Category Archives: 授業

謝罪会見?

2月5日(月)

今学期は超級クラスで「社会を知ろう」という授業を受け持っています。その名の通り、学生が気づかない日本の一面を取り上げて、日本社会をより深く知ろうという趣旨です。先週から今週にかけての2つのクラスでは、「相撲」を題材にしました。もちろん、琴ノ若の大関昇進というニュースに絡めてです。

まず、琴ノ若と師匠夫妻(琴ノ若にとっては両親でもあります)が並んで、相撲協会からの使者の言葉を聞く場面の写真を見せました。3人は何をしているかと聞くと、2クラスとも真っ先に「謝罪」「謝っています」という答えが返ってきました。背景の胡蝶蘭を無視すれば、確かにそうですね。

ニュース動画を見せたらそれなりに理解できたようですが、大関という地位がどれぐらいのものなのかは、すぐにはピンとこなかったみたいです。「横綱の次」と答えた学生もいましたが、横綱や大関がピラミッドの本当の頂点なんだということまでは、なかなか理解が行き届いていませんでした。

そして、大関は月給250万円、年俸3000万円という金額に驚いていました。それに対して、幕下以下は学生アルバイトにも満たない手当が支給されるだけだということに、それ以上にびっくりしていました。でも、衣食住ほとんどお金がかからないので、そんなお金しかもらえなくても生活できてしまうことがわかると、妙に感心していました。

そんなこんなで、学生の相撲への理解は多少は深まったでしょうか。最後に、先週末の節分で活躍した力士の様子を見せました。鬼を鎮めるのも、力士の役割ですからね。

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意外にアナログ

2月2日(金)

K先生が日本語プラスの英語の授業を休んでいるJさんとLさんに声をかけてくださいました。2人から「いつ始まったか知りませんでした」という答えが返って来たそうです。でも、それは嘘です。日本語プラスの受講生全員には、始業日の翌週の月曜日にメールで時間割を送っています。また、メールで時間割が送られてくるからそれを見て確認せよという連絡も、各クラスで流してもらっています。たとえクラスでそのお知らせをした日に学校を休んでいたとしても、メールは届いているはずです。問題は、そのメールにきちんと目を通したかどうかです。

確かに、日本語プラスの時間割メールはデザイン的に目立ちません。システム上、私が勝手にデザインを変えることはできず、毎学期そのまま送っています。しかし、勉強する気があれば学校から届いたメールは丁寧に読むのではないでしょうか。JさんもLさんも、そこまでの気持ちは持ち合わせていないようです。

あるいは、メールは見たけれども内容が読み取れなかったということも考えられます。2人の日本語力からすると、このパターンは十分あり得ます。こういう場合、多くの学生はほったらかしにします。不利な事態が発生すると「わからなかったから特例を認めろ」と主張することもあります。そうなる前に疑問点をクラスの先生や事務職員に聞けばいいのに、それを面倒くさがるきらいがあります。

ペーパーレス化、デジタル化を図っても、末端部に情報が届かなかったら意味がありません。日本語プラスの時間割も、各学生に紙で配るのが一番安全確実に違いありません。デジタル世代の学生たちに、私たちの世代よりアナログな方法で情報伝達しなければならないとしたら、何という皮肉でしょう。

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もう一歩

1月31日(水)

午前は代講で中級クラスに入りました。前半の授業はY先生がなさり、私は後半を担当しました。Y先生からの引継ぎで、前半の文法の応用練習と短文作成から始めました。

授業の後半だけ代講に入るときは、出席を取ったら、「10:30まで、Y先生と何を勉強しましたか」というように、前半の授業内容を学生に聞きます。どこまで予定通りか確認する意味もありますが、学生たちの頭に何が残っているかを知ることのほうが重要です。大事なことが印象付けられていないとなったら、まずその部分を復習し、最低でもそれを記憶にとどめておいてもらわねばなりません。

