Category Archives: 学生

不安です

7月14日(木)

初級クラスでスピーチコンテストの原稿を書かせました。上級に比べ使える語彙が少ないからなのか、似たような文章が多かったです。やはり、自分の身の回りのことが中心になり、「日本の生活は大変ですがおもしろいです」とか、「頑張って日本語を勉強します」とかという結論が続出でした。せいぜい、自国と日本の文化を比べてあれが違いとかここが違うとかいう程度です。

学生たちは一番若くても18歳ぐらいですから、もっともっと深い思索があってしかるべきです。しかし、学び始めたばかりの外国語である日本語でその深さを読み手に感じさせることは不可能です。だから、自分の手が届く範囲で妥協しようというのでしょう。

それはやむをえないことではありますが、クラスのすべての学生に妥協されちゃったら、教師としては立つ瀬がありません。2人ぐらいは無理を承知で分不相応の難しいテーマに取り組んでもらいたい気持ちもあります。みんながみんな、書ける範囲でとなってしまうと、チェックは楽でいいのですが、拍子抜けの感は免れません。

書ける範囲といっても、学生にしたら精一杯背伸びしているのかもしれません。現に、Cさんなどは途中まで書いた文章を何度も私に見せて、これで合っているかと聞いてきました。習ってはいるけれども、自分の考えを表す文章で使うのは、おそらく、初めてだったのでしょうから、不安でたまらなかったのだと思います。

私のクラスに限らず、どこも同じような話だったみたいです。スピーチコンテスト本番までの間に、スピーカーをどこまで鍛え上げるかが、勝負の分かれ目です。

何のために進学?

7月13日(水)

Yさんは私立のG大学と国立のM大学を志望校として挙げています。どちらの大学も、就職しやすいと言われている商学部とか経済学部とかではない学部を狙っています。卒業したら日本で就職しようと思っていますが、就職を優先して学部を選ぶのはいやだという気持ちも強いのです。

Yさんが考えている学部は、学問的にはおもしろいと思います。そういう学部で自分の興味の赴くままに勉強し、充実したキャンパスライフを送りたいというのが、Yさんの近未来の構想です。「大学に残るつもりがなかったら、そんな学問より就職後に役に立つ勉強のほうが、結局Yさん自身のためになるよ」ってアドバイスも可能です。でも、Yさんにはそんなアドバイスはしたくなくなりました。

Yさんは、就職のためではなく、学問を通して自分の青春を楽しむために大学に進学しようと考えているのです。それだったら、本気で大学生活を味わい尽くせば、それが就職のときのアピールポイントになるのではないでしょうか。普通の留学生とは一味も二味も違う留学生活を通して得たものを企業の面接官の前に示せれば、きっと面接官の心を動かせるはずです。また、何ごとにも前向きなYさんなら、口先だけではなく、本当にそういう4年間を送ることでしょう。そう考えると、そう考えると、Yさんの計画がなおさら輝いてきました。

確かにG大学やM大学は簡単に入れる大学ではありませんが、入試面接でこういう考えを強く訴えれば、十分に勝ち目があります。Yさんの背中を強く押しました。

紫雲

7月12日(火)

昨日超級クラスの学生に書かせたスピーチコンテストの原稿を読みました。初級だったら日々の暮らしや自分の出身地の紹介で立派なスピーチと言えなくもありません。しかし、超級なら社会的な事象に対する自分の意見や、独自の視点から物事に切り込む姿勢が必要です。「日本人は親切です」でもいいですが、その結論に至るまでの過程において、ステレオタイプではない新鮮な議論を展開してほしいのです。

もちろん、これはたやすいことではなく、これができる人は限られていると思います。数多の在校生の中には、1人ぐらいは天性の鑑識眼が備わっている人もいるでしょう。そういう具眼の士ではなくても、社会を自分の皮膚で感じ取り、感じたことを材料にして考え続ける訓練をしていれば、他人とは一味違う香りを醸し出すことができるのではないでしょうか。

残念ながら、そういう風格の漂ってくる文章はありませんでした。私のクラスの学生は大半が大学進学希望で、高校出たてぐらいの人が多いですから、そこまで求めるのは酷かもしれません。しかし、明らかに何かのパクリだと思われる文章を書いていた学生がいたことには、いささかがっかりさせられました。

