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夏はこれから

7月31日(月)

最近、日が短くなったなと思います。と言っても、皆さんと違って、私が感じるのは日の出が遅くなったことです。今朝は久しぶりに晴れましたが、電車から見える朝日の位置がとても低くなったなと感じました。もう間もなく、家から駅までの道の街灯が消えないうちに通り過ぎることになり、朝よりも夜の雰囲気が濃くなっていきます。

とはいえ、日中は夏全開で、校庭でスピーチコンテストの応援練習をしようとしたM先生のクラスは、コンクリートからの照り返しでひどい目にあったそうです。校庭の活用を図ろうとしましたが、もう少し陽気がよくなってからのほうがよさそうです。

蝉もかなり勢いよく鳴いています。小中学校は夏休みですが、夏休みはなんてったって蝉ですよね。でも、午後の授業に外階段を上っていく途中に、大きな蝉の死骸がひっくり返っていました。夏の宴を終えて、命が果てたのでしょう。

夕方、卒業生のNさんが学校に来ていました。「もう夏休み?」「はい、来週の試験が終わったら9月の終わりまで休みです」「えっ、そんなに長い間休んじゃったら、授業料、もったいなくない?」「大丈夫です。ウチの大学、ゴールデンウィークは普通に授業するんです」…なんていう、意味がわかったようなわからないような話をしました。でも、2か月近くも休んでいたら、頭がなまっちゃうんじゃないでしょうか。Nさんは休み中アルバイトに励んじゃいそうな気がしますから、なおさら心配です。

いずれにせよ、KCPの夏はスピーチコンテストであり、夏休みはまだひと月近くあります。まだまだ夏が終わってしまっては困ります。

花火が見られるかな

7月29日(土)

今晩は隅田川の花火大会が予定されています。雨が降っているので、予定通りに行われるかわかりませんが、浅草方面に向かう電車は混雑のため遅延も出ているようです。

私のうちの最寄り駅も花火の日は大混雑します。花火がはじまって少し経ってからでないと、電車も何も身動きが取れません。また、終了時刻が過ぎると帰宅ラッシュにかち合い、駅からうちまで歩くのが一苦労どころではなくなります。ですから、絶妙のタイミングを見計らって帰らねばなりません。

早く帰ってうちから花火を見ちゃえばいいのにと思われるかもしれませんが、マンションの私の部屋は花火が打ち上げられるのとは逆向きですから、音だけの花火大会という、何とも間の抜けた状況となってしまいます。ですから、毎年この日は、8時過ぎぐらいに駅に着くように時間調整して帰宅しています。

私はこういう花火大会やお祭など、人が大勢集まるところがあまり好きではありません。ラッシュが嫌いだから朝早く出勤するし、連休や夏休み、年末年始休みなど長期休暇も、混雑しないところを選んで出かけるし、昼食もピークの時間帯を避け、店をのぞいて混んでいたら入りません。

今から30年以上も昔、勤めていた会社のある町の花火大会を誰もいないところから見ようと、打ち上げ場所の近くの山に車で登ろうとしました。しかし、同じような考えの人が多かったみたいで、山道は大渋滞を起こし、中腹の林のすき間から打ち上げ花火を見下ろすという、しまりのない結果に終わりました。隅田川花火大会もスカイツリーから見下ろすというのがはやっているそうですが、私の経験からすると、それって楽しいんだろうかって気がします。

先週の浴衣販売で浴衣を買い、今週の着付け教室でき方を覚え、そして、今晩花火を見に行くのを他のlしみにしている学生が大勢いますから、どうにか開催されるといいですね。

っっっ

7月25日(火)

私が受け持っている初級クラスのスピーチコンテスト代表はWさんです。原稿がほぼ固まったので、読む練習を始めました。自分で書いた原稿とはいえ、声に出して読むとなると、なかなかスムーズにはいかないものです。日本人だって、自分で書いた原稿を読むときにかんでしまったり文の切れ目が見えなくなってしまったりするものです。ましてや外国人、それもまだ初級ですから、一発ですらすら読めるわけがありません。

初めての練習ですから、指摘したいことが山ほどあります。でも、それを全部Wさんに伝えたら、Wさんは混乱の極致に陥るだけでしょう。ですから、手始めとして、小さい「っ」をきちんと発音するようにと指示しました。

でも、厳密に言うと、「っ」は拍を取るだけで、声は出しません。ですから、“きちんと発音するように”ではなく、“きちんと発音しないように”指導したというべきでしょう。

発音をするのかしないのか、何だかよくわからなくなってきましたね。まあ、とにかく、Wさんにとっては「っ」に対して1拍置くということが難しく、「っ」のところだけ寸詰まりというか急ぎすぎというか、聞き手からするとそこだけリズムが狂ってしまうのです。

