ミスがなくて暗雲が垂れ込める

1月29日(水)

「先生、Rさんの出席成績証明書のコメント、お願いします」と、T先生が書類を持ってきました。Rさんの今学期の担任はT先生ですが、まだ付き合いが浅く、先学期の担任の私に書いてほしいということでした。Rさんは、H専門学校に出願するそうです。

外部に提出する書類には、なるべくいい言葉を書いてあげたいです。推薦書ほど立派な話を書き連ねる必要はありませんが、先学期のRさんの姿から輝くエピソードを見つけてあげたいです。

確かに進級はしましたが、かろうじて合格という成績でした。宿題はよく忘れたし、授業中のタスクも出さなかったことがたびたびありました。スマホも手放しませんでしたね。それでも1度だけグループ活動でリーダーっぽい役を担ったことを思い出し、それをネタにどうにか書き上げました。

その直後、昨日の選択授業で書かせた小論文の採点をしました。偶然にも、Rさんのが一番上に載っていました。読んでみると、語彙や文法のミスはほとんどありませんでした。しかし、授業で触れた小論文の型は全く無視していました。また、Rさんの意見は述べられておらず、毒にも薬にもならない一般論が書かれていました。

やらかしてくれたなと思いました。昨日の課題をAIに考えてもらい、その回答をそのまま原稿用紙のマス目に埋めていったのでしょう。Rさんが知っていたとは思えない文系や語彙が随所に、適材適所に使われていました。時々、濁点が落ちていたり、漢字の字形がわずかに違っていたりしました。

H専門学校は、就職はいいです。それは、厳しい指導に裏打ちされているからです。たかだか原稿用紙1枚半の文章をAIに頼ってしまうのだとしたら、Rさんはこの学校で生き残れるでしょうか。出席成績証明書のコメントを書き直したくなりました。

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暖簾に腕押し

1月28日(火)

出席を取り終わって連絡事項を伝え始めた頃に、最近休みが目立つCさんがそっと教室に入ってきました。そして、教卓から一番遠いところに席を取りました。Cさんは目立たないところに座ったつもりだったのかもしれませんが、教師からは実によく見えるのです。その後の授業でCさんはあまり気合が入っていなかったことも、実によくわかりました。

火曜日の後半は選択授業で、クラスの学生はバラバラになります。Cさんは私が担当する小論文のクラスです。先週は欠席だったので、今週が初授業です。「先週欠席した人には、先週のプリントをあげます。小論文の書き方のポイントが書いてありますから、よく読んでください」と言うと、先週の欠席者が次々と手を上げましたが、Cさんは無反応。

今回の課題の説明をし、「さあ書いてください」となったのですが、Cさんは何もしませんでした。原稿用紙を持っていなかったのです。こういう場合、付近の学生に声をかけて原稿用紙を分けてもらうものなのですが、Cさんは何もしませんでした。何か動きを見せるかと思ってしばらく待ちましたが、何もしようとしません。ついに根負けし、「1階で原稿用紙を買ってきなさい」と促しました。

原稿用紙を買いに行ったにしては戻りが遅いなと感じ始めた頃、ドアがノックされました。開けると、事務所のRさんがいました。「先生のクラスの学生さんが原稿用紙を買いに来たんですが、現金の持ち合わせがないんです。どうすればいいですか」。言葉を失ってしまいました。Rさんが「下で余っている原稿用紙を渡しましょうか」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにしました。

戻ってきたCさんは課題に取り組みましたが、全く筆が進みません。終業のチャイムが鳴りましたが、ほんの数行しか書けませんでした。それを提出して帰ろうとするCさんを引き留め、事情聴取。

(タブレットで出席率データを見せながら)「今月の出席率は50%ですよ」

「はあ…。でも、まだ、1月は終わっていません」

「1月はあと3日だよ。全部出席したって、出席率80%になんか、なるわけないでしょ」

「……」

「どうしてこんなに休むんですか」

「やる気が出ないんです」

「やる気が出ないんだったら、国へ帰って、現地募集する日本の大学に出願したらどうですか」

(嫌な顔をしながら)「……」

(入学からの出席率データを見せながら)「こんな出席状況のままじゃ、ビザは絶対に出ませんね。やっぱり帰国するのが一番いい方法だと思います」

「……」

といった調子で、返答に困ると「……」を繰り返すCさんでした。私の言葉も、どれだけ響いたかわかったもんじゃありません。今までに他の先生から同じ話を何回もされているのですから。

さて、明日の教室にCさんはいるのでしょうか。

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ある帰国

1月27日(月)

