Category Archives: 授業

プリントが出てこない

6月13日(月)

代講でふだん入らないクラスに入ると、できる学生とできない学生の区別がつきません。賢そうな顔をしていても勉強は全然だったり、ボーっとしているようで実は鋭かったりということがよくあります。そんなときは、すでに配ってあるプリントを用意させると、見当がつくことがあります。

きちんと整理されていて、「〇〇のプリントを出してください」と言われたらすぐ机の上に出せる学生は、だいたいできる学生です。こちらの言葉が聞き取れないのは論外として、しっかり聞き取ったものの、ノートの間やら昨日かおとといの教科書のページやら、果てはかばんの中からポケットの中までまさぐり始めるような学生は、推して知るべしです。おのれはドラえもんかと言ってやりたいです。

今日の代講のクラスも、発音練習のプリントがすぐ出てきた学生は、概して今日返却した漢字テストの点がよかったです。すぐ出てこなかった学生は、返されたテストを2つに折って(しかも雑に)、いつの間にかどこかに挟み込んじゃうんですねえ。あれじゃあ、テストの反省もできませんよ。

もちろん、学校では指導していますよ、もらったプリントはきちんとファイルしろとかって。時には手取り足取り教えることだってあります。それでもできない、またはやろうとしないというのは、その人の性格か感覚の問題なんだと思います。カオスの状態に慣れてしまうと、そこに問題意識など生まれません。それゆえ、整理整頓しなければという向上心も芽生えません。いや、整理整頓された状態が想像できないのでしょう。

やっぱり、いつまでたってもプリントが見つからなかった学生は、授業中に指名してもパッとしませんでした。整理整頓すれば自動的に成績が上がるわけではありませんが、そういう指導をもっと厳しくしなければと思いました。

化学の教科書

6月9日(木)

受験講座の受講生Mさんが中国の化学の教科書を持ってきていたので、見せてもらいました。私は中国語ができませんから、すぐにわかるものといえば、NaClなどの物質名や反応式やグラフなどです。それを追いかけていけば、だいたいどんなことが書かれているか、おぼろげながら見当がつきます。もう少し丁寧に読むと、多少はわかる漢字がありますから、教科書に書かれている理論や解説がちょっぴり見えてきます。

「先生はこの教科書がわかりますか」とMさんに聞かれました。「Mさんが日本語の教科書の漢字を見てわかるのと同じくらいはわかると思うよ」と答えると、とてもよく納得できたような顔をしていました。

私が配っているプリント、見せているパワポ、やらせている問題は、すべて日本語で書かれていますから、日本語が完全ではない学生にとっては、さぞ頼りない資料に映るでしょう。Mさんの教科書で化学の授業を聞いたら、化学の基礎知識があっても理解はあまり進まないと思います。学生たちはこれと全く同じ感覚を抱いているのだと思うと、資料を見せたりあげたりしただけで終わりにしてはいけないと、気持ちを引き締めずにはいられませんでした。漢字を使わない国から来ている学生にとっては、私が中国語の教科書を読む以上に困難を感じているはずです。学生にわかってもらえる授業を心がけてきたつもりですが、「つもり」止まりでは意味がありません。

学生が持っている力を十二分に引き出すには、どんな授業をすればいいのでしょうか。学生にとってわかりやすい資料、役に立つ資料って、どんな資料なのでしょう。問題を解かせたあとに何をすれば学生の力を伸ばしていけるのでしょうか。改めて考えさせられました。

端午の節句の陰で

5月2日(月)

5日が休日なので、端午の節句を前倒しして行いました。連休前に飾りつけた五月人形を見ながら、柏餅をいただくという趣向です。

もちろん、単に見るだけでは何のことやらさっぱりわからない学生が大半ですから、教師が説明したり事前学習で調べてくることになっていたりします。最近の若い人は、うっかりすると、桃太郎や金太郎はauのキャラクターだと思ってしまうかもしれませんが、さすがに日本語教師はそんなことはなく、平成生まれの先生方もきちんと説明なさっていました。

柏餅が配られると、毎年のことですが、すぐパクついてしまう学生が絶えません。今年もそんなフライングの学生が何名も先生に注意されていました。それから、柏餅を桜餅と混同して、葉っぱごと食べてしまおうとするシーンも、毎年の恒例です。

