欲が出た?

2月6日(月)

午後の面接練習の予定がなくなって一息ついていると、Cさんが来ました。「先生、A大学に合格しました」「よかったじゃないか」「はい。先生のおかげです」と、まあ、ここまではうれしい報告。しかし、それに続いて、「先生、A大学は本当にいい大学ですか」と、ちょっと穏やかではない質問が来ました。

「どうして?」「私の学部は、去年は5人ぐらいしか合格しませんでしたが、今年は20人ぐらい合格しました。それに、受験のときに友達になった学生はみんな合格しました」「今年の受験生はそれだけ優秀だったんじゃないの?」「いいえ、私よりEJUの成績が悪い学生も合格しました。その学生は面接で何も答えられなかったと言っていました」と、Cさんは不安の根っこを吐露します。

要するに、スペシャル感が薄まってしまったのでしょう。自分より成績が下の学生が受かっていると不満げに言っていますが、もし、合格者がみんなCさんより上の成績だったら、Cさんが合格者の中で成績最下位ということになります。そうなったら、大学の授業で落ちこぼれてしまうかもしれないではありませんか。しかも、Cさんが言った去年の合格者5人というのは、実は入学者が9人というのが正確な情報で、合格者数は今年とさほど変わりません。

何はともあれ、滑り止めではない大学に受かったのですから、もっと喜ばなければなりません。これで、今月下旬の国立本命大学の入試を、余裕を持って受けることができるではありませんか。Cさんもその準備に本格的に取り組む意志を示していました。さあ、最後の一山です。

唯我独尊

2月4日(土)

超級クラスの授業でやっているプレゼンテーションの、聞き手の学生が書いたコメントシートをチェックしました。何回分も溜め込んでしまったので、内容を思い出しながら、私の書いたコメントシートと比べてみました。

聞き手が内容を理解するに至らなかったコメントシートは、おざなりのものが多いです。感想も、一言も書かれていないか、「とてもいいです」のような形式的なもの止まりです。評価欄の各項目の点数が高いのに感想がないシートには、私がにらんでいるからとりあえず出しておいたという、聞き手の学生の心理が見えます。

評価が低いプレゼンは、聞き手が内容をそれなりに理解した上でそのプレゼンに物申しているパターンがほとんどです。上のパターンよりもきちんと聞いているからこそ、辛い評価になるのです。辛辣なコメントには、きちんと受け止めたという熱き心が込められています。

真にすばらしい発表の場合、聞き手の学生はここがよかったと具体的によいところを指摘します。パワポがわかりやすかったとか、こういう話に共感したとか反発を感じたとか、議論が成り立ちそうなコメントが返ってきます。そして、惜しみない賞賛を送ります。

発表者の陰から聞き手を見ていると、発表者の独演会のときは、やはり聞き手は引いています。死んだような目つきでパワポを見ているか、それすらせずにうつむいてスマホをいじっているかです。特に、発表者が台本を読むために下を向いてしまった場合に、こういうことがよく起きます。

今学期は自分の世界に入り込んでしまったり、単に物事の紹介だけで、自分の意見や感想が全然なかったりする発表者が多いように思います。もうすぐ進学という学生の多いクラスですから、ちょっと心配です。卒業式前にプレゼンの総括をするときに、一言指摘しておかなければならないでしょう。

玉砂利を踏みしめて

2月3日(金)

例によって、日枝神社へ豆まきを見に行きました。コートにマフラーで出かけましたが、陽だまりは結構暖かく、スーツだけで行ってもよかったかも。暦の上だけでなく、本当に春が来たかのようにも感じられました。

新宿御苑前駅で乗り遅れた学生を待って引き連れて行ったこともあり、例年よりも遅い時間に現地に着きました。既に中級や上級の他のクラスは豆まきが始まるのを今か今かと待っているところでした。しかし、Jさんを始め何人かの学生は、豆まきをする舞台のそばへ行くどころか、そちらを見ようともせず、ひたすらスマホをいじっていました。そういう学生を見るたびに、どうして自分で自分の世界を狭めてしまうのだろうと思います。

その一方で、Hさんなどは日枝神社の祭神を調べてくるといって、由緒書きを探しに境内を歩き回っていました。SさんとEさんがおみくじ売り場を探していたので、案内してあげました。また、K先生はクラスの学生からどうして神社には玉砂利(学生は「小さい石」と言ったそうですが)が敷き詰められているのかと聞かれたそうです。こういう学生は、これからの留学生活でも多く物を得ることでしょう。

