危機感

1月7日(木)

GさんはすでにN大学、K大学を受験し、今週末にM大学の試験を控えています。3大学とも、合格発表は来週から再来週にかけてです。それ以外の大学は出願もしていませんから、全滅だったらどうするのかと聞いたところ、自分のEJUの成績で受かりそうな国立大学に出願すると言います。

Gさんは真面目な学生なのですが、のんきだというか、要領が悪いというか、動きが鈍い面があります。本当はT大学にも出願するはずでしたが、「必着」に間に合わずに受け付けてもらえませんでした。国立出願にしても、Gさんが行きたいと思っていたS大学は、昨年のうちに出願締切でした。Gさんが出願締切日だと思っていたのは、入学手続き締切日でした。

これは危ないと思い、M大学の面接練習よりも先に、国立大学はどこに出願するかという進学相談をしました。Gさんは東京か東京に近いところの大学がいいと言っていましたが、何が何でもそれにこだわっているわけでもありません。GさんのEJUの成績をもとに、そういうことを加味して、これから出願できる国立大学をいくつか選びました。あとは、Gさんが自分で詳しく調べて、最終決定します。

そもそも、GさんはN大学、K大学、M大学のどこかに受かるつもりでいます。うわさで知ったK大学の合格最低点が自分のEJUの点数よりも低いことから、妙な自信を持っています。ですから、その3大学の不合格最高点を示して危機感をあおり立て、他の大学への出願を本気で考えさせました。M大学の試験が終わったら、本当の意味でのすべり止めを考えさせて、出願に結び付けなければなりません。まだまだ先が長いです。

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ガースーと面接

1月6日(水)

「ガースー」と初めて聞いた時、田舎の不良高校生が親や教師に隠れて煙草を吸っている様子が思い浮かびました。ガースーと菅首相の政策や政治姿勢は無関係なはずですが、ガースー以後、菅さんのやることなすことすべて、うさん臭く映ってしまいます。だから緊急事態宣言に協力しないなどとは言いませんが、この人についていこうという気持ちは薄まってしまいました。

たった一言によって、聞き手を傷つけてしまったり、聞き手の信用を失ってしまったり、それゆえ自分に対する聞き手の評価を大きく下げてしまったりすることがよくあります。言葉尻を捕らえてあれこれするなとも言われますが、言葉は自分自身を指すナイフにもなりえます。

昨日に引き続いてAさんの面接練習をしました。Aさんは研究熱心で、志望校について調べられるだけ調べ、志望校のカラーに合うように面接の答えを作り上げています。私の昨日の指摘を踏まえて、いくらか熱く語れるようにはなっていました。それでも、画面越しということを考慮すると、印象が今一つかなあ。

志望理由は立派になったものの、専門とする分野について突っ込むとすぐメッキがはげてしまいます。そうすると、聞き手にとっては落胆の度合いもひとしおです。Aさんの答えがガースーと聞こえました。ですから、後半はAさんが大学で勉強しようとしていることやその周辺事項のレクチャーをしました。こちらがヒントを与えれば、考えるきっかけやキーワードがわかれば、Aさんはそれについて研究してくれるでしょう。付け焼刃の感は拭えませんが、刃なしでは話になりませんからね。

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授業初め

1月5日(火)

今年の授業初めは養成講座でした。今年に限らず、ここのところ毎年、KCPのどの先生よりも早く授業を始め、その授業が養成講座です。私は学期が始まるとクラス授業を受け持ちますから、学期休みのうちにできるだけ養成講座の授業を済ませておく必要があるのです。

養成講座の文法の授業をするのは、学生に文法の授業をするより面白いです。でも、その養成講座の授業は、学生への授業が元になっています。初級から上級まで各レベルで教えた経験から、ここはよく間違えるとか、こうすれば文法が比較的すんなり入っていくとかということが言えるのです。学生のおかげで(学生をネタにして?)養成の授業をさせてもらっていると言っても過言ではありません。

午後は、Aさんの面接練習をしました。オンラインの面接だそうです。そうだったら、自分の意欲や夢を画面越しに力一杯語らなければなりません。でも、Aさんの言葉にはそういった思いが感じられませんでした。何とか熱意を掘り起こそうと質問すると、かえってそちらから遠ざかってしまいます。しかたがないので、“面接練習”という形式を打ち切って、Aさんが気軽に答えられるように雑談っぽく勉強の目的や将来構想を聞きました。そうやって、Aさんの頭を少しずつ整理していきました。明日、再挑戦です。