いや、オリジナリティがないわけではありません。あるんですが、オリジナルの部分はパクった部分よりも、文章的にも内容的にも数段落ちなので、言ってみれば、マイナスのオリジナリティでしかありません。そういう学生は、日本語の勉強はしているけれども、日本語の勉強しかしていないのでしょう。彼らが進もうとしている「大学」とは、日本語で学問を成すところです。将来に暗雲が立ちこめています。

私たちは、毎年こういう学生を鍛えて、曲がりなりにも大学の授業に耐えられるレベルにまで引き上げて、進学先に送り出しています。「進学先で困らないような日本語力」と言っていますが、その中には日本語でこうした思考ができることも含まれています。卒業式までと考えると、あと8か月ほどで彼らの目の前の雲を紫雲か斗雲にしなければなりません…。

懐かしい文字

7月11日(月)

私が担当する新しい超級クラスの名簿に、Lさんの名前がありました。Lさんは、新入学の学期に初級クラスで受け持った学生です。発言が多かったり成績がすばらしくよかったりしたわけではありませんが、授業に集中し、勉強したことを確実に物にしていくタイプの学生でした。その学生がこつこつと勉強を続けて、超級まで上り詰めたのです。

会うのを楽しみにしていたのですが、教室に入ってもLさんの姿がありません。チャイムが鳴り終わっても、全員の出席を取り終わっても、現れませんでした。Lさんのことを気にしつつオリエンテーションを進めていたら、Lさんは、20分後ぐらいに、遅延証明書を手に申し訳なさそうに入ってきました。そうだよね、Lさんがそう簡単に休んだり遅刻したりしないよねと安堵しました。

今学期は8月1日にスピーチコンテストが迫っているため、始業日にいきなりスピーチコンテストの原稿を書いてもらいました。週末にその旨を連絡しておいたのですが、多くの学生が自分の思いを原稿用紙上に表現するのに苦しんでいました。Lさんもそういう学生の1人で、授業中には書ききれず、図書室などで書いて持ってくるようにと伝えて授業を終えました。

午後の授業の後、机に戻ると、何人分かの原稿が置かれていました。その中に、懐かしい文字が。Lさんの原稿です。初級のときと全く変わらぬ、私より数倍上手で几帳面な楷書で埋められた原稿用紙がありました。初級からここまで、順調なことばかりではなかったでしょうが、その大波小波を乗り越えて、よく育ってくれたと思いました。

初級で教えた学生に中級や上級で再び出会うのは、教師として非常に大きな楽しみです。「初級の頃はいい学生だったのに…」とぼやきたくなる学生が少なくない中、順良な心を保っているLさんは、ひときわ光る存在です。そのLさんも、今学期は自分の大きな方針を決めなければならない学期です。今まで続けてきた努力で、もう1歩進んでもらいたいです。

短期間で上達

7月7日(木)

新入生のレベル判定のためにインタビューしていると、日本語の勉強を始めてから短期間のうちにかなりのレベルにまで到達していて驚かされることがよくあります。

Hさんは去年の夏に勉強を始めたと言っていましたから、ちょうど1年です。それなのに中級と上級の境目ぐらいの実力で、会話も非常に滑らかでした。レベル判定のついでに、どんな勉強をしてきたんですかと聞いてみました。日本語の本を読み、インターネットの授業を聞いて勉強したと答えてくれました。また、ネットを通じて日本人の友達と話をして、会話の練習をしたそうです。

去年の12月のJLPTでN2をとり、この前の日曜日はN1を受験したそうです。つまり、勉強を始めて1か月かそこらでN2の受験を申し込んだことになります。Hさんは、1か月ほどの勉強で、その数か月後に自分の日本語力がN2という、ある程度の仕事も学問もできるレベルに到達すると踏んだのでしょうか。それが手の届く目標だと思えたのでしょうか。今学期、KCPの一番下のレベルに入学した日本語ほとんどゼロの学生が、果たして12月のN2に申し込むでしょうか。申し込んだとして、受かるでしょうか。否定的な答えにならざるを得ません。それだけに、Hさんの能力や、インターネットを上手に活用した勉強法に驚かされるのです。