豆まきが始まると、いつの間にかHさんも豆の取り合いに参戦し、戦果を私に分けてくれました。今年は力士のほかに晴れ着の女性タレントが多いように思いました。また、ゆるキャラが2体(2人?)いました。どこかで見たような木がするのですが、なんのゆるキャラか思い出せませんでした。

豆まきが終わり、お客さんが引くと、舞台の解体など、後片付けが始まりました。係員が灯籠を保護していた覆いをはずすと、舞台からまかれた豆袋が出てきました。それを見るや、どこかのオジサンがさっと拾い集めました。あんな豆にご利益があるんだろうかと首をかしげながら、あんなオジサンにだけはなりたくないと思いました(もう十二分にオジサンですが)。

さて、神社の玉砂利ですが、神聖なところを清浄にし、それを踏みしめることによって心身ともに清めて神前にまかり出て祈りをささげられるようにと敷き詰められているそうです。

不安と喜び

2月2日(木)

夕方、受験講座を終えて職員室に戻ってHさんの宿題を採点していると、YさんがS大学を受験したその足でやってきました。Yさんは既にいくつかの大学に受かっていますが、S大学にはどうしても受かりたいといっていました。

「先生、入試要項には口頭試問と書いてありましたが、口頭試問はありませんでした」「あ、そう。じゃあ、どんなこと、聞かれたの」「志望理由以外には生活のこととか…」と、何だか闘志が空回りして拍子抜けだったようです。Yさんの受けた学科は出願者が4名でしたが、1名欠席したとかで、面接に臨んだのは3名。自分以外の2名に比べて、自分の面接時間が短かったことも、Yさんの不安をかき立てているようでした。

S大学の発表は8日ですが、その日、Yさんは国立B大学受験のため遠征しています。そのB大学の志望理由は少々無理をしてこしらえたので、面接の時に突っ込まれたら怖いといいます。B大学のある町は、独特な雰囲気のある町なので、それを志望理由に加えればいいとアドバイスしました。大学4年間、大学院に進学したらさらに2年間その町に住むのですから、その町に惹かれたというのは、立派な志望理由になります。月曜日に面接練習をすることになりました。

Yさんよりも前に、T大学の大学院に受かったIさんが、受験講座の教室までわざわざ報告に来てくれました。IさんはYさんとは違って、なかなか桜が咲かなかった学生です。苦労した末の合格のせいか、目が潤んでいました。

Iさんは、まじめな学生ですが、それが結果につながりませんでした。初級で教えましたけれども、努力しているのに成績に結びつかないところがありました。その後順調に進級を続けて上級まで来たのですから、地力がないわけではありません。入試もどこかで歯車がずれてしまったのでしょう。職員室で面接練習や進路指導を受けている姿を秋口から見てきたような気がします。それだけに、小さい春を見つけたIさんの姿に、そしてそれをわざわざ報告しに6階の教室まで来てくれたIさんの篤い気持ちに、心が温まりました。

今週の目標

2月1日(水)

2月になりました。今月から、毎月「今月の目標」を掲げ、さらにその月間目標をブレークダウンした「今週の目標」を決め、学生も教職員もその目標を念頭に置いて動いていくということにしました。2月の目標は「健康に気をつけよう!」で、今週の目標は「手洗いうがいをしよう!」です。今、東京ではインフルエンザがはやっていますから、こういう目標を設定しました。

私が入った超級クラスの学生たちに説明すると、思ったより真剣に聞いてくれました。説明資料の中に学生たちが知らない知識や情報があったからかもしれません。このクラスにはこれから本命の国立大学を受けることになっている学生がいますから、受験日に体調不良で力が発揮できなかった、などということのないようにしてもらわなければなりません。学生たちもそう感じているからこそ、この目標に共感を覚えたのでしょう。

実は、昨日の選択授業・身近な科学で風邪について取り上げたばかりでしたから、そこで使ったネタも使い回ししたのです。全校共通の資料より、その分だけ内容が豊富で、ちょっと違った捕らえ方もしていたというわけです。ウィルスの伝播経路を詳しく説明し、このクラスには受験生が多いのだから、みんなで気をつけようと話をまとめました。

とかく学生は健康管理をおろそかにしがちです。そういう方面の知識が足りないのか若さを過信しているのか、いつでも病気みたいな学生や無茶をしまくる学生が目に付きます。この目標を機に、手洗いという健康管理の基本から見つめ直してもらいたいです。

種まき

1月31日(火)