実際、「10:30まで、Y先生と何を勉強しましたか」と聞いてみると、ちゃんとポイントが返ってきました。さすが、Y先生です。すると次は応用練習です。こちらはあれこれ想定を与えたり、学生自身に場面を考えさせたりしながら、勉強した文法を使わせます。中級以上の文法は使用範囲に制約があることが多いですから、それも含めて覚えているかどうかのチェックです。

そして最後に例文を書きます。書き終わった学生から例文を出してもらいますが、こちらもその場ですぐ目を通します。クラス全体に共通しそうな誤用が見つかったら、ホワイトボードに板書して、みんなで考えてもらいます。

Tさんの例文は、Y先生から教えてもらった文法の使い方は正しかったのですが、そこ以外の、これまで勉強してきた文法の使い方がよくありません。中級の学生がよくやらかすパターンです。

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形式的に参加

1月30日(火)

火曜日の後半は選択授業です。今学期は久しぶりに身近な科学をやっています。先週は教室がすき間だらけだったのですが、今週は満席でした。でも、授業開始直前に教室に入ってきたKさんは、モニターに背を向けるように置かれた机にそのまま座りました。Kさんは先週も出席していましたから、私がモニターを使うことは知っているはずです。そうじゃなくても普通の神経をしていればモニターが見えるように机を動かしますよね。しかも、席に着くや否や、ノートではなくスマホをかばんから取り出しました。

出席を取り、授業を始めると、Kさんは速攻でスマホにのめり込みました。もちろん、モニターに背を向けたまま。教卓のすぐそばでそういうことをしますから、思い切り肩をたたいてやりました。迷惑そうな眼付きで私の顔を見上げ、とりあえずスマホはやめました。しかし、モニターに目を向けようとはしません。

おそらく、Kさんは、消去法でこの授業を選んだか、第一志望が希望者少数で成立しなかったためこちらに流れてきたかなのでしょう。だから、無気力パワー全開で授業に臨んでいるのです。授業を通して何かを得ようなどという気持ちは、毛ほどもないに違いありません。すでにR大学に合格していますから、卒業式までの授業は消化試合みたいなものなのです。

しかし、Kさんの成績を見る限り、R大学には入れたのは奇跡です。担当教師の話を聞いても、話が通じ得ているとは思えないという意見が大半です。R大学はよくこんな学生を拾ったねと言いたいくらいです。今のうちにまとまった日本語の話を聞く訓練をしておかないと、R大学の授業になんか絶対ついていけません。でも、。Kさんにはそれがわからないんですよね。

授業の最後にテストをしたら、Kさんは答えを出さずに帰ってしまいました。

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バリアフリー

1月29日(月)

足を怪我してからというもの、外に出るたびに何かと不自由を感じています。新宿御苑前駅もその1つで、荻窪行きの電車から降りて階段なしのコースで学校まで来ようとすると、かなり遠回りしなければなりません。階段の上り下りに耐えるか、平坦な道を長距離歩くかの2択となっています。私は、夜明け前の寒空を延々と歩くより階段の上り下りがあっても最短距離ですむコースを選んでいます。

そんなことから、超級クラスの授業でバリアフリーを取り上げました。まず、学生に自分が感じているバリアを挙げてもらいました。すると、健康体の学生たちは、階段とかエスカレーターとかというよりも、不動産が借りにくいとか、アルバイト先で日本人客に信用してもらえないとか、日本人は身分証明書を持たなくてもいいのに自分たちは在留カードを常に携帯しなければならないとか、社会的なバリアをたくさん挙げてきました。

学生たちが訴えたバリアは確かに存在し、バリアを乗り越えなければならない立場だったら辛いだろうなと思えるものばかりでした。「日本の留学生活は楽しいです」と、このクラスの学生に限らず、初級から超級まで多くの学生が口にします。でも、その裏側にはこういうバリアに耐えている、もしかすると涙を流しているかもしれない別の一面もあるのです。

学生たちが挙げたバリアの多くは、日本人側に原因があります。「国際化」という言葉がもてはやされてからかなりの年月が経ちますが、日本はいまだに道半ばのようです。経済力が衰えた上に、このようなバリアを放置したままでは、日本は働いたり勉強したりしに行く国として選ばれなくなるでしょう。

