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明日から義捐金

4月18日(月)

熊本地震が、なかなか収まりそうにありません。一発目の地震は、震度こそ大きかったものの、そのわりに被害が大きくないと感じました。しかし、それ以後、けっこう規模の大きい地震が続き、被害がだんだん拡大し、ついに16日未明の(現時点では)本震と呼ばれる地震が発生しました。いつの間にか死者が42名を数えるまでになり、11万人もの方々が避難しています。震源が大分県方面に移動し、中九州地震と言ってもいいような様相を示しています。

今回の地震は、東日本大震災とは違って、活断層が引き起こした地震です。今回の震源域の活断層は、四国を東西に貫く中央構造線につながっています。この中央構造線が大暴れしたら、日本が割れてしまいかねません。そんなことはおそらくないでしょうが、悪い想像は尽きません。

14日の地震発生以来、海外から東京は大丈夫かという問い合わせが何件も来ています。震源域から東京まで、どういう測り方をしても800キロはあります。大丈夫に決まっていますが、1万キロも彼方から見ると、800キロなんて至近距離なのです。しかも、大事な子どもを預けているとあれば、わずかな不安でも見逃せないのでしょう。

今回は、今のところは福島原発のような事故は発生していません。でも、震源域の移動方向の逆方向には、稼働再開したばかりの川内原発があります。政府は稼働を続けることに問題はないと言っています。一抹の不安を感じると同時に、もし政府が稼働停止を命じたら、それが必要以上に海外の人々の不安をあおるのかもしれないとも思っています。

明日から今度の震災の被災者に送る義捐金の募金を始めます。募金活動のボランティアを募集したら、予想を上回る人数の学生が集まったとのことです。学生たちは地震の行方に関心を示しつつも、むやみに不安がることなく勉強に励んでいます。家族から離れた異国の地で、立派なものだと思います。

黒くないマークシート

4月16日(土)

新学期が始まって1週間たちました。時間割が一巡し、自分の受け持ちのクラスにはひと通り顔を出し、クラスの雰囲気や学生の様子もそれなりにつかめました。残念ながら、私はまだ自分のクラスの学生の顔と名前をすべては覚えていませんが、頼りになりそうな学生、危なっかしい学生など、押さえておかなければならない学生はつかんだつもりです。これからどうやって学生との関係を築いていこうか、あれこれ考えています。おとといから受験講座も始まりました。こちらはまだ授業が一巡していませんが、新メンバーたちの勉強しようという意欲を肌で感じています。

今日はEJUの授業で、大教室いっぱいの学生に立ち向かいました。毎度のように問題を解かせ、解答用紙を回収したのですが、マークシートの塗り方がいい加減なものが目立ちました。解答欄にチェックを入れただけとか、間違えたところに×をつけてもう1つ塗るとかという暴走ぶりです。君たちマークシートのテストを受けたことないのって聞きたくなるほどです。

その中には今学期の新入生もいましたが、KCPでそういう訓練を受けてきているはずの学生もいたことが意外でした。学生の中に、これは練習なんだから本気で塗らなくてもいいという気持ちがあったとしたら、マークシートの塗り方を知らないことより事態は深刻です。

だからというわけではありませんが、今日は答えの解説を早々に済ませて、6月のEJUで高得点を取ることで、今後の受験戦線においていかに有利に戦いを進められるかということを力説しました。その思いが通じたのかどうかはわかりませんが、授業後、何人かの学生が早速進学相談に来ました。

受験の大勢が決まるまで数か月。マークシートの塗り方から始めて、志望理由書の書き方、面接練習まで、今日感じた学生たちの意欲をい上手に守り立て育てていきたいです。

温かな心

4月15日(金)

ゆうべの熊本地震は学生たちもかなり関心を持っているようで、初級の授業でたまたま「地震」という漢字を扱いましたが、「熊本」という学生たちにはなじみの薄い地名がすっと出てきました。初級の学生ですから、母国のニュースサイト経由に違いありません。ということは、世界中に「熊本=地震」という方程式が広まっているのでしょうか。

私なんかも、パリとかニューヨークとかという超有名な地名以外は、災害や事件事故がその地名を知るきっかけになることがよくあります。今は世界一の金持ち都市としてその名がとどろいているドバイも、私が知ったきっかけは、日航機ハイジャック事件でした。当時中学生だった私の心には、「ドバイ=危険な町」という強固な観念が植え付けられました。その後ドバイは発展を続けましたが、ドバイのニュースを見聞きするたびに、砂漠の真ん中の空港からの中継映像がフラッシュバックしました。

