Category Archives: 授業

4月16日(木)

茨城県のパチンコ屋がにぎわっているそうです。東京近郊のパチンコ屋が緊急事態宣言で軒並み休業しているため、茨城県まで遠征するのだそうです。茨城のパチンコ屋は駐車場完備ですから、車で乗り付けると言います。ギャンブラーの執念はすさまじいものです。

授業で、わがままという言葉から、自己中心的、利己的、自分勝手などという類義語が学生から挙がってきました。対義語は、まず、利他的を思い浮かべますが、「思いやりがある」とか「優しい」とか「協力的」となると、意味がぼやけてしまいます。それだけ、日本人にはわがままな人が多いのでしょう。

パチンコ屋を求めて茨城遠征をしている人々は、ジコチューそのものです。パチンコをしに行くなんて、不要不急の外出の最たるものではありませんか。車で往復100キロかそれ以上走るとなると、二酸化炭素もたっぷり排出します。そうまでしてパチンコ台にかじりつかないと、体が震えてでもくるのでしょうか。それはまさしく依存症であり、肺炎にならずとも、そちらの治療で入院するべきです。

でも、緊急事態宣言は近日中に全国に拡大されます。そうなったら、茨城県もどこも、パチンコ屋は休業するに違いありません。依存症のみなさんは、果たしてどうするのでしょう。たばこの値上げや喫煙所の廃止を機にタバコをやめた人は少なくありません。この臨時休業をきっかけとして、パチンコと縁を切るというのはいかがでしょう。長い目で見れば、どうせ負けるのですから。

でも、これは対岸の火事ではありません。自粛疲れから“自分1人ぐらい”というわがままが湧き上がり、無礼講状態になってしまったら、日本沈没です。出たがりません、ウイルスに勝つまでは…。

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こんにちは???

4月15日(水)

道で知り合いに会うと、軽く会釈し、笑顔を見せるものです。挨拶の言葉を交わすこともあるでしょう。私は、立ち話はめったにしませんが、「こんにちは」とか「ご無沙汰してます」とか、出会った人に合わせて声をかけることはあります。

お昼から戻ってくるときに、オンライン授業が始まる直前まで校内のお掃除に来てくださっていたHさんが向こうから歩いてきました。「こんにちは」といいながら頭を下げ、にっこり笑ったつもりなのですが、Hさんはどこか怪訝そうな表情でした。そうです。マスクをしていたのをすっかり忘れていました。口元に笑みを浮かべても、まったく無意味なのです。目だけ笑っていて、不気味だったのかもしれません。

確かに、どこかで鼻から下が隠れていて目だけ細めてこっちを見ている人に出くわしたら、ちょっと警戒しちゃうかもしれません。マスクに隠れている部分を補い、知人だとわかって初めて、安心して微笑み返すことでしょう、マスクの下で。

昨日までは養成の講義や受験講座でしたが、私にも今学期の日本語の授業が回ってきました。オンライン授業のいいところは、学生がみんなマスクを外して顔を見せてくれることです。画面に出てくる各学生の映像は小さなものですが、教室で顔の3分の2ぐらいが隠れている学生を見るより安心感があります。ことに、今学期は知っている学生が大部分卒業していったため、クラスの大部分が知らない学生です。その時、マスクのない顔というのは、多少なりとも個性が現れて、私にとってはやりやすいです。

今学期中に、この学生たちと生身で顔を合わせる日が来るのでしょうか。都内で127人の新規感染者と報じられています。

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終わったけど始まる

4月13日(月)

養成講座の一連の講義が終わりました。初めてのオンライン授業で、手探りのことばかりでしたから、受講生のみなさんには、至らぬところが多々あったことと思います。質問タイムを意識して多く設けましたが、本当に足りていたでしょうか。質問が結構出てきたということは、わりと物を言いやすい雰囲気で授業を進められたのではないかと、勝手に想像しています。

今回のみなさんは、指名するとなにがしか答えてくれます。これは無理だろうなという問題は、「わかりません」もたまにはありましたが、何か答えようという姿勢を感じました。その答えも、とんでもなく的外れなものはなく、日本語文法に対するセンスも標準以上ではないかと思いました。

