Category Archives: 作文

スピーチの原稿

7月11日(土)

昨日学生に書いてもらったスピーチコンテストの原稿を読みました。今回の私の担当は上級クラスなので、先学期の初級クラスのTさんみたいな、文字は日本語だけど文は日本語じゃないっていうような、とんでもない作文はありませんでした。

しかし、確かによく書けているんだけど、スピーチの原稿って考えるとどうだろうかっていうのが多いのです。自分の身の回りで小ぢんまりとまとまっている印象です。独自の意見を述べているんだけど、広がりが感じられません。聞き手が共感するだろうかと考えると、残念ながらNOなのではないかという文章が多かったです。

スピーチコンテストで入賞できなかったとしても、それは学校の中だけの話で、「残念だったね」で済みます。しかし、こんな雰囲気で入試の小論文を書いたとしたら、残念な結果のオンパレードになりかねません。小論文も個人の意見や経験をベースにしますが、そこから導き出されるものに普遍性や読み手の心を動かす何物かがなければ、合格は疑わしいものとなります。

まず、広い視野で多角的に物事をとらえる力をつけさせなければならないでしょう。そのためには良質な読み物を与え、その内容に関して活発に意見交換していくような授業が必要です。教材をいかに料理するか、教師の力量も問われます。その上で、そこで培われた目で見た問題の本質や自分自身の考えを、訴求力のある文章にしていく力も養っていかねばなりません。

教師の側からすると、高すぎる目標ができあがってしまいました。

魂を込める

7月3日(金)

昨日帰り際に、DさんからW大学の志望理由書が送られてきました。新学期が始まったら程なく出願で、いよいよ今年の受験シーズンが始まったと思いました。

まだ志望理由書を書く練習をしていませんから、Dさんの志望理由書も全然練れたものではありませんでした。まず、制限字数の2倍近くも書いてありましたから、大鉈を振るいました。取り留めのない経験談をばっさり切り捨て、将来計画も大学で何を学びたいかも今一つはっきりしていなかったので、それを書くことに。それ以外の内容も一般的過ぎるので、Dさんに聞き直した上で、特徴的なことを強調した文章に。エキスだけをぎゅっと絞って、何とか最初の半分にし、制限字数をクリアできるレベルにまで切り詰めました。

新学期が始まったら、まずスピーチコンテストの原稿書きですが、それに引き続いて志望理由書の指導をしないといけません。早い大学は今学期中に出願締め切りを迎えますから、もたもたしている暇はありません。学生の意識を自分自身の内面に向け、自分と向き合うことが第一歩です。志望理由書にウソを並べても、面接で簡単に見破られます。ここで心の棚卸しをし、自分の魅力とセールスポイントに気付くことが求められます。始業日から臨戦態勢です。

学生は、よく、志望理由書の雛形をくれと言います。あげてもいいんですが、雛形って自分で作るべきものなんじゃないかな。真に読み手に伝えたいメッセージは何なのか、それこそ追求すべきことですよ。それがいい加減で形だけまねたって、仏作って魂入れずです。

Dさんの志望理由書は、魂が3分の2ぐらい入ったかな。出願までにはもうちょっと時間がありますから、試験官へのメッセージを練り上げていってもらいたいです。

発想の違い

6月25日(木)

期末テストの作文を採点しました。Tさんの作文は、1段落目を添削したところで採点をあきらめました。何回も読み返しましたがTさんの主張内容がついにつかめず、「言いたいことがわかりません」というコメントを書いて、Fをつけました。

採点をあきらめたということは教師として白旗を揚げたことになりますが、そのくせ学生に対してはFという強気の態度で臨むのは、なんだか理不尽なような気もします。今学期指導し続けてきたにもかかわらず改善しなかったのは、教師の力量が及ばなかったのか、Tさんの学力が足りなかったのか…。

Tさんの文章を読むと、思いついたことをどんどん文字にしているような感じがします。与えられた課題に対してブレインストーミング並みにどんどん単語を出し、それをそのまま原稿用紙に書き付けているように、脈絡のない文が並んでいます。一文の中でも主語と述語がねじれているくらいですからね。

