Category Archives: 教師

小さな窓を通して

2月25日(金)

午前中、T先生と話していたら、学生との意思疎通の話になりました。「どこですか」と聞いているのに言葉の意味を答えたり、「それで」と「それに」と「そして」があやふやだったり、上級でも助詞がボロボロだったりなどということをぼやき合いました。

一つには、オンライン授業における学生の集中力は、やっぱり、対面授業には及ばないということがあるでしょう。W大学の学生のように、複数の授業を一度に聞く学生はいませんが、別のことをしながら授業を聞いている学生は結構いる感じがします。別のことをするまでに至らなくても、ボーっとしている時間は、対面よりも長いでしょう。私が学生だとしても、90分間パソコンの画面と音声に集中し続けるのは、教室で授業に集中するより難しいと思います。意識が飛んだ瞬間に指名されたら、的外れなことを言ってしまうかもしれません。

教師は、自分がしゃべり続けなくても、授業を仕切るのは自分だという意識が強いですから、90分ぐらいどうにかなってしまいます。画面に現れる小さな顔から学生の様子を推し量らねばと思い続けると、対面授業より緊張度は高まっているかもしれません。指名してから答えが返ってくるまでの微妙な間も、意思疎通の敵です。WiFiの加減によっては、さらに状況が悪化します。

教師も自宅から授業を送信すれば、多少はおおらかな気持ちになれるのでしょうかねえ。でも、3月で卒業する学生の大半が、卒業式ぐらいは対面でしたいと言っているそうです。学生も、間に何も介在しないリアルなコミュニケーションを通して語学をものにしたいと思っていると信じたいです。

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午前と午後の差

2月2日(水)

今学期は、水曜日は朝から夕方まで受験講座数学です。日本語の授業時間の関係上、午前中が中級の学生、午後からが上級の学生を、それぞれ対象にしています。

中級クラス、上級クラスとも、同じ教材を使っています。進度も変えていません。しかし、授業のペースが全然違います。中級クラスは話すスピードを落としたり、指示が通らないので同じ話を繰り返したりなど、遅れる要素が次々と出てきます。それに対して、上級はサクサク進みます。しかし、質問も多く出てくるし、それに合わせて応用的な話もしますから、結局、中級クラスと同じぐらいの進み具合になります。

数学は数式やグラフを追いかけていけば、ある程度は内容が理解できるはずです。中級クラスの受講生が上級クラスに比べて数学的センスが劣るとは思えません。それなのに授業のペースが違う、中級クラスは内容が深まらないとなると、日本語で教わることが学生たちのネックになっていると考えざるを得ません。

美大の先生が、絵を描く技術や素養があっても、日本語力がなかったら指導のしようがないので、日本語のできない学生は合格させないとおっしゃっていました。確かに、中級でも大学などに合格した学生は進学していきます。しかし、進学先でどれだけ有意義な勉強をしているでしょう。私の数学でも、進度は同じでも伝えている情報量には差があります。数学ですらこうなのですから、読解力や表現力などが要求される科目だったら、あっという間に置いていかれてしまうでしょう。

これは、教師の側こそが存分に理解していないと、学生をそういう方向に引っ張れません。学生に日本語「で」勉強させる経験が必要です。

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改めて、留学の意義

12月27日(月)

今年最後の出勤日を迎えましたが、2021年は新入生がまともに入国できない1年となってしまいました。オンライン授業に参加してみたものの、あまりの先行きの不透明さに挫折してしまった学生も少なからずいました。私が学生の立場でも、見切りをつけたでしょうね。

そういう学生にとって、2021年はどんな年だったのでしょう。空白の1年と感じているのでしょうか。日本語を勉強しても、その進歩を感じる機会がなく、また、日本での進学が具体化する方向にもなかなか進まず、精神的につらかったに違いありません。無為徒食とすら感じていた学生もいたようです。

私たちはそういう学生たちに何かしてあげられたかというと、非常に限られた範囲でしか手を差し伸べられなかったと思います。学生の気持ちを燃え立たせ、意欲を長続きさせようとあれこれ手を打ってきました。しかし、結果的に見て、それが有効に作用したとは言い難いのが現状です。

