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病院通い

10月6日(金)

私にとって、学期休み中は病院通いの時季でもあります。年を取ると、定期的に診てもらわなければならない体の部分が出てきます。授業に穴を開けるわけにはいきませんから、学期休み中にせっせと通うわけです。

3か月に1回診てもらうといっても、病状が進んでいないことを確認するというのが本当のところです。同じ検査を受け、同じ結果を聞き、同じ薬をもらって、3か月後の予約を取って、半日が終わります。それで安心して仕事にもプライベートにも打ち込めるのですから、半日の時間と数千円の診療費+薬代は安いものかもしれません。

無病息災よりも一病息災と言われます。病気を1つぐらい抱えていたほうが、その病気がひどくならないように自分の体をいたわるから、かえって健康を維持できるということです。私も一病息災と言いたいところですが、病院通いの日以外は結構無理をしていますから、医者からすると綱渡りをしているように見えるかもしれません。

学校にいるときは無理もしますが、私は仕事を絶対に持ち帰りません。公私を峻別するという意味もありますが、書類や資料などを学校外でなくしたら責任の取りようがありませんから。ですから、私は学校を出た瞬間に仕事を忘れます。電車の中で読む本のストーリーを思い出したり、休みの計画をめぐらせたりします。逆に、朝は地下鉄を降りてから学校に着くまでに、その日の予定を再確認し、頭の中を仕事で満たします。

病院が思ったより早く終わったので、お昼を食べがてら、紀伊国屋に寄りました。もう、来年の日記帳が売られていました。次の病院の予約はちょうどクリスマスの日、この学期が終わったらお正月ですものね。

学問の秋

10月5日(木)

朝、マンションに外に出たら、冷たい空気がスーツを通して肌を刺してきました。先週まではクールビズで半袖でしたが、ちょうどいい時期に衣替えとなりました。東京の最低気温は、今シーズン初めて15度を下回ったそうです。そういえば、朝顔を洗うときの水道水も冷たく感じました。陽射しがあったのに最高気温も20.7度どまりでしたし、ゆうべは中秋の名月でしたから、秋もたけなわというわけです。

期末テストから1週間、成績は既に出ています。自分の成績が気になる学生は問い合わせてきますが、そういう学生は、多くの場合、成績を気にしなくてもよくて、ぜひとも成績を気にしてほしい学生、成績を聞いて大いに反省してその上で復習してほしい学生ほど、何の反応も示してきません。成績を聞いてきた学生は、学期中の授業態度などからして、期末テストの結果をもとに学期の総括をしていそうな感じです。進級できると聞いて喜んで終わりという学生は少なそうです。勉強のサイクルがきちんと回っているからこそ、習ったことがきちんと身に付き、すばらしい成績が取れるのです。進学の準備も、怠りなく進めていそうな面々です。

本当にショックを受けてほしい学生には、こちらから知らせました。現時点ではなしのつぶてです。どうしても進級したいという学生もおらず、このまま平穏無事に新学期を迎えられるのならそれも結構なことです。しかし、勉強をすっかり忘れて遊びまくっているおそれもかなり強いですから、新学期が心配です。受験勉強にかこつけて学校の勉強をせず、かといって「打ち込む」ほど熱心に受験勉強に取り組むわけでもなく、なんとなく無駄に学期休みを過ごしているんじゃないかなと危惧しています。

「学問の秋」とは言いますが、ほうっておいても学問の秋を満喫する学生と、学問の秋などどこ吹く風という学生と、大きく差がつく秋でもあります。

掲示板

10月4日(水)

お昼を食べに外に出たら、学校のすぐそばの公園に衆議院議員選挙のポスターを貼る掲示板が立てられていました。公示が10日ですから、そういう準備が始まっていても当然です。

それにしても、今回の選挙は、いろんな意見を総合して私なりに公平に判断しても、安倍さんのわがままのような気がしてなりません。「大義がない」とよく言われていますが、そういう面が多分にあると思います。だから、安倍さんのチームに1票を入れたくはありません。

野党のほうも「希望の党」が、急に湧いて出たように現れて、いつの間にか結構な支持を集めています。それにあおられて民進党が実質的に解党してしまいましたが、前原さんは何のために党の代表になったんでしょうね。前原さんは以前民主党の代表になったときも、偽メール事件で党の足を引っ張ったあげく、辞任していますよね。何だかひ弱な感じがして、いまひとつ信頼できません。まあ、民進党というか旧民主党は選挙のための互助組合みたいな性格がありましたから、解党して各人が自分自身の政治思想をしっかり固め、それに一番合う政党を選ぶか、それを実現していく力になる政党を作るかしたほうが、政治家として正直な生き方ではないでしょうか。