だからこそ、対面で授業をしたかったです。そうすれば、質疑応答が活発にでき、そこから議論が広がり、伸ばせるところはさらにもっと高い地点まで伸ばせたんじゃないかなあ。そういう授業は、教えている方も確かな手ごたえが感じられて、気持ちが乗ってくるんですよね。そうなると、頭がどんどん回転して、受講生に伝えられる内容も深くなるものです。これを、どこかで補いたいと思っています。

オンライン授業をしていて気づいたことが1つ。目の前に受講生がいる時よりも大きな声でしゃべっているのです。パソコンのマイクの性能から考えれば大声を張り上げる必要など全くないのですが、気が付くとレベル1の教室にいるかのごとく、お腹に力を入れて声を出しています。だから、授業が終わると思いのほか疲れます。慣れてくれば省エネ授業もできるようになるのでしょうね。

明日から、オンラインで在学生向けの授業が始まります。

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新しい勉強

4月9日(木)

オンラインの受験校を続けていますが、学生の反応が見えないのが心細いです。対面授業だと、顔つきとかノートの取り方とか練習問題の解き具合など多面的に学生を観察して、どの程度わかっているか判断できます。これがオンラインになると、パソコンの画面上に出たわずかな顔しか情報がありませんから、自分の授業の手ごたえがつかみにくいのです。どこがわからないのか、何につまずいているのか、そういうのを知る手掛かりが乏しい感じがします。

受験講座の場合、最終目標がEJUでいかに高得点を取るかですから、練習問題の出来具合が気になります。単に答えが合っていればそれでいいというものではなく、解いている最中の学生の様子も理解度を測るヒントになります。また、答えの解説の時にどこでいちばん真剣になったかなんていうのも見逃しません。もちろん、学生の表情を見て解説にメリハリをつけます。それから、お節介を焼きにくいですね、面と向かっていないと。余計なお世話かもしれないけど、君はきっとここが理解できていないんだろうからここを復習しましょうっていうのが、私の授業の進め方です。そういうのが非常にしにくいのが、オンラインの限界のような気がします。

そうじゃなくて、私の発想が旧態依然としているから、このように感じるのでしょうね。どうにかこの壁を打ち破らないと、学生たちに質の高いオンライン授業が提供できそうにありません。授業への取り組みをガラッと変えて、オンラインならではの進め方を模索する必要があります。

いい勉強のきっかけになったと思うべきなのでしょうが、こういう形で勉強するのはしんどいです。

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小心者の授業

4月6日(月)

先週から日本語教師養成講座を、オンラインでやっています。私が担当する文法は、演習とは違って講義ですから、パソコンのカメラに向かって一方的にしゃべるだけでもいいのです。Youtubeなどで公開されている予備校や塾の授業を見ると、多少は視聴している学習者に気を使っているように見えますが、基本は講師が一方的に解説しています。

確かにそうなのですが、オンライン授業に慣れていないせいか、受講生の理解度が気になってしかたがありません。ですから、ときどき指名したり質問ありませんかと聞いてみたりしていますが、どうも調子が出ません。聞き手を目の前にして、顔色やノートの取り方などを見ながら出ないと、やりにくくてたまりません。教材も対面授業を前提にして作ってありますから、空欄にこちらの意図したことをきちんと書き込んでくれたか、板書しなかったこともメモを取ってくれたか、そんなことが気になるのですが、確かめられないので心配になります。

そんなわけで、一方的にしゃべればいいだけのはずなのですが、思ったほど授業が進みません。わかっているかどうか手ごたえがないので、次に進むのに躊躇している面があります。こういう自分と比べると、Youtubeの先生方は大したものだと感心してしまいます。卒業式の直前は超級クラスの学生何十人もに対して行いましたが、それに比べれば養成講座の受講生は全員の顔を画面に映し出せるほどですから、楽なはずです。それでも心配が絶えないというのは、私が小心者だからでしょう。

