Category Archives: 会話

会話の相手

9月14日(月)

私のクラスでは、日本人ゲストとの会話がありました。そのためかどうかわかりませんが、先週は毎日誰かが休んでいたのに、今日は全員出席でした。

金曜日に会話の内容に関する宿題が出ていたものの、文法のテストの直後に会話でしたから準備の時間がなく、それが心配でしたが、学生たちはみんな盛んにゲストと話していました。普段は自分からあまりしゃべらないSさん、Jさん、Qさん、Cさんなども、自分が調べてきたことやゲストが話したことについて、一生懸命話していました。もちろん、いつもよくしゃべっているHさん、Kさんなどは、今日も飛ばしていました。Pさん、Lさんなどは、ただしゃべるのではなく、自分の意見や考えなどを順序だてて話そうとしている様子がうかがえました。自分なりの課題を設けて話しているようで、やっぱりできる学生は違うなと思わせられました。

学生はこういうイベントがあると張り切るものであり、こちらもそれを利用しているところがあります。日本人ゲストが帰った後からは通常の授業だったのですが、いつもよりもコーラスの声が明らかに大きかったです。たくさん話すと自然に大きな声が出るようになるのでしょう。

今日いらしたゲストは、いろいろな職業体験をさせてくれる会社のコースに参加した方々です。私のクラスに入る以前に日本語教師とはどんな仕事かというレクチャーを受け、そして、実際に授業の様子を見てみようということで、学生の会話の相手をしていただいたというわけです。

これに限らず、KCPではいろいろな形で授業に参加できます。これをお読みの日本人の皆さん、是非一度、KCPの中に入ってくださいませ。

奪う

8月19日(水)

私が入った初級クラスは、日本人ゲストを迎えての会話がありました。学生たちは、日本に住んでいるとはいえ、教師以外の日本人と話す機会はそんなに多くありません。アルバイトをしているとしても、そこで話す日本語は限られた話題で限られた語彙や文法だけですから、必ずしも学生たちを満足させるものではありません。

初級の場合、いきなり会話と言われてフリートークができるはずがなく、事前の準備をがっちりしておかなければなりません。昨日宿題プリントが配られ、それを元にゲストに考えてきたことを話したり、ゲストから話を聞いたりしました。そういう活動ですから、とんでもない方向に話が行ってしまうことはあまりありません。

とはいえ、学生の個性はかなり表れます。CさんとRさんは同じグループだったのですが、Cさんは思いついたことをすぐ口に出すタイプなのに対し、Rさんは話す内容や話し方をきちんと考えてから言葉を発します。Cさんは文法的な正確さはそっちのけで、どんどんゲストに向かって話しかけます。こちらの想定した内容ではない範囲にまで踏み出していきます。押され気味のRさんがチャンスをつかんで日本人に質問しても、その答えを聞いたCさんがすぐ自分の方向に話しを持って行ってしまいます。

私はこういう活動の場合、そのグループの流れに任せるのが常なのですが、このグループには介入しました。Cさんを強制的に黙らせて、他の学生に話すチャンスを与えました。日本人と話せるせっかくのチャンスをCさんに奪われてしまったとなっては、そう感じる学生も、Cさん自身も不幸です。

もうすぐ面談がありますから、Cさんにはそのときに注意するつもりです。でも、これは性格であり、Cさんには野生児的なところもありますから、すぐには解決しないかもしれません。

ほんの立ち話

6月16日(火)

先学期、初級のクラスで教えたDさんと久しぶりに話をしました。ほんの立ち話ですが。ずいぶんスムーズに話せるようになって、びっくりと同時に感激もしました。先学期は単語でしか答えられなかったのが、「レベル3の文法は難しすぎるから、レベル4は無理かもしれない」なんて、普通体ながらも複文で答えましたからね。

先学期のDさんは、こちらが日本語で聞いても自分の国の言葉で答えることがよくありました。また、授業中の母語のおしゃべりが目立ち、とてもいい学生とは言えませんでした。今学期、それがどれだけ改善されたかは伝わってきていませんが、実際に話した感じでは、そんなことはほとんどなくなったんじゃないでしょうか。

先学期は、私は担任という立場上、学生を厳しい目で見なければなりませんでした。アラ探しばかりをしていたわけではありませんが、ダメな点をきちんと指摘することが仕事でした。しかし、今学期はそういう関係が全くなく、いわば隣のオジサンみたいな目で、成長を喜んであげられる立場です。だからなおのこと、Dさんの話し方に感激できたんじゃないかと思います。

Dさんのテストの成績は知りませんが、進級できるだけの力はあるんじゃないかなって感じました。1つ上のレベルでも通用しますよ、きっと。まだ完全ではありませんが、思考回路が日本語で回り始めているのだと思います。これが私の手元を離れてからの3か月の成長であり、成果でしょう。もちろん、先学期の私のような目で見ればまた別の結論になるかもしれませんが。

初級で教えていると、こういう喜びがあるんです。教えた学生が「変なガイジン」への道を力強く歩んでいる姿を見ると、うれしくなります。今学期も初級で種をまきましたから、3か月後。半年後が楽しみです。

評判落とされた

6月4日(木)

Jさんは21日のEJUを受ける上級の学生です。毎日のように職員室へEJUの過去問を借りに来ます。もう直前の追い込みの時期ですから、過去問をがんがんやってもらうのはいいことです。ところが、Jさんは職員室の先生方の受けがよくないのです。それは、あいさつをしないからです。