総括すると、「日本での留学生活」が見えてこない状況で学生のモチベーションを維持させるのが大変に困難だったということです。留学とは単なる勉強ではなく、今まで慣れ親しんだ環境とはまるっきり違った世界に身を置くことで見えてくる何物かをつかむ点にこそ意義があるのです。

それぐらい、わかっているつもりでした。でも、こういう、留学の基本認識の重みを、身をもって感じさせられたのが2021年でした。来年、私たち教師が、あるいは学校が成長するか否かは、この原点をどこまで深く追求できるかではないかと思っています。

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仕事の進め方

12月8日(水)

月曜日のこの稿に、文法テストの出来がありよくなかったと書きました。その原因の一端がわかりました。テスト用紙に記された配点で採点すると、94点満点だったのです。2点×6問の問題が、実は3点×6問でした。その問題はさほど難しくなかったので、多くの学生が全問正解でした。その答案がみんな6点低く点が出されていたのですから、クラス全体の成績が悪く感じられたのも、無理からぬところです。

ところが、この配点表記ミスで被害甚大だったのは、私のクラスだけでした。他のクラスの学生はみんなこの問題ができなかったのかというと、そんなことはありません。先生方の採点方法が違ったのです。

私は、加点方式で採点します。問題Ⅰが15点、問題Ⅱが18点、…というふうに点を出し、最後にそれらを合計して、86点などと集計します。ですから、本来18点満点の問題を12点に計算してしまうと、そのマイナス6点がもろに合計点に響くのです。

ところが、私以外の先生方は、ほぼ全員、減点方式で採点されます。問題Ⅰがー3点、問題Ⅱがー7点、…というように間違えたところの点数を集計して、全部でー14点だから、86点とします。ですから、2点×6問でも3点×6問でも、全問正解ならー0点なので、影響はありません。この問題を間違えたわずかな学生だけ、-4点がー6点になるなど、減点幅が大きくなったに過ぎません。

加点方式は足し算だけで計算できます。これに対し、減点方式は、引くべき点数を足し合わせて合計を出し、それを100からマイナスします。足し算と引き算を駆使しなければなりません。何でそんな面倒なことをするのだろうと思っていたら、マイナス点の合計もそれを100から引くのも、全部電卓でするんですね。だから面倒も何もないのです。暗算で点数を出そうとする私とは、根本から違うのでした。

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ご専門は?

12月7日(火)

午後、職員室で仕事をしていたら、上級担当のA先生に呼び出されました。クラスのEさんの話を聞いてくれと言います。Eさんは、国立大学の理科系学部を狙っています。どこに出願するかの最終段階なのですが、Eさんの勉強したいことがA先生に伝わりません。それで、私にお呼びがかかったというわけです。

Eさんは、自分がやりたいことを国の言葉で表し、それをネットで翻訳し、その日本語訳をA先生に言いました。しかし、その単語は、A先生がご自身の辞書で調べても全く引っ掛かってきませんでした。つまり、日本語訳と言いつつもさっぱり日本語になっていませんでした。そこで私がEさんから事情聴取し、本物の日本語でA先生にお伝えすることになったのです。

Eさんがやろうとしていることは、確かに世界でまだ誰も成功していないことです。しかし、それを全然日本語で説明できないというのはどうでしょう。上級の学生としては物足りないものがあります。そんなことより、この程度のことが日本語で説明できないとなると、面接が危ないです。Eさんの志望校は難関校ですから、こんな大きな弱点を抱えていては、望み薄と言わざるを得ません。

今シーズンは、Eさんのように説明力、表現力が落ちる学生が多いように思えます。オンライン授業のせいにしたくはありませんが、一番の鍛えどころの夏に、手元に置けなかったことが響いているように思えてなりません。

Eさんの後で相談を受けたCさんは、自分のEJUの持ち点からすると、夢のような志望校を挙げています。がっちり進路指導できていたらなあと思いました。

受験シーズンは、待ってはくれません。

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復活なるか

12月6日(月)

文法のテストの日でした。ですから、朝、教室でオンライン授業のセッティングをしていると、教室に入ってきた学生は挨拶もそこそこに、教科書を開いてテスト範囲の勉強内容を確認していました。