「先生」と呼び止められて振り向くと、Oさんがいました。「明日から2月4日まで、一時帰国します」と言いながら、一時帰国届を出してきました。理由欄には、旧正月を家族と一緒に過ごすためと書いてありました。

学生が一時帰国することには、法律上の問題はありません。ですから、Oさんのようにきちんと届を提出してきたら、原則として受理します。しかし、学期中に1週間以上にわたって一時帰国するというのは、日本語を学ぶものとしていかがなものでしょう。

たしかに、OさんはすでにA大学に合格し、入学手続きも済ませていますから、卒業式までKCPに通う以外にすることがありません。それゆえ、一時帰国しようというのでしょう。しかし、Oさんのコミュニケーション力、特に話す力には大きな疑問符が付きます。このままA大学に進学したら、さぞかし苦労することでしょう。

初級の学生には、よく、「国へ帰ると日本語の力が元に戻っちゃうよ」などとよく言います。実際、期末テスト直後に帰国して、始業に直前に戻ってきた学生が、全然話が通じなくなっていたというケースは枚挙にいとまがありません。Oさんは上級の学生ですが、その話し方には危うさが色濃く感じられます。また、Oさんが進学することになっているA大学は、誰でも入れるようないい加減な大学ではありません。よく面接が通ったねと言いたくなるくらいです。それゆえ、なおさら、大学に入ってから困らないようにと言いたくなるのです。

私以外のOさんを知る教師はみんな心配していますが、Oさんの心はもう日本にはありません。来月5日に顔を合わせたときにOさんの日本語力が落ちていないことを祈るばかりです。

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ノート

1月24日(金)

今学期の選択授業・身近な科学は、授業の最初に白い紙を渡し、それにノートを取ってもらうことにしています。そして、授業の最後に、授業をよく聞いていれば、きちんとノートを取っていれば必ず解けるクイズを出します。

このクラスには、上級1期目の学生から、4月期から上級に在籍している学生までいます。同じ上級とはいえ、日本語力にはだいぶ差があります。しかし、こうしてノートを取らせてみると、より上のレベルの学生がより上手にノートが取れるとは限らないことが見えてきます。そして、ノートが取れている学生は、概してクイズの成績がいいです。私のクイズは、ネットで調べても答えが見つからない問題ばかりですから、授業をきちんと聞いて、それを記録に残すことができる学生がいい点数だというのは、妥当な結果です。

最上級クラスのAさんやBさんは、あまり点が伸びませんでした。授業中はうなずいていましたから、よく理解できているのだろうと思っていたら、そうでもありませんでした。上級1期目のCさんは、細かくノートを取っていました。私が見てもよくわかる形でまとめられていました。こういう人は頭脳明晰なんだろうなと思いました。

身近な科学の学生たちは、ほとんどが4月から進学します。日本人の学生に伍して大学や大学院の授業を受けるとなると、ノートがきちんととれるかどうかが運命の分かれ目になるでしょう。卒業生へのはなむけの授業のつもりでやっています。春にはありがたみを感じてくれるかな…。

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拒否!

1月23日(木)

出席を取り、連絡事項を伝え、明日の選択授業の案内を該当者に配り、読解の授業を始め、語句の説明のため板書して学生の方に向き直ると、ついさっきまでいなかったGさんが何事もなかったかのように席に着いていました。このクラスの教室は教卓から離れたところにドアがあるため、教師が遅刻の学生に気づかないこともあるのです。

そのGさん、「先生、すみません。遅刻しました」でもなく、フードをかぶったまま下を向いています。おそらく、スマホをいじっているのでしょう。授業に参加する意思はなさそうでした。私がGさんの机に近づいても、全く動ずるところはありませんでした。

このクラスに入るのは今学期初めてでしたが、今までに入った先生方からGさんのうわさは耳にしていました。どの先生も手を焼いているご様子でした。これじゃあ、手の差し伸べようもありません。“構うな!”オーラを四方八方に発散し、周りの学生にも声をかけるなと体を張って訴えているように見えました。

Gさんは今までに何校か受験に失敗しています。日本語力的にGさんよりも劣る学生が同じ大学に受かったのにGさんが落ちてしまったのは、このコミュニケーション拒否とも言える態度が災いしていることは疑いありません。でも、先学期担当した先生によると、本人はこれを認めようとしていないとのことです。

このGさんをどう指導していくか難しいところですが、もう1人、Jさんも同様の学生です。そのJさんは欠席でした。電話をかけても出ませんでした。難問山積です。

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夢を抱いて

1月22日(水)