本当のことを言うと、Aさんにはもう1つ課題があります。細かい文法ミスが非常に多いのです。面接官に誤解を与えるほどの致命的な間違え方ではありませんが、ミスが重なると「下手」という印象が刻まれてしまいます。養成講座の受講生のみなさんに聞かせたいなあと思いながら、Aさんの受け答えを聞いていました。

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最後の腕時計

1月4日(月)

大晦日のお昼ごろ、チラッと腕時計を見ると、急げばぎりぎり快速電車に間に合う時間でした。駅の階段を駆け上がり、息を整えながらホームでもう一度時計を見ると、あと30秒ほどで電車が来るはずでした。しかし、1分経っても3分経っても電車は来ず、やっと来た電車は全然違う行き先でした。何気なく駅の時計を見ると、私の時計より15分も進んでいるではありませんか。いや、駅の時計は、よほどの田舎の鉄道でないかぎり、きわめて正確ですから、私の時計が15分も遅れていたのです。

そういえば、大晦日は、朝から、だいぶ時間が過ぎたんじゃないかなと思って時計を見るとほんの数分しかたっていなかったということが2、3回ありました。そして、時計の針をよく見てみると、秒針が不整脈を起こしていました。ツツツッと進んだかと思うとしばらく止まってしまうというのを繰り返していました。朝、家を出るときは正確でしたから、その後おかしくなったのです。

私の時計は電波時計ではありませんが、12秒進みという状態で安定していました。ですから、秒針まで信用していました。それがみごとに覆されたのです。でも、この時計を買ったのは前世紀です。日本語教師を始めたばかりで、KCPにお世話になる前でした。やはり、それまで使っていた時計が突然止まってしまい、次の仕事までの合間に大急ぎで買ったものです。それ以来、入浴時以外はほとんど外すことなく、海外へも行ったし、日本国内は1都1道2府43県すべて連れて行きました。

20年以上も公私にわたって付き合ってくれた時計ですが、どうやら寿命のようです。用事を済ませたあと、時計屋に立ち寄りました。腕時計に対する条件は、電池交換不要なこと、文字盤がアラビア数字で書かれていること、カレンダーなど余計な機能がないことです。電波時計ならさらにありがたいのですが、そういう時計はなく、電波時計はあきらめました。

大晦日は古い時計をはめて寝て、1月1日から新しい時計を使っています。この時計が古い時計と同じだけもったとすると、私は80歳を超えています。その頃はもう楽隠居で、新しい腕時計は必要ないかもしれません。そう思うと、この時計をより一層大事に扱いたくなりました。

これが、年末年始の最大の出来事でした。

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前がすっきり

12月26日(土)

仕事納めの日ですから、年末恒例・大掃除をしました。私は1階の給湯室を中心に、磨いたり掃いたり吸ったりしました。自分のはたらきで身の回りがきれいになっていくと、気持ちがいいものです。特に、流しの排水口まわりは、わけのわからない汚れがこびりついていますから、化学の力や腕力でそれを落としていって地肌が現れると、感激もひとしおです。

私は化学の世界にいましたから、アルコールや塩素などの消毒液のにおいに慣れてもいますし、むしろ好きです。だから、水で薄めた消毒液から発するかすかなにおいに囲まれて掃除をするのは、ちょっとした快楽です。体には悪いでしょうね、きっと。

幸いにも、私が取り組んだ範囲からは歴史を感じさせるような、いつの時代か定かでない骨とう品は出てきませんでした。そういうものが出てくると、そちらに気を取られ、昔を懐かしんでいるうちに時間がいくらでも過ぎ去ってしまうんですよね。給湯室は、汚れを落として、今年はそれに消毒が加わっただけです。干からびた食べ物か何かがひょっこり出てこなくてよかったです。A先生みたいに、数年前の学生が書いた反省文かなんか出てきたら、新年を迎える気分もしぼんでしまいます。