今回は全く予期せぬ形でオンライン授業を始めねばならなくなりましたが、今後はこういう形の授業をいつでも行えるような対応が求められます。養成講座に限らず、私が持っている教材を少しずつ見直していあなければなりません。

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終わったけど、課題が山積

3月27日(金)

ようやく、長い学期が終わりました。どうにか期末テストの日までたどり着きました。

1月の始業日、マスクをしている学生が多いのにちょっと違和感を覚えましたが、今から思えば、そんなの序の口でした。バス旅行も卒業式もあっという間に濁流に押し流され、中間テスト後は教室で授業をすることすらできず、オンライン授業となりました。

初級は、別の目的で作っていた資料を転用することでオンライン授業にもかなり対応していたようですが、私が受け持っていた超級は、準備不足が否めませんでした。対面授業を前提とした教材ばかりで、それをオンライン向けにアレンジするのが一苦労でした。でも、著作権などの関係で使うことができない教材も多々あり、そういう心配のない教材を見つけ出すのに骨が折れました。

顔の見えない学生の興味を引き付けることも、大きな課題でした。私の授業のスタイルが、学生との掛け合いが大きな要素になっていますから、顔が見えないと調子が出ないのです。授業が上滑りしているようで、とても不安でした。学生の理解度が推し量れないことも、不安に輪をかけました。慣れてくればオンライン授業の要領もつかめ、授業の進行の計算も立つようになり、少しは穏やかな気持ちで授業ができるようになるのでしょう。

4月期がどういう形で始められるか不透明な面もありますが、オンライン授業開始以降中止の形になっている受験講座もどうにかしなければなりません。今のところ、EJUは予定通り行われるようですから、それに向けて学生た日を鍛えていけねばなりません。来週から、その作戦を練る日々が続きそうです。

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隠れて準備

3月17日(火)

卒業証書を受け取りに来る卒業生たちに証書を渡しながら、来学期のことも考えています。通常授業が始められるものとして態勢を立て直していかなければなりません。EJUもJLPTも予定通りあるとして、在校生に勉強をさせて、しかるべき成績を残せるように指導していくことが私たちの責務です。

受験講座も、4月にすぐ再開できたとしても、予定より1か月以上遅れることになります。去年の10月期から受験講座を取っている学生たちはどうにか試験範囲が終えられるでしょうが、1月から始めた学生は、厳しいものがあります。受験講座は、教材の関係でオンライン授業とするのも難しく、苦労が多いです。

例えば、EJUの過去問を教材として使うにしても、学校の教室で学生に対し直接配布するなら、著作権的にどうにかセーフでしょうが、インターネットを介して送信したとかなると、アウトの危険性が高まります。私が試験問題を打ち直して送っても、著作権上の問題は解決しません。

だから、コロナの状況がよくなり次第、学期休み中にでも、補講を実施しよう考えています。時間数的には全然足りないでしょうが、少しでも遅れを取り戻しておきたいのです。同時に、学校側がそういう姿勢を見せることで、学生側の意識が高まることも期待しています。

一部の学生は、逆に、EJUの問題集ばかりやっていて、日本語のオンライン授業のほうがおろそかになっているとも聞きます。それも困った話です。もしかしたら、今月になってから一度も日本語をしゃべっていないんじゃないかなあ。新学期が予定通り始まったとしても、その学生はちゃんと進級できないというか、進級させられないかもしれません。

学校が何かといびつな形になってしまっていますが、どうにかしなければなりません。

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チョイ役

3月5日(木)

私が担当しているオンライン授業は、もちろん超級向けですが、2回ほどゲストとして初級の授業に、文字通り、顔を出しました。敬語の授業で、尊敬語や謙譲語の対象となる人物として、画面の隅っこにちょっとだけ映りました。具体例となることで学生が身近に感じてくれれば、時間を割いた甲斐があったというものです。

オンライン授業は学生の様子を直接探ることができないというマイナス面がありますが、このように生きた映像を見せられるのだとしたら、多少なりともそれを補うこともできるでしょう。自室でベッドに寝転がってスマホを見ている学生の気持ちをこちらに向けられるのなら、今後もちょくちょく顔を出しますよ。