「っ」のリズムが取れないと、話すときだけでなく、書くときにも悪影響が現れます。上級になっても「帰えて」というミスが減らないのも、ここにその一因があると私はにらんでいます。学生は、とかくこうした地味な練習を嫌がるものです。しかし、「帰えて」と書いたり話したりして“ガイジン”と思われて損をするのは、そういう学生自身なのです。

さて、明日はWさんにどんな指導をしましょうか…。

いいものはいい

7月13日(木)

スピーチコンテストのクラス内予選をしました。昨日原稿を書かせたクラスとは別の上級のクラスでしたから、どんな話が飛び出してくるか楽しみでした。

昨日のクラスは最上級レベルでしたから、自分の日本語を駆使して社会的な問題に切り込んでいましたが、このクラスはそれより少し下のレベルですから、その分自分の身の回りに寄った話題が多かったです。抽象性が低くなったと言ってもいいでしょう。もう少し正確に言うと、独自の思考によって抽象性を高められた学生が少なかったです。参考にしたネットのページなどに振り回されて、十分に咀嚼せずに文を並べているので、スピーチが聞き手の心に響かないのです。

一方、独自の思考で帰納的に議論を深めていった発表は、聞き手の学生たちの顔つきが違っていました。スピーチにひきつけられ、スピーチを聞くことに知的な喜びを感じていることがわかりました。私自身、なるほどと思わせられ、そこまで自分や社会を掘り下げていったその学生に敬意を払いました。

また、発音の良し悪しの差が明瞭に現れました。きれいな発音の学生は、その辺を歩いているバカ高校生よりよっぽどきれいな日本語を話します。その一方で、上級の端くれなのに日本語教師も理解に苦しむ発音しかできない学生もいます。それに加え、原稿の内容を十分に理解しないままスピーチしたとあれば、聞くに堪えるとか堪えないとかの次元ではありません。

私が「これは!」と思ったスピーチは学生も高い評価を与え、発音の悪いスピーチは学生の評価も散々なものでした。学生たちがここまで真贋を見抜く目をもっているとなると、私など学生たちの前で毎日スピーチしているようなもんですから、何だか背筋が寒くなります。

読ませられる

7月12日(水)

先学期は初級クラスの担当でしたが、今学期は超級クラスにも入ることになりました。そして、今学期はスピーチコンテストがあり、今日は超級クラスの学生にその原稿を書いてもらいました。

なにせ、このところ超級の学生の文章を読んでいませんでしたから、ちょっと調子が狂ってしまいました。まず、文章がしっかりしていることに驚かされました。もちろん、文法や語彙のミスはありますが、でも、初級の学生のように、文字は日本語だけど文は日本語ではないという作文はありませんでした。たくさん赤を入れた原稿もありましたが、どうにも直しようがない、いくら考えても意味不明という“名作”はありませんでした。

それから、原稿に書ける意欲も立派なものでした。1時間あれば書けるだろうと思っていましたが、授業時間内に書き終えた学生はクラスの半分もいませんでした。ところが、授業後、図書室かどこかで書いてきた学生が続々と提出してきました。一番遅い学生が出してきたのは、まさに日が暮れるころでしたから、5時間ぐらい頭を悩ませていた計算になります。時間をかければいいという問題ではありませんが、それだけ考え続け、彼らにとっては外国語である日本語でその考えを著した努力には、素直に頭を下げたいです。

そして、社会派の内容が独自の視点で書かれている原稿が多く、これまた立派なものです。さすが超級と感心させられました。この原稿の中から1つだけを選ぶのは至難の業です。でも、スピーチは原稿だけで決まるものではありません。その考えをいかに訴え、そして聴衆の心をいかに捕らえるか、これこそがスピーチの醍醐味です。

クラス予選は、激戦になりそうです。

ガリガリ君

6月2日(金)

昨日の雨が嘘のような、スポーツにはもってこいの抜けるような青空…と言っても、運動会は体育館の中で行われます。1年で一番日が高い時季なので日中ずっと外にいたら紫外線対策が大変ですから、屋内での運動会は、やっぱり正解かな。

会場に定刻よりもだいぶ早く着いたので、付近をしばらく散策し、それでも時間が余ったので、木陰で読書しました。梅雨間近とは思えないさわやかなそよ風が心地よかったです。学生たちがポツリポツリと集まってきましたが、Dさんなどは6時に起きてご飯も食べずに来たとか。学校よりもだいぶ遠く、しかもの場所へ行くから、早め早めに行動しなければと思ったと言いながら、近くのコンビニで買ったパンを食べていました。