私にとっての1月期は、3月に進学する学生たちへの最終の進学指導と、次の年の進学を目指す学生たちの基礎の勉強を並行して進める時期です。

まず、授業後、Wさんの面接に関する相談。Wさんはもうすでに何校かに受かっていますから、面接そのものについての相談ではなく、志望理由をどのようにまとめると試験官へのインパクトがより強くなるかという話でした。Wさんが考えてきたストーリーだと回りくどくて焦点がぼやけていましたから、内容をばっさり削ってすっきりさせました。

次はLさん。こちらはまだどこにも受かっていませんから、何とか次の大学に受かってもらわなければなりません。Lさんは話が局地戦になりがちで、受け答えから大学での学問という大きな流れが見えてきません。抽象的な話ばかりする学生も困りますが、Lさんは自分が将来作る店の細かな間取りの話をとうとうと始めてしまいました。「大学で学んだことを将来どう生かすんですか」と聞くと、とたんに口をつぐんでしまいます。受験日までもう少しありますから、考えるヒントを与えて、自分なりの答えを見出してもらうことにしました。

その次は先学期から受験講座に参加している学生たちの授業。半分ぐらいの内容が終わりましたから、まとめのテストをしました。本番並みの広い範囲のテストは初めてだったこともあり、みんな苦戦していました。それでも、答え合わせで次々と質問が出てきましたから、私は手応えを感じることができました。

最後は今学期から勉強を始めた学生への受験講座。こちらはまだカタカナの専門用語が定着していません。でも、科学的なカンのよさがありますから、私は密かに期待しています。理系科目はどうにかなるとして、EJUの日本語をどこまで伸ばせるかが鍵です。

Wさんは、1年前にまいた種が大輪の花を咲かせた例です。今勉強している学生たちも、1年後にそうなっていることを祈っています。

甘くないぞ

1月30日(月)

去年の卒業生でJ大学法学部に進学したHさんがフラッと訪ねてきてくれました。単位は順調に取れているようですが、J大学の中では法学部が一番成績評価が厳しく、GPAはどうしても低めに出てしまうそうです。法学部といえばJ大学の看板学部ですから、しょうがないですね。でも、そのため、GPAで勝負が決まる奨学金などでは不利な立場になってしまうと嘆いていました。そうは言いながらも、そんな厳しい世界を自分なりにしっかりした足取りで歩んでいるんだという、自信のようなものが表情にあふれていました。

Hさんはよくfacebookに写真やら近況やらを載せていますから、大学での勉強は大変だと感じつつも学生生活を楽しんでいることは知っていました。実際に顔を見て話を聞いて、本当にリア充のキャンパスライフを送っているんだなと思いました。どうやら順調に滑り出したようですから、心に太い柱が一本通っているHさんなら、このまま学業に励み続けてくれるんじゃないでしょうか。

しかし、J大学にも勉強の意欲を喪失してしまったような学生もいるそうです。日本人の学生なら、たとえ退学してもどこかに居場所はありますが、留学生はそうはいきません。次の居場所を確保するまでは、いやでもその大学にい続けなければなりません。J大学ともなると、名前にあこがれて入ったはいいけれど…という留学生がいても不思議ではありません。残念ながら、KCPにもそうなりかねない学生がいます。大学の名前につられて自分のやりたいことはどこかに置き忘れてしまっている学生です。

Hさんは、1年間大学生活を送った先輩として、KCPの学生に戒めの言葉を残してくれました。進学してからの勉強は、真に自分の人生を決めるものです。いい加減な気持ちで進学先を決めてほしくないし、生半可な心構えで進学先での学問に臨んでほしくもありません。

玉砕もせず

1月28日(土)

12月のJLPTの結果をまとめました。まず気になったのが、出願したのに受験しなかった学生が多かったことです。中には体を壊して帰国を余儀なくされた学生もいますが、大半はろくな理由などなさそうな学生たちです。この敵前逃亡組のおかげで、出願者に占める合格者の割合は、野球の打率並みとなってしまいました。

次に、得手不得手のはっきりしている学生代わりと多いということです。JLPTには、言語知識(文字・語彙・文法)、読解、聴解の3分野が設定されていますが、合格者でもこの3分野間の得点差が大きい学生が目立ちました。学習者の四技能を満遍なく伸ばしていくのがKCPのカリキュラムの基本方針です。しかし、絶対値の高さは別として、どの分野も平均的に得点した学生は少なかったです。

聴解が他の2分野よりも図抜けて高得点の学生は、名前を見ただけで声が聞こえてきそうな面々です。読解が飛び抜けている学生たちは、カリカリコツコツ勉強している様子が目に浮かんできます。しかし、言語知識ががくんと落ちる学生がいつも漢字や文法の再テストを受けているかというと、そうでもありません。