小池さんも、動けば動くほど都知事に当選したころの清新なイメージが薄汚れていく感じがします。だんだん都民ファーストじゃなくなっていく気もします。むしろ、石原さんのほうが、豊洲を始めいろいろと問題もありましたが、“都民ファースト”だったとも思えてきます。

夕方、1日中ラウンジで勉強していた学生が質問に来ました。こういう留学生に光が当たる世の中を作ってくれる人に、私の1票をささげたいです。でも、そういう人が見つかるかなあ…。

伝える伝わる

10月3日(火)

この学期休み中は、通常授業はありませんが、養成講座の講義が何回かあります。通常授業とは違って日本人相手ですから、言葉が通じない心配はありません。でも、私が担当している文法の場合、受講生が小さい頃からずっと勉強してきた学校文法の枠組みを一度壊して、日本語文法として再構築していきますから、聞き手にとって新たな何事かを理解させていくという点においては、通常授業と変わるところがありません。

そうすると、やはりただ単に知識を垂れ流ししていくだけでは仕事をしたことにはなりません。私が有している知識や経験を、いかに生き生きとした形で伝えていくかを考えねばなりません。そのためにはどんな論理構成で話すのが一番わかりやすいかを考え、どんな資料を用意すれば効果的か頭をひねり、どんな問いかけをすれば受講生の刺激になるか作戦を練り、ようやく1つの講義を作り上げます。

ところが、こうして作り上げた講義を、当日あっさり壊してしまうことがよくあります。迷った末にこの方法でいこうと決めたのに、受講生とやり取りしているうちにまた気が変わって、没にしたのが復活させたり全く予定外の進め方をしたりすることも一再ならずあります。自分の作った台本にとらわれていては、受講生の要求に応えていることにはなりません。臨機応変というか、行き当たりばったりというか、こういう思い切りの良さみたいなものが、何が起きてもびくつかないところが、私の特徴じゃないかと思っています。

受講生には、こういうところも盗んでほしいものです。私があと30年この仕事を続けることは考えられませんが、今の受講生が30年後も日本語教師をしていることは十分ありえます。30年後に、今の私のように後進に何事か伝えているかもしれません。その時に、今の私の言葉をほんの一部でも思い出してくれたら、私の知識や経験がその人に伝わっていくことになります。そんなこともちょっぴり考えながら、講義をしています。

大差

9月29日(金)

期末テストの採点をしました。当然のことですが、勉強していなさそうな学生は悲惨な成績でした。テスト前日に未受験のテストをあわてて受けたような学生は、軒並み不合格です。出席率の悪い学生も、見当違いの答えを連発するか、潔く(?)白紙かで、合格点ははるか彼方でした。

こういう学生たちに限って、11月のEJUや大学独自試験の準備をしていたなどと言い訳をします。ある程度は本当でしょうが、地力があれば何とかなりそうな問題まで間違えていますから、自分の実力のなさをさらけ出しているようなものです。意味不明な例文を書き連ねているようじゃお先真っ暗ですよと言いたくなります。

だって、同じように受験勉強に精を出していても、すばらしい成績を挙げた学生がいるんですから。そういう学生たちは集中力がありますね。教師の言葉を聞き逃すまいという気持ちは、顔に表れます。授業中や授業後にしてくる質問の質の高さから、勉強の密度の濃さがうかがわれます。

私が採点した範囲では、結局、赤点だったら救いの手を差し伸べようと思っていた、普段から頑張っていた学生はみんな合格点を取り、落ちたのはダメだったら見捨てようと思っていた怠け者たちでした。そういう意味では、今回の期末テストは非常によくできていたと言えます。

今回のテストは、できた学生とできなかった学生とが鮮やかに色分けされました。後者の中には、お前は一夜漬けすらしようと思わなかったのかと言ってやりたくなる学生もいます。本命校の入試日が翌日に控えていたというのなら情状酌量の余地もありますが、おそらくスマホをいじりながら前夜を過ごしたのでしょう。どうにかして目を覚まさせることが、担当した教師の最後の仕事だと思います。

年寄りばかり?