Sさんは理科系の進学を考えている学生で、午後、進路相談に来ました。高度なVRを作りたいという希望を持っています。現時点での志望校を聞くと、まっさきにW大学の名前を挙げました。でも、本当は国立大学に行きたいそうです。

大学を卒業したら、大学院はアメリカで進学したいと思っています。そして、将来はVRの制作会社を立ち上げたいと言います。だったら、アメリカの大学院で経営学を専攻したらどうかとけしかけたら、そういう考え方もあるのかという顔をしていました。

SさんのVRのアイデアと技量がどれほどのものなのか私には見当もつきませんが、MBAでも取れば世界進出も夢ではありません。もちろん、そう簡単な道ではありませんが。でも、その険しい道をあえて進もう、難関に挑もうとする意気込みが、Sさんの顔からあふれていました。

しかし、そもそものところに難題が立ちはだかっています。国の言葉で書かれた物理や化学の問題なら解けるのですが、日本語だと問題文の意味が理解できないのだそうです。これではいい点の取りようがありません。KCPでの読解の成績はいいんですがねえ…。

というような相談をしていたころ、先週から今週にかけて何回も面接練習をしたAさんは、E大学の面接試験に臨んでいました。つい先ほど、そのAさんが受験の報告に来てくれました。他の受験生よりも日本語が上手だったと、自信満々の様子でした。口頭試問も、うまく答えられたそうです。発表は来月半ばです。果報は寝て待てといきますでしょうか。

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社会を探して

1月21日(火)

毎日上級クラスに入るのはいいのですが、「社会」にかかわる教材を毎週3つ用意しなければならないのがしんどいところです。上級クラスは大半の学生が3月で卒業しますから、卒業後に進学先や就職先で困らないだけの日本語力や社会常識を付けるということが、この学期の授業における大きな柱の1つです。

「社会」といっても、政治や宗教の対立を教室に持ち込むわけにはいきません。クラスのメンバーを見て慎重に教材を選び、授業を組み立てていくということを繰り返していきます。トランプさんの大統領就任も大きなニュースなのですが、授業での取り上げ方は慎重でなければなりません。

かといって、毒にも薬にもならないようなことばかりやっていたら、学生は相手をしてくれなくなります。インコース胸元に大谷張りの速球を投げ込むようなものでしょうか。コントロールが狂ってぶつけてしまっては、何の意味も持たないどころか、破綻にもつながりかねません。

授業で取り上げて、話し合わせたり何かを書かせたりするとなると、クラスの学生の多くが興味を抱くものでなければなりません。そういう教材をいくつも用意するところに、今学期の苦労があります。まだ火曜日ですが、来週を見越してどのクラスで何を使うか、考えている最中です。

少なくとも3月の卒業式までは、こういう生活が続きます。昔の教材を引っ張り出してもいいのですが、そればかりだと卒業する学生へのはなむけにはなりません。卒業した後で、KCPであの授業を受けておいてよかったと思ってもらえるような授業を展開したいのですが、難しいものです。

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言葉の変化?

1月20日(月)

今学期は、月曜日と水曜日は最上級クラスを担当します。中には1年間ずっとこのクラスで勉強してきたというツワモノもいます。話すときに手加減する必要がないというのが、教師にとってやりやすいところですね。だからといって、気が緩んで山口弁全開などとなったら、最上級クラスでもさすがに通じないでしょうけどね。

初級や中級では、学生たちが知っている文法や語彙を組み合わせて話さないと、意図していることが通じません。それを補うために、時にはジェスチャーなどを交えたり、パワーポイントや板書を活用したりと、あれこれ頭を使います。最上級クラスは、それが省けます。

しかし、その代わり、学生は何でも知っていますから、学生たちの知識欲や向上心を満足させるにはどうしたらいいかという点に気を回さなければなりません。何か考えてもらう、考えさせる、そういう授業を作り上げるにはどうしたらいいかという点が、授業を計画する上での最重要点となります。

初回は、復習ということで、敬語を取り上げました。“書く⇒書かれる”というように、まずは尊敬動詞へお変換。ですが、“降る”みたいに目上の人が動作主になりえないものや、“盗む”みたいに非道徳的な動作で、そんなことをする人は尊敬に値しないようなものも混ぜ込んでおきました。このトラップには引っ掛かりましたね。「“雪が降られます”と言ったら、あなたは雪を尊敬していることになるんですよ」「社長に財布を盗まれた時、社長を尊敬しながら“社長は私の財布を盗まれました”と言うんですか」と指摘したら、気づいたようでした。