毎年のことですが、盛り上がるのは綱引きとリレーですね。選手の高揚が観客席に伝わり、それに反応した観客席の興奮がフィールドに響いてきます。ルールが万国共通、単純明快というのがいいのでしょう。

私は審判ですから、綱引きの選手を間近に見ることができます。1人1人の腕力の合計はチームによって大きな差があるとは思えませんが、勝ったチームにはそれを1つにまとめるさらに偉大な力があるように感じました。これが“神ってる”っていうやつなのかなあなんて思いました。Gさんあたりがその力の源だったかもしれません。

リレーはやっぱり足の速い学生が華です。私が知ってるYさんは勉強熱心ですが、走るのが得意そうには見えませんでした。ところが、リレーでは先頭を切って走っているではありませんか、しかも2位に結構な差をつけて。文武両道なんだと感心させられました。

今年の運動会の締めはダンスでした。今週に入ってからの特訓が実って、学生みんな、それなりのステップは踏んでいました。練習はイヤイヤ参加していた(させられていた)学生が、両隣の学生と手をつないで、大いにはしゃいでいるではありませんか。

閉会式後、勝利チームには賞品としてガリガリ君が配られました。観客席で半ば放心したようにガリガリ君をしゃぶっている学生たちが、印象的でした。

職員室炎上

6月1日(木)

職員室は、朝から明日の運動会の色に染まっていました。各種目で用いる資材の最終チェックやら、競技スタッフの動きの確認やら微調整やら、各教師が明日の動きをシミュレートしながら手を動かしたり頭の整理をしたりしていました。私も競技役員をしてくれる学生に役割を説明したり、先生方に明日の仕事をお願いしたり、明日朝の現地での準備項目を話し合ったりと、“イブ”の慌しさを味わいました。ですが、私はスターターとか審判とかで出ずっぱりですから、そして、私の動きの良し悪しが運動会の成否を左右しかねませんから、当日に気力も体力も温存しておかなければなりません。今ここでヘロヘロになるまで頑張るわけにはいかないのです。

そんな職員室も、お昼前後は面接の学生が大挙して訪れました。運動会の準備もしばらく休戦です。ついさっきまで競技の小道具が広がっていた机で、中間テストの直しや進路の相談や遅刻しないようにするにはどうしたらいいかの話し合いなどが行われました。学校行事だからといって、学生指導の手を緩めるわけにはいきません。

私は、午後は受験講座。6月に突入しましたから、本番までに残された時間はわずかです。知識をぎゅうっと押し込んで、来週からの直前の追い込みにつなげていこうと思っています。本来だったら数回に分ける内容を1度に濃縮してしまったのです。学生たちが目を白黒させたのももっともなことです。

受験講座から戻ってくると、職員室は大変なことになっていました。あっちこっちで準備をしながら盛り上がっており、何だか本番みたいな雰囲気でした。今からこんなにテンションが高くて、明日は燃えかす状態になっちゃうんじゃないかと心配にすらなってきました。同時に、この学校の先生たちは本当にお祭好きなんだなあと思いました。

逃げ切れそう

5月31日(水)

今週の月曜日くらいまでは雨という予報でしたが、直近の予報によると、あさって金曜日は雨の線が消えつつあるようです。運動会は屋内で行われますが、お昼はみんなでお弁当をつつきますから、体育館の中より体育館の前庭のほうが晴れやかな気持ちになります。ですから、雨にはご遠慮願いたいところです。

昨晩の予報では、予報を出す機関によって「曇り時々雨」から「晴れ」までばらついていました。本州の南にある前線が金曜日にどこにあると判断するかによって、また、前線の強さをどのくらいに見積もるかによって、予報は雨降りにもお天気にもなり得ます。

KCPには温度計すらなく、また、ビルに囲まれているため、風の観測も観天望気も満足にはできません。それゆえ、私は気象庁を始めとする天気予報を発表しているいくつかの機関からの情報を元に、私なりの予報を出します。「情報」とは天気予報そのものだけを指すわけではありません。予想天気図・気圧配置図は、何よりの情報です。気象予報会社が出している洗濯指数などの種々の指数も、参考にすることもあります。

私は学校のイベントがあるときだけ、その1週間か3日ぐらい前から、その日のその土地の予報を出すだけです。前回本気で予報に取り組んだのは日光江戸村へのバス旅行の時、その前は昭和記念公園でのバーベキュー大会…というように、1学期に1回ぐらい、すなわち年に数回です。それでも頭も気も使い、結構疲れます。気象予報士の皆さんは、毎日、広範囲に、多くの人々に向けて発しているのです。さらに顧客からお金をもらって予報を出すとなると、日々胃に穴の開くような精神状態ではないでしょうか。

