教科書を買う

4月8日(水)

日中の気温が5度を下回り、みぞれがちらついた寒い1日でした。かなり強力な寒気団が南下しており、しばらくは冬に戻ってしまったかのような日が続きます。そんな中、新学期が始まりました。

私は教科書販売を担当しました。場所が地下室でしたから、キンキンに冷えた打ちっぱなしのコンクリートに囲まれて、暖房をいくら強くしてもどこかうすら寒かったです。

ただ、学生たちは非常に素直に教科書を買っていきました。一昔前なら、この教科書は先輩にもらうからいらないとか、この薄さでこの値段は高いとか、国で使っていた教科書とだいたい内容が同じだから買う必要がないとか、いろいろと難癖をつけて言い訳を構えて買おうとしない学生が少なからずいました。今日の学生たちは、これが必要だと言われればその通りに買いました。

進学を考えている学生が大半で、日本語力がつくなら数千円の教科書代など安いものだと考えているのでしょうか。それだったらなおのこと、教科書選びや教科書作りの責任が増します。その教科書を通して学生たちに何を伝えるのか、その教科書の力をフルに引き出して学生の力を伸ばせるだけ伸ばしているか、新しい教科書に寄せている学生たちの期待を裏切らない授業をしているか、自問自答したくなることが次から次へと出てきました。

午後からは授業。今日は先学期の復習でしたから教科書は使いませんでしたが、身が引き締まる思いの1日でした。

夢を壊す

4月7日(火)

昨日の入学式の挨拶では学生たちに希望を持たせるような話をし、今日の受験講座のオリエンテーションでは学生の夢をぶち壊すようなことを言う――全くもって正反対のことをしています。話しながら、嫌なやつだなと思いました。でも、受験は現実であり競争であり、自分を直視できなければ勝てません。夢と現実との距離を正確に把握し、その距離を埋めるためには何が必要かを認識しなければ第一歩が踏み出せません。

国立大学に入りたいという気持ちはよくわかりますが、国立大学は全国の日本語学校生のみならず、国外(=学生たちの母国)から出願する学生にも人気の的です。国でいい大学に入れなかったから日本でいい大学に入る、などという考えは、あまりにも日本の大学をバカにしています。国でいい大学に入れなかった学生は、よほど奮起しない限り、日本のいい大学にも入れません。

KCPは進学してからのことも考えて教育しています。学生を大学に入れるだけなら、たとえば問題集をひたすらゴリゴリやれば何とかなるでしょう。でも、それでは大学で学生の人生を形作る勉強などはおろか、ろくな交友関係も築けないでしょう。そうならないように、自ら考え発信できる人間に育ってもらおうと思っています。

これは学生にとっては楽な勉強にはなりません。高すぎる要求かもしれませんが、私たちはそういうことを考えて学生に対しています。留学生活は楽しいことばかりじゃありません。特に進学を考えている学生には、自ら進んで苦難の道を歩んでもらわねば困ります。だから、容易に夢は叶えられないという意味をこめて、厳しい話をしたのです。

翻訳が難しい

4月6日(月)

昨日の雨が花散らしになったようで、今朝の桜は明らかに盛りを過ぎたようすでした。式が始まる1時間近く前から、教職員よりも早く新入生がぽつぽつ来始めました。そして、6階の講堂に目いっぱいの新入生が集まったところで、入学式が始まりました。

毎回入学式では挨拶のときに全入学生をざっと見渡すチャンスがあります。1月期は、私の話にとってもよく反応する学生がいました。その学生は上級クラスに入って優秀な成績を残しました。大変快活な学生で、どの教師にも好印象を与えました。今学期は、残念ながらそういう学生はいませんでした。でも、妙にしらけている学生もいませんでしたから、まあ、平均的な新入生というところでしょうか。

卒業式に挨拶は翻訳が入りませんから、その場で好きなことが言えます。学生たちも日本人の思考回路にある程度慣れていますし、半分ぐらいは実際に教えたことがある学生たちですから、翻訳しづらいことも理解してもらえます。しかし、入学式はそういうわけにはいきません。翻訳がディスプレイに映し出されますから、そこからかけ離れたことは言えません。また、日本も日本人も初めてという学生が大半ですから、きちんと翻訳できる内容でないと、こちらの真意がうまく伝わらないおそれがあります。