テストそのものは何事もなく終わりましたが、文法テストの日の大仕事は、その採点です。漢字のテストはほぼ○×で採点できますが、文法のテストはそうはいきません。助詞を入れる問題や動詞の形を変える問題は〇×でもいいでしょう。しかし、例文を書かせる問題は、どこまでを許容とし、どんなミスを何点減点するかに悩まされます。

採点の初めの頃は、格調高くいこうと思っていますから、遠慮なく×をつけます。一読して文意が理解できなかったら、ばっさり切り捨てます。しかし、そうしていると、×の学生ばかりになってきます。すると、だんだん気弱になってきて、“よく考えればこういう場合もあるかな”と思うようになります。許容範囲が少しずつ広がります。3点減点の間違いが2点減点になります。マイナス1としていた答えが〇になります。いつの間にか、ずぶずぶの採点基準になってしまいます。採点済みの答案用紙を見直して、最後の頃の〇×に合わせると、最初の数枚はかなり点数が上がることもあります。私はこれを、密かに“復活折衝”と呼んでいます。

でも、学生の点が低いのは、学生の勉強不足がその主因であることは確かですが、一部は我々教師にも原因があります。説明が明確でなかったとか、練習が足りなかったとか、授業の進め方に何か欠陥があったからこそ、点が伸びなかったのです。そこは素直に反省して、テストを返却するときにフィードバックします。

学生たちの答案は、明日の朝、もう一度読み返します。そこで復活折衝をします。

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三線の音

11月18日(木)

授業の休み時間に職員室に下りると、ちょうどO先生がいらっしゃったところでした。わずかな時間しかありませんでしたから、軽く会釈して教室に戻りました。O先生はつい先日まで、数か月沖縄にいました。授業が終わってから、その話をたっぷり聞かせてもらいました。

沖縄と言っても、O先生がいたのは、本島ではなく、西表島でした。沖縄本島でも十分に東京とは違う空気を吸えますが、西表島ともなると、完全に文化の違いを感じるそうです。東京から直線距離で2000キロ、本島からでも500キロ近くあります。気候風土が大幅に違いますから、そこから紡ぎ出される文化も違って当然です。

マングローブや海に沈む夕日は、もう見飽きたと言っていました。街灯がないため、満月の明るさが存分に感じられるそうです。月明かりだけを頼りに歩くって、小説の中でしか知りません。前世紀末、まだこの仕事を始める前、中国の砂漠の端っこで満点の星を見上げましたが、それとはまたひと味違うのでしょうね。

O先生は持ち前のコミュ力を生かして、島の人と自然と社会から多くのことを吸収しました。島は人口が少ないため誰もが顔見知りなこと、よそ者のO先生にも気安く声をかけてくること、島外から運ばれるものは非常に高いこと、イリオモテヤマネコがヒトを含めた生態系の頂点に立っていることなど、興味深い話をたくさんしてくださいました。そして、島で覚えた三線を披露してくれました。「まだまだ」とのことでしたが、素人の私は、たっぷり沖縄情緒に浸れました。

話を聞いているうちに、うらやましくなりました。私は、旅行者として西表島を訪れることはあるかもしれませんが、O先生のように長期間滞在してこんなにも多くの得難い経験を手にすることはないでしょう。年齢とバイタリティーの差は、いかんともしがたいものがあります。せめて来年の夏休みこそは、3年ぶりに有意義に過ごしたいものです。これも感染状況次第ですが…。

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観察眼

11月16日(火)

中間テスト。いつものレベルより1つ上のレベルの試験監督に入りました。名簿をざっと見渡すと、半分ぐらいの学生が1月期にちょっとだけ関わっています。3名が奨学金の面接で顔を合わせ、4名が受験講座で私の授業を受けています。その他、職員室で何かと話題になる有名人が何名かいました。

“こいつが出席不良でよく名前が挙がっているAか”“出願の時にひと悶着あったBって、わりとおとなしそうな顔をしてるな”“Cって、もしかすると、うちのクラスのDの恋人?”“東大を目指してるEって…なぁんだ、読解の問題、できてないじゃない”