受験講座をしていると、隣の教室から運動会の最後に全校学生でやるダンスの練習の足音が聞こえます。ダンスで大いに盛り上がって外に出たら雨…じゃあ、文字通り水を差されてしまいますよね。

にわか雨

5月1日(月)

明日、学校内で端午の節句をするため、午前中からその準備に取り掛かりました。まずは、五月人形を見て、柏餅をいただく場に敷く敷物を屋上で干しました。私も屋上に出るのは久しぶりでした。朝9時半だというのに結構高いところから日が差し、初夏を思わせるような陽気でした…と書こうと思いましたが、もう5月ですから、初夏で当然ですよね。まあ、いずれにせよ、虫干し日和でした。

その後は面接やら授業やらで時間がつぶされ、次は受験講座の学生も引き揚げた夕方から、会場のセッティングに取り掛かりました。机やいすを片付けて、午前中に干しておいた敷物を敷いて、会場は完成です。五月人形は既に飾られていました。飾ったりしまったりするたびに部品が少しずつ傷み、ついには壊れてしまいます。ところが、今年は壊れた部品の一部に補強がなされていました。それも非常に気の利いた方法で。何がどうなっているかは、明日見てのお楽しみ。

さて、何気なく「敷物を敷いて」と書きましたが、9時半ごろは気持ちのいい青空だったものの、お昼が近づくにつれて雲が広がり、1時過ぎには雷も鳴り出し、音を立てて雨が降り出しました。今朝の天気予報で「お昼過ぎににわか雨」と言っていたので、午前中に屋上に出たときに、そうなりそうかどうか空を見てみましたが、風もあまり強くなく、そういわれれば雲の流れが怪しいかなという程度でした。予備知識なしだったら、にわか雨があるとは言い切れなかったでしょう。

気象庁の観測記録によると、このにわか雨は局地的なものだったようですが、私に言わせると、だからこそすばらしい予報だったと思います。「雨が降る」という予報を当てるのは一般に難しいものですが、今回は時間的な面においても満点と言っていいでしょう。

明日が端午の節句で、明後日から連休です。連休中はいいお天気という予報が出ていますが、こちらも当たってほしいものです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの方々がKCPに入学してくださったことをうれしく思います。

皆さんはどういう夢を持ってこのKCPに入学したのでしょうか。そして、その夢を実現するために、どういう目標を立てているのでしょうか。これからその目標に向かって進んでいこうとするでしょうが、その道は決して平坦ではないことを予告しておきます。向かい風の中、坂を上っていくような場面もあることでしょう。また、悪魔のささやきに負けて道ならぬ道に迷い込むこともあるかもしれません。残念なことですが、こうして夢をどこかに置き忘れ、目標がいつの間にかすり替わってしまう学生が後を絶ちません。日本で一流大学に進学し、一流企業に就職するつもりだったのが、今日のアルバイトをどうこなそうかということしか考えられなくなる、などという学生が現実にいるのです。

これは、立派な挫折です。しかし、挫折を味わったからといって、がっかりする必要はありません。生まれてから生涯、挫折がない人などいません。問題は、その挫折からいかに立ち直るかです。早く立ち直らなくてもいいですが、その挫折から何かを学ぶことが肝心です。挫折から何かを得るたびに、その人の人格は厚みを増し、その人の人生は豊かになります。人は挫折によって鍛えられるものです。そして、いつの日か、挫折をものともせずに成功へとつなげていける人物に成長していくのです。

4月から大学生になったGさんは頭のいい学生で、学校の授業に出なくてもまずまずの成績が取れてしまいました。東京の有名大学の一角を占める大学への進学も決まりました。しかし、KCPの卒業試験の日に欠席したため、「卒業」とは認められなくなりました。Gさんは、私に何とか卒業試験を受けさせてくれと頭を下げてきました。Gさんの実力なら卒業試験に合格することはたやすいです。しかし、私はGさんに卒業試験を受けさせませんでした。ここで卒業試験に合格してKCPの卒業証書を手にしてしまったら、今後Gさんは世間をなめてかかるだろうと思ったからです。

KCPの卒業証書がもらえないくらい、Gさんのこれからの長い人生の中では小さな挫折です。この挫折を通して何かをつかむほうが、卒業証書をもらうより重い意味があります。頭を下げればどうにかなると思うようになるより、頭を下げても願いが通じないことがあるのだということを、身をもって学んでほしかったのです。

このように、KCPは、時には皆さんに挫折を強いることすらある学校です。皆さんがこれから味わう挫折を乗り越えて目標に向かって進み、夢を実現させることで、より強い人間に成長してください。挫折から立ち上がる際に私たちの支援が必要だとあれば、私たち教職員一同は喜んで力をお貸しします。

皆さん、本日はご入学本当におめでとうございました。