全クラス共通の行事は「柏餅」ですが、各レベルでは、それぞれ、端午の節句の意義付けを考えさせる活動をしています。私が担当したレベルは、連休前に自分の名前の由来を調べてくるという宿題を出しました。親や親戚などに聞いて、それ用の用紙にまとめてくることになっていました。

ところが、Uさんは「わかりません」と一言だけ書いた紙を出そうとしました。担当のS先生が受け取りを拒否すると、そのままふてくされてしまいました。Uさんは特別な家庭環境にある学生ではありません。明らかに宿題をほったらかして、学校へ来てからやっつけたに違いありません。

Uさんはふだんからそういう学生です。教師を敵に回していることに気がついていません。私たちは何でも素直に言うことを聞く学生ばかりを求めているわけではありませんが、何ごとにも消極的、非協力的な学生と、その反対の学生とだったら、後者を応援したくなりますよ。心が狭いと言われようとも、私はそうです。

桃太郎も金太郎も周りを味方にして大きな仕事を成し遂げました。Uさん、たかが宿題をしてこなかっただけでそんな態度をとることが、あなたをどんなに不利な立場にしているか、考えたことがありますか。

大器晩成?

4月28日(木)

初級のクラスに代講で入ると、特に学期が始まって間もないこの時期、しかも一番下のレベルだと、必ず1人か2人いるんです。自分はこんなクラスで勉強しなければならない学生ではないと言わんばかりに、難しい文法を使ったり小難しいことを聞いてきたりする学生が。今週は2度ほど代講しましたが、どちらのクラスにもそれっぽい学生がいました。

入学前のプレースメントテストの結果、惜しいところで一番下のレベルに判定された学生にとっては、「はしでご飯を食べます」なんて文法は、かったるくてやってられないでしょう。国で勉強した期間が長かったり、JLPTのN2あたりに合格してたりすると、なおさらそういう気持ちが募ることは、想像に難くありません。

でも、何かが足りないから、基礎部分に穴が開いてるからこそ、下のレベルに判定されたのです。基礎が不安定なまま、さらにブロックを積み上げていても、砂上の楼閣にしかなりません。早い段階で伸び悩み、結局穴を埋める工事をしなければならなくなるのです。

その点、私のクラスのZさんは殊勝です。N2があるのに初級クラスに入れられたけれども、どういう練習をすればいいかと聞いてきました。自分の置かれた境遇を嘆くのではなく、その環境からいかに多くのものを得るかということを考えているのです。「できる」「わかっている」と思い込まず、謙虚に学びなおそうとしている姿勢が、Zさんをより高いところへ引っ張り上げていくに違いありません。

ウサギとカメの寓話は世界中でつとに有名だと思いますが、どうしてみんなウサギになりたがるのでしょう。

意外なリーダー

4月27日(水)

最上級クラスでグループ活動をさせてみました。私の担当した日は個人活動ばかりだったのですが、授業に変化を付けるのと、学生に喝を入れるのとを兼ねて、4~5人1組で課題に取り組んでもらいました。

リーダーになってくれそうな学生を各グループに分散させ、国籍や性別を考慮してグループを作りました。いざ、活動に取り掛かると、予想外の学生が活躍し始めました。いつもは反応が薄いCさんやKさんなどがいつの間にかリーダーになっていたり、逆に引っ張っていくことを期待していた学生がぶら下がり役立ったりと、意外な展開が繰り広げられました。

授業での発言の多寡で、無意識のうちに、リーダー役を期待したりダメだろうと決め付けたりしていたことに気がつきました。20人の前には立てなくても、数人相手だったら仕切っていける人がいても不思議ではありません。自分の得意分野なら、語れるものを持っているテーマなら、グループの他のメンバーから頼りにされて、いつの間にかリーダーになっていたっていうこともありえます。

また、このクラスは大半が初めて受け持つ学生ですから、性格がつかめていないというか、気心が知れていないというか、学生たちには私の知らない面がたくさんあります。それゆえ、学生を眺める角度がちょっと変わっただけで、学生が非常に新鮮に見えてくるのです。

来月の運動会では、最上級クラスの学生には、競技役員として競技の進行を支えてもらうことになっています。その際、どの学生にどんな役を割り振るかを見極めなければなりません。その参考資料をこっそり集めてもいるのです。CさんやKさんには、ちょっと重要な仕事をしてもらおうかな…。