授業中によく書かせた短文レベルだと、ターゲットとしている文法や語彙を使ってそれなりの文が作れるのです。しかし、文をいくつか並べた文章となると、とたんに意味不明となってしまいます。話をさせても、Q&Aレベルならどうにかなりますが、今後の進路についてなどというまとまった話になると、理解するには相当な気合が必要になってきます。

Tさんの場合、どうも私たちとは思考回路がかなり違うようです。Tさんからすると、先生はどうして私の気持ちをわかってくれないんだろうというところかもしれません。私は時間をかけてTさんと話し合ったことがありますから、少しはTさんの気持ちや考えが理解できます。それでも作文の採点をあきらめざるを得なかったのですから、EJUの記述はどうだったのでしょう。志望校によっては小論文もありますし、面接はどこでもあります。Tさんは決してバカじゃないだけに、かえって暗澹たる気持ちになります。

C評価をどうしよう

4月20日(月)

先週の火曜日に書かせた初級クラスの作文を明日返さなければならないので、午前中、その採点をしました。先週のうちに下読みをしておいたので、採点基準に従って成績を決めていきました。すると、かろうじてB評価という程度の学生ばかりで、C評価も続出というありさまでした。

意味不明の文を書いている学生はあまりいませんでしたが、文法や表記のミスで次々と点が引かれ、不合格を何とか免れたという成績になってしまいました。授業ではよく短文を書く課題がありますが、日本語で長い文章を書く練習はあまりしていません。そのため、同じような内容の文を繰り返したり、主語と述語が合っていないねじれ文になったり、難しい表現を使おうとして自滅したりしたため、大きく減点された学生もいます。

作文指導は、今まで中級以上ばかりをしてきましたが、その時点で日本語の文構造がわかっていないと思われる学生が多々おりました。今学期はもう一段階前の学生たちが相手ですから、そういう芽をつぶしていこうと意気込んでいました。しかし、どうもそれ以前のところから指導していかなければならないようです。

どの言語でも、四技能のうち「書く」が一番難しいと思います。情報を受信するよりは発信する、音声言語よりは文字言語のほうが難しいものです(英語を「読む」より「話す」ほうが難しいという日本人は例外的存在?)。これをこなしてこそ、語学の最高峰に立てるのであり、大学や大学院の入試に「書く」課題が多いのも首肯すべきことです。私が受け持っているクラスの学生の大半は日本での進学を考えていますから、この山を乗り越えないことにはどうにもなりません。

さて、明日はどうやってこの作文を次へのステップにつなげましょうか。これからそれを考えます。

直す?

3月13日(金)

卒業式が終わると上級クラスの授業がなくなって楽になるかと思いきや、今日は早速I先生の代講が入ってしまいました。期末テストでしかるべき点を取れば中級クラスに上がる学生たちのクラスです。初級のいちばん最後ともなれば、もうかなりのことがわかります。今学期受け持ってきた初級クラスの学生たちもだいぶいろんなことがわかるようになったと思っていましたが、それよりももう1つ上のクラスですから、さらにもっとわかっている感じがします。もちろん上級と比べたらいけませんが、このぐらいわかればとりあえずどうにかできるんじゃないかな。

授業の最後に、作文の清書がありました。先週I先生の時間に書いて、I先生が添削・採点なさったのを学生に返し、チェックが入ったところを直して書くのです。誤字脱字の類は誰が見ても同じですからいいのですが、表現方法に関するものとなると、すぐにはわからない場合も出てきます。本当に初級の作文なら、表現方法も限られていますから、ちょっと読み返せば赤を入れた意図がわかります。しかし、このクラスぐらいのレベルになると、学生が使える表現にバリエーションが出てきますから、教師によって直し方に違いが出てきます。どうもI先生と私とでは直し方の癖が違うようで、その調整が今日の授業の中での一番苦労した点でした。

おそらくこれはI先生と私との文体の違いによるところのものと思います。I先生のお書きになった文章を読んだことはありませんが、たぶん私とは違うリズムの文章なのでしょう。最近はあまり作文の授業をしていませんでしたから、いつもとは違う刺激を受けました。清書した作文を提出してもらいましたが、これをさらに私流で直すと、学生たちは困っちゃうかな…。