありませんが、何ごとにも消極的、非協力的な学生と、その反対の学生とだったら、後者を応援したくなりますよ。心が狭いと言われようとも、私はそうです。

桃太郎も金太郎も周りを味方にして大きな仕事を成し遂げました。Uさん、たかが宿題をしてこなかっただけでそんな態度をとることが、あなたをどんなに不利な立場にしているか、考えたことがありますか。

大器晩成?

4月28日(木)

初級のクラスに代講で入ると、特に学期が始まって間もないこの時期、しかも一番下のレベルだと、必ず1人か2人いるんです。自分はこんなクラスで勉強しなければならない学生ではないと言わんばかりに、難しい文法を使ったり小難しいことを聞いてきたりする学生が。今週は2度ほど代講しましたが、どちらのクラスにもそれっぽい学生がいました。

入学前のプレースメントテストの結果、惜しいところで一番下のレベルに判定された学生にとっては、「はしでご飯を食べます」なんて文法は、かったるくてやってられないでしょう。国で勉強した期間が長かったり、JLPTのN2あたりに合格してたりすると、なおさらそういう気持ちが募ることは、想像に難くありません。

でも、何かが足りないから、基礎部分に穴が開いてるからこそ、下のレベルに判定されたのです。基礎が不安定なまま、さらにブロックを積み上げていても、砂上の楼閣にしかなりません。早い段階で伸び悩み、結局穴を埋める工事をしなければならなくなるのです。

その点、私のクラスのZさんは殊勝です。N2があるのに初級クラスに入れられたけれども、どういう練習をすればいいかと聞いてきました。自分の置かれた境遇を嘆くのではなく、その環境からいかに多くのものを得るかということを考えているのです。「できる」「わかっている」と思い込まず、謙虚に学びなおそうとしている姿勢が、Zさんをより高いところへ引っ張り上げていくに違いありません。

ウサギとカメの寓話は世界中でつとに有名だと思いますが、どうしてみんなウサギになりたがるのでしょう。