でも、それならずっと国で勉強を続ければいいのに、どうしてわざわざ日本へ、KCPへ来ちゃったのでしょう。日本で進学したいという気持ちもありましたが、生の日本の文化に触れたい、日本語を使ってコミュニケーションしたい、日本人以外の外国人とも交流したい、という意欲に駆られて留学することにしたそうです。それならKCPで勉強する価値がありますね。

Hさんが私のクラスになるかどうかはわかりませんが、今学期も有望な学生が入ってきてくれたようです。

いい人生

7月1日(金)

Sさんは、初級にしては読ませる文章を書く学生です。作文の採点はしんどいですが、毎週の課題に対してSさんがどんな切り口でどんなツッコミをしてくるかを読むのが、今学期の密かな楽しみでした。期末テストの作文も、十分に楽しませてもらいました。ところが、最後の最後に来て、「自分らしい人生はいいと思う」という、それこそどうでもいいようなまとめの文に出会ってしまいました。そこまでの文章に引き付けられていただけに、半端な落胆ではありませんでした。

初級の教師として、他の学生とも公平に採点するなら、「自分らしい人生はいいと思う」で十分でしょう。でも、それまで男らしいとか女らしいとかは何かという深い議論を繰り広げていましたから、結論で「いい」などという、意味が広くて便利で使い勝手がよすぎる、初級の入口で勉強する言葉を使ってほしくなかったです。ちょっと辛口だと思いつつ、そういう意味のことをSさんの作文のコメントに書きました。

私は上級の作文を見ることもありますが、Sさんの作文は内容的にはそれらに伍していけます。語彙や文法が難しすぎない分だけ、妙に議論をこねくり回すことがなく、素直で心に響きます。ですから、Sさんには中級以降で「いい」に代わる、ピンポイントで自分の心や頭の中を表すことばの使い方を覚えて、その文章にさらに磨きをかけてもらいたいと思っています。

次にSさんと会えるのは、上級の教室でしょうか。そのときまでにどんな成長を遂げているでしょうか。初級でまいた種を上級で刈り取る楽しみは、こんなところにあるのです。

休んでる場合じゃないよ

6月28日(火)

期末テストの成績が順調に集まってきています。明らかに力が劣っていたEさん、Rさん、期末テスト直前に全然学校へ来ていなかったLさん、自ら観念してテストを受けなかったPさんたちは、来学期も同じレベルで勉強してもらうことになります。しかし、今月に入ってから病欠が続いたSさんとFさんは、かろうじてですが合格点を取りました。そのほか、かなり危ないと思っていたDさんもJさんも、進級できる成績を挙げていました。

Sさんたちは、今、進級できるかどうか非常に心配しているに違いありません。明日かあさってか、学校に問い合わせてくることでしょう。聞かれたら正直に答えますが、進級できるからといって、あまり喜んでもらいたくはありません。自分たちはボーダーラインのほんのちょっと上でしかないんだということを、いっときたりとも忘れないでもらいたいです。新しいクラスでは、最下位を争うグループの一員です。いや、中心メンバーと言うべきでしょうか。

「進級できるけれども、うちで今学期の復習をしっかりしておかないと、次の学期は大変なことになるよ」と問い合わせの際に付け加えますが、学生はそんな言葉はどこかに置いていってしまいます。先学期末、RさんやJさんはそういうことを言われて進級したはずなのですが、授業初日にはしっかり退歩しており、マイナスからのスタートでした。それが最後まで挽回できず、差が開く一方で、来学期は進級できなくなってしまいました。これと同じことを、Sさんたちにはしてほしくないのです。

この時期、授業こそありませんが、学生の日本語との戦いは続いているのです。油断は禁物です。

夢と疲れ

6月24日(金)

今のレベルから2つ上のレベルに進級したい学生たちのジャンプテストの監督をしました。ジャンプテストを受けるには、まず、現レベルで相当いい成績を挙げて、担任の先生から許可をもらわなければなりません。そして、現レベルと1つ上のレベルの勉強を並行して進めて、期末テスト後にジャンプテストを受けるのです。2つのレベルの勉強を一緒にしていくのは容易なことではなく、この時点であきらめる学生も少なからずいます。

実際にジャンプテストを受ける学生は、そういう試練に耐えてきたつわものたちですから、かなり優秀です。私のクラスから受けたCさんとGさんも、頭がいいことに加えて、努力を惜しみません。でも、その2人をもってしても、テスト中は表情をゆがめていましたから、かなり難しかったのでしょう。