違和感の根っこ

4月19日(火)

私が担当している初級クラスは、今、「~てもらいます/くれます/あげます」を勉強しています。中級以降の彼らの成長具合を知っている私は、ついつい力を入れすぎてしまいます。先週の名詞修飾もこちらの意欲が上滑り気味だったのに、無反省にまた力んでしまいました。

このレベルは、名詞修飾やあげもらいをはじめとして、日本語の文を理解したり、自分の主張や心情を理解してもらったりという、日本語による情報の送受信を行う上できわめて重要な文法事項が目白押しです。こういう濃密な文法は、教わるほうにも教えるほうにも厳しいものがあります。ここがいい加減だと、中級以降の読解が全く振るわず、発話がいつまで経ってもガイジンっぽいままなのです。ガイジンっぽくても、少しでもこちらが内容をつかめればいいのですが、文字は日本語でも文章は日本語ではないなんていう作文を読まされるのは、こりごりです。

でも、テストで点が取れさえすればいいと考えている学生は、相手を理解したりさせたりというコミュニケーションをとかくおろそかにしがちです。会話タスクの最中に漢字の宿題をやろうとしたDさんに、入試の面接練習の時に及んで真っ青になった諸先輩の顔がダブってきました。

日本人は、「~てもらいます/くれます/あげます」に包まれて生活していますから、あるべきところにそれがないと、違和感を覚えるものです。その違和感こそがガイジンっぽさの根源であり、日本語教師はこれを根絶するべく、授業中に声を張り上げたり宿題を厳しく取り立てたりしているのです。

黒くないマークシート

4月16日(土)

新学期が始まって1週間たちました。時間割が一巡し、自分の受け持ちのクラスにはひと通り顔を出し、クラスの雰囲気や学生の様子もそれなりにつかめました。残念ながら、私はまだ自分のクラスの学生の顔と名前をすべては覚えていませんが、頼りになりそうな学生、危なっかしい学生など、押さえておかなければならない学生はつかんだつもりです。これからどうやって学生との関係を築いていこうか、あれこれ考えています。おとといから受験講座も始まりました。こちらはまだ授業が一巡していませんが、新メンバーたちの勉強しようという意欲を肌で感じています。

今日はEJUの授業で、大教室いっぱいの学生に立ち向かいました。毎度のように問題を解かせ、解答用紙を回収したのですが、マークシートの塗り方がいい加減なものが目立ちました。解答欄にチェックを入れただけとか、間違えたところに×をつけてもう1つ塗るとかという暴走ぶりです。君たちマークシートのテストを受けたことないのって聞きたくなるほどです。

その中には今学期の新入生もいましたが、KCPでそういう訓練を受けてきているはずの学生もいたことが意外でした。学生の中に、これは練習なんだから本気で塗らなくてもいいという気持ちがあったとしたら、マークシートの塗り方を知らないことより事態は深刻です。

だからというわけではありませんが、今日は答えの解説を早々に済ませて、6月のEJUで高得点を取ることで、今後の受験戦線においていかに有利に戦いを進められるかということを力説しました。その思いが通じたのかどうかはわかりませんが、授業後、何人かの学生が早速進学相談に来ました。

受験の大勢が決まるまで数か月。マークシートの塗り方から始めて、志望理由書の書き方、面接練習まで、今日感じた学生たちの意欲をい上手に守り立て育てていきたいです。

とんだ災難

4月13日(水)

私は、毎年この学期は初級を担当することが多いのですが、今年は初級のほかに、週1日ですが、最上級クラスも担当しています。水曜日が、その「週1日」です。

最上級クラスといっても、先学期までとはメンバーががらりと変わってしまい、知っている顔はごくわずかです。しかも、今学期は上のレベルに入る新入生も多く、このクラスにも何名かの新入生が在籍しています。そういうわけで、初回の授業は学生の力を瀬踏みしながらどこまで掘り下げるかを決めていきました。

新入生に対しては、KCPの最上級クラスってこんな程度だったのかってなめられてはいけませんから、君たちは確かによくできるかもしれないけれども、まだまだ勉強すべきことはたくさんあるんだよという、KCPの底力を見せなければなりません。普通の日本人ならみんな知っているけど日本語を勉強している人たちは知らない表現を取り上げるとか、短い文を書かせてその文の直すべきところをスパッと指摘するとか、そんなことをして学生が増上慢にならないようにします。