学生を見て回る以外することがないというか、それが唯一最大の仕事である試験監督中は、学生観察が楽しみです。そんなわけで、教室内をうろうろしていたら、Fさんに呼び止められました。「先生、すみません。答えが書ききれないときは下に書いてもいいですか」と、ひそひそ声で、丁寧な物言いで聞いてきました。1月期のFさんはぶっきらぼうな口のきき方しかできず、内心しょっちゅうカチンと来ていました。それを思うと、ずいぶん成長したなと感じさせられました。

Gさんが試験の最中にトイレに行きたいと言い出しました。顔色が悪そうだったので、特別に認めました。しかし、何分経っても帰ってこず、ついに試験終了時刻となりました。そして次の科目の試験が始まるとき、ワクチンの副反応で具合が悪いと言いますから、早退を認めました。

試験終了後、担任のH先生が言うには、「ああ、I大学の発表を見ていたんですよ。私のところに何も報告がないということは、落ちたんですね。副反応じゃなくてショックで帰ったんですよ」。どうやら、だまされたようです。

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11月12日(金)

午前中、職員室で仕事をしていたら、宅配便屋さんが大きな段ボール箱の荷物を運んできました。「あっ」と言って、F先生が受け取りました。F先生のお父様からの、毎年この時期に届く荷物でした。「お世話になっている先生方へ」ということで、地元・長野のりんごを送ってくださるのです。

箱を開けると、ほのかな香りを放ちながら、真っ赤なりんごが並んでいました。今年はいつもの年より熟れているようです。去年あたりはうちへ持って帰ってから1週間ぐらい置いたような記憶がありますが、今年のりんごは今晩食べてもよさそうです。

私にりんごを見る目がないのか、単に安物だからいけないのか、毎年F先生のご実家からのに勝るりんごは食べていません。適度な歯ごたえと独特な舌触りと甘さだけではない味覚と、幾重にも楽しめます。年に1回のお祭りみたいなものですね。

私は東京生まれなので、Fさんにとってのりんごのような物がありません。東京バナナや雷おこしじゃ季節感が漂いませんしね。大昔なら浅草海苔という手もあったかもしれません。そういう意味で、誰もが納得する絶対の切り札を持っているのはうらやましいです。

そういう長野も油断はできません。温暖化が進むと、長野はりんごではなくみかんの産地になってしまうのだそうです。長野県は教育県ですから、いざとなったら栽培法の研究を進め、みかんを現在のりんごの地位にしてしまうことでしょう。愛媛みかんにも勝ってしまうかもしれません。でも、やっぱり、「長野みかん」ではなく「長野りんご」を食べ続けたいです。

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作文はきれいな字で

11月10日(水)

中級の作文ともなると、日本語の文章が書ければいいという問題ではありません。主張が明確かどうかが採点のポイントとなります。ここで言っている主張とは、“消費税増税に賛成か反対か”といった賛否を問うものばかりでなく、“来年挑戦してみたいこと”などという事柄を答える場合もあります。いずれにしても、テーマに対してきちんとした結論を出しているかが重要です。主張が明確な文章は構成がしっかりしていますから、書かせるときにその点を強調し、採点もそこを見ます。

同じ説明を聞いたはずなのに、提出された作文にはかなりの差が生じます。訴えたいことがすっと頭に入ってくる作文もあれば、何回読んでも“何が言いたいの?”と聞き返したくなる作文もあります。いや、作文などと言ってはいけません。日本語の文字の羅列です。文法や語彙の誤用が主張をぼやかすことはよくありますが、慣れてくるとそういうファクターを取り除いて、主張の明確さを見ることができるようになります。

ところが、私の採点には1つの傾向があります。それは、字のきれいな作文の点数が高いことです。見た目で作文を評価しているわけではありませんが、字がきれいだと一読して主張が理解できた気になってしまうようです。逆に、字が汚いと嫌悪感が先立ってしまいます。原稿用紙から無言の圧力を感じて心を閉ざしてしまい、主張を感じ取りにくくなっているのかもしれません。

これでは公平な評価とは言えません。そうはいっても、きれいな字を見て和んでしまう私の心を抑えることは、容易ではありません。入試の小論文を採点する先生方はどうなのでしょう。私ほどではないにしても、多少はそういう面があるのでしょうか。だからAIに採点を任せるという動きにつながっているんじゃないかな。

いまさら手遅れかもしれませんが、学生にはそんなことも伝えたいです。

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