9月28日(木)

Lさんは、左足を右膝の上に載せて足を組んだり、右手に頭を載せて壁のほうを向いたり、机の上の消しゴムや学生証を落としては拾ったりと、実に落ち着きがありません。PさんとSさんは絶えず貧乏ゆすり。Kさんは左腕で腕枕をするように机の上に体をもたせ掛けて問題文を読んでいます。私が監督した教室には、いったいどうなのだろうという姿勢で期末テストを受けている学生が目立ちました。

頭をかきむしりながら難問に取り組んでいるなら、頑張っているなと好感を持つかもしれません。でも、Lさんたちの態度は、見ていて気分のいいものではありませんでした。KCPの期末テストなら、「こいつはまったくもう」などと思いながら試験監督が苦笑いするだけですみますが、入学試験だったらどうでしょう。試験中の姿勢だけで落とされることはないでしょうが、他の評価が同点で並んだ場合、誰を落とすかとなったら、Lさんみたいな受験生でしょう。私が決めるのだったら、そうしますね。

入学試験は、殊に競争率が高いところでは、落とす材料を探す手段の1つです。それに対抗するには、落とされる材料を相手に与えない、隙を見せない用心が必要です。ライオンの前で昼寝をするようなまねは許されません。K先生は、受験クラスの授業では常に「背筋を伸ばして」と指導しているそうですが、学生の体作りも含めて、理にかなっています。

人を外見で判断してはいけないと言われますが、外見で判断されるのが世間というものです。来学期はこんなことも学生に伝えていきましょう。

ブラックリスト

9月27日(水)

KCPでは、毎月出席率が悪い学生をリストアップし、学生指導するとともに、学生自身にどうすれば出席率がよくなるかを考えさせています。Sさんは9月の出席率が悪く、そのリストに載ってしまいました。私は、Sさんが欠席・遅刻した日を調べ、その日付を書いて、いったいどうしてこんなに休んだり遅刻したりしたのかを説明するように求めました。

Sさんは手帳を見ながらこの日は休んでいないなどと言い出しました。でも、その日は休んではいませんでしたが、大幅な遅刻をした日でした。たとえその日が全面的に出席であっても焼け石に水で、Sさんがリストから外れることはありません。そもそも、休んで日を手帳につけているくらいなら、呼び出しを食らうほど休むなといいたいです。

Nさんはボーダーラインをわずかに下回り、リストアップされてしまいました。入学以来今学期の初めまでは出席率が100%でした。ところが、風邪をこじらせて1日休んでしまいました。これがきっかけになって崩れなければいいのだがと思っていましたが、遅刻が目立つようになり、休むようになりと、転落していきました。出席が悪いことで呼び出されたこと自体、Nさん自身にとってショックだったと思います。ここでギュッと締めておけばきっと復活してくれると信じていますが、新学期はどうなるでしょう。

SさんやNさん以外にも何名かの出席率の悪い学生から事情を聞きましたが、同情に値する話はありませんでした。要するに、たるんでいる、緊張感・切迫感がない、勉強や進学を軽く見ているのです。学生たちが休んでも、私はこうやって嘆くだけで済みますが、休んだ学生自身は自分の人生を食いつぶしていることに気がつかないのでしょうか。

でも、本当に困った学生は、リストを突きつけようにも休みやがってできなかった学生どもです。今までにもさんざん注意してきた連中です。さて、どうしてやりましょう…。

論理構成

9月26日(火)

道がぬれていますね。どうも          ようですね。

この下線部に言葉を入れなさい、という問題が出たらどう答えますか。この問題を作った人は「雨が降った」を正解としていますし、多くの方がこれに類する言葉を入れるのではないでしょうか。

「雨が降った」を入れた方は、どうしてそう答えたのですか。これにきちんと答えるほうが難しいかもしれません。道がぬれているという状況を見て、その原因を考えると、「雨が降った」が一番自然だから、というのが基本的な論理構成でしょうか。

こんなに深く考えずに、「だって当たり前じゃん」でおしまいにしてしまう人だっていることでしょう。ところが、これが全然当たり前ではない人もいるのです。Fさんがその1人です。Fさんの答えは「雨が降る」でした。

道がぬれていますね。どうも雨が降るようです。

「雨が降る」といえば、未来のことです。「ようです」は推量です。道がぬれているという現在の状況の原因を推量して答えてほしいのですが、Fさんは未来の出来事を答えていますから、ある現状の「原因」にはなりえません。「降る/降った」というテンスの間違いかと思ったら、Fさんは「今、降ります」といいます。要するに「雨が降っているようです」と答えたかったのです。