ニュースによると、学校が休みになった生徒たちで、カラオケルームが繁盛しているそうです。危機感が薄いというか、趣旨が伝わっていないというか、要するに暇を持て余しているんでしょうね。KCPの学生たちはむしろ敏感すぎるくらいで、カラオケルームにたむろしている図は想像できません。オンラインで宿題をバリバリ送り付けますから、遊んでいる暇はそんなにないはずです。

各気象予報会社が発表した桜の開花予想によると、東京は来週末に咲き始めるようです。“さくらまつり”の類は中止がほとんどで、花見も自粛が求められています。なんだか、3.11の直後より息苦しくなってきました。私はお花見でどんちゃん騒ぎという趣味はありません。騒いでいる人たちを見てアホなやつらだと思いながら、静かに花を愛でるのが毎年のパターンです。今年はそれも崩れそうです。

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初授業

3月2日(月)

朝から何となく落ち着きませんでした。オンライン授業というものを初めて担当することになったからです。若い先生方は、すでにそういう訓練をしてきたようで、金曜日から結構余裕でこなしているようでした。でも、こちらは頭で理解していただけで、実際に自分がその主役となって送信した経験はありませんでしたから、朝からトラブル続きでした。昨今のような事態を想定していなかったのは、危機管理がなっていなかった証拠だと言われれば、返す言葉もありません。

やってみて感じたことは、私は目の前の学生に頼って授業をしてきたのだなということです。たとえ反応の薄い学生たちであっても、目の前にいればいじることができますが、オンラインとなると独り相撲を取っているような気がしてなりません。学生たちがわかっているのかいないのか、どの程度興味を持っているのか、そんなことがつかみづらいなあと思いながら授業を進めました。

それと、脱線がしにくいですね。初級では、脱線してあらぬ方向に授業が進んでしまったら、学生たちのためになりません。しかし、上級では、学生の興味に合わせて予想外の展開になったとしても、それもまた勉強になるものです。というか、私なんかは、むしろ、それを楽しみにすらしていました。それができないとなると、授業が上滑りしているようで、不安さえ感じました。

でも、語学学校は生で顔を合わせて質問に答えたり一緒に声を出したりしなきゃね。キーボードを介して教師とやり取りしても、効果のほどは知れたもののような気がするのですが…。そう考えるのは、私の頭が古いからなのでしょう。次の授業日に向けて、教材を準備しなければ。

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見えない授業

2月28日(金)

おとといから、新型肺炎の全世界新規患者数のうち、中国が占める割合が5割を切ったそうです。武漢市と湖北省を犠牲にして中国全体を守ったようなものだと評しているジャーナリストもいます。日本はウィルス検査も満足にできない状況が続いており、漠然とした不安が上空に漂っています。

この漠然とした不安を取り除くのは、理詰めな説明や解説ではありません。頭では理解しても、心のもやもやが晴れることはないでしょう。安心感を与えるほかはないのですが、具体的にどうすればいいのかとなると、安倍さんもだれも、確たる答えを持ってはいません。

学生たちに安心感を醸し出せるかどうか自信はありませんが、KCPもオンライン授業を開始し、学生たちが満員電車に乗らなくてもいいようにしました。昨日の夜は、その準備で全教職員が大わらわでしたが、そのおかげか、初日は大きなトラブルがないまま切り抜けられました。

学生たちも期待していたのでしょうか、初級から超級までかなりの出席率でした。初日は珍しさも手伝ってという面もありますから、授業内容の真価が問われるのは来週からです。飽きられて昼間で寝ていられたり、形式的に接続しただけで実質的に何もしなかったりなどということが起きては困ります。

そういうことを起こさないように、頭をひねり、腕を振るうのが教師の役割です。月曜日は私がカメラの前に立ちます。目の前にいない大勢の学生に対して授業をすることには慣れていませんが、どうにか引っ張っていかなければなりません。教材を厳選し、教案を立て、いつもの数倍気合を入れて授業に臨みます。

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