でも、ニュースによると、熊本地震の被災地を救おうという海外の動きも活発なようです。こういう温かい気持ちは、本当にありがたいです。人間のよって立つ地面が揺るぐような物騒なところとはかかわりを持ちたくないという発想に向かうのではなく、そういう信じられないような恐ろしい目にあった人たちに自分の幸せをわけてあげようという厚情を抱いてくれたことは、とても尊いと思います。

私のクラスの学生たちは、まだ初級ですから、「大変です」ぐらいしか、自分の気持ちを表す術を持ち合わせていません。「大変です」から、どういう形でも力になってあげようという心根を持っていてもらいたいです。その心根を具体的な行動に結び付けられたら、それはその人の一生の財産となるに違いありません。

唯我独尊

4月12日(火)

Lさんは新入生で初級クラスに入れられたのですが、自分はもっと上のレベルだと信じていて、昨日はだいぶ反抗的な態度を取っていました。

今日は授業の最初にテストがあり、Lさんは制限時間の5分前ぐらいにできてしまいました。すると、答案用紙を提出するでもなく、机の上にEJUの問題集を出すではありませんか。即刻注意して引っ込めさせました。

テストの次は在校生なら先学期勉強してきた文法を使ったQ&Aです。Lさんは質問は聞き取れたようですが、答えは文ではなく単語で、しかも発音が悪く、私が聞き取れませんでした。日本語教師を惑わす発音ですから、Lさんの日本語は普通の日本人には通じないでしょう。

休憩時間を挟んで教室に戻ると、Lさんは日本人高校生向けの物理の問題集を出していました。休憩時間に何をしてもかまいませんが、教師が戻ってきたら授業に関係のないものは片付けるのが常識というものです。しかし、Lさんは出しっぱなし。これまたただちにしまわせました。

こういうLさんを見ていて思い出したのが、Yさんです。Lさんと同じレベルのとき、やはり日本人向け問題集を買い、EJUの過去問はすべて解けると豪語していました。受験講座でもマイペースを崩さず、もしかするととんでもない大物かもとかすかな期待も抱きましたが、ふたを開けてみれば、平均点を取るのがやっとというありさまでした。それでも無謀な挑戦を続け、挙句の果てに、Lさんが思い描いていた大学よりは5段落ちぐらいの大学にかろうじて滑り込むのがやっとでした。

LさんにはYさんを髣髴とさせる空気が満ち溢れており、非常に心配です。今、私たちが何を言っても聞く耳を持たないでしょう。痛い目にあって目を覚ましてくれればいいのですが、Yさんのようにそれを痛いと感じずにわが道を歩み続けるような気がしてなりません。

Lさんは理科系ですから私がどうにかしなければならないのでしょうが、なんだか気が重いです。

新システム

4月7日(木)

今学期から、学生の出席管理や成績管理の新しいシステムが稼働します。新システムは日々の授業の出欠から期末テストなどの成績、進路の決定まで、学生のKCPでの生活は何でも記録しておけます。今日は、新学期の打ち合わせを兼ねて、先生方への新システムの説明会を開きました。

システムを熟知しているM先生が実に要領よく説明なさったのですが、予定の時間をオーバーし、それでもまだ先生方の顔には不安げな表情が残っていました。機能が盛りだくさんですから、1回の説明ですべてをマスターするのは難しいです。授業のたびに使って、使いながら覚えていくっていうことになります。使い方が身についたら、裏ワザも開発され、システムの意外な効用が発揮されるようになるでしょう。そうなれば、私たちが学生を見る目も自分の仕事に対する姿勢も、ミクロな部分からマクロな広がりまで、磨きがかかるに違いありません。

というわけで、今は新システムへの移行期ですから、いつもと違った新学期前夜を迎えています。ひたすら新学期につながるデータを入力したり、こっそりシステムの使い方を練習したり、来週になったら失敗や準備不足は許されませんからね。

新システムになれば、受験講座も今よりがっちり管理できるようになります。それは、今よりきめ細かく学生を見守っていくことにもつながります。1人の学生に関する記録が集約されますから、受験講座と日々の授業や生活が有機的横断的につながり、クラスの先生からも、受験講座の講師からも、より的を射た指導ができるようになると考えています。

野良猫が来た

4月6日(水)

朝、太陽が顔をのぞかせてけっこう暖かかったので、今年初めて、学校の玄関のドアを思い切り開け放ちました。その玄関を通って、新入生がレベルテストを受けにどんどん入ってきました。予定より少し早く、テストを始めました。