掃除が終わったころ、新しいパーテションが届きました。今まで、職員室内のパーテションは、手作りの、実用本位、見てくれ後回でしたが、新年からあるのかないのかわからないくらいのパーテションで、視界が広がります。そうですね、2021年は見通しのいい年にしたいですね。

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最後まで

12月25日(金)

T先生は昨日の帰宅時から電車が空いてきたと言います。年末年始の分散休暇が始まったのではないかとまで言っています。でも、私は昨日の退勤時も今朝の出勤時も、電車の混みようは変わっていないように感じました。なんだかんだ言いつつ、正月休みはやっぱり来週からなんだろうなと思っていました。

KCPも来週1週間はお休みですから、今年の残り2日は大掃除です。先週あたりから少しずつ机の上の書類や引き出しの中のがらくたなどを処分し始めました。調子に乗って捨て始めたら、シュレッダーダストボックス2杯分ぐらいになってしまいました。引き出しの底から発掘した懐かしい書類も含まれていますから、今年1年でこんなに大量のごみを出したわけではありません。

M先生も、紙の神様に叱られそうだと言いながら、あちこちから紙ごみを引っ張り出してきていました。ペーパーレス化には程遠いKCPの現状です。今年はオンライン授業がたくさんありましたから、印刷せずに電子的に学生に配布した教材も少なくないはずなんですがね。

シュレッダーの山場を越えたころ、ZさんがY大学のオンライン面接のために学校へ来ました。今年は何人の学生を教室でオンライン入試を受けさせたでしょう。1度でいいから、オンライン面接のやり取りをじっくり見学してみたいですが、周囲に本人以外誰もいないことが受験条件でしょうから、ぐっと我慢しています。

Zさんがホッとした顔で引き揚げ、お昼にでも出ようかなあと思っていたら、XさんからW大学の志望理由書を見てくれというメールが舞い込みました。字数制限はありませんが、スペース的にXさんの力作をばっさり半分にしなければなりません。1行目からバリバリ切り捨てていったら、思ったより早く出来上がりました。でも、これを読んだらXさん、泣くかもしれないなあ。思い入れの強そうな文もシュレッダーに掛けちゃいましたから…。

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静かなイブ

12月24日(木)

八八八。末広がりが3つ並んで縁起がよさそうですが、都内の新規感染者数となると、困った数です。曜日別過去最高を10日連続で記録しているとか。こういう状況に恐れをなしたのでしょうか、退学・帰国を決めた学生が予想より多くなりました。

私は家と学校の間を行き来するだけで、帰りも寄り道はしません。朝は始発に近い時間帯ですいているし、夜も1年前に比べればずっと車内に余裕があります。昼ご飯だって、12時ごろから1時半ごろまでの混んでいる盛りは避けます。店をのぞいてみて席がある程度以上埋まっていたら、そこには入りません。密になるおそれがありますから、自宅マンション以外ではエレベーターに乗りません。

ところが、昨日タクシーで帰ったというK先生が運転手さんから聞いた情報によると、新宿の繁華街はとんでもないことになっているようです。マスクをしている人が珍しく、そういう酔客に対して乗車拒否をすると、写真を撮ってばらまくぞと脅されるそうです。そういう人たちが感染し、家族にうつして数を稼いでいるのではないでしょうか。

大規模な忘年会は自粛されていますが、仲間内の飲み会はそうでもないのかもしれません。大人数で会食した菅さんもかからなかったんだから、俺たちはそれより少ない人数だからへっちゃらだい…ってところでしょう。ウィルスが変異して感染力が強まったという話も聞きます。そういった諸々の要因が相まって、おめでたい数になってしまったのだと思います。

今夜はクリスマスイブですが、もちろん、何もしません。夢の中でサンタさんに会って、プレゼントをいただきましょう。

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卒業しても

12月23日(水)

午後から、去年の1月に入学した学生たちの卒業式がありました。今回の卒業生たちは、KCPでの生活の前半は普通に過ごせましたが、後半は新型肺炎に対する不安を抱えながらの留学生活を送ってきました。それにもかかわらず、去年の12月の卒業式と大きく変わらない数の卒業生がいました。苦しい中、一緒に学校を支えた同士のような感じすらします。よくぞ残ってくれたと、感謝しています。