無言で職員室に入り、必要最小限の言葉で過去問を借りようとし、返すときもぶっきらぼうとくれば、そういう評判もやむをえないところかもしれません。職員室に入るときは「失礼します」と声をかける、用件をきちんとはっきり伝えるなど、コミュニケーションの基本以前の姿勢についても、私たちは指導してきています。その指導を無視しているかのようにも見えますから、評判が悪いのもしかたがありません。「あんまりしゃべらないから、初級の学生かと思った」とおっしゃる先生も。

終わりよければ全てよしで、Jさんが最終的に「いい大学」に入ってしまえば、こんなことも笑い話になってしまうのかもしれません。でも、同時に、「あの大学、Jさんみたいにしゃべれない学生でも受かるんだ」と心の底で思う先生もいらっしゃることでしょう。Jさんの行為は、自分が受かった大学の評判まで落としてしまいかねないのです。

学生たちにはオープンキャンパスに行けと言いつつも、私たち自身が、学生たちが受ける大学に足を運ぶことはめったにありません。その大学に進学した学生の成績や人となり、卒業生の声が私たちの最大の情報源なのです。間口が狭く偏った見方だと思いますが、こういう思考回路は一朝一夕には変えられないでしょう。進学した学生が異口同音にいい大学に入れたと言っているS大学は評価の高い大学の代表です。一方、好き放題のことをして出て行った学生が不思議と受かるF大学は、私にとって変な大学の最右翼です。

明日は進学フェアが講堂であります。私の心の中の一流大学も来てくれます。その大学の先生とお話して、学生を引き付ける根源を見つけ出したいです。

スマホを取り戻せ

5月28日(木)

おととい、進学クラスの授業の後で机の中をチェックしていたら、スマホの忘れ物を見つけました。その教室は進学クラスの授業の直前まで初級クラスが使い、午前中は上級クラスが使っています。どのクラスの学生のかわかりませんから、とりあえず私が預かっておくことにしました。しかし、おとといのうちは誰も取りに来ませんでしたから、忘れ物・落し物担当の先生にそのスマホを預けました。

昨日は私がその教室の初級クラスの授業でした。授業が終わると、Mさんが思いつめた顔で私に「先生、電話がありましたか」と聞いてきました。「電話?」「私は昨日教室に電話を忘れました」と、中間テストの直前に習った文法を使って事情を説明するMさん。「あーあ、1階へ行って、事務所の先生に聞いてください」と言うと、Mさんは肩の荷を降ろしたかのような顔になり、「先生、ありがとうございました」という言葉を残して、教室を出て行きました。

Mさんは、私に話しかけて忘れた電話についての情報を得るには相当な勇気が要ったようです。授業中の、いわば、仮想の世界でのやり取りではなく、忘れたスマホを取り戻すという実質の伴った会話をしようというのですから、緊張もするでしょう。

そういうMさんを見ていて思い出したのが、初めての海外旅行、ハワイでのことです。学会がハワイで開かれるというので、大学の研究室をあげてハワイへ行きました。空港で英語に堪能なSさんがレンタカーを借りてくれて、私はハワイ滞在中その車を乗り回しました。最終日にみんなを空港で降ろして車を返そうと思ったのですが、返す場所が見つかりません。同じところをぐるぐる回っているうちに時間がどんどん過ぎて、帰国便の出発時刻が近づいてきました。「明日から現地人」と覚悟もしました。最後に勇気を振り絞って、空港の駐車場のゲートにいた人に英語でレンタカーを返す場所を聞きました。それまで「ハンバーガーアンドコークプリーズ」程度の英語しか使ってこなかった私にとって、現地人になるかならないかの瀬戸際で道を尋ねるというのは非常に高いハードルでした。たとえこちらの英語が通じても、相手の言葉を聞き取る自信は全くありませんでした。

火事場の馬鹿力なのでしょうか、私の英語が通じ、相手の言葉も奇跡的に理解できました。車を返し、何食わぬ顔でみんなのところに戻り、予定の便に乗って無事帰国できました。それ以来、いざとなればコミュニケーションってできるものだという妙な自信を持つようになりました。Mさんはどうだったのでしょう。自分の日本語は通じると思えたでしょうか。

山の向こう側へ

3月18日(水)

初級の最後のクラスの会話期末テストに立ち会いました。場面が与えられて、その場面にふさわしくかつ独創性のある会話を作り、それをペアで演じるというものです。会話を考えて練習する時間は15分、会話の時間は1グループあたり3分と決まっていましたが、各グループとも4~5分の会話を発表しました。

冗長に感じられたグループもありましたが、「初級」ということを考えると、上出来と言っていいでしょう。4~5分間、ある内容を持った会話を続けたというところが立派です。このレベルの会話テストに立ち会うのは初めてでしたが、驚かされました。

でも、今日の学生たちが4月から上がるであろう中級レベルは私もしょっちゅう受け持っており、学期の最初の状況を考えると、これぐらいはできてもらわなければとも思います。中級以上では私はそんなに手加減をしませんから、あんまりたどたどしい話し方だと困ります。

話すことは語学の基本です。太古の時代は人類は音声言語しか持っていなかったのですから、話せることがコミュニケーションできることだったに違いありません。今日の学生たちの発表を聞いていると、彼らはこの基本を身に付け、日本語によるコミュニケーションがそれなり以上にできるようになったと感じました。初級と中級を隔てる山を乗り越えて、日本の社会で生きていくパスポートを手にしたのではないでしょうか。

もしかすると、来学期彼らを受け持つかもしれません。鍛えがいのありそうな学生たちで、春の訪れが一層楽しみになりました。