レベルテストは、私たち教師にとっては新入生との初顔合わせです。どんな学生が入ってくるのか、厳しいチェックの目を入れます。

教室内飲食禁止だと告げ、飲食禁止の表示まで示したにもかかわらず、堂々とコンビニのコーヒーを飲んだKさん、マイナス10点。携帯電話はかばんにしまえと、ジェスチャーも交えて伝えたにもかかわらず、1科目目のテストが終わったら早速使おうとしたLさん、妙にぞんざいな口の利き方も含めて、マイナス20点。試験中に机の上から落ちた消しゴムを拾ってあげたら、きちんと「どうもありがとうございます」とお礼を言ったPさん、プラス15点。わからないことは手を挙げて積極的に質問していたCさん、プラス15点。試験中ずっときょろきょろしていたTさん、後から一人ぼっちで来日したと聞き、情状酌量して、マイナス5点。

こうした第一印象の評価って、わりと当たっちゃうんですね。おととし、レベルテストで私のクラスでチェックの対象だったSさんは、入学後、予想通り悪いほうで目立ちました。この3月の卒業まで、自由気ままな気質は変わらず、私は密かに「猫」と呼んでいました。でも、志望校に向かって突き進む時の姿は実に真摯でひたむきで、Sさんの蔵している底力の強さや能力の高さが感じられました。野良猫のまんまじゃどうにもなりませんが、それを矯めて自分自身も気づかなかった魅力を引き出すことが、私たちの仕事です。留学に来た本人も、送り出した親御さんも、自分(子ども)の新たな一面を探り出してもらえることを期待しているんじゃないのかな。

Kさん、Lさん、Pさん、Cさん、Tさんを、卒業までに私が受け持つかどうかは全くわかりませんが、教室で相まみえた時には、そういう気持ちで接します。

残念な学生

3月31日(木)

学期休みになると、先生方は「残念な」学生に電話をかけ、その学生を呼び出したり宿題を与えたりして、何とか進級させようとします。私は、今学期受け持った学生は卒業生が大半で、来学期も残る学生たちには「残念な」学生はいませんでしたから、高みの見物を決め込んでいます。

教師から「残念な」成績を知らされた学生は、たいてい、自分はそんなにわからないわけではないということをアピールしようとします。わかっているんだけど、ケアレスミスを犯したとか、答え方がちょっとまずかっただけだとか、そんな言い訳をします。中には、あまり勉強しないで期末を受けたと言って、教師の逆鱗に触れてしまう学生もいます。勉強しさえすればこんなのチョロイと言いたいのでしょうが、学生の本分である勉強を怠けたのだから、進級する資格などあるわけがないというのが教師の論理です。

それでも説教+宿題ぐらいで進級を認めてもらった学生は、まだ幸せです。電話口で冷たく「もう一度同じレベルです」と告げられた学生は、憤懣と落胆と悲憤と怒りと嘆きとが入り混じった複雑な感情を抱きます。それを教師に吐き出そうとしますが、「残念な」成績しか挙げられない学生ですから、教師の心を動かすような日本語になどなるはずがありません。その日本語が火に油を注ぐ形となり、さらにドツボに陥っていくパターンが大半です。「あなたには上のレベルじゃなくて下のレベルに行ってもらいます」なんて言われている学生すらいます。

でも、本当に困るのは、テストでは点を取っちゃうんだけど、全然話せなかったりコミュニケーションが取れなかったりする学生です。そういう学生の実力のなさがあぶりだされるのが、志望理由書を書いたり面接練習をしたりする頃なのです。入試は、説教+宿題や再試験でどうにかなる問題ではありませんから、今から自覚を持って真の実力を上げるように、こちらも指導しどうしていかねばなりません。

小技を磨け

3月25日(金)

最上級クラスの期末テストの採点をしました。このクラスの学生は、卒業式までは卒業生と机を並べて勉強した学生たちです。卒業式以降は、4月からの新学期への助走期間として、初級から今まで習ってきた文法を正確に使いこなす練習をしてきました。

採点結果は、みんなそれなりの成績を挙げはしたのですが、私には不満が残りました。学生たちにとっては復習問題だったので、満点に近い点数で合格してほしかったのに、そこには程遠い成績でした。「名ばかり最上級」とまでは言いませんが、横綱相撲で勝ってほしかったのに、土俵際まで押し込まれてかろうじて逆転の突き落としみたいな成績じゃ、4月以降KCPを引っ張っていく立場の学生としては情けないものがあります。

だからといって、この学生たちの日本語が意味不明なわけでもなく、こちらの言葉が通じていないわけでもなく、難しい文章も読みこなしています。コミュニケーションに支障をきたすようなことはありません。それでも、可能や使役や「ている」などの使い方を間違えているのです。研究計画書や志望理由書、プレゼンテーションなど、正確な日本語が要求される場面では、不安が残ります。