今日の私の挨拶は、英訳してくださったS先生によると、訳しにくい言い回しがあったそうです。演題からディスプレイは見えませんから、私の挨拶がどう訳されたのかはわかりません。いずれにしても、日本人や日本に長いこと住んでる人にしかわからないような挨拶をしているようじゃ、まだまだ私はインターナショナルな人間じゃないようですね。

あさってからの新学期を控えて、学校の中はばたばたしています。明日は進学コースの学生たちへのオリエンテーションで、また忙しくなりそうです。

学生気質

4月4日(土)

今年は空海が高野山を開いてから1200年になる記念の年です。そのため、高野山では秘仏が公開されるなど、いろいろな催しが行われます。また、春日大社では、ふだんは一般人は入れないご本殿に入ることができます。20年に1度の式年造替のため、神様が一時的に移されるからです。

何でこんなことを書き始めたかというと、今日は新入生のレベルテストがあったからです。その試験監督をしたのですが、レベルテストの試験監督は最初は何かと忙しいですが、最後のほうになるとすることがなくなり、連休の予定でも考えていないと眠くなってしまうのです。

最近の新入生は品がよくなり、レベルテストのときに暴れだしたり不正を働こうとしたりする学生がほとんどいなくなりました。挙動不審の学生も「いないわけではない」程度ですから、最初の科目のうちにチェックが済んでしまいます。今日、私がチェックしたのは2人だけでした。だから、最後の時間は根を詰めて見張る必要もなく、連休の計画立案にいそしんでしまったというわけです。

何で品がよくなったかというと、もちろんKCPが現地である程度入学志望者を選別していることもありますが、最大の理由は学生たちの国が豊かになったからでしょう。「衣食足りて礼節を知る」ですよ。最近の日本人のほうがよっぽど危ないところがありますね。

でも、入学してからはこれが必ずしもいい方向に働かないんですね。甘やかされてわがままという性格を遺憾なく発揮する学生が多くて…。自分の思い通りにことを進めるには手段を選ばないとなると、はなはだしく厄介です。そこまではレベルテストではなかなか見抜けないんですね。でも、去年は私のチェックした学生がものの見事に危ない方向に走ってしまった例がありましたから、今日の学生もちょっと心配です。

私がKCPに勤め始めた頃に比べると、学生の国の経済状況は大きく変化しました。端的に言えば豊かになり、我々教職員よりリッチな暮らしをしている学生も珍しくなくなりました。しかし、豊かさがいい面に現れている学生と悪い方向に働いている学生との差が激しくなったとも思います。

来週の月曜日は入学式、水曜日から授業です。連休の予定を考えていたわずかな時間は、嵐の前の静けさに過ぎません。

もう忘れちゃった?

4月3日(金)

初級のDさんは期末テストの文法と漢字の点数がちょっと足りなかったので、先週末、昨日来るようにと呼び出しをかけていました。電話を持っていないので、メールを送っておきました。しかし、来ませんでした。メールを見ていなかったそうです。寮の職員に電話を掛けて呼んでもらい、ようやく連絡がつきました。

そのDさん、今日の午後学校へ来ました。期末テストの範囲をしっかり勉強しておくようにと、先週末のメールには書いておいたのですが、それが伝わったのが昨日とあっては、十分な勉強をしてきたかどうかは怪しいものです。

その悪い予感が的中し、Dさんに確認テストを受けさせましたが、成績が下がってしまいました。期末テストが終わってから1週間ちょっと、どうやら遊びまくっていたようです。その成績が下がった答案用紙を目の前にしても、どこを直したらいいのかよくわからない様子でした。教科書を見ても、全部を直しきることはできませんでした。

そりゃそうですよ。初級じゃまだ頭に日本語の体系が定着していませんからね。Dさんは授業中でも母語を使うことがありましたから、特にそうでしょう。そこへもってきてメールにも目を通さないほど遊んじゃったら、なんにも残っちゃいませんよ。学期休み中に一時帰国した学生が、休み明けに日本語が出てこなくて、本人も教師も呆然としてしまうのと同じです。

語学は反復練習が大切です。頭や耳や目にある程度体系ができあがれば、多少のブランクならどうにかなるでしょう。でも、その手前の学習者にとっては、ちょっとの油断が「一歩前進、二歩後退」になりかねません。いや、「ふり出しに戻る」っていう例もいくつも見てきました。

Dさんには学期が始まるまでの宿題を出しました。あまりの量の多さに顔を引きつらせていましたが、それぐらいあれば遊ばずに毎日日本語脳を鍛えることになるでしょう。さて、新学期、Dさんはどんな顔で登校してくるでしょうか。