でも、現在進行形で雨が降っていることを指摘したかったら、わざわざ「道がぬれていますね」などとは言わないでしょう。こういう説明をしても、Fさんは理解してくれません。「今雨が降っているのだから道がぬれている」という論理のどこがいけないのかと、疑問たっぷりの目つきで私を見つめます。

あれこれ手を尽くしましたが、Fさんに「道がぬれているのはわりと近い過去の一時点に雨が降ったからだ」という理屈を理解させることはできませんでした。もしかすると、Fさんと私(たち日本人)は、根本的に発想が違うのかもしれません。これが事実なら、こういう日本人独特の発想に基づく論理をテスト問題にしてはいけないということにもなりかねません。でも、こういう考え方をするのが日本人であり、それが日本文化だよと、日本にある日本語学校に勤める私は、押し切ってしまいたいところです。

テーブルの上の暦

9月25日(月)

漢字の教科書に「暦(こよみ)」が出てきたので、この「暦」を使った例文を作ってくるようにという宿題を出しました。その中に、「テーブルの上にいつも暦が置いてある」という文がありました。この例文は〇にしますか、×にしますか。

確かに、辞書には「暦」の意味として「カレンダー」も書かれています。学生が辞書で調べて一番ピンと来た意味を選んで例文を作ったら、上述のような例文となっても不思議はありません。でも、テーブルの上においてあるのはカレンダーでしょうね。暦が置いてあるとしたら、お寺か神社か田舎の旧家か商家の文机か座卓か帳場じゃないでしょうか。

暦と言ったら、大安仏滅のような吉凶はもとより、日の出日の入り月齢日食月食のような天文学的データ、各地のサクラの平年開花日のような自然観測、各種記念日などまで載っているようなイメージです。高島易断のあの本ですよ。カレンダーは、上半分に気の利いた写真があり、日付欄には予定が書き込めるような感じがします。暦はめくり、カレンダーは破るといったら、言いすぎでしょうか。

こういうのは、意味というより語感の問題かもしれません。私の語感は上記のようなものですが、違う語感の人がいてもおかしくはありません。暦の意味を広く取る人でも、普通の文脈においては、暦はテーブルの上にはないんじゃないかな。

冒頭の例文を作ってきた学生は、よくできる学生です。文法なんかでは一を聞いて十を知るようなところがあり、ちょっと説明しただけで実に要点を心得た例文を作ります。その学生をもってしても、なおこういう例文を作り出してしまうのです。言葉を教えるのは、本当に難しいものです。

座布団をかぶって

9月22日(金)

今月はメキシコで2回大きな地震があり、多くの方が亡くなりました、がれきの山の中には、まだ生存者がいるかもしれないと報じられています、そういう方々の無事を祈るばかりです。

課外授業で北区防災センターへ行ってきました。私たちの直前のグループが長引いていたため、入口のところでしばらく待つことになりました。あたりを眺め回していると、日本の断層地図をはじめ、興味深い資料が張り出されているではありませんか。学生そっちのけで思わず読みふけっていると、「金原先生、学生たちに地震についてちょっと話してもらえますか」とO先生。あなたたちの故郷は地震が少ないのに、どうしてこんなに地震が多い日本へわざわざ来てしまったのかと、プレート境界に震源が集中している図を指差しながら、力説してしまいました。

前のグループが終わると、私のクラスは地震体験から。震度3の揺れでも結構驚いていたのですから、5強となったら目の焦点が合わなくなってきた学生もいました。6強では、一緒に体験していた小学1年生の男の子が泣き出してしまい、そこでギブアップ。学生たちだって、クラスのみんなと一緒だから笑ってもいられますが、自分のうちで1人きりだったら、パニックに陥るかもしれません。さらに、震度7となると、伏せの姿勢が保てず、転がりだす学生もいました。私も、2、3年前に花園小学校で起震車に乗ったときのことを思い出しました。7の揺れが終わっても、頭の中が真っ白でした。

このあと、煙の充満した部屋から脱出する訓練、家庭用消火器を扱う訓練を受けました。煙訓練のためにふだんは持ってこないハンカチやタオルを持ってきた学生も、それが大いに役立つことが実感できたでしょう。消火器の存在など気に留めたこともなかったでしょうが、自分の手でホースの口から水を出した学生は、消火器を見るたびにみんなで「火事だ」と叫びながらピンを抜いてハンドルを握った体験を思い出すことでしょう。

北区防災センターは、学生引率などという仕事抜きでもう一度訪れて、中の資料や展示物などをじっくり味わいたい所でした。メキシコにもこんな体験ができるところがあるのでしょうか。