授業の最後に「心のバリアフリー」という動画を見せましたが、本当にこの動画を見る必要があるのは、私たち日本人なのです。

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AIの威力と限界

1月26日(金)

Bさんは、もともと作文が得意ではありません。好きでもありません。ところが、この前の作文の授業で書いた作文は、のっけから高尚で格調高く、今までのBさんとは大違いでした。しかし、文保的な間違いはないものの、読み進んでいってもBさんの意見が出てきません。

おそらく、この文章は、Bさんではなく、AIが考えたのでしょう。作文のテーマと字数を入力し、書いてもらったに違いありません。一般論に終始するのではなく、こういう意見でまとめてくれという指示は出せなかったのでしょうか。もしかすると、作文の時間に配ったプリントも満足に読んでいないのかもしれません。

以前、初級の学生が、作文のテーマをそのまま検索にかけて、引っ掛かってきたページの文章を、一字一句変えることなく原稿用紙に写して提出してきました。妙にうまいと思ったらそんなわけで、返却する時にそのサイトのコピーもつけてやりました、Bさんの所業はこれに匹敵するものです。

作文の授業は、ただ単に文章を書くだけではありません。資料を読み込んで、考えに考えて、自分なりに何らかの結論を出す過程にこそ意義があるとも言えます。特にこの考える過程を身に付けているかどうかは、学生たちが進学してから強く問われる能力です。Bさんは、この力を伸ばしたくないのでしょうか。

学生たちにとって、作文の授業とは何なのでしょう。今学期水曜日に入っている初級クラスでは、スピーチの原稿を書くという課題に対して、配布したプリントに行をつけ足して書いてきた学生も多かったとか。Bさんには初級クラスに戻ってもらって、鍛え直してもらうしかないかもしれません。

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変更直前

1月25日(木)

養成講座・中上級文法の最終日。私は、文法は1つの体系であり、それを「初級文法」「中上級文法」と分けることには反対です。しかし、養成講座の他の授業との兼ね合い上、そういう形で授業をしています。とはいうものの、私の「初級文法」が厳密に初級クラスで扱う文法かというと必ずしもそうではありません。説明の都合上、上級で勉強する内容の一部も含まれています。

さて、最終日。「中上級文法」では教師としての例文の作り方も教えています。例文を作ることを通して、文法項目の理解が深まると信じています。また、例外規定とか場面の制約とか、そういった事柄も見えてきます。例文は学習者に提示するのみならず、教師自身がその文法を研究する際にも有効です。私は例文を作るのが好きですから特にそう感じているのかもしれませんが、受講生のみなさんにもぜひこの感覚を味わってもらいたいと思っています。

例文の作り方のコツを伝授したうえで、中上級の文法、主力はJLPT・N1とN2になりますが、の探検に踏み出しました。どの期もそうですが、「そんなこと、考えたことがなかった」という感想につながります。そりゃあそうですよ。ネイティブだからこそ気が付かないというのの連続です、文法は。

しかし、N1,N2の文法というくくり方は、今回が最後になるかもしれません。文科省や文化庁が日本語学校のあり方について盛んに口出ししていますから、それに合わせるとなると、授業内容の大幅な組み換えが必要となるでしょう。その方が、私の考え方に近づくような気もしますから、多少は期待しておきましょう。

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陰ながら

1月18日(木)

Yさんは、今学期、日本語プラスの文科系の数学に登録しました。残念なことですが、文科系の数学は途中で挫折する学生が多いです。因数分解、2次関数、順列・組合せ・確率、三角比、平面図形など、文科系の学生にとっては高く長い山脈が待ち構えています。これを乗り越えてほしいのはやまやまですが、数学に力を入れるあまり総合科目がお留守になってしまっては、元も子もありません。そもそも日本語に力を入れてほしい学生だっています。ですから、数学の授業の初日に、今までに、いつ、どれくらい数学を勉強してきたか、受験においてどれくらい数学が必要かといったことを確かめることもあります。