元日

4月1日(水)

今日からKCPに新人の職員・Oさんが入りました。KCPの教職員で初めての平成生まれです。学歴が昭和で完結してしまっている私なんかからすると、平成元年なんてほんに昨日ですよ。学生はもうだいぶ前から平成生まれが入っていて、今では昭和生まれは貴重な存在です。でも職員ですからね。これから仕事を頼んだり頼まれたりする間柄ですからね。感慨もひとしおと言うか、新鮮な驚きがあります。

Oさんは大学を出た後アメリカで働いていて、英語はペラペラだとか。今日は初日で英語を使う場面はありませんでしたが、そのうち実力を遺憾なく発揮するところが見られることでしょう。KCPの場合、英語が流暢なだけでは勤まりません。学生の気持ちをくみ取り、学生の心に訴えるコミュニケーションが求められます。英語に血が通っていなければなりません。

お昼過ぎにOさんから挨拶のメールが。簡にして要を得たメールで、しっかりした人柄が感じられました。私がKCPに入ったときはまだメールが普及しておらず、みんなの前でまとめて挨拶して終わりだったような気がします。もしメールがあったら、これだけの文章が書けただろうかと思いました。

Oさんのメールに感心するちょっと前に、来週月曜の入学式で在校生代表として挨拶することになっているCさんが原稿を持って来ました。何か所か手を加えましたが、こちらもまた感心させられる内容でした。新入生には翻訳文を通しての訴えとなりますが、ぜひとも耳を傾けてもらいたい話です。

OさんとCさん、今日は2人の小気味いい文章に触れられました。おかげで、2015年度の元日から、幸先のいいスタートが切れました。

上がる、ほしいです

3月31日(火)

初級のYさんは今学期の成績が思わしくなく、上のレベルに進級できません。それを伝えるためにYさんに電話を掛けました。私がその旨を伝えると、予想通りYさんはごねました。もう少し正確に言うと、口調から何とか上がりたいと言っているのであろうと感じ取ったのであり、Yさんの言葉そのものは何を言っているのか今一つわかりませんでした。そして、ついに、「先生、上のレベル、上がる、ほしいです。いいですか」ときました。これを聞くに及んで、もう完全にダメだと思いました。だって、これは誰が考えたって「上のレベルに上がりたいです」でしょ。一番下のレベルで習う文法ですよ。Yさんは進級どころか降級したほうがいいです。

誰だって進級したいでしょうが、無理に進級したっていいことは1つもありません。Yさんは期末テストの全ての科目で不合格でしたから、上のレベルの授業は何一つわからないでしょう。言葉のレベルが低すぎて、いずれクラスの誰からも相手にされなくなるでしょう。母国語でおしゃべりするときだけ元気な学生じゃ、その程度のお付き合いしかしてもらえません。

20分ぐらい粘った末に、Yさんはついにあきらめました。会って相談したい(Yさんは「明日、相談してあげてもいいです」と言いました)という頼みも、会っても答えは変わらないと突っぱねました。Yさんは一生懸命勉強したと言いましたが、勉強したとは思えません。必死に勉強してこんな程度の日本語しか身に付かないのなら、日本語の習得に割く時間を別のことに使ったほうがYさんの人生のためです。

Yさんは日本で進学するつもりでいます。それならなおのこと、ここで基礎固めをして踏ん張らねばなりません。それがわかっているのかな…。

伸ばせなかった

3月27日(金)

成績表をまとめていると、この1学期に伸びた学生とそれほどでもなかった学生とがはっきりしてきます。

Tさんは打てば響くような学生で、なんでもぐいぐい吸収していきました。すばらしい成績でしたから飛び級を勧めたのですが、自分は1つずつ階段を上がっていきたいとのことで、通常の進級をすることに。

Dさんは、授業中はちょっと斜に構えたような態度をしていましたが、自分がわからないこと、知らないことを扱っているときは目の色を変えて真剣に聞いていました。すばらしい成績とは言い難いですが、着実に力を伸ばしたと言っていいでしょう。

Lさん、Fさん、Cさんも、授業中はおとなしいですがこちらの意図することをきちんとくみ取り、力をつけてきました。もう少ししゃべってくれれば自信を持って次のレベルの先生にお渡しできるのですが…。