今日は、教材に「災難」という言葉が出てきましたから、「とんだ災難でしたね」という表現を知っているかと聞いてみました。東日本大震災みたいなひどい目にあったときに使うなんていう答えが出てきました。雨の日に道を歩いていたら車に泥を跳ね上げられて服を汚された人に対して言うんだよっていう例を出したら、みんな思いっきりうなずいていました。

瞬間芸みたいなこけおどしだけじゃいけません。進学してから利いてくる日本語「力」を付ける授業をしていかなければなりません。来週は何をネタにしましょうか…。

唯我独尊

4月12日(火)

Lさんは新入生で初級クラスに入れられたのですが、自分はもっと上のレベルだと信じていて、昨日はだいぶ反抗的な態度を取っていました。

今日は授業の最初にテストがあり、Lさんは制限時間の5分前ぐらいにできてしまいました。すると、答案用紙を提出するでもなく、机の上にEJUの問題集を出すではありませんか。即刻注意して引っ込めさせました。

テストの次は在校生なら先学期勉強してきた文法を使ったQ&Aです。Lさんは質問は聞き取れたようですが、答えは文ではなく単語で、しかも発音が悪く、私が聞き取れませんでした。日本語教師を惑わす発音ですから、Lさんの日本語は普通の日本人には通じないでしょう。

休憩時間を挟んで教室に戻ると、Lさんは日本人高校生向けの物理の問題集を出していました。休憩時間に何をしてもかまいませんが、教師が戻ってきたら授業に関係のないものは片付けるのが常識というものです。しかし、Lさんは出しっぱなし。これまたただちにしまわせました。

こういうLさんを見ていて思い出したのが、Yさんです。Lさんと同じレベルのとき、やはり日本人向け問題集を買い、EJUの過去問はすべて解けると豪語していました。受験講座でもマイペースを崩さず、もしかするととんでもない大物かもとかすかな期待も抱きましたが、ふたを開けてみれば、平均点を取るのがやっとというありさまでした。それでも無謀な挑戦を続け、挙句の果てに、Lさんが思い描いていた大学よりは5段落ちぐらいの大学にかろうじて滑り込むのがやっとでした。

LさんにはYさんを髣髴とさせる空気が満ち溢れており、非常に心配です。今、私たちが何を言っても聞く耳を持たないでしょう。痛い目にあって目を覚ましてくれればいいのですが、Yさんのようにそれを痛いと感じずにわが道を歩み続けるような気がしてなりません。

Lさんは理科系ですから私がどうにかしなければならないのでしょうが、なんだか気が重いです。

来週のお天気は…

4月9日(土)

新宿御苑では安倍首相主催の観桜会が開かれたようですが、KCPでは来週半ばぐらいにお花見を企画しているレベルが多いようです。首相の観桜会の記事によると、御苑は、今、ソメイヨシノがちょうど盛りで、八重桜が六分咲きぐらいだそうです。来週の半ば以降となると、ソメイヨシノは葉桜でしょうが、八重桜が見ごろになっているかもしれません。

最近の訪日外国人は、爆買いのような物質的な満足よりも、文化的精神的テイストを好むようになってきているそうです。花見シーズンになり、上野公園は桜と一緒に写真に納まる外国人であふれているとか。桜に心をくすぐられるのは、何も日本人に限ったことではありません。毎年のように学生を連れて御苑へ行きますが、国籍を問わず桜に目を輝かせ、頬を緩ませ、心を躍らせ、そして、レンズを向けます。

チューリップも紫陽花もラベンダーも向日葵もコスモスも金木犀も菊も牡丹も水仙もみんなきれいですが、心を浮き立たせるということにかけては、やっぱり桜にかなうものはないと思います。そして、盛りを過ぎた花は、しなびた紫陽花や下を向いた向日葵のように、哀れな末路を感じさせます。しかし、桜は、最盛期の直後に、花吹雪という鮮やかな姿の消し方をします。そして、桜の木は、それから350日あまり、人びとの目の端にも留まらぬ、もちろんカメラを向けられることもなく、地味な生活に戻るのです。

来週の半ばあたりは、低気圧が通過するようなので、お天気が心配です。おとといは、九州で春の嵐が吹き荒れました。そういう低気圧が、東京を襲わないことを祈るばかりです。