Yさんに数式の展開と因数分解の公式を見せると、国の高校で勉強したと言いました。じゃあということで、公式を見ながら展開の問題をしてもらいました。すると、ある意味予想通り、すぐにつまずいてしまいました。勉強したことは確かでしょうが、すっかり忘れてしまっていることもまた事実です。問題を解いていくうちに勘を取り戻すといったこともなく、ギブアップ状態でした。

Yさんの志望校を聞くと、F大学でした。しかも文学部志望ですから、EJUの数学は必要ありません。日本語で1点でも高い点数を取ることに全精力を傾けるべきでしょう。そういうことを話すと、Yさんはほっとしたような顔をして、あっさり数学の授業をキャンセルしました。

ろくに教えもせずに引導を渡した形になり、多少心は痛みました。しかし、しかし、週にたった90分の数学がYさんの重荷になるのだとしたら、全体としてYさんの力を伸ばすことにつながるのだと思います。これから1年間、陰からそっと見守っていくことにしました。

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新顔

1月17日(水)

今学期は水曜日が初級クラスの日です。代講として、いわばパートのオジサン的に入るのではなく、クラスの担当教師として入るのですから、学生をきちんと把握していかなければなりません。

このクラスの学生で顔と名前が一致するのは、わずかに1名。先学期、初級の大学進学授業に参加していたGさんだけです。しかし、Gさんはいじられキャラではなさそうですから、Gさんを転がしながら文法導入というわけにはいきそうもありません。それなら正攻法で行くしかないかと思っていたら、Lさんがいい味を出してくれました。Lさんを使いながら授業を進めることにしました。ほかにもTさんやNさんなど、頼りにできそうな学生が何名か見つかりました。このクラスは、こういった面々を軸に授業を組み立てていけそうです。

今学期担当するレベルは、名詞修飾、“たらても”、“んです”、意向形、各種補助動詞など、文の方向性を決める大技から、肝心なところでピリリと利く小技まで、中級以降の日本語力伸長に大きな影響を与える項目が目白押しです。初級でこの辺をいい加減にごまかしてきたから中級以上で苦労している学生を、山ほど見てきています。このクラスの学生にはそんな道に進んでほしくはないですから、こういうところが今学期の運命の分かれ目だよという形で、多少の脅しもかけておきました。

初級の授業は、詳しい説明をするよりも、印象を残すことの方が重要です。初回もそう思ってあれこれやってみましたが、どうだったでしょう。

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レオナルドダビンチ

12月15日(金)

昔、会社勤めをしていたころ、私の課長が「便利屋をバカにしたらいかん。どんなことを頼まれてもそこそここなさなければならんのだから、それなり以上の能力を持っているってことなんだ」と言っていました。課長の上司である部長は、何かというと課長に仕事を命じていました。他にも課長はいたのに。課長が命じられた仕事の一部は、私のところに流れてきました。その際に、上述のような、愚痴とも余計な仕事を命じる言い訳ともつかぬ、うがった見方をすれば私を便利屋にしようと教育しようとしていたのかもしれない言葉を私に掛けたのでした。

午前中の授業が終わって、明日大阪の大学の面接試験を受けに行く学生に最終の指導をしていたところに、急な代講を頼まれました。面接指導が終わり、レベル担当のF先生から簡単な説明を受け、漢字の教科書を持ってそのまま教室へ向かいました。今日案も何もあったもんじゃありません。

代講の場合、学生の顔も名前も満足に知らないクラスに入るのが普通ですから、本来の先生ほど授業をスムーズに進められません。でも、だからと言って、授業の質を落とすわけにもいきません。特に、今は学期末ですから、次回以降の授業で挽回という手は使えません。

私は、一番下から一番上まで、各レベルで1学期を通して教えたことが何回かあります。ですから、「教科書のこのページ」と言われれば、どうにかできます。ここが、便利屋の面目躍如のところです。日本語授業に加えて、理科や数学までやっているのですから、まぎれもない便利屋です。

「便利屋」という言葉にはネガティブなニュアンスが伴いますが、「万能の巨匠」だと思えば立派なものじゃありませんか。私は、この仕事を楽しんでいます。

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