ジャンプテストと同時に、昨日の期末テストを欠席した学生の追試も行いました。ジャンプテストを受ける予定の学生は全員来ましたが、追試の学生は…。期末テストを受けても進級は無理だろうということでサボった学生が多いのでしょう。

ジャンプテストの学生は留学に夢を描き、高い目標を掲げています。追試の学生は、留学生活に疲れてしまい、もはや夢も高い目標も消え失せてしまっているのかもしれません。私のクラスのPさんは、昨日の朝、今の成績では進級は無理なので、もう一度同じレベルをするというメールを送ってきました。無理に進級しないというのは賢明な判断ですが、現時点での自分の実力や弱点を把握しておかなかったら、次の学期で何をどうがんばればいいかわからないじゃありませんか。

テストの結果は、来週半ば過ぎにまとまります。ジャンプテストに臨んだ学生たちにうれしい知らせが届くことを祈るばかりです。

お守りが床に

6月23日(木)

期末テストの試験監督に入った中級のクラスにHさんがいました。Hさんは、クラスで受け持ったことはありませんが、受験講座などで接点があり、まんざら知らない学生ではありません。そのHさん、リュックを机の横のフックに引っ掛けていましたが、そのファスナーにぶら下がっているお守りが床についてしまっていました。きっと学業成就のお守りなんでしょうが、これじゃあ御利益ゼロどころかマイナスかもしれないよって思いました。テスト中なのでみだりに声をかけるわけにもいかず、Hさんの机のそばを通るたびにイライラひやひやしながら、試験監督を続けました。

Hさんなら、お守りの意味は十分理解しているはずです。でも、そのお守りが床を引きずるようなリュックの置き方をしても、何も感じていないのでしょう。ほとんどの学生が日本文化を知りたいと言うし、自ら進んで勉強している学生も多いです。しかし、そうして得ている知識は、表面的なものが大半なのだと思います。あるいは、断片的な知識が有機的につながっていないのです。お守りは神仏の分身であり、床には大事なものを直接置かないという日本文化が結び付けられていれば、お守りが付いているファスナーのポケットにお守りをしまうとかってできるはずです。

私たちも、そうしたことをおろそかにしてきたことは否めません。通り一遍の文化紹介ではなく、もう一段深いところまで踏み込み、その背景に触れ、それを学生自身の生活に溶け込ませるような、紹介よりは体験に近いことをさせていきたいです。

テストが終わったらHさんに注意しようと思っていましたが、他の学生にかかわっているうちに、Hさんの姿は消えていました。今度会うのは来学期になってからでしょうが、何かの折に是非注意しましょう。

答案を作る

6月22日(水)

受験講座物理は、EJU対策は一応卒業として、大学独自試験対策を始めました。大学独自試験では、答案を書くことが要求されます。過程はともかく強引にでも答えにたどり着ければそれでいいというEJUとは、かなり違ったセンスが必要です。相手が留学生ですから、答案の日本語での説明が多少不十分でも大目に見てもらえるかもしれませんが、式の羅列だけでは減点は免れないでしょう。

といっても、初回ですから、あまりハードなことはしませんでした。基本的な公式を使えば答えが導き出せる問題で、答案の構成要素や書き方の骨格を勉強しました。国でも答案を書いてきたという学生もいれば、答えさえ書けばよかったという学生もいて、答えだけ派は、やはり戸惑いの度合いが大きいようでした。

答えに至るまでの過程を詳述することは、自分の頭の中を書き表すことです。これは、進学してから、レポートを書くにも、研究計画を立てるにも、論文を作成するにも、一人前の研究者へと成長していくのに必須の素養です。数式を並べ立ててそれでOKとしていては、いずれ自分の思考の足跡を追うことすらできなくなります。

「数学も答案を書かなければなりませんか」と、答えだけ派最右翼のCさん。「マークシートの数学の試験をするような大学に進学しても、いい研究なんかできっこありません」と返しましたが、ちょっと言い過ぎだったかな。Cさんはうなだれてしまいました。でも、Cさんの志望校は、独自試験があります。

来学期の受験講座は、こんなことをやっていきます。答案を書く訓練をしていれば、EJUの問題を解く力もついていきます。6月が終わったからって、ほっとしている暇なんかありません。