得意分野をより一層伸ばす勉強をすれば不得意分野は自然消滅するとも言われていますが、JLPTについて言えば、苦手を克服することが不可欠だと思います。全体的な底力があれば、たとえば読解が他に比べて弱くても合格点は確保できるでしょう。しかし、合格点付近の実力だと、足を引っ張る科目が命取りになります。JPLT自体が、一芸に秀でた受験生よりも、各分野に平均的に力を持っている受験生を好んでいるように見えます。

何より困るのが、敵前逃亡のやつらです。受験料をどぶに捨てるのは本人の勝手ですが、どういう精神構造を持っているのでしょう。玉砕すらできないのだとしたら、これからの人生、明るくないんじゃないでしょうか。

世界一

1月27日(金)

超級で使っている読解テキストに「新宿駅の一日の乗降客数は世界一」という文があるので、世界の駅の乗降客数を調べました。「世界の」といいつつも、統計データが揃っている国となると、どうしても先進国に偏ってしまいます。でも、それ以外の国は鉄道があまり発達していないので、大した乗降客があるとは思えず、上位のランキングには影響を与えないだろうと判断しました。

日本の駅が上位を独占するだろうとは予測していましたが、best(most?)100駅の80駅余りを日本が占めているとは予想以上でした。アムステルダム中央駅が御徒町駅といい勝負、ローマ・テルミニ駅やパリ北駅が町田駅や川崎駅並みと、その国を代表する駅が東京近郊のちょっとした乗換え駅と同程度の乗降客数でした。新宿駅は町田駅や川崎駅の7倍ほどの乗降客数ですから、いかにとんでもないことになっているかがわかります。

鉄道は大量輸送機関で、多くの乗客を同一方向に運ぶとき、その力を発揮します。東京のように一極集中の極みみたいな都市は、この条件にぴったりです。私が上述のヨーロッパの駅で乗り降りしたのはかなり昔のことですが、その当時の新宿駅など東京のターミナル駅と比べるとずいぶんのどかだなという印象を持ちました。見方を変えると、東京圏は世界で最も鉄道を有効活用している町なのです。

駅舎にしても、新宿駅・渋谷駅・池袋駅の“三横綱”は実用一点張りで、ヨーロッパの都市の中央駅のような建物としての芸術性は皆無に等しいです。わずかに東京駅の丸の内側駅舎にいくらか芸術の香りを感じるのみです。また、今学期の読解では、パリの駅は構内にピアノが置いてあって誰でも弾けるようになっているという内容の教材も扱いました。残念ながら、東京圏の駅は利用者が多すぎて遊び心を楽しむどころではないのです。

どこ出身の学生も、多かれ少なかれ、朝の身動きが取れないほどのラッシュにはショックを受けるようです。でも、日本、特に東京で留学生活を続けようと思うなら、これに打ち勝たなければなりません。そういう意味でも、頑張れ留学生!

欲がない

1月26日(木)

SさんがH大学の出願をどうすればいいか聞きに来ました。H大学から大学案内を取り寄せたけれども、参考になる資料が少なくて困っているとのことでした。自分の勉強したいことが本当に勉強できるか確認したいのに、肝心なことがさっぱり書いていないと言います。

どこの大学も学生の確保に必死なのに、Sさんのように本気で勉強したがっている受験生を取り逃がしかねないパンフレットなどあるのだろうかと思いながら、そのパンフレットを見ました。そうしたら、本当に書いていないんですねえ。これじゃあSさんが私のところに相談に来たのも無理はないと思いました。

ないないと言っていても始まらないので、H大学のホームページを見てみました。パンフレットよりはましでしたが、依然として受験生が大学を知るのには大いに不足です。Sさんが狙っている学科にどんな専門の先生がいるのかさえも、最後までわからずじまいでした。研究上協力関係にある機関のホームページに飛ぶのはいいのですが、H大学自身の言葉でその研究について語ってもらいたかったです。他機関のホームページでは、H大学の立ち位置やその研究にかける熱意がわかりません。

それでも、SさんはH大学に行こうと考えています。A大学受験の際に、少し足を伸ばして訪れたHの町に引かれてしまったようです。こんな強力なファンが生まれたのに、そのファンの気持ちを揺るがすような学生募集資料しかないH大学は、欲がなくおおらかでもあり、商売下手で時流をつかみ損ねてもいます。

私もHの町が好きで、その町の人々に尊敬のまなざしで見つめられているH大学の学生はさぞかし幸せだろうと思っていました。それだけに、この広報力の低さにはがっかりさせられました。