謙譲語も引っかかりましたね。目上の人にかかわる動作でないと謙譲語にならないのですが、“お起きする”なんていうのを作っちゃいました。“私は毎朝6時にお起きします”なんて言ってはいけないのですが、学生たちは“毎朝6時に起きる”を非常に丁寧に言うとこうなると思っていた節がありました。

それ以上に、どの言葉に“お”や“ご”を付けるかということを聞いた時に、意外な答えが返ってきました。学生たちが“お”や“ご”を付ける範囲は、私たちより狭いようです。お野菜、お車、ご休憩といったあたりも、付けないと判定していました。学生たちが付き合っている若い日本人はそうなんでしょうかね。

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心配な文化

1月18日(土)

今学期は毎日上級クラスを担当することになっています。火曜日と金曜日は選択授業も受け持ちます。昨日は上から3番目のクラスと、選択授業「身近な科学」でした。

このクラスは先学期からメンバーがほとんど変わっていません。こういうクラスは、往々にして、クラスの文化みたいなものが確立しているものです。このクラスの意場合、その文化は、授業中は静かにするということのようでした。クラス全体に問いかけても、誰も答えません。先学期の中級クラスなら、あちこちから答えが湧き上がってきたものです。間違っていようと的外れであろうと関係なく、何かしゃべらずにはいられない学生がおおぜいいました。これもまた、そのクラスの文化だったのです。

じゃあ、昨日の上級クラスはできない学生の集まりだったのかと言うと、決してそんなことはありません。指名すればまともな答えが返ってくるのです。教科書を音読させれば、先学期のクラスよりずっとスラスラ読めます。引っ込み思案、恥ずかしがり屋の集合なのでしょうか。

というわけで、授業を進めるにはいちいち指名しなければなりません。顔と名前が一致する学生が3人ぐらいしかいないクラスでしたから、名簿を見ながら指名しました。しかし、時には欠席者の名を読んでしまったり、Aさんだと思って読んだら人違いだったりなど、調子が出る前に授業が終わってしまい、選択授業へとなだれ込みました。

昨日は1月17日、阪神淡路大震災からちょうど30年の日でしたから、テーマは地震。去年の能登半島地震、もう少し前の熊本地震、もちろん東日本大震災も取り上げました。野島断層や根尾谷断層など、大きな地震を引き起こした活断層の写真を見せたり、新宿付近にも活断層があるかもしれないと脅したり、こちらは得意分野ですから、好き勝手なことを授業時間いっぱいしゃべって学生の反応を楽しみました。

いちおう授業ですから、評価もしなければなりません。授業内で見せて解説した写真を最後にもう一度見せて、何の写真か説明してもらいました。まじめに聞いていれば絶対答えられると思ったのですが、頭を抱えてしまいました。「阪神淡路大震災で倒れたビル」とでも答えてくれればマルをあげるつもりだったのですが、「強い地震でビルが倒れた」じゃねえ…。上級でこんな答え方なのかと、大いに心配になりました。

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2通りの読み方

1月17日(金)

授業が終わって職員室に戻り、メールをチェックすると、T先生から昨日から話題になっていたある学生に関する報告が入っていました。それをずっと読んでいくと、最後に「…今日本人に確認します」と書いてありました。

さて、みなさんは、この「今日本人に確認します」をどう読みましたか。私は、最初、「いまにほんじんにかくにんします」と読んで、“???”となってしまいました。その後、「きょうほんにんにかくにんします」と読むんだと気付き、腑に落ちました。「今日、本人に確認します」と読点をしっかり打っておいてくれればすんなり読めたんですがね。

つまり、「今日本人に確認します」は、読点の打ち方によって2通りの意味の取り方が可能です。これを英訳ソフトにかけたらどうなるかなと思って、実際にやってみました。

DeepLは、“I’ll check with the Japanese today.”と訳しました。todayが気になりますが、「いまにほんじんにかくにんします」派です。代案として出された訳も、にほんじん派でした。Google翻訳も同じでした。みらい翻訳も“I will check with the Japanese now.”と、にほんじん派。

しかし、Weblio 翻訳は“I confirm it to the person today.”でしたから、「きょうほんにんにかくにんします」派でした。

このように、翻訳ソフトでは、にほんじん派が優勢なようでした。T先生の意をくんでくれたのは、Weblio 翻訳だけでした。私の頭はコンピューター並みということにもなりますが、これは喜んでいいものでしょうか。

それ以上に、こんな不思議な挙動を示す文はほかにないものか、作れないものかと考えてみました。残念ながら、簡単には見つかりませんでした。もう少し、考えてみます。

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