Yさんはがんばってはいたのですが、そのがんばりが形になりませんでした。Aさんも宿題は全てきちんと出していたのですが、合格点は取れませんでした。2人とも、学期の最後は他の学生との差が歴然としていました。努力をしていただけに、次学期も同じレベルをもう一度勉強しなさいと伝えるのに辛いものがあります。これに対して、Hさんは大した努力もせず欠席も多かったですから、伸びなかったのも当然です。

Bさんも伸び悩み組みでしょう。同じぐらいの力だったGさんは順調に力をつけて成績上位に食い込んだのに対し、Bさんは不合格点を取ってしまいました。自分ではできるつもりみたいなのが厄介なところです。Gさんはきちんと予復習をして実力を積み上げてきたのに、Bさんにはそういう緻密さがありませんでした。やるべきことをやった人とやらなかった人がこんなに違ってくるっていう好例になってしまいました。

伸びた学生も、次の学期は当然勉強が難しくなりますから、油断せずに取り組んでもらいたいです。伸びなかった学生は、今学期の自分をきちんと分析して敗者復活につなげてもらいたいです。

教える立場からすると、Tさんは自然に伸びた学生、Lさんたちは伸ばせた学生、YさんやBさんは伸ばせなかった学生、Hさんは伸びようとしなかった学生ということになるでしょうか。伸ばせなかった学生に対して何かできることはなかったかというのが、新学期が始まるまでの宿題です。

熱がない

3月26日(木)

久しぶりに風邪をひきました。今週になってから咳が出て、本人はそれほどでもないと思っているのですが、周りの先生方によると、明らかに鼻声だそうです。おとといぐらいから、私にとっての風邪の万能薬・龍角散を飲んでいます。墨汁くさいとかいう声にもめげず、1日に数回、いやもっと多いかもしれません、粉を口に放り込んでいます。

ゆうべ帰り際に、「そんなにひどい鼻声なんですから、きっと熱がありますよ」と言われたので、熱っぽい感じはしませんでしたが、家で熱を測りました。熱があったらどうしようと思いながら目盛りを見ると、36度ちょうど。あれ、いつもより低いじゃないかと思い、測り直してみましたが、やっぱり36.0度。ということは、平熱はもしかすると35度台ってこと?

去年ぐらいから冬が寒く感じられるようになりました。数年前までは夏でも冬でも同じ下着で平気だったのですが、今は冬はヒートッテクで完全防備じゃないともちません。朝一番で職員室に入ると、以前は他の先生方のために室内を暖めておこうと思って暖房を入れましたが、最近は自分のためにエアコンのスイッチを押します。家でも、暖房を入れる時間が一冬ごとに長くなっているような気がしてなりません。

子供の頃、祖母の平熱が35.5度ぐらいでした。その当時の祖母の年齢にはまだ10年ほど足りませんが、体内のエネルギー発生状況はその域に近づきつつあるようです。昨日あたりも半袖で期末テストを受けている学生がいましたが、腕のぴちぴちした力こぶがうらやましかったです。

明日は老化に起因する慢性病のチェックのため、病院へ行ってきます。

美質

3月25日(水)

KCPでは授業が終わって教室を出るとき、椅子をひっくり返して机の上に載せることになっています。中間テストや期末テストの日は、最後のテスト(だいたい漢字)の答案を出したら帰ってもいいことになっていますが、そのときでも椅子を上げてから帰るのは同じです。

通常授業のときは、終業のチャイムが鳴って教室内がざわざわしていますから、椅子を机にぶつけてゴーンとかカーンとかいう音を出しても大勢に影響はありません。しかし、テストの日はまだ問題を解いているクラスメートがいます。そんなときに大きな音を立てるのは、デリカシーに欠けるというものです。こういうときに周りに気を使ってそろーっと椅子を載せるような人は、一流の素養がある人だと思います。

自分さえよければという人は、たとえばトイレの使い方もいい加減です。汚しっぱなしで出て行ってしまいます。次に使う人やそこを掃除する人のことなど、眼中にありません。めぐりめぐって自分がまたその汚いトイレを使うことになるという、きわめて単純なことにさえ考えが及びません。こんなことばかりしているようじゃ、多少成績がよくても尊敬される人間にはなれないでしょう。

今日私が試験監督に入ったクラスは、1人を除いて静かに椅子を上げていました。答案用紙には間違いがだいぶありましたが、人間的には立派なものだと思いました。次の学期は、君たちのこの美質を周りに広めてくださいね。