実は、卒業生の中に、志望理由書を見てくれと持って来たものの、「てある」とか受身とかの使い方がまるでなっていなくて、愕然とさせられた学生がいました。そんなことがあったので、今回、復習の時間を設けたのです。私が採点した学生たちも、あと半年足らずのうちに研究計画書や志望理由書を書かなければならない運命にあります。そのときまでには、せめて大関相撲が取れるくらいにはなっていてもらいたいです。

期末の採点が終わり、一息つけるかと思いましたが、新たな課題を見つけてしまいました。

大仕事

3月23日(水)

今学期最後の授業は初級クラスでした。教科書の残りの部分を片付けたら、後は復習とまとめです。初級は1学期の間にグンと力を伸ばしますから、復習と言ってもかなり広範囲にわたります。また、初級も後半に差し掛かると少々特殊な言葉遣いも勉強しますから、覚えるべきことも結構な量です。

Sさんは復習プリントやまとめプリントを読んでいるだけで、そこにある練習問題をやろうとしません。いや、Sさんとしては問題を考え答えを出しているのですが、それを全くプリントに書き込もうとしませんから、教師としてはやっているとは認められないのです。指名すると、案の定、正確には答えられません。こちらが「えっ?」と聞き返し、間違いに気付いた周りの学生が小声で教えても、Sさんは平気な顔です。

こういう学生は、自分はできる、こんな程度のことはわかっていると思い込んでいます。だから、間違いを指摘されてもそれはケアレスミスに過ぎないと思い、本気で改めようとはしません。もちろん、その間違いはケアレスミスなんかじゃありません。文をきちんと作らないから、間違いが間違いとして認識できないのです。だから、本当はわかってなんかいないということが、本人には全然見えてきません。

今までに何十人もこういう学生を見てきましたが、末路は哀れなものです。友人や教師の忠告には耳を傾けず、わが道を歩み続けますから、日本語力は伸びません。進級できずに同じレベルをくり返すとなると、授業がつまらないので受験勉強にのめりこみます。しかし、日本語力がいい加減ですから、受験勉強もうまくいきません。自己流を貫いたあげく、卒業が近づいてから自分の失敗にやっと気がついても、もはや手遅れです。志望校には当然手が届かず、不本意な進学をする羽目に陥ります。

Sさんはそんな体臭をぷんぷん発散させています。Sさんをどうやって真っ当な世界に連れ戻すかっていう、この1年の大仕事を見つけてしまいました。

命名法

3月15日(火)

受験講座の化学を受けている学生たちは、有機化学に出てくる物質名を覚えるのに難儀をしています。そこで、今期は、主な有機化合物の構造式とその名前をプリントにまとめ、学生たちに配りました。教科書の何十ページにもわたってちびちびと登場するたくさんの有機化合物を、一網打尽にしました。

そのプリントを配り、今すぐ覚えろと言い、20分後にテスト。もちろん、いい点数なんか取れるわけはありませんが、私が見ようと思ったのは、化合物名の覚え方やテストでの答え方です。

Hさんは、国で勉強した知識を基に、国で勉強した名前をカタカナに置き換えていきました。安息香酸みたいに漢字の名前になるとつまずき気味でした。

Sさんは、ひたすら丸暗記を始めました。カタカナ語は皆目見当がつかないということで、つべこべ理屈を唱えず、潔く丸暗記に取り掛かったのです。

テストとなると、Hさんは手持ちの知識でどうにかなるところをどんどん答えていきます。一方、Sさんは暗記した部分はすぐに答えられましたが、そうでないところでは筆が止まってしまいます。しかし、Sさんが偉いのは、構造式と化合物名の一覧表の問題となっていない部分、つまり、構造式とその物質名の両方が出ているところからヒントを得て、命名法の規則方を推測し、それに基づいて答えていた点です。

有機化合物の物質名は、IUPAC命名法という規則にのっとって付けられており、その規則がわかれば、構造式から物質名が自動的に付けられるのです。Sさんはその規則を見つけ出そうとし、一部は見出すことに成功していました。残念ながら、IUPAC名ではない慣用名が定着していてそちらが用いられるものも少なからずあります。そうなると、Sさんの努力も実りません。

でも、このように雑多なものの中から規則を発見し、そこから自然の本質に迫ることこそ、科学者が進むべき道です。正直に言って、Sさんの実力はまだまだだと思いますが、伸びる芽はもっといるとも思います。