みんな、知らず知らずのうちに、リスクを評価し、管理し、上手に回避し、そして初志を貫徹したとも言えるでしょう。そういう意味で、非常に価値ある卒業です。そういう卒業生が、去年と変わらぬほどいたのですから、誇らしくなります。この経験は、これで終わりにせずに、これから先の人生にも生かしてもらいたいです。

卒業式が終わってもホッとできない学生もいます。そんな卒業生の1人、Sさんは、この週末に第一志望校の受験を控えています。卒業式後に、オンラインになった面接の練習をしました。

第一志望校だけあって難関校です。ただ日本語が話せるというだけでは通りません。しかし、Sさんの話し方は平板すぎて、Sさんの思いが伝わってきません。間違ったことは言っていないのですが、ポイントがつかめません。印象に残らないと言ってもいいでしょう。これでは勝ち目がありません。面接試験はコミュニケーション試験でもあるとすると、コミュニケーションが取れないと判定されかねません。

そういう点を指摘すると、明日もう一度やりたいと言ってきました。卒業しても、毎日学校に通うSさんです。

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ある退学

12月22日(火)

毎学期、期末テストを限りに学校を辞める学生がいますが、今学期はRさんもその1人となりました。表向きはコロナの感染者が増えてきたからということになっていますが、実情は進学をあきらめたからです。

実は、昨日、EJUの成績をもらった後、私のところへ相談に来ました。日本語の成績が思わしくなく、Rさんが考えていた国立大学に手が届きそうもありません。他の科目も、日本語の成績が同じくらいの受験生に比べればよく取れていますが、どんな学生と比べても抜群に素晴らしいかといえば、そんなことはありません。Rさんの持ち点でどうにか勝負できそうな大学名をいくつか挙げたところ、考えてみますとのことでした。そして、一晩考えた結果が、退学だったというわけです。

言っても詮無いことですが、6月のEJUが中止になったのが痛かったです。そこで痛い目に遭って軌道修正ができていれば、どうにか希望がつながったかもしれません。目標への道のりのどの辺まで来たかつかめず、このままでいいのだろうかという気持ちもあったことでしょう。そのせいでしょうか、6月以降、Rさんは焦りが目立ち、精神的にきつかったようです。私たちも力になろうとしましたが、Rさんに必要だったのは、家族の力だったようです。少々前ですが、そういう意味のことをぽろっと漏らしていました。

Rさんは国で進学するようですが、形の上では2浪です。辛い選択だったに違いありません。「外国での生活の経験を生かして…」などと口で言うのはたやすいですが、その生かし方もよくわからないのではないでしょうか。私の手を離れてしまったら、私には祈ることしかできません。でも、精一杯、Rさんに幸あれとお祈りします。

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休みだけど

12月21日(月)

昼(といってもかなり夕方に近かったですが)に外に出ると、門松が据えられていました。なんだかわけのわからないうちに2020年が暮れようとしていますが、新しい年が近いんだなあと思いました。

明日は期末テストで、その後、学生たちは休みに突入します。その前に進学クラスの学生の気持ちを引き締めてほしいと頼まれました。そのクラスはまだ行き先が決まっていない学生がほとんどで、正月休み返上でどうにかしないと、卒業式が来てもどうにもなっていないかもしれません。

「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」です。今楽しんでしまうと、後で苦しくなります。今は苦しくても、後で楽しい時が必ず来るものです。そういう思いを学生たちに訴えました。

盛んにうなずいている学生もいれば、線がつながっているとは思えないような顔つきの学生もいました。でも、ここで楽に走ってしまうと、卒業式には別の意味で涙を流さなければならなくなります。旧正月を祝う習慣の学生たちには、1月1日の正月返上はさほどでもないでしょう。だから、ここで精いっぱい踏ん張って、自分たちの正月を心から祝えるようにしてもらいたいです。その時期にも決まっていなかったら、もちろん、旧正月もへったくれもありません。日本人の受験生だって元日から勉強するのですから、留学生も負けてはいけません。

週末に届いたEJUの成績を渡しました。毎度のことながら、悲喜こもごもです。今シーズンはここにきて独自試験を中止する大学が出てきています。“悲”の学生をどうフォローしていくか、私たち教師も、“苦”がしばらく続きます。

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